いわゆる青銅器時代に、中央アジアのステップ地帯からヨーロッパ全体に進出して、様々な文化とともに、インド・ヨーロッパ語を伝えたヤムナ文化は、先住民族が、ヤムナ民族で置き換えられることで広がったことが、ゲノム研究からわかっている。
個人的には、言語から土器まで、優れた文化を有している民族が周辺へと進出していくのは当然と思っていたが、この優位が何によりもたらされたのかについては考古学的に議論が続いてきたようだ。民族が置き換わるわけで、基本的には先住民を支配、あるいは滅ぼしながら広がったことになるが、例えばモンゴルや、匈奴の例から、馬の家畜化と利用、牧畜主体の生活が重要な要因ではなかったかと考えられてきた。しかし、東ユーラシアでは馬の利用が紀元前1200年まで見られていないことから、証拠を示す必要があった。
今日紹介するイエナ・マックスプランク人類歴史学研究所からの論文は、タンパク質解析で、ヤムナ民族が馬のミルクを含む乳製品を常食にしていたことを明らかにし、これがヤムナ民族拡大の大きな原動力だったことを示した研究で9月15日Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Dairying enabled Early Bronze Age Yamnaya steppe expansions(酪農が青銅器時代初期のヤムナ民族拡大を可能にした)」だ。
しかしこの1ヶ月でイエナ・マックスプランク研究所の論文を紹介するのが3回目になるが、考古学領域へのめざましい進出ぶりで、活動範囲がアフリカ、アジア、そしてヨーロッパと広がっているのがわかる。まさにヤムナ文化の拡大を彷彿とさせる。
この研究は、歯石の質量分析から、接種していたミルクの種類を特定することを可能にした実験手法の開発と、そして何よりも歯石に注目した着想にあると思う。
研究では中央アジアステップから出土した、新石器時代から青銅器時代の人骨から歯石を削り出し、質量分析法を用いて乳成分のタンパク質(カゼインやラクトグロブリン)が存在するか、どの動物種の乳成分かを調べ、いつから酪農がヤムナ民族に定着したかを調べている。
結果は明瞭で、新石器時代後期(BC4600-4000)のサンプルからは、一例を除いてミルク成分は全く検出できなかったが、初期青銅器時代(BC3300-2500)では、全例で主に羊、山羊、牛を中心に乳成分が検出され、最も酪農が進んでいたと考えられる領域では、馬の乳成分がはっきり検出できることを示している。
結果は以上で、牧畜という生活スタイルが、様々な文化を生み出し、これがヤムナ民族進展の大きな原動力になったという結果だが、初期青銅器時代の一部の地域ではっきりと馬の乳成分が検出されたことは、馬の家畜化がこの時代に進んでいたことを初めて示し、匈奴や蒙古のように、戦闘能力が高まったことも、拡大の要因であった可能性を示している。
ただ、ヤムナ民族のロマンより、イエナマックスプランク研究所の大躍進の方に感心した。