元旦の論文ウォッチは、Covid-19論文にするか、今日取り上げるNeurofeedbackにするか迷ったが、Covid-19はいずれ収束するので、やはりもっと未来に開かれたNeurofeedbackを取り上げることにした。Neurofeedbackについては昨年9月8日に付随運動を抑制する治療法として紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/11297)、要するに付随運動の原因となる脳の活動を客観化することで、付随を随意に変えようとする試みだ。
多くの読者の方は「クオリア」という言葉をご存知だと思う。といっても我が国でクオリアというとソニーの高級ブランドを指す。この様な哲学用語にイメージをかぶせて宣伝に使うプロデューサーの教養には脱帽するが、私にとってこの言葉は、主観と客観の壁は絶対打ち破れないという哲学界のマニフェストに思える。
クオリア自体は20世紀初頭から使われているが、一般に普及し始めるきっかけは、米国の分析哲学の流れを汲む、クワイン、ナーゲル、チャルマーズなどが、主観的な認識は決して科学的に客観化できないことを主張した著作だと思う。個人的な意見だが、昨年我が国の哲学ブームのきっかけになったマルクス・ガブリエルの「私は脳でない」も、この認識論の延長にある様に思える。
しかし、これで納得しては科学者が廃る。クオリア論は主観的認識は決して科学の対象にならないということを前提としている。確かに今はそうかもしれないが、その様な壁を克服することこそ科学だと言える。
では何かを感じている私の脳を感じることができるか?もちろん脳自体を感覚するためのシステムを持たない私たちには原理的に不可能だ。しかし、感じている脳を様々な機器で表象化して、それをもう一度客観的に感覚することは可能だ。いずれにしてもすべての感覚は脳内で表象化されている。とすると、脳画像機器による表象と脳内の表象をつなぐことができないか考え始めたテクノロジーがNeurofeedbackではないかと私は思っている。
事実、科学の世界ではNeurofeedbackは医療技術として広がりを見せ始めている。2017年にNature Rev. Neuroscienceに発表された総説では、自分の感覚過程を画像化してコンピュータにより表象化してもう一度脳に戻すテクノロジーが紹介されている(是非お読みください)。
さらには、Neurofeedbackを音で行うデバイスまで販売されている有様で(https://choosemuse.com/how-it-works/)、否応なしに科学はこの可能性を真面目に追求する必要があるだろう。
今日紹介する英国グラスゴー大学からの論文はNeurofeedbackが外界のシグナルからの反射能力を高める効果があることを示した論文で12月13日号のeNeuroにオンライン掲載された。タイトルは「Up-regulation of Supplementary Motor Area activation with fMRI Neurofeedback during Motor Imagery(運動の構想時の補足運動野の機能的MRIの活動をNeurofeedbackにより高めることが可能)」だ。
補足運動野とは、私たちが自発的に運動を始めるとき、一連の操作を構想し、まとめるために活動する脳領域でMSAと呼ばれており、Neurofeedbackでは、画像機器を用いて感覚の再表象を得るための場所として最も用いられる。
この研究では、信号を見て右人差し指でボタンを押す運動を、動作を起こすかどうか決める比較的簡単な課題を健康人に行ってもらい、500回近くの反応過程でMSAの反応が課題に対する行動と相関することをまず確認する。
Neurofeedback訓練ではMRIを記録しながら同じ課題を行うのだが、課題を行うときのMSAの活動状況を温度計表示して被験者に認識してもらい、フィードバックをかける方法を用いている。すなわち脳MSAの状態を視覚から再インプットされることで、認識するという仕組みだ。この研究では、いわゆる偽薬グループを設定し、同じ過程で、MRIの結果に関係ない温度計表示を被験者に見せている。
結果は期待通りで、Neurofeedbackを受けた患者さんでは課題での右手の反応時間がなんと15msも早くなる。一方偽薬グループでは全く影響はない。さらに、neurofeedbackで訓練が続く間、MSAの反応自体も上昇する。一方、他の感覚野や運動野の活動感受性は誘導できなかった。言い換えると、どの様な感覚かを表現できないにしても(これは温度表示による表象が完全に脳の活動としては認識できていないためだ)、自分の脳の動きを客観的な指標として感じ、この感じをさらに高める方向へMSAをコントロールできたことになる。
以上、neurofeedbackを科学的に検証した論文がまた一つ増えたことになるが、現在のところクオリアをもう一度表象として補足できる場所は、補足運動野の様な、運動を構想する場所にに限られるようだ。
まだまだ脳を感じるという実感までには至らないし、皮肉な見方をすると一つの医療技術で終わるかもしれない。しかし、主観的には決して感覚ができない脳の活動を、なんとか感覚できる様にしようとする方向性には期待しており、初夢として期待できると思っている。
実は年末30日、東京芸大、東大医学部の学生さんを中心に行われているArt Meet Science プロジェクトの定例会に参加したとき、東京芸大の高杉瑠奈さんの企画した「脳で触る身体」プロジェクトの報告を受けた(図は人間の皮膚の写真からPCで作成されたイメージ)。
私の様な頭でっかちな科学知識とは無関係に、脳での感覚を見てみたいという気持ちが伝わるプレゼンで、展覧会に参加できなかったのは残念だと思った。特に話を聞いていて、高杉さんたちのコンピュータデザインが、将来より複雑なデコードされた脳過程をもう一度感覚可能な形で表象するのに使えるのではとフッと考えた。残念ながら今私たちが客観的に知りうるクオリアは単純な量としてしか表象できない。しかし、動物実験からも分かる様に、脳での活動と行動を統計的に相関させてデコードする技術は進んでいる。ただ、複雑な情報をわかりやすくもう一度インプットする方法論がない。デザイン技術がここで生かされ、より複雑な私のクオリアを、分かりやすいデザインとして他の人と楽しむ時代が来ることを夢見ている。