熊本大学に在職していた頃、免疫医学研究施設と遺伝医学研究施設を改組して遺伝発生医学研究施設設立に関わったことがある。当時は各大学の研究施設でこのような改組が文科省の指導で当たり前のように行われていた。当時のはやりは大阪大学にできた細胞工学センターのような新しい風の感じられる名前を考えることだった。しかし、熊本大学では敢えて遺伝発生医学という古い名前にこだわった。折衝の過程で、遺伝学も発生学も医学には必須なのに、系統的な教育や研究ができておらず、両方を強調した研究施設は新しいと説得したのを覚えている。
遺伝学は生物の違いを扱うが、逆に発生学は生物の形成で同じことが再現できることを対象としている。ただ、発生学は遺伝学と統合されることで大きく進歩した。これが、ショウジョウバエや線虫を中心にして進んできた形質の違いを誘導してその遺伝子を探る Forward Genetics で、責任遺伝子が特定できるようになったこと、そして遺伝子改変が可能になり、ともかく遺伝子を変異させて形質を調べる Reverse Genetics の構想が生まれたことだ。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、新生児期の健康に関わり、一般にもよく知られているビフィズス菌のリバースジェネティックス確率を目指した研究で、3月10日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Genome-scale resources in the infant gut symbiont Bifidobacterium breve reveal genetic determinants of colonization and host-microbe interactions(新生児の共生生物ビフィズス菌のゲノムスケールで変異を誘導したリソースは細菌の定着やホストや他の細菌との相互作用の遺伝的要因を明らかにする)」だ。
この研究のハイライトは、最も研究が進むビフィズス菌の一つ Bifidobacterium breve に遺伝的バーコードが着いたトランスポゾンを導入し、ほぼ8割近い領域、1500近い遺伝子の変異を誘導した変異ライブラリーを作成したことだ。それぞれの変異をもった菌株は変異ごとに単離されており、変異が起こった遺伝子の機能を調べることができる。さらに、バーコードがつけてあるので、全体を特定の条件で培養して適応に必要な遺伝子を特定することもできる。要するに、将来ビフィズス菌をより利用価値の高い菌に変化させるためのリソースを作ったという話だ。
もちろん1500近い遺伝子それぞれについて調べるのは時間がかかる。従って、この研究ではこのリソースが様々な目的に利用できることを示すための実験例を示している。面白いと思ったものをいくつか紹介しよう。
同じ機能を保つ酵素が2種類存在しているが、一つの酵素は他の細菌と共同して生存するときに使われ、もう一つの酵素は独立して生存するときに使われることがわかる。すなわち、機能が同じでも実際には環境適合性に大きな差があることがわかる。
ビフィズス菌は母乳に含まれるオリゴ糖を使って定着することが知られているが、大人で他の細菌と競合するとき、ビフィズス菌は一般的な炭水化物を利用できることができないため、ラフィノースなどが必要になる。この酵素学的背景が、このリソースから明らかになっている。
このようなリソースは試験管内での増殖でテストするのは容易で、この研究では150種類の条件で増殖に異常が起こる系統を分離できている。その過程で、ビフィズス菌の由来になった細菌が栄養条件で様々な形をとることの生化学的背景を明らかにしている。また、腸内に定着したとき、ビフィズス菌が名前のようなY型に変化する理由についても明らかにしている。
最後に、ビフィズス菌のもつ免疫機能を変化させる能力にはフェニル乳酸やインドール乳酸のような芳香族基が添加された乳酸が大きく関わることが示されているが、この生成経路の酵素を特定している。
以上が結果だが、要するにリソースができて研究はこれからだという話になる。これまでこのようなリバースジェネティックスが行われなかったのは、細菌の場合変異を丹念に分離した方が早いという考えがあった。そのため、○○菌といった名前をつけたたくさんの菌株を分離するのがメーカーの勝負になってきた。ただ、メカニズムについてはよくわかっていないことが多い。その意味でこのリソースは使い勝手があるのではないだろうか。おそらく大手のメーカーの投資が得られるのは間違いないと思う。