1月3日:タバコによるY染色体喪失(1月2日発行Science誌掲載論文)
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1月3日:タバコによるY染色体喪失(1月2日発行Science誌掲載論文)

2015年1月3日
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引退後も講義を通して若い学生さんに呼びかける機会を与えていただいている幾つかの大学には本当に感謝している。21世紀の世界は彼らにかかっており、彼らがはっきりとアジェンダを見つけるよう励ましている。医学部学生さんの場合は、ゲノム、IT、コホート、そしてコレクティブインテリジェンスが21世紀の医学を構想する鍵になることを説明した後、この4分野を統合した、患者さんが中心になる医療システムへの転換の重要性について講義をしている。特に、血液サンプルが定期的に採取され保存されているコホート研究が、ゲノム研究と統合されると、思いもかけないことがわかることがある。その一つの例が、昨年5月、Y染色体が失われた血液が多くなると、ガンや他の病気での死亡率が上昇することを報告したスウェーデンからの論文だ(Nature Genetics, 46:624)。今日紹介するのも同じスウェーデンのグループからの論文で、今度はタバコとY染色体喪失との関係を調べた論文でScienceの新年号に掲載されている。タイトルは「Smokingis associated with mosaic loss of chromosome Y(喫煙はY染色体が欠損した細胞がモザイク状に血液に維持される原因になる)」だ。以前紹介した研究はウプサラでの長期コホートを使っているが、今回はさらに対象人数を増やすため、TwinGene, 及びウプサラ高齢者血管研究コホートも合わせることで、総勢6000人近くの血液サンプルを調べている。まず採血時点で喫煙を続けていると、Y染色体喪失の血液の頻度が上昇している。3コホート別々に喫煙についてもう少し詳しく見てみると、採血時に喫煙していた場合にのみY染色体喪失が検出され、パーティーなどでたまに吸う人や、前は吸っていたがタバコをやめた場合には異常は見られない。また現在吸っているタバコの本数が多いほど、Y染色体喪失細胞の比率が高い。示された結果はこれだけだが、タバコの影響についてこれまでとは異なる側面を教えてくれる面白い研究だ。まず、タバコは肺だけでなく、血液に直接働きかけて染色体異常を起こすようだ。タバコをやめると元に戻るようなので、寿命がそれほど長くない前駆細胞に働いて異常を誘導している可能性が高い。ただ、タバコでこれほどの影響があると、昨年紹介した論文で見られたY染色体喪失と死亡率との相関はただのタバコの影響かもしれないと心配になる。この論文ではあくまでも、タバコがY染色体喪失を誘導し、この結果おこるガンに対する免疫反応の低下の結果、ガンや他の病気のリスクが上昇するシナリオを主張している。それを示すために、Y染色体喪失が最初に診断された後、20年にわたって生存している91歳の高齢者3人を選んで91歳時点で新鮮血を採血、T細胞、B細胞、顆粒球に分離して、それぞれのY染色体喪失頻度を調べ、異常の頻度は決して一様でなく、顆粒球で異常細胞頻度が高いことを示している。すなわち、障害はランダムに起こっているのではなく、おそらく抵抗力低下につながる特定の異常細胞が選択され増えてくるという仮説にこだわっている。しかし、この結果からだけでは著者らの仮説が証明されたとは言えないと思う。いずれにせよ、30年以上もサンプルが蓄積されたコホート研究がゲノム研究と協力することで発揮するパワーをよく理解することができる。講義にも積極的に使いたいと思っている。

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1月2日:男はなぜ争いを好むのか?(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2015年1月2日
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年末年始ということで「始まり」に関する、少し毛色の変わった論文を探していると、なぜかアメリカアカデミー紀要が続いてしまった。実際分野を限定しないアメリカアカデミー紀要やプロスワンには、毛色の変わった論文が多い。年末年始だけですでに、酒好きの起源、核酸塩基の起源、そして今日紹介する争いを好む心の起源についての論文を見つけることができることから、本当に多様な研究が行われていることがよくわかる。

 さて私自身は「悲しき熱帯」以外読んだことはないが、レビ・シュトロースに代表される私たち自身の心のルーツを未開の部族の風習や行動に探ろうとする文化人類学は、若者を引きつけるロマン溢れた学問分野だ。ただ、本として読むのは面白いが、科学として見始めると、研究者の仮説や憶測がどうしても表に出てしまっている印象を受ける。今日紹介するハーバード大学Peabody博物館からの論文は、アフリカのある部族で、なぜ命が懸かっていても男は戦いを続けるのかについて調べた研究で、アメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載されている。タイトルは「Warfare and reproductive success in a tribal population(ある部族に見られた戦いと生殖上の成功)」だ。研究では、今も周りの部族と大小様々な戦いを続けているアフリカのNyangatom部族の男120人の戦歴と家族構成を調べ、私たちが持っている戦いの本能の起源を探ろうとしている。ただはっきり言って、慣れない分野で読みにくいし、素人から見ても憶測の多い論文という印象を持った。さてこの部族だが、主に家畜を盗むために今も周りの集落や部族と戦いを続けている。普通は数人で夜忍び込んで家畜泥棒を行う形態をとるが、時によっては100人単位の数が参加する戦争を行うようだ。こう聞くと普通はのどかな弓矢の儀式的戦いを思い起こすが、1980年以降はなんと自動小銃が導入されているようで、完全な命のやりとりになる。この部族の財産はもちろん家畜で、結婚するためには30頭ほどの家畜を男が相手の親に送る必要がある。すなわち結婚は財産が必要であるため遅く、女性は初経後数年でほとんど結婚するのに対し、男は20代後半から30代まで待つ必要がある。また、財産が多いということは複数の妻を持つことにつながる。では、家畜をめぐる命のやり取りは結婚のためかと調べると、盗みや戦いで勝ち取った家畜のほとんどが家長の財産になり、それを自分で結婚の貢物として使うことはない。実際、若者で戦いに参加して成功しても、ほとんど配偶者や子供の数につながっていない。一方若者の戦利品も自分の財産になるため、年長者や家長はまず戦いに参加しない。いろいろ調べたあげく、配偶者や子供の数と相関が認められたのが、年長者の過去の戦いの成功だけという結果になってしまった。これを説明する様々な可能性を考察した後、常識な結論を提案して終わっている。すなわち、若い時の戦いで戦利品を家長に贈ることで、後で権利を主張できる。また、家長の財産が増えると、女兄弟が増え、結婚の際の貢物も増え、将来相続できる財産が増えるという結論だ。しかし論文には戦いで命を落とすリスク確率、高い戦績をあげている年長者の体力、あるいは村に存在する銃の数などは全く示されていない。論文としてはかなり不完全な印象が拭えないし、読み物としてもレビ・シュトロースや、我が国で言えば宮本常一の面白さはない。現在ゲノム解読により歴史学が変わろうとしているように、おそらく文化人類学もゲノムにより大きく変わると思う。とすると、行動の記述がもっと精緻にならないと、新しい科学として生まれ変わることは難しいだろう。ただ、一つだけこの論文を読んでホッとしたのは、100人規模の戦争が起こる場合も、参加は自由で、村のために全員が動員されることがないことだ。実際、国家のために命を差し出させる徴兵制は近代以降はともかく、人類にとっては決して当たり前ではない。戦いを強制しない社会が私たち本来の本能であってほしいと思う。とはいえ、自由参加でも命のやり取りに出かけるとは、やはり男のゲノムに戦いの遺伝子がありそうだ。

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1月1日:諸々の力(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2015年1月1日
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「もともと生命は、諸々の力が、一握りの、ひょっとしたらたった一つの原型に吹き込まれて始まり、この惑星が永遠に変わる事のない重力法則による回転を繰り返している間に、これほど単純な始まりから、最も美しくすばらしい果てしない形態が進化し、また進化し続けている。とするこの見解には、壮大さがある。」これはダーウィンの種の起源の後書きのそれも最後の文章だ。英語の本文はとても美しい文章で、到底私の訳ではこれを伝えることはできないと諦めている。これはダーウィンの勝利宣言でもあり、敗北宣言でもある。悔しいことに、生命が初めて地球上に生まれる過程については「諸々の力が・・・」としか語れなかった。しかしダーウィンの敗北宣言から150年以上たった今も、私たちは勝利宣言のための糸口さえつかめていない。1年を始めるにあたって、生命が誕生するまでの諸々の力についての研究が紹介したいと思っていたら、チェコ科学アカデミーからの論文がアメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載されているのを見つけた。タイトルは「High-energy chemistry of formamide: a unified mechanism of nucleobase formation(フォルムアミドの高エネルギー化学:核酸塩基形成の統一モデル)」だ。生命の出現には生命の成分であるアミノ酸、核酸、脂肪、糖など有機化合物が必要だ。これらを組み合わせて生を「吹き込む」過程は、物理化学を超えた組織化についての科学が必要だが、有機成分の生成過程は物理化学に完全に支配されており、再現可能なはずだと、様々な試みが行われてきた。中でも有名なのが、ミラーの実験で、水素、水、アンモニア、メタンが混じった蒸気に落雷を模した放電を行うと、多くのアミノ酸ができることを報告した(Science,117:528,1953)。驚くことに、2007年、彼の死後当時の実験のサンプルが見つかり、2008年、彼の弟子たちにより新しい機器を使った再調査が行われた。そして最初報告されたより多くのアミノ酸が含まれていたことが発見されたが(Science, 322:404, 2008)、50年後にも使えるよく保存された資料を残している科学者魂については、科学を志すもの全ての範となるだろう。現在ではこの時使われた条件が本当に太古の大気を反映しているか疑問が持たれているが、ほとんどのアミノ酸が生命誕生以前に地球に誕生できたことは間違いがない。前置きが長くなったが、今日紹介するのは40億年前の地球でRNAの構成成分の塩基、すなわちアデニン、グアニン、ウラシル、シトシンを同時合成することが可能か調べた研究だ。実験は大がかりだが、結果は簡単だ。約40億年前には地球はまだ不安定だった宇宙から流星が雨のように降り注いでいたと考えられている。この流星衝突の凄まじいインパクトによって形成されるプラズマが「諸々の力」として全ての核酸塩基を同時に合成できることを示す研究だ。このインパクトを再現するために、プラハにある大規模レーザー光照射施設の高エネルギーレーザーを用いて、2200度のプラズマを発生させている。これまでの研究で、フォルムアミドが存在すれば核酸塩基が作れることは示されてきた。今回の研究でもフォルムアミドを原料として用い、粘土存在下にレーザー照射を行うと全ての核酸塩基が47mg/Lの高収量で得られるという結果だ。作られる中間体なども質量分析で検出され、詳しい化学反応プロセスが示されているが、わざわざ紹介する必要はないだろう。このように「諸々の力」により有機物が生まれる過程は徐々に明らかになっている。次はこの有機物が生物として組織化される有機体論を展開することが必要になる。是非21世紀の若い頭脳がこれに挑戦してくれることを望みたい。この有機体論が完成しないと、惑星探査で有機物を検出したとしても生物の存在を示すかどうかわからないことは心すべきだ。

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12月31日:人類の酒好きはどこから来るのか(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2014年12月31日
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私の世代なら見た方も多いと思うが、大学を出たばかりの頃「ビューティフルピープル:愉快な仲間たち」という映画を見た。アフリカに棲む様々な動物の記録映画だが、タイトルからもわかるようにあらゆる動物を擬人的に扱うことでそれぞれの習性を強く印象付けた動物映画の秀作だった。中でも妙に記憶に残っているのが、熟れた果物を食べて象までが酔っ払うシーンで、食べたあと全ての動物が千鳥足で歩くシーンから、動物も本当は酒好きなんだという印象を持った。今日紹介するサンタフェ大学からの論文は私たち人間が酒好きになった起源についての研究でアメリカアカデミー紀要オンライン版に紹介された。タイトルは「Hominids adapted to metabolize ethanol long before human-directed fermentation(人間が発酵を利用する以前から類人猿はエタノールを代謝ができるよう適応していた)」だ。明日から、アルコールを飲む機会が多くなると思って、取り上げてみた。不勉強で全く知らなかったが、アルコールを処理するアルコールデヒドロゲナーゼ(ADH)には多くのタイプがあり、私たちには7種類存在する。アルコールに強いとか弱いとかを決めているのは肝臓に存在するADH1だが、この研究で調べられたのは様々な組織に広く発現するADH4だ。研究ではヒトを含むサルのADH4の塩基配列から系統樹を作成し、それぞれの種の分岐点を代表する遺伝子から試験管内でタンパク質を合成し、エタノールを基質にした脱水素反応の酵素活性を調べている。驚くことに、この酵素がエタノールの脱水素反応酵素活性を獲得するのは、類人猿がゴリラ・チンパンジー・人間の系統と、オランウータンとに分かれた時点で、オランウータンを始めほとんどのADH4はエタノールを基質とすることができない。一方様々な果物に含まれるゲラニオールなどのテラピノイドを基質とする活性は全てのサルのADH4に検出される。結果はこれだけだが、遺伝子配列だけでなく、実際の酵素活性を丹念に調べて、エタノールにたいする基質特異性が約1000万年前に獲得されたことがわかると、様々な想像が膨らむ。この研究では、サルの食習慣、分岐の起こった中新世の急速な寒冷化などから一つの面白いシナリオを提案している。1000万年前私たち人間、ゴリラ、チンパンジーの先祖は木の上から地上に降りて生活を始める。どちらが先かわからないが、この時木の上のフレッシュな果物を食べる食生活から、地上に落ちた熟した果物を食べるように変化する。実際、チンパンジーは熟した果物を好んで食べるようだ。もちろん熟した果物には発酵によるアルコールが含まれれている。これに対応するため、ADH4が適応進化しエタノールを分解するようになった。一方オランウータンなど他のサルも熟した果物も食べるが、新鮮な葉や果実を主食とするため、それらに含まれるゲラニオールを始め様々なテラピノイドの分解が必要で、ADH4のエタノールへの特異性の変化は許容できなかったというシナリオだ。特に、熟した食物を主食にしたため、中新世の寒冷化で我々の先祖は滅びてしまい、暖かいアフリカに限局されることになったのだろう。おそらく次の課題は、どうして酒好きになるかだ。実際京大霊長研のサイトには、ボッソウ地区に住むチンパンジーが葉っぱからヤシ酒を飲むビデオが紹介されている。エタノールを処理できるようになってすぐ、私たちは酒好きになったようだ。この論文のおかげで私も他の知識の断片を統合することができた。地上生活を始めたため主食になった落ちている熟した果物にはアルコールも含まれるが、地上の多くの昆虫も含まれる。これを摂取したおかげで、高タンパク食が可能になり、脳を発達させることができたというシナリオだ。なら酒好が先にあって脳の発達を促したのはありそうなシナリオだ。来年の干支羊とは関係なかったが、これから正月を迎える日にはうってつけの論文を読んだ。

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12月31日:酒好きの起源(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2014年12月31日
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私の世代なら見た方も多いと思うが、大学を出たばかりの頃「ビューティフルピープル:愉快な仲間たち」という映画を見た。アフリカに棲む様々な動物の記録映画だが、タイトルからもわかるようにあらゆる動物を擬人的に扱うことでそれぞれの習性を強く印象付けた動物映画の秀作だった。中でも妙に記憶に残っているのが、熟れた果物を食べて象までが酔っ払うシーンで、食べたあと全ての動物が千鳥足で歩くシーンから、動物も本当は酒好きなんだという印象を持った。今日紹介するサンタフェ大学からの論文は私たち人間が酒好きになった起源についての研究でアメリカアカデミー紀要オンライン版に紹介された。タイトルは「Hominids adapted to metabolize ethanol long before human-directed fermentation(人間が発酵を利用する以前から類人猿はエタノールを代謝ができるよう適応していた)」だ。明日から、アルコールを飲む機会が多くなると思って、取り上げてみた。不勉強で全く知らなかったが、アルコールを処理するアルコールデヒドロゲナーゼ(ADH)には多くのタイプがあり、私たちには7種類存在する。アルコールに強いとか弱いとかを決めているのは肝臓に存在するADH1だが、この研究で調べられたのは様々な組織に広く発現するADH4だ。研究ではヒトを含むサルのADH4の塩基配列から系統樹を作成し、それぞれの種の分岐点を代表する遺伝子から試験管内でタンパク質を合成し、エタノールを基質にした脱水素反応の酵素活性を調べている。驚くことに、この酵素がエタノールの脱水素反応酵素活性を獲得するのは、類人猿がゴリラ・チンパンジー・人間の系統と、オランウータンとに分かれた時点で、オランウータンを始めほとんどのADH4はエタノールを基質とすることができない。一方様々な果物に含まれるゲラにオールを基質とする活性は全てのサルのADH4に検出されている。結果はこれだけだが、遺伝子配列だけでなく、実際の酵素活性を丹念に調べて、エタノールにたいする基質特異性が約1000万年前に獲得されたことがわかると、様々な想像が膨らむ。この研究では、サルの食習慣、分岐の起こった中新世の急速な寒冷化などから一つの面白いシナリオを提案している。1000万年前私たち人間、ゴリラ、チンパンジーの先祖は木の上から地上に降りて生活を始める。どちらが先かわからないが、この時木の上のフレッシュな果物を食べる食生活から、地上に落ちた熟した果物を食べるように変化する。実際、チンパンジーは熟した果物を好んで食べるようだ。もちろん熟した果物には発酵によるアルコールが含まれれている。これに対応するため、ADH4が適応進化しエタノールを分解するようになった。一方オランウータンなど他のサルも熟した果物も食べるが、新鮮な葉や果実を主食とするため、それらに含まれるゲラニオールを始め様々なテラピノイドの分解が必要で、ADH4のエタノールへの特異性の変化は許容できなかったというシナリオだ。おそらく次の課題は、どうして酒好きになるかだ。実際京大霊長研のサイトには、ボッソウ地区に住むチンパンジーが葉っぱからヤシ酒を飲むビデオが紹介されている。おそらくエタノールを処理できるようになってすぐ、私たちは酒好きになったようだ。この論文のおかげで私も知識の断片を統合することができた。地上生活を始めることで主食にした落ちている熟した果物にはアルコールも含まれるが、地上の多くの昆虫も含まれる。これを摂取するおかげで、高タンパク食が可能になり、脳を発達させることができたというシナリオだ。なら酒好が先にあって脳の発達を促したかもしれない。来年の干支羊とは関係なかったが、これから正月を迎える日にはうってつけの論文を読んだ。

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12月30日:セロトニン再吸収阻害剤の副作用の神経生理学的説明(Trends in Cognitive Scienceオンライン版掲載論文)

2014年12月30日
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自己分析すると、理系志向と文系志向のバランスが常に揺れ動いていた気がする。学生時代、文系志向が強くなると、不思議と精神科に行こうという気持ちが高まって、様々な精神疾患に関する多くの古典を読んだ。ただ古典が書かれた時代には向精神薬などはほとんどなく、治療戦略は患者さんとの会話を通して病気の原因を探り、それを自覚させて直すという、ロマン溢れたものだった。ただ、臨床実習が始まると、実際の治療現場では患者さんの数があまりに多く、向精神薬を中心とする治療が中心になり、患者さんと相対して時間をかけて治療の糸口を探るといった古典的ロマンを追求することができないことはすぐ理解できた。そんな時理系志向が強まると、病理学に行きたいなど考えたこともあったが、結局どちらも選ばず現実的な進路を選んで今に至っている。このように自分自身の事でも、時々の行動を説明することは難しい。このような揺れ動く気持ちの中で高いモチベーションが発揮されてしまう深刻な例が自殺だろう。揺れ動く気持ちの中で自殺を選ぶというモチベーションの必要な決断をなぜ下したのかについての、真実を知ることは難しい。この問題は科学から程遠いなどと思っていたら、以外と神経生理学的探求が考える枠組みを提供できるという総説論文に出会った。少しマニアックかもしれないが、是非紹介したい。ドイツ マグデブルグ大学からの論文で、タイトルは「Dual serotonergic signals: a key to understanding paradoxicall effects ? (セロトニンシグナルの2面性:セロトニンの矛盾する効果を理解する鍵になるか?)で、Trends in Cognitive Scienceのオンライン版に掲載されている。私もほとんど知らなかったが、現在最も使われている抗うつ剤、セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)は、投与初期と後期で逆の作用があり、初期には時に自殺願望や自傷行為を高めてしまい抗うつ剤としてほとんど失格なのに、投与を続けると副作用の少ない優れた抗うつ剤として利用できるという2面性があるようだ。この総説はこの2面性を説明する神経生理学的仮説を提案する論文で、新しい実験結果を示した論文ではない。この仮説の理解には幾つかの知識が必要だ。まず、セロトニンを分泌する神経細胞は脳幹にある縫線核と呼ばれる部位に集中して存在し、脳内の様々な場所にセロトニンを供給することで多彩な機能を示す。うつ病の多くはこのセロトニン分泌が低下している。ただ、セロトニンは特別なトランスポーターによりもう一度細胞内に取り込まれることで、刺激を低下させている。この再取り込みを抑制するのがSSRIで、これによりセロトニンの細胞外濃度が上昇する。セロトニンを分泌する神経細胞自身にもセロトニン反応性の受容体が出ており、自分の分泌したセロトニンの刺激で、セロトニン分泌を低下させ、刺激が過剰にならないようにしている。これに加えて、細胞外のセロトニン濃度が高値で維持されると、受容体自体の感受性が低下する仕組みが存在し(脱感作という)、刺激が過剰にならないようにしている。この基礎知識を頭に入れて、次に著者らの仮説を見てみよう。

  この仮説は、セロトニンを分泌する同じ細胞がもう一つの神経伝達因子グルタミン酸を分泌し、異なる機能を担っているという発見に基づいて考えられている。セロトニン分泌神経でのセロトニン再取り込みを抑制すると、細胞外のセロトニン濃度は高まる。これにより、抗うつ作用が働き何かをしようとするモチベーションは上がる。しかし、セロトニン分泌細胞はセロトニンにより興奮が抑えられる。このため、同じ細胞の分泌するグルタミン酸の分泌だけが低下した状態が生まれる。この結果、グルタミン酸によって調節されていた喜びの気持ちを通した行動報償系の機能は逆に低下する。ただ時間が経つと、セロトニンが高濃度に維持されることで誘導される受容体の脱感作が完成し、神経興奮は元に戻り、セロトニンとグルタミン酸のバランスも回復する。この結果、SSRIは投与を続けていくと優れた抗うつ剤として安心して使えるという仮説だ。要するに、SSRI投与初期にはセロトニンとグルタミン酸分泌のバランスが壊れ、報われない気持ちを強く感じる一方、行動へのモチベーションが上がっているため、自殺する可能性が上がる心配があるが、分泌細胞自身のセロトニン受容体が脱感作されると、両方の分泌量のバランスが回復し、また感情のバランスが回復して鬱状態から脱することができるという仮説だ。もちろん仮説だけでなく、それを支持する様々な研究結果が引用されている。この仮説も最近神経科学分野を席巻している光遺伝学からの成果から多くを学んでいることもよくわかり、私自身には大変勉強になった。

 しかし、一種類の神経がモチベーションと、報われる喜びをバランスよく調節しているのは驚きだ。それを人為的に少しでも壊すとしっぺ返しがくる。これは重要な教訓だが、自殺のような複雑な感情も神経細胞学を通すと、違った角度から新しく整理できることもわかった。しかし、実際の臨床ではこの危険についてどこまで患者さんに理解させているのだろう。ましてや、服用を中断してまた再開したりするのは危険だろう。一度実態を調べてみようと思っている。

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12月29日:成人の肝臓から肝細胞と胆管に分化できる幹細胞を長期に培養する(1月15日号Cell誌掲載論文)

2014年12月29日
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昨日紹介した、ヒト多能性幹細胞から始原生殖細胞を誘導する方法の開発は、再生医学にとって重要な一ページを刻んだ研究だと思う。同じ号のCell誌には、再生医学に大きな貢献を果たす可能性のあるもう一つの論文がオランダのユトレヒト大学だら報告された。タイトルは「Long-term culture of genome-stable bipotent stem cells from adult human liver (成人の肝臓から肝細胞と胆管細胞の両方に分化可能な幹細胞の遺伝的に安定な長期培養)」だ。要するに、大人の肝臓細胞を長期間培養して、そこから肝臓や胆管細胞を誘導して再生医学に使える方法が開発できたという報告だ。研究を行ったHans Cleversは、内胚葉の組織幹細胞研究の第一人者で、現慶応大学の佐藤さんが在籍中、Lgr5と呼ばれるR-spondin受容体を発現している腸管幹細胞の長期培養法を開発して、多能性幹細胞やリプログラム万能の風潮に一石を投じて脚光を浴びた。当時から会議で会うと、あらゆる内胚葉系の幹細胞は、Lgr5を発現しておれば培養できるようになると豪語していたが、今回ヒトの肝臓細胞のLgr5養成細胞の長期培養に成功した。彼らがこれまで開発した肝臓Lgr5陽性細胞培養法はたかだか2−3週間の培養が精一杯だった。この研究では、従来のWntシグナル経路刺激を中心とした培養に、増殖抑制を誘導する可能性のあるTGFβを阻害する科学化合物A8301とcAMP経路を刺激するフォルスコリンをさらに添加して立体培養を行うと、ヒト肝臓のバイオプシーサンプルから60時間に1回分裂を安定的に繰り返す幹細胞を培養できることを示している。次に増殖細胞の由来について調べて、増殖している細胞が、胆管に存在する幹細胞で、これまで肝臓の幹細胞として研究されてきた星細胞などではないことを示している。実際、胆管幹細胞が単一細胞から培養できることは横浜市大の谷口さんたちがマウスではずいぶん昔に示していたが、同じ細胞だと思う。この研究は特にこの培養の遺伝的安定性を強調して、培養中に遺伝子変異が起こることが現在の技術では避けられないヒトES細胞やiPSと比べて、再生医学応用の面で安全性が高いことを示している。事実、単一細胞からクローン培養を行い3ヶ月後に行ったゲノム配列の決定から、培養で起こる変異が体の中ですでに起こっている変異の10分の1以下で、100個程度しかないことを示しており、遺伝的安定性の点では体の中に存在する細胞と全く変わりはない。これは再生医学の利用という面からは組織幹細胞が最終的に有利だとするHansの信念を表現したものだろう。さて、この方法でほぼ無限に培養できる胆管幹細胞は、さらにNotch阻害剤、FGF9、BMP7などを加えると試験管内で成熟した肝細胞に分化し、アルブミンを作り、アンモニアを処理することができる。また、幹細胞への分化誘導をかけずに肝臓が障害されたマウスに投与すると、そのまま肝細胞へと分化し、2ヶ月以上アルブミンを体内で作り続ける能力があることから、十分再生医療に利用できる。最後に、多能性幹細胞の長所として強調されている疾患モデルについても、突然変異を持つ患者さんからバイオプシーを行うことで、肝臓細胞や胆管細胞の疾患モデルを構築できることも示している。論文を読むと、内胚葉組織細胞にかけるHansの強い気持ちが伝わってくる。iPSの報告以降、これに対抗するため同じような主張は様々な組織幹細胞の研究が行われてきたが、なるほどと高い説得力のある完璧な実験でそれを示せた研究者はHansを含めて限られている。皮膚などと同じで、肝臓については組織幹細胞が利用できることが明らかになった。今後再生医学の観点からどの細胞が用いられるかを決めるのは、大量培養のためのスピードとコストだろう。現在我が国で進んでいる網膜色素細胞やドーパミンニューロンを移植する治療と比べると、肝細胞を補充する再生医療は細胞数が2桁以上多いため、時間がかかると考えていた。しかし、今この技術があれば救える病気は存在している。例えば、アンモニア代謝経路に突然変異を持つ新生児の治療には肝臓移植が必要だが、大人の肝臓は大きすぎるため、移植まで成長を待つ必要がある。待っている間アンモニアによる脳障害を防ぐ必要があるが、この移植までの期間を肝臓細胞移植で乗り越えられないか我が国でも研究が進んでいた。このような疾患に対する最初の再生医療がどの細胞を用いて行われるのか競争が始まった気がする。おそらくハンスの方法が一番乗りを果たすような気がする。

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12月28日:ヒトES細胞から始原生殖細胞を誘導する(1月15日号Cell誌掲載論文)

2014年12月28日
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ヒトES細胞はヒト胚から誘導する必要があり、生殖補助医療の過程で作成された胚を提供してもらわなければならない。我が国ではこの研究に関する指針の見直しが行われるまで、すべての計画を文科省の専門委員会で審査していた。そこにヒト胚を使わない山中iPSが登場し、多能性幹細胞を指針による審査を経ずに自由に研究することが可能になった。しかし私が座長をしていた当時の委員の多くが懸念したのが、ヒトiPSから精子や卵子が作成され、試験管の中で体細胞から胚が作成されることだ。特に我が国では京大の斎藤さんを始め、この分野に世界をリードする研究者が多い。しかし、彼らの研究の進展を阻害しないよう考えることも重要だ。結局、基本的には研究の進展を注意深く見守ることになったが、もう一度議論を始める節目としては、始原生殖細胞が試験管内で誘導された時点だろうと考えた。今日紹介するケンブリッジ大学Surani研究室からの論文は、ついにヒト多能性幹細胞から始原生殖細胞を誘導する方法が開発できたことを報告している。タイトルは、「Sox17 is a critical specifier of human primordiall germ cell fate(Sox17はヒト始原生殖細胞への運命決定に決定的な役割を果たす)」だ。筆頭著者はNaoko Irieとあるので、ひょっとしたら慶応の松尾さんのところで研究していた入江さんかもしれない。研究ではNanosと呼ばれる遺伝子を標識し、始原生殖細胞(PGC)の出現をモニターできるようにしてPGCの誘導条件を調べている。結局わかったのは、普通のES細胞からは誘導が難しいが、昨年ここでも紹介したJacob Hanaの方法を使って培養した多能性細胞(http://aasj.jp/news/watch/664)を使うと培養4−5日目をピークにNanos養成細胞が誘導できる点だ。この研究の半分は、この培養法を開発できたところで完成したと思う。あとは、本当にPGCか?誘導に必要な分子メカニズムは?に関する実験が着々と進められている。胎児生殖臓器にある生殖細胞や、精巣がんなどとの比較から、十分PGCと結論できそうだが、ここは慎重にPGC様細胞と名付けている。この論文では、この分化課程を追求するとき、CD38と呼ばれる表面抗原が特異的マーカーとして利用できることを示しており、これは重要な発見だ。このおかげで、どの研究室でもアルカリフォスファターゼとCD38を用いて、PGC誘導をモニターできる。最後に分化誘導メカニズムだが、これは正直驚きの結果だった。マウスで内胚葉誘導に関わることが知られているSox17が、ヒトでは多能性幹細胞段階からPGCへの初期運命決定にかかわっているという予想もつかなかった発見が示されている。この分子がBLIMP1と呼ばれる生殖細胞を他の系列から分ける転写因子の上流で働いていることも、遺伝子ノックアウトES細胞を用いた実験で明らかにしている。このように最初の段階が、その鍵となる分子も含めて明らかになることで、おそらくこの分野は大きく進展するだろう。この研究のおかげで、マウスとヒトでは使われる分子のレパートリーが大きく違うこともよくわかった。マウスで研究を行えばいいという暴論はもう出ないだろう。次は、実際の生殖細胞の誘導だが、我が国の特定胚・ヒトES細胞研究小委員会の議論はどの方向に進むのか、明らかに重要な節目に差し掛かったと思う。しかし、Suraniさんは今も優秀な日本人研究者を育ててくれているようだ。

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12月27日:ゲノム解析によるガンの予測(EbioMedicine誌オンライン版掲載論文)

2014年12月27日
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先日MYCODEの遺伝子診断の結果が返ってきた。気になるガンについてリスクを調べると、基底細胞癌リスクが2倍以上と高値だ。あとは、ユーイング腫瘍と、慢性リンパ性白血病が平均より高いリスクだった。この3腫瘍のうちでユーイング腫瘍は遥か昔に発生年齢を超えているし、皮膚ガンの方もまあ命に関わるほどではない。最後の慢性リンパ性白血病は私たちの世代に多い疾患なので少しは気になる。一方私自身はバレット症候群とすでに診断されているが、遺伝子診断からの食道がんリスクは正常集団に入っている。当然のことだが、ガン体質をゲノムだけから予測するのはそう簡単ではない。さらに、私のように65を越えると、生活習慣からくるエピジェネティックな影響が大きいため、遺伝子検査の意味が薄まってしまっている。とはいえ、集団の中の自分の位置がわかること、また65を超えていたとしても、リスクが高いと指摘された疾患を気にとめるようになるのは悪いことではない。次はぜひ全ゲノムを調べてみようと考えている。しかし、全ゲノムとなるとそこに何が書かれているか理解することの方が問題だ。現時点でゲノムデータからどの程度のことが言えるのか?この問題を調べたのが今日紹介するテキサス大学内科からの論文で、フリーアクセス可能なEbioMedicine誌に掲載されている。タイトルは」Whole genome sequencing for diagnosis and discovery in the cancer genetic clinic(ガン遺伝子診療部門での診断とガンの発見に全ゲノム解析は使えるか)」だ。この研究はがん細胞のゲノム解析ではなく、生まれついてのゲノムの解析からガンの危険性についてどれだけ理解できるかを確かめようとしている。研究では家族にガンの患者さんがいるので、自分のガンとの関わりを知りたいと大学のガン遺伝子相談室を訪れた患者さんのうち、乳ガンや卵巣ガンの原因となることがわかっているBRCA1.BRCA2遺伝子に突然変異のある患者さん176名、この2つの遺伝子は正常と診断されたガン患者さん82名の全ゲノム配列を決定し、現時点で遺伝子相談にどの程度使えるかを検討している。将来の外来診療というセッティングを考え、塩基配列決定や情報解析はテキサス大学で行わず、基本的に外注している。ただ、予想された通り、データが膨大すぎて結果をまとめるのは簡単でない。塩基配列は全ゲノムについて行っているが、結局この研究ではタンパク質に翻訳されるエクソーム部分に限って調べている。まずわかるのは、現在外注で得られるゲノム解析の精度はまずまずで、すでに確認されているBraca1/2の突然変異をほぼ9割完全に診断している。残りの1割についても、正確な変異の特定には失敗しているが、異常ありと判定できているので、見落としの確率は低そうだ。一方この二つの遺伝子に異常がないとされているグループでも、これまで知られていないBrca遺伝子変異が見つかる。ただ、見つかった変異が機能阻害につながるかどうかは研究が必要だ。次にアミノ酸変化を伴う突然変異となると膨大な数に上り、これまで開発された様々な解析ソフトを使っても、それぞれの意味を解析することは現時点では不可能に近い。したがって遺伝子相談で説明するには、これまでの研究でガンとの関係が明らかにされている遺伝子に解析を絞るしかないことがわかる。それでも、平均6−7個の遺伝子で変異が見つかる。そしてそれぞれの変異の持つ意味については患者さんに説明できるほど理解が進んでいない。この意味で、今後外来レベルでアラートが出るようなユーザーに優しい解析ソフトの開発が急がれる。最後に、ガンの発生には遺伝子の活性が上昇する突然変異を伴うことが多いが、活性化につながることがわかっている突然変異は限られている。一方、乳ガンを引き起こすBrca遺伝子変異は機能欠損型だが、機能の失われる突然変異は診断がつけやすい。このため、患者さんに正しい情報を伝えるという点からは、機能が失われる突然変異に絞って説明する方が良いことも示唆している。実際一人当たり2個弱の遺伝子変異については臨床的に理解可能で、指導に利用できる。他にも、ガンだけでなく他の病気に関わる変異が約10%の人に見られる。これも遺伝子相談にとっては重要なデータになる。結局、現時点で全ゲノム配列を調べても、ガンのリスクを予想するには私たちの知識が足りないことを示す結果になっているが、かといってゲノムを調べても意味がないという結果でもない中途半端な結論に終わっている。コストにもよるが、私自身は自分を知るという点でゲノムは欠かすことのないデータだと思っている。もちろんこれまでも、これからもゲノム研究は私たちの健康や病気の理解・診断・治療に役に立つ。しかし、21世紀は「役に立つ」を超えたところにゲノムを位置付けることから始めるべきだと確信している。

カテゴリ:論文ウォッチ

12月26日:タッチスクリーン操作による脳変化(1月5日発行Current Biology掲載論文)

2014年12月26日
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昨日はiPadを取り上げたので、今日はスマフォを取り上げる。iPhoneが出たばかりの頃、これは日本で普及しないのではと思った。というのも、当時の若い世代が片手でしかもブラインドで、携帯電話の小さなキーボードをあやつり、高速で文字を入力している姿を目の当たりにすると、少なくとも我が国の次世代は、この入力スタイルから離れられないのではと想像したからだ。しかしこれは私の取り越し苦労だった。もはや電車の中で見る高校生の多くには同じ文字入力文化を見ることはできない。今やスピードの差こそあるものの、電車に乗ると周りの半分以上がスマートフォン片手に何かに熱中する姿を見ることができる。今日紹介するスイス・チューリッヒ工科大学からの論文は、この新しい文化が私たちの脳をどう変えているのか検証した研究だ。タイトルは「Use-dependent cortical processing from fingertip in touchscreen phone user(スマートフォンのヘビーユーザーにみられる指先に対応する脳変化)」だ。おそらくこの論文の著者は、タッチスクリーンを親指で熱心に操作するスマフォのユーザーを見て、弦楽器奏者の指の早い動きを想像したのだろう。これまで弦楽器奏者で調べられていた指の訓練による脳皮質の再構成が、スマフォユーザーにも見られるのではと思いついた。そこで、スマフォ利用者37名、携帯電話11名に頼んで脳波図検査を受けてもらい、それぞれの指に2msの刺激を与え、脳の反応を調べている。実験は極めて単純だ。それぞれの被験者には前もって、検査前10日間どの程度のスマフォを使っていたのか申告してもらう。検査前にはスマフォのログからそれ以前の100時間どれだけ頻繁に使っていたのか、最後にスマフォを使っていた時から検査までに経過した時間などを調査し、脳変化との相関を調べている。さて結果だが、予想通り、スマフォを使っていると親指だけでなく、人差し指、中指まで、刺激に対して敏感になっている。ただ、この反応性は何年スマフォを使っていたかより、検査前100時間にスマフォを使っていたかと相関し、検査前最後に使った時からの時間に逆相関することがわかった。また、2本の指に刺激を加えて反応性の鈍化を見る方法で、スマフォユーザーでは親指と人差し指の統合性が高いことも示している。いずれにせよこの研究からの結論は、直近の使い方で指刺激に対する脳の反応性が決まるということで、まだ完全に脳がスマフォ親指に合わせて再構成しているわけではないという結果だ。使い始めてからの長さに相関しないというのは意外だが、スマフォが普及して短いことを考えると、弦楽器奏者のように本当の訓練で脳回路を変化させているのとは全く違うようだ。しかし、今後何年も経って、スマフォ入力チャンピオンなどが出て来れば、この実験もまた違う結果が出るような気がする。いずれにせよ、思いついたことはやって見て論文にするという熱意には感心する。

カテゴリ:論文ウォッチ
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