ボツリヌストキシンは極めて強力な神経毒だが、その神経特異的麻痺作用は臨床に応用されている。さらに最近では、筋弛緩作用を利用するシワ取りなど美容整形でも用いられる様になっている。これほどの神経毒が利用される一つの理由は、トキシンの作用機序が詳しく解析されていることにある。
ボツリヌストキシンは破傷風のテタヌストキシンと同様に神経細胞内に取り込まれてから効果を発揮する毒素で、毒性を発揮するプロテアーゼ(light chain:LC)と、コリン作動性の神経に発現しているシナプトタグミンに結合して神経細胞内に取り込まれるために働くheavy chain(HC)からできている。シナプス端末で神経のエンドゾームに取り込まれた毒素はエンドゾーム内の低いpHでSS結合が離れることでLCが細胞質内に放出され、シナプス形成に働くいくつかのタンパク質を分解してシナプス機能を抑える。しかもLCの細胞内での寿命は長く、長期間神経機能が失われることになる。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、この厄介なボツリヌストキシンを神経細胞内に抗体を移入する道具として使うための開発研究で1月6日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Delivery of single-domain antibodies into neurons using a chimeric toxin–based platform is therapeutic in mouse models of botulism (キメラボツリヌストキシンを使うプラットフォームは単鎖抗体を神経内に導入する治療に使えることがマウスモデルで確かめられた)」だ。
ボツリヌストキシンの神経内への移入効率は高く、以前からこの性質を細胞内へタンパク質を導入するツールとして使えないか研究が進んでいた様だ。このためには、まずLCのプロテアーゼ活性を完全にブロックする必要がある。ただ、プロテアーゼ活性に必要なアミノ酸を置換しても、完全に毒性を除去することはできていなかった様だ。
この研究ではプロテアーゼ活性を除去したLCと、二種類の毒素の部分部分をキメラにしたHCを用いることで、ほとんど毒性がない細胞内への輸送システムの構築に成功している。
この輸送システムの効果を調べるため、正常のボツリヌストキシンが導入されシナプス機能が失われた細胞に、この輸送システムを用いてボツリヌストキシンの活性を抑制するラクダ科の動物で作った抗体分子を導入し、細胞内で毒素を中和できるか確かめている。
これまで何度も紹介した様に、ラクダ科の動物の抗体は一本鎖でできており、化学的に安定で、細胞内分子と特異的に結合できることがわかっている。この研究では、LCに対する一本鎖抗体(nanobody)を輸送システムに結合させることで、細胞内のLCの活性を抑制できるかを確かめることで、この輸送システムの効率を試している。
結果は期待通りで、試験管内だけでなく、マウスにボツリヌス毒素を投与して起こった筋肉麻痺を、輸送システムにより運ばれた抗体がLCを中和して、治療できることを示している。
さらに腹腔内にボツリヌストキシンの致死量を投与したマウスに、この抗体+ボツリヌス輸送システムを投与することで、完全にマウスを生存させることができることも示している。
最後に、この輸送システムはnanobody であれば2本繋いだ大きなタンパク質も輸送できることを示し、将来抗体だけでなく様々な治療分子を神経細胞内へ導入できる可能性を示している。
結果は以上で、細胞質で働く物質に対する抗体を投与できるだけでも、実験や臨床で様々な可能性が開けると思う。残念ながらどのタンパク質を輸送できるかは、タンパク質の性質に強く依存している。これはエンドゾームに取り込まれ、さらにpHが変化することでSS結合が切れ細胞質へ移行するという極めて複雑な経路を必要としているからだろう。当面は抗体のデリバリーに限って実験することで十分な気がする。
ではこの技術が今後大ブレークするかと考えると、簡単ではない様に思う。というのも、nanobodyの場合それ自身を投与しなくても、RNAをモデルナワクチンの様に導入すれば十分で、この様な遺伝子治療と比べた時どの程度のアドバンテージがあるのか、個人的には分が悪い様に思う。