8月6日:広島被曝の日に福島を考える(8月1日号The Lancetの特集記事)
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8月6日:広島被曝の日に福島を考える(8月1日号The Lancetの特集記事)

2015年8月6日
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今年も8月6日は暑い日になりそうだ。原爆投下について答えられない児童が増えたというが、2014年で約20万人の広島、長崎で被曝した方が生きて暮らしておられる。この方々の声を日本中の子供達に聞かせる工夫をするのが教育だろう。そこに2011年の福島だ。これを後の世代に正確に伝えていく工夫が必要だが、その基礎となるのが科学的研究だ。8月号のThe Lancetでは、広島・長崎・そして福島第一という特集を組んで、4編の総説を掲載している。最初の総説は、広島大学を中心として、広島、長崎の被爆者の方々のコホート研究がどのように行われ、何がわかったのかがまとめられている。被曝時の状況の聞き取りから被曝線量が推定されているコホートはこの研究しかないし、また最後であって欲しい。実際のコホートがスタートしたのが5年後の1950年と遅れているのは戦後の混乱のせいだと思うが、被爆者を援護する法律ができたのがようやく1957年であったのを再認識すると、GHQも政府も取り組みが遅かったかわかる。もちろん白血病を中心に被曝により発がんリスクが高まることは明確だが、一方被爆者の子供達は統計的に親の被爆の影響が見られないことは重要な結果だ。今福島の若い女性は差別を恐れて生まれを隠す人がいると聞くが、是非被爆2世の結果をもう一度再認識して欲しい。被爆後70年にわたって蓄積されたデータや資料についてもっと多くの利用と周知が進むことを期待する。次の総説は福島第一を中心に原子炉事故についての総説で、福島大学を中心に多くの施設が参加して書いている。しかし、大きな事故としてスリーマイル島から福島まで、3回も起こっていることはもう一度認識すべきだ。安全という数字ではない。過去の経験から原発が安全でないと知った時、さらに科学を盾に安全性を訴えるのか、やめるのか、政府だけで決められる問題ではない。被爆については、福島原発で働く人たちと、原発に近接した地域の住民と分けて書かれている。原発労働者については確かに被爆の管理は一部を除いてしっかり行われている。しかし、前にも書いたが長期追跡が重要で、特に普通の原発維持とは違う状況の中で働いた人を一人残らず追跡するための体制を確立することは急務だ。許容範囲とはいえ、間違いなく通常より高い被爆を受けている。福島医大を中心にしっかりと追跡が行われているという印象を持ったが、もっと支援が必要だろう。東北メガバンクを始め最初からゲノム解読を全員にやるなどと金を使うことしか考えない土建屋型プロジェクトが多いが、一番重要なのは被爆した人に寄り添いながら行う、正確な把握と追跡で、ゲノムなどコストが安くなってからやれば済む。実際シークエンスコストがどんどん下がっている時に、シークエンスが先にあるなど考えるようでは、結局壮大な無駄と借金が残るのではと懸念する。この総説で特に指摘されているのが、被爆より、被爆後、その後の生活のストレスからくる精神的障害で、これはチェルノビリも同じようだ。3番目の総説は、これらの分析を基礎に、原発労働者や住民の保護などに具体的提言を多く行っているので、是非行政の人には一読を進めたい。そして最後、福島医大の後藤さんとハーバードパブリックヘルスのライヒさんが、この特集のまとめとして、長期的取り組みの必要性を説いている。最後に彼らの3つの提言を聞いて、今日の報道ウォッチを終わる。 1) 地域ぐるみの取り組みができるシステムを確立すること。地域を孤立させない政策が必要だ。価値を共有して、福島で壊れた絆を取り戻す。 2) 被爆者の追跡を独立して行うのではなく、地域医療システムの中に組み込むこと。(メガバンクといった土建事業などもってのほかだ?)。コホートはデータの追跡ではない。患者さんと向き合って、カウンセリングを含めて追跡を進めることがあるべき姿だ。 3) 政府の取り組みが実を結んでいるのか、独立に評価することが重要。(本当に必要なところにお金が行っているのか、仕分けが必要だろう) カッコ内は私の感想。 最後に、この4編の総説に引用された論文は今後の科学記録として重要だ。書いた著者たちに感謝したい。しかしイギリスの雑誌がこのような特集をしている時、日本の医学誌は何を特集しているのか興味がある。
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8月5日:エチオピアの長距離ランナーが速い理由(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2015年8月5日
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私たちの世代はエチオピアというとローマ、東京とオリンピック2連覇を果たした裸足のマラソン選手(といっても東京オリンピックでは靴を履いていた)アベベ・ビキラを思い出す。禁欲の鉄人といった風貌で誰も寄せ付けない独走を果たし、間違いなく東京のレジェンドとなった。もちろんアベベに限らず、エチオピアやケニアの人はマラソンが強い。これは単純な高地順応ではなく、低酸素で運動能力が落ちない特殊な順応が起こっているからで、この秘密を解こうとゲノム研究がこれまでも行われてきた。今日紹介するカリフォルニア州立大学サンディエゴ校からの論文はゲノム研究から見つかってきた候補遺伝子が実際に高地での運動能力に関わっていることを示した研究でアメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Endothelin receptor B, a candidate gene from human studies at high altitude, improves cardiac tolerance to hypoxia in genetically engineered heterozygote mice (人間の高地順応に関する研究で特定されたエンドセリン受容体B(EDNRB)は遺伝子改変したヘテロマウスの低酸素下の心臓耐久性を改善する)」だ。このグループは昨年エチアピア高地民族のゲノム解析からEDNRBに高地順応と関連するSNPが集中していることを報告している。この研究ではこの多型の性質についてまず詳しく調べ、多型がEDNRBの転写調節に関わる領域に存在し、おそらくEDNRBの発現量が低下しているという結論に至った。私も色素細胞など神経堤細胞分化を研究していたことがあるのでこの分子には馴染みがある。欠損すると致死的で、突然変異によって色素の異常や心臓形成の異常とともに、ヒルシュプルング病と呼ばれる腸の神経細胞が欠損するため蠕動が止まってしまう病気がおこる。しかし、なぜこの遺伝子が高地順応に関わるのか不思議に思った。おそらくこのグループも同じ印象を持ったと思う。そこで、ノックアウトマウスを作成し、大人になってから半分の遺伝子だけが働くヘテロマウスの低酸素下の運動機能を調べている。すると、ヘテロマウスは低酸素下での低血圧が起こらず、心拍出量が維持され、血中の乳酸値も低く止まっていることがわかった。すなわち、心臓機能が高地順応している。明確な結果はここまでで、なぜ心臓でこのような順応が起こっているのか調べるために正常とヘテロマウスの心臓の遺伝子発現解析をして、ATPエネルギーの生産が高く、カルシウム代謝が変化していることを示唆しているが、これは結果か原因かよくわからない。とはいえ、EDNRBが成人心臓機能に関わることは様々な生理学的研究から明らかで、今回の結果もこれを反映しているのだろう。しかし意外な遺伝子が特定されたものだ。最近オリンピック委員会に提出されたドーピングの実態レポートが話題を呼んでいる。しかし有名な遺伝的赤血球増多症を持っていたフィンランドの距離スキー選手や、今回のEDNRB遺伝子多型のように生まれついての優位性は五輪では問題にならない。普通の人間がこのハンディを乗り越えるためには結局薬物に頼ることになるのかもしれないが、これからますます規制は強まるだろう。将来、EDNRBがヘテロの子供を早期に選別してマラソン選手に育てるなど、ゲノム診断をスポーツに生かそうとする国が出てくる可能性が高い。生まれつきのアドバンテージについてもはっきり議論をしておいたほうがいいような気がする。
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8月4日:2つのリボゾームを合体させて一つにする(Natureオンライン版掲載論文)

2015年8月4日
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ほとんどの細胞機能をタンパク質ベースに考えてしまう凡人にとっても、リボゾーム上でmRNAからペプチドが翻訳される過程は最も重要なはずだが、リボゾームの主体がもともと馴染みのないRNAでできているため、リボゾーム=タンパク質の工場と言ったステレオタイプな理解で済ましてしまう。そんな私から見ると、あの複雑なヘアピン構造から機能をイメージできるリボゾームRNA研究者の頭の中はほとんど奇跡に見える。その結果、リボゾームについての論文は、「まあ専門家に任せておけばいいや」と遠ざけることになる。しかし今日紹介するイリノイ大学からの論文はそんな凡人を読む気にさせるタイトルでNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Protein synthesis by ribosomes with tethered subunit(サブユニットを結合させたリボゾームでタンパクを合成する)」だ。あらゆる生物で、リボゾームが16Sと23Sの二つのサブユニットからできていることは誰でも知っている。素人の私はこの構造がmRNA を16Sで補足した後、23Sで集まったトランスファーRNAの運ぶアミノ酸をペプチドにつなぐための必然なのだろうと納得してきた。なんとこの研究ではこの2つのサブユニットを結合させて一つの遺伝子にしてしまおうというのだ。凡人の頭では、両方の機能を阻害しない長いRNAのリンカーで繋げばいいのではと思うが、もともと両方のサブユニットの端は離れ過ぎており、そんなリンカーはすぐ分解されて役に立たない。実際には大変なステップを一段一段解決してこれを実現している。まず23SRNAの機能を維持したまま、断端が16Sの断端に近づくよう設計した23S RNA を作り、これを16Sの途中に挿入することで、16S,23Sが合体した70Sリボゾームを作っている。実際にはすべて設計通りにはいかないため、rRNAを欠損させた大腸菌に導入して、十分増殖できる突然変異株を分離することで、最適化している。こうして実現した結合リボゾームが大腸菌内で分解されず、試験管内や大腸菌内でも通常のリボゾームの代わりをすることを確かめ、次いでリボゾームの合成効率を高めた変異株を分離した後、新しい系を使って新しい機能を獲得したリボゾームを作ることが可能か調べている。この課題として(私にとっては全く初めて聞く話だが)、普通のリボゾームでは翻訳が途中で止まってしまう遺伝子を使っている。詳細は省いて単純化して説明すると、できたペプチドがリボゾームに引っかかって途中で停止するのを、リボゾーム側を変化させることで防げないか調べている。その結果、これまで特定できなかった翻訳を停止させているリボゾーム側の部位を特定している。これまで、2つのサブユニットに分けることで、フレキシブルな翻訳工場ができると思い込んできたが、この先入観は覆された。今後はこのような系を利用してリボゾーム工場が様々な機能を持つよう進化させることが可能になるだろう。なんといっても、リボゾームが分かれている必要がないことがわかっただけでも驚くべきことだ。ひょっとしたら、次は70Sリボゾームを持つ生物の発見かもしれない。
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8月3日:ハンチントン病発症を遅らせられないか(7月30日号Cell掲載論文)

2015年8月3日
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ハンチントン病は、舞踏様運動と呼ばれる突発的に起こる踊るような手足の不随運動が特徴的な脳神経変性性疾患だ。他の変性性疾患と同様、進行性で現在のところ治療法がなく、唯一細胞治療の可能性がフランスなどで試みられている程度だ。多くの神経変性性疾患と異なり、病気の原因については、4番目の染色体に存在するハンチントン遺伝子(HTT)に存在するCAG繰り返し配列の数が増えることにより、神経細胞内にHTTタンパク分子が沈殿し細胞が死ぬことが主因であるとわかっている。したがって、繰り返し配列を遺伝子から除去しない限り、病気を治すことはできない。今日紹介するハーバード大学を事務局とするハンチントン病修飾因子探索コンソーシアムからの論文は、この厳しい状況をなんとか打開するきっかけを見つけようと、多くの機関が連携して病気の経過に影響を及ぼす遺伝的素因について調べた研究で7月30日号発行Cellに掲載された。述べた様に、HTT遺伝子の繰り返し配列の長さとハンチントン病発症が相関していることは明らかだが、同じ長さの繰り返し配列を持っていても、発症時期はまちまちだ。ほとんどの患者さんで最初の運動症状を示すのは35歳−40歳だが、20歳代で発症する症例もあり、大きなばらつきがある。もしこの差を生んでいる遺伝子背景が見つかれば、進行を遅らせるための方法が開発できるのではと考え、この研究では多くの患者さんの発症時期と相関するSNPをDNAアレー法を用いて調べている。千人規模の解析から、15番染色体と、8番染色体にハンチントン病発症時期と相関するSNPを見つけている。特に15番染色体の同じ場所に見つかった2つのSNPの一つは発症時期を6年程度早める効果があり、もう一方は1年半ほど遅らせる効果を持つことが分かった。この領域にはFAN1と呼ばれるDNA2重鎖の片側がの断裂を修復するときに働くヌクレアーゼと、MTMR10(脱リン酸化酵素活性を失ったフォスファターゼファミリー分子)が特定される。以前の研究でやはりDNA修復に関わるMLH1機能異常により病気の発症が早まることが示されていたことと合わせて考えると、ここでもDNA修復機構が病気発症の修飾要因として働いていることがわかってきた。今後この研究で発見されたSNPがなぜ発症時期に影響するのか実験モデルを使ったメカニズムの研究が行われるだろう。iPSも利用可能だ。だからといって、すぐ治療法が開発できると保証できるものではないが、遺伝病だからと諦めず、病気に関わるあらゆるプロセスを洗い出すことは治療法開発に重要だ。このような研究は実際にハンチントン病患者さんを診ている医師が集まって進めるしかなく、その意味で一つの方向性を示した研究と言える。私自身はこの論文を読んで、6月7日に紹介した、神経興奮はDNAが切断を誘導して細胞の転写を変化させるという研究を思い出した(http://aasj.jp/news/watch/3560)。ハンチントン病は生まれたときに診断が可能だ。もちろん「考えない」という治療法はないだろうが、脳内のFOS分子誘導が抑えられるような生活法もひょっとしたら将来の治療の選択肢にならないかと思う。次はおそらく全ゲノム解析の結果が出てくるだろう。諦めず、期待したい。
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8月2日:調節性T細胞と妊娠(7月30日号Cell掲載論文)

2015年8月2日
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私が免疫学に関わっていた頃は、異物に対する免疫反応と、自己に対する免疫寛容の2元論で話が済んでいた。そんなとき、千葉大学、のちに東大に移った多田先生のグループが、抗原特異的サプレッサーT細胞の存在を示す論文を発表し一世を風靡した。しかし、その後T細胞受容体とそれが認識する組織適合性抗原の遺伝子が明らかになることで、サプレッサーT細胞の概念はあっという間に消滅してしまった。あのときのフィーバーはなんだったのかと思うが、そんなときクローン選択による免疫寛容だけでなく、免疫反応を調節する抗原特異的T細胞が存在することを示したのが現大阪大学阪口さんだ。サプレッサーT細胞へのアレルギーがある頃で、論文を通すのに苦労していたのを覚えているが、今やこの概念は免疫学の中心に躍り出て、今年ガードナー賞を受賞している。今日紹介するシンシナティ大学からの論文はこの調節性T細胞(Treg)が、母親の免疫的自己を記憶することで妊娠時に胎児への反応が起こる確率を減らしていることを示唆する極めて概念的研究で7月30日号のCellに掲載された。胎児は母親から見ると父親の遺伝子を持つ異物になる。そのため免疫反応を抑制するため様々な仕組みが発達していることが知られているが、Treg誘導もそのひとつだ。ただ、これまでの考えは、この防御機構は妊娠時の母親と胎児の関係だけに通用し、その胎児が次の世代を妊娠する時まで影響はないとしてきた。この研究では、母親の細胞が子供に維持されることで、子供がさらに多様な抗原(子供には母親の持つ抗原の半分しか伝わらない)に対するTregが維持され、この維持が次の世代の妊娠、特に遺伝的に異なるオスと交配した時の胎児への免疫寛容に重要な働きを演じることを証明しようとしている。詳細は全て省くが、母親からの抗原とそれに対する反応を完全にモニターできる凝ったトランスジェニックマウスを使って、母親の細胞が子供に維持されているか、母親の細胞が発現している抗原に免疫反応が起こっているか、それに対するTregが誘導されているかなどを、様々な条件で調べている。その結果、1)子供の様々な臓器で母親の細胞が長期間維持されている、2)この結果母親の細胞に対する寛容を維持するTregが誘導されている、3)Tregの維持誘導には胎児期と同時に、母乳を通して母親の細胞が子供に流入することが必要、4)また成長後母親の細胞を除去するとTregが減少し、寛容が壊れること、5)Tregが誘導されないと、組織型の異なる父親胎児を妊娠した場合、子宮内感染などによる流産が増えること、6)Tregを妊娠途中で除去すると、組織型の異なる胎児の流産率が上がることなどを示している。これらの結果から、母親の細胞を長期間体内に維持することで、自分とは異なる組織適合性に対する寛容性を高めておいて、組織型の一致しないオスとの子供を持つチャンスを上昇させるという、少し概念的すぎる結論を導いている。ただ、そこまで考えを広げなくても、母親の細胞が子供に維持され、子供の免疫学的自己のレパートリーを拡大している点については納得できる。もともと高次脳機能の自己は、様々な他を受け入れて自己を形成できる点で、自己のゲノムを超えている。一方身体の自己も、自分のゲノムだけで決まるとしてきたこれまでの前提が、腸内細菌叢、そしてTregによる免疫学的自己の登場で大きく変化しているような気がする。しかしTregの概念がここまで広がっているのかと感心する。
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8月1日:全ゲノムレベルで個人間の遺伝子発現の違いを調べる(7月21日号Cell System掲載論文)

2015年8月1日
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Cell Pressがまたまた新しい雑誌を発行することになった。Cell Systemsと言うタイトルで、いわゆるSystembiology全般を扱うための雑誌だろう。ただ、わが国でSystembiologyというと圧倒的に生物の行動を力学的数理処理により予想することが中心になっているが、7月29日の最初の雑誌に掲載された多くの論文が、全ゲノムレベルの情報処理を扱っており、生物をシステムとして全体的に眺める研究なら全て扱うように思える。しかし、CellとNatureによる寡占体制が急速に進んでいることを強く認識した。  さて、せっかくの第一号ということで、一つ論文を選ぼうと眺めたところ、一番興味を引いたのが今日紹介するスタンフォード大学からの研究で、個人間の遺伝子発現の違いを全ゲノムレベルで調べる研究で、タイトルは「Individuality and variation of personal regulomes in primary human T cells(T細胞のゲノムレベルの遺伝子発現状況の個人間の変異)」だ。例えば、全身性の自己免疫病は女性の方に多いが、なぜこの差が生まれるのかは遺伝子の配列の違いより遺伝子の発現調節の差によるところが多い。もちろん病気のリスクが個人個人で異なる原因の多くもそうだ。ただ、塩基配列の明らかな違いとして現れる差と違って、この発現量調節に関わるゲノムの差を特定するのは難しい。遺伝子発現はゲノム配列を反映していても、その発現は細胞ごとに異なる。エピゲノム研究が進んで、遺伝子発現の状態を調べることが各細胞で可能になってきたが、技術的にもコスト的にもハードルは高く、気軽に使えない。特に必要な細胞数を患者さんから集めるのも一苦労になる。この問題を解決するATAC-seqと呼ばれる方法を開発したのがこのグループで、これにより500−50000個の細胞があれば、現在活動可能になっている全遺伝子領域をマップすることを可能にした。原理は、タンパクの結合していない裸のDNA部位に選択的に挿入されるトランスポゾンを使っている。核を抽出してこれをトランスポゾン反応を支持する溶液に浮かべ、そこに遺伝子シークエンスに用いるプライマー配列を挿入したトランスポゾンを感染させる。すると、染色体の裸のDNA部分にトランスポゾンが飛び込み、これによりゲノム全領域の中で染色体の開いた場所を標識することができる。この標識はシークエンスプライマーになっているので、この標識部位をシークエンスるだけで、開いた染色体、すなわち転写が活性化されている場所とその頻度を調べることができる。大変よくできたシステムで、多くの研究室で使われるようになるのではと予感がする。研究ではこの方法を用いて、T細胞での遺伝子発現の男女差について焦点を当てた研究を行っている。この研究から、 1) X染色体不活化(http://aasj.jp/news/watch/3802参照)の際、同じ染色体にありながら不活化を免れる遺伝子の特定、 2)女性特異的に染色体が開いている場所の多くが、インターフェロンなど免疫エフェクターの転写に関わること、 3)このような部位の多くは一分子多形探索研究で様々な自己免疫病に関わるSNPとして特定されている領域と重なること。 4)試験管内でのT細胞活性化の経過をこの方法で追いかけて、病気と比較することができること。 などが示されている。論文では、それぞれの結論を他の方法と比べる膨大な実験を行っているが、それを割愛してもこの新しい方法が極めて優れた検出法であることがよくわかると思う。おそらくキット化され、臨床研究にも利用は拡大し、これまで特定が難しかったなんとなく家族に多いと言った病気リスクについての理解に大きく貢献すると思う。しかし、いい論文を軒並みさらっていくCell Pressの寡占体制は当分揺らぐようには思えない。
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7月31日:ユーイング肉腫発症メカニズム(Nature Geneticsオンライン版掲載論文)

2015年7月31日
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腫瘍が遺伝子の変異を基盤に発症することはまず間違いないが、ゲノムに起こった変異が特定されても、なぜ腫瘍が発生するのかわからないケースも多い。聞きなれない方も多いと思うが、そんな腫瘍の一つがユーイング肉腫だ。間葉系幹細胞に起こる腫瘍ということで私もずっと興味を持っているが、EWSR1(ユーイング腫から遺伝子の名前が付けられている)とFlI1(他のETSファミリー遺伝子の場合もある)が転座によってキメラ遺伝子を形成することが原因変異として特定されている。また、マウスの線維芽細胞株にこの転座キメラ遺伝子を導入することで腫瘍が発症することから、このキメラ遺伝子に発がん性があることも確認されている。しかし、この遺伝子が発現するとなぜ異常増殖が始まるのかはよくわかっていない。特にこの腫瘍は、この転座遺伝子以外に明確な遺伝子変異がなく、それも研究を困難にしていた。今日紹介するフランス・キュリー研究所からの論文はこの問題解明へ大きな一歩となる研究でNature Geneticsオンライン版に掲載された。タイトルは「Chimeric EWSR1-FLI1 regulates the Ewing sarcoma susceptibility gene EGR2 via GGAA microsatellite (EWSR1-FLI1キメラ遺伝子はユーイング肉腫発症の感受性に関わるEGR2遺伝子をGGAAマイクロサテライトを介して調節する)」だ。ゲノム全体の変異を探索する研究から、EWSR1-FLI1遺伝子に加えて腫瘍発生の感受性を上昇させていると考えられる遺伝子部位がいくつか特定されていたが、この研究では細胞の増殖に関係ありそうな10番目の染色体にあるEGR2に狙いをつけている。この分子の発現をユーイング肉腫で調べると、発現が異常に亢進していることを発見した。この発現を抑えると、腫瘍の増殖は抑えられる。また、この分子を上流で制御している増殖因子のうち、FDF受容体がEGR2分子の発現に関わり、この腫瘍のドライバー遺伝子として働いていることを明らかにした。最後に、ではどうしてEGR2遺伝子の発現が上昇するのか、この領域のDNA配列を詳しく調べると、マイクロサテライトと呼ばれるGGAAの繰り返し配列が存在し、ユーウィング肉腫の患者さんでは、この中の配列が変化して2つのマイクロサテライトが結合して長いマイクロサテライト配列が新たに形成され、EWSR1-FLI1により誘導される遺伝子発現を大幅に亢進させ、発がんに至ることを突き止めている。これまで私は、EWSR1-FLI1キメラ遺伝子が発現すれば、多くの遺伝子の発現が上昇して、その結果腫瘍が発生するのかと単純に考えていた。しかしこの論文により、EWSR1-FLI1転座とともに、これに反応する側の遺伝子の変異が存在する必要があることが明確に示された。今後、同じようなマイクロサテライト変異が他の遺伝子領域に存在するか調べられ、他の治療可能性も探索されるだろう。長年興味を持ってこの病気についての論文を読んできたが、この論文のおかげでだいぶん整理がついた。
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7月30日:核酸代謝をガン治療の標的に(Natureオンライン版掲載論文)

2015年7月30日
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今書いている本で生命の始まる前の化学について考察する必要があり、有機物の代謝を勉強中だが、学生時代から代謝、特に代謝マップを見るのは苦手だった。基本的な代謝経路を含め、今でもほとんど頭に入っていないため、代謝経路に関わる論文を読むときはどうしても苦労する。それでも、医学部に入って最初のころ早石先生が核酸代謝とその異常について講義していたのを不思議と覚えている。今日紹介する英国オックスフォード大学からの論文はその核酸代謝の話だが、代謝嫌いの私が面白く読むことができた研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「CDA directs metabolism of epigenetic nucleosides revealing a therapeutic window in cancer(シチジンデアミネースはエピジェネティックな修飾を受けた核酸代謝を調節し、ガン治療の一つの可能性を示す)」だ。この研究は素朴な疑問から発している。私たちの核酸、特にシチジンはメチル基やハイドロオキシメチル基で修飾されることで、遺伝子発現の調節に一役買っている。核酸は分解された後再利用されることがわかっているが、もし修飾された核酸がそのまま複製時に取り込まれたら、エピジェネティックな標識が乱れてしまうはずで、それを抑制する機構が必要となる。この研究はこの機構の解明を目指して行われ、代謝研究のテクニックを使って、修飾を受けたシチジンが分解され、その後2番目のリン酸を付加されるときに働く酵素がメチル化シチジンやハイドロオキシメチルシチジンには働けないことを突き止めた。この過程が壁になって、修飾されたシチジンがゲノムにとりこまれることが防がれている。実際の細胞でも、この防御が働いているかを調べる目的で細胞を高い濃度の修飾したシチジンと培養した所、ほとんどの細胞は期待通り正常に増殖した。すなわち修飾シチジンはとりこまないよう防御が働いていたが、幾つかのがん細胞で細胞死が認められるのに気がついた。なぜ防御が敗れたかを調べた結果、これらのガンではシチジンデアミネースという酵素の発現が上昇しており、これがシチジンのアミノ基を外して、メチル化シチジンをウリジンに、ハイドロオキシメチルシチジンをハイドロオキシメチルウリジンに転換してそのままゲノムにとりこませていることに気がついた。ウリジンは問題ないが、ハイドロオキシメチルウリジンはとりこまれると遺伝子が切断される。すなわち、デアミネースの上昇で他の核酸リサイクル経路が働いてしまって、本来存在していた防御が崩壊していることになる。様々な腫瘍でこのデアミネースが上昇していることがわかっているので、この現象を逆手にとって、デアミネースの高いガンを修飾シチジンで殺せるか調べると、正常組織には影響なく、ガンが縮小する。したがって、ガンのシチジンでアミナーゼの発現量は治療計画に結構重要な検査項目としてもっと注目すべきだという結論だ。質問も素朴で、最後も十分納得できる面白い代謝研究だった。
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7月29日:Common variable immunodeficiency (分類不能な免疫不全症)の新しい原因:臨床研究から基礎研究へ(7月24日号Science掲載論文)

2015年7月29日
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Common variable immunodeficiency(CDI)という診断名がある。よく原因がわからないが、免疫不全と自己免疫病や、リンパ球増多症が同居する不思議な状態で、現役の時も分かったという感じがしなかった。特に免疫領域で阪口さんの制御性T細胞(Treg)が定着してからは、全体の反応バランスがブレーキとアクセルで微妙に調整されていると考えられるようになり、単純化して状態を把握することが難しくなった。さらにTregが発現して免疫のチェックポイントを調節するCTLA4のシグナルも一筋縄ではいかない。細胞内の小胞に蓄えられていて、刺激とともに急に表面に出る。とはいえ、CTLA4の機能を阻害したり、CTLA4の代わりになる物質が開発され、免疫を上げたり下げたりする目的で使われている。今日紹介する米国国立衛生研究所からの論文は、CDIの一つの原因遺伝子を突き止めて、なぜこの変異がCDIを引き起こすか調べた研究で7月24日号のScienceに掲載された。タイトルは「Patient with LRBA deficiency show CTLA4 loss and immune dysregulation responsive to abatacept therapy (LRBA欠損の患者さんはCTLA4の発現が低下し、abataceptに反応する免疫異常を示す)」だ。タイトルにあるabataceptというのは、CTLA4の作用を真似する目的で開発されたCTLA4とヒト免疫グロブリンFc部分のキメラ蛋白で、免疫を抑える目的で現在リュウマチに利用されている。経緯は詳しく書かれていないが、おそらくゲノムを調べるうちCDIの患者さんの中にLBRA分子の突然変異がある症例が発見されていたのだろう。この研究では両方の染色体でこの分子が突然変異を起こしている患者さんを調べている。患者さんは特に自己免疫による炎症が強く、また肺の炎症で呼吸機能が強く低下している。この患者さんの治療の一環としてabataceptを投与したところ、大きな効果が見られ、炎症が治まり、呼吸機能も回復したことから、このグループはLRBA機能不全がCTLA4の発現異常を起こしているのではと考え、今回の研究につながっている。詳細は割愛して結論だけをまとめると、LRBAは小胞体で蓄えられるCTLA4と結合し、リソゾームに移動して分解させないようにし、リサイクルを促進する過程に関わるという結論だ。このため、この分子が欠損すると分解が進み、CTLA4のリサイクルがうまくいかず、免疫のチェックポイント機能が働かなくなるという結論だ。これまでスッキリしなかったCDIについて、ある程度頭の整理がついてきた気がする。私がまだ免疫学にタッチしていた頃にホットトピックスだった話が、CDIという複雑な病気の理解に総動員され、その結果患者さんを治療することができるようになったという話で、納得の論文だった。しかし、CDIをはじめ原因がよく分からない病気はゲノムから調べてみることの重要性を再認識した。
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7月28日:カメムシは場所に合わせて色の違う卵を産む能力がある(8月3日号Current Biology掲載論文)

2015年7月28日
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翻訳があるかどうかわからないが、Stuart Firesteinという異色の経歴を持つコロンビア大学の神経科学者が書いた「Ignorance: How it drives science (無視することがどう科学を動かすか)」という本がある。科学者が何かに焦点を当てることで、他の事象を無視することの問題を取り上げた面白い本だ。焦点を当てた事象とともに無視した事象も同時的に起こっているなら、どう全体を把握していけばいいのかは21世紀の課題の一つだろう。一つの方法は、一般の人がもっと科学に参加するという集合的手法を開発し、無視する領域を縮めることだ。もちろん科学者も常に先入観を捨ててしっかり観察をする必要がある。今日紹介するカナダからの論文はそんな典型で、カメムシの一種が白から黒までの卵を状況に応じて産むという意外な現象の観察記録でCurrent Biology8月3日号に掲載されている。おそらくこのグループは卵の殻の色の多様性に興味を持って研究していたのだろう。事実、鳥でも昆虫でも、卵の色の多様性があるのは誰もが知っている。しかし、これは食べ物や環境による多様性の一つと考えられ、わざわざ環境に合わせて産む卵の色を変える動物がいるなど誰も想像しなかった。この論文のハイライト、はカメムシの仲間マクリベントリスのメスが色素含有量の異なる卵を産むことができるという発見だ。一匹のメスをシャーレの中で産卵させる実験を行い、黒く塗ったシャーレでは場所を問わず黒い卵が、透明のシャーレでは、ヘリや蓋の裏側に産卵するときは白い卵になることを見つけた。すなわち、光とともに、場所の特徴によって産卵する卵の色を変える。野生の状況で調べると、葉の表に産卵すると黒い卵、裏側に産卵すると白い卵になっている。これらから、おそらく重力などを感じて、葉の表か裏を感知して、それに合わせて産む卵の色を変えていることが分かった。葉の表は直接日光に当たり強い紫外線を受けることから、紫外線から卵を守るためではないかと考え、紫外線照射をすると、確かに黒い卵の方が影響を受けにくい。最後に、この色素の性質を調べ、メラニンではなくイカのセピアメラニンに近いことを、日本の色素科学の専門家伊藤さんや若松さんの助けを借りて調べている。話はこれだけで、どのように色素が卵に付加されるのかなど、メカニズムの研究はまだ何もできていない。しかし、一匹のメスが、色の違う卵を意図的に産むことができるという発見だけで十分だろう。焦点を当てながらも、目配りのできる科学者も数多くいる。これに一般の人が加われば全く新しい可能性が開けることは、ギャラクシー・ズーで証明済みだ。すなわち、コンピュータでは分類の難しい天体写真を、25万人の天文ファンが参加することで分類が進んだという成功を生物学も真剣に学ぶべきだと思う。
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2024年12月
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