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5月22日 セラミド合成を抑えて筋肉老化を防止する(5月17日 Science Translational Medicine掲載論文)

2023年5月22日
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一般の人はセラミドというと皮膚の保湿といった良いイメージが多いと思うが、代謝について少しでも勉強すると、セラミドは危険な脂質というイメージを持つ様になると思う。実際、セラミドがインシュリン抵抗性、脂質異常、そして真血管障害に関わることは臨床的にもよく知られている。

今日紹介するスイス・ローザンヌにある工科大学からの論文は、セラミドが筋肉のタンパク質の貯留を促進し、ミトコンドリアのエネルギー代謝異常を誘導することで、老化によるサルコペニアの原因になっていることを示した研究で、5月17日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Inhibiting de novo ceramide synthesis restores mitochondrial and protein homeostasis in muscle aging(新たなセラミド合成を抑えることで筋肉でのミトコンドリアとタンパク質の恒常性を回復できる)」だ。

老化が進むと、筋肉ではタンパク質の沈殿が見られる様になり、それに伴いミトコンドリアの酸化的リン酸化が抑制される。この研究では、最初からこの変化を誘導する原因が、筋肉内にセラミドが蓄積するからではないかと考えた。

老化を含むさまざまな筋肉障害の筋肉での遺伝子発現を調べると、全てでセラミド合成経路に関わる分子が上昇していることをまず確認している。そして、この上昇は筋肉内のタンパク質の貯留と、ミトコンドリアの酸素消費が低下することを明らかにしている。

次に、この相関に因果性があるか調べる目的で、セラミド合成経路を阻害すると、ミトコンドリアの酸素消費量やタンパク質停留が正常化する。

次に筋肉老化を止めることができるか、モデル動物として線虫にセラミド合成阻害剤を添加すると、さまざまな代謝が改善し、筋肉の老化を止めるだけでなく、寿命も少し伸ばすことができる。

そこで、老化マウスを用いてセラミド合成阻害剤投与、あるいは筋肉得意的に合成酵素をノックダウンすると、老化に伴う酸化的リン酸化の低下が正常化し、またタンパク質の凝集も抑えることができる。これは、セラミド合成を阻害することで、さまざまなシャペロンの合成が上昇し、タンパク質の折りたたみが正常に進むためで、ほとんどのシャペロンの合成は上昇する。

最後に、実際の臨床に使えそうなセラミド合成阻害化合物を探索し、3種類のリード化合物を特定して研究を終わっている。

以上が結果で、要するに老化によりセラミド合成が上昇することが、サルコペニアの最も重要な原因であることを示した点は重要だ。セラミド合成阻害剤を長期的に内服していいのかどうか、臨床的にはわからないが、サルコペニアが防げるとすると、私たち高齢者には朗報だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月21日 女性ホルモンが乳ガン遺伝子の増幅までの過程のスイッチを入れる(5月17日 Nature オンライン掲載論文)

2023年5月21日
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乳ガンでは、BRCA1のように遺伝子変異の関与ももちろんあるが、分子標的薬の対象になっている遺伝子の多くは、変異というより発現が高まっている場合が多い。この発現上昇の一つの要因が、遺伝子増幅、すなわち特定の遺伝子が染色体から離れて独立して増殖しコピー数が増加することによる場合が多い。しかも、いくつかの遺伝子がセットで増幅することで、乳ガンの増殖を支える。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、乳ガンでこのような遺伝子セットの増幅が起こる大もとの原因はエストロジェン受容体がゲノムに結合して転写を誘導するときに起こるDNA切断、それに続く染色体転座が誘引となっていることを示した研究で、5月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「ERα-associated translocations underlie oncogene amplifications in breast cancer(エストロジェン受容体αに関わる染色体転座が乳ガンのガン遺伝子増幅の背景にある)」だ。

この研究では800近い乳ガンの全ゲノム解析を行い、遺伝子増幅の数、サイズ、場所を詳しく調べ、典型的乳ガン遺伝子のHER2やサイクリンD1をはじめ、Mycを含む様々な転写に関わる遺伝子の増幅を確認している。すなわち、乳ガン増殖に関わる遺伝子が比較的特異的に、しかもセットで増幅している事がわかる。

次に、この増幅を誘導するメカニズムを、増幅遺伝子の前後の配列から調べると、まず染色体転座が先にあり、この転座により中心体が2箇所できた異常染色体が形成され、分裂時に姉妹染色体が正確に分離せずに股裂き状態になり、切れた染色体から独立したゲノム断片が形成され、これが染色体外遺伝子として増幅することを突き止めた。この結果、例えば17番と11番染色体の転座の場合、乳ガン標的としてお馴染みのHER2とサイクリンD1遺伝子がセットで増幅してしまうことになる。

しかし、分裂時の転座はどこでも起こりうるのに、乳ガンを調べると、都合よく乳ガンの増殖に関わる遺伝子間で転座が起こり、増幅が起こっている。このように転座が集中する部位は、エストロジェン受容体により遺伝子発現調節を受けているところなので、エストロジェン受容体が転写を誘導する時、ゲノムが切断されやすくなるのではと考え、様々な実験を行っている。

その結果、確かに転座が集中する部位にエストロジェン受容体が結合しており、またエストロジェン受容体結合部位に切断が入りやすくなることを実験的に確認している。

最後に、エストロジェン受容体による切断、転座がいつ発生するのか、中心体を持たない染色体の発生を指標に時期を特定している(染色体が股裂きになる原因は点在により中心体を二つ持つ染色体が発生するためだが、この結果中心体を持たない染色体が同時に発生するので、こちらが存在するかどうかを調べて染色体分断が起こったかを調べている)、結果だが、ガン発生より前、閉経までの生理サイクルでエストロジェンが上昇するときは常に、切断、転座、染色体分断、増幅の危険性が存在することを突き止めている。

以上、この研究は、乳ガンの遺伝子増幅が、閉経まで継続する月経周期で起こるエストロジェン上昇により、繰り返し繰り返し誘導されていることを示している。少なくとも私にとっては全く新しい視点で、DNA修復異常をしめすBRCA変異などでは、最終段階まで進む確率が高くなる理由もよくわかった。

カテゴリ:論文ウォッチ

生命科学の目で読む哲学書22回:番外編 ChatGPTと実験哲学あるいは合成哲学の可能性

2023年5月20日
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デヴィッド・ヒュームについて書いて以来、ずっとカントの著作と格闘している。これまで何回か読んだカントだが、特にヒュームを自分なりにしっかり整理した上で読み直すと、面白いし、問題もよくわかる。ただ、彼の著作だけでなく、彼に関する本も読もうとすると、カントについて書けるようになるまでまだまだ時間がかかる。

そこで最近世界中が大騒ぎしているChatGPTをとりあげることにした。GPT(generative pre-training transformer)と呼ばれる言語処理についてはこのHPで2度取り上げたことがある(後述)が、今のChatGPT騒ぎはレベルが違う。そこでこのAIの概略について理解しようと、Stephen Wolframが書いた「What is ChatGPT doing・・・」を読んでみた。

Stephan WolframさんがChatGPTについての彼の考えをわかりやすく示した本。Kindle版は無料。

Stephen Wolframは、自然現象のcomputer reducibility 理論や、物理法則を統合するためのハイパーグラフで有名な物理学・数学者で、そんな超有名な科学者が書いた解説書ということで飛びついた。大変優れた解説書で、ChatGPTの原理、可能性、課題などがうまく整理され、「ChatGPTは文章の次にくる単語を確率論的に予測するだけ・・・」などといった舌足らずの説明とはまったくちがう。

彼は、ChatGPTを言語や人間の思想という観点からも述べており、これを読んでいるとき、「ヒュームの哲学はChatGPTに具現しているのではないか、またカントによるヒューム批判がChatGPTの限界として具体的に示せるのではないか?」という突拍子もないアイデアが浮かんできた。すなわちGPTのような人間の言語世界を包含できるようなシステムは、例えば「人間の知性や理性が全て経験の結果か」といったヒュームの哲学的提起を、「GPTはどこまで人間か?」という課題に置き換えているのではと考えた。そしてこれが可能なら、ヒュームの概念は人工知能上で確かめることができることになり、合成哲学や哲学の実験哲学まで可能にする新しい道が開ける。もちろん哲学だけではない。人工知能に様々な機能を表象させることで、人間の脳や言語とは何かを合成的に知る事ができるのでは、とまで考えるようになった。このようなわけで、カントによるヒューム批判をChatGPTから眺めることを、生命科学の目で読む哲学書番外編にすることにした。

Wolframさんの「What is ChatGPT doing?」の要約

Open AI社のGenerative Pre-trained Transformer (GPT)-3.5ベースのChatGPTが公開されたのは2022年の暮れだが、瞬く間に世界1億人以上の人たちの心を掴んだ。これは単に便利だというのではなく、生成AIが「あなたの頭の中で構想し疑問に思ったことを、あなたの代わりになって、明瞭に、しかもわかりやすくあなたに提示してくれる」ポテンシャルを持つからだと思う。

なぜこれが可能かについてのWolfram博士の説明は以下のとおりだ。

「The first thing to explain is that what ChatGPT is always fundamentally trying to do is to produce a “reasonable continuation” of whatever text it’s got so far, where by “reasonable” we mean “what one might expect someone to write after seeing what people have written on billions of webpages, etc.” Wolfram, Stephen. What Is ChatGPT Doing … and Why Does It Work? (p.8). Wolfram Media, Inc. . Kindle 版.

すなわち、「ChatGPTは与えられた文章を、なるほどと思えるように正しい文章で続けることができるように訓練されたニューラルネット」で、極めてシンプルな課題をこなすためのAIと考えればいい。ただ、これを可能にするために、ChatGPTは1700億を超すネットワークを擁し、学習した膨大な文章から、文章を構成する単語同士の関係を自分で読み取り、embeddingと呼ばれる数値化により、単語同士の関係を膨大な次元空間の中に配置し、文章が与えられると、トランスフォーマー(アテンション)と呼ばれる機能を用いて、最も蓋然性の高い続く文章を新たに紡ぎ出す。これらプロセスは自動で行われるが、こうして紡ぎ出された文章の意味がとれるかどうかは、最終的に人間がレビューし絶え間なくフィードバックを受けている(図は、彼の本から抜き書きしたもので、説明については直接彼の本を読んでほしい)。

WolframさんがChatGPTの説明に用いた図

Wolframさんの説明によると、ChatGPTは数千億の単語を文章(すなわち意味のあるつながり)として学習しており、このデータのなかの単語はさまざまなパラメーター数値で定義される個々のtokenとしてネットワークの中に表象されている。このパラメータはそれぞれの単語の言語空間の中の位置を表しており、これに基づいて文章がデコードされ、またエンコードされている。

こう理解すると、ChatGPTは与えられたニューラルネットのアルゴリズムに従い、膨大な文章を経験し、その経験により発達し(ネットワークのつながり強度を変化させる)、経験が深まれば深まるほど、どんな質問にも、文章的に意味のある答えを出すことができるようになることがわかる。

ChatGPTの場合、意味的に矛盾のない文章を作成することが最優先課題で、質問の答えは全て学習した文章の中から紡ぎ出されるため、常に正しい答えが出るわけではない。実際ChatGPTでは質問に対し間違った答え(例えば日本の首相の出身大学)出すことがよく問題にされるが、これは経験した中(おそらく英語)に、岸田首相と早稲田大学を結びつける文章がなかっただけで、その結果ネットワーク内で見つけた確率論的に最も関連の深い要素を、意味が損なわれないことのみを主眼に答えとして紡いでいるからになる。

おそらくChatGPTで使われる確率論的処理の問題を最もよく表すのが、計算のような抽象的な処理が苦手な点だ。Wolframさんは「3の73乗を計算せよ」という課題を例として挙げている。あえて訳すのは控えるが、ChatGPTの答えは

だそうだ。すなわち関連する文章を見つけてきて答えを出しており、決して計算はしていないことがはっきりする。自分の問題を誤魔化すため、与えた答えがかならずしも正確ではないことまで断って予防線を張るのも怠らない。実際の答えは遥かに膨大な以下の数字になる。

しかし、計算という抽象的作業を避けて、ひたすら文章の中に答えを見つけようとするのは面白いし、間違っていてもともかく答えを出すのにも驚く。ただ、必ず答えを出さなければならないというChatGPTの使命は、間違うとChatGPTを神やビッグブラザーの位置に押し上げる心配もあるので注意が必要だ。

デビッド・ヒュームの経験論とChatGPT

私の理解はすこし歪んでいるかもしれないが、上記のようにChatGPTを理解してしまうと、ChatGPTは人間の知性や理性を言語的経験のみで形成できることを示すための壮大な実験のように見える。人間と機械を区別するためのチューリングテストは有名だが、感情要因を引き算して残るのが、知性や理性で、それをもとに人間と機械を区別できるかがこの課題で問われるとすると、おそらく現在のChatGPTはチューリングテストをクリアしているのではないだろうか。すなわち、1億人以上の人が利用して、Chatを繰り返しているとすると、この実験は大成功に終わっている。

しかも人間と同じ知性や理性が、感覚を通さずに言語化された経験のみで獲得できることまでChatGPTの成功は明らかにした。こう考えた上でWoframさんの解説を改めて思い起こすと、ChatGPTがめざしている課題、すなわち経験のみで人間と同じ知性を形成させる可能性は、そのまま前回紹介したデビッド・ヒュームの経験論(https://aasj.jp/news/philosophy/21273)の課題とオーバーラップする。

前回書いたヒュームの哲学をおさらいしてみよう。彼の思想は3つの柱からできている。まず、人間の知性や理性の起源は全て経験に由来する。さらに、デカルトにはじまる合理主義哲学の根幹である、外界と対峙する自己を否定し、自己とは各個人の基質(タブラ・ラサ)に集められたそれまでの経験の塊でしかないと言ってのける。そして最後に、個人の経験と他人の経験との共通性は、それぞれの事象の背景にある因果性(事象同士の関係)が保証していると考える。ただ、この因果性とは決してyes/noと白黒をつけられるものではなく、一定の蓋然性の枠で考えるべきだとした。

ヒュームの思想3本の柱を踏まえた上で、ChatGPTをもう一度見直してみよう。1700億結合を持つニューラルネットがその基礎にあるが、各結合の度合いは経験を通して変化し、学習した言語世界を大きな統計データとしてネットワークに保持する。従って経験によりネットワークの結合性は変わり(この変化が言語世界を表象する)、経験が異なればネットワークの独自性も生まれるが、経験なしにはネットワークは存在しない。すなわち、ニューラルネットという基質は同じで、経験により異なる知性や理性が生まれることを実験的に示している。そして、今日の自分は新しい経験を経た明日の自分と異なっているという点でも、ヒュームの自己概念と同じだ。

言い換えると、ヒュームの経験論を徹底的に単純化するとChatGPTになる。ヒュームにとって経験を受け入れるニューラルネットワークに相当するものがなんだったか明確ではないが、我々が今考える脳と同じような基質を想定していたのではないだろうか。もちろん人間の脳とChatGPTとの大きな相違は、ChatGPTの場合、全ての経験が言語だけを通して学習される点だ。人間に例えれば、視覚、聴覚、触覚など全ての感覚がないが、直接脳内に文字列をインプットする仕組みを持っていることになる。しかし、言語世界がインプットできれば、それぞれの単語や文章の意味を教えなくとも、言葉の並びの法則から、言葉や文章を意味のレベルで整理し、保持することができる。ChatGPTがそれを意味として認識する必要は全くないが、そこから生まれる文章は(間違っているかどうかは別として)我々が意味を持つと判断できるように設計されている。

この事実は、言語世界に、視覚や聴覚も含め人間の感覚が表象として組み込まれており、見なくとも聞かなくとも、ChatGPTが人間の感覚や知性を経験させることが出来ることを意味する。このように、ChatGPTという実験が、まさに言語とは何かについても、新しい切り口を与えてくれるとがわかる。

加えて、ChatGPTが学習した文章から、自動的に単語同士の統計学的関係性を計算し言語世界を表象していることにも、ヒュームが重視した因果性概念との一致を感じる。すなわち、ChatGPT内での言語要素の関係性と確率は、そのまま言語世界に表象された様々な現象の関係を因果性も含めて表している。見た目は大きく違っているように思えるが、ヒュームが主観的経験の共有化のために必須と考えた、事象間の因果性にかかわる蓋然的因果関係の概念が、全く新しい形でChatGTPのトークン間の関係によみがえっているように感じる。このように、ChatGPTこそ、「経験論でどこまで人間の知性を説明できるか?」というこれまでの哲学的課題に対する初めての実験的チャレンジではないかと思う。

ChatGPTに具現した経験論がどこまで人間の理性を説明できるのか?カントのヒューム批判。

このようにChatGPTを究極の経験論として位置づけると、次の問題は当然「人間の理性は経験だけで説明できるのか?」というカントのヒューム批判をChatGPTに当てはめることになる(哲学としては次回カントについてまとめるまで待ってもらうとして、ここでは極めて単純化して話を進める。)カントにとっては経験だけで人間の理性が形成できるとは考えられなかった。例えば、万人共通に持つ空間や時間の概念、人間が生きるための目的や道徳のような実践原理、さらには美や生命など、経験だけで獲得されるとは到底考えられなかった(絶対理性としての時空概念は人工知能と絡めてあまり議論されない様に思うが、AIに道徳があるのか、美の概念があるのか、などについては常に議論が続いているのを思い出そう)。

そこでカントが最初に持ち出したのが、経験を超えた絶対的理性の数々で、その例として、すなわち先見的な理性として示したのが、空間と時間、そして数学的概念だった。ただ、空間や時間認識が、絶対的理性の形式なのか、ヒュームが考えたように実際には経験から判断できるのか、哲学的議論だけで結論を出すのは難しい。結局、カントが主張するように、経験とは別に絶対理性が存在するという考えが正しいのか、正しくないのかは本当はわからないままだ。

例えばChatGPTに我々と同じ空間認識に従った絵が描けるという事実は、カントが絶対的理性様式として考えた空間概念を、経験論の塊であるChatGPTも表現できることを示しているように見える。しかしこれはChatGPTに我々の言語世界が包含され、その言語世界に我々の感覚が表象されているとしたら当然のことだ。

では、カントの経験論批判は的外れなのか?ここで思い出してほしいのは、Wolfram さんがChatGPTの最大の問題として指摘している、計算ができないという特徴だ。すなわち、事象の抽象的処理ができない。1+1ですら、言語世界の中に存在している文章の中に答えを求める必要がある。1+1であれば、2という答えが様々な文章に書かれており、例えば3と答えた文章も混じっていたとしても、確率論的に2という答えに到達できる。しかし、3の73乗のような計算になると、いかに数千億の単語を学習していたとしても、見つかるはずはない。

数学と同じで、空間や時間も基本的には抽象的形式といえる。とすると、カントは見事に究極の経験論ChatGPTの抱える問題を見通していたことになる。すなわち、経験した事象の蓋然的関係性だけでは、抽象的な理性は生まれようがない。重要なのは、確率的言語モデルだけで経験した人工知能では、抽象的処理が難しいことを実験的に示せるという点で、ここに新しい哲学の可能性が示されている。

では、抽象的な処理はAIには不可能なのか?もちろん可能で、これにチャレンジしているのがWolfram さんだ。彼はcomputer reducibleな世界、すなわち計算式で全ての世界を表現するためのWolfram言語システムを開発している。私は詳細について理解しているわけではないが、彼の本の最後に、ChatGPTの目指すところと、Wolfram/alphaが目指すところが対比されているので紹介したい。

まず驚くのは、統計的言語モデル全盛の時代に、自然言語に計算処理を適用するため、文法、すなわちシンタックスベースの処理システムを導入している点だ。このように、この人工知能は全ての合理世界を計算可能性で判断し、計算可能な世界を構築していく。まさにチューリングマシンの思想を究極まで追求しているように思える。

ここで行われる処理の具体的内容は理解できていないが、Wolfram/alphaがcomputer reducibilityにあえて固執することの重要性はわかる。例えばChatGPTが空間や時間を含んだ絵を描いたとしても、人工知能が空間を認識しているかどうかはわからない。これは統計学的蓋然性だけに答えを求めるAIの宿命だ(実際学習した内容により答えは変わる)。極論すれば、論理が全くない内容に対しても問題なく答えが出る。しかし、computer reducibility を判断基準にすることで、reducibleかirreducibleかの判断が下される。すなわち、understanding(哲学的には悟性や知性と呼ばれる)が備わっていることになる。

同じように、構造化されたデータをレファレンスに用いて、リアルデータのcomputer reducibility をチェックする点も、Understandingを生み出す。考えてみれば、私たちはunderstanding できないことは(深層には維持されるかもしれないが、)結局脳ネットワークから排除している。

Wolframさんが彼のWolfram/alphaを説明した図

最後に、このシステムでは単語を統計学的に数値化されたトークンとして扱うのではなく、シンボル(もともと言語はシンボルなのだが)として扱う点も、もともとわたしたちが持っていた言語概念に近く、期待できる気がする。

以上、ChatGPTやWolfram/alphaについて少しかじってみると、ヒュームの経験論や、カントの絶対理性の概念を、人工知能として実験的に確かめることが可能な時代がきたのではないかと思える。

人間の脳とChatGPTの比較

ここまでChatGPTも、Wolfram/alphaも人工知能の話で、哲学を生み出した人間の脳の話と決めるわけにはいかない。そこで人間の脳とAIがどこまで同じかについて少し考えてみよう。思い起こして欲しいが、私も昨年3月GPTについて面白い論文を紹介している(https://aasj.jp/news/watch/19237)。論文ではChatGPTより一世代前のGPT2を使っているが、GPT-2による言語処理と、同じ文章を聞いた時の我々の脳(主に言語野)の反応を比べ、なんと私たちの脳もGPT-2と同じように文章を処理していることを示した論文だ。すなわち、我々の脳も逐次的にそれまで聞いた文章の次を予測し、その結果をネットワークにフィードバックする作業を繰り返していることを、脳内に設置したクラスター電極を用いてあきらかにしている。

さらに人間の脳研究を見てみると、AIは脳の活動を行動へとデコードするためには欠かせない方法になっている。例えば、以前紹介したように(https://aasj.jp/news/watch/15671)、脳内に100程度のクラスター電極を留置し、文字を書いている時の脳活動をAIに学習させると、今度は脳内に学習したパターンが現れたときに、文字と対応できるようになり、なんと頭の中で考えた文章を、1分間に100を超えるアルファベットを99%の正確さでタイプできる。

これは考えたことを書いてくれるAIだが、2019年には考えたことを言葉にして発声するAIもNatureに報告されている。

以上のように、AIを使えば理屈はともかくとして、我々の脳をデコードすることが出来る。

極めつけは、文章を聞いている脳反応を、MRIという恐ろしく時間解像度の低い方法で検出し、その結果をトークン化し、それに続く文章をGPTで生成し、その文章の意味と、実際聞いた文章との違いを検出してフィードバックすると、16時間程度の学習でデコーダーが脳の活動から、その人の頭に浮かんだ文章を抽出してくれるという、すなわち頭の中の考えすらAIでデコードできるという論文だろう(https://aasj.jp/date/2023/05/08)。

このように、脳活動をデコードする目的にAIは欠かせない。ただ、AIやGPTで脳の活動をデコードできたからと言って、脳がインプットやアウトプットをAIと同じ確率論的関係性を元にエンコード/デコードしているのかはわからない。というのも、脳活動をデコードするとき記録している活動は脳全体の活動の一部で、その断片からだけデコードする場合は確率論的AIに頼らざるを得ないからだ。

しかしオキーフさんや、モザー夫妻の研究から明らかになったように、感覚からインプットされた場所やグリッドは、海馬の神経ネットワークの空間的配置として表象される。また時間にしても、概日周期だけでなく、様々なリズムが脳回路で刻まれている証拠はある。例えば言語や音楽を聴いているときのN400反応といった正確な時間反応は、時間がネットワークの中に表象されている可能性を示す(https://aasj.jp/news/watch/8178)。おそらく、代数などの抽象的計算や幾何学的課題を行う時の脳活動も同じで、記憶している膨大な結果の中に答えを探すというやり方を否定する必要はないが、統計学的処理とは異なるアルゴリズムが用いられている可能性が十分存在するように思う(この点については調べていない個人的印象)。

このように統計学的処理によるAI全盛の時こそ、AIを用いたデコードにより説明できるかどうかだけで納得しない脳科学が必要だと思う。また、この可能性を追求するために、抽象的処理にこだわったWolfram/alphaのような人工知能は、脳ネットワークの活動を考えるためのレファレンスとして面白いのではないだろうか。例えば文法をベースにした計算を元に言語処理が行われているとすると、良く似た処理を脳が採用していないかは面白い課題になる。

こう考えてくると、ChatGPTを学ぶ中で突拍子もなく浮かんだヒュームとカントの議論は、詰まるところ我々の脳の高次機能の問題であり、そこに行くまでにまず人工知能のアルゴリズムの問題として実験的に確かめられるかも知れない。

終わりに

Wolframさんの本を読んでいるとき、突然頭に浮かんだ、「ヒュームとカントの議論を、2種類の人工知能のアルゴリズムの違いの問題に移して考えられるのでは?」という私の突拍子もない妄想に、納得いただけただろうか。もしこれが可能なら、人工知能のアルゴリズムと、人間の脳ネットワークをさらに比較することで、「ヒュームとカントの議論」を脳科学の問題として捉えられるかも知れない。もちろん哲学者は反対すると思うが(例マルクスガブリエル「私は脳でない」https://aasj.jp/news/philosophy/12813)、「生命科学の目で見る哲学書」を書いてきた私の動機は、まさにこれだ。ただ、哲学議論をそのまま脳科学に移してしまうと、説明は可能なのだが、表面的で、脳科学が十分進んでいない以上、哲学議論を繰り返すのと変わりがないことになる。

しかし、今回見たように、より操作が可能な人工知能に哲学問題を移せるとしたら、より実験的に問題にアプローチできる。その意味で、人間の知性は全て経験のみにより形成されるとするヒュームの思想やその問題が、ChatGPTとして実験的に確かめられるとすると、これまで議論以外に方法がなかった哲学のあり方に、全く新しい光がさすと言えないだろうか。既に述べたように、ChatGPTはチューリングテスト的には人間の行動と変わるところはなく、その意味で膨大な経験の塊を代表している。

ところがWolframさんが指摘したように、そしてヒュームに対してカントが批判したように、経験のみから生まれる知性には抽象的処理が出来ないという問題が、人工知能のアルゴリズムの検討から明らかになる。もちろんカントが指摘した絶対的理性が、Wolfram/alphaの人工知能に移せるのかどうか私にはわからない。しかし、人工知能の新しい課題として、十分実験可能な課題といえる。

同じように、人間社会に人工知能を適応させるため、道徳などを人工知能にどう導入するかが議論されている。しかしこの議論は、素人の私から見ても、単純な学習の問題としてすませているように思う。考えてみると、道徳概念や科学的概念などは、人間と人間の間の対話を基礎に生まれる。ところが現在の人工知能は、一つのネットワークに学習させるという点に主眼が置かれ、人工知能間の対話という発想はあまりないため、おそらく自然に新しい道徳概念や科学概念が生まれるようには思えない。

幸い人間にフレンドリーな人工知能を目指すChatGPTもWolfram/alphaも、ともに自然言語をインプット、アウトプットに使うよう設計されている。とすると、今後使用されているアルゴリズムを超えて、人工知能間の対話が可能になるかも知れない。これが実現すると、おそらく道徳とは何か、あるいは人工知能で新しい科学的概念を生み出せるかと言った問題に実験的にアプローチできるかも知れないと妄想してしまう。

最近になってChatGPTについて知るまで、人工知能の可能性について、便利という以外に考えたことがなかったが、今始めて人間を理解するための新しい方法論が生まれたと実感している。人間を人間たらしめる、言語、道徳、科学などがどう生まれるのか、ひょっとしたら生きている内に理解できる日が来るのではと期待している。

5月20日 膵臓ガンはウリジンをエネルギー代謝に使う(5月17日 Nature オンライン掲載論文)

2023年5月20日
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膵臓ガンの間質は複雑で様々な細胞が存在する。その結果、血管も圧迫され酸素だけでなく様々な栄養分が低下する環境に存在している。にもかかわらず、膵臓ガンは周りを押しのけて増殖し転移する恐ろしさを持っており、ガンの中でも最も治療困難なガンになっている。

この栄養不足を補うため、膵臓ガンはオートファジーで自らの栄養調達を再構成し、また環境からの栄養分を効率よく利用できるしたたかなシステムを備えている。

今日紹介するミシガン大学とロンドン ガン研究所からの共同論文は、膵臓ガンがブドウ糖の代わりに核酸の一つウリジンを分解して糖を調達する能力を持っており、これが膵臓ガンのしたたかさの一因であることを明らかにした研究で、5月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Uridine-derived ribose fuels glucose-restricted pancreatic cancer(ウリジン由来リボースがブドウ糖欠乏の膵臓ガンの燃料となる)」だ。

このグループは膵臓ガンを代謝の面から研究しており、その一環としてブドウ糖やグルタミン含量を減らした培養条件で様々な膵臓ガンを培養、この条件で増殖するために起こる代謝変化を調べている。その結果、アデノシンや様々な糖を利用してこの悪条件を乗り越えることがわかったが、その中のウリジンもブドウ糖欠乏を補う活性があることに注目し、研究を進めている。

ウリジンがブドウ糖の代わりをすることを、様々な代謝実験で明らかにした後、その経路を探索し、ウリジンがUPP1酵素によりリボース1リン酸とウラシルに分解され、このリボース1リン酸からグリセラルデヒドを経てピルビン酸を合成、これをミトコンドリアのTCAサイクルに供給することを明らかにしている。

すなわち、膵臓ガンでのUPP1の発現上昇が膵臓ガンのブドウ糖抵抗性の原因の一つであることが明らかになったが、次にこの上昇を誘導するシグナルを検討し、膵臓ガン共通のガンドライバー、変異Ras及びその下流のMAPK分子経路がUPP1発現調節に関わることを明らかにしている。

次に、膵臓ガンにウリジンを供給するガン組織の細胞を探索し、なんとマクロファージが唯一のウリジンサプライヤーとして関わることを発見している。

最後に、UPP1がガンの悪性化に関わることを調べるため、UPP1発現の高い膵臓ガンと低い膵臓ガンに分けて、データベースを調べ直すと、低いグループの方が予後が良いことを確認している。

そして、マウス膵臓ガン細胞株からUPP1をノックアウトし、マウス膵臓に移植する実験を行い、UPP1がノックアウトされるとガン細胞の増殖が強く抑えられることを明らかにしている。

他にも詳細な代謝実験を行い、これらの結果が全てUPP1によるウリジンを糖として利用する経路に依存することを示しているが、詳細は省く。

以上、rasが関わるとすると、膵臓ガン特異的ではないと思うが、間質でのウリジン利用の可能性からおそらく膵臓ガンで特にこの経路が問題になるのだろう。いずれにせよ、ガンのしたたかさは、同時に弱みでもあるので、UPP1を抑えることは治療に利用できると期待する。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月19日 アフリカ民族の形成を現在のゲノムから推定する(5月17日 Nature オンライン掲載論文)

2023年5月19日
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人類の起源であるアフリカ大陸では、現存の民族が極めて多様で、その形成過程は多くの研究者を惹きつけてきた。ただ、気候条件のためか、化石が少なく、結果古代ゲノムの解析がほとんど出来ていない。自ずと、現存の民族をできるだけ詳しく調べてそこから系統モデルを作る作業が中心になる。

この作業は簡単でなく、検証するために作成するモデルに強く依存することになる。今年3月に紹介したペンシルバニア大学からの論文では、共通祖先が順番に枝分かれするモデルから始めると、南、東西各民族に分離後も、追跡しきれない複雑な交雑史を想定せざるを得ない結果が示されていた(https://aasj.jp/news/watch/21660)。

今日紹介するカリフォルニア大学デービス校、カナダ マクギル大学との共同論文は、従来の共通祖先枝分かれモデルをやめて、初期人類レベルで活発な交流を想定した新しいモデルがアフリカ民族の交流史をより正確に反映することを示した研究で、5月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A weakly structured stem for human origins in Africa(アフリカにおける人間起源に関する弱い構造化起源モデル)」だ。

この研究では、290人のアフリカ各地からの全ゲノムを解読している。3月に紹介した論文と比べると、ゲノムの数や読んだ密度では劣るが、代わりに様々なモデルを立てて、徹底的にその妥当性を検証する方法をとっている。特に重要なのは、ヨーロッパからも多くの交雑が行われ、民族ゲノムを複雑にしている1万年以降に影響されない、10万年以前の交雑についてのモデルを作成し、そこを起点に南アフリカ、東アフリカ、西アフリカの3民族分化を調べた点だ。

この結果最終的にたどり着いたのが、人類2起源と初期合流(merge)モデルで、この結果だけを解説すると次のようになる。

まず驚くのは、ネアンデルタールと人類が分かれる前、100万年ぐらい前にアフリカで人類は2つの系統にまず分かれている。この中のStem1から40万年前にネアンデルタール人と現生人類の一部が分かれる。この時、Stem1とStem2は一定の交雑を行う。

その後、Stem1がネアンデルタール人と分かれた後、人口減少を来し、このボトルネックから回復した後アフリカ3民族の祖先の形成が始まるが、20万年から10万年にかけて、独立に発展していたStem2 との合流が起こり、合流で生まれた2系統が、南アフリカ系統と、東西アフリカ系統へと分離する。

その後、1万年までほとんど各民族は交雑せず独立して進化するが、西アフリカ民族はもう一度Stem2と合流する。これによりStem2は西アフリカに統合され、Stem2としては絶滅する。

1万年以降は、気候変動などの要因により、それぞれの民族は交雑するが、1000年以降は圧倒的に東西アフリカ民族から南アフリカへの移動と征服による交雑で、その結果本来の南アフリカ民族は極端に減少している。

以上が結論で、ネアンデルタールと同じように、絶滅したか、現生人類に吸収されたStem2が存在していたこと、そして初期にこのStem2を取り込んだ新しい共通起源を形成したというのが新しい考えになる。これが本当かどうか、やはり化石の発見が待たれる。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月18日 毛細管は血管内皮を使い回して成長する(5月10日 Cell オンライン掲載論文)

2023年5月18日
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血管新生というとすぐに血管内皮の増殖を伴うと考えるのが一般的だ。ただ、発達期の場合、体中で細胞増殖が起こると、血管のインテグリティーを維持できるのかいつも心配になる。

今日紹介するイェール大学からの論文は、新生児からの発達期を中心に、ただただ皮膚の血管内皮の動態をモニターし、血管の成長がこれまで考えられてきた内皮増殖を中心に置いていないことを明らかにした研究で、5月10日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Mechanisms of skin vascular maturation and maintenance captured by longitudinal imaging of live mice(マウスを生きたまま長期間観察することで明らかになった皮膚血管の成熟と維持)」だ。

この研究では、タモキシフェンを注射すると血管内皮が蛍光分子を赤から緑にスイッチする遺伝子操作を行ったマウスを用いて、皮膚血管内皮網がどう発達するか調べ、発達期では皮膚血管が増えると言うより、逆に神経の剪定と同じで、密度が減って行くことを観察する。

発達するのに血管が減ると、酸素供給が追いつかなくなるのではと心配になるが、実際には新生児血管網の半分は血管内に血球が存在せず、機能していない。従って、血管機能としては剪定が起こっても同じレベルが維持できる。いずれにせよ、発達期では無駄な血管を減らす剪定が中心になる。

次にタモキシフェンの量を調節して、一部の血管内皮だけが緑に光り、他は全て赤に光るマウスを用意して、剪定時の個々の血管の動態を追いかけると、剪定により失われる血管の内皮は死ぬのではなく、血管内皮網の中に移動し、残った血管で使い回されることが明らかになった。この時、細胞死や細胞増殖はほとんど観察されないが、一個の血管内皮の長さが伸びることも確認している。

すなわち、剪定とはいえ、血管内皮数は変化せず、剪定された内皮は他の場所に移動し、さらにサイズが伸びることで、同じ数の内皮で広い範囲をカバーする新しい血管網が出来ることを示した。

このような血管内皮の移動は大人になると消失し、血管は安定化するが、血管が傷害されると、増殖より先に近くの内皮が移動して伸びるという新生時期の過程が観察できる。従って、血管の再構成はまず血管内皮の移動から始まる。これは血管が広い範囲にわたって傷害される場合も同じで、既存の血管内皮を使い回すことが、毛細血管網のインテグリティー維持の中心になっていることがわかった。

最後に、増殖のない血管内皮の移動や伸長のような細胞過程にも、Flk1とVEGF-Aの血管増殖因子が関わることを明らかにし、このシグナルの多様な機能を示している。

結果は以上で、血管の発達が必ずしも細胞増殖を必要としないこと、また血管内皮細胞は、血管網内で比較的自由に移動することで、構造を保ったままの剪定や再構成が維持されていることが明らかになった。ひたすら観察している研究だが、形態学の重要性が改めて認識される。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月17日 古典的しかし長期的疫学研究の重要性:トリクロルエチレンとパーキンソン病(5月15日 JAMA Network オンライン掲載論文)

2023年5月17日
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パーキンソン病にはパーキンなどミトコンドリア機能に関わる分子が重要な働きをしていることが、これらの分子に突然変異を持つ患者さんの研究からわかっている。とすると、ミトコンドリア活性に関わる様々な外的要因もパーキンソン病(PD)のリスク因子として当然考える必要がある。

今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、トリクロルエチレンにより1975年から1985年、飲み水が汚染された基地に住んでいた退役軍人と汚染のない基地にすんでいた退役軍人を比較した長期的視野の疫学調査で、トリクロルエチレンがPDのリスク因子であることを明らかにした研究で、5月10日 JAMA Network にオンライン掲載された。タイトルは「Risk of Parkinson Disease Among Service Members at Marine Corps Base Camp Lejeune(海兵隊基地キャンプLejeuneの軍人に見られたパーキンソン病リスク)」だ。

私の現役の頃は、長期的なコホート疫学研究というと、国鉄中央病院がメッカだったが、おそらくこれに匹敵するのがアメリカの軍人だろう。完全にフォローアップがなされていることから、例えば多発性硬化症とEBウイルスの関係などは、軍人のフォローアップ研究なしには明らかにならなかった。

さて、海兵隊基地で1975年から10年間、飲み水のトリクロルエチレン量が基準値の70倍まで高まったことが発覚し、その時代に基地で過ごしていた軍人のコホート研究が続いているが、その人達のパーキンソン病リスクを調べたのがこの研究だ。

トリクロルエチレンは金属洗浄剤として現在も使われていると思うが、発ガン性とともに、ミトコンドリアの呼吸チェーンを抑制することが知られており、実験的にもPDを誘導することが知られている。

懸念したとおり、トリクロルエチレンにより汚染された飲み水をとっていた軍人のPD発症率は、コントロールの1.7倍に達しており、ほぼ8万人を対象にしたこの研究で、トリクロルエチレンがPDのリスクファクターであることが確認された。

さらに驚くのは、PDの潜伏期の症状と考えられる、震え、嗅覚障害、勃起障害、不安症状なども、10−20%ほど高いことで、PDと診断されなくても、黒質細胞の異常が始まっていることも明らかになった。

結果は以上で、トリクロルエチレンはPDリスクとして特定できるが、しかしこれを明らかにするのになんと40年もかかることも今回はっきりした。このように長期にわたる研究の結果わかることも多い。結局国民全体の正確な記録をどこまで達成できるかが、重要なことだと思う。おそらくPDなどでは、他にもリスク要因が見つかる気がする。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月16日 腸の各部位の内容物を非侵襲的にサンプリングする(5月10日 Nature オンライン掲載論文)

2023年5月16日
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ゲノム解析技術が進んだ結果、腸内細菌叢研究はあっという間に医学の重要分野に躍り出たが、実験動物は別として、人間の細菌叢研究のほぼ100%は便をサンプリングして行われている。ただ、動物実験からは、大便ではなく、もっと上部消化管の細菌叢がホストに大きな影響を持っていることが示唆されており、大便に代わるサンプリング法の検討が待たれていた。

今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、腸の異なる部位で溶けるように設計されたカプセルを服用させ、計画された場所の消化管腔内の細胞や分子を吸収して、腸各部の細菌叢やメタボロームを可能にする技術の開発研究で、5月10日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Profiling the human intestinal environment under physiological conditions(人間の生理学的条件での腸内環境プロファイルを行う)」だ。

今回使われた4類のカプセルには時間とともにpHなどに反応して、十二指腸、空腸、回腸、そして上行大腸と、それぞれ別のところで剥がれるコーティングが施されており、またコーティングが溶けると、外界からカプセルへ1方向に400µlの液体が流入した後、弁の働きでそれ以上外界から物質が入らないよう設計されている。(オープンアクセスなので、https://www.nature.com/articles/s41586-023-05989-7/figures/1 をクリックして実際のカプセルの写真を見てください。)

実際、内容物のpHを測ると、予想通りの数値を示すことから、カプセルは期待通りの場所でサンプリングを行っていることが確認される。排出・回収までにどうしても時間がかかるが、それでもpHは保たれ、多くのバクテリアは生存していることも確認している。

このように、消化管の異なる部位の非侵襲的サンプリングが可能になったことがこの研究のハイライトで、あとは細菌叢やメタボロームを、便のそれと比べている。

まず、大便と比較すると、各部位の細菌叢は多様性が少なく、また個人差や検出日での変化が大きい。また、存在するバクテリア種もそれぞれの場所ではっきり違っている。逆に言うと、コンディションによる細菌叢の違いをよりはっきりわかる可能性がある。

面白いのは、抗生物質服用の影響を、腸内から直接得られたサンプルでは強く受けている。

他にも様々な実験を行っているが、胆汁の代謝を調べると、カプセルごとに変化が認められ、それぞれの場所の腸内細菌叢により胆汁が代謝され、異なる構造へと変化する時間経過がきれいに示される。また、近い過去に服用した抗生物質の細菌叢や代謝への影響が、腸内サンプリングの方ではっきり見られることから、大便だけで細菌叢研究を行うことの問題が明確に示された。

この研究は腸内のサンプリングが可能であること、腸内でサンプリングした細菌叢や代謝物は、大便内のそれと比べると、多様性が大きいことを示し、腸内でサンプリングを行うことの重要性を示した。今後、様々な病理的条件での腸内各部位の変化についての研究が待たれるが、ひょっとしたらこれまでとは全く異なる結果が生まれるのではと期待している。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月15日 線維芽細胞を土台として使ったガン免疫活性化キメラ抗体治験(5月10日号 Science Translational Medicine オンライン掲載論文)

2023年5月15日
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PD1やCTLA4等に対する抗体を用いた現行の免疫チェックポイント治療が効かないガンや患者さんにも使える免疫活性化戦略として、現在T細胞活性化に関わる様々な共シグナル分子を刺激する抗体や分子の開発が進められている。CD27やOx40はその代表的な分子で、臨床治験結果を待つ段階で、そのうちいくつかは認可される確率が高いと思っている。

この中で少し変わったのがCD137分子で、TNF受容体ファミリー分子で、T細胞だけでなく、B、NK、樹状細胞を刺激できることが知られている。また、他のTNF受容体と同じで、受容体が抗体で3量体を形成すると刺激が入る。他の共シグナルと比べても刺激が強いので、分子活性化抗体の開発が進められたが、抗体のFc部分を介する肝臓毒性が発揮され、毒性を除去した抗体が開発され、2ラウンド目の治験が始まっている。

いくつかの大手製薬企業がCD137に対する薬剤開発を進めているが、今日紹介するスペイン ナバラ大学からの論文は、ロッシュ社の開発した片方が線維芽細胞が発現しているFAPと、もう片方がCD137と結合しFc部分を持たないというかなり凝ったキメラ抗体を用いた治験で、5月10日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「A first-in-human study of the fibroblast activation protein–targeted, 4-1BB agonist RO7122290 in patients with advanced solid tumors(FAPと4-1BB(CD137のこと)に結合するアゴニストキメラ抗体の進行固形ガンへの効果)」だ。

CD137を活性化するためには、膜上で3量体を形成させる必要がある。一方、通常の抗体を用いる場合、活性化出来る濃度の幅が限られる。そこで、片方を線維芽細胞上のFAPに結合させることで、活性化出来る濃度の幅を拡げることが出来る。

一方、懸念材料としてはFAPを発現した細胞が活性化されたT細胞に傷害される心配がある。ただこれまでの前臨床で問題はないと判断し、今回の治験に進んでいる。

研究は末期の患者さんに半分は単独、もう半分はPD-L1に対する抗体との併用で、安全性、血中サイトカイン、腫瘍内T細胞数、などとともに、効果を調べる第1相治験になる。

まず、共シグナルを活性化しているので、ほとんどの患者さんで、この薬剤が原因となるサイトカインストームをはじめとする様々な副作用が出現する。多くは一過性でコントロールできるが、重症の肺炎、肝障害、そしてサイトカインストームがあわせて12%に見られるが、予想の範囲としている。

効果だが、単独投与の場合、効果を示す患者さんは2割にとどまるが、PD-L1抗体によるチェックポイント治療との併用では4割以上の患者さんが反応し、50人の内2人は完全にガンが消失している。

効果を問わず、キメラ抗体投与で末梢血のCD8、CD4T細胞はともに活性化されている。また、バイオプシーで調べたガン組織で、キメラ抗体等予後組織内のCD8T細胞の増加を認めている。

活性化される遺伝子などデータの詳細は省いたが、チェックポイント治療との併用という範囲で、副作用は強いが、期待が持てる結果という結論になる。現在進んでいる共シグナル標的抗体治療の中で、かなり凝った抗体治療だが、今のところ順調と言っていいように感じる。

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5月14日 膵臓ガン発ガン過程でのgeneticとepigenetic要因の相互作用(5月12日 Science 掲載論文)

2023年5月14日
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膵臓ガンの多くはrasガン遺伝子の変異とp53ガン抑制遺伝子の機能不全を持つ遺伝的には比較的均一なガンだが、多様性が高いだけでなく、同じようなガン遺伝子セットを持つガンと比べて予後が極めて悪い。この原因は膵臓ガン特有のエピジェネティックな要因にあるとしてこれまでも研究が進んでいる。

今日紹介する米国スローンケッタリング ガン研究所からの論文は、ras変異というgeneticな要因と相互作用するepigeneticな要因を明らかにするため、膵炎後の損傷治癒過程の細胞、マウス膵臓上皮細胞に変異rasを導入した後、発ガンまで様々な段階の細胞など膵臓に発生すると考えられる病理的細胞全てのエピジェネティックスを調べた大変な研究で、5月12日号 Science に掲載された。タイトルは「Epigenetic plasticity cooperates with cell-cell interactions to direct pancreatic tumorigenesis(エピジェネティックな可塑性が細胞相互作用を誘導し膵臓ガン発生を助ける)」だ。

すでに述べたように、膵臓上皮の増殖を誘導するような様々な変化を誘導し、single cell RNA sequencingで解析して、膵臓に現れる可能性のある細胞をまず網羅的にマッピングし、発生したガンは同じガンがないと言えるほど多様であること、損傷や、変異ras による前ガン状態で、すでにガン特有の性質を示し始めることを明らかにしている。

そこで、変異ras自体による変化を捉えるために、変異ras発現後48時間で起こるエピジェネてな変化を、今度はsingle cellレベルのクロマチン構造を調べるATAC-seqを行い調べた。その結果、変異ras発現のみで、損傷治癒増殖時よりさらに強いエピジェネティック変化を上皮細胞が起こし、ガンの方向に近づいていることを明らかにした。

この初期のクロマチン構造変化の病理学的意味を調べると、変異rasにより、一種の幹細胞のような過疎的なクロマチン構造が生まれ、その後様々な方向へ分化する可能性が発生している事がわかる。すなわちrasは分化状態を緩め、膵臓上皮では抑制されている様々な遺伝子も利用可能な状態になり、例えば胃上皮様のメタプラジアも起こっている。

この結果、炎症時と同じで、普通なら反応しない細胞間相互作用に反応する可能性が生まれ、ケモカインを分泌して炎症免疫細胞を誘導したり、逆に免疫細胞に反応して新しい性質が誘導される可能性が生まれる。このような分化の可塑性が生まれた結果可能になる新しい相互作用にかかわる、リガンド、受容体セットをインフォーマティックスを駆使して探索し、前ガン細胞と上皮幹細胞、あるいは前ガン細胞とTreg細胞などとの相互作用に関わる分子が、可塑性を獲得した結果発現し始めることを明らかにする。

そのうち、前ガン細胞で新たに発現してくるIL33に注目し、発現したIL33が上皮でノックダウンされるトランスジェニックマウスを作成すると、変異rasを発現しても発ガンが強く抑制されることを明らかに示し、可塑性誘導の結果新しく発現したサイトカインや受容体が、様々な組み合わせで発ガン過程を修飾して、多様なガンを作り出していることを明らかにしている。

結論としては、ガンはまず発ガン遺伝子がオンになって、それが細胞の増殖だけでなく、場合によっては大きなエピジェネティックな変化を誘導していることになる。また、膵臓ガンの多様性は、この時細胞が可塑性、すなわち多様な分化能を獲得した結果であることになるが、十分納得できる説明だと思う。

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