留学時代は別にして、在籍した研究室では、実験動物飼育は動物施設に中央化されていない場合も多く、助手から教授時代まで、週一回のケージ交換は教室全員が参加して行う恒例行事だった。善し悪しはともかく、この恒例行事のおかげで、実験マウスの生態をいろいろ観察することができた。特に、遺伝子改変した大事なマウスが生まれる場合、母親がしっかり育ててくれるよう、注意を払った。
今日紹介するニューヨーク医科大学からの論文は、新生児の声を聞いて子供を巣に運んだり、巣から出ないようにケアする母親の行動を、まだオスとの交配も経験したことのない処女メスが、他のメスから学ぶ行動の脳回路を解析した研究で、回路研究としては普通のレベルだが、行動としては個人的馴染みもあり、面白いと思った。タイトルは「Oxytocin neurons enable social transmission of maternal behaviour(オキシトシン神経は母親の行動の社会的伝達を可能にする)」で、8月11日のNatureにオンライン出版された。
研究では、処女メスと、子供をケア中のメス(子供も一緒に)を同居させたとき、メスが処女メスを子供のケアをするように導く行動を対象に、その脳回路を調べている。
数え切れないほどマウスの子育てを見てきたが、それでも他のメスが、処女メスに子育てを教えるという行動には気づかなかった。元々子育ては本能にプログラムされているが、教えてもらうことで1−2日でほとんどの処女メスは、この本能プログラムを発揮できるようになる。そして、この学ぶ期間にオキシトシン神経を抑制すると、学びが遅延することを明らかにしている。また子育てを学習中の処女メスのオキシトシン神経は、学習中に興奮する。
このオキシトシン神経は、学習とは無関係に、母親が子供のケアを行うときには必ず興奮する。従って上記の結果は、子供の声が聞こえる中で行われる、初経験の子供のケアを学ぶ過程にも、同じオキシトシン神経を興奮させて予行演習を行っているように見える。
次に、学習過程を単純にするために、処女メスに透明な敷居を隔てて、視覚インプットだけでメスの子育てを学ばせると、これだけでも子育て行動を学ぶことがわかる。また、オキシトシンがないとこの学習は起こらない。この状況でオキシトシン神経の興奮を見ると、期待通り興奮する。このとき学習なしで、光遺伝学的に視覚神経からオキシトシン神経の投射を刺激すると、同じように学習が起こる。
大事なのは、学習過程で興奮するオキシトシン神経が、子供の声を聞かせたときに興奮する聴覚領域に投射し、興奮すると子供の声に対する反応が高まる点だ。これは、オキシトシン神経から、聴覚領域への投射があることを示しているが、実際この投射経路にオキシトシン阻害剤を注入すると、学習効果はなくなる。
以上、少しごちゃごちゃした実験だが以下のようにまとめることができる。
子育て行動は元々本能としてプログラムされているが、オキシトシン神経の興奮が、子供の声に反応する聴覚領域に投射することで、学習により聴覚反応の閾値を下げる回路が成立しており、学習によりこの回路を刺激することで、本能プログラムが誘導される閾値を下げられる。すなわち、オキシトシン神経は、本能と学習をつなぐ重要なハブになっていることを示す。
オキシトシンは様々な社会行動に関わっているが、本来の本能行動を起こりやすくすると言うシナリオは面白かった。