多段階発ガン説は広く受け入れられているが、最初に発生した増殖に関わる変異によって起こるクローン性の増殖が背景にあると考えられている。直腸ガンの場合、APCと呼ばれる遺伝子欠損を伴うが、遺伝的にAPCが片方の遺伝子で欠損した人は、APCの名前の由来である adenomatous polyposis 、即ち多発性の大腸ポリープを発症する。さらに、そのまま放置するとほとんどの人が大腸ガンを発症することから、ガンの多段階説を裏付ける重要な遺伝疾患になっている。即ち、遺伝的にAPCが欠損した腸上皮でもう片方のAPCに変異が入ることで起こるクローン性増殖がガンの始まりと考えられていた。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、遺伝性大腸ポリープ患者さんから採取した様々なタイプのポリープのゲノムを解析し、悪性化前のポリープは決してクローン性増殖で発生したわけではないことを示した研究で、11月25日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Polyclonal origins of human premalignant colorectal lesions(大腸結腸の前ガン部位は多くのクローンからなる)」だ。
研究では6人の患者さんから複数のポリープを採取して病理組織学的にポリープの正常上皮から異形成までのステージングを行った後、それぞれのポリープの全ゲノム解析を行っている。面白いことに、この中にはポリープが全て正常型でAPCの変異が認められない人も存在する。遺伝的大腸ポリープとして診断を受けているにもかかわらずこのような結果になる理由は、発生の早い段階で遺伝子変異が起こり、変異細胞がモザイクで存在するからと考えられる。
さらに、ガン増殖のドライバーとしてはKRAS変異やBRAF変異を見つけることができるが、頻度はそれぞれ25%程度で、特定の経路でポリープ化するというより様々なドライバーを用いてポリープができてきている。また同じポリープで複数のドライバーが存在する場合もあり、単純なガンの多段階説で説明しにくい結果になっている。即ち、ポリープが単純なクローン性増殖と考えるのは間違っている可能性がある。
そこで、他の変異を比べることでポリープのクローン性を調べてみると、病理的に悪性の顔をしているほどクローン性に分布している変異の数は増えるが、ほとんど正常上皮の顔をしているポリープでは共有されている変異は見つからなくなり、基本的に多クローンからなっていることがわかる。
さらに、一個のポリープに存在する複数のクリプトから細胞を採取し、それぞれ独立にゲノム解析を行うと、一つのポリープ内のクリプトは一部だけ相互にクローン関係を持っていても、ほとんどが独立したクローンであるポリープを特定することができる。一方でガン化に至った腫瘤からクリプトを調整すると、一つのクローンから分岐を繰り返して多様化している。以上のことから、良性のポリープではまだ決定的な増殖優位性が発生しておらず、様々なクローンが、おそらく同じ増殖要因で増殖することで発生したと考えられる。
結果は以上で、ゲノム上でのクローン性増殖がないとしたら、ポリープ発生自体はAPC変異があるとしても、特定のドライバー遺伝子変異で起こるというより、共通のエピジェネティック変化、、あるいは周りの環境からの増殖因子の変化などで起こる可能性が高いことになる。
だからといってガンの多段階説が否定されたわけではないが、いわゆる前ガン状態をそのままゲノムから見たガンの歴史の中に押し込むのは難しいことがわかった。
どんなに複雑でも脳神経系の網羅的解析を可能にするための膨大な努力が続けられ、また論文として報告されているが、網羅的であるが故に論文をうまく説明することが難しく、ほとんど紹介できていないのではと反省する。しかし、脳各部の細胞の特異的遺伝マーカーが揃っているおかげで、マウスであれば特定の神経を遺伝学的に操作できるのは全てこのような努力のおかげだ。
今日紹介するコロンビア大学からの論文は、脳ではないが腸管の神経系を網羅的に解析するための遺伝標識マーカーの開発とそれを用いた組織学的機能的解析で、11月25日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Properties and functions of transcriptionally distinct enteric neurons(転写的に異なる腸管神経の特徴と機能)」だ。
腸管神経は腸管の消化管壁から絨毛に至るまで張り巡らされた神経系で、独立した神経系を形成するとともに、様々な経路を介して中枢神経系の支配も受けている。これまで私の頭の中では、腸管の蠕動を調節しているアウエルバッハ神経叢と、粘膜分泌に関わるマイスナー神経叢ぐらいの整理しかできていなかった。
この研究では全ての神経細胞をラベルできる標識を用いて採取した細胞の single cell RNA sequencing をベースに神経細胞を8種類特定している。そして、この結果に基づきそれぞれの神経細胞特異的遺伝子を特定し、8種類のうち7種類について組み換え酵素Creを導入したマウスを作成している。
こうして各細胞の遺伝子を操作する方法が確立すると、それぞれの細胞が消化管のどこにどのように分布しているのか、また神経投射を追跡する方法でそれぞれの神経がどの細胞に投射しているのかを明らかにできる。この結果、腸管の各部分で神経回路は決して金太郎飴の様に分布しているのではなく、各部分特異的な構造を持っていることがわかる。例えば最も多いα、β神経はもっぱら腸管の平滑筋へ投射しているが、θ、η神経は見事に絨毛の先まで神経を伸ばしていることもわかる。
また転写されているmRNAから、α、γ、ζ、θ、η神経がコリン作動性の興奮神経で、β、δがNO作動性であること、そして腸管を取り巻くα神経とβ神経のように、コリン作動性とNO 作動性のセットで腸管の動きを調節していることがわかる。
そしてなんと言っても、それぞれの神経細胞に発現する組み換え酵素CreやFlopを用いて、特定の分子を発現させ、各神経の興奮を促進したり、抑制することで、機能を明らかにすることができる。例えばα、β単独で興奮を挙げると便の排出が高まる。一方、下部消化管に強く分布するγやδを刺激すると便の排出が低下する。そして、腸の動きが変化するだけでなく、γδ神経刺激は摂食にも影響することを示しており、消化管システムが摂食に複雑にからむ新しい回路を明らかにしている。
この研究では3種類の脊髄を介して中枢へ投射する神経回路と、腸管の神経回路の関係も2重に操作が可能なシステムを用いて詳しく解析し、特にγ神経と中枢神経系が独立した腸管の動きを変化させることを明らかにしている。
まだまだ多くの情報が満載の論文だが、できるだけ多くの腸管神経細胞を定義し、それぞれの遺伝操作を可能にした点が最も重要で、これから多くの新しい発見があるだろうと期待できる。書いてしまうと簡単だが、特定した標識遺伝子を使って開発しているモデルマウスの数たるや、自分の経験から考えて、少なくとも5年はかかりそうな研究で、こういう地道な研究が、複雑な神経系の研究を支えていることがよくわかる論文だ。