2016年6月11日
妊娠中に何を食べていいのか、何を避けるべきなのかはお母さんたちにとって最も重大な関心事だが、通常の生活で実際何を口にしているのか全て把握するのは難しい。何れにしても、これまでの研究で害を及ぼすことが明らかな嗜好品などは絶対に避けることが必要だ。中でも、アルコールとタバコについては、これまでも胎児発生への影響が詳しく研究されている。
これまでタバコはニコチンを介して直接胎児神経細胞に急性の影響を及ぼし、発生異常を引き起こすと考えられてきた。今日紹介するエール大学からの論文は、ニコチンの害はこれだけにとどまらず、ニコチン刺激自体が染色体の構造を変化させて脳の遺伝子発現を長期にわたって変化させることを明らかにした研究でNature Neuroscienceに掲載予定だ。タイトルは「A epigenetic mechanism mediates developmental nicotine effects on neural structure and behavior(ニコチンはエピジェネティックな機構を通して脳の構造や行動に影響する)」だ。
この研究は、ニコチン摂取させた妊娠マウスから生まれた胎児に明確な脳解剖学的異常と行動異常が見られるという従来の結果が発端になっている。細胞学的に調べると、神経軸索のスパインと呼ばれる神経伝達構造が減少している。これらの異常は、従来ニコチンの急性毒性によると考えられていたが、この研究ではニコチン刺激が、エピジェネティックメカニズムを介して生後の神経細胞の遺伝子発現を変化させているのではないかと疑った。そこで妊娠時にニコチン摂取させた母親から生まれたマウスについて生後21、90日目で脳を採取、発言が変化している遺伝子を探索している。この実験により18種類の大きく発現が変化する遺伝子が見つかっている。この中で最も発現が高まっていたのが、ヒストンメチル化に関わるAsh2lで、ついに急性反応と慢性反応をつなぐ糸口が見つかった。
次にニコチンシグナルが直接Ash2l遺伝子を誘導し、その後様々な遺伝子の長期的発言異常を誘導できるか培養神経細胞を用いて検討し、ニコチン刺激で、Ash2lと神経発生のマスター遺伝子Mecf2がまず誘導され、Mecf2により様々な神経発生に関わる遺伝子が活性化されたところに、Ash2lの作用でこれら遺伝子のプロモーターがon型にヒストン修飾され、長期の脳機能の異常が維持されるというシナリオを導き出している。
エピジェネティックス機構の研究としては、わりと平凡な研究だが、Ash2lなどヒストンメチル化酵素がニコチン刺激で誘導されるという結果は重要だと思う。もしニコチンで誘導できるなら、他の神経刺激でも誘導できるはずだ。一方、神経刺激も記憶など長期の効果を持つとすれば、当然生後もこのようなメカニズムを使って遺伝子発現を制御していていいように思える。今後注目したいと思う。
2016年6月10日
生命科学の学生なら誰でも知っているが、アミノ酸と対応する塩基配列をコドンと呼んでいる。このコドンがどうして決まったかは、生命誕生を考える上で最も面白い問題で、幾つかの可能性は生命誌研究館のウェッブサイトに連載している「進化研究を覗く」(グーグルでこのままインプットしてもらうとトップにくるはずだ)にも書いている。ただコドンとアミノ酸は1:1の関係にあるのではなく、一つのアミノ酸に2−4種類のコドンが存在している。例えば今日話題になるグルタミン酸ではGAA,GAGの2種類のコドンが対応する。したがって、一つのアミノ酸に2種類以上のtRNAが使われ、翻訳時には何十種類ものtRNAが使われる。翻訳過程を考えるとき、通常それぞれのtRNAの量のバランスについて考えることはない。必要十分量存在していると勝手に想像している。また、気になったとしても、それぞれのtRNAの量を測るのは簡単でないため、実際バランスがどうなっているかあまり調べられたことはなかった。
今日紹介するロックフェラー大学からの論文は、各tRNAの発現量のバランスを正確に測ることで、このバランスの歪みがガンの悪性化につながることを示した論文で6月2日号のCellに掲載された。タイトルは「Modulated expression of specific tRNAs derives gene expression and cancer progression (特定のtRNAの発現変化は遺伝子発現とガンの進展を促進する)」だ。
この研究のハイライトは、tRNAの発現量を測る方法を開発したことだ。一般の方には耳慣れないことだろうが、tRNAには様々な修飾が加えられており、またヘアピン構造など複雑な2次構造を持っているため、逆転写酵素でcDNAを作ることは簡単ではなかった。この研究では、2本の長いDNAをtRNAとペアリングさせた後、残った切れ目をリガーゼで結合させることで、逆転写酵素を使わずアンチセンスcDNA鎖を合成するという凝った方法を開発し、各tRNAの発現を測定できるようにしている。この方法の開発がこの論文のほぼ全てと言っていい。
後はこの方法を用いて、様々な乳がん細胞を調べ、ガンではtRNA発現のバランスが大きく歪んでいることを発見する。なかでも、UUC-tRNA(グルタミン酸)、CCG-tRNA(アルギニン)のアンチコドンを持つtRNAの発現がガンだけで上昇していることが明らかになった。実際のガンで調べても同じ傾向がみられる。そこで、これらのtRNAの発現を上げたり下げたりしてガンの悪性度を調べると、これらのtRNAが上昇するとガンの悪性度が上昇することがわかった。
この結果は、mRNAがGAAのコドンを多く使ってグルタミン酸をコードしている場合に、タンパク質の翻訳量が上昇することが予想できる。すなわち、発現が上昇したtRNAに対応するコドンを多く持ったmRNAの翻訳が上昇することで、一部のタンパク質の発現が上昇する可能性を示唆する。そこで、これらtRNA上昇と並行して上昇するタンパク質を探索、EXOSC2,GRIPAP1分子の発現が特に強く上昇していることを見出している。最後に、それぞれの分子とガンの悪性化との関わりを調べ、EXOS2,GRIPAP1分子の発現をノックダウンすると悪性度が減少することを示している。
他にも、実際にこのタンパク質発現の変化がコドンの分布の違いであることなどを証明するために詳細な実験が行われているが、紹介は省いていいだろう。
残念ながら、なぜtRNAの発現が歪むのかについては不明のままだが、意外な可能性を学ぶことができた、面白い論文だった。
2016年6月9日
ダウン症候群は21番染色体の数が3本になるトリソミーが原因の発達障害で、全世界に500万人の患者さんがおられる。この病気が原因でおこる様々な症状や二次疾患については治療法が存在するものの、脳機能の発達障害に対する治療はこれまで存在せず、様々な教育プログラムで発達を促すことがこれまでの治療の中心だったが、その効果は大きくない。ところが最近になって緑茶の成分カテキンのうちepigallocatechin-3-gallate(EGCC)が21番染色体上のdual specificity tyrosine phosphorylation regulated kinase 1A (DYRK1A)活性を阻害でき、マウスモデルで学習や記憶を促進させることが明らかになり、脳機能に直接作用する薬剤がついに現れたのではと期待が高まっていた。
今日紹介するスペインバルセロナ・ポンペウ大学からの論文は、平均23歳のダウン症成人の脳機能障害を、EGCCと従来の学習プログラムを組み合わせて治療する臨床治験研究で7月号のThe Lancet Neurologyに掲載された。タイトルは少し長いが、「Safety and efficacy of cognitive training plus epigallocatechin-3-gallate in young adults with Down’s syndrome: a double blind randomized placebo-controlled phase 2 trial (ダウン症若年成人での認知トレーニングとEGCCの安全性と有効性:二重盲検無作為化第2相治験)」だ。
既に述べたが研究では89人のダウン症若年成人をリクルートし、完全に無作為化してEGCC+脳トレーニングと偽薬+トレーニングの2群に分け、12ヶ月間週3回程度の脳トレーニングを続けるとともに、片方にはEGCC600mg、もう片方は米粉の入ったカプセルを毎日服用させている。6ヶ月、12ヶ月目に様々な脳機能を調べるためのメンタルテスト、MRIによる脳結合検査、自己申告による生活上の改善につて調べている。
使われたメンタルテストについて知識がないので著者らの結論をそのまま受け入れるしかないが、記憶、行動性、学習能力、適応性などあらゆる項目について機能低下を抑えることができている。一方、自己申告による生活の質などは変化がなかった。
何よりも驚くのは、このような検査結果に加えて、MRIを用いた脳領域間の結合を調べる検査で、神経結合が保たれることで、メンタルテストの結果が解剖学的基盤を持っていることがわかる。
副作用については偽薬群と変わりはないが、トクホ飲料でも宣伝しているようにコレステロールを下げる効果はあるようだ。
今後は、様々な時期にEGCCの効果を調べる治験が必要だが、期待が持てる結果だ。茶カテキンの思わぬ効果と言っていいだろう。ただ、もしEGCCがDYRK1A機能を抑制することで効果があるなら、正常の人が茶カテキンを大量に服用した時、コレステロールだけでなく脳にも影響が出る心配がある。ダウン症の場合DYRK1Aの機能は1.5倍に上がっているため、抑制も意味があるが、EGCCが脳血液関門を通る以上、正常人の脳機能への長期効果は調べておいたほうがいいと思う。
2016年6月8日
原核細胞が進化し線状のゲノムをもつ生物の誕生の際、染色体のが短くなって遺伝子が失われないようにするメカニズム、テロメアが生まれた。テロメアは、各染色体の両端に存在する繰り返し配列で、断端がDNA修復により他の染色体と融合したりしないよう厳重に守られるとともに、幹細胞ではテロメラーゼが発現し、短くなったテロメアを元に戻して、細胞分裂が続くようにできている。これまでこのテロメア機能を調べるため、テロメラーゼや断端保護に関わる分子を操作した細胞やマウスが作られてきたが、人為的にテロメア自身が長くなった細胞の体内での運命を調べた研究はあまり見たことがなかった。
今日紹介するスペイン国立ガン研究所からの論文はテロメアの長いマウス細胞を作成する方法を開発して、その細胞の生体内での振る舞いを調べた研究でNature Communicationsに掲載された。タイトルは「Generation of mice with longer and better preserved telomeres in the absence of genetic manipulations(遺伝子操作なしに長いテロメアが維持されたマウスを作成する)」だ。
この研究はマウス細胞のテロメアの長さが内部細胞塊時期の未分化細胞の分裂時に形成されるという独自の発見からスタートしている。内部細胞塊に対応するES細胞を培養し続けるとテロメアが長くなるかどうか調べると、数回分裂することで通常より長いテロメアを持ったES細胞ができるが、一定の長さに達するとテロメア断端を守るシェルタリン分子の発現が低下し、それ以上長いテロメアができるのを防いでいることが明らかになった。
次にこうしてできた長いテロメアを持った細胞を胚盤胞期のマウスに注入して、長いテロメアと正常のテロメアが混在するキメラマウスを作り、両者を比べることで長いテロメアがどのような影響を持つか調べている。このようにテロメアの長い細胞を作るために全く遺伝子操作が行われていないことがこの研究の一つの売りになっている。
さて、長いテロメアを持つことの意味だが、悪い作用はあまりなさそうだ。例えば複製のしにくいテロメアが長いとDNAが障害される心配があるが、障害の程度が異常に上昇することはない。逆に、老化とともに上昇するDNA障害によるテロメアの脆弱性が抑えられる効果がある。とはいえその効果は相対的で、正常の2倍程度の長さだと、体のあらゆる細胞へと分化し、組織で機能できると結論していいのだろう。
気になる幹細胞機能だが、正常に機能するだけでなく、正常テロメア長の幹細胞より増殖能が高い傾向にある。実際修復機能が高まっている。
ではガンになりやすいか調べると、正常テロメア長の細胞と比べて特に変化がないという結果だ。
話としてはこれだけだが、これまでテロメラーゼなどを操作した細胞で研究されてきた結果とは異なる面白い研究だと思った。残念ながら、長いテロメアだけからできたマウスについては全く触れておらず研究は全てキメラで行われている。ひょっとしたらびっくりする話が待っていて、あえて隠しているのか、あるいは技術的に難しいのか?実際このストーリーが正しいと、ES細胞からできたマウスは全てテロメアが長くなっているはずだ。例えば、生殖細胞ができるときにテロメアの長さが元どおりになることも考えられる。本当にテロメア長が2倍のマウス系統ができるのか?おそらくできないのではと思うが、期待して待っておこう。
2016年6月7日
昔から家柄の釣り合わない結婚は、悲喜劇の背景として小説や映画の題材になってきた。社会の階層化が進むと、同じ階層同士の結婚によりこの差が拡大生産される。特に著しい経済発展を遂げた20世紀は、格差が拡大しやすい。
この変化は様々な分野に及ぶ。例えば私が学生の頃、医学部の同級生の半分以上は公立高校出身だった。ところが20年後、今度は教授会入試判定会議に出てみると、京大医学部に入学する学生の9割以上が私立高校出身者で占められているのを知って驚いた。
社会の隅々でこのような変化が重なり格差が拡大するとともに、この格差が結婚行動を縛り始めると、こんどは格差が遺伝的差異として固定されていく可能性がある。実際フィクションの世界では、この遺伝的差異に裏付けられた階層の話は繰り返し題材になってきた。しかし、社会階層が実際に特定のゲノムレベルの差異に反映されているかどうか調べた研究はまだ多くない。
今日紹介するニューヨーク大学社会学教室からの論文は、米国でのヒスパニック以外の5000人近い白人の夫婦を対象に、この20世紀の社会的変化が階層同士の結婚を通して遺伝的な分離を引き起こしていないか、またその分離が子供の数の変化につながっていないか検討した研究で、5月31日号米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Assortive mating and diffential fertility by phenotype and genotype across the 20th century (20世紀を通じた形質と遺伝型による選択的結婚と生殖能力の差異)」だ。
この研究では、相関する遺伝的多型(SNP)データが蓄積されている、身長、BMI、うつ病の有無などの形質をスコア化するとともに、各形質のSNP リスク計算データから、特定の形質を持つ遺伝的確率をスコア化した指標として算定し、結婚がどれだけ形質や遺伝的背景に縛られるか調べている。また、1919年から1955年生まれの対象について、年齢別にこれらの指標を調べ、形質や遺伝型により結婚が影響される傾向が20世紀にどう変化したのかを調べている。
結果だが、まず最終学歴、身長、BMI、うつ病の全てで、これらの条件が、形質的にも、遺伝的にも結婚相手の選択に影響していることが明らかになった。最終学歴と身長に対応する遺伝指標については、特に強い影響が認められる。
一方、20世紀を通したトレンドの変化を見てみると、最終学歴、身長、BMIの伴侶選択への影響が時代とともに強くなっているのがわかる。
ところが、遺伝指標のスコアを年度別に比べてみても、身長に対応する遺伝指標を除いてほとんど変化がない。すなわち、形質自体は結婚に影響しても、これが遺伝的分離をもたらすまでは至っていないことがわかる。
次にこの4種類の形質と、子供の数との相関を調べると、学歴とははっきりと逆の相関を示す。すなわち高学歴ほど子供の数は少ない。次に夫婦のSNPデータから計算される遺伝指標と子供の数を相関させると、はっきりした負の相関が見られるのは学歴に対応する遺伝指標だけで、身長、BMIに対応する遺伝的指標では逆に弱い正の相関が見られる。最後に、遺伝的分離が少子化という20世紀のトレンドに影響しているのか調べ、遺伝的背景の影響がもしあるとしても弱い影響しか認められないと結論している。
以上をまとめると、学歴や身長という形質自体は結婚の条件として階層化に関わっており、時代とともに影響は強くなっている。またこれと並行して少子化が特に高学歴層で進んでいることは確かだが、これが遺伝的な分離に発展するところまでは至っていないという結論になる。
いつかこのような格差の遺伝背景を調べる論文が出ると思っていた。しかし格差が遺伝的差異がとして固定されるのではという懸念を一応否定するホッとする結果だが、示されたデータには、有意差はなくとも弱い相関が見られるので、気にかかる。さらに長期の調査が行われば結果が変わる可能性も残っている。結局この問題に対しては、遺伝的分離を心配するより先に、格差社会を解消するための処方箋を見つけることが肝心だと思う。
2016年6月6日
マンチェスター市が工業化して街がすすけた時、本来は黒い斑点を持っていた蛾の一種のオオシモフリエダシャクが、すすけた街の色に適応した真っ黒の羽を持つ蛾へと急速に変化した「工業暗化」の話はあらゆる生態学の教科書に記載されている。この工業暗化突然変異が優勢になった原因は、すすけた街で鳥の攻撃から身を守る適応と説明されている。その後、街の環境が戻るにつれて真っ黒の羽の蛾の割合は急速に低下し、現在ではまたマイノリティーに戻っている。この迅速な適応進化の遺伝的背景の解明が試みられてきたが、完全に原因を特定するには至らなかった。
今日紹介するリバプール大学からの論文はこの工業暗化突然変異がトランスポゾンの挿入であることを特定した研究で6月2日号のNatureに掲載された。タイトルは「The Industrial melanism mutation in British peppered moths is a transposable element (英国のオオシモフリエダシャクの工業暗化突然変異はトランスポゾンだった)」だ。
この論文以前の遺伝的研究から、工業暗化突然変異は17番染色体上の400kbの領域まで絞り込まれていたが、現象を到底説明できるレベルではなかった。この研究では従来の遺伝学的方法で100Kbにまで絞り込んだ後、BACやフォスミッドと呼ばれる大きな領域を含む黒い蛾のゲノムライブラリーをもとに、工業暗化を示すほとんどの蛾で見られ、正常の蛾には存在しないトランスポゾンの挿入がcortexと呼ばれる遺伝子の第一イントロンに存在することを特定した。
この挿入は2型のトランスポゾンが2+1/3回繰り返されたもので、それ自身は転写されない。従って、cortex遺伝子の発現量を変化させることで、工業暗化を促進していると考えられる。
この点を確かめるため、cortex遺伝子発現を発生段階で調べると、もともと羽が発生する時期に発現が上昇するcortex遺伝子の発現レベルが、トランスポゾン挿入によりさらに高まることが明らかになった。このcortex遺伝子はショウジョウバエの卵巣での細胞周期に関わることが知られていることから、おそらくこの遺伝子発現が羽の発生時期に促進されることで工業暗化が送るのだろうと結論している。
この工業暗化を誘導したトランスポゾンは、その後集団内で交配を繰り返しながら組み換えが起こることで、現在では挿入が多様化している。この多様化の程度をもとに、工業暗化したポピュレーションの移り変わりを計算すると、都市の工業化が起こる1600年から挿入が存在し、1800年代に都市化とともに急速に増加したことがわかる。
残念ながら、cortexの発現量が工業暗化を誘導できることの完全証明とまでは行っていないが、200年にわたって研究されてきた工業暗化の原因はついに特定されたと言っていいだろう。4月30日ダーウィンフィンチのくちばしの多様性を決めるHMGA2遺伝子の研究について紹介したが(
http://aasj.jp/news/watch/5170)、ダーウィン時代から研究が続いてきた進化の謎がまた一つ明らかになった。
2016年6月5日
日本透析医学会によると、我が国の透析患者数は32万人を超えているようだ。この数の患者さんをカバーできるだけの透析施設が存在しているが、地震などの大災害では、施設の損害や、水不足などで施設が使えなくなり、患者さんも他県の透析施設の利用を余儀なくされる。もし施設に頼らず透析が可能なら、患者さんへの恩恵は計り知れない。
これも結局は無い物ねだりかと思っていたら、6月4日号のJCI Insightになんと身につけたまま血液ろ過が可能な着用型人工腎を開発して臨床治験を行ったUCLAからの論文が掲載されていた。タイトルは「A wearable artificiall kidney for patients with end-stage renal disease (最終段階の腎不全患者さんのための着用型人工腎臓)」だ。
透析は、血中に蓄積した尿酸を半透膜を介して透析液に移行させることで除去するのが原理だ。このため、透析で尿素を除去するための大量の透析液が必要で、どうしても小型化することは難しかった。
この問題に対してこの研究では、これまでの透析法の代わりに、まず血液を尿素分解するウレアーゼを含むカラムを通過させて、アンモニアと炭酸ガスに分解する。続いて、発生したアンモニアはジリコニウムのカラムに吸収させ、炭酸ガスは外部に逃すことで血中の尿素を除去している。これに加えて、活性炭素カラムを使って他の老廃物を除去する仕組みを持った機械を開発している。論文に写真が掲載されているが、この透析機は大人のウエスト周りに全て装着できる大きさだ。おそらく透析患者さんが見たら驚かれると思う。
次に、この機械の安全性と効率を確かめるため、腎不全患者さんをリクルートし、その中から条件にあった7人を選んで、この装着型透析機を24時間装着させてその安全性と効果を調べている。7人の患者さんは安全のために全員入院させて機械を装着させている。
さて詳細を省いて結論だけを述べると、24時間ではあるが、通常の透析機と比べても、尿素やクレアチニン除去ができており、血中の老廃物の量も一定に保たれたという結果だ。
24時間ではほとんど副作用は見られなかったが、最終産物である炭酸ガスの排気は完全でないことが改良点として見つかっている。実際この治験中も、患者さんが手動で排気をしなければならなかったことが多々あったようだ。この意味で、さらに長期の治験を行うにはまだ時間がかかりそうだが、原理的に人間に使える着用型人工腎ができたことは確かで、装着型人工腎が一歩一歩実現に近づいていることを示すことができている。そして何よりも、24時間だけだったとはいえ、着用型人工腎を使ってみた患者さんのほとんどが、人工透析より生活の質が向上したと答えている。実現もそう遠くないと思うので、期待したい。
2016年6月4日
生命誕生のプロセスを考えるとき最も重要な知識は有機化学だ。特定の有機化合物を研究するとき、生物学者は生物が進化で獲得してきた酵素反応さえあればどんな複雑な有機化合物も合成可能だと信じている。この典型が昨年ノーベル賞に輝いた大村さんの研究だ。すなわちこの研究のハイライトは、必要な化合物を求めて、それが可能になっている生物を探索する苦労話が中心になる。大村さんが訪れたあらゆる場所の土を集めて抗生物質を合成する生物を探した苦労話はマスメディアで紹介され記憶に新しい。ただ21世紀の若者が、いくらマスメディアが持ち上げたからといって、同じ苦労話を目指すとしたら問題だ。有機物を生命の力を借りずに合成する方法を開発することが本当ははるかに重要な課題だ。ただ残念ながら、この課題は生物学者が最も苦手にするところで、有能な有機化学者の育成が重要になる、こうして育った有機化学者は、21世紀の課題、無生物から生命を合成する研究に欠かせない。
今日紹介する5月19日号のNatureに掲載されたハーバード大学の論文は、人工的な有機合成のための有機化学の重要性を十分に語る研究だ。タイトルは「A platform for the discovery of new macrolide antidiotics(新しいマクロライド系抗生物質発見のための基盤)」だ。
紹介しようとする人間が最初から言い訳するのも見苦しいが、実を言うと生物学で育った私にとって、ここに示されているデータ(すなわち化学反応式)の詳細は理解できているわけではない。それでも、この研究の重要性はよくわかるので、私がわかる範囲でぜひ紹介したいと思った。
細菌や植物から得られる抗生物質は一種の有機化合物だが、有機化学者の努力で、多くの抗生物質は生物の力を借りずに合成できるようになっている。ただ中には、今でも合成が難しく合成を生物に頼っているものも多い。そのうちの一つがマクロライド系の抗生物質で、今も完全合成が難しい。それはそれでいいのではと思うが、完全合成ができないと、新しいマクロライド化合物は全てエリスロマイシンから始める必要がある。このため、スタートに用いるエリスロマイシンの構造に制限され多様な派生化合物構造を作ることができない。このため、耐性菌に対抗するための化合物のレパートリーが限られてしまう。この課題に挑戦したのがこの研究だ。
様々な試行錯誤の結果だろうが、著者らはエリスロマイシンを含むマクロライド系化合物は、14-membered azaketolideを中間体として用いることで完全合成できることを示している。論文ではまず単純な合成ブロックとなる化合物から14-membered azaketolideを合成する経路について示している。この方法のハイライトは、エリスロマイシン人工合成をこれまで阻んでいた大環状化反応を安定的に可能にしたことで、この結果14-membered azaketolideの合成ができるようになった。
次に14-membered azaketolideから始めることで、様々なマクロライド系化合物を人工合成することが可能であることを示している。実際、新しく開発した方法で300種類以上のマクロライド系化合物を合成し、こう生物としての活性があるか調べ、実に合成した83%の化合物が構成活性を持ち、そのうち幾つかは新しいマクロライド系抗生物質として有望であることを示している。
示されている化学反応式については理解できたわけではないが、それでも人工的に合成する経路を開発することで、生物に頼るよりははるかに多様なマクロライド系の化合物が合成できるようになり、新しい抗生剤の基盤となることはよくわかった。
パストゥール以来、無生物から生物が生まれることは否定されてきた。もちろん、当時のように腐った肉から短期間で生命が発生することは否定できても、38億年前に長い時間をかけてパストゥールが否定した過程が起こったことは確かだ。ぜひ多くの有機化学者が、この分野の研究発展にも貢献して欲しいと期待する。
2016年6月3日
5月31日不況についての論文紹介を書いたあと文献を眺めていたら、1930年代の大恐慌と政治についての面白い論文を見つけた。カナダ・マクギル大学の社会学者Barry Eidlinの論文でタイトルは「Why is there no labor party in the United States ? Political articulation and the Canadian comparison, 1932 to 1948(なぜ米国には労働党がないのか?政治的統合の役割とカナダとの比較)」だ。問われてみれば、サンダースが指名争いでクリントンを脅かせている米国に、サンダース支持の受け皿になる労働党がないのは確かに不思議で、社会学者に限らず人を惹きつけるタイトルだ。
読んでみるとさすが社会学論文、イントロダクションにはマルクス,エンゲルス、カウッキーなどの引用がならぶ。扱っている問題から言えば、当然と言えば当然の引用だが、変に感心してしまう。さらに驚くのは、この論文のライトモチーフとしてイタリア共産党のアントニオ・グラムシの言葉「政治的にいえば一般大衆は政党に組織化されて初めて一般大衆として現れる」が、掲げられていることだ。私自身は懐かしさもありついつい引き込まれてしまった。
さて論文だが、米国、カナダ両国政府や労働組合などから100年以上にわたる様々な統計データを得て参考にしているが、後は当時の政治状況などを米国とカナダで比べ、様々な可能性を考察した後自分の考えを述べたに過ぎないと言っておこう。
問題提起として、1800年後半から現在まで、独立左翼政党がどの程度支持を得ているか調べたグラフが示される。これによると、大恐慌前までは米国もカナダも、独立左翼政党を支持する集団がいた。にもかかわらず、大恐慌後米国から独立左翼政党の支持者が完全に消え、現在に至っている。一方カナダでは年度により変化はあるが、独立左翼政党は20−30%の支持が続いている。なぜこの差が生まれたのか?この間、都市への人口集中、農村人口の低下、労働者の組織化は両国で同じように進んでいるので、社会経済的条件でこの差を説明するわけにはいかない。
したがって、この差の原因について、これまで両国の国民性の違い(例えば米国は共和主義で、個人の自由を優先する)といったソフトな面に焦点を当て説明されることが多かったようだ。詳細は省くが、この研究では幾つかの有力な説を俎上に乗せ、いずれの説も根拠が乏しいとして論破している。
その上でこの著者は、国民性や政治風土は確かに制約因子として働いていても、最終的な決定因子になりえず、「一般大衆は党派として組織された時に初めて一般大衆として現れる」とグラムシが語るように、大恐慌に直面した米国、カナダの各政党が労働者や農民に対してとった政策が、左翼に対する両国の一般大衆の支持の差を生み出したと結論する。即ち、声なき声が党派で組織化されてると、同じ大衆でも違う声を出すという結論だ
論点を箇条書きにすると、
1) 大恐慌以前は米国でも労働者や農民に支持される独立左翼政党は存在した、
2) しかし、労働組合主導で政党が誕生することはなく、例えば米国の労働組合の中には共和党を支持する組合があった。
3) このような状況の中で、大恐慌により両国の労働者、農民は厳しい状況に直面し、政府に対する抗議活動が高まった。
4) この抗議に対して、民主党ルーズベルトはニューディール政策を打ち出し、有名な「忘れられた人たち」と題する演説で、民主党が都市労働者や農民を代表していることを訴えることで、労働者、農民の運動を民主党に合同し、取り込みに成功した。
5) 一方カナダでは、保守党だけでなく、既存の政党は労働者や農民の抗議運動を抑圧する方向に動いたため、政党から除外された労働者・農民はオルタナティブとして独立した左翼政党を形成する(当時の協同連邦党、現在の新民主党)
結構長い論文で、他にも様々な議論がなされているが、要するに大恐慌というストレスに晒された労働者、農民をアメリカでは既存の政党(民主党)が積極的に取り込んだため、オルタナティブとしての独立左翼的政党の成立が抑制されたという結論だ。論文の中では、この考えを支持する歴史的事実が具体的に紹介されているが(例えば、ミネソタ州では恐慌前は農民労働党が存在し、選挙で勝利することもあったが、恐慌後は消滅する)、詳細は省こう。いつも理解が難しい政党と大衆の関係を見るときの一つの視点を学んだ気がする。
ただ私見だが、米国とカナダの差が全てニューディール政策での労働者の取り込みに起因するかどうかは疑問だと思う。特に今回のアメリカ大統領選挙を見ていると、大統領選挙という特殊な制度にも支えられているように感じる。
欧州やカナダをみると、例えば緑の党のように、既存の政党に無視された層が、新しいオルタナティブを政党として成長させている。フランス「国民党」、オーストリアの「自由党」のような右派政党も既存政党から無視されたオルタナティブが成長した例だろう。
一方現在のアメリカ大統領選挙での民主党のサンダースや共和党のトランプを見ると、本来ならオルタナティブとして既存政党に対抗する運動が、党の活動として完全に吸収できるように設計されている。一見わかりにくい大統領選挙の仕組みも、この論文から学んだ観点から見ると、理解できた気になる。その意味では面白い論文だった。機会があればこれに懲りず、社会学や経済学の論文も紹介した音思っている。
2016年6月2日
今日紹介するシアトル・フレッドハッチンソンガンセンターからの論文が掲載されたThe Journal of Experimental Medicineはロックフェラー大学から発行されている伝統ある実験医学のトップジャーナルの一つだ。免疫学に関わっていた頃はほぼ毎月目を通していたが、神戸に移ってからはたまにしか読まなくなっている。いずれにせよ、卒業してからこれまで、ほぼ40年にわたって付き合ってきたが、これまで患者さんの1例報告が掲載されているのを見たことはなかった。ところが今日紹介する論文は、StageIVの一人のメラノーマ患者さんの治療記録だ。タイトルは「Combined IL-21-primed polyclonal CTL plus CTLA4 blockade controls refractory metastatic melanoma in a patients (IL-21で感作したポリクローナル細胞障害性T細胞と抗CTLA4抗体の複合治療は難治性の点性メラノーマを制御する)」だ。
一例報告を掲載するぐらいだからよほど価値のある報告だろうと読んでみると、確かに手術と免疫療法を続けても進行を止めることができなかったメラノーマが、今回の治療で完全寛解し、3年目からは全く治療なしで経過観察だけで再発なく5年目を迎えているという結果だ。一例報告をそのまま鵜呑みにしてはいけないとわかっていても、期待できる。
ではどのような治療を受けたのか?最初に行われた治療は、メラノーマの発現するMART-1と呼ばれるペプチドに対する細胞障害性T細胞を誘導し、反応性細胞をクローン化して投与する治療だ。普通はクローン化することなくガン特異的キラーT細胞として移入されることが多いが、より確実な治療効果を求めてクローン化まで行い投与している。ところが期待に反し、この治療は全く効果がなく、移入した細胞もすぐ消滅してしまった。
そこで、チェックポイント阻害治療としてCTLA4抗体の投与を始めたが、これもあまり効果ががない。実際、患者さんの末梢血のメラノーマペプチドに対する反応を調べているが、弱い反応しか見られない。
そこで、今度は末梢血をMART-1ペプチドを用いてT細胞を刺激するとき、抑制性T細胞を完全に除いたあとのT細胞を刺激している。さらに細胞障害性T細胞の誘導力の強いIL-21と培養してキラーT細胞を増幅し、得られた細胞をそのまま患者さんに移入する治療を行っている。加えて、移入した細胞の活性が抑制されないように今度は最初から抗CTLA4抗体を同時に投与している。
すると、治療開始後1ヶ月目からメラノーマが縮小しはじめ、約8ヶ月で完全消滅し、その後再発がないという結果だ。経過中の免疫反応は詳細にモニターされており、MART-1のみならず、多くのメラノーマ関連ペプチドに対する反応性のT細胞が出現していることが分かった。すなわち、IL-21処理により、抗原として用いたペプチド以外の様々な抗原に対するT細胞が誘導され、患者さんの体の中でさらに強力に育っていたことになる。事実、治療により患者さんの毛は白髪になってしまっていることから、正常のメラノサイトも殺すだけのキラーT細胞が誘導できたことになる。
以上、たった一例の経験であっても、1)効果のあった治療となかった治療を比べることが出来ていること、2)完治していること、から重要性が認められたと思う。この治療法なら、コストもそこそこで、現実味がある。早急に症例数を重ねてほしいと思う。ただ気になるのは、この患者さんが手術や免疫療法を受けていても、標的治療を含む化学療法を全く受けていないことだ。実際には、ほとんどのメラノーマ患者さんは化学療法を受けている。従って、化学療法を受けた患者さんも同じ治療が可能かどうかも是非調べてほしいと思う。
しかし、メラノーマの治療は百花騒乱の状態になってきた。この中から、早く確実な根治療法はどれか決めてほしいと思う。