現在腎不全に対する治療法は、人工透析と腹膜灌流があるが、腹膜灌流の方は様々なメリットがあるにもかかわらず、普及していない。我が国の腹膜灌流比率1%は例外としても、欧米でも10−20%の普及率にとどまっている。この理由の一つは、自宅での清潔作業が必要であるなど運用上の問題もあるが、現在使われているicodextrin入りの灌流液が、生物学的に全く不活性というわけではなく、どうしても腹膜を刺激して、血管新生、腹膜細胞障害、線維化などを誘導して、灌流効果が低下してしまうことも問題になっている。
今日紹介するウィーン大学からの論文は灌流液による腹膜の変化のメカニズムを探り、この作用を塩化リチウムで抑えることが可能であることを示した研究で、8月25日号のScience Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Lithium preserves peritoneal membrane integrity by suppressing mesothelial cell αB-crystallin (リチウムは中皮細胞のαBクリスタリンを抑制して腹膜の機能を保全する)」だ。
まず、世界中で安全に使われている灌流液に満足せず、さらに完全なものにしようと努力しているこのグループに脱帽したい。このグループは、灌流液に加えることで、灌流液による影響を軽減させる分子を探索する中で、細胞保護作用と抗炎症効果が知られている塩化リチウムに着目し、この研究を始めている。
研究ではヒトの腹腔由来中皮細胞を培養し、灌流液に暴露したときに見られる変化を、細胞学的遺伝子発現解析や発現タンパク質解析で特定するとともに、この変化を塩化リチウムにより抑制できないか調べている。
結果は期待通りで、灌流液にさらすことで中皮細胞の細胞死や形態変化が誘導されるが、これを塩化リチウムが見事に抑制することができる。そして、遺伝子発現やタンパク質発現の網羅的研究から、この変化を誘導するマスター遺伝子として、αBクリスタリンを特定する。
事実、灌流液にさらされた中皮細胞ではαBクリスタリンの発現が上昇し、塩化リチウムはこの上昇を抑える。そして、αBクリスタリンを過剰発現した細胞では、灌流液による細胞死や形態変化の誘導を塩化リチウムが抑制できなくなる。
次に、このメカニズムを解析し、灌流液がαBクリスタリンのリン酸化を介して核内移行を誘導し、TGFβにより活性化されるSMAD4のユビキチン化を抑制することで、TGFβシグナルが増強し、中皮細胞から間質細胞への転換が誘導されること、そして塩化リチウムはこのαBクリスタリンリン酸化を抑え、中皮細胞/間質細胞転換を抑えることを明らかにしている。
最後に、マウスの腹膜灌流モデルで誘導される、腹膜肥厚、線維化、血管新生などを塩化リチウムが抑制できることを確認し、臨床へのトランスレーションが可能であることを示している。
以上が結果で、少なくとも現在の腹膜灌流液は刺激性があり改善の余地があること、またこの問題を灌流液に塩化リチウムを加えることでかなり改善できることを示している。ただ、臨床へのトランスレーションに当たって今後確認が必要な点は、塩化リチウムの副作用の問題だ。塩化リチウムは躁病に対する薬剤としてすでに利用されており、命に関わる有害事象が発生する可能性は少ないが、それでも腎毒性などが指摘されており、灌流液に加えて使う場合も副作用への注意が必要になる。ただ、著者らは灌流液に有効濃度の塩化リチウムを加えても、血中の塩化リチウム上昇が少ないことから、副作用もかなり局所で抑えられると議論しているが、今後の研究が必要だろう。
いずれにせよ、αBクリスタリンを、灌流液の腹膜障害性の鍵として特定できたことは、今後より安全な腹膜灌流液の開発に大きく寄与できると期待する。