2018年8月3日
転写因子が結合するエンハンサーと呼ばれる領域が、それに結合する転写因子や様々なコファクターとともに、転写活性の高い大きな複合体を作っていることを示し、スーパーエンハンサーと呼んだのはRichard Youngだ。概念先行でデータに信頼性がないと厳しく評価する研究者も多いが、しかし彼の提唱する概念はなかなか本質をついていて、理解を深める助けになるので、私はいつも学ぶところが多い。
そのYoungの研究室からスーパーエンハンサーが大きな複合体を形成して広いゲノム領域を1箇所に集めるときの化学的メカニズムを調べた論文が7月23日号のScienceに掲載された。タイトルは「Coactivator condensation at super-enhancers links phase separation and gene control (スーパーエンハンサーでのコアクチベーターの濃縮が相分離と遺伝子調節を結びつける)」だ。
これまでYoungらが示してきたように、確かに多くのエンハンサー部分が結合する転写因子とともに集合して、発生やガンでの形質変化に重要な働きをしていることはわかるが、核の中でこのような構造が形成される化学的基盤については確かによくわからなかった。最近になって、例えばアミロイド沈着など、化学でいう液体の相分離により分子が強く濃縮できることを示す研究が相次いでいるが、Youngたちはエンハンサーに集まる転写因子をはじめとする多くの分子が相分離を起こすことで、分子が濃縮した構造ができ、この相分離の主役がスーパーエンハンサーに多く集まるコアクチベーターBRD4とMED1分子だと考えた。
そこでまず、ES細胞の核内でスーパーエンハンサーを形成しているNanog遺伝子領域にBRD4とMED1が点状に集まっていることを確認し、BRD4とMED1が分子集合形成の核になっていることを示している。そしてこのBRD4とMED1の集合が、液体が濃縮して周りから相分離した化学性質をもっていることを、蛍光たんぱく質と結合させたBRD4がエンハンサー上でダイナミックに動いていることを、蛍光をブリーチしてからのATP依存性回復を調べるプロの方法で示している。また、分子同士の疎水性結合を阻害すると、この集合が壊れることから、確かにダイナミックな濃縮液相が形成されていることを明らかにした。
このように疎水性の結合を基盤に液相分離が起こるのなら、BRD4,MED1分子内にこの相分離をガイドする結合領域が存在するはずで、この2つの分子には長いintrinsically disordered region(IDR:分子の中に構造化されないでフラフラしている領域)が存在し、IDRだけを取り出して蛍光タンパク質に結合させたキメラ分子は試験管内で相分離することを示し,IDRが分子の結合濃縮を媒介していることを明らかにしている。そして最後に、この相分離とともに他の転写因子が複合体の中に巻き込まれることを示して、この2つの分子が液体として相分離して核を作り、エンハンサーと結合した転写因子が巻き込まれてスーパーエンハンサーが形成されるというシナリオを提案している。
これまで分子が静的に集まった構造物がをスーパーエンハンサーとして頭の中に描いていたが、この研究のおかげでこの構造物がダイナミックに動き出した。
2018年8月2日
全ゲノムレベルのSNP解析や塩基配列決定により病気のリスクを前もって知る遺伝子診断が、一般の人にも広がりを見せているが、0.1%以上の人に見られる変異は全体の1000分の1に過ぎず、アミノ酸変異が起こっている変異のほとんどは、病気との相関があるのかないのかわからないまま、放置されているのが現状だ。
今日紹介するイルミナ社の研究所からの論文は変異の病気へのインパクトを進化の観点から推定できないか調べた研究で,ゲノム解析をリードするイルミナならではの論文だと感じた。タイトルは「Predicting the clinical impact of human mutation with deep neural networks (人間にみらる遺伝子変異の臨床的インパクトをニューラルネットワークAIで推定する)」だ。
この研究は、稀な変異が臨床的に問題があれば、進化の過程で淘汰されているはずだが、多くの場合、完全に淘汰されるには人間が発生してからの時間は短すぎるため、淘汰されずに低い頻度で残っていると考え、人間で見られる変異がサルや場合によっては他の動物にも存在するかどうかについて調べることで、淘汰の選択圧にさらされる変異かどうかわかるのではと着想した。
まず同じ遺伝子の変異で、アミノ酸変異を伴うものと、伴わないものの比率と、その変異の頻度を調べ、アミノ酸変異を伴う比率が高いほど頻度が低い事を確認している。ところが、サルにも人にも同じ変異が存在する場合を選んで調べると、稀な変異も、稀でない変異もほとんど比率が変わらない。すなわち、進化の過程をサルから見直してみることで、淘汰される変異かどうかを判断することができる。要するに、サルにも共通する変異があれば、病気のリスクは少ないというわけだ。
あとはこの結果に基づき、機械学習法で人間の変異と同じ遺伝子のサルでの変異情報とともに、病気についての情報をインプットして機械学習を行い、特定の変異についてサルの情報を入れるだけで、病気との関わりをかなりの確度で診断できるAIを作り上げている。その上で、これまで特定されてこなかった、脳に関わる疾患のリスクになる変異を14種類リストしている。
詳細を全て飛ばして紹介したが、人だけでなくサルと比べることで長い進化過程での淘汰圧を推定できるとしたアイデアがこの研究の全てで、このようなアイデアでAIを設計できるイルミナ社がこの分野をリードするのも当然だと納得してしまう。個人的に最も興味を惹かれたのが、こうしてAIが病気のリスクファクターとしてリストされた変異のほとんどは、小頭症など大きな発達障害に関わるものが多い中で、自閉症のリスクファクターとしてTBR1遺伝子変異もリストされている点で、この分子のサルでの変異がどのような行動につながっているのか、是非知りたいと思った。
2018年8月1日
2013年、睡眠は脳内のリンパ管などの脳脊髄液排出機構を拡げて、覚醒時に脳に蓄積した老廃物が排出されるのを助ける役割があることを示した論文を紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/608)。それまで、脳にはリンパ管のようなドレーンはないと考えられていたため、この論文はその年のサイエンス10大ニュースに選ばれたぐらいだ。今年になってこのシステムの機能を確かめようと、一睡もさせずに一晩過ごした被験者の脳に、なんとアルツハイマー病の原因の1つと見なされている、βアミロイドが蓄積している論文まで現れた(
http://aasj.jp/news/watch/8330)。
今日紹介するバージニア大学からの論文は、この重要な問題をマウスモデルで研究するため、脳のリンパ管系の機能を低下させたマウスを作成し、その影響をしらべた研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Functional aspects of meningeal lymphatics in ageing and Alzheimer’s disease(老化とアルツハイマー病での脳髄膜のリンパ管の機能的側面)」だ。
このグループはこれまで、脳内の老廃物を排出するのが髄膜にあるドレーンシステムで、遺伝子の発現からリンパ管と呼んで良いことを示してきた。実際、リンパ管の形成が押さえられているProx1(+/-)マウスでも脳のドレーン機能が落ちていることが示されている。この研究では、Visudyneと光を用いて管腔を詰まらせる方法を用いてマウス髄膜のリンパ管を塞ぐ方法を開発し、ドレーン機能と、脳機能の関係を調べることが出来る実験システムを作り上げている。
この操作で確かにドレーン機能が低下し、様々な大きさのタンパク質が脳内に蓄積しやすくなることを確認した上で、ドレーン機能の低下が脳機能に及ぼす影響を調べている。念のため、2週間おきにリンパ管の機能を除去する操作を2回繰り返し、そのあと広い場所でのマウスの行動、および2種類のテストによる記憶能力を調べている。この結果、ドレーン機能を抑制しても、マウスの一般的行動は正常マウスと同じだが、記憶テストは両方とも強く低下しており、ドレーン機能が脳機能,とくに記憶に重要であることが実験的に示された。
そこで、老化による記憶減退にもこのドレーン機能が関わっていないか調べると、老化マウスでは髄膜リンパ管が細くなりドレーン機能が低下していることがわかった。そこで、脳内にリンパ管新生を誘導するVEGF-Cを様々な形で投与すると、管腔が拡がり、ドレーン機能が復活し、新しい場所の記憶や、迷路実験に必要な記憶が正常化することがわかった。
最後にさまざまなアルツハイマー病でドレーン機能の役割を調べ、遺伝的アミロイド蓄積マウスの実験系で、リンパ管を塞ぐと、アミロイドβの髄膜リンパ管への蓄積が亢進することを見出している。そして、実際のアルツハイマー病の患者さんでも、髄膜リンパ管へのアミロイド蓄積が見られる事を発見している。
結果は以上で、老化による記憶減退や、アルツハイマー病でのアミロイド蓄積にドレーン機能が関わっている可能性が示唆され、おそらく初めて大脳のドレーン機能を担うリンパ管の役割が明らかになったといえる。最初、「本当かな」と見ていた大脳でのドレーン機能が少しづつ市民権を得てきたように思う。今後VEGF-Cゲルによるアルツハイマー病の進行抑制や老化による認知障害の改善などが本当に明らかになれば、大ブレークする可能性もありそうな気がしてきた。
2018年7月31日
この人の頭の中はどうなっているのかただただ驚く天才がどの分野にもいる。これらの人に共通するのは、明確な目的とゴールを定め、そのためにアッと言わせる技術的イノベーションを重ねていく点だ。私が読む論文の範囲でいうと、スタンフォード大学のKarl Deisserothはその一人だろう。光遺伝学を始め彼のグループから発表された新しい技術は、いつもアッといわせる、脳を見る、測るという一点に絞って、いつも新しい技術的可能性を開拓しているように思う。
毎回、こんな事までやっているのかと思わす彼のグループからScienceに発表された今日紹介する論文を読んで、「まさかこんなことまでチャレンジしているとは予想もつかない』と本当に驚いた。タイトルは「Three-dimensional intact-tissue sequencing of single-cell transcriptional states (単一細胞の転写状態を3次元的に保存された組織内でのDNAシークエンスで決定する)」だ。
DNAシークエンスと書いてあるので、最初3次元で単一細胞レベルのバーコーディングを行なって、今流行りのsingle cell transcriptomeを調べる技術かと勘違いした。読んで見てわかったのは、3次元の組織を形成している各細胞が発現する遺伝子を、正確に、しかも遺伝子の種類の数に制限なく検出する方法の開発といったほうがいいだろう。現在1個の細胞が発現している遺伝子を組織内で同時に測定する方法はいろいろ開発されているが、この論文では1024種類の異なるRNAを調べることに成功しており、その数をさらにスケールアップできることを考えると、大変な技術が開発されたという気になる。
ではどのようにこれを実現するのか?具体的なreagentの内容はすっ飛ばして説明するが、まず組織を固定し、彼らがプライマーとパドロックと呼ぶ2種類の特定の遺伝子プローブを用いて、各細胞に存在する特定のRNAをその場所で増幅する。プライマーもパドロックも特定の遺伝子RNAとハイブリダイズするが、パドロックがプライマーを用いて環状に閉じた時だけ、mRNAが増幅するようになっている。これにより、ほぼ完全な特異性を実現するとともに、パドロックの方には、それぞれの遺伝子の標識としてデザインされた5merのバーコードがついている。例えばFos遺伝子RNAがある場所にFos遺伝子に対応するバーコードを持ったDNAが増幅されるようにしている。すなわち、組織内の特定の場所に存在していた特定の遺伝子に対応する短いDNAがその場で増幅され、mRNAが存在している場所に残る。
こうして、使ったプローブの数に応じた増幅DNAが組織内で形成されたあと、今度は全てのDNAをその場所で樹脂で固めてしまう。といっても、ガラスのような樹脂ではなく、水や物質が出入りできる樹脂で、DNAをその場所にアンカーさせるために使っている。このようにしてDNAが動けなくした後、脂肪やタンパク質を全て除き、増幅されたDNAだけが樹脂にアンカーされる状態を作る。
次に、それぞれの増幅したDNAがどの遺伝子に相当するかを、5merバーコードの配列で決める。この研究では、5merを使っており、4の5乗=1024種類の遺伝子を区別できる。すなわち、パドロックに組み込んであるバーコードの配列をその場で解読して、それぞれのスポットがどの遺伝子かを決める。そのままDNAポリメラーゼを使って、次世代シークエンサーのように読むことは将来できるようになるかもしれないが、ここではリゲーションシークエンス法を用いて5merの配列を正確に組織上で読み取っていく。この過程は、最初のリガーゼ反応で各スポットの塩基を決めると、よく洗ったあと、次の反応を行い、それぞれのスポットで次にどの塩基が入ったかを決めていく。実際には、5回サイクルを繰り返せば、5merを全てのスポットで解読できる。すなわち組織上に形成した何千、何万ものスポットの5mer配列を個別に決定し、それに基づいて、どの遺伝子のmRNAがいくつ細胞に含まれていたかをカウントする。
プロトコルは以上で、様々な問題をよく考えて解決していることがわかる。ただ、この研究は実験プロトコルだけではない。得られたデータを処理するソフトの開発も大変だと思う。かって私の研究室のメンバーだったJakt君も、8種類のRNAを細胞内で検出し、その数をカウントするソフトを開発していたが、これに最も時間がかかっていた。これらすべてを解決して、1024種類のRNAの発現を脳組織で検出し、細胞の種類や、機能との関連についてデータが取れることを見事に示しており、組織内で各細胞が発現しているRNAを正確に特定し定量する技術が完成している。もちろんこの技術は、脳研究にとどまらない。おそらく発生学で最も大きな成果を出すと思う。
バーコードによるsingle cell transcriptomeがあらゆる分野でそのパワーを発揮しているときに、その先を行く技術を開発するとは、ただただ脱帽。
2018年7月30日
地球に衝突した隕石のディープインパクトが、恐竜をはじめとする地球上のほとんどの生物を絶滅させ、それまでマイノリティーだった生物に新たなチャンスを与えた話は、真偽はともかく、よく知られた進化のドラマだ。事実、全球凍結を経験した地球になお生物が生存し、その後すぐに多細胞動物が現れたとすると、火星に生命がいてもなんの不思議はない。とは言え、このようなカタストロフが生物にとってどのような選択圧になるのかについては、具体的に結果を目にすることは難しい。
今日紹介するハーバード大学からの論文は史上稀に見る風速80m級の超巨大ハリケーン、イルマ、マリアに相次いで襲われたカリブの小さな2つの島で、ついにカタストロフによる自然選択の結果を見るチャンスに恵まれた研究者のお話で、7月26日号のNatureに掲載された。タイトルは「Hurricane-induced selection on the morphology of an island lizard (ハリケーンが小さな島に生息するトカゲの形態に及ぼす選択)」だ。
この研究グループはこれらの島に生息するアノールトカゲの生態を調査していたようだ。そして、調査が終わってすぐ、これらの島が二つの超大型ハリケーンに襲われた。アノールトカゲの生態から考えて、強風により飛ばされ、ほとんどが命を失ったのではないかと心配して(と勝手に私が考えているだけだが)、ハリケーンが通り過ぎた3週間後(最初の調査が終わって6週間後)島に戻って、生き残ったアノールトカゲを調べた。幸い、全滅はしていなかったようで、生存したトカゲをサンプリングし、生き残った理由を調べることにした。もともとこのグループはトカゲの運動能力について熟知しており、これまでの研究に基づきこのトカゲの運動能力を決める前足、後ろ足、そして捕まる時に必要な指先のパッドの広さについて調べている。
結果は、何かにしがみつく時に必要な指パッドは大きくなり、前足は少し長く、一方後ろ足は長くなっていた。これは2つの別の島で全く同じように見られたことから、偶然ではなくハリケーンというカタストロフに対して、同じ種が同じように選択されたことを示している。大事なことは、この変化がこれまでの生態研究の結果で十分説明できることだ。著者らは、長い前足と広い指パッドで枝や地面にしがみつくのに役にたち、一方、後ろ足が長いと風を受けたとき飛ばされやすいため、淘汰されてしまったと説明している。
研究としては、拍子抜けするような単純さだが、Natureが採択したのは、カタストロフによる選択は、ハリケーンを挟む6週間という短い時間に、種内の形態を一変させることを目で確かめたという、稀有なチャンスを逃さなかったという一点にあるだろう。実際、短期間で見られる自然選択の例は数多く報告されているが、6週間という短い期間に行われた調査によって確かめられた例は今回が初めてだろう。今後、カタストロフにより起こった選択が、これらの島で生きていくために吉と出るか、凶と出るのか、それとも全く無関係なのか調査を続けて欲しい。
2018年7月29日
長く付き合いのある、脊髄損傷の患者さんの伏見さんたちと、10月頃に一度最近の脊損治療研究の進展について勉強会をして,FRESHチャンネルで放送しようと計画中だ。この前放送したのが(
https://freshlive.tv/aasj/127082)昨年の6月18日なので一年以上間があいてしまった。前回は、主に細胞治療を特集してほとんど触れることが出来なかったが、次回ぜひ話題に取り上げたいと思っているのが、最近注目を集め始めている硬膜外刺激による脊損の治療で、おそらくわが国の多くの脊損の患者さんたちも聞いておられるのではと思う。ここではメイヨークリニックから提供されているウェッブ動画を紹介しておくが(
https://www.youtube.com/watch?v=yigW4oJshj4)たくさんの症例についての動画がある。要するに、脊損で運動機能が完全になくなっているように見えても、神経は残っており、残った神経を介在ニューロンなどでリレーすれば一部ではあっても機能が回復するという話だ。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、マウスモデルで介在神経のリレーにより脊髄運動神経の機能が回復する過程の分子基盤を明らかにした研究で7月26日号のCellに掲載された。タイトルは「Reactivation of Dormant Relay Pathways in Injured Spinal Cord by KCC2 Manipulations(損傷された脊髄で休止しているリレー回路を KCC2操作により再活性化する)」だ。
この研究では、もし介在神経によりリレーが起こるなら、7番目と10番目の胸椎で左右交互に脊髄を切断したマウスの運動機能が介在神経のリレーにより回復させられるはずだと、様々な薬剤を障害したマウスに投与し、機能を回復させる薬剤を探した結果、カリウム・クロライドトランスポータNKCCの機能を高めるCLP290が高い効果を示すことを発見する。もう少し実験系を説明すると、7番目の胸椎で右半分、10番目で左半分の脊髄を損傷すると、10番目以下では全ての脊髄神経が切断されたことになるが、7番目から10番目の間では、左半分の脊髄神経が残っている。もしこの領域で介在神経のリレーを成立させられると、残った左側の神経から、右側の脊髄神経へリレーが成立して、10番以降の脊髄神経の機能が回復できることになる。この仮説が正しいことは、この過程を高める薬剤が特定できたことで、証明されたことになる。
この研究の大半は、CLP290の発見で終わっており、あとは
1) CLP290の代わりに、この薬剤の標的分子KCC2自体を脊髄に導入することで、CLP290以上の回復が見られること、
2) このトランスポーターは抑制性の介在神経に発現した時に、この神経の活動を抑え、興奮/抑制バランスを変化させることで、リレー回路を形成させ、運動機能が回復できること、
などを示しているが、要するに脊髄損傷局所では、KCC2の発現が低下するため、抑制性介在神経の過興奮が起こり、局所での神経のリレー回路の構築が阻害され、KCC2を導入して局所の抑制性神経細胞の過興奮を抑えると、リレー回路が成立するという話だ。
損傷から時間が経過した脊損にも使えるのかどうか、一箇所での損傷の場合にも有効なのかなど、まだまだ知りたいところはあるが、神経が残っておればリレー回路が成立するという点では、人での応用が進む硬膜外刺激の結果とも一致する。介在神経なら、もちろん細胞移植も容易だろうから、リハビリは言うに及ばずさまざまな方法を統合する核に、KCC2刺激がなる可能性がある。期待したい。
2018年7月28日
最近のガン治療に関する様々なアイデアを見ていると、まさに考えるのに制限はないということを実感する。これは、ガンゲノム研究とガン免疫研究が21世紀に入って大きく変化したことに起因するが、毎日毎日、どんなアイデアが出てくるのかいつも楽しみに論文をサーチしている。
今日紹介するハーバード大学からの論文は制圧したいガン細胞自体を使ってガン細胞を殺ろすというあっと驚く方法で、7月11日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「CRISPR-enhanced engineering of therapy-sensitive cancer cells for self-targeting of primary and metastatic tumors(CRISPRを用いてガン細胞を薬剤でコントロールできるようにして、それに原発および転移性ガンを制圧させる)」だ。
驚くといったが、気の利いた研究者なら誰でも思いつくアイデアだが、それを真面目にやるところまではいかない。そのアイデアとは、まず患者さんのガン細胞が発現している細胞死受容体を探し、それが見つかると、次にガンの一部を取り出し、CRISPRを用いて、取り出したガン細胞からこの細胞死受容体を除いてしまい、代わりに薬剤で細胞が死ぬ仕掛けを組み込む。その上で、細胞死受容体を刺激するリガンド遺伝子を組み込んで治療のための細胞が完成する。こうして操作したガン細胞は他のガン細胞と変わることはないので、転移巣も含めて他のガンがコロニーを作る場所に分布していく。そこで、細胞死を誘導するリガンドを分泌して周りのガン細胞を殺してくれるので、仕事を終えた後はこのがん細胞を薬剤で殺せば完成という話だ。
一般の人にわかりやすいよう、たとえで話をすると次のようになる。まず、ある村の住人を誘拐して殺し屋に仕立て上げる。ただ、この殺し屋も役割を終えるとリモコンで殺せるようにしておく(例えば時限青酸カプセル)。そのあと、殺し屋を村に返すと、仲間の住人のいる場所に自由に侵入し、村人を殺してくれる。全部殺し終わった所で、リモコンでその殺し屋を殺せば、村人を全滅させられるというシナリオだ。
この研究では、もっとも悪性のグリオブラストーマを標的、TRAILを細胞死誘導分子、そしてチミジンキナーゼを殺し屋ガン細胞を殺す薬剤感受性遺伝子として使っている。具体的には、一部のグリオブラストーマからCRISPRを使ってTRAILに反応する受容体を除き、そのあとTRAIL遺伝子を組み込み他の細胞を殺す用に改変する。そして、殺し屋細胞を殺すためのTK遺伝子を組み込んだ後、ガン組織に注入、十分周りのガンを殺してくれたところで、TKを用いて導入したガンを殺している。
なるほどとは思うが、それほど驚きはしないシナリオだ。ただ、この研究ではこれをしっかりやり遂げている。詳細は全て省くが、実際にテストする実験系を作り上げ、マウスの話だが、確かにいくつかのモデルで高い治療効果を上げている。チャンピオンデータだけを発表しているのではと疑いたくはなるが、治療効果は別としてシナリオが計画通り進むことは納得する。ここまで示されると、おそらくこのアイデアで治療ビジネスが始まるような気がしてしまう論文だった。
2018年7月27日
全ての世界宗教は、最初は地域宗教だった。もちろんキリスト教も例外でなく、最初はイエスが始めたユダヤ教の小さなセクトだった。新約聖書を読むと、前半はイエスの生涯と思想についての伝聞と言える4つの福音書だが、後半はユダヤ人でありながらコスモポリタンでもあったパウロの様々な地域に住む信者に対する書簡が占めており、キリスト教が民族宗教を超えた普遍的、世界的宗教へと発展する萌芽を読み取ることができる。ただ、何度も迫害を受けていた、「この世の王」を認めない個人の宗教が、世界宗教へと発展できたのは、コンスタンチヌス1世によりローマの国教と定められ、政治と一体化できたからだという議論は今も続いている。事実、三位一体、テオトコス(マリアは神の母)などの重要な概念は、キリスト教がローマ帝国と一体化する中で、様々な異なる教義を異端として排除する過程で生まれており、個人的にはローマの文化をキリスト教も受け入れることで、新たな発展を遂げたのではと思っている。
こんな話は歴史学の問題かと思っていたら、ハワイを含むポリネシアの様々な社会にキリスト教がどう受け入れられたのか数字で検証しようとするドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、英国の大学が共同で発表した論文を読んで、驚いた。論文のタイトルは「Christianity spread faster in small, politically structured societies(キリスト教は政治的に構造化されているサイズの小さな社会で浸透が早い)」で、7月号のNature Human Behaviourに掲載された。
この研究では、南アジアとポリネシアの島々(Austronesianというらしい)に存在する70の独立した地域で、キリスト教が伝えられてから受け入れられるまでの時間と、各地域の社会経済的構造を比べ、特に政治と一体化することの効果、および貧富の格差が世界宗教の浸透に必要かの2点を中心に調べている。
これらの島々にキリスト教が伝えられたのは、1668年から1950年にかけてで大きく異なっているが、全ての地域で50%の住民がキリスト教を受け入れており、それにかかった年数は、たったの1年から、203年まで、これも大きく異なっている(平均では25年と想像以上に早い)。この受け入れまでの年数をアウトプットとして、70地域の様々な社会要因との相関を見ている。結局有意な相関を示したのが、人口、政治体制、文化的隔離性、伝搬時期の4つで、驚くことに貧富の差は全く相関していない。
もう少し詳しく説明すると、
1) 階層的で複雑な政治体制がある方が、伝搬速度は速いが、一般的に考えられているように経済的不平等が伝搬速度を高めることは全く観察できない。ただ、この相関も全く政治的階層のない、キリスト教の浸透に200年近くかかった2つの特殊な地域を除くとはっきりしなくなる。
2) 他の地域との交流がない地域ほど伝搬速度が速い。
3) 伝搬時期が新しいほど(文明のギャップが大きいほど)、伝搬速度が早い。
4) 地域の人口が少ないほど伝搬速度が早い。
全体をまとめると、「小さな社会で政治的指導体制がはっきりしている社会ほどキリスト教の受け入れが早い」が結論で、宗教の浸透も、文化の伝搬と原理を共通にしていると主張している。
とはいえ、ある島では宣教が始まって1年で、地域のほとんどが改宗したケースがある一方、多くの宣教師が殺され、受け入れに65年もかかり、住民の30%が今も古来の宗教を持っている場合もあり、数字の有意差だけで理解できないケースも多い。また、宣教自体も技術的に進歩しており、長年の歴史を通して最初から政治的リーダーを狙って近代文明の伝達とセットで行われることが多く、この結果を普遍的な現象とするには、我が国を含め、キリスト教が広がりを見せなかった国々での同じような検討が必要だと思う。
最近、新しい世界文化遺産に長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が選ばれ、地元の期待を集めている。わたしも熊本大学で働いていた時代、1日かけて天草の教会群を車で回ったが、今も集落の中心として教会が生きているという印象を強く持った。ほとんどキリスト教が根付かなかった日本にあっては、これらの村々でのキリスト教のプレゼンスは高く、全く新しい宗教が受け入れられ、根付く過程を理解するための重要なモデルになるのではと素人ながらに思う。世界文化遺産になったのを機会に、是非研究が進むことを期待したい。
2018年7月26日
7月24日共にMECP2遺伝子の変異によって起こるレット症候群支援機構とMEPC2重複症候群患者家族会のメンバーを迎えて、「レット症候群について最新の総説論文を読む」というタイトルでAASJチャンネルを放送した(
https://freshlive.tv/aasj/224195)。患者さんの家族だけでなく、医学に関わる多くの人に見て欲しいと思っている。わたし自身は、両方の病気とも、そう遠くない将来、様々な治療法が開発されるのではと予想している。ザッカーバーグ夫妻の基金もこの疾患を重点項目に研究助成を行なっており、論文を読んでいると本当にいい研究がトップジャーナルに掲載されている。
例えば今日紹介するハーバード大学からの論文もそのうちの一つだろう。タイトルは「Tsix–Mecp2 female mouse model for Rett syndrome reveals that low-level MECP2 expression extends life and improves neuromotor function(レット症候群のマウスモデルTxix-Mecp2メスマウスは低いレベルのMECP2発現を維持することで寿命が延び神経機能が改善することを明らかにした)」だ。
MECP2遺伝子の変異で起こるRett症候群も、MECP2重複症も、研究に必要な動物モデルが着々と整備され、それを用いた治療実験もアメリカを中心に進んでいる。ただ、MECP2の機能不全型突然変異によるRett症候群では、MECP2遺伝子がX染色体に乗っているため、X染色体不活化と呼ばれる機構により、半分の細胞は正常、残りの半分が変異を持つという複雑な状態が作られる。このため、異常細胞でももう一方のX染色体を再活性化することで病気を治療できるのではと考えられ、またそれを裏付ける動物実験も成功している。しかし、実験しやすいマウスのRettモデルでは、ヒトと比べると症状が軽い。これは、異常細胞が組織形成に参加する率が一定でないためで、実際人間のRett症候群も症状のバリエーションは高い。
今日紹介する論文は、MECP2だけでなく、X染色体の不活化に関わる分子に導入した変位をMECP2の変異と組み合わせることで、MECP2の突然変異を持つ細胞と、持たない細胞の比率を変化させ、症状の強さが異なるマウス系統を作成することに成功している。このおかげで、正常MECP2レベルと症状の強さの関係を詳しく調べることができるようになっている。今回作成されたTsix領域のCpGアイランドに外来遺伝子を導入したマウス系統では、正常細胞の組織寄与率が5%以下になっており、症状に貢献する正常細胞と異常細胞の比率についても重要な情報が得られているとともに、これまでマウスモデルではうまく再現できなかった運動機能の低下なども症状として再現できるようになった。実際には、2種類のモデル系統が作成され、最も症状の重い系統が、人間のレット症候群に最も近いモデルとして使えることを明らかにしている。特に重要なのは、反復行動や、自傷作用をマウスで再現できた点で、これが生後100日以上経った後現れることは、成長とともに脳回路が変化していることを示している。
以上かなり省略して紹介したが、要するにXsixの変異と組み合わせることで、人間に近いRett症候群モデルが出来上がったという話で、今後はこのマウスを用いてさまざまな問題を確かめることができるだろう。マウスと人間をそのまま比較するわけにはいかないが、私が最も驚いたのはMECP2が機能しない細胞がかなり減らないとヒトの症例と同じような症状が見られない点だ。逆にいえば、ほんの少し後押しすれば、正常の発達が可能になるかも知れない。MECP2遺伝子の変異については、着実に研究が進んでいるのを実感する。
2018年7月25日
鎌形赤血球症は、アフリカやインドに住む集団に維持されてきたβヘモグロビンの遺伝病で、突然変異のために赤血球の形態が西洋の鎌のような三日月型を取ることから名前が付けられた。これだけ聞くと、普通の遺伝疾患のイメージがあると思うが、実際にはこの赤血球の形態のおかげでマラリア原虫の感染が防げるため、マラリアが現在も蔓延するアフリカなどでは、このヘモグロビンを持つ人たちが生殖優位性を持ち、マラリアが蔓延する地域ではこの遺伝的変異が積極的に維持され続けてきた。
この鎌形赤血球の特異な形状は突然変異したヘモグロビンが重合することにより起こるが、その結果鎌状赤血球ではNAD/NADHの酸化還元バランスが低下している。このバランスは、NAD合成の原料となるグルタミンを投与することで正常化することが指摘され、これまで治験が行われてきた。
このようにわかったように書いてきたが、全てこの論文を紹介するためのにわか勉強で、私自身は鎌形赤血球症ついてはほとんど知らず、ましてやそれをグルタミンで治療できることなど想像もしなかった。そんな私にとって、グルタミンが治療薬として治験されているというこの論文のタイトルは驚きで、それだけで選ぶことになった。
今日紹介するUCLAからの論文はグルタミンを投与して鎌形赤血球の最大の症状激痛発作が抑えられるかを調べた第3相試験で7月19日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「A Phase 3 Trial of l-Glutamine in Sickle Cell Disease(鎌形赤血球症のl-グルタミンによる治療の第3相試験)」だ。
もちろんグルタミンは根本治療ではなく対症療法で、要するに、鎌形赤血球により起こる血管の閉塞による激痛発作を治す試みで、これまで一般治療として行われているhydroxyureaとの併用を前提に行われた、2重盲検無作為化試験で、激痛の発作を減らすことができるかを評価ポイントとして行われている。230人の患者さんが2群に分けられ、48週間、2日に一回0.3g/kgのグルタミンを服用して、その間の激痛発作の数を調べている。
さて結果だが、48週間で激痛発作回数が平均で3.9回から3.2回に減る。また、痛みにより入院する回数は3回から2.3回に減る。さらに、治療を始めてから最初の激痛発作が起こるまでの日数は、偽薬の場合54日だったのが、グルタミン投与では84日に伸びる。これらの結果から、グルタミン治療は有効と判断している。しかし、50Kgの人で2日で15gもグルタミンを摂取して大丈夫なのかが気になる。確かに、倦怠感、四肢痛、背中の痛みなど明らかにグルタミンで高い副作用はあるが、耐えられる範囲だとしている。
話はこれだけで、確かに統計学的有意差が出ているが、素人には実際の診療上意味があるのか気になるところだ。とはいえ、安いグルタミンで痛みが少しでも抑えられる事はアフリカなどでは重要な結果だと思う。そして何よりも、グルタミンが治療薬として使えることを発見できたことに感心した。