心地よい、気持ちが良いという快感が、美しいという普遍的な美の認識へどう転換できるのかについて、「完全なイデアが、現実や認識を超えて存在するのだ」というプラトンの超越論的な考えから、「物の中に形相因として存在する」というアリストテレスのように、哲学の始まりから盛んに議論されてきた。
ただ現代の脳科学に近いのはカントの「判断力批判」からだと思う。単純化して言ってしまうと、普遍的な美に到達するためには、心地よい感覚インプットが個人の能力や経験を通した判断を通して目的化される必要があると考えたが、この目的化の過程に芸術の普遍性もあるし、個性もある。特に、個性になってくると先天的、後天的を問わず芸術家ならではの能力が存在し、これは脳の多様性として現れるはずだ。
先週土曜日、芸大の油絵科の学生達と話す機会があったが(不思議と全員女性だったが)、彼女たちと話していて驚いたのは、鏡で確認しなくても、自分の顔を思い出せるそうだ。もちろんこの能力は芸術家に限らないと思うが、私たち凡人は自分の顔は言うに及ばず、顔を空で思い浮かべることは簡単ではない。絶対音感もそうだが、一つづつこのような脳の多様性を解明していくことは芸術に関わる創造性、すなわち脳の多様性を理解するためには重要だ。
前置きが長くなったが、今日紹介するニューヨーク大学からの論文は、人間のリズム感についての差の脳科学的背景を調べた研究でNature Neuroscience4月号に掲載された(22:627, 2019)。タイトルは「Spontaneous synchronization to speech reveals neural mechanisms facilitating language learning(話し言葉への同調能力から言語学習を促進する神経学的メカニズムが明らかになる)」だ。
この研究ではまず言葉のシラブルの持つリズムの認知能力を、言葉を聞かせて、それをもう一度繰り返させるという課題で調べている。すると驚くことに、繰り返して同じシラブルを話すとき、聞いたリズムと同調したリズムで話せる人と、そうでない人がはっきり分かれることがわかる。
この2つのグループで、今度はもう少し複雑なシラブルを聞かせながら脳磁図で活動を調べると、同調能力の高いグループほど、左脳のブロードマン44領域と呼ばれる言葉を話すときのタイミングに関わる領域の活動が、聞いているリズムに強く同調していることがわかった。すなわち、言葉のリズムの認識力が脳の機能の違いとして検出できることになる。
そこで、ではこの機能的違いが脳のネットワークの違いを反映しているか、神経繊維を通る水分子の動きを調べる拡散強調MRIを用いて前頭葉と聴覚野の結合を調べ、左側の聴覚野への神経結合が高まっていることを明らかにしている。そしてこの能力が音を聞いて言葉を覚える能力とも相関する事を明らかにしている。
話はここまでで、高次の機能を支える脳の構造的違いを一つ明らかにした面白い研究だ。こうして特定された違いを、日本人と中国人や米国人と比べたり、あるいは音楽家と素人で比べたりすることで、さらに面白いことが発見できるような気がする。
このような論文を読みながら、土曜日の会話を思い出すと、芸術を鑑賞するとき、自分が心地よいというだけでなく、作者や演奏家の脳の多様性を楽しめる境地まで達することができれば、芸術のあり方ももっと大きく変化するような気がする。その意味で、科学者と芸術家が常に対話することは重要だ。