何回か紹介したと思うが、今「Art Meets Science 学生プロジェクト」(https://www.facebook.com/artsmeetsscience/)のお手伝いをしている。リモートになってから関西からも参加しやすくなり、定例のミーティングでは、芸術に関する脳科学論文を紹介する役割をいただいて、張り切ってやっている。特に東京藝大の学生さんとの交流は新鮮で、様々な新しい問題を考える機会になる。先日述べた「脳で触る」プロジェクトから考え直してみたクオリア問題(https://aasj.jp/news/watch/14623)もそうだが、音楽でも美術でも、感覚の鋭さ以上に、豊かな心的イメージを形成する能力が問われる様に思う。
そんなわけで、最近は心的イメージに関わる論文を特に気をつけて探す様になったが、そんな時、今日紹介するシカゴ大学からの論文を見つけた。タイトルは「Quantifying aphantasia through drawing: Those without visual imagery show deficits in object but not spatial memory (Aphantasiaを定量化する:視覚的イメージが欠損した人は空間記憶は正常だが、物の記憶が障害されている)」だ。
このタイトルを見たとき、まずAphantasiaという初めての言葉に釘付けになった。ファンタジアがない。そしてこれが視覚的イメージを呼び起こせない人のことだとわかった。要するに、心的イメージ形成がうまくいかないとすると、芸術的創造性の対極を意味する。
そこでまずAphantasiaをPubMedで調べると、まだ関連する論文は15報しか上がってこない。現時点のcovid-19論文92553報と比べると、認知0と言っていいだろう。幸いこの15報の中にあるオーストラリア・South-Wales大学のPearsonが2019年にNature Reviews Neurosciences に発表した総説はAphantasiaを理解するには最適だと思う。
これによるとAphantasiaとは、何かを頭の中でイメージすることができない人を意味し、1880年Galtonにより最初に指摘された。
「多くは、先天的なもので、物を思い描くことが難しいことを自覚はしていても、日常生活には全く影響がない。これまでは自覚的な症状を診断するための、VVIQやOSIQなどの問診基準で診断されてきたが、残念ながら脳波やMRIといった診断手段ではまだはっきりした定義はできていない。唯一、それぞれの目に異なるイメージを提示してどちらが見えるかを問う、心的イメージによるバイアスを調べると、Aphantasiaの人は先にイメージのバイアスを与えても、影響されにくいことから、客観的な指標で診断が可能である」などが述べられている。
今日紹介するシカゴ大学の論文は、Aphantasiaを診断するための新しい方法の模索で、これまで問診からAphantasiaと診断された人たちと、コントロール群をウェッブで集め、写真を見せたあと思い出して描くという課題と、同じ写真を見ながら描くという課題を与えて、描かれた絵を分析し、Aphantasiaの特徴を調べている。
ある程度Aphantasiaの知識があると納得の結果で、次の様にまとめられる。
- Aphantasiaは現在VVIQ,OSIQで診断されているが、この診断法を使うと正常と明確に分離が可能で信頼できる。
- 絵を見ながら描く能力は正常と変わらないが、思い出して描くとき描けるものの数が大幅に減る。しかし、それぞれの配置、すなわち空間記憶は正常。
- 思い起こすものの数は少ないが、正常より間違いは少ない。
- 記憶を描くとき文字での説明を許可すると、正常人と比べて多くの文字やシンボルによる説明を用いる。
すなわち、Aphantasiaでは空間と物の記憶が分離していること、それをカバーするためにシンボルに頼るという構造が見えてくる。先にはっきりした脳生理学的定義はないといったが、心的イメージの形成には様々な脳領域に記憶されている部分を選択、統合した後、1次視覚野に再投射する過程が存在することが知られており、今回の結果、特に空間記憶と物記憶の分離と、イメージとシンボルとの関係を手がかりに脳生理学的研究が進む気がする。
ただ、論文を読んでいて、自分自身も言語や文字に頼る頭でっかちになって、心的イメージ形成能力が失われていることもよくわかった。実際、思い出して言語的に述べるのは得意だが、ビビッドなイメージとして示すのは苦手だ。とすると、失読症でも見られる様に、私たちの脳では、イメージとシンボルが常に鬩ぎ合っている様に思う。その意味で、科学の学生と芸術の学生の出会いは重要だと思う。