人間の歴史は感染症と切り離すことはできない。医学が急速に発展した現代でも、コロナパンデミックが我々の社会に及ぼした影響は計り知れない。トランプ政権やケネディ衛生長官もコロナパンデミックから生まれたとすら考えられる。このような感染症と人間の歴史の関係を読み解く手段として古代ゲノム研究の重要性が高まっている。即ち、人間の進化と病原体の進化を同時に調べることができる。例えば人口の半分近くが死亡したヨーロッパのペスト大流行の結果、人間集団の遺伝子が4年という短い間にも変化したことを捉えることができた論文を以前紹介した(https://aasj.jp/news/watch/20803)。この原因となったペストはノミを通して人間とネズミを媒介することで大流行を果たしているが、このような大流行とは別にペスト菌が家畜に維持され、ヒト感染症のリザバーになっていることもチベットでの感染研究を通して知られている( https://aasj.jp/news/watch/8847)。
今日紹介するベルリンのマックスプランク感染症研究所からの論文は、チベットで見られたのと同じような家畜と人間の間でのペスト感染症維持が先史時代にも存在した証拠を探し求めた結果、ロシア大草原地帯のシンタシュタ文化の遺跡から出土したヒツジの骨からペスト菌を分離し、このゲノムから人間とペスト菌の付き合いを調べた研究で、8月11日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Bronze Age Yersinia pestis genome from sheep sheds light on hosts and evolution of a prehistoric plague lineage(ヒツジから分離した青銅器時代のペスト菌ゲノムは先史時代のペスト系統と人間の進化を教えてくれる)」だ。
ノミの体内で生存できる進化を遂げたのが現代のペスト菌の進化のエポックで、これによりネズミが媒介するペストの大流行が起きるのだが、先史時代のヒトゲノムから見つかるペスト菌にはこのような変化は存在しない。しかし、新石器時代や青銅器時代のヒトの骨から多くのペスト菌が発見されるが、ほとんどが普通に埋葬された骨から見つかり、大流行で見られる集団墳墓ではないことから、おそらく以前紹介したチベットで見られたような感染様式が維持されているのではと考えられてきた。
この研究の基本は、馬を家畜化しユーラシアに広く拡大した牧畜分化遺跡から出土する動物の骨を探索して、一本のヒツジの骨からほぼ完全なペスト菌ゲノムを分離したことにつきる。などと簡単に言ったが、きちっと埋葬されている人間の骨と異なり、食用として使われた家畜の骨からDNAを抽出することは簡単でない。そのため、本当にこれがヒツジの骨か、古代ゲノムかなど徹底的な検証を行い、青銅器時代の家畜に感染が維持されていることを明らかにした。
分離されたゲノムと他のペスト菌ゲノムを比べると、新石器・青銅器時代の人の骨から分離されたペスト菌の系統樹に完全に収まることから、決してヒツジ独自に進化したのではなく、人間とともに進化してきたペスト菌であること示され、ヒツジなどの家畜と人間の間で行き来して維持されてきたと考えられる。また、ヒツジと人間で異なる選択圧が存在した痕跡があるため、家畜内での感染、人間での感染を繰り返して進化しているが、相互に感染することで一定のゲノムに落ち着いて維持されることがわかる。即ちチベットで見られたように、先史時代のペスト菌は家畜の利用をベースに維持されてきたことがわかる。
ペスト菌は偽結核菌として知られる Y.pseudotuberculosis (Y.pse) から7000年前に分岐してきたことがわかっているが、現在のペスト菌と異なり Y.pse の多くの遺伝子がまだ残っており、分岐直後から独立に進化してきた菌で、Y.pse の様々な遺伝子を独立に不活化することで、人や家畜に感染できる菌へと進化している。
面白いのは、この系統のペスト菌がユーラシア全体に広がっており、地域ごとの異なる進化が見られないことで、人間の移動がペスト菌を広げたとも考えられるが、渡り鳥によって広がった可能性も否定できない。
今後新石器・青銅器時代のペスト菌系統を再現して実験的に研究するとともに、さらに多くの遺跡からペスト菌を分離する努力が必要となる。以上、ヒツジから見つかった一つのペスト菌ゲノムから様々な可能性が広がる。