神経細胞は大人になると全く増殖しないと考えらていた。しかし、試験管内で細胞を増殖させるための知識が集まり、神経細胞を培養してみると、成人の脳にも増殖能のある神経幹細胞が存在することは広く認められるようになった。その後、スウェーデンのJonas Frissenらのグループが、人間の細胞の増殖の痕跡を脳内に取り込まれた原爆実験時に発生したアイソトープを使って調べるという、驚くべき方法で調べ、正常状態で成人になっても神経幹細胞が増殖しているという証拠を提出した。とはいえ、幹細胞の増殖は老化とともに低下し、脳が傷ついてもそれを修復するだけの細胞を生産できないこともわかっていた。
今日紹介するドイツ・ハイデルベルグ・ドイツガンセンターからの論文は、マウスとはいえ、なぜ老化マウスの幹細胞がうまく働かないのかを明らかにした論文で3月7日号のCellに掲載された。タイトルは「Quiescence Modulates Stem Cell Maintenance and Regenerative Capacity in the Aging Brain(静止状態が老化した脳の幹細胞の維持と再生能力を変化させている)」だ。
この研究では、若いマウスと、老化マウスの脳内の幹細胞の増殖動態を調べ、老化マウスの幹細胞も増殖能は持っているものの、静止期から抜け出すのに時間がかかるため、結局必要な細胞数を産生出来ないことを確認する。そして、神経幹細胞を試験管内で培養すると、若いマウス由来の幹細胞も、老化マウス由来の幹細胞も同じように増殖できることを確認している。そこで、昨日も紹介したsingle cell trascriptome方法を用いて両者の遺伝子発現を比べ、個々の細胞の発現遺伝子は増殖に関わるものも含めて、年齢でほとんど差がないことを明らかにする。
次に、老化マウスの幹細胞が静止期から抜け出しにくい理由を調べる目的で、幹細胞のニッチを作っているsubventicular zoneに存在する細胞の遺伝子発現プロファイルを調べ、インターフェロンにより誘導される炎症反応に関わる遺伝子が幹細胞のニッチで上昇していることを発見する。事実幹細胞をインターフェロンαとβで処理すると、増殖が抑えられる。そして、インターフェロン遺伝子がノックアウトされたマウスでは幹細胞の数が上昇していることを見出している。さらに、インターフェロンにより誘導されるケモカインCXCL10に対する中和抗体を脳内にミニポンプで投与し、幹細胞の増殖を調べると増殖細胞が上昇し、静止期の細胞数が低下することがわかり、インターフェロンやケモカインがニッチによる静止期細胞の維持に重要な働きをしている事を明らかにしている。
最後に、コンピュータによりニッチに関わる分子を探索して、Wntシグナル阻害分子FRP5を発見している。神経幹細胞のみならず、多くの幹細胞の増殖に必須の分子であることがわかっているWntによって誘発されるシグナルはcanonical とnon-canonical 経路に分けることができるが、canonical経路は老化マウスの幹細胞の方が上昇していることがわかった。このことから、著者らはFRP5がWntのnon-canonical 経路を抑制して幹細胞を静止期に留めており、この結果canonical経路が代償的に高まっていると考えている。そこで、同じようにFRP5に対する抗体をポンプで脳に投与し、静止期の幹細胞数が大幅に減少し、強い増殖が見られることを確認している。
話は以上で、老化マウスでは搦め手からのWnt抑制因子と、炎症により幹細胞の増殖が止められているという結論になる。幹細胞増殖シグナルおよびニッチによる静止期の維持についてはこれまでも多くの論文が発表されてきた。この研究は老化に絞って、幹細胞の静止期誘導を扱ったという意味では独特で、今回示された方法が、例えば卒中など細胞の急性障害が起こった時などに効果が認められれば、重要な貢献になるだろう。とはいえ、人でも同じことが起こっていると考えるためには、まだまだ研究が必要だろう。