インスリン抵抗性は2型糖尿病へとつながる最も重要な前段階で、同じ量のインスリンに対する身体の反応が低下するため、たとえばインスリンによって血中ブドウ糖が下がりにくくなったり、脂肪酸の放出が増えて肝臓に蓄積したりする状態を指す。インスリン抵抗性が生じると高血糖状態が続き、膵臓のインスリン分泌がさらに亢進するという悪循環が生じ、これが膵臓を疲弊させ、インスリン分泌能が低下した本格的な2型糖尿病へと発展する。
最近、GLP-1受容体作動薬やSGLT2阻害薬といった新しい糖尿病治療薬が登場し、糖尿病治療は大きく変化した。その結果、インスリン抵抗性そのものを治療する薬剤の開発が、次の大きな目標となりつつある。
今日紹介するコペンハーゲン大学からの論文は、インスリン抵抗性の鍵となる骨格筋での変化を、バイオプシーによって得られた筋組織のプロテオーム解析を通じて明らかにした研究で、5月27日付で Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Personalized Molecular Signatures of Insulin Resistance and Type 2 Diabetes(インスリン抵抗性と2型糖尿病の個人別分子レベルの特徴)」だ。
インスリン濃度が上昇すると血糖が低下するが、この反応の大部分は骨格筋におけるGLUT4の細胞膜への動員とそれに伴うグルコース取り込みによるものである。そのため、急性のグルコース応答において骨格筋の役割は非常に大きい。この研究では、2型糖尿病患者34名、健常者12名をリクルートし、インスリン抵抗性を精密に反映する M-value を算出したうえで、空腹時およびインスリンを一定濃度に保った状態(インスリンクランプ法)で骨格筋組織をバイオプシーし、質量分析を用いてリン酸化タンパク質を網羅的に解析した。これにより、インスリン抵抗性の進展に伴い骨格筋で生じる変化を追跡している。
インスリンシグナルはインスリン受容体から始まるリン酸化カスケードによって伝達されるため、プロテオーム解析の重要性は言うまでもない。さらに、試験管内実験ではなく、実際の体内の筋組織での反応を解析したことで、これまで見落とされていた新たな治療標的が見えてくる可能性がある。
結果は膨大であるが、特に興味深い点を以下に箇条書きする。
- ミトコンドリア機能と糖尿病の関係は以前から議論されてきたが、本研究ではミトコンドリア機能の上昇と糖分解の低下がインスリン抵抗性と強く関連しており、インスリン分泌の低下という糖尿病診断とは切り離して考えるべきことが示された。
- 意外なことに、インスリン抵抗性が発生すると、インスリンに対する反応性だけでなく、空腹時の骨格筋においても様々なタンパク質のリン酸化状態が変化していた。なかでも、JNK/p38経路のリン酸化は、インスリン抵抗性に伴う自然炎症と強く相関していた。
- 今回の最大のハイライトは、この自然炎症にも関与する変化の上流に、筋肉特異的に発現するAMPKγ3が位置していることを特定した点である。さらに、この分子が活性化される際にリン酸化されるセリン65番目の部位はヒトにのみ存在し、チンパンジーなどの近縁種には存在しない。この点はヒト特有の糖代謝進化とも関係しており興味深い。加えて、筋肉特異的なリン酸化反応ということで、インスリン抵抗性を標的とする創薬において理想的な分子と考えられる。
- 当然ながら、糖尿病診断と直接相関するリン酸化タンパク質の変化も発見されている。ただし、インスリンシグナル伝達の中核とされるAKT分子のリン酸化レベルは、インスリン抵抗性が発生した後でも保持されていたという意外な結果が得られた。これは、体内ではさまざまな代償経路が働きシグナルが維持されていることを示唆しており、この代償メカニズム自体が治療標的になり得る。
- 最後に、男女差についても検討されており、脂肪代謝に関わるタンパク質の変化は女性と男性で大きく異なることが明らかとなった。ただし、これはホルモンや生活習慣の差に起因するものであり、遺伝的な差異によるものではないと考えられる。
以上が主な結果だが、このほかにもこれまでの知見と一致する多くの変化が詳細に記述されている。さすが糖尿病創薬に特化したノボノルディスク社を擁するデンマークならではの、大規模かつ徹底した研究であり、この研究を成し遂げたこと自体に脱帽である。インスリン抵抗性改善に向けた多様な取り組みが進展していることを強く実感させる論文である。