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2月6日 デニソーワ洞窟の歴史を探る(Natureオンライン掲載論文)

2019年2月6日
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現代の人類史で、アルタイ山脈に存在しているデニソーワ洞窟ほど有名な場所はないだろう。まず我々ホモ・サピエンスと重なって同時期に生息した人類はネアンデルタール人だけだと考えられていたとき、デニソーワから発見された小さな指の骨のDNAから、両者とはまったく異なる人類のDNAが見つかり、デニソーワ人と名付けられた。この洞窟はもともとネアンデルタール人が住んでいた洞窟として知られており、この結果は時代は違っても、同じ洞窟を異なる人類が使っていたことを意味する。そして、昨年8月、このコラムで紹介したように(http://aasj.jp/news/watch/8831)、この洞窟からデニソーワ人の父と、ネアンデルタール人の母の間に生まれた子供の骨が見つかり、実際にこの洞窟周辺で、両者が密接な関係を持っていたことが証明された。

このようなエキサイティングなこれまでの研究を受け、この洞窟の地層とそれから出土する骨や石器を徹底的に分析して、この洞窟に暮らしていた人類の歴史を明らかにしようとしたのが今日紹介する論文で、オーストラリアのWollongong大学からNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Timing of archaic hominin occupation of Denisova Cave in southern Siberia (南シベリアのデニソーワ洞窟を占拠していた古代人)」だ。

まず、デニソーワ人の骨格標本がないため、デニソーワ人の骨と特定するためにはDNA検査が必要になる。こうして確認されるデニソーワ人の骨は4本見つかっている。この研究では、これらの骨が見つかった地層の年代を、ネアンデルタール人の骨が見つかる地層と様々な方法で分析し、時代を特定しようとする研究だ。詳細は省くが、実に様々な年代測定法を用いて、それぞれの骨が存在する地層の年代測定を行っている。比較的暖かい時代(20万年前)にデニソーワ人がこの洞窟に住み着く。その後地球の温度が下がり始める15万年前ぐらいからネアンデルタール人が移動して来て、この時両者の交雑が起こったと考えられる。デニソーワの父とネアンデルタールの母から生まれた子供はまさにこの時代の後期に属している。そして再度地球が暖かくなると同時に、この場所からネアンデルタール人が消え、またデニソーワ人がこの洞窟の住民となり、5万年まで続くというシナリオが示された。

同じNatureには、全く同じ課題を追いかけたMax Planck人類歴史科学研究所からの論文が同時掲載されており、利用した方法などは異なるが、ほぼ同じ結論に到達している。

この洞窟での人類史から、アルタイ山脈で寒い気候になるとネアンデルタール人の活動が活発になり、一方デニソーワ人は暖かいときにこの場所に帰ってくるというパターンが明らかになったように思う。すなわち、現代人が最終的に勝利する前は、気候がそれぞれの民族の優位性を決める重要な要素だったことを伺わせる。個人的感想だが、デニソーワ人のゲノム流入が一番多いのがポリネシア人であることを考えると、なんとなくこの結果も理解できる。今後、ポリネシアの人たちに残るデニソーワゲノムの内容が詳しく調べられるのだろう。その意味で、最初の論文がオーストラリアから発表されているのは、将来への意気込みを感じさせる。

何れにせよ、この洞窟はこれまでも多くの研究者が寄ってたかって、微に入り細に入り検討を加えており、謎の多いデニソーワ人だけでなく、異なる人類の交流史が明らかにされる予感がする。

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