2024年6月2日
歩くために必要な脊髄神経の刺激を AI モデルに記憶させ、それを硬膜外から刺激としてインプットすることで、慢性完全脊髄損傷患者さんを歩かせるローザンヌ工科大学の研究についてはこれまで何回も紹介してきた。ただ、このような AI を用いる方法は、脳との結合が実現できないと、複雑な刺激が必要な手や腕の機能回復にはつながらない。このため現在でもなおリハビリテーションが機能回復にとって最も重要だ。
さて、この論文を読むまで知らなかったのだが、腕と手のリハビリテーションを行っているときに、経皮的に損傷部位に電流を流すことで、おそらく新しい神経をリクルートし、リハビリテーションの効果が高められるという症例報告が発表されていたようだ。
今日紹介するローザンヌ工科大学からの論文は、ARCex-therapy と名付けた経皮的脊髄刺激法を、65名の患者さんで試した、より大規模な臨床観察治験で、5月号の Nature Medicine に掲載されている。タイトルは「Non-invasive spinal cord electrical stimulation for arm and hand function in chronic tetraplegia: a safety and efficacy trial(非侵襲的な脊髄電気刺激による四肢麻痺患者さんの手と腕の機能の回復:安全性と効果に関する治験)」だ。
この治験は、コントロール群を置く治験ではなく、全員が治療対象となる観察研究になる。ただ、最初の2ヶ月は通常のリハビリテーションだけを行い、その後リハビリテーション時に電気刺激を行う治療を2ヶ月行って、最初の2クールと、後の2クールを比較している。
対象は損傷後少なくとも12ヶ月が経過している慢性脊髄損傷患者さんで、様々な程度の障害を持っている。また介入は脊髄損傷部位に設置した2カ所の表面電極で、30Hz のシグナルを 10kHzキャリアーシグナルに乗せて刺激している。見た目で言うと、低周波マッサージ器に似ている。
最終的に60人が全4ヶ月の治験を終え、評価を受けている。まず安全性については中断を余儀なくされる副作用はないので、安全性は確認されたとしている。その上で、最初の2クールと、後の2クールを比較すると、1)腕を持ち上げる力のようなリハビリテーションで回復がしっかり見られ、電気刺激が特に影響がない評価項目、2)握る力などのようにリハビリテーションの効果は存在するが、電気刺激によりさらに回復速度が高まる評価項目、3)そしてリハビリテーションではほとんど回復できないが、電気刺激を始めたときからすぐに回復が始まる評価項目、の3種類の機能が存在することがわかった。
結果は以上で、これまでの症例報告を中規模の対象者を用いて確認した治験で、目新しいというわけではない。しかし詳細は省いたが、リハビリテーションで改善が見られない機能も電気刺激で回復の可能性が見られたこと、またリハビリテーションの効果を電気刺激がさらに高められるという結果は重要だと思う。副作用もなく、また治療方法も単純で安価(?)であることから、ダメ元でも腕と手のリハビリテーションにもっと積極的に採用したらいいような気がする。
この研究は、これまで何度も脊髄損傷の機能を AI で取り戻す方法を開発してきたローザンヌ工科大学から発表されたものだが、AI のようなハイテク技術だけでなく、もっとローテクの手法でも脊髄損傷患者さんの機能回復につながるなら積極的に臨床に提供しようとする意志が感じられる研究だと思う。まさに、ローザンヌが脊髄損傷治療の一大中心になろうとしているのがわかる。
2024年6月1日
ALK2分子の変異により筋肉が骨に変化する病気 FOP のメカニズムが明らかになったの今から10年近く前の2015年で、ALK2 に結合して BMP による刺激を抑える働きを持っていたアクチビンが、突然変異により抑制ではなく、刺激因子に変わってしまい、BMP が存在しないときでも筋肉の修復過程で誘導されるアクチビンが、ALK2 を刺激して骨に変えてしまうことがわかった(https://aasj.jp/news/watch/4043)。従って、ALK2 特異的阻害か、アクチビンの阻害により骨化を抑えることができると予想され、昨年リジェネロン社によりアクチビンに対する抗体が実際の患者さんで骨化を抑えることが示された(https://aasj.jp/news/watch/4043)。
この抗体薬はこれまで治験が行われた薬剤と比べ、特異性が高く、副作用が少ないと報告され、FOP 患者さんにとっては画期的研究結果として現在治験が続いている。ただ、抗体薬にはいくつか問題がある。一つは、最も重要な小児期から抗体薬を一生涯打ち続けることが可能かということと、アクチビン自体はそれ自身で ALK2 シグナル抑制以外の機能を持つこと、また FOP 変異型 ALK2 はアクチビン以外に BMP でも刺激を受けるため骨化を完全に押さえられる保証はないこと、などが問題になる。
このため、ALK2 機能を特異的に抑制する方法の開発も望まれている。今日紹介する創薬ベンチャーBlueprint Medicine Corporation からの論文は、ヒト ALK2 特異的小分子化合物を探索し、それがマウスモデルのFOPで筋肉損傷後の炎症から骨化までを抑えることを示した研究で、5月29日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「An ALK2 inhibitor, BLU-782, prevenerotopic ossification in a mouse model of fibrodysplasia ossificans progressiva(ALK2 阻害剤 Blu-782 はマウスモデルの FOP での異所性骨化を防止する)」だ。
この研究では ALK2 を含むキナーゼタンパク質と結合する小分子化合物の中から ALK2 に特異性の高い分子で、副作用の大きな原因になる ALK1 との結合が見られないリード化合物を特定し、このリード化合物と ALK2 との結合状態を構造解析し、これを元に至適な化合物への改良を加え、最終的に Blu-782 に到達している。同じことは、以前理研の後藤創薬チームでも試みたことがあったが、リードの選び方か、至適化に至るシステミックはアッセイ系が完全でなかったのか、残念ながら開発を断念している。その意味では、ALK1 をはじめとするキナーゼに反応せず、最終的に脳内への移行が抑制された Bu-782 に到達しているこの研究は、まさにプロの研究といえるだろう。
後はマウスモデルで、この薬剤の効果を調べている。実験では、筋肉を傷つけ、その修復過程で異所性の骨化が20日目ぐらいに観察されるモデルと用いて効果を調べている。驚くのは、傷つけた後に発生する浮腫及びその後の異所性骨化が Blu-782 で全て押さえられることで、この一連の過程全体に FOP 変異を持つALK2 が関わっていることがわかる。
最初は傷をつける前に腹腔投与を行って効果を確かめているが、その後傷をつけるより前から経口投与を続けていると、同じように浮腫と異所性骨化が押さえられることを示している。
実際の患者さんの状況を考えると、いつ筋肉に障害が起こるかわからない。従って、実験のように最初から予防的に投薬が必要になる。そのためには飲み薬が最も適している。ただ、もし筋肉損傷が起こったことが検出できるなら、検出後に服用して余計な副作用を防ぐ可能性もある。そこで、筋肉損傷後2日目、4日目から投薬を開始する実験を行っている。
結果は筋肉損傷後2日目だとほぼ完全に抑えることができるが、4日目では抑制できない。すなわち、浮腫が起こる段階ですでに骨化へのプロセスが走っていることがわかる。また、投薬を途中でやめる実験を行うと、12日目まで投与を続けると効果は見られるが、1週間で服用をやめたのでは完全に効果が失われる。以上のことから、FOP 型変異を持つ ALK2 が働く時期が、2日目から12日目までの、まだ骨化が起こっていない段階であることがわかる。
ワクチン接種のように、筋肉障害を誘導した時期が明確な場合はともかく、通常いつ筋肉障害が起こったのか明確でない FOP 患者さんの場合、当面この薬剤をほぼ一生涯飲み続けることになるが、今後自覚以前の筋肉障害の早期検出法が開発されれば服薬回数を減らすことは可能になるかもしれない。いずれにせよ、希少疾患の代表といえる FOP でも、創薬ターゲットが明らかになることで、抗体薬から ALK2 特異的な内服薬まで、治療法開発が加速するのを見ると、本当に心強い。
2024年5月31日
CRISPR/Casの広がりは予想以上で、すでに臨床治験が進められている遺伝子編集も数え切れない。Clinical Trial Gov. で CRISPR とインプットすると、81治験がリストされる。当然治験前の前臨床段階だと驚くべき数になるはずだ。当然使用される CAS タンパク質など、遺伝子編集のために至適化されているのかと思うが、最も利用されている CAS9 ですら、理想からはほど遠いらしい。これまでも、標的以外の DNA に切断を入れる活性を除去して、特異性を上げる試みについては紹介してきたが、酵素活性としてみたときでも CAS9 は改良の余地が大きいようだ。
今日紹介するカリフォルニア大学バークレー校、Doudnaさんの研究室からの論文は、遺伝子編集に直接関わる酵素 CAS の改良を目指した研究で、5月22日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Rapid DNA unwinding accelerates genome editing by engineered CRISPR-Cas9(改変型CRISPR-Cas9により DNA をほどく速度を高めることで遺伝子編集効率を高めることができる)」だ。
標的以外の DNA を切断するオフターゲットの問題や、分子のサイズの問題を解決するための研究が進んでいるのは知っていたが、例えば Cas9 などこれほど多くの研究で利用され、場合によっては何十パーセントといった編集効率が報告されているので、この論文を読むまでターゲット特異的な切断活性はかなり至適な酵素だと思っていた。
ところが専門家から見ると最も利用されている Cas9 には凝集しやすく、また分解されやすいという問題があるようで、分解されにくい種類の Geobacillus 由来の Geo-Cas9 が注目され、いわゆる分子進化手法を用いて至適変異を誘導した iGeo-Cas9 が開発されていた。
この研究では、元の Geo-Cas9 と効率を高めた iGeo-Cas9 の構造解析や、標的との生化学的解析を行い、効率上昇に関わった分子構造を調べている。CRISPR/Cas9 の酵素学的過程を分析すると、Cas9 の DNA への結合が高まっており、その結果か標的側の認識配列 PAM の配列の制限が下がる。余談になるが、PAM 配列のレパートリーが増えることで、当然標的にできる配列の数も増える。
これらの変化は全て、Cas9 の WED ドメインで起こったアミノ酸変異によるもので、さらにこの変異により、DNA をほどいてガイド RNA と結合させ、残りの DNA の R-Loop 形成効率が大きく上昇することを示している。
切断活性を含むそれ以外の過程については、iGeo-Cas9 は元の Cas9 と活性の差はなく、従って iGeo-Cas9 の編集効率の上昇は全て WED ドメインの変異によりおこっていることを明らかにしている。その上で、なぜ iGeo-Cas9 が標的 DNA の熱力学的な不安定性を誘導するかなどについてお解析しているが、割愛する。要するに、DNA をほどく活性が高まることで、ガイドとの結合、DNA 切断に必要なR-Loop形成などが格段に高まる。
この分析過程で、iGeo-Cas9 のマグネシウム依存性が下がることも発見している。大腸菌や、試験管内の条件と比べると、我々の細胞内のマグネシウム濃度は低い。従って、iGeo-Cas9 はまさに我々の細胞内で働きやすく変化したことがわかる。
WEDドメインはこれまであまり注目を集めてこなかった。そこで、他のバクテリア由来の Cas9 の WED ドメインに同じような変異を導入したところ、アミノ酸の相同性は40%ぐらいしかないのに、同じように PAM 配列の制限が緩み、編集効率が格段に高まることを示している。
以上が結果で、WED ドメインの機能を理解することで、Cas9 の効率を高めるための分子デザインに大きく近づいた、さすが Doudnaさんと感心する研究だ。
2024年5月30日
思春期の子供は感受性が高く、また学校の中で長い時間共同生活を送ることから、クラスメートからの影響を最も受ける時期といえる。自分自身の経験を振り返っても、ハンディキャップを持ったクラスメートがいるだけで、皆でいたわる心が芽生えた。これとは逆に、様々な精神疾患を持つクラスメートがいると、同じような精神疾患がクラスメートに発生しやすいという報告もある。すなわち、精神疾患も社会的つながりを介して一種の感染性を示す可能性は、特に思春期の子供で指摘されてきた。しかし、本当にそんなことがあるのかを、十分な母数について調べるのは簡単ではない。
ところが「Transmission of Mental Disorders in Adolescent Peer Networks(思春期の仲間ネットワークに見られる精神疾患の伝染)」というセンセーショナルなタイトルのヘルシンキ大学からの論文が、5月22日 JAMA Psychiatry にオンライン掲載された。フィンランドの学校制度の特徴を利用して、実に70万人以上の思春期の学生について、クラスに精神疾患の生徒がいたとき、クラスメートの中に同じような精神疾患が発生する率を調べた研究だ。
我が国の公立学校と同じで、フィンランドの義務教育は地域の学区を単位としており、子供たちは授業時間だけでなく、日常濃厚な接触を持っている。また、学校内での児童の健康データがしっかりしており、大きな母数での統計学的解析がしやすい。そして、レジストレーションを調べる研究に関しては、児童や父兄のインフォームドコンセントが必要ないようで、認められれば誰でも統計解析を行うことができる。
この特徴を生かして、70万以上の学童のなかで精神疾患と診断された児童を、全ての精神疾患についてデータを解析している。具体的には、9学年目のクラスメートの中に1人でも精神疾患がいたとき、その後同じクラスメンバーが精神疾患にかかるリスクを調べている。
まず精神疾患を問わずクラスに調べると、クラスに1人だけ精神疾患の子供がいたケースでは、他のメンバーが精神疾患を罹患するオッズ比が1.1、2人以上いた場合は1.2になり、優位に伝染性が確認された。
精神疾患別に調べてみると、ムード障害を持つクラスメートが2人以上いた場合、オッズ比は1.4とかなり高い。また、自己にベクトルが向く内在化障害(抑うつなど)と、他者にベクトルが向く外在化障害(反抗、暴力)に分けて調べると、外在化障害のクラスメートがいた場合のオッズ比は、内在化障害の1.2に対して1.4と高い。
また、精神疾患のクラスメートに影響を受けて他の児童が発症する時期を調べると、一緒に過ごした最初の年がいずれの疾患でも一番高く、学校というネットワークの密接な関係がこの伝染の原因であることがわかる。
以上が結果で、これまでも指摘されてきたことだが、やはり70万人を平均10年追跡できたビッグデータで示されると、インパクトは大きい。未だにいじめが問題になる我が国の学校ではなかなか正確なデータを集めるのは難しそうだが、このデータが正しいとすると、学校という共同生活で精神疾患が伝染するのを減らすための方策の開発が必要になる。しかし、これは難しそうだ。
2024年5月29日
研究を始めて10年ぐらいは、Bリンパ球の分化と、抗体遺伝子のレパートリー形成について研究していた関係で、利根川さんが抗体遺伝子の再構成の存在を明らかにしてから、抗体遺伝子やT細胞受容体遺伝子の再構成をリードする RAG1、RAG2 の発見、その後の再構成過程分子メカニズムの詳細まで、ほとんどの論文は目を通してきた。そして、かなり詳細に至るまでメカニズムが明らかになったと実感している。
ただ今日紹介するニューカッスル大学からの論文は、Omenn 症候群という私も聞いたことがなかった免疫不全患者さんの原因遺伝子を特定し、これまで全く知られていなかった RAG1、RAG2 の機能調節機構が存在することを明らかにした研究で、生命機能の細部の途方もない複雑性に改めて驚嘆させられた。タイトルは「NUDCD3 deficiency disrupts V(D)J recombination to cause SCID and Omenn syndrome(NUDCD3 の機能不全は VDJ 再構成を傷害して免疫不全と Omenn 症候群の原因になる)」で、5月24日 Science Translational Medicine に掲載された。
この研究ではリンパ球の分化異常による免疫不全とともに、全身の炎症が起こる Omenn 症候群の原因遺伝子特定から始まっている。近親婚により子供の半分が Omenn 症候群、あるいは免疫不全と診断された家族のエクソーム解析を行い、シャペロンの補助因子として知られていた NUDCD3 分子の52番目のグリシンがグルタミンに変化する変異 (G52D) が両方の染色体で揃うと(ホモ)になり病気が発症することを発見する。
NUDCD3 はほぼ全ての細胞に発現しており、完全欠損はおそらく致死的と考えられる。ところが G52D の変異をホモで持つときだけ、他の臓器に影響がなく、免疫不全のみが発生する。この不全を詳しく調べると、要するに VDJ 再構成の効率が0ではないが、強く抑制されていることに起因し、抗原に反応性のレパートリー形成不全と、リンパ球分化抑制が起こっていることがわかる。マウスに同じ変異を導入して調べてみると、この点がさらにはっきりする。
シャペロン機能に関わるということで、遺伝子再構成に関わる分子の安定性を調整する可能性を考え、G52D 変異を持つ細胞で RAG1、RAG2 の核内の挙動を調べると、驚くなかれ、通常 RAG2 が発現している細胞では核内に広く分布する RAG1 が、核小体にトラップされたままで、RAG2 との相互作用が阻害されていることがわかった。すなわち、両分子の協調が必要な遺伝子再構成が進まなくなる。
結果は以上で、Omenn 症候群で VDJ 再構成が量的に抑制されるメカニズムがうまく説明できている。いずれにせよ、この論文を読むまで、RAG1、RAG2 が核質と核小体に分かれて存在していることは全く知らなかった。このようなコンパートメント化の意義については将来の検討課題だろう。
また核小体は核内での RNA を含む様々な分子が相分離して形成されると考えられるので、NUDCD3 は相分離した分子集団から特定の分子を出し入れする機能を担っていることになる。VDJ 再構成研究はまだまだ終わっていない。
2024年5月28日
シクロデキストリンなどの高分子をベースに触媒活性や酵素活性を生み出す人工酵素の作成は、ナノテクノロジーの重要分野として研究が進展している。特に最近では、分子の中に金属をトラップすることで予想外の酵素活性が得られることがわかり、開発が行われている。
今日紹介するチューリッヒ工科大学を中心とする研究グループからの論文は、鉄イオンを取り込んだ β ラクトグロブリンが、アルコールをアセトンへと分解する酵素活性を持っており、これにより急性アルコール中毒を防げるという、酒飲みにとっては画期的な研究で、5月13日 Nature Nanotechnology にオンライン掲載された。タイトルは「Single-site iron-anchored amyloid hydrogels as catalytic platforms for alcohol detoxification(一カ所に鉄がトラップされたアミロイドハイドロゲルはアルコール解毒のためのプラットフォームになる)」だ。
この分野を紹介するのは初めてで、私もほとんど素人同然だが、現状は完全に人工酵素をデザインすると言うより、トライアンドエラーで開発が行われているようだ。ただ、最近紹介した新しい生体分子構造決定法が開発されたことで、最初から活性をデザインする方向の研究は間違いなく進むと思う。
この研究では、アミロイドフィブリルを形成する β ラクトグロブリンに3価鉄イオンを挿入したところ、同じヘムタンパク質である西洋わさびのペルオキシダーゼに似ていることを発見し、このアミロイド繊維のペルオキシダーゼ活性を調べると、期待通り低いながらも酵素活性を検出している。そして驚くなかれ、基質としてアルコールやアセトアルデヒドに働いて、過酸化水素存在下に水とアセトンに分解することを発見する。
都合のいいことに、β ラクトグロブリンからなるアミロイド繊維は水を多く吸収するとゲル状になることもわかっている。そこで、最初にこのアルコール分解人工酵素繊維をマウスに飲ませ、大量のアルコールを飲ます実験を行ったところ、血中アルコール濃度上昇を半分程度に抑えることに成功している。
さらにアルコールを2週間飲ませて組織障害を調べる実験でも、このアミロイド人工酵素を摂取した群では組織障害が全く起こらないことを示している。
以上が結果で、我々の体内の酵素ではアルコールが分解されると、有毒なアセトアルデヒドが発生するのに対して、この酵素では無害なアセトンに分解されることで、この大きな差が生まれているといえる。
酒をたしなむ人間としては素晴らしい技術だと関心しながら論文を読んできたが、読み終わって、先にこの人工酵素を摂取すると、間違いなくアルコールの効果が抑えられるということに気づいた。とすると、確かに大量のアルコール摂取時にはよいが、適量のアルコールをたしなむときには、せっかくの酒を全てノンアルコール飲料にしてしまう問題があるようだ。
2024年5月27日
4月8日に病理組織像をインプットすると、病理の異常のレポートを書いてくれる、病理診断大規模言語モデル(LLM)―CONCHについて紹介したが覚えていただけているだろうか(https://aasj.jp/news/watch/24258)。実を言うと、トップジャーナルに毎日毎日 LLM の論文が発表されるため、私の頭の中でも混乱が始まり、何を紹介し何を紹介しなかったのか、わからなくなってきている。
レントゲンや内視鏡など、それまで教師付で形成されてきた AI モデルが、急速に LLM モデルに移ってきているので、当然病理組織診断でも同じ動きがあるのは当然だ。ただ、病理組織の場合、画像としては複雑で、正確な診断レポートが LLM モデルから得られるようになるにはまだまだ時間がかかることを、このとき紹介した。
今日紹介するマイクロソフトとワシントン大学からの論文は、基本的には4月に紹介した論文と目的は完全に同じだ。ただ、病理レポートを書かせるという点は後回しにして、画像を読み込んだ LLM のポテンシャルを、もう少し簡単なアウトプットを基礎に評価し、読み込んだ画像で何ができるのかを調べるのを優先した研究で、5月22日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A whole-slide foundation model for digital pathology from real-world data(実際のデータから形成した、スライドグラス全体を基盤にしたデジタル病理)」だ。
4月に紹介した論文と違いの主なものは、病理組織を 252X252 のコマに分けて、それぞれのタイルをエンベッディングした後、これを統合してスライド全体レベルのエンベッディングを組み合わせる点で、具体的な処理方法はわからないが、部分的な変化と全体の変化が同時に捉えられるようにしている。
全体を見ることで、組織の中に秘められたより複雑なコンテクストが読み取れるようで、最も驚くのはガンのゲノム変異を組織からある程度予測できるという結果だ。例えば、EGF 受容体変異については AUROC 値が75%、KRASで60%、p53 変異で75%と驚く。他にも PD―L1 発現も同じレベルで予測できる。当然ガン遺伝子の変異は細胞レベルの変化を誘導し、それが組織レベルの変化につながるはずで、かなりの確率でゲノム変異を予測できる可能性はある。実際、この研究では他のモデルと今回のモデルの比較を行って、このモデルが優れていることを示しているが、そのことはこれまでの病理診断 AI も同じようにガン遺伝子変異に起因する組織変化を一定程度拾うことに成功していることになる。
おそらく優れた病理診断医の中には、組織を見るだけでガンのドライバーを予測できる人もいるはずだと思うが、感じても言うことは難しかったと思う。その意味で LLM が病理診断の可能性を広げていることになる。
後は、ガンのサブタイプで、例えば肺ガンでも非小細胞性肺ガンであるとか、浸潤性乳がんと行った診断もかなりの確率で可能になることを示している。
そして最後に、contrastive learning を用いて病理組織についての診断記述が書けるようにしているが、これまでの部分に注目する方法と異なり、こスライド全体を見渡すアテンションと、ChatGPT によるテキスト処理を合体させているのが特徴のようだ。これにより他のモデルと比べ大分パフォーマンスは上がったと結論しているが、病理医の診断レベルにはまだ行っていないと思う。
以上が結果で、AI の進歩を感じるとともに、病理診断の難しさも感じることが出来る。実際の診断現場では倍率を頻回に変えるが、このように必要に応じて部分の部分を見ると言った調べ方が自然に AI に身につくか面白い領域だと思う。
2024年5月26日
白血病の治療を始め様々な目的で骨髄移植が行われる。まだ不足しているとはいえ、骨髄バンクの整備と様々な臨床的努力の結果、今では100日生存率で見た非血縁者間の骨髄移植治療の成功率は90%を超えていると思う。とはいえ、骨髄移植のためにガン細胞は言うに及ばず、正常の造血幹細胞を除去して、移植幹細胞が増殖できる場所を空ける必要がある。このため、徹底的な化学療法や放射線照射が行われるため、その副作用は全ての幹細胞システムに及び、これが成功率を妨げる。
今日紹介するバーゼル大学からの論文は、骨髄移植をより安全に行うため、抗体に薬剤を結合させた細胞障害薬(ADC)を用いた方法の開発で、5月22日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Selective haematological cancer eradication with preserved haematopoiesis(造血を維持してガンだけを選択的に除去する)」だ。
この研究では、骨髄移植で骨髄性白血病を治療するシチュエーションを想定して、白血病細胞だけを除去する方法の開発を目指している。例えばこれまでの抗ガン剤療法だと、ガンも血液幹細胞も傷害される。そこで、骨髄幹細胞を治療後に移入して造血だけ復活させるのが骨髄移植治療だ。この研究では、この過程をまず血液系特異的な障害に限定し、他の臓器への影響がほぼ出ない方法として、ガンも含めて全ての血液細胞が発現している CD45 分子に対する抗体に DNA をクロスリンクして強力な細胞障害性化合物 Pyrrolobenzodiazepine(PBD) を結合させた ADC を開発している。
これにより、血液幹細胞からガン細胞まで、全ての血液系細胞は体内から除去されるが、他の細胞にはまず影響が及ばないため、より副作用のない骨髄移植に近づく。しかし、このままだと抗体の半減期から考えても、新しい骨髄を移植しても ADC の影響を受け、ガンは殺せても造血が戻らない。
この問題の解決として着想したのが、正常血液幹細胞の CD45 遺伝子を抗体が認識できないように遺伝子編集で変異させ、ADC の影響を受けない血液幹細胞として ADC 投与と同時に移植する方法だ。まさに Good Idea だが、これを実現するためには多くの実験の積み重ねが必要だった。
まず、CD45 機能を維持したまま、抗体が認識できないアミノ酸残基を決定する必要がある。構造解析をベースに、これを満たすアミノ酸残基の変異を複数決定することに成功している。次の課題は、このような変異を CRISPR 系を用いて正確に導入するための開発で、一塩基変異を誘導できる、デアミナーゼを CAS の代わりに用いる方法を選び、様々な実験を繰り返して、最終的に正常血液幹細胞の30−50%を ADC の影響を受けない幹細胞へと変異誘導する系を確立している。
簡単に紹介したが、このシステムの開発がこの研究の全てで、後は造血系を ADC の影響を受けない幹細胞でヒト化したマウスにヒト白血病細胞を注射し、このマウスを ADC 処理する実験で、造血系はそのままで、ほとんどの白血病株を完全除去できることを示している。
また、ガンの中には CD45 発現を低下させて ADC の影響を逃れるものも出てくるが、ADC を2回投与することで耐性の問題はかなり解決できることを示している。
結果は以上で、必要な前臨床実験は尽くせていると思えるので、あとは臨床試験に移っていいのではと思える。今後予想される臨床試験では ADC と同時に遺伝子編集後の血液幹細胞を移植することになると思うので、この方法で、どこまで造血系を回復させられるか調べる必要があるが、ガンの治療に限らず骨髄移植の方法としてはかなり有望ではないかと思っている。
2024年5月25日
動物が数を数えることができることは様々な実験から確認されており、人為的にトレーニングした犬だけでなく、自然に数を学習する動物も知られている。例えば鳥の中には天敵の大きさを音を何回出すかで表現して周りに知らせる種も存在する。従って、賢いカラスが我々の数字を見たり聞いたりして、鳴き声の数で表現すること自体は特に驚くことではない。
今日紹介するドイツチュービンゲン大学からの論文は、カラスが示された数を理解し、それを鳴き声で表現するとき、実際には頭の中で何が起こっているのか、脳の活動を全く調べることなく、明らかにした研究で、5月24日 Science に掲載された。タイトルは「Crows “count” the number of self-generated vocalizations(カラスは自分が出す声の数を数えている)」だ。
人間の子供でも、最初は数を一つ二つと順番に数えるが、徐々に抽象的な数字が理解できるようになって、イチ、二と数えなくとも数字の意味がわかるようになる。この幼児の数の数え方はは、カラスにも教えることができ、この研究ではアラビア文字の1、2、3とともに、異なる音を聞かせ、それぞれの数を見たとき、カーという声の数で見た数を表現させることができる。すなわち、2という文字、あるいは2に対応する音を聞いたとき、「カー、カー」と2回答えるように訓練できる。
普通ならカラスは賢いとおしまいにしてしまうのだが、このグループは、訓練しても一定の頻度で間違うことに興味を持った。間違いのほとんどは、「見た or 聞いた」数より少なく、あるいは多く発生してしまうためだ。また、表現する数が多いほど、間違いが多い。これは、この数え方の特徴で、3を数のシンボルとして理解するのではなく、イチ、二、サンと頭の中でカウントする刺激として理解しているからだ。
とすると、大きい数を見たときほど、頭の中でカウントするので、発声までに時間がかかると予想できるが、その通りで、発声前に数を頭の中でカウントしているのがわかる。
この研究のハイライトは、このカウントした結果を発声につなげるときに、「カー」という音自体と発声までの時間が、数字の大きさに対応するのではないかと着想し、数を「見た or 聞いた」ときの発声を記録し、最初の音のトーンでカラスが理解した数を予測できるか調べ、第一声までの時間とトーンで鳴き声の数を予測できることを見事に示している。
もし最初に頭の中でカウントして数を理解しておれば、なぜ間違うのか。これを解くため、間違った時の、第一声までの時間とトーンを調べると、頭の中では理解できていることが明らかになった。とすると、最初は3回鳴こうと決めたのに、途中で4回になってしまうことになる。このときの、身体の動き、声のトーン、数など様々なパラメータを記録して、答えを発声しているときの反応を3次元空間に投射すると、間違う場合、例えば2回目の鳴き声と3回目の鳴き声がこの空間上で極めて近接してしまい、通常の3回目と認識できないため、3回発声しても2回と勘違いして答えていることがわかる。この間違いの原因には、例えば首が動くなど他の要因が発声に影響したと考えられる。
以上が結果で、極めて単純だがカラスの反応を、人工知能にインプットすることで、カラスの頭の中で起こっていることを解析するという、まさに AI 時代の脳研究を代表する研究のように思う。以前、言語の発声を子供の経験をニューラルネットにインプットすることで調べる画期的研究を紹介したが、おそらく数の認識、空間の認識、そして時間の認識なども、脳と AI を一対一で対応させることで、明らかにされる時代が来たように思える。
2024年5月24日
米国の医療用合成麻薬中毒に関する深刻な問題については Beth Macy さんの Dope Sick という本に詳しく書かれており、Video News を主催している神保哲生さんによって邦訳もされているので是非読んでほしいが、米国が合成麻薬中毒にむしばまれている姿が本当によくわかる。
とはいえ、鎮痛剤としての麻薬は他の薬剤に代えがたい効果がある。問題は、痛みがなくなってからの離脱症状が複雑で、離脱をスムースに促進できる医療手段が限られている。今日紹介するジュネーブ大学からの論文は、強力な合成麻薬フェンタニルの離脱症状に関わる脳回路を明らかにした研究で、5月22日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Distinct µ-opioid ensembles trigger positive and negative fentanyl reinforcement(異なる μ オピオイド反応神経群がフェンタニルに対する正と負の効果を誘導する)」だ。
オピオイドというとモルヒネを思い浮かべると思うが、最近ではフェンタニルやオキシコドンなどの合成麻薬も医療で使えるようになっている。合成麻薬は即効性で、モルヒネの何十倍も効果が高いので医療には最適の鎮痛剤だが、痛みの原因が消失しても、離脱できずに過剰摂取に陥り、多くの死亡事故の原因になっている。
離脱時の症状には2種類あり、一つは正の強化と呼ばれる、フェンタニルによる快感が忘れられないために使用を続ける症状と、負の強化と呼ばれる離脱によって起こる強い不快感や震えなどで、この症状を恐れてフェンタニルを続けることになる。
研究では、正の強化と、負の強化に対応する行動を特定した上で、離脱時にこれらの反応が起こる脳回路を調べている。実際には μ オピオイド受容体に反応する神経細胞は様々で回路は極めて複雑なので、様々な可能性を除外する実験が行われているが、そこはすっ飛ばして最終的に著者らが重要な回路として提示した結果を照会する。
まず正の回路だが、要するに快感を求めて離脱できないということは、当然ドーパミンによる報酬回路との関係になる。この研究では、腹側被蓋野の GABA 作動性抑制神経の一部が μ オピオイド受容体を発現しており、刺激によりドーパミン神経の抑制が外れることで、快感が増す回路が成立していることを、光遺伝学も含めて示している。すなわち、この回路が離脱により働かなくなると、当然、快感が減じるため、快感を求めてフェンタニルから離脱できない。すなわちその場その場の快感を求める禁断症状といえる。
一方負の強化はもう少し複雑だ。これまでの研究で、長期間の使用により神経自体の刺激性の変化が生じそれが負の強化の原因と考えられてきた。この研究では、離脱時に最も反応性が高まる μ オピオイド受容体を発現している神経が扁桃体中心部に存在することを発見する。そしてこの細胞の投射や機能を光遺伝学的に調べ、この神経細胞が興奮すると不快感と運動異常が起こることを発見する。すなわち、扁桃体 μ オピオイド受容体陽性細胞は、離脱時に興奮が高まり、これが不快感や運動を誘導することが示された。
残念ながら、負の強化で μ オピオイド阻害で神経が興奮するメカニズムや、症状につながる回路については不明だが、オピオイドの効果の複雑性が今や米国最大の問題、合成麻薬蔓延を生んでいることはよくわかる。いずれにせよ、この両方の禁断症状に対応する方法の開発が望まれる。