2020年8月11日
サリドマイドが上肢の発生異常を誘導するメカニズムの解析から、標的タンパク質にユビキチンリガーゼをリクルートしてプロテオソームタンパク質分解システムに誘導して不活化する治療法が開発され、転写因子イカロスを標的としたレナリドマイドが現在骨髄腫の治療に利用されている。もともと機能阻害分子を開発するのが難しい転写因子を標的にする治療薬開発の方向性として、現在も研究が進んでいると思う。ただ、この方法では細胞表面分子や分泌分子は標的にならない。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、プロテオソームの代わりにリソゾームへ標的分子を誘導して分解する方法についての研究で8月5日号Natureに掲載された。タイトルは「Lysosome-targeting chimaeras for degradation of extracellular proteins (リソゾームへ移行するキメラ分子は細胞外タンパク質の分解を誘導できる)」だ。
この研究の鍵はcation-independent mannose 6 phosphate receptor (CI-M6PR)と呼ばれる分子で、マンノース6リン酸(M6P)が結合したタンパク質と結合してリソゾームに引きずり込み、標的タンパク質をリソゾーム内で遊離したあと、自らはまた細胞表面にリクルートされる分子で、例えば細胞表面のIGF2成長因子はこのメカニズムで不活化されている。
この研究のハイライトは、M6P分子がN-carboxyanhydrideベースのポリペプチドに結合した血清中で安定なCI-M6PR結合分子(LYTAC)を設計したことで、この分子を運び屋シャトルとして、細胞表面や細胞外分子に結合する分子と結合させ、リソゾームに引きずるための様々な条件を検討している。
まず予備実験として蛍光分子が結合したアビジンタンパク質を、ビオチン結合LYTACでリソゾーム内に引きずり込めるか、蛍光の局在を指標に確かめ、ビオチン LYTACと結合したアビジンはリソゾームで分解できることを確認している。また、リソゾームへの輸送に関わる分子がノックアウトされると、アビジンは細胞内に取り込まれないことも確認しており、期待通りリソゾームに引き込むことでタンパク質分解を誘導する治療法が可能であることを示している。
この結果をもとに、発癌遺伝子として働くことがわかっているEGF受容体に対する抗体をLYTACに結合させた分子を設計し、この分子が培養細胞表面上の70%のEGFRを分解し、増殖因子反応性を低下させることを明らかにしている。
次に、エンドゾームに取り込まれてもリソゾームに輸送されないトランスフェリン受容体CD71を、抗CD71抗体結合LYTACがリソゾームに引き込むことができることを示している。CD71 も現在、抗体による癌治療の標的として研究が進んでおり、LYTACによりさらに完全に分解することが期待できる。
このようにガンのドライバーに対する抗体治療の効果をLYTACはさらに高めることができるが、他にもアルツハイマー病を促進するAPOE4分子を細胞外からリソゾームに集めて分解する可能性も示されている。もちろんリソゾームで分解できないと、逆に問題が起こるが、分解できるタンパク質ならこのシステムを利用できる様々な病気があるように感じた。
臨床応用まではまだ時間がかかると思うが、面白い可能性だと思う。
2020年8月10日
少し専門的な論文が続いたので、糖尿病の臨床診断に関する論文を取り上げることにした。
2型と異なり、1型糖尿病の患者さんの多くは、知らないうちに高血糖が進み、意識障害に至るケトアシドーシスで発見されることが多く、命の危険を伴う。したがって、まだ決定的な発症を抑える方法は開発されていないとはいえ、早期にリスク予測をして、ケトアシドーシスに至らないよう指導することは重要だ。
今日紹介するPacific Northwest Research Instituteを中心とする国際チームからの論文は小児の1型糖尿病を少なくとも4ヶ月前に予測してケトアシドーシスにしないことを目的としたコホート研究で8月7日Nature Medicineオンライン版に掲載されている。タイトルは「A combined risk score enhances prediction of type 1 diabetes among susceptible children (高い発症リスクを持つ子供の発症予測精度を高める総合リスクスコア)」だ。
現在1型糖尿病リスクの予測確率が高い指標は組織適合性抗原(HLA)タイプなので、この研究では出生時に特定のHLAを持っている子供約8000人を15年追跡して、診断精度を高める指標を確立し、実地臨床でのマニュアルを策定しようと試みている。
10年以上にわたって8000人をフォローして発症を調べたことがこの研究のハイライトで、この豊富な臨床データから相関が示唆された様々な形質、さらには最近新しく示されたHLA以外のSNP アレーを用いた遺伝的リスクスコア(GRS2)などを、このコホートで改めて検証し直し、最終的にGRS2+膵臓に関する自己抗体+そして家族歴を組み合わせた総合指数を用いると、2歳までに診断がつく子供達の数が倍加することを示している。
残念ながら、例えば副鼻腔炎など、臨床的にリスク要因としてこのコホートでも確認しているが、これらを加えてもそれほど予測頻度は高まらない。今後AIなどを用いた方法で、せっかく集めた他の指標を加えた新しい診断法が生まれることを期待したい。
残った3つの要因のうち遺伝的スコアと家族歴は生まれた時から決まっているので、結局この研究から示唆されるのは、ハイリスクの子供をゲノム検査でまず選別し、膵臓に関わる自己抗体(グルタミン酸デカルボキシラーゼに対する自己抗体、インスリノーマ抗原2に対する自己抗体、そしてインシュリンに対する自己抗体)を定期的に調べて総合リスクスコアを毎年計算し直すというプロトコルになる。
これをあらゆる子供で続けるのはコストから考えても非現実的なので、結局新生児でのゲノム検査が広く行えるかどうかが鍵になる。考えてみると,今回の新型コロナウイルスPCR検査能力で浮き彫りになったわが国の後進性から考えると、希望する子供のゲノム検査を受けれるようにすることが、わが国の最も重要な課題ではないかと思う。
2020年8月9日
新型コロナウイルス(Cov2)がコードする分子についての論文を読んでいると、Cov2が最も嫌う免疫機構がType Iインターフェロン(IFN-I)(= IFNα、IFNβ)ではないかと思う。すなわち、感染したホストがIFN-Iシグナルを動員しないように操作する仕組みを何重にも備えている。
このブログでも紹介したように、Cov2のコードするタンパク質のうちOrf6はimportinに結合してSTAT1の核内移行を妨げて、IFN-Iシグナルを抑える(https://aasj.jp/news/watch/12749 )。イベルメクチンはOrf6のインポーチン結合を阻害してIFN-I誘導を回復させるから、抗ウイルス薬として使える。さらに、PLproプロテアーゼはIRF3からISG15を引き剥がして、IFNβが誘導されるのを防ぐ(https://aasj.jp/news/watch/13619 )。重要なことはISG15自体、IFN-I/STAT1により誘導され、Orf6にも間接的に関わることから、Cov2はIFN-Iシグナルを抑え、加えてIFN-Iの誘導自体も抑える仕組みを持っていると言える。このブログでは紹介していないが、これに加えてウイルスRNAのCapメチル化を通して、侵入したばかりのウイルスRNA が自然免疫系に感知できないようにするメカニズムも持っている。
もちろんこれらの仕組みは、感染したウイルス量依存的で、ある意味で自然免疫とウイルス感染量とのせめぎ合いで、自然免疫を強く抑制できると、自然免疫の方が低下して、多くのウイルスが分泌され、結果重症化していくというシナリオが考えられる。
前置きが長くなったが、この仕組みが実際の患者さんで働いていることを強く示唆する臨床データがパリ大学から8月7日号のScienceに掲載された。タイトルは「Impaired type I interferon activity and inflammatory responses in severe COVID-19 patients (重症Covid-19患者さんで見られるtypeIインターフェロンの活性と炎症反応)」だ。
この研究の目的はcovid-19重症化をいち早く予想する指標を確立することで、発症後10日目で患者さんを、軽症、重症、重篤の3ステージにわけ、血液を採取、CyToFと呼ばれる、質量分析器とフローサイトメーターを組み合わせた方法で単一血液細胞レベルで発現タンパク質を詳しく調べて、以下の所見を明らかにしている。
これまで指摘されているように、リンパ球の現象が重症・重篤症例で著明に見られるが、様々な解析から、T細胞でアポトーシスが高まることを反映している。 他にも、重篤者で特にNK細胞の減少が著しいが、逆にB細胞は増えている。 すべての白血球を集めて遺伝子発現を調べ、自然炎症に関わる遺伝子発現と、IFNに関わる遺伝子発現で主成分解析を行うと、発症10日目の段階で、軽症、重症、重篤の3群を完全に分離できる。 この解析から、IFN-Iに対する反応が高い患者さんは軽傷で、逆に低い患者さんは重症化することがわかる。また、IFN-Iシグナルが低下しているグループでは血中のウイルス量が減少しない。ただ、試験管内でIFN-I刺激を行うと、重症か患者さんの細胞も反応できることから、IFN-I刺激自体が低下していることを示す。 血中のIFN-I が重篤者では強く抑制されている一方、IL6やTNF αのような炎症性サイトカインは上昇している。
この論文では、ウイルスのIFN-I抑制機能についてはまったく言及していないが、結果の多くは最初に述べたシナリオに合致しており、Cov2が肺に感染した時、IFN-I を首尾よく抑えきれた時、ウイルスから見れば増殖し続けられ、患者さんから見れば重症化することを示している。
では、なぜIFN-Iは抑えても、IL-6 やTNFαが上昇するのか?もしCap-メチル化でウイルスRNAがステルス化するとしたら、サイトカインストームも抑えられても良さそうだ。おそらく血管内皮や血球系に感染がおこると、NFκβ経路がより強く反応してしまう可能性もあるが、今後細胞レベルで詳しく検討が必要だろう。昨日述べたように、自然炎症に関わるHDAC3の2面性も関係しているように感じる。
いずれにせよ、肺炎の段階でCov2の最も嫌うIFN-Iを吸入させる治療などは有効な治療になり得るような気がする。、
2020年8月8日
ヒストンアセチル化はヌクレオソーム構造を緩めてRNA ポリメラーゼの結合がたやすくなり転写を高める。これに対してヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)がアセチル基を外して染色体を閉じ、転写が抑えられる。基本的にはゲノム全体にわたる単純な原理で、到底このような非特異的過程を標的にして薬剤を開発できるとは思えないのだが、実際にはガンを始め様々な疾患についてHDAC 阻害剤が開発され、実際に成功を収めている。これはHDACファミリーの個々のメンバーが、特定の遺伝子領域の調節に関わる一種の特異性があるからで、今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は核内受容体NCoR1/2と結合することでHDAC活性が発揮されるHDAC3のHDAC活性の調節について研究している。タイトルは「Dichotomous engagement of HDAC3 activity governs inflammatory responses (HDAC3は2種類の異なる作用機序で炎症反応を調節する)」で、8月5日Natureにオンライン掲載された。
この研究ではHDAC3ノックアウトマウスが致死的であるにも関わらず、HDAC 活性だけを失わせた突然変異マウスは生まれて来ることに着目し、HDAC3にHDAC活性以外の機能があるか検討している。マクロファージをLPSで刺激する自然免疫系(NCoRが関わっていることがわかっている)が誘導される遺伝子のうち700程度がHDAC3依存性で、HDAC3 ノックアウト(KO)マクロファージでは誘導されなくなるが、そのうち半分がHDAC3点突然変異(PM)遺伝子を再導入することで元に戻る。すなわち、HDAC活性に依存する転写と、依存しない転写に分けられることが明らかになった。
これがこの研究のハイライトで、あとはHDAC活性に依存しない転写誘導メカニズムと、依存性、非依存性転写の関係の比較を進め、以下に述べる面白いHDAC3の2面性を突き止めている。
HDAC活性非依存的に誘導される遺伝子はATF2転写因子とHDAC3の協調により調節を受けており、炎症により誘導されるサイトカインなどが中心。 一方HDAC活性依存的な調節を受ける遺伝子は、ATF3転写因子とHDAC3が協調することで抑制され、Toll like familyシグナルに関わる遺伝子が中心。 HDAC3は、LPS下流のp65により調節を受けるが、HDAC活性非依存的遺伝子の発現は高まる一方、HDAC活性依存的遺伝子の調節領域ではHDCA3の分離が促進され、遺伝子抑制が外れる。 以上の結果から、HDAC3を完全にノックアウトすると、HDAC活性非依存的炎症遺伝子の誘導を抑えることができるため、Toll経路の炎症反応が誘導されても、マウスはLPSに抵抗性を獲得し、結果としてLPSに対する抵抗性は上昇するが、HDAC活性だけを欠損させた変異では、非依存的な炎症はそのまま残った上に、本来ならLPSで抑制される炎症反応まで加わってkLPSに対する感受性が上がることが予想される。このことをノックインマウスを用いて証明している。
以上、少し複雑で理解しにくいかもしれないが、多くのHDAC阻害剤が脱アセチル化活性を標的にしているとすると、HDAC活性以外の機能を考慮して作用を考えることの重要性を示す興味深い研究だと思う。
2020年8月7日
現役を引退した頃は、様々な動物や植物のゲノム解読データはトップジャーナルに採択されていた。しかし、いつ頃からか新しい種のゲノム解読データは専門誌に回るようになり、そこまで手が回らない隠居の身では、ほとんど新しい種のゲノム論文を読まなくなってしまった。しっかり読んだ最後のゲノム論文は確かアフリカ爪ガエルのゲノムだったように思う。
今日紹介するニュージーランド・オタゴ大学からの論文は、同国固有種のムカシトカゲのゲノム解読についての研究で、新型コロナウイルスの論文であふれたNatureに8月7日オンライン掲載された。タイトルは「The tuatara genome reveals ancient features of amniote evolution (ムカシトカゲのゲノムは有羊膜類の進化の太古の特徴を明らかにする)」だ。
読んでみると、これまでの新しい種のゲノム研究と特に変わることなく、ゲノム全体の特徴とともに、進化過程に関する推察、そして種の特徴に関わる遺伝子についての考察と進んでいく。
ただ、ムカシトカゲは、ニュージーランドにだけ生き残ったゴンドワナ大陸に栄えた種の末裔で、絶滅危惧種であること、カメをのぞくと最も長生きする爬虫類で、100歳は生きるとされていること、体温が16〜21度と低いこと、薄暗い中で優れた視力を示すことなど、面白い性質を持っていることから、Natureに掲載されたのだろう。
中でも決定的に面白い点は、5Gというヒトゲノムを凌駕するゲノムを有し、この巨大サイズが最近まで活動的だった様々なタイプの繰り返し配列によって構成されていること、そしてこの繰り返し配列が爬虫類特有のタイプと、なんと哺乳類特有のタイプの両方が共存していることがわかった。すなわち、ムカシトカゲが有羊膜類が哺乳動物と爬虫類に分かれた時期の特徴を残していることが推察される。
もちろん、ムカシトカゲの持つ特徴についても、ゲノムからバックアップが行われている。中でも最も面白いのは、低体温をサポートする仕組みだが、温度を感じるTRP遺伝子の数が増大していることが、重要なメカニズムではないかと想像している。
他にも、夜行性であるにも関わらず、色彩を感じるオプシン遺伝子は5種類も存在し、しっかり色を感じることが明らかになった。成長するまでは逆に昼行性であることがその理由かもしれない。一方、機能的な嗅覚受容体が341も存在しており、夜行性の狩を支えているのかもしれない。
最後に、長生きの秘訣だが、抗酸化作用を持つセレノタンパク質が26種類存在し、このタンパク質翻訳に必要なセレノシステインに対する4種類のtRNAまで有している。低体温も重要なファクターだと思うが、この特殊なタンパク質の秘密をぜひ解き明かしたいものだ。
このように、特徴的遺伝子からも、進化の位置からも興味が尽きないムカシトカゲだが、ゲノムの進化はこれまでの通説に反して極めて遅いようだ。そして、ゲノムの多様性から推察される集団サイズだが、何回かの盛衰を繰り返しているが、現在では個体間の多様性に乏しく、絶滅の危機に瀕していることが推察される。
久しぶりに新しい種のゲノムの論文を読んだが、あらためて生物進化の壮大さに打たれる。
2020年8月6日
腸内細菌叢と健康の関係が示されて以来、様々な国民、民族の腸内細菌叢が集められ、比較されるようになった。これまで目にした論文から私が抱いているイメージは、同じ人の腸内細菌叢でも生活スタイルが変わると変化すること、民族性より、生活の都市化と細菌叢が関わること、都市化されない暮らしでは粗食でも細菌叢は豊かなこと、などだ。そして、なぜ原始的な粗食生活を送る部族の腸内細菌叢の種類が豊かなのか、秘密を解き明かすことの重要性を感じてきた。
今日紹介するアイルランド、コーク大学からの論文はIrish Travellersと呼ばれる都会の遊牧民とも言える人たちの腸内細菌叢を調べて、工業化と細菌叢との関係を調べた論文で7月号のNatureに掲載された。タイトルは「Microbiome and health implications for ethnic minorities after enforced lifestyle changes (少数民族の生活スタイルの変化による細菌叢と健康の変化)」だ。
この論文を読むまで全く知らなかったが、アイルランドには一般社会から離れてキャンプ生活を送る少数民族が何世紀にもわたって存在しておりIrish Travellersと呼ばれている。その生活のレポートはNational Geographicの写真から窺えるが(https://www.nationalgeographic.com/photography/proof/2016/08/irish-travellers-uphold-the-traditions-of-a-bygone-world/ )、イメージとしては欧州のジプシーを考えてもらえばいいと思う。ただ、遺伝的にはアイルランド人で、アイルランド内で一般社会から分離し、放浪生活を行っている。写真からもわかるように現在はキャンピングカーで放浪しているが、徐々に一定の地域に定着をはじめ、さらにはキャンピングカーを離れて自宅を所有するようになったグループも存在するようだ。
この研究では定着性の観点からIrish Travellersを3群(自宅を持つ群、子供時代に放浪していたが現在は定着している群、そして成人した後も放浪している群)に分けて、腸内細菌叢を調べている。
結果は驚くべきもので、Irish Travellersを生活スタイルで選り分けた3群では、それぞれ特徴的な腸内細菌叢を持っていることがわかった。そこで、世界中の細菌叢データベースと比べると、Irish Travellersは工業化先進国と、アフリカやポリネシアの非工業化途上国とのちょうど中間に分類されること、そしてIrish Travellers の3群は、非工業化から工業化の道筋の中間で、定着化により工業化への道を進んでいることが明らかになった。
すなわち、Irish Travellersが、工業化社会により起こる細菌叢の変化を研究するモデルとして最適な集団であることが示された。
実際、細菌叢から比較的正確に生活スタイルを予測できることから、今後どの生活様式が定着、工業化で変化したのか研究が進むと思う。もちろん初期的な相関解析を行っており、定着しているかどうか、子供の数、WHO精神健康指標、ペットの数などが強く相関することを示しているが、それぞれの要素間で相互作用があるため、詳しい相関解析は今後に待つ必要があると思う。
しかし、細菌叢を単純な健康指標として表面的に考えないことがいかに大事かを示す面白い論文だと思う。腸内細菌民俗学も面白そうだ。
2020年8月5日
WHOのテドロス事務局長が、「新型コロナウイルス(Cov2)に対する特効薬が今後も存在しない可能性がある」と述べたそうだ。特効薬など南北医療格差を拡大するだけで、途上国にはいくら待っても届くことはないと言う、警告の意味だと解釈したいが、医学上本気でそう思っているなら、最新の医学知識をほとんど勉強していない、公衆衛生テクノクラートと言う他ない。
というのも、コロナウイルスは最も複雑なRNAウイルスで、侵入後最初に起こるRNAの翻訳過程とそれに続くタンパク分解による機能分子生産過程を見るだけでも、途方もなく特殊で複雑な過程をうまく調節する必要があることがわかる。すなわち、ハイテク侵入部隊なので多くの条件が必要になり、戦線が延びて弱点が晒されやすい。これまでCov2に対する薬剤と称するものは、すべて他のウイルスに対して開発された、目的外使用だったが、Cov2がコードするほとんどの分子の構造と機能が刻々と明らかになりつつある今、Cov2特異的な薬剤が開発されることは時間の問題だと思っている。それも、ポリメラーゼに限らず、多くのCov2分子に対して開発されるだろう。
そして何よりも、昨日大規模治験入りが報道されたファイザーのモノクローナル抗体を皮切りに、各社入り乱れてモノクローナル抗体薬の投入が始まるように思う。と言うのも、Cov2に対するモノクローナル抗体は患者さんのB細胞から分離する抗体遺伝子を用いており、わざわざヒト化する必要がなく、いい抗体ならすぐに治験に入れる。実際、動物を用いた前臨床モデルでは、中和活性の高いモノクローナル抗体は治療効果が高いことが証明されている。
このように、高額になることを覚悟すれば、今後最も頼りになる治療法としてモノクローナル抗体薬が期待できると思っている。
例えば致死率9割に近いエボラ出血熱に対してレムデシビルと同時に治験が行われた2種類のモノクローナル抗体薬は、レムデシビルと比べて高い効果を示したことが昨年暮れに報告された(https://aasj.jp/news/watch/11936 )。
7月30日号のThe New England Journal of Medicineにはさらにモノクローナル抗体薬の成功を示す結果が2報発表された。最初はシンガポール国立大学からの論文で、モノクローナル抗体により黄熱病ウイルスの増殖を予防できると言う研究だ。
この研究は、黄熱病に対するモノクローナル抗体の安全性と効果を調べる1相の治験で、実際の感染症予防ではなく黄熱病ウイルスを弱毒化したワクチンスタマリルを投与した時のウイルス血症抑制効果を調べて、効果を検証している。
私も接種を受けたが、スタマリルは弱毒化されているとはいえ、ウイルス血症が起こるため1週間程度様々な症状に見舞われる人が多い。はっきりいえばそのぐらいして初めて、一回投与するだけで有効なワクチンとして認められているのだろう。このスタマリル接種後のウイルス血症をTY104抗体は完全に抑えている。また、抗体の半減期は2週間程度で、有害事象も許容範囲という結果だ。
黄熱病はワクチンが存在するので、発症者はそう多くないが、それでも発症した場合は抗体治療の可能性が示されたと言っていいだろう。
これは抗体を治療に用いる研究だが、同じ号のThe New England Journal of Medicineには抗体をRSウイルスの予防に使う可能性を示した論文が発表されている。
RSウイルスは今も途上国の子供の命を奪う最も厄介なウイルスだが、まだ有効なワクチンは開発できていない。しかし、途上国で利用できるかは別として、モノクローナル抗体が治療だけでなく、流行時に予防的に投与することで、ワクチンの代わりに使えることが示されてきた。
このアストラゼネカ社からの論文はこの方向の集大成とも言える治験研究で、中和活性を高め、さらに体内での半減期を5ヶ月にまで延長させたRSウイルスに対するモノクローナル抗体Nirsevimabを流行前に1回筋肉注射された幼児(平均3.2歳)を150日間追跡し、RSV を発症した症例数を調べている。
結果は、感染者を70%抑え、入院治療の必要な患者数を80%近く抑えることができたと言う結果で、ワクチンと異なり注射後すぐに効果があることから、ハイリスクグループを対象に流行時一回予防的注射を行うのは現実的解決策になると思う。
実際同じような半減期を伸ばした抗体の予防的使用はエイズなどにも実用化が進んでおり、当然新型コロナウイルスについても高リスクグループを守る方法として定着すると期待している。
エボラウイルスの治験でわかったように、もちろんモノクローナル抗体といえども、例えば植物で作らせた抗体は効果が見られなかった。ただ、ワクチンと異なり、同じ抗体を治療や予防に利用できる点が大きな利点で、最終的に最も効果が高い抗体が生き残ればいい。また、一旦いい抗体ができれば、様々な操作を加えて使いやすくすることも可能になる。
研究の速度から、新型コロナウイルスに対して、特効薬ができるのは時間の問題だが、以上の例から、最初に実現化するのは、モノクローナル抗体による治療、および予防ではないかと思う。おそらく、感染が拡大している地域に旅行する前に、一回抗体を注射して出かけることすらあり得る話だと思う。
2020年8月4日
ずいぶん昔になってしまったが、2015年4月にこのブログで、類人猿にはなく、ネアンデルタール人も含む人類だけに存在する遺伝子ARHGAP11Bの発見について紹介した(https://aasj.jp/news/watch/3151 )。大きな形質変化は遺伝子重複による新しい分子機能の誕生により起こることが多いが、この遺伝子も猿にも存在するARHGAP11Aの重複で誕生し、しかも本来の機能を全く失っていること、さらに新皮質特異的に発現し、マウスに強制発現させると驚くことに、マウスの脳にシワができたことを報告した。
この研究を行ったのは、ドレスデンで極性問題など優れた神経細胞生物学研究を続けているHuttnerのグループだが、今年、ついにこの分子がミトコンドリア内でアポトーシスなどに関わるPTPを阻害することで、グルタミンを分解してエネルギー変換を高め、神経幹細胞の増殖と高めることを発表した(Neuron 105:867, 2020)。
最初ARHGAP11B発見の論文を紹介した時、私も興奮して「もうすでにサルにこの遺伝子を導入する研究が行われているはずだ。」と書いてしまったが、今日紹介するHuttnerグループからの論文はまさに、猿(実中研のマーモセット)にこの遺伝子を導入したら、予想通り皮質の細胞数が増えたという話で、7月31日号のScienceに掲載された。タイトルは「Human-specific ARHGAP11B increases size and folding of primate neocortex in the fetal marmoset (人類特異的ARHGAP11Bはマーモセット胎児で新皮質の大きさとシワを増大させる)」だ。
この遺伝子発見後のHuttnerの執念の論文と言っていい。我が国の佐々木さんたちが磨いてきたマーモセットの遺伝子導入技術の助けを借りて、遺伝子発現に関わる領域ごとこの遺伝子をレンチウイルスに組み込み、受精卵へ遺伝子導入している。
Huttnerらしいと思うのは、人間化したマーモセットを見たいと思いつつ、それには倫理的問題があるので、帝王切開で発達途中で胎児を取り出し、新皮質がどう変化するかだけに焦点を当ててデータを取っている。
幸いこの方法で導入した遺伝子は新皮質に発現して、皮質のサイズを増大させるとともに、脳の褶曲といえる脳回の形成が進んでいることを示している。色々計測しているが、写真で見ると一目瞭然の変化だ。
最後に、皮質の各層の細胞数について調べ、皮質下部の神経細胞はあまり変化していないが、Satb2やBrn2で標識される上部の神経細胞数が大きく上昇していることを示している。そして、この変化が脳室下のラディアルグリア細胞、すなわち感細胞の増殖が高まる結果であることを示している。
結果は以上で、私が期待した実験に5年かかったということは、実中研のマーモセットに到るまでの道のりが長かったことを示している。しかし、読んでみるとマーモセットはこの目的には最適の動物に思える。今後は、脳のオルガノイドなどを用いて、マーモセットから、アカゲザル、チンパンジー、人間の比較が行われるような気がする。
2020年8月3日
この10年の生命科学の進歩を振り返ってみると、核酸バーコードを用いる様々な技術の発展が大きな役割を果たしていることがわかる。もっともポピュラーな例がsingle cell RNA sequencingで、一個一個の細胞のRNAを異なるバーコードがついたプライマーで増幅することで、回収した全ての配列をシークエンスしても、後からその配列がどの細胞由来か特定できる。この結果、一個づつ細胞を処理しライブラリーを作るという、職人技が必要なくなった。
これと並行して進んだのがバーコード組織学で、この概要については吉田さんとYoutubeで解説した(https://www.youtube.com/watch?v=k4YMvL46ksQ&t=573s )。とはいえ、実際にこれらの技術を用いた研究が論文として発表されるまでには時間がかかる。
今日紹介するLeuvenカソリック大学とUniversity College of Londonからの論文は、以前紹介したスライドグラスにバーコードのついたプライマーを貼り付けたスポットを並べてその上に組織を重ねることで、組織の位置情報を回収したRNAにつける方法(https://aasj.jp/news/watch/5490、https://aasj.jp/news/watch/9926 )と、組織上で、細胞が発現している複数の遺伝子を、バーコード化したプローブとin situでバーコードの配列を読む技術(https://aasj.jp/news/watch/8740 )を組み合わせて、アルツハイマーで見られるアミロイドプラークが周りの細胞にどのような変化を誘導するのか調べた研究で8月20日号のCellに掲載予定だ。タイトルは「Spatial Transcriptomics and In Situ Sequencing to Study Alzheimer’s Disease (空間的トランスクリプトームとin situシークエンシングをアルツハイマー病の研究に応用する)」だ。
タイトルからもわかるように、この研究の第一の目的はバーコード組織学手法を利用してみるということだ。その対象として選んだのがアルツハイマー病(AD)モデルマウスで、アミロイドプラークの周りの遺伝子発現を100ミクロンのスポットに分けて解析し、アミロイドにより誘導される変化を特定、そこから発見された遺伝子セットを今度は同時にin situシークエンシングを用いて細胞レベルの発現を調べ、両方のデータを合わせてアミロイドプラーク特異的作用を特定しようとしている。
よく読んでみると、組織情報を犠牲にしたscRNAseqと比べると、やはりキャプチャーできるRNAの数は限られており、tSNE展開した時の解像度は低そうだ。またin situ sequencingもまだ感度の点では改良の余地が大きそうだ。おそらく、これらのテクノロジーを使うためには、お金だけでなく、まだまだ熟練が必要だという印象を持った。
しかし組織情報を取り入れることで、アミロイドプラークの近くで誘導される変化をとらえることには成功しており、以下のような結果を得ている。
C1qをはじめとする補体系がアミロイドプラークに反応したミクログリアとアストロサイトのシグナル伝達に関わる。また、このカスケードは、やはりミクログリアから分泌されるAPOEにより調節される。 プラークの近くのオリゴデンドロサイトでミエリンに関わる遺伝子を中心に、変化が見られるが、プラークで誘導されたほとんどの遺伝子は、老化が進むと逆に発現が低下する。 今回のマウスモデルと、ヒトでのAD組織を比べると、一致している点もあるが、変化する遺伝子の種類など、かなりの違いが見られる。おそらく、マウスモデルがプラークに対する純粋な反応を見ているのに対し、ヒトではTauの変化など多くの要因が重なった結果を見ているからと考えられる。
結論としては、アミロイドプラークは無毒化されたゴミではなく、局所で周りの細胞に明らかに悪さをしているということになるが、この結論より、バーコード組織学が実際に使われているのを実感できたことの方が、私にとってはインパクトが大きかった。
2020年8月2日
P53は最も重要なガン抑制遺伝子で、多くのガンで発ガン過程で遺伝子が欠失したり、あるいは機能欠損型変異が起こる。このような変異の中で、172番目や270番目のグルタミン酸がヒスチジンに変化した突然変異は、dominant negative型として知られ、正常p53機能が片方の染色体に存在してもその機能を抑えてしまい発ガンに関わると考えられてきた。
今日紹介するイスラエルヘブライ大学からの論文は変異型(R172H)の機能が腸内細菌叢の環境では2面性を持つことを示した論文でp53 分子の機能の多様性を改めて示した研究で7月29日Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「The gut microbiome switches mutant p53 from tumour-suppressive to oncogenic (腸内細菌叢が変異型p53を腫瘍抑制分子から発ガン分子に変える)」だ。
もともとこの研究はp53(R172H)の発ガンメカニズムを探ろうと始められたのだと思う。この変異を腸上皮で発現するように遺伝子操作し、さらにp53の安定性を高めるようにCKIα遺伝子をノックアウトしたマウスを作成し、腸の変化を調べている。
と、驚いたことに、空腸ではガン抑制的に働くのに、大腸では発ガンを促進していることがわかった。すなわち、腸の環境に応じて働きが変わる。
腸の自己再生や、発ガンにはWntシグナルが関わっているので、次にp53(R172H)存在下で空腸と回腸でWntシグナルの強さを下流分子の発現を指標に調べると、空腸ではWntシグナルが抑えられ、一方回腸では高まっているという2面性があることがわかった。
この2面性が、上部と下部消化管の環境の違いによるのか、あるいは細胞自体の差によるのかを調べる目的で、腸の幹細胞を培養するオルガノイド培養を行い、変異型p53は本来Wntシグナルを抑え、発ガン遺伝子が揃った場合も、その増殖を抑える能力があることを示している。すなわち下部消化管へと移ると、このガン抑制機能からガン促進機能へとスイッチが起こることが推定される。
当然のことながら、腸内細菌叢がこのスイッチに関わる可能性が示唆されるので、変異型p53を導入したマウスを抗生物質で処理して腸内細菌叢を除去する実験を行なっている。結果は期待通りで、大腸で見られた上皮の異常増殖は見事に抑制され、腸内細菌叢がないと変異型p53はガン抑制的に働くことを明らかにしている。
最後に変異型p53をガン抑制からガン促進へスイッチする分子を探索し、漬物など、植物の発酵に関わる乳酸菌(プランタルム)や、枯草菌が合成するgalic acidがスイッチであることを突き止めている。実際、オルガノイド培養にgalic acidを加えると、変異型p53は増殖抑制ではなく、増殖促進を誘導する。
以上が結果で、残念ながらなぜgalic acidがスイッチを入れるのかについては明らかにできていないが、ここで調べられた変異型p53は決して珍しくないことを考えると、これを悪性化のシグナルにしない食事や薬といった介入方法の開発は重要となるように感じる。