全くの初対面で話し始めて、アイデアや知識にあふれているのに、それをひらけかさない好印象を受ける人がいる。そんな一人が南カリフォルニア大学の台湾人科学者、鍾(Chenmin Chun)さんだ。キーストンだったか、ゴードンだったか幹細胞会議の帰りのバスの中で話しかけられ、空港までの2時間以上、ずっと話し込んでしまった。その後は彼の仕事を読むのを楽しみにしてきた。そんな鍾さんから毛根の再生について全く新しい視点を示す素晴らしい論文が4月9日号のCellに掲載された。タイトルは「Organ level quorum sensing directs regeneration in hair stem cell population (臓器レベルの定足数制限メカニズムにより毛根の幹細胞再生が制御される)」だ。研究のきっかけは鍾さんたちが2008年Natureに報告した、決まったエリアの毛をまばらに抜いた場合、毛の再生が見られないという、鍾さんならではの発見だ。このメカニズムを解こうとモデリングや材料の開発についての論文を発表していたが、この論文はその集大成と言っていいだろう。まばらに抜いたときは毛の再生がないということは、個々の毛根で毛の再生が決められるのではなく、障害の程度に応じて領域で再生を決めるメカニズムがあることを示す重要な発見だ。最初はこの現象に関わる分子の条件を探るためのモデリングの実験だが、数学嫌いの私から見ると鍾さんの知識の広さを示す一種のデモンストレーションで、おそらくモデリングする・しないに関わらず、彼はこの論文を書けただろうと思う。そして出てきたのが、毛根再生とは、毛が抜かれるという損傷に対する炎症メカニズムを取り込んで、障害の程度に応じた再生を行っているという新しいシナリオで、核となる分子過程についても決定に成功している。長い論文なのでシナリオについてだけ紹介しておこう。まず毛が抜かれると組織では損傷として認識され、その一環としてマクロファージを引き寄せる遊走因子CCL2が分泌される。CCL2の濃度が閾値に達しないとそれ以後の反応は起こらないため、毛をまばらに抜いたとき再生が起こらなかったのは、CCL2濃度が閾値に達しないからということになる。実際、CCL2ノックアウトマウスでは毛の再生の誘導が起こらない。さて次に起こるのは、CCL2に対する受容体を持ったマクロファージの集積で、これは全く炎症反応と同じだ。これを確認するため、顆粒球を除去した皮膚で再生を調べると、全く再生が起こらず、マクロファージの集積が必須であることが確認される。このマクロファージは炎症反応の主役TNFαを分泌しNFκbを介する炎症反応を誘導すると同時に、Wntシグナルを毛根で誘導することで毛根の再生が起こる。実際、この分子がないマウスでは再生が遅れ、TNFαをビーズにまぶして皮膚に注入するとその場所にだけ毛の再生が起こる。アイデア先行で分子メカニズムをなおざりにするモデリングの仕事が多い中で、あらゆる材料を駆使した素晴らしい研究だと思う。さらに、炎症を損傷による毛根再生の基礎に持ってきたのは新しい展開だ。鍾さんならではの、総合力をうかがわせる仕事だ。私も京大に在籍中、当時研究室に在籍していた大学院生の吉田さん(現横浜理研)や本田さん(現慶應大学医学部)たちと、リンパ組織や造血組織が、炎症をプロトタイプとして発生してくるという総説を書いたことがある(Current Opinion in Immunology, 12:342, 2000)。その時おそらく毛根も同じではないかと書いたので、その意味でもより感慨が深い。しかし考えるだけでは何の意味もない。鍾さんに脱帽。
4月13日:毛の再生は炎症だ(4月9日号Cell掲載論文)
4月12日:刑務所の財政から見たC型肝炎(Journal of Urban Health掲載論文)
現在京都で開かれている医学会総会の会長は井村裕夫先生だ。考えてみると、熊大から京大へ移って以後20年近く井村先生の手伝いをしてきたように思う。当時総長だった井村先生に頼まれた京大の再生医学研究所設立。この研究所をきっかけに再生医学が我が国に定着を始めた頃、今度は当時の科学技術会議委員であった井村先生から再生医学を拡大するようにと、ミレニアムプロジェクトを任された。そして最後の仕上げとして理研CDBを設立した。この間井村先生と一緒に何を目指したのかと考えると、基礎と臨床の橋渡しのためのトランスレーショナルメディシンの推進だった。高橋さんのiPSを用いた網膜治療実施などを見ると、どう推進すればいいかについての一定のノウハウは蓄積できたのではないだろうか。ただ、井村先生と一緒に旗を振っているうち、21世紀本当に問題になる死の谷は、続々と橋を渡って登場する新しい治療を限られた財源で利用するための社会構造ではないかと考えるようになった。そのため2013年、理研を辞めると同時に全ての公職を辞め、もう少し広い視野で医学・医療を勉強し、患者さんたちと話をしながら頭をリフレッシュしてみると、この問題の深刻さがさらに深く理解される。例えば今年の1月14日ギリアドサイエンス社から続々出されるC型肝炎薬についてこのホームページに掲載し、橋渡しが進んでいることを紹介した(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2732)。しかし、後で調べていくと新しい薬の薬価は恐ろしく高い。そのうちの一つは我が国での一錠の薬価が13万円を越した。このような新しい治療を本当に現在の医療システムの中で支えきれるのか。この問題をわかりやすく論じることは難しいが、一つのモデルとして刑務所でのC型肝炎治療を扱った面白いブラウン大学からの論文がニューヨークアカデミーの機関紙Journal of Urban Healthに掲載された。タイトルは「A budget impact analysis of newly available hepatitis C therapeutics and the financial burden on a state correctional system (新しいC型肝炎治療が州の更生施設の財政に及ぼすインパクトの分析)」だ。研究では米国最小の州、ロードアイランドの刑務所の受刑者3000人余りの医療記録や10%のサンプリング検査の結果より、活動型のC型肝炎患者を割り出し、病状や肝炎ビールスのタイプなどを調べている。最初に驚くのは刑務所での感染者が2割を超えていることだ。おそらく麻薬や刺青など様々な要因と相関しているのだろう。この調査の結果、服役期間が十分で、治療が必要なC型肝炎受刑者の数が327人と割り出される。最も新しい薬剤療法を施行すれば315人は完全に治癒するとも予想している。問題は、活動性患者を全て治療すると34億円が必要で、現在薬剤費として計上されている予算の12.5倍、全医療費の1.7倍の予算が必要になる。これを線維化が進んだ進行ステージに限っても、現在の薬剤費の5.5倍、全予算の約8割をC型肝炎だけで使ってしまうという結果だ。アメリカの保健制度から見ると、これは特殊な刑務所の話で、治療対象を選択し、治療手段を安価な方法に限ればいいという結論になる気がする。恐らく同じ議論は、個人で保険に入れないメディケイドの患者さんへ拡大されるだろう。一方、わが国の健康保険は国民皆保険で、維持のために税金が投入されている。いわば刑務所がそのまま拡大した構造だ。薬剤の開発、値付け、保健全てを含めて持続可能な健康保険をどのように構想するのか今考える必要があると思う。医療の場合、一度認めた命の可能性を、経済で断ち切ることはできない。もし混合保険しか解決のためのアイデアがないと、取り返しのつかないことになる。
4月11日:捏造の構造(JAMA Internal Medicine4月号掲載論文)
降圧剤バルサルタン治験について現在も細々と報道は行われているが、ほぼメディアの興味の対象ではなくなったようだ。しかし小保方問題の起こる前、わが国メディアが大きく取り上げ、ニュースに何度も登場したのは当時の京都府立医科大学教授だった松原さんが責任著者として指揮した治験でのデータ捏造だった。2013年8月、大学の調査委員会の報告についての新聞記事をこのホームページでも取り上げたが(http://aasj.jp/news/watch/99)、私はこの文章の最後を、「この様な捏造は、個人だけの問題ではなく、捏造を期待する学会社会が背景にある事を肝に銘じるべきだ。例えば、スティーブングールドのパンダの親指や、韓国の優れたジャーナリスト李成柱の「国家を騙した科学者」はこの事を鋭く指摘している本だ。我が国の成長戦略が、捏造の背景にならないよう、これらの本を読み直すときかもしれない。」と結んだ。すなわち捏造問題(実際にはあらゆる個人犯罪に共通するが)を構造問題として捉える視点の重要性を強調した。このことを冷静な分析を通して伝えなければという気持ちは、私も選考に関わった小保方さんの捏造を巡る科学者、政府、そしてメディアが演じた大騒ぎを目の当たりにしてより強まり、現在原稿を書きつつある。わが国で行われてきたように、捏造を個人の責任問題として分析してしまうと、分析者はあくまで「私が正義、あなたは間違っている。」と主張するアウトサイダーの立場で終わる。しかし、その結果から具体的対策が出ることはまずない。いつも倫理の徹底と、研究の透明性など抽象的な提言で終る。一方、構造問題として捉えるということは、その社会の構成員の全てに責任があると考える立場だ。もちろんメディアにも責任がある。こうして初めて、分析を実現可能な具体的提言につなげることができる。構造問題として分析できる視点の欠落した社会は「子供の国」だ。少し前置きが長くなったが、今日紹介するメイヨークリニックからの論文も論文捏造について実現可能な提言を引き出すための捏造分析で、JAMA Internal Medicineに掲載された。タイトルは「Research misconduct indentified by the US Food and Drug Administration (FDAにより特定された研究不正)」だ。(副題は長いので省いている)。FDAは15000人近い職員を擁する組織で、薬剤や医療機器などを認可するための調査を行っている。当然その審査は厳しく、治験過程で不正が行われているかどうかも、査察する権限を持って行われる。査察結果は、1)問題なし、2)自主的対応で良い、そして3)強制的措置が必要(OAI)の3段階に分かれ、OAI判定を受けた治験の中には、治験に参加した機関で不正や捏造が行われたことが明確に指摘される例も多い。これらは、報告書としてまとめられ開示されているが、文書自体に大きな編集が加えられているために具体的事例をたどりにくい場合が多い。この研究では、査察でOAIと判断された治験400余についてその後の経過をたどれるか詳しく調べ、査察を受けた治験から発表された論文が、FDAの指摘を論文でどう扱っているのか調べている。繰り返すがFDAから開示されている査察記録は編集されすぎているため、調べた421例のOAI査察を受けた治験のうち論文まで辿れたのが57例にとどまった。この57治験で行われた指摘の内訳だが、1)虚偽記載が22例、2)副作用記載もれが14例、3)プロトコル違反42例、4)不適正な資料保存35例、5)インフォームドコンセント等の患者の権利軽視30例、6)それ以外の分類不可能な不正20例と驚くべき実態だ。これらの治験結果を使った論文がThe New England Journal of MedicineやThe Lancetなどの臨床トップジャーナルも含めて78報も発表されている。3報だけはよそ事のようにOAI判定を受けたことについてなんらかの記載をしているが、残りは全く無視をして論文を書いている。論文では、眼に余る具体例のケースレポートが行われているが、読むと驚く。私が関わったわが国の再生医学プロジェクトで当時最も臨床に近いと期待されたのが下肢の血管障害の幹細胞治療で、多くの治験が世界中で行われた。その中に治療後2週間目に一人の患者が下肢切断を余儀なくされた治験ではOAI査察を受けたにもかかわらず、このことが全く記載されていない論文が発表されている。また抗凝固剤リバーロキサバン治験では、半数の治験参加機関で機関ぐるみの医療記録破棄や、改ざんが行われていたが、発表されたLancet論文ではこのことについての記載が全くない。さらには抗がん剤エフロルニチンの治験で一人の研究者が患者さんの検査データ捏造を行い、その結果患者を副作用で死亡させ、法廷で殺人として有罪判決を受けているにもかかわらず、J Urology, The New England Journal of Medicineに発表された論文では全くその点についての記載がない。もちろん指摘された問題に対応できたから認可されているわけで、論文にわざわざ記載するのは馬鹿げているという意見はあるだろう。しかし、論文とFDA認可は全く別物で、論文はやはり薬の効果を世に問い宣伝する意味で書かれる。これまで議論されたように科学論文が、行われたことを正確に伝えることだとすると、その研究過程で行われた捏造についてまったく無視できるはずはない。重要なことは、これが決して稀な事象ではなく、かなりの頻度で行われそのまま論文になっていることだ。昨年3月14日このホームページでトップジャーナルに掲載される治験論文は、書かれる過程でほとんど(97報中93報)が実際に登録されたデータとは異なる虚偽記載を行い、6%に至っては5年生存率まで変えていることを報告したJAMA論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/1273)。このように、論文を書くこと自体が製品の宣伝につながる場合の不正は今や構造問題になっている。長くなったので詳しく述べないが、この論文では最後にclinicaltrial governmentとFDAを連携させて、OAI記録へのアクセスを容易にし、雑誌のエディターへの情報提供を促進するなど、具体的提言をしており、わが国のように研究者の倫理教育徹底のような思考停止で終わっていない。もちろん私も小保方問題を含む日本の分析が終われば、具体的提言で終わるつもりだ。また、50人以上の方が集まるところであればどこでも出かけて議論を行っている。いつでも声をかけてほしい。
4月10日:貧困と脳発達(Nature Neuroscienceオンライン版掲載論文)
2012年5月ユニセフから「New league tables of child poverty in the world’s rich countries(裕福な先進国での児童貧困のデータ)」とタイトルのついたレポートが出された。その中に先進35カ国の子どもの貧困率の図が示されているが、考えさせられる。まずわが国はと探すと、貧困率は14.9%にも達している。8.5、8.8%のドイツやフランスと比べると圧倒的に高い。しかしわが国政府が範としている米国に目を転じれば35カ国中2位で貧困率23%と他を圧倒している。わが国の経済政策が同じ状態を目指しているなら、今ストップをかけるべきだろう。このアメリカの児童貧困問題を科学的に調べたのが今日紹介するコロンビア大学からの論文で、子どもの社会経済的状況と脳皮質の解剖学的発達との相関を調べた研究でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルはそのものズバリ「Family income, parental education and brain structure in children and adolescents(児童と青年の脳構造と所帯収入と親の教育)」だ。これまでもMRIで調べた脳構造と貧困との関係を調べた論文は発表されているが、この研究は1000人以上について調べた点、さらにPINGデータベースを用いて脳画像、家庭環境やGWASを用いたゲノムデータも同時に検討し相関を調べている点だ。即ち、脳発達に影響の多い遺伝や年齢などを全て計算に入れて、環境要因の影響を抜き出すことができる。家庭環境では所帯収入と親の教育歴に焦点を当てている。所帯収入は当然食べ物など子どもが受けることのできる物質的質を反映し、一方親の教育歴は子どもとの精神的接触の質を反映すると考えている。結果は予想通りというか悲しい結果だ。親の教育歴は直線的に脳の皮質の厚さに相関し、収入は指数的に脳の厚さと相関する。すなわち、親の教育が長ければ長いほど、子どもの脳は発達する。また、家族の収入が上がれば上がるほど脳は発達できる。社会経済的環境は解剖学的変化につながるという結論だ。変化の大きい脳の場所を調べると、親の教育レベルの影響は言語や実行力につながる部位の発達と相関することがわかる。一方、収入が最も相関したのは海馬の発達だった。もちろん米国の結果をそのままわが国に当てはめられるかどうかわからない。またこれは全て統計学的有意差についての話で、実際の値は大きくバラついている。しかし、IQのような抽象的な指標だけで対策を講じるのではなく、身体的構造レベルの指標が得られたことは重要だ。わが国でも子育て支援策を評価するためにも、このようなデータベースの拡充が望まれる。
4月9日:音によるがん細胞の分離(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)
基礎研究を初めた時から血液やリンパ球を扱ってきたので、目的の細胞を分離することは研究にとって最も重要な条件だった。研究を続けた30年以上、細胞表面に発現している分子を蛍光抗体で染色してセルソーターを用いて分離する手法と付き合ってきたし、材料も提供してきた。マウスのIL7Rやc-Kitに対する抗体は今も世界中で私たちが作成した抗体が使われていると思う。ただ、この手法はどうしてもコストがかかる。できればもっと単純な方法で目的の細胞を分離したいと考えるのが当然で、これまでも密度勾配、沈降法など多くの方法が開発され、私も利用したことがある。ただ、音波を使うという方法はこれまで一度も考えたことがなかった。今日紹介するペンシルバニア州立大学からの論文は、血液細胞中に流れるガン細胞を音波を使って他の白血球から分離する方法の開発についての報告で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Acoustic separation of circulating tumor cells(末梢血中のガン細胞を音波で分離する)」だ。原理は単純な力学で、末梢血を採取、赤血球を溶血させた残りの白血球を細い管を通す間に、音波で一方向への力を加え、細胞の大きさ、密度の差の違いで流路を変えることで、ガンと白血球を選り分けようとしている。研究では、ビーズやガン細胞を様々な濃度で混ぜた白血球を用いて、分離のための条件を詳しく検討し、1時間あれば90%程度の収率でガン細胞を分離する方法を確立している。最後に、開発した方法が実際の現場に利用可能かどうか調べる目的で、もともとガンが末梢血に流れやすい乳ガン患者さんの末梢血からガン細胞を分離できるか調べている。結果は上々で、2ccの血液から、一人は59個、一人は8個のガン細胞を分離している。一方、治療を初めて2ヶ月の患者さんで、従来法でもほとんどガンを検出できなかった方からは検出できていない。末梢血に流れているガン細胞をCTCと呼ぶが、生きたガン細胞が簡単に採取できることから、プレシジョンメディシンのための鍵になると思う。すでに様々な方法が開発されているが、今回の方法はコストの面で他の方法を凌駕するだろう。まだ、分離に時間がかかるなどの問題はあるが、気軽にCTCを調べられるという意味では大きな進歩だと思う。おそらく乳ガンについては利用が大きく拡大するのではないかと期待する。
4月8日:タンパク同士の相互作用を阻害する薬剤(Cancer Cell 4月13日号、Science2月13日号掲載論文)
昨年9月、Chemistry and Biologyに掲載されていた、たんぱく質同士の相互作用を阻害する薬剤の開発についての総説を読む機会があった(Chemistry & Biology 21, September 18, 2014)。まだ理研の後藤創薬プロジェクトを手伝っていた頃だが、その後藤さんが開発したタクロリムスのようにタンパク質同士の結合(FKBPとカルシニューリンの結合)を阻害する化合物の開発は、リン酸化反応などの酵素反応自体を標的とする化合物と比べると極めて困難だと理解していた。しかしこの総説を読んで、40種類を超える化合物が様々なタンパク同士の相互作用を阻害薬として開発され、一部は治験にまで進んでいると知って考えを改めた。これを裏付けるかのように、2月18日号のScience(347,779, 2015)、そして4月13日号のCancer Cell(27, 1, 2015)に、染色体転座でできた発がんキメラ分子とパートナー分子との結合を阻害する薬剤の開発についての研究が報告されていた。最初の論文では、急性骨髄性白血病の原因であるキメラ分子CBFβ-SMMHC とRunx1分子の結合を阻害するリード化合物を、タンパク同士の結合により蛍光を発するFRETと呼ばれる技術を使って特定し、その化合物を改変して動物を用いた前臨床試験で効果を示す薬剤を開発した研究、2番目の論文は、遺伝子転座により様々な分子とキメラを作ることで発現してガンを誘導するMLL分子とmeninとの結合を阻害するリード化合物を分子の立体構造解析に基づき設計・合成し、この化合物を改変して最終的に動物実験で薬効を示す薬剤の開発に至った研究だ。詳細は省くが、これらの研究から、発ガンに至る分子間相互作用についての生物学が分子構造も含め完全に把握できていること、最初にヒットしたリード化合物を作用機序や分子構造に合わせて改変していくためのメディシナルケミストリーと呼ばれる化学により生物学をバックアップ体制が整っていること、の2点が揃っておれば、これまで対象にしてこなかったプロセスを標的とする薬剤の開発が可能であることがわかる。もちろん、ras分子のようにもともと化合物の設計が困難な分子もあるが、真面目に取り組めば創薬標的はまだまだ拡大できることを示している。また個々の分野を取り上げればわが国も高いレベルにある。しかし繰り返すが、このようなプロジェクトの成功は創薬化学と生物学、そして何よりも臨床側からのニーズと材料提供を一つのチームにまとめ上げられるかどうかにかかっている。発足したばかりの日本医療研究開発機構の末松さんや菱山さんは個人的にもよく知っているので花向けとして激励するとすると、新しい機構に求められるのは提案をただ選んで助成するのではなく、目的のためにシーズを持つ大学やベンチャーが、臨床、生物、化学のまとまった三位一体のチームを作るための強い指導を行うことだろう。さらに創薬標的が拡大することで取り組むべきもう一つの重要問題にも取り組んでほしい。すなわち開発された薬剤の薬価の問題だ。Journal of Economic Perspectives(29:139,2015)に掲載されたPricing in the market for anticancer drugsとタイトルのついた論文の分析では、最近開発された抗がん剤の値段は5年の生存を50万ドルで買う計算になることが示されていた。すなわち根治が保証されない延命にどこまでお金をかけられるかという問題の解決がないと、創薬研究自体が意味を失うことになる。ちなみに、今日紹介した新しい化合物の論文に示された動物実験結果を見ると、これらの薬剤は根治ではなく延命をもたらす薬剤であることもはっきりしている。抗がん剤だけではない。新しいC型肝炎ビールスの根治薬が1錠10万円を超すと知って、すでに患者さんから抗議の声が上がっている。長く生きていたいという切実な希望を創薬の対象にするためには、これまでとは異なる新しい発想のファイナンスの仕組みが必要だ。創薬の成功を20世紀型ビジネスの成功としか見ない視点では、解決法はない。科学の可能性と人間の希望を結びつける創薬の仕組みを構想することも新しい機構の重要な課題だと思う。これからも見続けて率直な意見を述べようと思っている。
4月7日:クリスパーを用いる遺伝子治療の可能性(Natureオンライン版掲載論文)
3月25日「CRISPRの倫理問題」と題して、現在大きな問題になりつつあるこの技術を用いた生殖細胞系列の遺伝子改変についての議論を紹介した (http://aasj.jp/news/watch/3113)。わが国で倫理議論が進んでないのはおそらく科学者との対話が進みにくいわが国の問題を反映しているのだろう。わが国の状況とは無関係に、これまでの議論のおかげで、ヒト生殖細胞への応用は世界中で見合わせられると思う。しかし一方でこの技術は体細胞の遺伝子改変を可能にする技術として大きな期待を集め、ベンチャー企業も活発な活動を始めている。ではどこまでトランスレーション研究が進展しているのかを知るため論文を集めていたら、Natureオンライン版に動物モデルではあるが、すぐにでもヒトに使えるところまで来ていることを示す研究がマサチューセッツ工科大学から発表された。タイトルは「In vivo genome editing using staphylococcus aureus Cas9(黄色ブドウ球菌のCas9を用いた体細胞ゲノム編集)」だ。CRISPRがいかに効率の良いゲノム編集ツールだと言っても、人や動物の体の細胞の遺伝子を直接編集するためには、遺伝子を体細胞に導入するベクターが必要だ。幸い、20年以上にわたる研究の結果、実用にこぎつけた様々な遺伝子治療ベクターが開発されている。例えば肝臓細胞に遺伝子を高率に誘導するために、アデノ随伴ビールス(AAV)をベクターに用いる高効率の方法がある。ただ、CRISPRにはCas9とガイドRNAを同時に細胞に導入する必要があるが、このCas9遺伝子は大きい遺伝子で、AAVベクターには入りきらない。このため、通常用いられる連鎖球菌のCas9よりもっと短い同じクラスのCas9が必要とされていた。この研究では、様々な細菌のタイプIIと呼ばれるCas9を検討し直し、黄色ブドウ球菌のCRISPR系ならガイドもCas9も全て一つのAAVに組み込めることを見出した。書けば簡単だが大変な仕事で、長さだけでなく、実際特異的な遺伝子切断を行うためにはどのガイドがいいのか、また無関係の遺伝子を切らないかなど、膨大な基礎実験を繰り返している。その結果、この技術の特異性についての問題も指摘している。専門家にとっては、ここで用いられる方法は極めて重要で、CRISPRを単に便利な道具として考えず、原理から理解するためにもゆっくり読んで欲しい論文だ。また、これをしっかり理解しないと新しい発想は生まれない。いずれにせよ、AAVに詰め込むことができる全く新しいシステムが開発された。この肝臓遺伝子編集の効率を確かめる意味で、2つの遺伝子につい調べている。このうちとくに重要なのは、治療に利用できるかどうか試す意味で試みられたPCSK9遺伝子の編集だ。この遺伝子が欠損すると、LDLコレステロールが低下し、冠動脈障害を予防することができることが知られており、早速、阻害薬剤も開発されている。AAVを注入してこの遺伝子を編集しその効果を調べたところ、驚くべきことに40%の染色体で遺伝子編集が起こり、血中に流れるPCSK9分子は90%減り、コレステロールが40%低下した。肝臓細胞の編集なら明日からでもヒトに応用できるところまで技術は進んでいることを示している。このシステムを中心に様々な病気治療の可能性が続々示されることだろう。様々な問題を乗り越えながら、しかしこの技術は確実に臨床応用へ歩を進めている。
4月6日:母親の血液で診断できる胎児染色体異常検査の信頼性(4月2日号The New England Journal of Medicine掲載論文)
羊水診断でダウン症などの染色体異常を胎児期に診断することが可能になってすでに50年近くになる。このような診断を望まれる両親の多くは、異常が明らかになった胎児を中絶するという選択をする。ただ、この方法は針を刺して羊水を取る必要があり、検査による流産の危険性があるので、実際に行われる頻度は1%に満たないのではないだろうか。ただ超音波診断の進展で、例えば頚部の浮腫や母親の血清検査(いわゆるクアトロテスト)を組み合わせダウン症の危険性を予測し、羊水検査を勧めることが行われるようになった。当然命の選択を迫られるので、リスクを告げられた両親の苦悩は測り難い。昨年夏クロアチアを旅行していた時、街を案内してくれた35歳のガイドさんが、私が医学部にいたことを知って、今妊娠中で検査でダウン症のリスクがあると告げられたと相談された。その時は、羊水検査をしないとはっきりしたことは言えないこと、超音波とクワトロテストだけでは偽陽性率が高いこと、そして母親の血清中に流れる胎児DNAを使って診断する方法が普及してきたことを伝えた。その後彼女がどのような決断を下したか知る由も無いが、今日紹介する論文はこの新しい検査法の診断率についてアメリカを中心に行われた大規模調査の結果で、4月2日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルはCell free DNA analysis for noninvasive examination of trisomy (非侵襲的トリソミーのための血中DNA検査)」だ。この研究では遺伝子検査にAriosaLaboratoryの方法を用いている。母体の血清中の胎児DNAを次世代シークエンサーで全て配列を決める代わりに、21、18、13染色体の一部の遺伝子に焦点を絞って増幅したあとシークエンスを行う方法だ。従って、原理的に100%の確度はないが、コストは大幅に抑えられる。この研究では、約15000人の妊娠女性についてクワトロテストと、超音波による診断と、Ariosaの診断法の診断率を比べている。結果はきわめて明快で、圧倒的にAriosaのテストの方が診断率、偽陽性率で優れている。21染色体で見ると、対象となった15000人のうちトリソミーを持っていた38例全例がこの方法で診断できたが、従来法では30例に止まっていた。問題は陰性を陽性と判断した偽陽性率で、この方法では9例にとどまっていた一方、従来法では854例と多い。すなわち従来法では5%近くの人が悩ましい選択を強いられることになる。また、羊水検査による流産率は300人に一人ぐらいと言われているので、もし従来法でリスクを告げられた全ての方が羊水検査をするなら、2人以上正常児が失われる心配もある。さらに21染色体だけでなく、診断率が低いのではと心配されていた18、13染色体でも陽性を陰性とまちがう確率は12例中1例だけだった一方陰性を陽性と判断した例も両方合わせて2例にとどまっていた。この結果から、特定の配列に絞った検査法でも羊水検査の結果にほぼ匹敵する診断が可能であると結論できる。結果は以上で、一見めでたしめでたしだが、これが一般検査として保険適用されていくかどうか、コストの問題とともに、検査の目的が目的だけに今後議論を呼ぶような気がする。しかし、経済界は大きな期待をしているようだ。ある経済紙は当面の検査費用(保険会社との契約)は800ドル程度で、1億人がアメリカで保険対象になると予想している。また、5月には20万キットが売れると分析している。事実、この予想を超える結果は会社の戦略上大きな意義があるようだ。すでにホームページでは、この結果を大きく宣伝し、昨年暮れにAriosaはロッシュにより買収された。ゲノムビジネスは予想を超える速度で浸透している。
4月5日:メラノーマの究極のプレシジョンメディシン(Scienceオンライン版掲載論文)
ちょうど1年前AASJチャンネルに出てもらった岸田徹さんは、今自身の活動サイト、ガンノート( http://gannote.com/ )を通して活発な情報発信を行っている。ほぼ毎週と言っていいほどニコ生やユーストリームでガンを経験した人たちと対談を重ねており、今日は3時からメラノーマを経験された徳永さんと対談をする予定だ(http://live.nicovideo.jp/watch/lv216198423、or http://www.ustream.tv/channel/gannote)。ちょうどいいタイミングでメラノーマの免疫療法についての画期的論文が出ていたので紹介することにした。ワシントン大学からの論文「A dendritic cell vaccine increases the breadth and diversity of melanoma neoantigen-specific T cells(樹状細胞ワクチンがメラノーマ特異的なT細胞による免疫反応の幅と多様性を増大させる)」だ。昨年11月27日「論理的にガン免疫療法を進める手段が整った」とNature掲載論文を紹介したが(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2505)、今日紹介するワシントン大学の論文は論理的免疫治療が実際に可能であることを、メラノーマの患者さんで示している。この研究の目的は、メラノーマのゲノムを調べて、突然変異を起こした分子の中からガン特異的抗原を探し出し、これを樹状細胞と一緒に患者さんに投与してガンに対する免疫反応を誘導できるか調べることで、いわば究極のテーラーメード治療の可能性を探っている。研究では特定のHLA抗原を持つ進行したメラノーマの患者さん3人のガン組織を取り出し、蛋白に翻訳されるエクソームで起こった突然変異を全てリストしている。進行性のメラノーマでは250−500種類の突然変異が積み重なっている。次にこのガン特異的突然変異から、キラーT細胞免疫の抗原になりうるペプチドをコンピューターで割り出す。これにより、50−100種類のガン特異的抗原候補が特定できるが、さらにその中から実際にメラノーマで発現しHLA抗原に結合できるペプチドを選んでいる。もともと突然変異の多い進行性のメラノーマでは、この方法で確実に数種類のガン特異的抗原を見つけることがしめされ、嬉しい結果だ。詳しいことは省くが、こうして選んだ抗原の中にはワクチン免疫前から免疫が成立しているものが見つかる。ただ、反応は強くない。ところがワクチン投与後はこの反応が大きく増強される。また、これまで反応がなかった抗原に対しても免疫反応を誘導することができる。もちろん、誘導された免疫反応によりメラノーマが殺されることも試験管内の実験で確認している。他にも実際に特定されたガン抗原がガンに発現していること、反応する側の抗原特異的T細胞の特定や、ワクチン免疫後この細胞が体内で増加することなど詳しく調べた力作で、読んでいて本当に感心する仕事だ。しかし、一般の人にとって重要なことは、進行性メラノーマのほとんどで、ガン特異的抗原を見つけ、ワクチンとして免疫することで、ガンを殺すオーダーメード型のガン治療が可能であることを実際に示した点だ。今のところ治療を受けた患者さんに問題になる副作用は出ていないようで、もう少しすれば実際の治療結果も報告されるだろう。今回の研究は、抗CTLA4治療と組み合わせて行われているが、抗PD1も利用可能だ。いよいよ、ガン特異的抗原を特定した論理的免疫療法でガンを撲滅することができるかもしれないと期待を持たせる研究だった。
4月4日:心室中隔欠損発症を予防する(Natureオンライン版掲載論文)
心臓の発生過程を学ぶと、その巧妙な仕組みに驚嘆し、様々な発生異常が発症しないほうがおかしいとさえ思ってしまう。実際、自然に治るケースも含めると新生児の1%になんらかの奇形が見られるという。あらゆる発生現象と同じで、この先天性心疾患が発症する基盤に様々な遺伝子変異が関わっていることは間違い無いが、発生時の母体が置かれた偶発的な条件が発症の大きな要因となると考えられている。いずれにせよ、100%の因果関係を示すような要因はないため、これまでの研究は疫学調査が中心で、母体の要因を調べるための動物実験が行われることはほとんどなかった。この意味で、今日紹介するワシントン大学からの論文は先天性心疾患における様々な母体要因の影響を実験的に確かめられるようにしたという点で意義は大きく、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「The maternall-age-asociated risk of congenitall heard disease is modifiable(年齢に相関した先天性心疾患の発症を予防することはできる)」だ。この研究ではマウスをモデルに用いているが、いくらネズミ算で子供が多いと言っても、普通のマウスで先天性心疾患の発症を調べるのは頻度が低く並大抵のことではない。この研究では、先天性心疾患の頻度を上げることがわかっているNkx2.5遺伝子を染色体の片側だけで欠損したマウスを用いることで、この問題を解決している。この結果、1−2割の新生児で心室中隔欠損症が起こる実験モデル作成に成功している。このモデル系で発症する心室中隔欠損はNkx2.5分子の発現が相対的に低下している遺伝的変化を基盤にしているが、それ以外の遺伝的要因はほとんどないことが確認されており、中隔欠損発症に及ぼす母体要因を調べることができる。この研究では、1)年齢、2)遺伝背景、3)肥満・糖尿、4)運動の影響が調べられた。まず最も気になる年齢だが、高齢になると中隔欠損の頻度が1.5倍に上昇する。これが、卵子自体の老化によるのか、母体の老化によるのかを調べる目的で、卵巣移植を行い若い卵巣を高齢マウスに、また老化卵巣を若いマウスに移植して中隔欠損発症の頻度を調べると、卵子の老化ではなく、母体の老化が最も重要な要因であることを突き止めている。すなわち、若い卵巣も老化マウスの中で発生すると、中隔欠損頻度が上がる。確かにこんな実験は、モデル動物がないと不可能だ。次に遺伝背景だが、マウスの系統によって頻度は変わるため、ゲノム上の小さな変異が積み重なると中隔欠損発症につながることがわかる。これらの要因は一種の運命で、変えることはできない。次に、予防可能な要因としてまず肥満や糖尿の影響を調べるている。母親に高脂肪食を食べさせて肥満や糖尿を誘導した後、中隔欠損の頻度を調べているが、意外にもほとんど変化がない。少なくともこのモデルでは、従来疫学的に指摘されていた肥満や糖尿が重要な要因になることはなさそうだ。最後に、マウスが遊びながら運動できる回しぐるまをケージに入れて運動の影響を調べてみると、運動させる期間に応じて中隔欠損発症が大きく低下する。4ヶ月以上回しぐるまで遊んだグループでは実に頻度が3分の1に低下している。ただ、自由に遊ばせているので、体重や空腹時血糖には大きな差がなく、自由に運動することが重要であるという結論だ。これが本当かどうかは大規模な疫学調査が必要だが、遺伝的傾向があっても中隔欠損の発症を予防することができることが示されたことは大きい。一人でも中隔欠損児の誕生を減らせることになるなら重要な貢献だ。最後に、この研究では回しぐるまをケージに入れた効果を運動の効果としているが、ひょっとしたら回しぐるまで遊ぶことで精神的な安定がもたらされた結果効果があるのかもしれない。その点の確認も必要な気がする。