カテゴリ:論文ウォッチ
9月4日:FOPの進行を抑制できる可能性を示す画期的発見(9月2日号Science Translational Medicine掲載論文)
2015年9月4日
FOPは全身の筋肉が骨化する難病だが、ACVR1(ALK2)遺伝子の特定の突然変異によることがわかっていた。この突然変異により、BMPと呼ばれる骨化を促すサイトカインに対する反応性が上がることも生化学的に示されており、このシグナルを抑制する薬剤の開発が進んでいた。ただ病気の進行自体をよく見てみると、骨化サイトカインに対する反応が促進しているという説明だけでは不十分なことは誰もが感じていた。しかし従来の研究は、BMPシグナルが亢進しているという事実に完全に囚われて、他の可能性を考えることができていなかった。今日紹介するアメリカのベンチャー企業リジェネロンからの論文は、AASJの仲間藤本さんから昨日指摘され論文を読んだが、間違いなくFOPの病態理解に全く新しい道を示すだけでなく、骨化の進行を抑える新しい治療法を示した画期的研究で9月2日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「ACVR-R206H receptor mutation cause fibrodysplasia ossifyicans progresssiva by imparting responsivenesss to activin A (ACVR受容体のR206H突然変異はアクチビンに対する反応性を獲得してFOPを引き起こす)」だ。普通ACVR1はBMPと結合して細胞膜上でACVR2と会合し、smad分子を介して細胞分化を誘導するシグナルだ。ほとんどのFOPの原因であるR206H突然変異が起こると、BMPに対する反応が亢進する。ただ、もしこの亢進が骨化の原因なら、発生過程でもっと大規模な異常が起こっても良さそうだが、FOPは生後徐々に発症する。この著者らは、BMPシグナルの亢進という定説を一から洗い直し、この突然変異はBMPシグナルの亢進だけでなく、普通ならこの受容体を刺激しないアクチビンに反応することを突き止めた。その後、1)アクチビンはACVR1と結合するが、普通はBMPと拮抗してシグナルを抑えていること、2)R206H突然変異が起こると今度はアクチビンをBMPと同じように刺激シグナルとして間違ってしまうこと、を明らかにした。だとすると、アクチビンの作用を抑制することでFOPの骨化を防ぐことができるはずだ。これを証明するため、これまで作成されたよりはるかにレベルの高いマウスモデルを作成し、このマウスモデルで起こる骨化が、アクチビンを抑制する抗体でほぼ完全に抑えられることを明らかにした。マウスの作成の方法といい、多くの抗体を用意している点といい、まさにプロの仕事だ。この結果から、これまで開発されてきた化合物も骨化を抑える効果はあるだろうが、アクチビンに対する抗体がもっとも特異的で、副作用のない治療法になることが結論できる。もちろんここまでわかっても、薬にまで仕上げるにはまだ時間がかかるだろう。しかし共著者にもなっている、リジェネロンの創始者George Yancopoulousは、彼がコロンビア大学の大学院生だった頃から知っているが、学生の時から業績、頭のキレなど全てで群を抜いていた。その彼の会社のことだ、この結果から考えられるアクチビンの中和抗体薬の開発は急速に進められるだろう。FOPに間違いなく光が差したと思う。
9月3日:遺伝子改変Tリンパ球治療の進歩(9月1日号Cancer Research掲載論文)
2015年9月3日
昨年10月18日このホームページで、遺伝子改変自己Tリンパ球移植が、他の治療では手の施しようのなかった再発性のリンパ性白血病の患者さんに著効を示したというペンシルバニア大学からの治験を紹介した。(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2309)。この方法は、CART(chimeric antibody receptor T )法と呼ばれ、ガンに対する免疫を自由に操作する論理的治療法として今もっとも期待されている治療だ。普通ガン免疫というと、ガン細胞が特異的に発現している抗原に対するキラーT細胞を誘導することを意味するが、免疫誘導に関しては個人差があり操作が難しい。この治療では、ガンが発現している細胞表面分子に結合する抗体の抗原結合部位遺伝子をT細胞受容体遺伝子と結合させたキメラ遺伝子を作り、その遺伝子を導入した自己T細胞を使ってガンを攻撃させる。従って、ガン細胞表面に特異的に発現している分子に対するCAR遺伝子を用意しておけば、原理的に誰もが同じ治療を受けることができる画期的な治療だ。最初の治験は確かに目覚しい結果だったが、この方法が他のガンに拡大できるかどうかは、1)ガン特異的な抗原が見つかるかどうか、2)白血病以外の固形ガンにも適用できるかにかかっている。今日紹介するこの治療法開発の前線にあるペンシルバニア大学からの2編の論文は1番目の問題に対する一つの解決方法を示した論文でともにCancer Research9月1日号に掲載された。論文のタイトルは「Affinity-tuned ErbB2 or EGFR chimeric antigen receptor T cells exibit an increased therapeutic index against tumors in mice (ErbB2やEGFRに対する親和性を調節したCAR-T細胞はマウスのガンに対する治療指標を改善する)」と「Tuning sensitiveity of CAR to EGFR density limits recognition of normal tissue while maintaining potent antitumor activity (EGFRの分子密度に対するCARの感受性を調整することでガンに対する活性を保ったまま正常組織への免疫反応を制限できる)」だ。最初の治験論文を読んだ時誰もがその効果に驚いたが、それとともに治療を受けた全ての患者さんでB細胞が消失してしまったことに強い印象を受けた。これはCARに使われた抗体がCD19抗体で、白血病だけでなく正常B細胞にも発現しているからで、正常の細胞までガンとともに完全に除去してしまうという凄まじい威力に目を見張った。しかしB細胞の欠損はなんとか対応できるが、例えば消化管上皮などに発現している抗原に対するCARを使うと全体が壊死するという大変なことになる。これらの論文では、正常組織に発現しているErbB2やEGFRをあえて選び、この抗原に対する親和性を落とすことで、高いレベルで同じ抗原を発現しているグリオブラストーマなどのガンだけを攻撃するCAR-T治療が可能かどうか調べている。詳細は全て省くが、結論は期待通り、モデル実験レベルではこの戦略が有効であると結論している。ただ、データを見てみると親和性を落とすと、CAR-Tの効きが落ちている。また、両方とも固形ガンに対する治療だが、白血病と比べると治癒率が低いように思えた。したがって、今回開発されたCARをそのまま臨床応用できるか疑問がある。しかし、正常組織に発現があっても、その分子に対する抗体を全く使えないわけではないことがわかったことは重要だ。また一つの論文では脳内で増殖するグリオブラストーマにもCAR-Tが有効であることが示され、脳腫瘍にも使えることが示されたのも期待できる結果だ。今後、抗体自体の親和性を操作する方法と並行して、ガンだけに発現している抗原の探索も進むだろう。また固形ガンへのCAR-Tのアクセスについてもこれまでとは異なる発想の研究が進むだろう。例えば、ガンを支持する血管はガンを助けると考えて治療が行われる。しかし免疫細胞のアクセスを考えると、ひょっとしたらもっと血管やリンパ管を増やす方がいいかもしれない。これまでの抗がん剤治療は、免疫治療の後に来るようになるかもしれない。このように、免疫治療はガンの治療を根本的に変える可能性を秘めている。このホームページで繰り返してきたが、今年はCAR-T、ガンゲノムに基づく個人用ワクチン、免疫チェックポイント操作などガンの免疫療法が大きくクローズアップされる1年になるだろう。期待したい。
カテゴリ:論文ウォッチ
9月2日:科学の危機に対する大人の対応(8月28日号Science掲載論文)
2015年9月2日
我が国の科学政策に関わる研究者や官僚なら読んだ人がいると思うが、今年4月27日に米国科学アカデミーの年次総会で会長のRalf J Cieroneが行ったスピーチは、私達が当たり前のこととして軽く口にしていた「科学研究の再現性」の問題について、科学界の危機としてとらえた優れた演説だった。特にこの中で、彼が紹介していた2つのプロジェクトが興味を引いた。2013年のエコノミストの記事の中で重要なガン研究論文の実験をアムジェンやBayerなどの製薬会社が再現しようとした時、53論文のうち6編の結果しか再現が取れなかったということが指摘された。この再現性の危機問題に対し、科学界がReproducibility project: Cancer Biology, とReproducibility project Psychology、すなわちガン研究と心理学研究の再現性を確かめる研究を組織し、多くの研究者の参加を得て、再現性の検証を大規模にはじめたという画期的活動だ。いつ結果が発表されるかと待っていたところ、心理学分野の再現実験の結果が8月28日号のScienceに掲載された。136人、125施設が参加した研究でタイトルは「Estimating the reproducibility of psychological science(心理学の再現性を評価する)」だ。この研究では2011年から、心理学のトップジャーナル3誌の中に掲載された論文をなるべく先見を排して検討し、最終的に100論文については計画通り再現実験を行い、論文の結果と比べている。基本的には論文の結論を得るための実験のバラツキや分散など、統計的指標を比べているのだが、詳細はいいだろう。これだけ大規模に、しかも実験自体が大変な心理学実験の再現性を科学的に評価すること自体に、危機意識がしっかりと共有され、自分の時間をそれに費してもいいという研究者の連帯と熱意が感じられる。しかも、この研究に対して私的な財団が助成している点にも頭がさがる。結果はこれまで指摘されている通り、論文の結論を支持する結果がえられる率は全体で36%、特に社会心理学の実験になると23−29%と、再現できる可能性の方が低いという結果だ。特に論文に掲載されたオリジナルな結果ではデータのバラツキが少なく有意性が高い一方、再現実験ではバラツキや分散が大きく広がることが特徴として示されている。もちろん由々しき結果だが、では再現性がないからこれらの論文は間違っているのかと問いかけている。そして、短絡的な思考を排して、科学自体の本質をしっかり理解し直し、論文掲載という科学研究にとって中核になる客観性の獲得過程を位置付けなおしていけばいいと結論している。この深い内容を短い文章で紹介することは難しく、現在捏造の構造について分析するため準備中のブログで順次紹介する予定だ。しかし、小保方事件を含む様々な捏造問題に対して、我が国の学術会議や学会も多くの声明を出したが、Cierone演説と比べて読み返してみると、捏造問題を構造と捉えず、事件とだけ捉え、倫理と研究機関のコンプライアンスだけに頼って、調査や検証だけを要求する薄っぺらい意見でしかなかったように思える。声明を出すという科学者自身の見識が問われる重要な行為が、分析も思想性もない意見表明では困る。大阪大学の蛋白研の篠原さんが分子生物学会として出した声明では、確かに問題を構造問題として捉えるという視点が表明されているが、学術会議を始め日本の学会がその後、構造問題として取り組んでいるようには到底思えない。それと比べると、Cieroneの演説や今日紹介したScience論文は、アメリカの科学界が大人として成熟していることを示している。論文数やノーベル賞の数だけで一国の科学の成熟度は測れない。やはり我が国の科学界は子供の国でしかないのか問い直す時がきた。次に発表されるガン研究の再現実験の結果を心待ちにしている。
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9月1日:ホヤから脊椎動物への進化(8月27日号Nature掲載論文)
2015年9月1日
進化の過程で体の体制が変わるためには、様々な新しい構造が生まれることが必要だ。もちろんその背景には、先行するゲノムの配列や構造の変化がなければならない。例えばこのホームページでも、魚のヒレが足に変わっていく過程についてのポリプテルス(http://aasj.jp/news/watch/2107)を用いた研究を紹介した。ヒレから四肢への進化からわかるのは、全く新しい構造にもその元となる構造や細胞集団が存在し、発生過程で関わる分子の多くも共通なことだ。このような起源構造の発生過程を新しい構造の発生過程と比べ、その背景にあるゲノム変化を調べる順序で進化発生学の研究は進められる。さて、脊椎動物にもっとも近い動物はホヤなどが属する脊索動物だ。ゲノムについて言うと、脊索動物から脊椎動物で2回の全ゲノムレベルの重複が起こっている。一方、構造レベルでは、例えば閉鎖血管系が進化なども挙げられるが、ほとんどの進化発生学者が興味を持っているのは神経管から発生する神経堤細胞と、感覚器官の原基になるプラコードの発生だ。今日紹介する米国・フランス・日本の研究所が共同で発表した論文は脊索動物にも脊椎動物と分化過程が類似したプラコードに相同する構造が存在することを丹念に示した研究で8月27日号のNatureに掲載されている。タイトルは「The pre-vertebrate origins of neurogenic placodes(脊椎動物以前の神経原性プラコード)」だ。元々我が国は脊索動物の研究をリードしており、脊索動物にプラコードが存在する可能性については京大の佐藤さんたちも論文を発表していた。基本的にこの論文は、これまでの研究の延長と言えるが、最終的にプラコードの細胞に由来する神経細胞の運命を最後まで追跡したという点でNatureに掲載されることになったと思う。後は極めてオーソドックスな発生学の研究なので詳細は全部省くが、脊索動物にもプラコード相同の構造が発生し、発現遺伝子や、誘導に必要なシグナルも共通することをまず示している。その上で、このプラコードを形成する前駆細胞が、性ホルモンを分泌し、化学物質を感知する両方の性質を持った繊毛を持つ神経細胞へと分化することを新しく発見した。脊椎動物では、プラコードから分化する神経細胞は、ホルモン分泌性の脳下垂体神経と、匂いを感知する嗅細胞へと分かれていることから、今回新しく脊索動物で定義されたホルモン分泌・感覚細胞は、機能が分化する以前の起源細胞に当たると結論している。すなわち、元々一つの細胞に統一されていたホルモン分泌と感覚機能が脊椎動物では機能が分離した回路へと進化することで、より複雑な機能を獲得したのではないかと考察している。わかりやすい面白い論文だが、この結果をゲノム変化と対応させるというもっとも重要な研究が残っている。論文を見ると、鍵になる遺伝子や、その調節領域がわかっていると思うので、この研究を手掛かりに、大きな挑戦に挑んで欲しいと思う。ホヤゲノムでも日本はリーダーシップを発揮してきた。この蓄積を味わいつくせる若手はもっとも幸運な世代といえるだろう。頑張って欲しい。
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8月31日:直腸ガンに対するメチル化阻害剤の予想外の効果(8月27日号Cell掲載論文)
2015年8月31日
5アザシチジンという化合物はDNAのメチル化阻害剤として古くから実験に使われてきた薬剤だ。最近この薬剤が骨髄異形成症候群や骨髄性白血病をはじめとして、様々なガンの増殖抑制に効果があることがわかり、実際の臨床に使われ始めている。私も現役時代、長崎大学医学部の宮崎さんたちと共同で、この薬剤の投与を受けた骨髄異形成患者さんの白血病細胞のDNAのメチル化状態を調べたことがある。というのも、メチル化阻害という非特異的薬剤がなぜガンを選択的に叩くのか、そのメカニズムは極めて興味深いからだ。ただ研究を進める間、ガンに関わる遺伝子DNAが脱メチル化されることで効果が生まれるという点は疑わなかった。今日紹介するトロント大学からの論文はこの思い込みを見事に覆す研究で8月27日号のCellに掲載された。タイトルは「DNA-demethylating agents target colorectal cancer cells by inducing viral mimicry by endogenous transcripts (DNA脱メチル化剤は内因性の転写を誘導してウイルスを真似ることで直腸ガンを叩く)」だ。このグループは研究の途中で5アザシチジンがガンに関わる遺伝子の脱メチル化とは無関係にガン増殖を抑制するのではないかと着想したようだ。特に、一度だけ低い濃度でがん細胞を処理することで、長く続くガン抑制効果がゆっくりと現れる効果の出方と、薬剤効果の分子機構から予想される効果のパターンとが異なっていることに注目した。そこで、1回5アザシチジンで処理しただけで変化が40日以上続く遺伝子を探索した結果、これらの遺伝子がウイルス感染時に誘導されるインターフェロンに反応して誘導される遺伝子であることに気づいた。しかし、インターフェロン自体は分泌されていないので、5アザシチジン自体がウイルス感染により誘導されるインターフェロンと同じ効果を持つことが示唆された。この5アザシチジンがウイルス感染を真似るメカニズムについて様々な実験を重ね、次に述べる結論を導いている。5アザシチジンを処理すると、ゲノム内に存在する内在性レトロウイルスなど繰り返し配列のRNAポリメラーゼIIIによる転写が起こり、結果2重鎖RNAの細胞内濃度が上昇する。これをウイルス感染と間違って防御機構が活動化され、ミトコンドリア膜状のMAVSの重合、IRF7の活性化の結果、様々なインターフェロン反応性分子が誘導され、細胞の増殖を止めるというシナリオだ。実際、MAVS分子の発現を抑制すると、IRF7の活性化も、それによる遺伝子誘導も消失し、ガン増殖は抑制されない。さらに都合のいいことに、この効果は増殖するがん細胞を供給する元の細胞にもっとも顕著に現れる。なぜ内在性遺伝子のPolIIIによる転写が誘導されるのかなど、不明な点も多いが、この結果は、今後のガン治療に重要な様々な示唆を与えている。まず、もしガン抑制が5アザシチジンの脱メチル化作用と直接関わらないなら、現在のように長期に投与するのでなく、一回だけ投与して経過を見るという治療プロトコルも可能なはずだ。おそらく副作用は、はるかに少ないだろうから、試す価値はある。また、最終結果がインターフェロン反応性の分子によるガン増殖の抑制なら、5アザシチジンではなく、このシグナル経路をブロックする薬剤で治療することも可能だ。以前ガン幹細胞をインターフェロンで叩く可能性を示した論文があったと記憶しているが、この結果と一致する。このように詳細まで完全に明瞭とは言い難いが、思い込みを戒める重要な貢献だと感心した。
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8月30日:ドイツからの論文3編(Scientific reports、米国アカデミー紀要、Deutches Aelztblatt International掲載論文)
2015年8月30日
私事になるが、私は31歳のとき当時西ドイツケルン大学に留学した。当時、臨床教室に所属し学位もなかった私だが、アレクサンダーフンボルト財団には、2年間、本当に痒いところに手が届くような支援をしてもらった。今こうして気楽に暮らせているのも、フンボルト財団のおかげだと思い、日本フンボルト協会の理事としてお手伝いをさせてもらっている。この協会のホームページは会員同士の交流だけでなく、新しくドイツに留学したいという若い学生さんに様々な情報を発信し、留学説明会を年一度開催している。東京医科歯科大学教授の鍔田さんの骨折りに完全に依存しているサイトだが、是非一度訪れて欲し(https://avh-jp.com/)。
ということで宣伝の後は、印象に残った(科学的な意味ではない)ドイツからの論文3編を紹介する。
最初は8月27日Scientific Reportsオンライン版に掲載された論文で動物園のシロクマに起こった脳炎の原因について特定できたという話だ。タイトルは「Anti-NMDA receptor encephalitis in the polar bear (ursus maritimeus) Knut(シロクマのクヌートに見られた抗NMDA型受容体脳炎)」。このクヌートというのはベルリン動物園で生まれ、飼育係の献身的な努力により成長することができたシロクマの愛称で、この生い立ちから世界中の人気となった。2011年急に癲癇様の痙攣を起こして溺死するが、その原因を徹底的に確かめたのがこの研究だ。結果だが、1)脳炎が起こっていた、2)脳脊髄液中にNMDA型グルタミン酸受容体に対する抗体が存在した、3)この抗体はクヌートの脳組織に結合した、などから、ヒトでも見られるNMDA型グルタミン酸受容体に対する抗体による痙攣とともに、抗体により誘導される脳炎が死の原因だと結論している。さらに、他の動物の原因不明の痙攣による死亡例でも同じ原因を疑うことの重要性を強調している。有名なクマだけに、ここまで調べることができたのだろう。ただ、それを一般紙に掲載できるところまで徹底して行っているのに頭がさがる。この研究はベルリンの神経研究所と動物園と野生動物研究所の共同研究だが、動物園と野生動物研究所という公的機関があることにも驚く。
次は米国アカデミー紀要オンライン版に掲載されたマインツ大学やドイツの様々な博物館からの論文で新石器時代初期に見られる大量虐殺の証拠についての研究で、タイトルは「The massacre mass grave of Schoeneck-Kilianstedten reveals new insight into collective violence in early Neolithic central Europe (Schoeneck-Kilianstedtenで発見された大量虐殺被害者が埋められた墓地は新石器時代初期の中央ヨーロッパの共同体による暴力について新しい示唆を与える)」だ。この研究ではドイツ新石器時代初期の発掘現場の一つSchoeneck-Kilianstedtenで発見された26体の虐殺死体の分析が行われ、線状の陶器で特徴付けられる中央ヨーロッパの新石器時代文化では、戦いで一つの共同体全体を虐殺することが珍しくないことを示す論文だ。子供も大人も全てがまず逃げられないように下肢を折られ、さらに多くの死体に拷問跡があるという記述は、人間の持つ残虐性を思い知らされる。我が国の新石器時代はどうだったのか気になるところだ。
最後は8月号のドイツの医学誌Deutches Aerzteblatt Internationalに掲載されたベルリン工科大学からの論文でタイトルは「Deaths following cholecystectomy and herniotomy(胆嚢切除術及びヘルニア切開術後の死亡)」だ。この研究では、ドイツ全土で行われ登録されている、胆嚢切除術15万例とヘルニア切開術20万例のうち術後死亡した例を詳しく分析した研究だ。難しい手術の場合、手術がリスクを伴なうことはよくわかるが、数多くの手術が行われる一般的手術では死にたくないと誰しも思うはずだ。ここで取り上げられた手術は、急性の腹部疾患に対して行われる緊急手術の典型例で、実際ドイツ全土の統計で見ると胆嚢切除術で退院せず死亡する例は0.4%、ヘルニア切除では0.13%で、医師から見るとほとんど問題がないと言える。しかし一般人の感情から言えば、250人に一人が亡くというのはまだまだ心配で、死亡率を減らす努力を進めて欲しいと思うだろう。この研究では死亡例を詳しく分析し、死亡例のほとんどが65歳以上で、心不全、呼吸器疾患、肝疾患、低栄養などが基礎疾患にあることを明らかにし、健康な人はまず心配がないことを示すとともに、基礎疾患がある場合いくら緊急手術でもまだまだ死亡率を減らせることを強調している。このような登録と統計は我が国でもどの程度行われているのだろうか。医師が患者さんの立場に立って考えると言う点でも重要な仕事だと思う。
以上、最近読んだ気になる論文を紹介した。医学研究としてもちろんドイツを代表しているものではないが、しかしなんとなくドイツ全体の雰囲気は代表しているように感じた。
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8月29日:ALS理解への一歩(8月27日号Nature掲載論文)
2015年8月29日
8月25日、ALS患者さんとの連帯のために行われた氷バケツ運動で集まった寄付により助成された研究成果についてワシントンポストが紹介した記事について、少し期待しすぎではないかと正直な評価を書いた。患者さんたちの期待に「氷水」を浴びせたのではと心配するが、研究成果を正しく伝えることは難しい。この時、TDP−43というスプライシング分子が細胞質から核に移行できないというほとんどのALSで見られる異常を「原因か結果かわからない」と述べたが、この異常が原因ではなく結果である可能性を示唆する論文が、事もあろうに同じジョンホプキンス大学から8月27日号のNatureに発表された。著者の重なりがないのでおそらく違うグループだろうが、ジョンホプキンスのALS研究のレベルは高いようだ。ただ、読んでみたところこの論文の方がずっと治療への糸口が見えてくると思ったので紹介する。タイトルは「The C9orf72 repeat expansion disrupts nucleocytoplasmic transport(C9orf72の反復配列の拡大が核・細胞質輸送を阻害する)」だ。C9orf72は脳に広く発現する分子だが、この遺伝子内に存在するGGGGCCという塩基配列の単位が反復する反復配列の数が大幅に増加する変異はALSの原因になることがわかっており、家族性のALS患者さんの4割を占めている。この変異がALSを起こすメカニズムについては2説あり、一つは異常C9orf72タンパク自体が細胞毒性があるという説で、もう一つがこの反復配列の数が増加した異常RNAは核内にとどまって細胞毒を発揮するという説だ。この研究では後者の可能性が調べられ、1)核膜孔を通した核・細胞質の輸送に関わるRanGAP分子がこの反復配列を持つRNAと結合することで機能阻害を起こすこと、2)RanGAPの発現を上昇させると反復配列の毒性を抑制できることを、ショウジョウバエの眼の発生過程を用いた系と、ヒトiPSから誘導した神経細胞で明らかにしている。この結果をもとに幾つかの実験を重ねて、異常反復配列を持ったRNAはRanGAPと結合し機能を阻害する。その結果、細胞質のRanの核内への移行を始めとする広範な核膜孔を介する輸送異常をおこり、その結果としてTDP−43の核内への輸送も抑制されることを示している。最後にこの病態を改善する方法の可能性についても調べ、C9orf72に対するsiRNAの導入や、TMPyP4という化合物がRanGAPと異常RNAの結合を阻害すること、また核から細胞質への輸送に関与するエクスポーチン1の機能を阻害することでも症状が改善することを示している。もちろん、この結果をそのまま治療法開発の可能性として捉えるわけにはいかない。この結果が現実的治療法開発につながるかが分かるには時間がかかるだろう。ただ、この研究は家族性のALSについての研究だが、他の原因により核と細胞質の輸送が阻害されることが多くのALSの背景にある可能性も示唆している。特にTDP−43の核内輸送の異常がほとんどの患者さんに見られることはこの可能性を強く示唆している。今後重要な研究対象になるだろう。今週紹介した2編の論文は、研究は競争しながら行われても、それぞれが連関してコンセンサスへと進むことを示している。論文を紹介するときは、その背景をしっかり踏まえて報道することが重要だが、そんな力を日本のメディアがつける日はいつ来るのだろうか。
カテゴリ:論文ウォッチ
8月28日:多発性硬化症の免疫学(9月号Nature Review Immunology掲載総説)
2015年8月28日
今年Natureの新しい姉妹誌Disease Primerが発刊された。一般の方と医師や研究者をつなぐという明確な目的が伺える優れた企画で、だいたい月3回、様々な疾患についての専門家の総説と、医師が患者さんに説明するときに役に立つチャートがセットになって掲載されていく。早速購読を開始したので、今後面白い総説があればそこからも紹介したいと考えている。他にも、Natureの出版社は専門家向けの多くの総説誌を出版しており、特定の分野の全体像をつかむのには都合が良い。病気について言えば、どの程度理解が進んでいるのか、確実な治療はあるのかなど、大づかみにできる。今日はNature Review Immunologyに掲載された多発性硬化症の病態についてのオックスフォード大学からの総説を紹介してみよう。タイトルは「Immunopathology of multiple scleraosis(多発性硬化症の免疫病理学)」だ。さて読み始めてすぐ分かるのは、この病気の病態について現象的に理解できても、本質が理解できていないことだ。このような対象についての総説が陥りやすい、羅列的で焦点がよくわかっていないことに気づく。結論的にいうと、私の知識の深化と頭の整理にはそれほど役立たなかったということだ。もちろんこれは専門家としての印象だ。もし最近の総説についてもっと知りたいと手を挙げていただければ、ニコニコ動画などで一緒に論文を読みたいと思っている。いずれにせよこれで今日の文章を終わるわけには行かないので、私が学びなおせたと思えることを羅列しておこう。1)世界全体を合わせた患者数は250万を超す。民族差はあまり見られない。2)25年経過した患者さんの半数が車椅子を必要とすることからわかるように、運動障害が中心だが、様々な神経症状がみられる。2)免疫反応の集積が中心の病理だが、神経変性が並行して進むため、症状に現れる寛解と再発と、神経変性過程は乖離している。3)多型解析などのゲノム解析から、遺伝的背景の寄与は3割程度で、免疫反応抑制や炎症性サイトカインの発現に関わっている。4)すでに100種類の遺伝子多型が知られており、TNFR1の多型は多発性硬化症の発病を促進するが、他の変性性疾患との重なりはほとんどない。4)環境要因としてはウイルス、特にサイトメガロウイルス、EBウイルスとの関連が知られており、EBウイルス抗体と多発性硬化症は相関する。5)神経変性が始まると免疫反応とは相関なしに病気が進む可能性があり、ニューロンとグリア細胞との関係をより詳しく知る必要がある、などだ。あとはおきまりの炎症を起こすエフェクターT細胞と抑制性T細胞の動態についての長々とした解説が書かれている。読んで一つだけ理解したのは、この病気のモデルとして使われる実験アレルギー性脳せき髄炎が必ずしも創薬のためのモデルにならないことで、動物モデルで効果が見られたIL2,IL23のシグナルを抑制する抗体薬の治験が失敗に終わったらしい。今後、免疫だけでなく、細胞の脳内への浸潤を抑制したり、神経やグリア変性を標的にする薬剤が必要なことがわかる。はっきり言ってそれほど役に立たない総説だったが、病気自体が複雑なため仕方ないと思う。特に、人間についての研究がどうしても遅れてしまうため、モデルとの差にフラストレーションを感じる。この問題を乗り越えるため、今遺伝子の多型と病気との相関を統計的ではなく、遺伝子発現の問題として捉える研究が始まっている。最新号のCellに掲載されたスタンフォード大学からの「Genetic control of chromatin states in human involves local and distal chromosomal interaction (クロマチンの状態の遺伝的調節には近位、遠位の染色体相互作用が関わっている)」はそんな例だ。21世紀に入ってすぐ、多くの病気について、病気発症の遺伝的リスクを調べることが行われ、病気と相関する遺伝子多型が続々リストされた。現在個人ゲノム検査として提供されているのはこの時の成果だ。しかし実際にはこのリスクはただ統計学的相関に過ぎず、なぜ相関があるのかメカニズムはよくわからないことが多い。この間を埋めるべく、遺伝子多型と、染色体の構造変化、エピジェネティックな変化の間の相関を全ゲノムレベルで求めた膨大な研究を行ったのがこの論文で、よくここまでやると頭がさがる。このような研究のほとんどは、まず末梢血を用いて行われるため、このような研究から自己免疫病理解の新しい道が開けるのではと期待している。その意味で、わからないということを整理する総説は本当は重要だ。これからも折を見て紹介する。
カテゴリ:論文ウォッチ
8月27日:遺伝子の水平伝達(8月27日号Nature掲載論文)
2015年8月27日
現在月2回ペースでJT生命誌研究館のホームページに「進化研究を覗く」と題して、進化研究について考えたり論文を紹介したりする文章を書いている。昨年このサイトに「真核生物の進化」(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2014/post_000008.html)と「水平遺伝子伝搬」(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2014/post_000009.html)というタイトルで、種間(主に原核生物と真核生物の間)で行われる遺伝子の伝搬についての研究を紹介した。そのなかでミトコンドリアや葉緑体の内部共生説を唱えたリン・マーギュリスさんたちの論文が掲載されるまでに5年以上かかった苦労話や、逆に今では産総研の深津さんたちのアズキマメゾウムシに寄生するボルバッキア遺伝子の水平伝達についての研究に見られるように、水平伝達を一つの手段として進化を考えるようになっていることを紹介した。ただ水平伝達についての研究は、個別のエピソードで止まっていることが多く、本当に種の分化と維持に関わるのかはっきりしているわけではない。今日紹介するデュッセルドルフ大学からの研究は、原核生物、アルケア、真核生物のゲノムを横断的に比べて水平伝達とその維持について調べた研究で今日発行になったNatureに掲載された。タイトルは「Endosymbiotic origin and differential loss of eukaryotic gene (内部共生に由来する真核生物の遺伝子とその種特異的喪失)」だ。このグループは、水平伝達の論文が当たり前になった現状に疑いを持ったのだろう。個別のイベントとして水平伝達があるにしても、それが進化を支える重要な要素として存在するかどうかはわからない。もしそうなら、原核生物から人間まで全ての生物の持つ遺伝子を比べることで、起源を同じにする遺伝子が多くの種に維持されているのが見つかるはずだと考え、55種類の真核生物、1847種の原核生物、134種類のアルケアに存在するタンパクのアミノ酸配列を比べ、その相同性から起源や系統関係を調べている。要するに、森を見ないで木だけを見ている研究が見落としたことを、森全体を見ることで明らかにしようという作戦だ。結果は明瞭で、1)水平伝達が明確で、進化の過程で維持し続けられていることが明らかな遺伝子は全て、シアノバクテリアに由来する葉緑体と、アルケアに由来するミトコンドリアが取り込まれた一度だけのエピソードに由来していること,2)この時取り込んだ遺伝子の多くは、オルガネラからゲノムに導入されたが、種ごとに異なる遺伝子を失ってきていること,そして、3)確かにその後も水平遺伝子伝達が起こったものの、ほとんど維持されている痕跡がないこと、を示している。これらの結果から、水平伝達で遺伝子を取り込む種が進化上の優位性を獲得することはなく、ほとんどが滅びてしまっていること。したがって、現在起こっているような水平伝達のほとんどは、進化を推し進める要素にはならないと結論している。なかなか示唆に富む面白い仕事だが、この研究では全く実験は行われていない。大勢に流されず、独自の疑問を持ち、利用可能になっている膨大なゲノムデータを新しい観点から眺め直し、重要な結論を導き出すという、頭のいい研究の典型と言えるだろう。すなわち、若手研究者だけでなく、全く分野外の一般人にも、新しい考えを検証するチャンスが常に転がっている時代がここにあるということだ。集合知の時代が始まった。
カテゴリ:論文ウォッチ
8月26日:副作用を予測する(8月24日号Nature Neuroscience掲載論文)
2015年8月26日
エピジェネティック機構の阻害を介する抗がん剤として期待が高まっている薬剤に、BETブロモドメインとヒストンのアセチル化リジンとの結合阻害剤がある。この薬剤が標的にしている分子はBRD3やBRD4だが、これら分子はブロモドメインでアセチル化ヒストンに結合すると同時に、他の部位で様々な分子と相互作用することで、直接・間接に転写を調節する分子だ。多くの会社で薬剤が開発され、白血病をはじめとして様々なガンに対して治験段階にある。この治験から副作用などが明らかになると思われるが、今日紹介するBRD4の脳細胞での機能を調べた研究は、この副作用を予想するためのキーポイントを示してくれるという意味で重要な研究だと思う。ロックフェラー大学のエピジェネティック研究の大御所David Allisの研究室からの論文でNature Neuroscienceに掲載された。タイトルは「BET protein Brd4 activates transcription in neurons and BET inhibitor Jq1 blocks memory in mice (BETタンパクの一つBrd4は神経細胞の転写を活性化し、その阻害剤はマウスの記憶を抑制する)」だ。大御所の研究室からの論文にふさわしい極めて包括的な研究で、Brd4の神経細胞での機能を転写から行動解析まで、多くの技術を動員して解析している。データは膨大で詳細を全て省いて結論だけを紹介する。まずこれまで神経細胞でのBrd4の機能は全く明らかにされていなかった。この研究によって、Brd4は神経刺激によりカゼインキナーゼによるリン酸化を介して活性化され、神経刺激後すぐ誘導される様々な転写因子の誘導に関わっている。この機能を、阻害剤Jq1で抑制すると、広範な遺伝子領域で転写が抑制され、その中にはグルタミン酸受容体などの神経伝達に関わる受容体も含まれる。その結果として、短期的な神経刺激を強固にして長期記憶にする過程が障害されることを突き止めている。一方で、Jq1投与により様々な神経活動調節分子の転写が低下することに注目して、てんかん発作を誘発する刺激に対する抵抗性を調べると、マウスの発作を著名に抑制できることも示している。これらの結果から、抗がん剤としてブロモドメイン分子の阻害剤を使うときの副作用として、記憶障害が起こる可能性が高いことを警告している。そして、できれば脳血管関門を通らないような薬剤の開発を目指すべきであると具体的なアドバイスをしている。実際、眠くならない抗ヒスタミン剤はこうして開発されており、重要な示唆と言える。一方、脳内へ移行できる阻害剤は、てんかん発作を抑制するのに利用できることも示唆している。これまでの抗てんかん薬は直接神経伝達に作用している場合が多いが、新しいメカニズムの薬としてブロモドメイン阻害剤はちがう効果を持ちうることから、臨床研究を行ってもいいのではと示唆している。さすが大御所と思わせる論文のまとめ方だ。いずれにせよ、現在進行中の治験から多くのデータがあがってくるはずだ。また、治験に携わる人たちも、大御所の警告を頭に置いて患者さんを注意深く調べて欲しい。
カテゴリ:論文ウォッチ