様々な神経疾患の発生頻度には明確な男女差があるし、行動学的にも、解剖学的にも男女の脳は異なっている。この差はそれぞれのニューラルネットの違いなのだが、さらに突き詰めると遺伝子発現の差に回帰できる。ただ、人間の脳は多様性が大きく、何が男女差を決めるのか正確に特定するのは難しい。
今日紹介する米国エモリー大学からの論文は、蛋白レベル、mRNAレベルで脳の男女差に関わる分子/遺伝子を特定し、それと様々な精神状態や脳構造との関わりを調べた研究で、8月31日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Sex differences in brain protein expression and disease(蛋白質の発現と病気の性差)」だ。
この研究では、男女の脳の各部分の蛋白質レベル(プロテオーム)と転写レベル(トランスクリプトーム)の分子発現を調べ、まずプロテオームレベルで13%近い蛋白質の発現が男女で異なっていることを特定する。
その上で、それぞれの分子の発現を決める遺伝要因を、全体、あるいは男女別で調べ、蛋白質の発現の差に関わるゲノムの中で、発現差の程度が男女ではっきり異なる、性バイアスが見られる遺伝子多型166箇所特定することに成功している。これまで、同じような比較で男女差を決める遺伝要因が特定された組織は乳腺で、脳はこれに匹敵する要因があることになる。
この遺伝要因の差をもう少しわかりやすく言うと、遺伝子発現に関わる多型のなかでも程度が男女で異なっている多型を特定している。そしてこれらの多型は転写調節領域やノンコーディングRNA、さらにエクソンの多型で、単純に性ホルモンで説明できない複雑な過程が関わると考えられる。
次に、蛋白質の発現とmRNAの発現を比較して、ほぼ8割の違いが両者で一致していることを確認した上で、こうして特定した男女で異なる多型分布を示すそれぞれのゲノム領域と、精神疾患の関わりについて調べ、性差を説明する14種類の多型を特定している。
例えば、その一つカドヘリン13はうつ病の原因遺伝子の一つとして知られている。あるいは統合失調症と相関するPEBP1の多型も男女差があり、この分子は脳発生に関わる。
重要なのは、こうして疾患との相関があり、同じ発現に関わる多型でも男女で程度が異な領域の多くが、炎症や免疫に関わる点で、アルツハイマー病の様な変性性疾患だけでなく、うつ病、アルコール中毒症などが含まれる。
結果は以上で、疾患と相関する多型自体は男女ともに同じように存在するので、その程度の男女差というと少しわかりにくかったかも知れない。しかし、多型の現れ方に男女差があることは、男女差を考える時に重要で、絶対的差と言うより、傾向と言えるような差を扱っている。そして、多くが様々な精神疾患の男女差とも関わっているとすると、この研究の先には、我々が自分の性をどう認識するのか、そして性同一性障害が起こるメカニズムの解明に進む気がする。その意味で、今回特定された遺伝子発現の差の中で環境に影響される可能性があるのが1%に満たない点は重要だ。すなわち、性同一性障害は遺伝的差異として調べることの重要性を示している。