新しい京大総長山極さんの入学式・式辞の評判がいい。私も京大のHPに掲載されている文章を読んだが、何よりも権力と経済のにおいがしないのがいい。とはいえ21世紀を作る人材を育てたいという初々しい気持ちが伝わってくる。1月にある会合で会う機会があったが、その時の印象を再確認した。この爽やかな姿勢はおそらく山極さんが科学の対象として野生のゴリラを見続けながら、その生の悲哀を感じる感性を持っているからではないだろうか。しかし私たちはその野生のゴリラを失うかもしれない。今日紹介する英国を中心とする国際チームの論文は、アフリカに生息するマウンテンゴリラのゲノム解析で4月10日号のScienceに掲載された。タイトルは「Mountain gorilla genomes reveal the impact of long-term population decline and inbreeding (マウンテンゴリラのゲノムからゴリラが近親交配により長期にわたって数を減らし続けていることがわかる)」だ。研究ではウガンダからガボンの各地域で生息しているゴリラ13頭の全ゲノムを調べ、各地域の集団の関係、それぞれの集団の進化過程と集団数の変遷、そして環境に応じた遺伝子選択などを調べている。まず最初に調べたゴリラの多様性は極めて少ない。なかでもコンゴに棲む東部ゴリラでその傾向が著しい。また、各地のゴリラの亜種では2万年以後ほとんど交雑がない。さらに近親交配が進んだため、個々のゴリラの遺伝子の3分の1はホモ(同型)で、実験動物のような状況に陥っている。この近親交配は最近になるほど著しいこともわかる。これは個体数が減少していることと一致する。全ゲノム配列を総合して計算すると、東部のゴリラは西部のゴリラと約15万年前に分離を始め、2万年ぐらいまで交流があったようだが、今は全くなくなった。その結果、さらに近親交配が進んできたことがわかる。それに輪をかけて、氷河期などの気候変動にさらされ個体数が急速に低下した結果、ゲノムから見るとゴリラは間違いなく絶滅への道をひた走っているという悲しい結果だ。強そうに見えても危機にさらされている。この結果だけを見ると、人類の影響は少ないように見えるが、現在個体数が800にまで減少し、生息域も限られていることから考えると、ゴリラの絶滅への道に人類が大きく寄与していることは間違いない。少し議論が飛躍するかもしれないが、私には教師も学生も多様性が失われつつある我が国の大学も近親交配が進んだ絶滅危惧種に思える。その意味で、ゴリラを見続けてきた山極さんのWIDOW構想への期待は大きい。
4月17日:マウンテンゴリラの危機(4月10日号Science掲載論文)
4月16日:染色体異数性のルーツ(Scienceオンライン版掲載論文)
試験管内で受精させてから着床させる試験管ベービーの技術がわが国で急速に普及を始めたのはちょうど20世紀から21世紀にかかる頃だが、2000年に体外受精で発生する胚の実に7割以上に染色体数の異常が存在するという論文がでて、問題になったことがある。当時、ヒトクローン技術規制法案が発布され、ヒトES細胞の作成を巡る議論が佳境に入っていた時で、私も調べた覚えがある。この染色体数異常が生殖補助医療の成功率が低い原因であることは間違いがなく、この問題を解決できれば生殖補助医療の成功率はさらに上昇するだろう。今日紹介するスタンフォード大学からの論文は試験管内で起こる胚発生時の染色体数異常発生率と相関する遺伝子座を探る研究でScienceオンライン版に掲載された。この研究では受精後3日後に遺伝子診断目的で採取される胚の細胞を用い、その染色体数異常と、インフォームドコンセントで得られた両親のゲノムを調べ、異常と相関する一塩基多型(SNP)を調べている。この研究に参加してくれた母親、父親はそれぞれ2360人で、今更ながらこの技術と同時に、着床前診断がアメリカで普及していることを実感する。詳細は全て省くが、この研究で受精後3日までの染色体数異常と相関するとして母親側の遺伝子に見つかった1つのSNPがrs2305957で、この遺伝子領域を調べると、PLK4遺伝子が存在することが分かった。この分子は、中心体に存在して有糸分裂を調節しており、この異常を説明するのにうってつけの遺伝子が特定されたことになる。このSNPにはAA,GA,GGの3タイプ存在するが、AAタイプの母親からの胚では、染色体数異常率が2倍程度高い。これらの結果から著者たちは、このSNPの結果PLK4分子の発現量の小さな変化が生じ、その結果染色の分配に乱れが生じ、胚の染色体数の異常につながると推察している。また、この染色体数に異常のない胚を選んで着床させることで、妊娠率は大幅に改善するだろうと予想している。CGH法などで染色体を調べるときコストがどのぐらいかかるかわからないが、生殖補助医療が目指す重要な方向の一つとなるだろう。不妊治療としての情報としてはこれが全てだが、最後に面白いデータを付け加えている。すなわちこの染色体異常と相関する遺伝子タイプの起源を調べ、なんとネアンデルタールやデニソーバ人にはなく、私たちの先祖が分離してから新たに獲得されて現在まで維持されていることを示している。ちょっと考えると、異常が起こりやすい遺伝子座が維持されていることは不思議に思える。しかし、この異常はあくまでも体外受精という自然ではあり得ない状況での異常だ。このことから、著者らはこの遺伝子座を持つことで、逆に染色体数異常が起こった胚を流産できるようになり、種としての進化優位性を獲得したのではないかと推論している。逆に言うと、ネアンデルタールはこの選択機構を持たなかったことで絶滅したのかもしれない。なかなか面白いシナリオだ。
4月15日:海を漂うガン細胞は故郷の夢をみるか?(4月9日号Cell誌掲載論文)
医学から離れて広く生物を見始めると、生命の営みの多様性に今更ながら驚く。今日紹介するコロンビア大学の論文は、アメリカ東部北部の海岸で猛威をふるっているオオノガイに発生する白血病についての研究で、4月9日のCell誌に掲載された。タイトルは「Horizontal transmission of clonal cancer cells causes leukemia in soft-shell clams (ガン細胞の水平伝搬によりオオノガイの白血病が引き起こされる)」だ。白血病はオオノガイだけでなく、ムール貝や牡蠣にも見られることは昔から知られていたようだ。さてオオノガイだが、これまでの研究で白血病の原因がSteamerと呼ばれるレトロトランスポゾンの仕業であることが突き止められていた。正常の細胞のゲノムにも2−10個のレトロトランスポゾンが存在するが、白血病になるとその数が150−300に増加する。この研究は現在アメリカ東部のニューヨークからカナダまで白血病が蔓延しているオオノガイを集め、その白血病の起源を調べている。最初はレトロトランスポゾンが飛び込んだ場所から白血病の原因を調べようとしたのだろう。ところが、様々な場所から得られた貝を調べるうちに驚くべきことに気づく。すなわち、白血病細胞は、それにかかった貝の細胞とは全く異なる起源の細胞で、しかも異なる広い場所から採取したのに白血病は同じ起源を共有していることに気づいた。この研究で行われたのは、様々な方法に基づく細胞の起源の特定で、北東部海岸に蔓延する白血病が同じ細胞を起源とすることを確認した。すなわち、広い範囲に蔓延する白血病は、一個のオオノガイの一個の細胞に発生したクローン細胞が個体から離れ、細胞自身が海を漂いながら他の貝に伝搬し、白血病を引き起こし、次々と「ハマグリ算?」で拡大していることが証明された。話はこれだけで、どのように伝搬するのかなどはこれからの研究になるだろう。脊椎動物になると、組織適合抗原が存在するため、白血病細胞が他の個体で増えることはないが、よく考えると組織抗原のプロトタイプはホヤからしかなく、軟体動物ではこのような伝搬が起こっても不思議ではない。実際ディスカッションで、このような伝搬形式を防ぐために組織抗原が進化したのではないかまで議論している。しかし、白血病細胞が次のホストを探して海を漂っているなど、結構ロマンチックに感じるのは私が長く血液について研究してきたからだろう。面白い話だった。
4月14日:膵臓癌の早期診断は可能か(JAMA Surgery掲載論文)
私の年になると、ほとんどの人は知人を膵臓癌で失っているはずだ。また、ガンの中でも膵臓癌は現在も増え続けている。しかし、このガンだけは医者も早期に発見することは諦めてきた。最近になって、遺伝性の高い膵臓癌のグループが見つかり、またゲノム検査からp16,BRCA1,2の遺伝子変異のように、遺伝性の危険因子もわかってきた。もしこのような危険性がある場合、なんとか定期検診で早期発見ができないか?この問題に取り組んだのが今日紹介するカロリンスカ大学からの論文だ。タイトルは「Short-term results of a magnetic resonance imaging-based Swedish screening program for individuals at risk for pancreatic cancer.(膵臓癌の危険性の高い人を対象としたMRI画像診断によるスウェーデン早期発見プログラムの中間報告)」だ。このプログラムでは胆汁や膵液を強調して撮影するMRCPという方法を使っている。CTなどと比べると被曝がなく、また胆管や膵管を詳しく見ることができるため、異常の発見率が高い。40人のリスクの高い人達を集め、2010年から年一回この検査でスクリーニングを続けた、その中間報告だ。40人全員が血縁のある親戚に2人以上の膵臓ガン患者さんがおり、さらに8人に遺伝的変異が特定されている。期待通りというか、なんと16人が3年の間にこの検査で異常と診断されており、そのうち12人は検診開始時に見つかっている。かなり高感度の検査だ。見つかったのはほとんどがいわゆる前癌状態だが、2人は膵臓癌として発見された。この前癌状態の患者さんの一人は、その後ガンを発生し、手術されている。2人の膵癌患者さんのうち一人は完全に早期発見だったが、もう一人は検査を一回パスしてしまったが、その後症状が現れ、すでにリンパ節に転移していると診断された。前癌状態の人のうち2人は手術まで進み、まだ膵癌には至っていないことが確認された、という結果だ。追跡はまだ続いているが、遺伝的リスクがあると、3年に10%近い人が膵癌を発症するのには驚く。この検査が本当に早期発見につながるかどうかだが、玉虫色と判断せざるを得ないだろう。ただ、リンパ節転移のない2例を発見できたこと、またもう一人も定期検診を一回パスしていた結果であることを考えると、1年に1回の検査ながら一定の成果があったと言える。一方、前癌状態で手術をした人が2人いる。ただ、遺伝性のある場合前癌状態からガンへ発展する確率が高いことを考えると、コストや負担から考えてもMRCPは使えそうだという印象を持った。膵臓癌の恐ろしさを考えると、親戚に膵臓癌の多い人には勧めていいのではないだろうか。一方、一般的な検査として考えると、ガンでなくとも手術されていいという覚悟の人なら勧められるように思った。
4月13日:毛の再生は炎症だ(4月9日号Cell掲載論文)
全くの初対面で話し始めて、アイデアや知識にあふれているのに、それをひらけかさない好印象を受ける人がいる。そんな一人が南カリフォルニア大学の台湾人科学者、鍾(Chenmin Chun)さんだ。キーストンだったか、ゴードンだったか幹細胞会議の帰りのバスの中で話しかけられ、空港までの2時間以上、ずっと話し込んでしまった。その後は彼の仕事を読むのを楽しみにしてきた。そんな鍾さんから毛根の再生について全く新しい視点を示す素晴らしい論文が4月9日号のCellに掲載された。タイトルは「Organ level quorum sensing directs regeneration in hair stem cell population (臓器レベルの定足数制限メカニズムにより毛根の幹細胞再生が制御される)」だ。研究のきっかけは鍾さんたちが2008年Natureに報告した、決まったエリアの毛をまばらに抜いた場合、毛の再生が見られないという、鍾さんならではの発見だ。このメカニズムを解こうとモデリングや材料の開発についての論文を発表していたが、この論文はその集大成と言っていいだろう。まばらに抜いたときは毛の再生がないということは、個々の毛根で毛の再生が決められるのではなく、障害の程度に応じて領域で再生を決めるメカニズムがあることを示す重要な発見だ。最初はこの現象に関わる分子の条件を探るためのモデリングの実験だが、数学嫌いの私から見ると鍾さんの知識の広さを示す一種のデモンストレーションで、おそらくモデリングする・しないに関わらず、彼はこの論文を書けただろうと思う。そして出てきたのが、毛根再生とは、毛が抜かれるという損傷に対する炎症メカニズムを取り込んで、障害の程度に応じた再生を行っているという新しいシナリオで、核となる分子過程についても決定に成功している。長い論文なのでシナリオについてだけ紹介しておこう。まず毛が抜かれると組織では損傷として認識され、その一環としてマクロファージを引き寄せる遊走因子CCL2が分泌される。CCL2の濃度が閾値に達しないとそれ以後の反応は起こらないため、毛をまばらに抜いたとき再生が起こらなかったのは、CCL2濃度が閾値に達しないからということになる。実際、CCL2ノックアウトマウスでは毛の再生の誘導が起こらない。さて次に起こるのは、CCL2に対する受容体を持ったマクロファージの集積で、これは全く炎症反応と同じだ。これを確認するため、顆粒球を除去した皮膚で再生を調べると、全く再生が起こらず、マクロファージの集積が必須であることが確認される。このマクロファージは炎症反応の主役TNFαを分泌しNFκbを介する炎症反応を誘導すると同時に、Wntシグナルを毛根で誘導することで毛根の再生が起こる。実際、この分子がないマウスでは再生が遅れ、TNFαをビーズにまぶして皮膚に注入するとその場所にだけ毛の再生が起こる。アイデア先行で分子メカニズムをなおざりにするモデリングの仕事が多い中で、あらゆる材料を駆使した素晴らしい研究だと思う。さらに、炎症を損傷による毛根再生の基礎に持ってきたのは新しい展開だ。鍾さんならではの、総合力をうかがわせる仕事だ。私も京大に在籍中、当時研究室に在籍していた大学院生の吉田さん(現横浜理研)や本田さん(現慶應大学医学部)たちと、リンパ組織や造血組織が、炎症をプロトタイプとして発生してくるという総説を書いたことがある(Current Opinion in Immunology, 12:342, 2000)。その時おそらく毛根も同じではないかと書いたので、その意味でもより感慨が深い。しかし考えるだけでは何の意味もない。鍾さんに脱帽。
4月12日:刑務所の財政から見たC型肝炎(Journal of Urban Health掲載論文)
現在京都で開かれている医学会総会の会長は井村裕夫先生だ。考えてみると、熊大から京大へ移って以後20年近く井村先生の手伝いをしてきたように思う。当時総長だった井村先生に頼まれた京大の再生医学研究所設立。この研究所をきっかけに再生医学が我が国に定着を始めた頃、今度は当時の科学技術会議委員であった井村先生から再生医学を拡大するようにと、ミレニアムプロジェクトを任された。そして最後の仕上げとして理研CDBを設立した。この間井村先生と一緒に何を目指したのかと考えると、基礎と臨床の橋渡しのためのトランスレーショナルメディシンの推進だった。高橋さんのiPSを用いた網膜治療実施などを見ると、どう推進すればいいかについての一定のノウハウは蓄積できたのではないだろうか。ただ、井村先生と一緒に旗を振っているうち、21世紀本当に問題になる死の谷は、続々と橋を渡って登場する新しい治療を限られた財源で利用するための社会構造ではないかと考えるようになった。そのため2013年、理研を辞めると同時に全ての公職を辞め、もう少し広い視野で医学・医療を勉強し、患者さんたちと話をしながら頭をリフレッシュしてみると、この問題の深刻さがさらに深く理解される。例えば今年の1月14日ギリアドサイエンス社から続々出されるC型肝炎薬についてこのホームページに掲載し、橋渡しが進んでいることを紹介した(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2732)。しかし、後で調べていくと新しい薬の薬価は恐ろしく高い。そのうちの一つは我が国での一錠の薬価が13万円を越した。このような新しい治療を本当に現在の医療システムの中で支えきれるのか。この問題をわかりやすく論じることは難しいが、一つのモデルとして刑務所でのC型肝炎治療を扱った面白いブラウン大学からの論文がニューヨークアカデミーの機関紙Journal of Urban Healthに掲載された。タイトルは「A budget impact analysis of newly available hepatitis C therapeutics and the financial burden on a state correctional system (新しいC型肝炎治療が州の更生施設の財政に及ぼすインパクトの分析)」だ。研究では米国最小の州、ロードアイランドの刑務所の受刑者3000人余りの医療記録や10%のサンプリング検査の結果より、活動型のC型肝炎患者を割り出し、病状や肝炎ビールスのタイプなどを調べている。最初に驚くのは刑務所での感染者が2割を超えていることだ。おそらく麻薬や刺青など様々な要因と相関しているのだろう。この調査の結果、服役期間が十分で、治療が必要なC型肝炎受刑者の数が327人と割り出される。最も新しい薬剤療法を施行すれば315人は完全に治癒するとも予想している。問題は、活動性患者を全て治療すると34億円が必要で、現在薬剤費として計上されている予算の12.5倍、全医療費の1.7倍の予算が必要になる。これを線維化が進んだ進行ステージに限っても、現在の薬剤費の5.5倍、全予算の約8割をC型肝炎だけで使ってしまうという結果だ。アメリカの保健制度から見ると、これは特殊な刑務所の話で、治療対象を選択し、治療手段を安価な方法に限ればいいという結論になる気がする。恐らく同じ議論は、個人で保険に入れないメディケイドの患者さんへ拡大されるだろう。一方、わが国の健康保険は国民皆保険で、維持のために税金が投入されている。いわば刑務所がそのまま拡大した構造だ。薬剤の開発、値付け、保健全てを含めて持続可能な健康保険をどのように構想するのか今考える必要があると思う。医療の場合、一度認めた命の可能性を、経済で断ち切ることはできない。もし混合保険しか解決のためのアイデアがないと、取り返しのつかないことになる。
4月11日:捏造の構造(JAMA Internal Medicine4月号掲載論文)
降圧剤バルサルタン治験について現在も細々と報道は行われているが、ほぼメディアの興味の対象ではなくなったようだ。しかし小保方問題の起こる前、わが国メディアが大きく取り上げ、ニュースに何度も登場したのは当時の京都府立医科大学教授だった松原さんが責任著者として指揮した治験でのデータ捏造だった。2013年8月、大学の調査委員会の報告についての新聞記事をこのホームページでも取り上げたが(http://aasj.jp/news/watch/99)、私はこの文章の最後を、「この様な捏造は、個人だけの問題ではなく、捏造を期待する学会社会が背景にある事を肝に銘じるべきだ。例えば、スティーブングールドのパンダの親指や、韓国の優れたジャーナリスト李成柱の「国家を騙した科学者」はこの事を鋭く指摘している本だ。我が国の成長戦略が、捏造の背景にならないよう、これらの本を読み直すときかもしれない。」と結んだ。すなわち捏造問題(実際にはあらゆる個人犯罪に共通するが)を構造問題として捉える視点の重要性を強調した。このことを冷静な分析を通して伝えなければという気持ちは、私も選考に関わった小保方さんの捏造を巡る科学者、政府、そしてメディアが演じた大騒ぎを目の当たりにしてより強まり、現在原稿を書きつつある。わが国で行われてきたように、捏造を個人の責任問題として分析してしまうと、分析者はあくまで「私が正義、あなたは間違っている。」と主張するアウトサイダーの立場で終わる。しかし、その結果から具体的対策が出ることはまずない。いつも倫理の徹底と、研究の透明性など抽象的な提言で終る。一方、構造問題として捉えるということは、その社会の構成員の全てに責任があると考える立場だ。もちろんメディアにも責任がある。こうして初めて、分析を実現可能な具体的提言につなげることができる。構造問題として分析できる視点の欠落した社会は「子供の国」だ。少し前置きが長くなったが、今日紹介するメイヨークリニックからの論文も論文捏造について実現可能な提言を引き出すための捏造分析で、JAMA Internal Medicineに掲載された。タイトルは「Research misconduct indentified by the US Food and Drug Administration (FDAにより特定された研究不正)」だ。(副題は長いので省いている)。FDAは15000人近い職員を擁する組織で、薬剤や医療機器などを認可するための調査を行っている。当然その審査は厳しく、治験過程で不正が行われているかどうかも、査察する権限を持って行われる。査察結果は、1)問題なし、2)自主的対応で良い、そして3)強制的措置が必要(OAI)の3段階に分かれ、OAI判定を受けた治験の中には、治験に参加した機関で不正や捏造が行われたことが明確に指摘される例も多い。これらは、報告書としてまとめられ開示されているが、文書自体に大きな編集が加えられているために具体的事例をたどりにくい場合が多い。この研究では、査察でOAIと判断された治験400余についてその後の経過をたどれるか詳しく調べ、査察を受けた治験から発表された論文が、FDAの指摘を論文でどう扱っているのか調べている。繰り返すがFDAから開示されている査察記録は編集されすぎているため、調べた421例のOAI査察を受けた治験のうち論文まで辿れたのが57例にとどまった。この57治験で行われた指摘の内訳だが、1)虚偽記載が22例、2)副作用記載もれが14例、3)プロトコル違反42例、4)不適正な資料保存35例、5)インフォームドコンセント等の患者の権利軽視30例、6)それ以外の分類不可能な不正20例と驚くべき実態だ。これらの治験結果を使った論文がThe New England Journal of MedicineやThe Lancetなどの臨床トップジャーナルも含めて78報も発表されている。3報だけはよそ事のようにOAI判定を受けたことについてなんらかの記載をしているが、残りは全く無視をして論文を書いている。論文では、眼に余る具体例のケースレポートが行われているが、読むと驚く。私が関わったわが国の再生医学プロジェクトで当時最も臨床に近いと期待されたのが下肢の血管障害の幹細胞治療で、多くの治験が世界中で行われた。その中に治療後2週間目に一人の患者が下肢切断を余儀なくされた治験ではOAI査察を受けたにもかかわらず、このことが全く記載されていない論文が発表されている。また抗凝固剤リバーロキサバン治験では、半数の治験参加機関で機関ぐるみの医療記録破棄や、改ざんが行われていたが、発表されたLancet論文ではこのことについての記載が全くない。さらには抗がん剤エフロルニチンの治験で一人の研究者が患者さんの検査データ捏造を行い、その結果患者を副作用で死亡させ、法廷で殺人として有罪判決を受けているにもかかわらず、J Urology, The New England Journal of Medicineに発表された論文では全くその点についての記載がない。もちろん指摘された問題に対応できたから認可されているわけで、論文にわざわざ記載するのは馬鹿げているという意見はあるだろう。しかし、論文とFDA認可は全く別物で、論文はやはり薬の効果を世に問い宣伝する意味で書かれる。これまで議論されたように科学論文が、行われたことを正確に伝えることだとすると、その研究過程で行われた捏造についてまったく無視できるはずはない。重要なことは、これが決して稀な事象ではなく、かなりの頻度で行われそのまま論文になっていることだ。昨年3月14日このホームページでトップジャーナルに掲載される治験論文は、書かれる過程でほとんど(97報中93報)が実際に登録されたデータとは異なる虚偽記載を行い、6%に至っては5年生存率まで変えていることを報告したJAMA論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/1273)。このように、論文を書くこと自体が製品の宣伝につながる場合の不正は今や構造問題になっている。長くなったので詳しく述べないが、この論文では最後にclinicaltrial governmentとFDAを連携させて、OAI記録へのアクセスを容易にし、雑誌のエディターへの情報提供を促進するなど、具体的提言をしており、わが国のように研究者の倫理教育徹底のような思考停止で終わっていない。もちろん私も小保方問題を含む日本の分析が終われば、具体的提言で終わるつもりだ。また、50人以上の方が集まるところであればどこでも出かけて議論を行っている。いつでも声をかけてほしい。
4月10日:貧困と脳発達(Nature Neuroscienceオンライン版掲載論文)
2012年5月ユニセフから「New league tables of child poverty in the world’s rich countries(裕福な先進国での児童貧困のデータ)」とタイトルのついたレポートが出された。その中に先進35カ国の子どもの貧困率の図が示されているが、考えさせられる。まずわが国はと探すと、貧困率は14.9%にも達している。8.5、8.8%のドイツやフランスと比べると圧倒的に高い。しかしわが国政府が範としている米国に目を転じれば35カ国中2位で貧困率23%と他を圧倒している。わが国の経済政策が同じ状態を目指しているなら、今ストップをかけるべきだろう。このアメリカの児童貧困問題を科学的に調べたのが今日紹介するコロンビア大学からの論文で、子どもの社会経済的状況と脳皮質の解剖学的発達との相関を調べた研究でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルはそのものズバリ「Family income, parental education and brain structure in children and adolescents(児童と青年の脳構造と所帯収入と親の教育)」だ。これまでもMRIで調べた脳構造と貧困との関係を調べた論文は発表されているが、この研究は1000人以上について調べた点、さらにPINGデータベースを用いて脳画像、家庭環境やGWASを用いたゲノムデータも同時に検討し相関を調べている点だ。即ち、脳発達に影響の多い遺伝や年齢などを全て計算に入れて、環境要因の影響を抜き出すことができる。家庭環境では所帯収入と親の教育歴に焦点を当てている。所帯収入は当然食べ物など子どもが受けることのできる物質的質を反映し、一方親の教育歴は子どもとの精神的接触の質を反映すると考えている。結果は予想通りというか悲しい結果だ。親の教育歴は直線的に脳の皮質の厚さに相関し、収入は指数的に脳の厚さと相関する。すなわち、親の教育が長ければ長いほど、子どもの脳は発達する。また、家族の収入が上がれば上がるほど脳は発達できる。社会経済的環境は解剖学的変化につながるという結論だ。変化の大きい脳の場所を調べると、親の教育レベルの影響は言語や実行力につながる部位の発達と相関することがわかる。一方、収入が最も相関したのは海馬の発達だった。もちろん米国の結果をそのままわが国に当てはめられるかどうかわからない。またこれは全て統計学的有意差についての話で、実際の値は大きくバラついている。しかし、IQのような抽象的な指標だけで対策を講じるのではなく、身体的構造レベルの指標が得られたことは重要だ。わが国でも子育て支援策を評価するためにも、このようなデータベースの拡充が望まれる。
4月9日:音によるがん細胞の分離(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)
基礎研究を初めた時から血液やリンパ球を扱ってきたので、目的の細胞を分離することは研究にとって最も重要な条件だった。研究を続けた30年以上、細胞表面に発現している分子を蛍光抗体で染色してセルソーターを用いて分離する手法と付き合ってきたし、材料も提供してきた。マウスのIL7Rやc-Kitに対する抗体は今も世界中で私たちが作成した抗体が使われていると思う。ただ、この手法はどうしてもコストがかかる。できればもっと単純な方法で目的の細胞を分離したいと考えるのが当然で、これまでも密度勾配、沈降法など多くの方法が開発され、私も利用したことがある。ただ、音波を使うという方法はこれまで一度も考えたことがなかった。今日紹介するペンシルバニア州立大学からの論文は、血液細胞中に流れるガン細胞を音波を使って他の白血球から分離する方法の開発についての報告で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Acoustic separation of circulating tumor cells(末梢血中のガン細胞を音波で分離する)」だ。原理は単純な力学で、末梢血を採取、赤血球を溶血させた残りの白血球を細い管を通す間に、音波で一方向への力を加え、細胞の大きさ、密度の差の違いで流路を変えることで、ガンと白血球を選り分けようとしている。研究では、ビーズやガン細胞を様々な濃度で混ぜた白血球を用いて、分離のための条件を詳しく検討し、1時間あれば90%程度の収率でガン細胞を分離する方法を確立している。最後に、開発した方法が実際の現場に利用可能かどうか調べる目的で、もともとガンが末梢血に流れやすい乳ガン患者さんの末梢血からガン細胞を分離できるか調べている。結果は上々で、2ccの血液から、一人は59個、一人は8個のガン細胞を分離している。一方、治療を初めて2ヶ月の患者さんで、従来法でもほとんどガンを検出できなかった方からは検出できていない。末梢血に流れているガン細胞をCTCと呼ぶが、生きたガン細胞が簡単に採取できることから、プレシジョンメディシンのための鍵になると思う。すでに様々な方法が開発されているが、今回の方法はコストの面で他の方法を凌駕するだろう。まだ、分離に時間がかかるなどの問題はあるが、気軽にCTCを調べられるという意味では大きな進歩だと思う。おそらく乳ガンについては利用が大きく拡大するのではないかと期待する。
4月8日:タンパク同士の相互作用を阻害する薬剤(Cancer Cell 4月13日号、Science2月13日号掲載論文)
昨年9月、Chemistry and Biologyに掲載されていた、たんぱく質同士の相互作用を阻害する薬剤の開発についての総説を読む機会があった(Chemistry & Biology 21, September 18, 2014)。まだ理研の後藤創薬プロジェクトを手伝っていた頃だが、その後藤さんが開発したタクロリムスのようにタンパク質同士の結合(FKBPとカルシニューリンの結合)を阻害する化合物の開発は、リン酸化反応などの酵素反応自体を標的とする化合物と比べると極めて困難だと理解していた。しかしこの総説を読んで、40種類を超える化合物が様々なタンパク同士の相互作用を阻害薬として開発され、一部は治験にまで進んでいると知って考えを改めた。これを裏付けるかのように、2月18日号のScience(347,779, 2015)、そして4月13日号のCancer Cell(27, 1, 2015)に、染色体転座でできた発がんキメラ分子とパートナー分子との結合を阻害する薬剤の開発についての研究が報告されていた。最初の論文では、急性骨髄性白血病の原因であるキメラ分子CBFβ-SMMHC とRunx1分子の結合を阻害するリード化合物を、タンパク同士の結合により蛍光を発するFRETと呼ばれる技術を使って特定し、その化合物を改変して動物を用いた前臨床試験で効果を示す薬剤を開発した研究、2番目の論文は、遺伝子転座により様々な分子とキメラを作ることで発現してガンを誘導するMLL分子とmeninとの結合を阻害するリード化合物を分子の立体構造解析に基づき設計・合成し、この化合物を改変して最終的に動物実験で薬効を示す薬剤の開発に至った研究だ。詳細は省くが、これらの研究から、発ガンに至る分子間相互作用についての生物学が分子構造も含め完全に把握できていること、最初にヒットしたリード化合物を作用機序や分子構造に合わせて改変していくためのメディシナルケミストリーと呼ばれる化学により生物学をバックアップ体制が整っていること、の2点が揃っておれば、これまで対象にしてこなかったプロセスを標的とする薬剤の開発が可能であることがわかる。もちろん、ras分子のようにもともと化合物の設計が困難な分子もあるが、真面目に取り組めば創薬標的はまだまだ拡大できることを示している。また個々の分野を取り上げればわが国も高いレベルにある。しかし繰り返すが、このようなプロジェクトの成功は創薬化学と生物学、そして何よりも臨床側からのニーズと材料提供を一つのチームにまとめ上げられるかどうかにかかっている。発足したばかりの日本医療研究開発機構の末松さんや菱山さんは個人的にもよく知っているので花向けとして激励するとすると、新しい機構に求められるのは提案をただ選んで助成するのではなく、目的のためにシーズを持つ大学やベンチャーが、臨床、生物、化学のまとまった三位一体のチームを作るための強い指導を行うことだろう。さらに創薬標的が拡大することで取り組むべきもう一つの重要問題にも取り組んでほしい。すなわち開発された薬剤の薬価の問題だ。Journal of Economic Perspectives(29:139,2015)に掲載されたPricing in the market for anticancer drugsとタイトルのついた論文の分析では、最近開発された抗がん剤の値段は5年の生存を50万ドルで買う計算になることが示されていた。すなわち根治が保証されない延命にどこまでお金をかけられるかという問題の解決がないと、創薬研究自体が意味を失うことになる。ちなみに、今日紹介した新しい化合物の論文に示された動物実験結果を見ると、これらの薬剤は根治ではなく延命をもたらす薬剤であることもはっきりしている。抗がん剤だけではない。新しいC型肝炎ビールスの根治薬が1錠10万円を超すと知って、すでに患者さんから抗議の声が上がっている。長く生きていたいという切実な希望を創薬の対象にするためには、これまでとは異なる新しい発想のファイナンスの仕組みが必要だ。創薬の成功を20世紀型ビジネスの成功としか見ない視点では、解決法はない。科学の可能性と人間の希望を結びつける創薬の仕組みを構想することも新しい機構の重要な課題だと思う。これからも見続けて率直な意見を述べようと思っている。