乳幼児期の脳は外界からの刺激を受けて急速に発達し学習を重ねているはずなのに、我々は乳幼児期の記憶をほとんど持っていない。これまで不思議に思ったことはなかったが、もし乳幼児期にも海馬の本来の機能があるとすると、確かに不思議だ。
今日紹介するコロンビア大学からの論文は、4ヶ月から24ヶ月までの乳幼児を対象に、エピソード記憶の成立時と呼び起こしについて fMRI を用いて調べ、乳幼児の海馬が記憶をコードすることはできても、記憶が呼び起こせないようになっていることを示した研究だ。タイトルは「Hippocampal encoding of memories in human infants(人間の乳幼児での海馬での記憶のエンコード)」だ。
動物を用いた研究では乳幼児期でも脳では記憶痕跡(記憶のエングラム)を形成することが可能で、記憶がないように行動しても、形成されたエングラムを光遺伝学的に刺激してやると、記憶に基づく行動をとることが示されている。従って、この研究の第一の目的は、記憶課題を課した時に、幼児でも海馬の活性化が起こっていることを示すことで、次の目的がこうして形成された記憶のエングラムを海馬の興奮として呼び起こせるかを調べることになる。
この研究で最も驚いたのは、4ヶ月の乳児の fMRI 検査が行われていることだ。しかも両眼視が可能になってすぐの子供にいくつかの新しいイメージを見せて、それが思い起こせるか2枚の写真を見せて、どちらを見ているかで判断する subsequent memory テストが行われていることだ。方法のセクションを注意深く読んではみたが、この点についての特別な言及はない。もし乳幼児の MRI が可能だとすると、これは人間の脳発達研究に大きく寄与することは間違いないだろう。
さて結果だが、予想通り subsequent memory テストで、1分ほど前に見たイメージに注目するのは12ヶ月を過ぎてからで、要するに乳児では記憶が成立していない。しかし、fMRI でみると新しいイメージに出会ったとき、年齢を問わず海馬の後方が特に強い反応を示していることから、記憶のエンコーディングが行われていることが推察される。
重要なのは記憶を思い起こしているとき、2歳児では海馬の活動が高まるのに、12ヶ月以前の子供では活動が低いままで終わる。すなわち、記憶形成プロセスは動いているのに、それを思い起こすのが抑制されているのか、何らかの理由で海馬に表象することができないことがわかった。
この課題には海馬だけでなく、脳の様々な領域が関わるが、この活動も12ヶ月を過ぎないと検出できない。
以上が結果で、なぜ呼びおこしだけができないのかの脳回路メカニズムについてはわからないままだが、読んでいてフロイトを思い出した。
フロイトは幼児の性体験が呼び起こせないよう無意識下に沈められるが、折に触れて成長後の私たちの行動を陰で支配すると考えた。1歳半までは口唇期の母親への指向性の抑制だが、このようなベクトルが性的体験だけでなく、一般的体験にも存在するとしたら、説明できるかもしれない。