5月25日:格差問題の科学(5月23日号Science誌特集)
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5月25日:格差問題の科学(5月23日号Science誌特集)

2014年5月25日
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今週号のScience誌を開いて、「格差問題の科学」を特集しているのに驚くとともに、感銘を受けた。編集者のコメントから始まる様々な総説を合わせると10編を超す論文が掲載されている。もちろん科学分野での格差だけが特集の主題ではない。社会格差全般を問題にしている。これを示すため、有名なPikettyとSaezに「Inequality in long run(長期の格差)」と題する総説を依頼している。この二人は貧困や格差で有名な経済学者で、経済学専門でない私ですら2012年この二人による全米経済研究所のレポート「Optimal Labor Income Taxation」は読んだ。購入しただけでまだ読んでいないが、最近出版されたPikettyの「Capital in the 21st Century(21世紀の資本論)」は、Pikettyの母国フランスだけでなく、アメリカでも大きな話題になったと聞いている。今回Scienceに掲載された総説も特に科学行政について書いているわけではなく、これまでの研究と同様、収入や資産の統計分析から格差是正の方向性を探る彼らの試みがテーマだ。従来通り、成長を上回る資産からのリターンが格差の大きな要因で、税を含む政策による所が多いと結論している。では科学についての週刊誌Scienceがなぜこの問題を取り上げたのだろう?この問題解決に果たす科学の役割の自覚が大きな動機になっているようだ。もちろん社会矛盾を科学で克服すればいいと言った傲慢な発想の企画ではない。例えばPikettyとSaezの論文の背景には、収入、資産、税を始め様々な経済活動に関するいわゆるビッグデータの解析がある。またプリンストン大学のDeatonよるこの特集の基調論説では、「inevitable inequality(格差は不可避か?)」と題して、格差問題が自由な社会の当然の結果ではなく、解決すべき問題であることを強調している。イデオロギーが消失した今、科学に対する期待は大きい。そして編集主任のChinが「The science of inequality(格差の科学)」」と題する論説を書き、格差に関わるビッグデータを扱うことは、生物やヒトのゲノムデータを扱うことと同じ科学の問題で、21世紀がこれらの情報を統合し、社会問題に対応できる科学を構築する時代であることを示唆している。もちろん競争が当たり前の科学界について分析したミシガン大学のXieの論文も掲載されている。詳しくは紹介できないが、「科学での格差の是正論議は敗者の不満でしかないのか?」と言う問題を様々な面から分析している。結論はないのだが、格差により若い優秀な研究者の育成が阻害される懸念は同感だ。   我が国ではScience誌と言うと、科学論文を発表する超一流雑誌としてしか受け取られていないようだが、21世紀の新しい科学を考えようとする明確な意志と使命感を感じる。研究者だけでなく科学行政に関わる多くの人に読んで欲しいと思う。しかしこの様な分野を超えた交流がないことが我が国の問題かも知れないと閣僚名簿を調べてみたら、水産大学出身の防衛大臣以外は理系閣僚は皆無だった。しかしこの結果に妙に納得してしまうのは私だけだろうか?
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5月24日:膵臓がんの間質反応(Cancer Cell誌オンライン版掲載論文)

2014年5月24日
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がんの中でも悪性度の強い膵臓がんは、周りの強い間質反応が特徴だ。同じように間質反応が強いがんにスキルスと呼ばれる瀰漫性胃がんがあり、やはり悪性度が高い。このことから今日紹介する論文を読むまで、私は間質反応とがんの悪性度の間には正の相関があると考えていた。ところがCancer Cellオンライン版に掲載された2編の論文は、これが全く逆で、間質反応はがんに対する防御反応で、間質反応が無くなるとがんがもっと悪性になる可能性を示唆している。一つはミシガン大学から、もう一つはMDアンダーソンがんセンターからの仕事で、それぞれ「Stromal element acts to restrain, rather than support pancreatic ductal adenocarcinoma (間質反応は膵臓がんの支持ではなく抑制に関わっている)」「Depletion of carcinoma-associated fibroblasts and fibrosis induces immunosuppression and accelerates pancreas cancer with reduced survival(がん周囲の線維芽細胞と線維化を除去するとがん免疫が低下し膵臓がんの増殖が促進する結果生存率が低下する)」だ。最初の研究では、shhと呼ばれる遺伝子の機能を膵臓細胞で抑制する、あるいはこのシグナルに関わる受容体機能を薬剤で抑制すると膵臓がんの悪性度が高まるが、これががんの周りの間質反応が消失によることを示している。これまで間質反応を抑える目的で、このシグナル阻害が試みられたが、まるで反対の結果だ。2編目の論文では、遺伝子操作により線維芽細胞を直接除去できるようにしたマウスで膵臓がんを発生させ、線維芽細胞を除去するとやはり膵臓がんの悪性度が上昇することを示している。この意外な結果が人間の膵臓がんにも当てはまるのか確かめる意味で、新しく間質反応と悪性度の相関を調べてみると、人間でも間質反応が高い方ががんの予後が良いことがわかった。これまで間質反応の強い膵臓がんでは、がんを栄養する血管が少ないことが知られていたが、間質反応ががんを抑制するメカニズムの一つはがんを栄養する血管が減ることであることも示されている。最も私の興味を惹いたのは2番目の論文で、がんの周りの線維芽細胞を除去するとがん抑制免疫反応が低下するが、抗CTLA-4抗体で間質反応と同じ抑制効果を得ることが出来ると言う結果だ。間質反応の多彩な機能をかいま見ることが出来る。今日紹介した論文はともにマウスモデルについての研究だが、抗CTLA4抗体の効果、がん血管抑制の効果など、多くの点で人間の膵臓がんに近い。既に述べたように間質反応はがんを促進していると考えて、shhを抑制する治療が試されたこともある。この研究からわかるようにshh抑制治療は効果がなかった。逆に、今回の仕事により間質反応を強化してがんを抑制すると言う新しい可能性が生まれた。期待したい。しかし、常識とは疑うためにあることをまた思い知った。
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5月23日:ブラジルワールドカップでのデング熱の危険性(The Lancet Infectious Diseaseオンライン版掲載論文)

2014年5月23日
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連休中ボルネオのジャングルをトレッキングしたが、マラリアやデング熱を媒介する蚊に刺されない様万全の注意を払った。注意が過ぎて長袖、ヒルよけソックスなど重装備で熱帯を長時間歩いたため、今度は汗疹で1週間位苦労するはめになった。同じように、ブラジルには熱帯雨林があり、マラリアやデング熱の危険地帯だ。特にデング熱の発症はブラジルが世界中でも一番高いようだ。デング熱と言うのはウィルス性の病気で、筋肉や関節の痛み伴う発熱が特徴だ。ほとんどの場合死に至ることはない一過性の病気なので心配はないが、しかし6月ワールドカップサッカーで大挙して訪れる日本人ファンには注意を促した方がいい。そのための最適な論文がThe Lancet Infectious Diseasesオンライン版に出ていた。ブラジルからの研究でタイトルは「Dengue outlook for the world cup in Brazil: an early warning model framework driven by real-time seasonal climate forecast(ブラジルワールドカップサッカーでのデング熱展望:リアルタイムの天気予報に基づく早期警戒モデル。)」とドンピシャの仕事だ。研究では2000年から2013年までの天候データ、デング熱発症データなどを調べ、それに基づいて階層ベイズ法と言う推計学の手法を用いて、ブラジル各地域でのデング熱発症予報モデルを構築している。モデルについては2013年まで実際の発症数と比較して予測確度を計算している。率直に言って、あたる確率は思ったほど高くなく、予想としては天気予報よりはるかにあたらないと考えた方が良さそうだ。ただサンパウロ、ナタルなど一部の都市については予測の正確度は高いので、十分参考になると思う。転ばぬ先の杖だ。さてワールドカップ開催中の予想だが、低リスク都市;ブラジリア、サンパウロ、クイアバ、クリチバ、ポルトアレグレ、中リスク都市;リオデジャネイロ、ベロホリゾンテ、サルバドール、マナウス、高リスク都市;レシフェ、フォルタレザ、ナタルだ。驚いたことに我がNipponは予選リーグをレシフェ、ナタルクイアバで戦う。即ち高リスクの2都市で戦わなければならない。特にナタルは予想確度が高い地域なので、気をつけた方がいい。ここで高リスクとは10万人に300人が発症する。致死的でないとは言え無視できない数字だ。選手のキャンプ地はリスクが低そうなので少し安心したが、やはり注意は喚起した方が良さそうだ。開催国ブラジルの研究者の責任感を感じる仕事だ。
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5月22日:体質と摂生(PlosMedicine5月号掲載論文)

2014年5月22日
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自分の遺伝子を調べて病気のリスクを調べることが可能になっている。例えば先日話題になった乳がんの遺伝子BRCA1の突然変異が見つかれば8割以上の人がいつか乳がんを発症するとはっきり宣告できる。一方糖尿病や心臓病などの生活習慣病は統計上のリスクとして科学的に計算できるが、確実に病気になるわけではない。気になるのは、こうして計算されたリスクが実際の病気発症頻度と相関するのかどうかだが、リスクとして計算される数値と発症確率の相関については必ずしも調べられているわけではない。何故なら論文として発表されているのは、計算の根拠として用いる一つ一つの遺伝子多型で、全部をまとめたリスク計算との相関ではない。これを調べるためには大規模な病気発症に関する追跡調査に現行の遺伝子検査を組み合わせることが必要だ。今日紹介する論文を読んで、この大変な調査がヨーロッパでは既に行われていることを知って驚いた。ケンブリッジ大を始めヨーロッパの多くの機関が参加して行われた調査でPlosMedicine5月号に発表されている。タイトルは「Gene-Lifestyle interaction and type2 diabetes: the EPIC InterAct case-cohort study(2型糖尿病に関わる遺伝子と生活習慣の相互作用:ヨーロッパ多国間InterAct症例コホート研究)」だ。EPIC InterAct症例コホート調査は30万人以上の対象者を10年以上にわたって追跡し、糖尿病の発生を調べている。10年目で1万人程度の人が糖尿病と診断されたが、その人達のリスクを、遺伝子検査としてよく使われるイルミナ社の生活習慣病SNPアレーを使って計算して、計算されたリスク値と実際の発症との相関を調べている。予想通り、計算された遺伝子リスクと発症との相関はある。ただ年齢や生活習慣に関わる体重、ウエストサイズなどと更に詳しい関連を見て行くと、遺伝子検査から計算されるリスク値が、生活習慣による影響によって覆い隠されて行くのがわかる。例えば調査参加時若い人、痩せた人、あるいは運動量の多い人だと、遺伝子リスクと発症の相関がはっきりわかる。しかし参加時に、60歳を超えている人、太っている人、ほとんど運動しない人などでは遺伝子リスクと発症との相関が消えてしまうと言う結果だ。糖尿病に限っての話だが、要するに生活習慣のリスクは遺伝子リスクよりはるかに高いと言う結果だ。我が国でも遺伝子による体質検査サービスについて、経産省主導で議論が始まっているようだが、消費者の疑問に答えるためにエビデンスを集めるヨーロッパの取り組みから学ぶ所は多い。
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5月21日:アメリカ原住民のルーツ,遺伝子か骨格か?(5月16日号Science掲載論文)

2014年5月21日
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考古学ほどゲノム解読技術により大きな変革を遂げた学問分野はないかもしれない。今日紹介する論文はその例だ。南・北アメリカに住んでいた原住民は、シベリアから氷河期にベーリング海を渡って移動して来たとされている。最近北アメリカで発見された1.2−1.4万年前の化石から得られるDNAの解析はこの説を完全に支持している。とは言っても、中南米に住むアメリカ原住民の写真を見ると、いわゆるアメリカインデアンと言われる人達より、アフリカ、南アジア、ポリネシアなどとの共通性の方が強いように思える。事実、骨格の比較からアメリカ原住民は少なくとも2つの異なる祖先に由来するのではと言う説が出されていた。しかし、中南米原住民の祖先の化石DNAがないため、明確な答えを得ることが出来ていなかった。この問題に答えたのがアメリカ、メキシコの考古学チームが5月16日号のScience誌に発表した論文で、タイトルは「Late Pleistocene human skeleton and mtDNA link paleoamericans and modern native americans (更新世後期の人間の骨とミトコンドリアDNAは古代アメリカ人とアメリカ原住民の関係を明らかにした)」だ。おそらく中南米での化石DNA研究が進まなかった原因は、保存状態のいい骨の化石が入手できなかった事によると思われる。ところがこのグループはユカタン半島Hoyo Negroの水で満たされた洞窟から、歯も完全に揃った15−16歳女性の完全骨格を発見した。アイソトープを使った年代測定では1.2万年前の祖先で、現在の中南米原住民と古代アメリカ人をつなぐ貴重な資料だ。保存状態は極めて良く、DNAも残っており、骨格とゲノムとの相関を調べることがついに可能になった。結果は明確で、骨格は現代の中南米原住民を代表するが、DNAの配列はこれまで北アメリカで発見されていたDNA配列と同じで、中南米原住民の祖先もベーリング海を渡って来た同じ系統に属することが明らかになった。この結果は、これまで考古学の中心であった骨格の形態比較に全幅の信頼を置くことは難しいことを示した。逆に、骨格などは1万年もあれば如何様にも変化できると言うことだ。実際、ピグミーもマサイ族も先祖は同じだろう(文献的に確かめたわけではないが)。今後全ゲノムが明らかになることで、骨格の変化につながった遺伝子変異も明らかになるかもしれない。3月にスペインで行われたこの分野のシンポジウムのタイトルが「From bone to DNA」だったが、なるほどと納得する。
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5月20日:プラダー・ウィリ症候群の原因特定;疾患iPS研究の手本(Nature Geneticsオンライン版掲載)

2014年5月20日
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病気の人からiPSを樹立して、病気の発症過程を明らかにする研究は現在世界中で進んでいる。例えばつい先日このコーナーでも統合失調症患者由来iPSを用いた研究を紹介した。しかし正直に言って、「なるほど」とメカニズムの説明に納得する研究はまだない様な気がする。その意味で今日紹介する論文はiPSパワー全開の仕事で、示された説明にも納得した。イスラエルのグループがNature Geneticsオンライン版に発表した論文で、タイトルは「The noncoding RNA IPW regulates the imprinted DLK1-DIO3 locus in an induced pluripotent stem cell model of Prader-Willi syndrome(Prader-Willi症候群患者由来のiPSを用いて遺伝子コードしないRNA IPWがインプリントされたDLK1-DIO3領域を調節していることを明らかにした)」だ。一般の人だとおそらくタイトルを聞いた時点で「チンプンカンプン、読むの止めた」とあきらめると想像する。インプリンティング、Prader-Willi症候群、訳の分からない名前が並んでいる。先ずPrader-Willi症候群(PWS)から説明しよう。この病気は15番染色体の特定の場所の遺伝子が欠損したり、発現が抑制されることにより発生する。ほとんどのケースは遺伝病ではなく、父親から来た染色体上にあるこの部位の遺伝子が発生途上で変化することにより病気が発生する。元々母親由来の染色体ではこの部位は抑制されている。このため受精卵から造るES細胞では変化を再現できず研究が出来ないことから、iPS技術が必須の病気だ。インプリンティングも理解しにくい。現役時代学生に理解してもらうのに苦労した現象の一つだ。子宮内で胎児発生が起こるほ乳動物だけで見られる現象で、特定の遺伝子で母親からの染色体と、父親からの染色体の間で発現に差がある現象を言う。なぜインプリンティングが必要かなど話しだすと終わらないので説明は割愛するが、母親染色体と父親染色体の戦いと説明されることが多い。事実この機構が壊れると様々な異常が発生する。PWSが本来父親由来の染色体だけで発現している遺伝子座の発現異常で起こることから、この病気自体もインプリンティング病と考えられて来た。ただ症状はこの部位の遺伝子発現異常だけでは説明がついていなかった。この困難は、これまでこの病気の解析に主に使われてきた患者由来の線維芽細胞では様々な後天的変化が積み重なって安定した結果が得られなかったことも原因だ。この意味で後天的な変化をリプログラムできるiPS技術は重要だ。このパワーを完全に生かして、この研究ではPWSの疾患の成り立ちを説明することについに成功している。詳細を割愛して示された説明だけを述べておく。まずこの病気の原因がIWPと呼ばれる、タンパク質には翻訳されないが、遺伝子発現の調節に関わるRNAをコードしている遺伝子の発現異常であることを発見している。もともとIPWは母親由来染色体ではインプリンティングで抑制されているが、発生途上で父親側の遺伝子自体の突然変異、あるいはメチル化による遺伝子発現抑制が起こると、このRNAは発現しない。このRNAは14番染色体の特定部位の母親由来の幾つかの遺伝子をヒストンのメチル化を通して抑制する役割があるが、このRNAが発現しなくなるとこれらの遺伝子の発現が上昇して、様々な組織の多様な症状につながると言う説明だ。今後、更に症状の理解に向けた研究が進むと期待できる。インプリンティングと言う現象は父親側の染色体と、母親側の染色体の戦いとして考えると理解し易いのだが、この研究はIPWという父親側だけで発現する遺伝子が、次に異なる染色体にあるインプリンティング領域に働いて、母親の遺伝子の発現をさらに押さえると言う念のいったメカニズムの存在を明らかにした。なぜインプリンティングと言う現象が進化して来たのかはともかく、この染色体同士の戦いの凄さを物語る。しかしやはりこの話は一般の人には難しかったと思う。あらゆる話を飛ばして「iPSでしか出来なかった研究で、疾患のメカニズム解析研究にとってのiPSの重要性を実感させてくれる」研究だとまとめておこう。
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5月19日:抗うつ剤エスシタロプラムによるアルツハイマー病治療の可能性(5月14日号Science Translational Medicine掲載論文)

2014年5月19日
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アルツハイマー病の病理的特徴の一つは、アミロイドAβとして知られる物質が脳内で蓄積・集積してアミロイド斑が形成されることだ。現在行われている治療は、脳の神経活動を活性化して認知機能を促進する、いわば対症療法だが、アミロイドAβの蓄積を抑制する根本的な治療法も開発が続けられている。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、既に臨床に使われている抗うつ剤がアミロイドAβの産生を抑制してアルツハイマーの進行を遅らせる可能性を示す論文で、5月号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「An antidepressant decreases CSF Aβ production in healthy individuals and in transgenic AD mice(抗うつ剤は健康人とアルツハイマー病モデルマウスの脳脊髄液のアミロイドAβ産生を低化させる)」だ。元々エスシタロプラムがアミロイド斑の形成を抑制する可能性が様々な結果から期待されていた。この研究はこの可能性を確かめ、有効濃度、メカニズムを調べる目的で行われている。まず様々な量のエスシタロプラムアルツハイマー病モデルマウスに投与し、鬱病で使われている用量が脳脊髄液のアミロイドAβ濃度を低化させ、更にアミロイド斑の形成を阻害することを確かめている。次に健康なボランティアーを募り薬剤の効果を確かめている。かなり踏み込んだ実験で、おそらく我が国では行うことが困難だろうと思う。実験では被験者の脊髄腔にカテーテルを留置して経時的に脳脊髄液を採取している。更に静脈に留置したカテーテルから血液を採取するとともに、アイソトープを標識したアミノ酸を投与し、新たに産生されるアミロイドAβの量を計っている。結果は期待通りで、エスシタロプラム60mg投与によりアミロイドAβ産生が37%低下し、脳脊髄液中の濃度が38%低下している。この結果は、セロトニン再吸収阻害剤エスシタロプラムはアミロイドAβを抑制することで脳内の濃度を低化させ、アミロイド斑形成を抑制できることを示している。このように既に使われている薬剤を違う目的に使うリパーパスは臨床応用へのハードルが低く、医療費抑制にも大きく記する。早期に患者さんについての臨床研究が進むことを期待する。
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5月18日:血中乳がん細胞数と予後(The Journal of National Cancer Institute5月号掲載論文)

2014年5月18日
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壊れたがん細胞から血中に遊離してくるDNAを診断に用いる研究についてはこれまでも紹介した。実はがん細胞自体がそのまま血中に流れている場合も知られている。転移がんだ。血液転移は血液にがん細胞が遊離されることにより始まると考えられるため、転移がんの診断に血中のがん細胞を検出する検査の有効性は既に確立されている。また血中を流れるがん細胞を高感度に検出する機器がアメリカで開発され、我が国でも導入が始まっている。この機器は血中のがん細胞を補足することに機能を絞って開発された優れた機械だ。今日紹介する論文はこのCellTracksと呼ばれる機械を使って乳がんと診断され治療が始まる前の血中を流れる乳がん細胞の数と再発率などを検討したミュンヘン大学の研究だ。タイトルは「Circulating tumor cells predict survival in early average to high risk breast cancer patients(血中の主要細胞の存在を元に早期の一般的がんからリスクの高いがん患者の生存予後を予想できる)」だ。研究では2000人余りの患者さんの参加を得て、診断直後に採取した血液に存在するがん細胞をCellTracksを用いて検出し、その後3年経過を観察している。驚くことに、初期のがんも含め、乳がんと診断された時点で実に21%の患者さんの血液からがん細胞が検出される。その後の検査でリンパ節転移の見つかった患者さんほど血中にがん細胞が見つかる確率は高い。しかし他の臨床検査結果との相関は低く、がんの性質に関わらず大体同じ頻度で陽性になる。次に経過を観察し血中のがん細胞が陽性の場合と陰性の場合の再発率、生存率などを調べると、陽性の場合の予後は明らかに良くない。また、単位血液あたりのがん細胞の数が多いほど予後が悪い。このことから、この検査はがんの予後を予測する指標になり、血中のがんが陽性の患者さんでは、再発の可能性を常に頭に置いて経過を観察することが重要であることがわかる。面白いのは、手術前の補助化学療法によって血中のがんが消えたり、あるいは逆に出現する場合があるが、この様な変化は予後に相関しないことだ。おそらく化学療法はがん細胞の血中への遊離を促進するが、化学療法の結果、血中のがん細胞はある程度無害化されているのだろう。これまでCellTacks検査は転移がんで応用が進んで来た。今回、最初の乳がん診断時の予後の指標として有効であることが示され、CellTracksの利用の拡大が予想される。問題は、初診時の血中がん陽性の患者さんの治療方針がまだ明らかでない点だ。優れた検査法を生かすための治療法の研究が急がれる。しかし抹消血でがんを診断する様々な方法の開発が急速に進展していることを実感する。
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5月17日:放射線障害の新しい治療法(5月15日号Science Translational Medicine掲載論文)

2014年5月17日
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放射線障害治療に活性酸素スカベンジャーなどが効果が確認された薬剤としてこれまでも利用されている。しかし効果が出るためには被爆以前から予防的に使用する必要があった。これに対し今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、被爆後1日を経過した後投与を始めても効果があると言う新しい薬剤についての研究で、5月15日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「PHD inhibition mitigates and protects against radiation-induced gastrointestinal toxity via HIF2(PHD蛋白は放射線の消化器毒性をHIF2を介して軽減し防ぐ効果がある)」だ。PHD蛋白とはHIFと呼ばれる低酸素や様々なストレスにより活性化される分子を就職する酵素で、これによりHIFが分解される。HIFは消化管上皮をストレスから守ることが知られている。このグループは放射線による消化管上皮障害にもHIFが効果があるのではと狙いを付け、HIF分解に関わるPHD蛋白を抑制してHIFが壊れなくして調べている。PHD蛋白は3種類存在するが、全ての分子を腸管で発現できなくしたマウスでは予想通り、放射線照射による死を抑制する効果を確認した。次にPHD蛋白の機能を阻害する薬剤DMOGに同じ効果があるか放射線照射前から投与して調べると、期待通り抑制効果があった。実際の放射線被爆では、被爆を予想して薬剤を投与できるのはあらかじめ計画された放射線治療時ぐらいで、事故では被爆後から投与して効果のある治療薬が必要だ。このため、DMOG投与を被爆後24時間から始めたときも同じ効果があるか調べ、17グレイまでの被爆であれば治療効果があることも確認している。更に、がんの放射線治療で、がんの方にも放射線抵抗性が獲得されると困るので、実験的がんを移植してDMOGを投与する実験も行い、がんの抵抗性を上げることがないことも確認している。メカニズムについても検討しており、PHD蛋白抑制によりHIF2が安定し、この作用で血管増殖因子(VEGF)分泌が上昇すると言うシナリオを示している。とすると、VEGF投与も放射線障害に効果があることになる。示されたデータは全てマウスを用いた実験結果だが、人間にも使えるPHD阻害剤は東大医学部のグループにより貧血治療(HIFが安定化すると赤血球を増殖させるシグナルが上がる)のため開発されていることから、この結果を人でも試すためにそう時間はかからないと思える。新しい治療法として期待でしたい。
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5月16日:疾患iPSを用いる脳高次機能解析の困難(Molecular Psychiatry5月号掲載論文)

2014年5月16日
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現役時代、iPS/ES研究の助成方針について意見交換のためアメリカNIHに行った時、iPSを用いた認知機能研究をテーマに助成をスタートすると言う話を聞いて、ずいぶん野心的プロジェクトだと驚いた。その後アメリカからこの方向性に沿った研究が発表されるのを見て、「細胞で認知機能の何がわかる」と決めつけないことが重要であること教えられた。アメリカでこの分野の先頭に立つのがFred Gageで、ヒトと比べる目的で、ゴリラ、ボノボ、チンパンジーのiPSを樹立するなど柔軟な発想でiPS利用を進めている。中でも2011年、統合失調症の患者さんから樹立したiPS由来の神経細胞を比べ、神経突起の結合性が統合失調症の患者さんでは低下しており、それをClozapineなどの治療薬で改善できると言う驚くべき結果を発表した。しかしその後音沙汰がないので、論文のための論文かと思っていたら、今日紹介する論文が5月号のMolecular Psychiatryに発表された。筆頭著者は2011年と同じでタイトルは「Phenotypic differences in hiPSC NPC derived from patients with schizophrenia(統合失調症患者由来のiPSから誘導した神経前駆細胞(NPC)の示す形質の違い)」だ。今度の仕事も以前と内容はほぼ同じで、4例の患者iPSから神経を誘導し、遺伝子、蛋白、機能を正常と比べている。今回は、彼らの方法でiPSから誘導される神経細胞が6週例の胎児脳に近いことを示した点が先ず新しい。これには以前紹介したアレン研究所で進むヒト胎児脳の遺伝子発現データベースの寄与が大きい。長期的視野を持つデータベース作りは見習う所が多い。遺伝子発現、蛋白発現についても以前よりは大規模な研究を行っている。結局個々の細胞のバリエーションが大きいためか、結果は以前の物と大分違っている印象がある。ネットワーク解析など以前とは異なる方法を用いた今回の比較結果で一番目立ったのが神経接着に関わる遺伝子の発現変化だ。また、蛋白発現の解析から、酸化ストレスと細胞骨格に関わる分子の発現に大きな差を見つけている。この分子発現と一致して、患者iPS由来神経細胞は移動性が低く、またミトコンドリアの障害と酸化ストレスが亢進していることが見つかっている。これらの結果は、統合失調症の患者さんの神経細胞は発生段階から異常があることを示唆している。ただ今回の結果は以前の結果と矛盾はしないが、しかし今回の論文で示された異常はClozapineなどの薬で全く改善しない。また本来行ってしかるべき以前の結果との比較はこの論文でほとんどされていない。幾つかの点で結果の一貫性がないことは明らかだ。多分著者達も解釈に困ったはずだ。しかしこの方向の研究に困難があるのは当然だ。全くめげる必要はないと思う。到底不可能と考えられることに挑戦する人達が多く出てくることが最も重要だ。私は両方の論文を評価したい。
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