細胞培養が可能になってから、ガン細胞がホストとは無関係に増殖を続け、自然に進化する過程を観察することができるようになった。例えばHeLa細胞などはほぼ60年近く細胞独自の進化を遂げていると言える。しかし驚くなかれ、同じように6000年近くも、ホストからホストを乗り移って勝手に進化している犬のガンCTVT(犬の感染性性器腫瘍)が存在する。生殖器官の細胞に発生したガンが、ホストの免疫システムを逃れるようになり、性交を通して個体から個体へ感染するようになったガンだ。同じようなガンにタスマニアデビルの顔面にできるガンがあるが、この歴史はたかだか50年程度のものだろう。
今日紹介するケンブリッジ大学を中心とする研究グループの論文は、世界各地から546種類のCTVTを集め、タンパク質に翻訳される遺伝子部分(エクソーム)の配列を調べ、CTVTの進化を調べた研究で8月2日号のScienceに掲載された。タイトルは「Somatic evolution and global expansion of an ancient transmissible cancer lineage (古代に発生した感染性がん細胞系列の進化と世界規模の伝搬)」だ。
現存の人間のゲノム解析と同じで、現存しているガン細胞の配列からわかるのは、そのガンがいつ発生し、どのように世界中に広がったかという歴史と、進化に関わる選択要因は何だったのかという点だ。
まず歴史だが、おそらく6000年ほど前にシベリア地方で発生し、その地域で維持されてきたCTVTが、2000年ごろインドとヨーロッパに独立に伝播する。おそらく人間の移動とともに、500年前にヨーロッパからアメリカ大陸に移った細胞は、急速に拡大し、またヨーロッパやアジアに再侵入する。その結果、おおくのCTVTは中南米で見られることになる。
現在原因が明らかになって、このガンは収束しつつあるらしいが、壮大な歴史がここに書かれている。しかも、ホストの環境に依存するとはいえ、高等動物の細胞が独立して進化を続けているとは生命の力強さを感じる。
この歴史はゲノム上の変異の蓄積として読み取ることができるが、変異の種類について調べることで、進化に影響した要因を推察することが可能だ。実際には、どのタイプの変異、例えばCからT へといった変異がどの核酸配列(例えばCCCかTCCか)で幾つ見られるかをカウントするのだが、これにより細胞の分裂時のDNA修復ミスか、APOBECによるのか、あるいは紫外線などの一本鎖変異なのかがわかる。
基本的には細胞が増殖する時におこる修復ミスによる変異が中心なのだが、例えば紫外線障害の変異を調べると、性器のガンが皮膚に飛び出て、そこでUVの影響を受けるようになったため新しいタイプの変異を蓄積するようになったガンや、あるいは代謝の変化を反映しているガンなど、様々な要因が特定できる。
しかし、では突然変異は強く選択されているかを調べてみると、変異の蓄積はほとんど中立的に起こっていることがわかる。
他にも色々話はあるが、要するに6000年の歴史を超えてガン細胞が独立に子孫を増やしてきたという驚きが、この研究のハイライトだ。