2020年9月20日
ゲノムの変異によるガンも含めてあらゆる病気はエピジェネティックな違いが関わると言っていいが、2型糖尿病の場合、オランダの飢餓研究という有名なコホート研究がエピジェネティックな要因の存在を示すものとして例に挙げられることが多い。オランダ飢餓研究は、戦争が終わる前の冬、ドイツ軍の経済封鎖の結果市民が飢餓にさらされ、その時に生まれた子供たちを長期的に追跡したコホートだ。母体の飢餓により、生まれた子供に様々な変化が起こることが明らかになったが、中でも子供たちが60歳を超えた頃から、インシュリン分泌が低下した2型糖尿病の頻度が高まることが報告され、発生時に被ったエピジェネティックな変化により何十年も経て現れる体質が形成されるのかと驚いた。
今日紹介するスウェーデン・ルンド大学からの論文は糖尿病になりやすいエピジェネティックな変化を末梢血で診断できるか調べた論文で9月16日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Epigenetic markers associated with metformin response and intolerance in drug-naïve patients with type 2 diabetes (初めて治療を受ける2型糖尿病患者さんのメトフォルミンへの反応性を決めるエピジェネティックな指標)」だ。
この研究の目的は、糖尿病に至るエピジェネティックな変化を血液細胞のメチル化パターンから診断するエピジェネティックマーカーの開発だ。しかし、糖尿病はインシュリン分泌から感受性まで、多くの臓器が関わる複雑な病態なので、糖尿病全体を対象にしてもうまくいくとは思えない。そこでこの研究では、糖尿病治療ではまず最初に用いられるメトフォルミンが効いた人と、効かなかった人を選んで、この差に関わるDNAメチル化マーカーを探索している。
もう一つの問題は、糖尿病の病態には直接関わらない末梢血のメチル化パターンから、多臓器が関わるメトフォルミン感受性が診断できるかだが、先に述べたオランダ飢餓研究でも、病気と対応する末梢血のメチル化パターンの変化が報告されているので、やってみる価値はある。
結果だがメトフォルミン反応性、非反応性の2群のDNAメチル化状態の中から、メトフォルミン反応性の人、非反応性の人特異的なメチル化パターンを見つけることに成功している。
そして、これらの指標を合わせて計算することで、末梢血のDNAメチル化パターンからメトフォルミンに対する反応を、9割以上の確率で予測できることを明らかにしている。
さらに、血液のメチル化パターンが、糖尿病に関わる脂肪組織のメチル化パターンと対応することを確認し、この変化が体全体(例えば栄養)で起こった刺激への反応として起こっていることを確認し、血液が診断に使えることを明らかにした
最後に、この中の2種類の遺伝子を選んで、培養肝臓細胞のメトフォルミンに対する反応とこれらの遺伝子発現とに関わりがあるか調べ、メトフォルミンの作用がこれらの遺伝子の発現変化により直接変化することも確認している。
以上、末梢血に起こったエピジェネティック変化でも、糖尿病の病態を診断するために用いられることを明確に示した力作だと思う。
2020年9月19日
ヨーロッパ文化といえばもちろんキリスト教と切り離すことはできないが、一方で土着の文化も深く根付いているのがわかる。一つの理由は、キリスト教化前のギリシャ文化の影響の強さで、小説から音楽まで、ヨーロッパ文化を味わうにはギリシャ神話や文学の知識が必要になる。そしてもう一つ、いわゆる北欧神話も、キリスト教に改心した後も文化の底流を形成し続けた。ワーグナーのニーベルングの指輪はその典型だが、この文化は北欧のシンボル、バイキングのイメージと重なる。おそらくスカンジナビア各国はバイキングを誇りにしていると思うが、バイキング自体不思議な存在だ。決してバイキングと呼ばれた人たちが同盟国を形成していたわけではなく、おそらくバイキングにより襲われたりした中世ヨーロッパの人たちが、海から災いをもたらす共通の集団として総称していたのでは無いだろうか。(以上は個人的想像で根拠はない)。いずれにせよ、バイキングはどんな人たちなのか?
今日紹介するコペンハーゲン大学を中心とする研究グループからの論文は、この問題をバイキング時代(AD750-1050年)を中心にバイキングに関わる遺跡から出土した骨のDNAを解析して明らかにしようとした研究で9月16日号Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Population genomics of the Viking world (バイキング世界の集団ゲノミックス)」だ。
この研究ではなんと442人のバイキングと考えられる人たちの遺骨を集め、全ゲノム解析を行い、バイキングと総称される人たちと、当時のヨーロッパ人との関係、さらには現代のスカンジナビア人とバイキングの関係を調べている。元々バイキングの歴史をほとんど知らないため、完全に理解できているか心許ないが、大きなストーリーをまとめると次の様になる。
ほぼ全てのバイキングゲノムは青銅器時代のヨーロッパ人とオーバーラップする。 ただ、他の文化との交流の結果少しづつ違いが生まれ、大きくデンマーク型、スウェーデン型、ノルウェー型に別れる。これは、海を渡ってどの地区と交流があったかによる。またバイキング時代、デンマーク型にはスウェーデンやノルウェーバイキングのゲノムはほとんど存在せず、交流は北へと進んで行ったことがわかる。事実デンマーク型はデンマークを超えて広く分布する拡大型。ただ、この違いは時代によって変わっていく。 ゲノムで区別できるそれぞれのグループは異なる方向へ進出し、例えばノルウェーグループはアイスランドやグリーンランド、スウェーデングループは東方、そしてデンマークは英国方面へ進出している。ただ、バイキングが攻撃したと思われる地域では、複数のグループのゲノムが残っていることから、異なるグループのバイキングが協力して進出することもあった。 親戚関係にあるバイキングのゲノムは、同じ場所だけでなく、何百キロも離れた場所から出土しており、バイキング時代の進出範囲の広さを示す。 現代のスカンジナビアゲノムは、バイキング時代をおおむね継承しているが、スウェーデンだけは15−30%のゲノム領域に減少しており、デンマーク型のゲノムを中心に、他の地域が合わさっている。
以上が主な点で、北欧に興味のない人にはどうでもいいことだろう。ただ、私たちが顔や骨格から、中国や韓国朝鮮の人をなんとなく区別できる様に、スカンジナビアの国々もそれぞれ違いがわかると思う。とすると、この研究結果を思い浮かべながら、もう一度顔を見比べるとまた違った趣が出てくる気がする。是非日本、韓国、台湾などこのスケールのゲノム研究から、より詳しい交流史が描かれることを願う
2020年9月18日
何年もにわたって論文を読んでいると、次の論文が待ち遠しい研究グループがいくつかできてくる。中でもスタンフォード大学のKarl Deisserothのグループは、光遺伝学の創始者というだけではなく、毎回思いもかけない脳機能を取り上げ「こんな風に研究ができるのか!!」と感心させてくれる。
そして今日紹介する論文はマウスで研究ができるとは思えなかった解離現象に関する研究で9月19日号のNatureにオンライン出版された。タイトルは「Deep posteromedial cortical rhythm in dissociation(脳後内側深部に見られる皮質リズムが解離に関わる)」だ。
解離体験を一言で説明するのは難しいが、自分が現実の世界やこれまでの記憶などから切り離された気持ちになることで、自分であるという感覚が喪失していると言えるだろうか。もちろん誰でも経験があることだが、特に重症の場合離人症、解離性健忘、解離性同一性障害(多重人格)と病名をつけている。
おわかりのように解離体験は極めて主観的な体験で、これを動物実験で解明しようとはなんと大胆なと、思わず引き込まれる。もちろん、主観的体験をマウスで記録することは難しい。代わりにDeisserothたちが目をつけたのが、解離性麻酔薬と知られるケタミンだ。ケタミンは、皮質上部を抑制し、一方深部を刺激して、実際に現実からの解離感覚を誘導することが知られている。
研究ではまずケタミン投与により、脳梁膨大部皮質(RSP)と呼ばれる後脳深部得意的にゆっくりした1−3Hzの興奮の波が検出されることを発見する。と簡単に書いたが、Deisserothの論文には欠かせない新しい技術が使われている。この研究では脳全体を神経細胞レベルで記録するための方法で、RSPの神経全体が振動するのを見せられると感激する。
次にこのゆっくりした脳の興奮リズムが皮質のどこから発生しているのか、層ごとにカルシウムシグナルが記録できるマウスを用いて調べ、第5層の神経細胞の興奮によりこの興奮リズムが形成されていることを明らかにする。
RSPは元々脳の様々な領域と同調しているが、ケタミン投与後10分ほどでこの同調は完全に切れる。しかし、視床の一部では、逆により強い同調興奮が見られ、さらに連結はしていても、逆相の振動をおこす視床領域も特定している。このように、解離自体生理学的には脳領域間の結合性が新たに作られることに基づくと言える様に思う。
次の問題は、RSPとの結合の新たな再構成を、マウスの行動と対応させられるかだが、スクリーニングの結果感情やモチベーションに関わる反応が低下することに気づき、これを解離体験の代わりに使っている。本当にそれでいいのかという意地の悪い批判もあるかもしれないが、私はこれで納得した。
そして最後の詰めになるが、RSPで遅い脳波が発生することが解離体験の引き金かどうか調べている。得意の光遺伝学で第5層の神経細胞に2Hz周期で刺激を与え、行動変化を調べると、様々な刺激に対する反射は全く損なわれないが、子育などの感情的な行動が著名に低下していることを確認する。逆に、RSPの第5層の神経細胞の興奮を光遺伝学的に抑制すると、ケタミンによる解離現象が抑えられることも確認している。そして、ケタミンによりRSPのリズムが生まれるメカニズムについても明らかにしている(この論文はジャーナルクラブで取り上げるので、その時にこの回路も詳しく説明する)。
ドストエフスキーの小説白痴で何度も登場するのが、てんかん発作まえに感じられる解離体験だが、最後にDeisserothたちも脳内電極により広い範囲をモニターし続けたてんかん患者さんの中で、実際に主観的解離体験を経験した症例の脳興奮記録を詳しくしらべ、RSPに対応するposteromedial 皮質で3Hzのリズムが刻まれることを確認し、ネズミでの結果が人の解離体験にも対応できることを示している。
以上、面白いこと間違い無いのだが、全部説明しきれない。そこで、来週25日午後7時からジャーナルクラブでより詳しく説明するので乞うご期待。
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2020年9月17日
遺伝子変異を調べてガンの治療方針を立てることが我が国でもようやく普及してきた。これは、ガンの増殖を推進しているドライバー分子に対する様々な分子標的薬が開発されたことが大きい。有名な例で言えば、肺ガンとEGF受容体変異やALK融合遺伝子などがそうで、変異を特定しないと治療の意味がない。ただ、分子標的薬がなくとも、一般的なガン治療法の治療効果の予測に役立つ遺伝子検査もある。例えば、DNA修復に関わる遺伝子の変異は、抗ガン剤の選択に重要な情報だし、さらにはガン抗原が増えることからチェックポイント治療の効果予測にも使われる。
今日紹介するオックスフォード大学からの論文は17q23染色体部位の増幅した乳ガンが持つ分裂時の脆弱性を解析して新しい治療法の開発を目指した研究で9月9日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Targeting TRIM37-driven centrosome dysfunction in 17q23-amplified breast cancer (17q23増幅が見られる乳ガンのTRIM37 による中心体の機能異常を標的にする)」だ。
細胞分裂を中心体がリードするのは当たり前と思ってしまうが、ガン細胞によっては明確な中心体なしに分裂するものがある。このため、中心体のコントロールに必要な分子PLKを標的とした薬剤はこの様な細胞には効果がない。乳ガン細胞も同じで、中心体がなくとも分裂糸を再構成して分裂できるためPLK阻害剤の効果はない。この研究では、17q23の増幅が見られるガンはPLK阻害剤に対する高い感受性を持つことに注目し、この感受性の分子メカニズムの解明を目指している。
したがって、ガン研究というより、ガン細胞を用いた細胞生物学研究といった印象が強い。いずれにせよ、まず17q23増幅領域にある40種類の遺伝子の中から、E3ユビキチンリガーゼの一つTRIM37が増幅により中心体非依存的分裂を抑制していることを発見する。実際、17q23増幅乳ガンでTRIM37をノックダウンするとPLK阻害剤に耐性になるし、TRIM37を過剰発現させると、17q23増幅がなくともPLK阻害剤の効果が高まり、細胞は分裂期に破綻し死ぬことを確認している。
次に、TRIM37が中心体非依存的分裂糸形成を阻害するメカニズムを探り、TRIM37が多くの中心体分子と相互作用し、ユビキチン化を通して分子を分解することを発見する。すなわち、TRIM37は中心体に集まる分子の分解を促進して分裂糸形成過程を抑制する作用があり、通常は中心体以外で異所性の分裂中心ができない様に見張っている働きがあることを明らかにする。
ところが、17q23領域が増幅してTRIM 37が上昇すると、分裂中心での機能分子が分解され、中心体非依存的分裂ができなくなる。実際17q23増幅が見られる乳ガンでは中心体の周りに集まる分子の量が低下している。
以上のことから、中心体が存在しない場合も、分裂糸の中心は形成されるが、TRIM37の発現が増加すると、この分裂中心形成がうまくいかず、ガンは分裂途中で破綻してしまう。したがって、TRIM37の発現量を調べることで、PLK阻害剤の効果を予想することができることになる。
このように、ガンのドライバーとは別に、ガンには特殊なメカニズムが進化している可能性が多く、これが特定されることでより正確なガン治療が可能になる。もっと大規模なプレシジョンメディシンを推進してほしい。
2020年9月16日
米国の神経科学者Carla Shatzが、MHCがノックアウトされると神経の可塑性が損なわれることを発表した時は、誰もが驚いたが、免疫反応や炎症が神経発生に関わることは今や誰も疑わなくなった。例えば昨年12月、自然免疫反応でIL-17aがを脳内に誘導すると、社会行動異常を改善できることを示した論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/11969 )。
この時はまだまだ現象論に止まった研究で、面白いというだけで掲載されたのだと思うが、メカニズムにさらに踏み込んだ論文がバージニア大学のグループからNature Immunologyに発表された。タイトルは「Meningeal γδ T cells regulate anxiety-like behavior via IL-17a signaling in neurons (髄膜のγδT細胞はIL-7aシグナルを介して神経細胞に働き不安様の症状を調節する)」だ。
この研究では最初髄膜に存在するリンパ球の種類についてなんども紹介したCyTOFという技術を用いて解析する中で、意外にも末梢にはほとんど存在しないγδTが存在し、しかもCCR6ケモカイン受容体と炎症性サイトカインIL-17発現に関わるRORγ分子を発現し、刺激によりIL-17を分泌する極めてユニークなサブセットであることを発見する。
血管をつなぐパラビオーシスなどを用いて髄膜γδT細胞の発生過程を調べると、生後すぐに脳内に移動した集団がそのまま脳内で居続けるが、成長後に循環を通して置き換わることはない。
このユニークな細胞の機能を調べるため、γδT細胞をノックアウトしたマウスの様々な脳機能を調べると、ノックアウトされたマウスでは活動力が高まり、原則的に不安を感じなくなっていることを発見する。ただ、ノックアウトマウスは全身でγδTが欠損しているので、脳内に抗体を注射してγδTを除去する実験も行い、不安様症状を誘導しているのが髄膜に存在するγδTであることを確認する。
以上の実験からγδT細胞が脳内での不安誘導に関わることがわかったので、次はこの作用をIL-17aが媒介しているのか、脳内への抗IL-17a抗体投与、あるいは脳内の細胞でだけIL-17a遺伝子をノックアウトする方法を用いて実験を行い、IL-17aの作用を抑えることで、不安が解消することを明らかにしている。
次の問題はIL-17aが直接神経細胞に作用してこの効果が得られるのかだが、特に前頭皮質の神経にIL-17受容体が発現していることを確認したあと、神経細胞特異的にIL-17受容体をノックアウトする実験を行い、IL-17受容体が欠損したマウスでは不安症状が抑えられることを示している。
最後にIL-17aの細胞レベルでの作用を調べて、神経興奮の頻度が高まること、活動電位は変化しないことなどから、神経興奮を変化させるというより、興奮に必要神経伝達因子の分泌過程に働き、興奮の閾値を変化させるのではと考察しているが、詳細はいいだろう。
IL-17のソースおよび神経への直接作用など、ようやく頭の整理がついた。IL-17の神経細胞への作用は最初意外な現象と思ってしまうが、妊婦さんの感染や炎症が、妊娠後期でも胎児の脳発達に影響することを考えると、重要な分野に発展する予感がする。
2020年9月15日
言葉自体はおそらく5万年ほど前に誕生したと考えられているが、文字になるとずっと遅く、トークンのような原型は別として、4〜5000年前にようやく誕生した(発明されたというのが正しいだろう)。最初から文字を覚えることは簡単ではなく、エジプトやメソポタミアの遺跡に書記の像が多くみられるのも、文字の難しさを物語るのだろう。興味のある方は是非このHPに書いた文字の歴史をお読みいただきたい(https://aasj.jp/news/lifescience-current/11129 )。
言葉にせよ文字にせよ、聞いたり読んだりする過程は継時的に並んだ音素の認識から始まる。文字の場合、この並びが平面上の位置に置き換えられているが、それが脳の中で時間に置き換えられ、聞くのと同じように理解していることがわかっている。このことを最も明確に示すのが、失読症の人たちが、聞こえる音素を区別するのが苦手だという現象だ。音素を区別する時に必要な音素と音素の間の時間差は25ms程度だが、面白いことに言葉が聞こえ始めた時から、左聴覚野で、あたかもこの音素間隔に対応するかのように30Hzの脳波(底ガンマ波)が発生することがわかってきた。音素の並びを認識するため脳内の拍子として働いているのではないかと考えられているが(これは総説を読んだ私の理解で間違っているかもしれない)、直接それを証明するのは難しい。ただ間接的な証拠は上がってきており、なかでも音素の区別を聞き取るのが苦手な失読症の方では、この左聴覚野のみにみられる低ガンマ波が低下していることの発見は最も重要な証拠と考えられている。
この意味で今日紹介するジュネーブ大学からの論文は、低ガンマ波の振動が音素の区別に関わることを直接証明した重要な研究で、9月8日号のPlos Biologyに掲載された。タイトルは「Selective enhancement of low-gamma activity by tACS improves phonemic processing and reading accuracy in dyslexia (頭蓋の外から交流電流刺激により底ガンマ波を高めると、失読症のひとの音素の処理と正確に読む能力が高まる)」だ。
この研究では左聴覚野で拍子をとるのに役立っていると考えられる低ガンマ波を、頭皮の外から30Hzの電流を流すことで回復させ、これにより音素の区別能力が改善し、さらに失読症の症状が改善するか調べている。
参加者は、失読症の人15人、正常人15人で、まずこれまで知られていたように、失読症では左聴覚野のみで音素を聴き始めた時に発生する低ガンマ波が低下していることを確認している。
次に、左聴覚野に20分、30Hzの電流を流し、低ガンマ波のレベルを調べると、刺激をやめても30Hzのガンマ波特異的にレベルが戻っている。一方、正常の人では変化は見られない。すなわち、低ガンマ波が低下している場合のみ、電流によりガンマ波の自然発生を回復させられることを示している。
そして、この結果失読症の人の音素を聞き取る能力が回復し、しかも文字を正確に読む能力も回復する。一方、正常人の脳に電流を流しても、能力が高まることは全くない。
以上、短期効果に限って言えば、失読症の人たちの言葉を読んだり聞いたりする能力を高める可能性が示され、これを訓練などと組み合わせる新しい治療法の開発が期待できる。
ただ、このような臨床応用だけでなく、この結果は音を聴き始めた時に脳内の回路から発生する低ガンマ波が、音素の区別に重要であることを直接示した点で、言語や音楽の認識過程を理解する上でも、かなり重要な論文ではないかと思っている。さらに、電流を流して特定の周波数の脳波を変化させる手法の威力にもおどろく。この方法を利用した人間の脳の解析が進むことを期待するが、同時にこのような操作を行うための研究ガイドラインを整備することの必要性も痛感した。
2020年9月14日
NAD+は様々な酵素反応に関わる補酵素で、この様々な過程で電子のアクセプタートして使われていることから、細胞全体の活性を調節する通貨のような働きをしている。最近では抗老化分子と知られるSirtuinを活性化する活性を期待して、抗老化サプリとして服用している人すらいるようだ。もちろん、エネルギー代謝には必須の補酵素で、ミトコンドリア内に存在し、TCAサイクルや電子伝達系で補酵素として働くことが知られている。
私の学生時代に戻ったような教科書的な記述から始めたが、私たちが生化学で習った時代から現在まで、驚くことに、哺乳類の細胞がミトコンドリア内にNADを直接輸送する仕組みについては解明されていなかったようだ。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文はこのNADトランスポーターをSLC25A51と特定したという研究で9月9日のNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「SLC25A51 is a mammalian mitochondrial NAD + transporter (SLC25A51は哺乳動物でNADのミトコンドリアへのトランスポーターだ)」だ。
酵母や植物ではNADのミトコンドリアトランスポーターは特定されており、その相同遺伝子を探す試みが行われていたが、分子特定には至っていないと聞くと、なぜこれほど重要な分子が見つかっていなかったのかと驚く。ただ、代わりのルートは存在するので、哺乳動物はちょっと違うとあまり真剣に探してこなかったのが真相のようだ。
この研究ではミトコンドリアに発現しているトランスポーター機能を持つ分子の中で、機能が特定できていない分子を探すという、一種の消去法でSLC25A51に白羽の矢を立てて、SLC25A51分子のノックダウン実験を行い、ノックダウンによりミトコンドリア内のNAD量が低下することを発見する。データを見ると、低下の程度は中程度なのでNADでなくともNMNなどを介してミトコンドリアに入るルートがあるのだろう。
いずれにせよ、SLC25A51によるNAD直接輸送がなくなると、細胞および分離したミトコンドリアの呼吸機能が低下する。重要なことは、分離したミトコンドリアで見られる呼吸機能の低下は外部からNADを加えても、回復することはない。すなわち、NADがミトコンドリアに輸送されることが重要であることが明らかになった。
あとは本当にSLC25A51がトランスポーターとして働いているのかを、標識したNADなどを用いて確認する実験を行なっているが詳細はいいだろう。要するに、長くわからなかった(というより放って置かれた)NADをミトコンドリアに輸送する分子が特定したことがこの論文のすべてだろう。
おそらく、NADの抗老化作用への期待が、これまで当たり前として放置されてきた様々な挑戦の後押しをしているのではと想像している。
2020年9月13日
パーキンソン病(PD)の多くは特定の遺伝子変異を見つけることが難しいが、一部のケースで明確な遺伝子変異に起因することがわかっている。中でもよく研究されているのがPINK, PARKINと呼ばれる分子の変異で、変異によりミトコンドリア変性が進んでドーパミン神経が失われると考えられている(http://aasj.jp/news/watch/6449 )。
さて、ゲノム解析が診断に利用されるようになり陥りやすい過ちは、遺伝子変異が見つかるとそれで納得してしまうことだ。しかし特定の変異が実際にはどう病気に関わるかは単純ではない。今日紹介するルクセンブルグ大学からの論文はPARKINの一つPARK7のミスセンス変異によりPDが発症するメカニズムを詳しく調べた研究で、突然変異が見つかっても、メカニズムを理解するにはまだ長い道のりがあることがよくわかる研究で、9月9日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「A patient-based model of RNA mis-splicing uncovers treatment targets in Parkinson’s disease (患者さんのRNAミススプライシングのモデルの解析からパーキンソン病の新しい治療が発見できる)」だ。
この研究はPARKINファミリーの一つPARK7に存在する64番目のアミノ酸が変化する突然変異がPDを発症するメカニズムを探っている。患者さんの細胞の解析から、この変異の結果、PARK7タンパク質の発現が強く抑制されることがわかり、この変異によりタンパク質が不安定になり、分解されてしまうのだろうと説明されていた。
この研究ではこのアミノ酸変異の元となる遺伝子側(192番目の塩基がGからCに変わる)の変異によって、RNAスプライシングが起こらなくなり、エクソン3が欠損したタンパク質ができることを発見する。とはいえ、それでもスプライス後のRNAからタンパク質は理論上合成されるはずなのに、実際にはPARK7タンパク質自体が存在しない。詳細は省くが、これが3番目のエクソンが欠損することでmRNAの3次構造が変化し、この結果タンパク質の翻訳自体が抑制されることを発見する。この翻訳の抑制は、人間の神経細胞のみならず大腸菌でもみられることから、mRNA自体の問題であることが確認された。
とすると、スプライシングを正常化して、エクソンが欠損しないようにすれば、ミスセンス変異があってもPARK7の機能が維持されるか調べる目的で、small nuclear RNAを導入してスプライシングを正常化する実験を行い、このことを確認する。
スプライシングを正常化させる薬剤は最近開発が進んでおり、kinetinなどは治験に入っている。そこで、インシリコの計算による薬剤探索で発見したphenylbutyric acidとRECTASと呼ばれるkinetin類似化合物を併用して患者さん由来の細胞を処理すると、なんとタンパク質の生産が18%近くまで改善することができ、ドーパミン神経の消失を試験管内ではあるが防げることを示している。
これだけだと特殊な変異に絞った治療法の開発になるが、この研究では明確な遺伝子変異が存在しない孤発性のPD でも、スプライシングミスが起こる変異を持っている確率が高いことを示し、比較的多くのPDを治療するためにスプライシング異常を正常化させる薬剤が使える可能性を示唆している。
診断側から見れば病気と変異の対応で決めざるを得ないが、治療を真剣に考えるならメカニズムを丹念に特定することの重要性がよくわかる論文だった。
2020年9月12日
多くの医学生は電子顕微鏡で捕らえられた月面着陸船の様なファージウイルスの精妙な構造を目にして、感銘を受けたはずだ。それほど実際に目で見ることは重要だ。今回の新型コロナウイルス感染症でも、ウイルスがコードする多くのタンパク質の構造が、クライオ電子顕微鏡などを用いて詳しく解析され、薬剤の開発を後押ししている。
今日紹介するオランダ ライデン大学からの論文はdouble membrane vesicle(DMV)と呼ばれる小胞構造が、ウイルスの増殖のための隠れ家として機能できるのかについて電子顕微鏡でひたすら観察した研究で、9月12日号のScienceに掲載された。タイトルは「A molecular pore spans the double membrane of the coronavirus replication organelle (コロナウイルス増殖オルガネラの二重膜を貫く穴の構造)」だ。
コロナウイルスRNAは、ウイルスゲノムとしては大きく、自然免疫に検知されることなく増殖するための複雑な機構を備えている。中でも重要なのが細胞内の小胞体を構成し直して形成する小胞構造DMVで、これは増殖オルガネラ(RO)と呼ばれる。これにより、ウイルスRNAは自然免疫を刺激することなく、自由に増殖できるが、いつかはROから外に出て、新しいウイルス粒子にパッケージされたり、ホストのリボゾームに結合して翻訳に関わる必要がある。
この研究では新型コロナウイルスではなく、安全に研究できるネズミ肝炎コロナウイルスが感染した細胞のウイルス増殖オルガネラを、クライオ電子顕微鏡でひたすら観察している。新型コロナ感染細胞も基本的には同じと考えている。見えたものを言葉で表すのは難しいが、見て面白いと思ったものを以下に列挙しよう (オープンアクセスなので実際の写真も見ることができます:https://science.sciencemag.org/content/369/6509/1395 )。
まずROにつながった紐の様な小胞体が見えることから、小胞体が再構成してできたのがROであることがわかる。 期待通りROの中には糸状のRNAが詰まっている。そして一部は長いdouble strand RNAとして存在している。 ROには複数の二重膜を貫く分子複合体が存在し、中央に細孔を形成して細胞質とつながっている。 この分子複合体の正体はnsp3で6個の分子で一つの細孔を形成している。 この複合体に直接おそらく複製複合体と思われる分子が結合している。 細胞質側に突き出た腕にもおそらくNタンパク質と思われる分子との結合が見られる。すなわち、ROから出てきた+RNAにNタンパク質はここで結合する。 Nタンパク質が結合したRNAは細胞質を拡散してスパイク分子やMタンパク質が結合した小胞体に結合、ウイルス粒子を作る。
以上文字で表現したことが全て写真で示されているので、ぜひ見てほしいと思う。もちろん見ただけでは、ウイルスのプラス鎖とマイナス鎖が如何区別されるのかや、他のnsp4, nsp6がRO形成に如何関わるかなど、まだまだ見たい部分もあるが、時間の問題だろう。
素人なのでこれらの像を撮影するのがどれほど難しいか想像がつかないが、時間がかかっていることを考えると、本当は大変な作業だったのだろう。しかし、見ることの重要性がよくわかる研究だった。
2020年9月11日
マスメディアではこの冬は新型コロナウイルス感染と、インフルエンザ感染が入り乱れて恐ろしい話になるのではと恐怖が煽られている。ただ、ウイルスの同時流行についてはあまりデータがない(これが恐怖の元になる)。一方、一つのウイルスに感染すると、自然免疫が誘導されるために、他のウイルスには感染しづらくなる現象(ウイルス干渉と呼ばれる)については、多くの報告がある。実際に、新型コロナウイルスとインフルエンザや他のウイルスとの間でウイルス干渉が見られるのかは重要な問題で、鼻粘膜からのウイルスサンプル採取が行われる今年は、研究の大きなチャンスになると思う。どこかが主導して集められたサンプルについて、新型コロナやインフルエンザにとどまらず様々なウイルスについてPCRを行うことで、今後の予防対策にとって貴重なデータが得られることは間違いがない。
今日紹介するイェール大学からの論文は疫学レベル、試験管レベルで、普通の風邪の原因であるライノウイルスとインフルエンザウイルスが干渉するかどうか調べた研究で、The Lancet Microbiomeにオンライン掲載された。タイトルは「Interference between rhinovirus and influenza A virus: a clinical data analysis and experimental infection study (ライノウイルスのインフルエンザウイルスの干渉:臨床データと実験的感染研究)」だ。
イェール大学では2016年からウイルス干渉現象に取り組んでおり、インフルエンザウイルスとライノウイルスを含む10種類のウイルスについて感染の存在を確認し続けている。インフルエンザの抗原検査は行われても、ウイルスのPCR検査が臨床で行われることは稀なので、このデータは貴重だ。
結果だが、予想されたとはいえ極めて明確で、、ライノウイルスは年中続いているが、それでも1〜2月には感染者数は減る。そしてインフルエンザウイルスはこの間隙を狙うかの様にピークがくる。すなわちウイルス干渉現象が見られる。
ここのデータを詳しく見て、実際に一人の患者さんで複数のウイルス感染が見られるか調べると、複数のウイルスにかかることはあるが、理論値よりかなり低い。ライノウイルスと、インフルエンザAとの関係で見ると、理論値の1/5に抑えられている。
そこで今度はヒト培養気管上皮への感染実験を行い、ライノウイルスを感染させて3日後の気管上皮ではインフルエンザウイルスの増殖が抑えられていること、そして感染抑制がライノウイルス感染による自然免疫活性化と1型インターフェロン産生によることを示している。
結果はこれだけで、おそらくこれまでのウイルス干渉研究の再確認研究と言えるかもしれないが、新型コロナ感染が続く今、新鮮に感じる。もちろんライノウイルスは非エンベロープ型で、インフルエンザウイルスはエンベロープ型なので、両者に見られた関係が、インフルエンザと新型コロナで見られるのか、予想できない。また、新型コロナウイルスが持つ様々なインターフェロンを逃れる仕組みがウイルス干渉に抵抗力を持たせる可能性もある。
いずれにせよ、この問題を日本人で調べる最大のチャンスがこれから冬にかけてやってくる。このチャンスを生かして、日本人がどの様なウイルス気道感染にさらされるのか、コホート研究を大至急始めてほしい。その結果、ウイルスでウイルスを制する思いも掛けない予防法が開発できるかもしれない?