ぬか喜びで終わる可能性はあるとわかっていながら(科学論文はいつもそうだ)、それでもすぐに一般の人に伝えてみたいと思う一群の論文が存在するが、しばしば出会えるわけではない。また多くの論文に目を通していても、結構見落としてしまうことも多い。今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文は、そんな典型とも言える論文の一で、心の隅では、本当にこんなことがあるのだろうかと、素直に受け入れられない気持ちもあるが、昨日読んですぐに紹介しようと思った。
これまでの研究でアルツハイマー病患者さんでは高次機能と相関性の高いγ震動と呼ばれる脳波成分が低下していることがわかっている。この研究では脳波の成分の一つγ振動と同じ波長(40Hz)の音を繰り返し聴かせることで、脳内にγ振動を復活させアルツハイマー病の進行を遅らせられないかを調べた研究で4月7日号のCellに掲載されている。タイトルは「Multi-sensory Gamma Stimulation Ameliorates Alzheimer’s-Associated Pathology and Improves Cognition(複数の感覚を通したγ刺激はアルツハイマー病の原因になる病変を改善し、認知能力を上昇させる)」だ。
繰り返すが、この研究では感覚器(聴覚や視覚)を介して脳を刺激し、40Hzのγ波をアルツハイマー病に侵された脳内で発生させてやり、この成分の低下しているアルツハイマー病の症状を改善させることを目的にしている。そして、2016年に既にNatureに視覚を通して40Hzの点滅刺激を繰り返すことで、なんとアルツハイマー病の原因と考えられるβアミロイドの沈着を低下させることが可能だという驚くべき論文を発表していた(Iaccarino et al, Nature 540:230, 2016)。なるべく多くの論文を読んでいるつもりだが、全く見落としていた。
今日紹介する論文は、この研究の続きで、1)聴覚刺激を介しても同じ結果を得られるか、2)一時感覚野を超えた領域にも変化を誘導できるか、3)聴覚と視覚の両方から刺激を入れると相乗作用があるか、そして4)記憶を改善させることができるか、の4点について調べている。
まず様々な波長の音を聞かせて、聴覚野、海馬、前頭前皮質についてγ波が発生するか調べている。残念ながら前頭前皮質ではγ波を発生させることはほとんどできないが、聴覚野のみならず海馬までは聴覚刺激でγ波発生に成功している。
次に、家族性アルツハイマー病の遺伝子を導入して早期にアミロイドプラークを形成し認知機能が低下するようにしたマウスに、同じ聴覚刺激を加え、様々な記憶に関するテストを行うと、物や場所についての記憶能力が、40Hzの音を聞かせた時だけ改善している。これらの機能に海馬が重要な役割を果たしており、海馬でγ波を発生させることが、この改善につながったことになる。
しかし、改善は機能レベルにとどまらない。驚くことに、不溶性アミロイドタンパク質の沈殿によるプラークの数がこのような単純な刺激を続けることでうまくいくと半分にまで低下させることができる。すなわち、アルツハイマー病の病理的原因を抑えることができる。
次にこのような病理学的改善が起こるメカニズムを調べ、
- 刺激によりミクログリアの数が上昇し、貪食機能が高まっており、おそらく沈殿したアミロイドプラークを除去できるようになったこと。
- 活性化されたアストロサイトの数が増えていること。
- おそらくアストロサイトから分泌されるサイトカインの作用を介して、血管新生が高まっていること。
を発見し、γ波を発生させる神経興奮は、グリア細胞を通して脳の環境を維持するのに重要な働きをしており、これを変性疾患の治療標的として使えることを示している。
聴覚を介する刺激だけでは聴覚野から海馬までしか影響がなかったので、最後に40Hzの聴覚刺激と、40Hzの光パルス(フリッカー)の両方を合わせて使うと、強いミクログリアの活性化が起こり、さらにその効果が、前頭前皮質にまで及ぶことを明らかにしている。
これは全てマウスの話で、同じことが人間にも可能かどうかは全くわからない。ただ、光パルスや音のパルスが癲癇の刺激になることを考えると、まんざら不可能でもないように思える。しかも、通常の感覚機能を用いて治療が可能であることは、治療には音と光のパルスを発生させる簡単な機械を用意するだけでよく、治験へのハードルは低いように思う。そして成功すれば、自宅で治療を行えるようになると期待させる。ぬか喜びに終わるかもしれないとは思うが、早く伝えたい気持ちになるのはわかってもらえたのではないだろうか。