サルから人間への脳発生過程では様々なイノベーションが起こったことは間違いないが、これを特定するのは簡単ではない。これまで、サルには存在しない新しい遺伝子の出現や、新しい分子機能の発生などについては紹介したことがあるが、この進化に最も大事だと考えられている転写調節領域の進化については、研究は少ない。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、この課題克服のために想像を絶するほどの努力を払って、サルから人間の過程で新たに起った転写調節領域の変化を網羅的に解析する手段と資源を開発し、哺乳動物の進化過程で変遷し、かつ人間特有の機能が発生した転写調節領域を特定した研究で、10月20日号のNeuronに掲載予定だ。タイトルは「Rewiring of human neurodevelopmental gene regulatory programs by human accelerated regions(ヒトの神経発生遺伝子調節プロブラムを人間の進化で変化している領域を用いてプログラムし直す)」だ。
繰り返すが膨大な仕事だ。まず、人間とサルの発達期の脳を用いてエンハンサー活性をクロマチン沈降法(H3K27など)で調べ、ヒトで大きく変化している原因になると考えられる配列(HARと呼んでいる)を約3万種類集め、この領域を中心にした人工エンハンサーライブラリーを合成している。こうして作成したエンハンサーを、ミニプロモーターとバーコードをつけたルシフェラーゼ遺伝子と結合させたライブラリーにして、エンハンサー活性をバーコードの出現頻度で検出できるライブラリーにして、これを細胞に導入してエンハンサー活性を網羅的に調べている。
ルシフェラーゼ遺伝子をマーカーに使ってしまうと、蛍光活性と一個一個のエンハンサーを対応させる必要が出てしまうので、網羅的解析には適さない。そこで、トランスフェクトした細胞全体を集めて、転写されているRNAの配列を調べ、そこに存在するバーコードの頻度から、エンハンサーの活性を測定するという、まさにバーコードによる「見るから読む」技術で、何万もの異なるエンハンサー活性を一度に測定することが可能になっている。
人間とサルの同じエンハンサー領域ライブラリーの活性を、神経細胞株で調べると、人間で新たに出現したエンハンサー配列(HAR)の半分は、神経細胞内でサルより高いエンハンサー活性を示す。また、発生途上の神経前駆細胞でも同じように高いエンハンサー活性を示す。
また、発生過程の神経細胞を、クロマチン沈降法によるエンハンサー解析や、HiCなどの染色体相互作用測定法で調べた時に特定できる調節領域と、HARを対応させると、40%近くの調節領域にHARを認める。
このように、HARの活性から、そのエンハンサー部分を持つ転写調節領域を特定すると、自動的に転写活性がサルから人間への過程で変化する遺伝子を特定することができる。この研究ではその例として、調節領域に2つのHARがサルから人間への進化過程で挿入された遺伝子PPP1R17を特定する。そして、実際HARがエンハンサーとしてプロモーターと相互作用していることをHiCを用いて確認している。
後は、この遺伝子の発現をマウス、サル、人間と比べると、マウスからヒトまで小脳のプルキンエ細胞では発現が見られる一方、大脳皮質の発現は人間とサルだけで見られること、また皮質での発現もサルでは生後も長期間持続する一方、ヒトでは胎児期だけに発現している。
結果は以上で、実際2種類のHARがヒト特異的なPPP1R17遺伝子発現の生後の低下に関わっているのかについては確認していないし、この遺伝子の発現を早くオフにすることの脳機能に及ぼす効果が何なのかはまだわからない。この遺伝子がG1-S移行を調節することから、細胞の増殖による人間特異性に関わるのではと想像されるが、まだ研究は必要だ。
しかし、エンハンサー活性をバーコードによりバルクで調べられること、それを用いて、脳発生に関わるエンハンサー活性検出ライブラリーを、ヒトを含む様々な動物で完成させていることに、本当に時代が変わっていることを感じた。