乳ガンというと、ガンの中でも予後が良いと思われているし、それは正しいのだが、21世紀に入って乳ガン治療は様変わりした。手術が可能な症例も、少し顔が大きいと、まず抗ガン剤を用いるネオアジュバント治療を行い、腫瘍を縮小させた後手術、そしてその後も放射線、抗ガン剤と徹底的にガンを叩く。これは徹底すれば徹底するほど、再発を防げることがわかっているからだ。治療を受ける患者さんからすると、何もここまでしなくてもと思われると思う。しかし、ステージIIIになると10%以上の人が再発するし、血中のガン細胞の数を調べる検査で乳ガン細胞が速いステージから血中に流れているのをみると、医者の立場からは念には念を入れたくなるのも当然だ。
ただ、この様な徹底的な治療は、副作用がなく高い効果が期待できる薬剤があれば負担はへる。今日紹介するオーストラリア・アデレード大学からの論文は、エストロジェン依存性乳ガンの増殖を男性ホルモン受容体(アンドロジェン受容体AR)の刺激が強く抑制することを示した研究で1月18日号Nature Medicine に掲載された。タイトルは「The androgen receptor is a tumor suppressor in estrogen receptor–positive breast cancer(アンドロジェン受容体はエストロジェン受容体陽性乳ガンを抑制する)」だ。
男性と女性の2次性徴は男性ホルモンと女性ホルモンとのバランスで決まる様に、両ホルモンは拮抗する作用を持っている。このため、男性ホルモン依存性が強い前立腺ガンは、現在も抗アンドロゲン剤を投与するとともにエストロジェンなどの女性ホルモンを投与することがあるが、乳がんでも随分昔にはアンドロジェン剤を投与して女性ホルモンと拮抗させることが行われていた。ただ、男性化作用が強いのと、エストロジェン受容体阻害を含む優れた治療法が開発されて、男性ホルモン剤の使用は廃れてしまった。
この研究は、男性化作用が少ないアンドロジェン刺激剤が開発されてこともあり、もう一度アンドロジェン剤を見直してみようと考えて始められた。まず確認のために乳ガン患者さんの組織サンプルでAR発現を調べると、ARの発現が高いほど予後が良い。
次に、手術摘出された患者さんのガン組織を立体培養し、AR刺激剤を加えると、ガンの増殖が抑え得られることを確認している。ARもERも共に核内受容体で遺伝子調節領域に直接結合するので、AR刺激による抑制効果のメカニズムを調べるために、AR、ERの結合部位をそれぞれの刺激剤の存在下で調べると、ER結合領域がAR刺激により大きく変化し、その結果ガンの増殖に関わる分子の発現が低下し、さらにARが乳がんの増殖を抑える遺伝子を発現させる多元的な効果を発揮できることを示している。
そして、このER、AR結合部位の変化が、転写のコファクターp300やSRC3をARとERが競合する結果であることを示している。すなわち、ARが活性化されることで、p300/SRC3がARの方に吸い上げられ、その結果ERの作用が弱まることになる。
同じことはER阻害剤でも起こるはずだが、ARで競合させる場合は何百という遺伝子発現の変化による多元的な効果が集まっているため、耐性が現れにくく、長期間効果を維持することができる。
最後に、人間の乳ガンを移植したマウスモデルで、様々なAR刺激剤が乳ガンを抑制する効果を示すこと、ER阻害材に抵抗性を獲得した再発癌にも効果があること、現在使われ始めたCDK4/6阻害剤との併用でも強い効果を示すことを示している。
以上が結果で、ER陽性乳ガンの増殖にはERにより誘導される遺伝子が必要だが、ここに刺激されたARが割って入ると、p300/SRC3がARにとられて、ERの結合が低下すると共に、AR結合により活性化されるガン抑制分子が発現し、その全体の効果がガン増殖を抑制するというシナリオが示された。
明日からでも実際の症例を用いた治験が可能な結論で、基礎的な検討を読んだ後での個人的印象としては結構いける様な気がする。期待したい。