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7月22日 迷走神経刺激がリハビリテーション効果を高める理由(7月19日 Neuron オンライン掲載論文)

2022年7月22日
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迷走神経刺激は現在様々な病気に使われている。特に難治性のてんかんについては効果が高く、刺激のための機械を設置するために手術が必要だが、重要な治療手段になりつつある。

さらに昨年、同じ迷走神経刺激が脳梗塞後のリハビリテーションの効果を高めるという重要な報告がThe Lancetに報告され(下図)、FDAでも認められた治療として登場した。

ただ、何故このような効果が得られるのかについてはよくわかっていない。コリン作動性の神経を高めることでリハビリテーションの効果を高められることがわかっているので、迷走神経がおそらくコリン作動性神経を活性化させるからだと説明されていた。

今日紹介するコロラド医科大学からの論文は、マウスを用いて迷走神経刺激が運動学習に及ぼす効果を調べた研究で、単純なリハビリ課題にせず、まず複雑な運動の習熟過程に焦点を当てて影響を調べることで、何故無関係と思われる迷走神経が運動の習熟を促進するかに一つの回答を与えている。タイトルは「Vagus nerve stimulation drives selective circuit modulation through cholinergic reinforcement(迷走神経刺激はコリン作動性強化を介して選択的に運動神経回路を変化させる)」で、7月19日 Neuronにオンライン掲載された。

既に述べたように、この研究ではマウスがケージの隙間から前足を使ってレバーを動かし、褒美を得るという、マウスにとっては結構難しい課題を練習して習熟する過程に焦点を当てている。

この時、手を伸ばす過程、あるは課題を成し遂げた後に、迷走神経刺激を行い、その効果を見ると、どちらの刺激でも習熟度を高めることが出来る。この迷走神経刺激で高められた能力は、大体1週間がピークだが、2週目でもまだ効果が見られる。また、詳しい行動学的解析から、迷走神経刺激がレバーに手を伸ばす過程が、最適の過程に収束させるのに働いていることを確認している。

この結果は、迷走神経が確かに運動過程に介入できることを示している。そこで、まず迷走神経が前脳基底部のコリン作動性神経を活性化するかどうか調べ、期待通り、前脳基底部のコリン作動性神経の半分が迷走神経刺激に反応することを特定している。

必要な行動を運動野に表象し、この表象に従って行動を行うことが習熟には必要になるが、迷走神経刺激は前脳基底部のコリン作動性神経を介して、運動皮質の興奮や興奮抑制に関われることを示している。すなわち、迷走神経、前脳基底部、そして運動皮質にサーキットが形成されている。そして、迷走神経刺激により、前足をレバーに伸ばして動かすための運動神経野の神経表象が特に強く刺激され、これによりこの神経表象パターンが現れやすくなることが、習熟の背景にあることを明らかにしている。

わかりやすくするため定性的に述べたが、実際には神経学的に詳しい実験が行われている。またここで示された回路の詳細については、今後の研究が必要だが、これまで考えられたように、皮質全体が無作為に活性化されるのではなく、課題に関わる運動表象に関わる限られた神経を高めるという発見は、ひょっとしたらリハビリのやり方にも役に立つかもしれない。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月21日 昆虫に見られる水平遺伝子伝搬(7月18日 Cell オンライン掲載論文)

2022年7月21日
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以前顧問をしていたJT生命誌研究館でブログを連載していたが、2014年クリスパー手法を紹介するとき、生物が外来遺伝子流入と戦うだけでなく、それを積極的に利用してきたことを「水平遺伝子伝搬」というタイトルで書いた(https://www.brh.co.jp/salon/shinka/2014/post_000009.php)。この時、例に挙げたのが、昆虫と共生するボルバッキアからの遺伝子伝搬の研究を紹介したが、希とは言え、何十億年もの進化が終わった後も、種を超えて遺伝子が伝搬し、使われるのを見ると、生命は DNAという情報メディアを介して親戚なのだとつくづく思う。

今日紹介する杭州・浙江大学からの論文は昆虫の種を超えて見られる水平遺伝子伝搬 (HGT) を、昆虫のゲノムデータベースを用いてカタログ化し、その進化と機能について調べた研究で、7月18日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「HGT is widespread in insects and contributes to male courtship in lepidopterans(HGTは昆虫の間では広く見られ鱗翅類ではオスの求愛行動に関わる)」だ。

この論文もそうだが、生物情報の処理力で中国は高い能力をつけてきたと感じる。この研究では、218種類の昆虫ゲノムから得られる蛋白質のアミノ酸配列を昆虫相互とともに、細菌、カビ、ウイルスの配列と比べることで、1410種類の HGT と思われる遺伝子を特定している。

予想通り、これらの HGT の8割はバクテリアから、13%がカビから、そして残りは植物やウイルスから来ている。また、蝶や蛾などの鱗翅目で最も多く見られている。このように、バクテリアと共生し、そこから遺伝子を取り込むのは昆虫の特徴かも知れない。

さて、こうしてカタログ化した HGT が信頼できることを検証した後、次に注目したのが、バクテリアの遺伝子には存在しないイントロンが HGT で昆虫に取り込まれると HGT 遺伝子に挿入され、特に繰り返し配列が多いイントロンが挿入される点だ。

ゲノムを比較して、まずイントロンが昆虫自体のゲノムから導入されることを確認した後、HGT 後イントロン挿入により、遺伝子は長く複雑な構造に変化していくことを明らかにするとともに、同じステージの遺伝子発現データベースから、イントロンの存在によって遺伝子発現レベルが上昇していること、すなわちホストに合わせた遺伝子調節システムが進化していることを明らかにする。

ここまではほとんどデータベースを用いた情報処理技術を駆使した研究だが、最後に、リステリア菌から由来して、現在ほとんどの蝶や蛾に存在する

HGT の一つを選び、この遺伝子を鱗翅目の一種コナガ(Plutella xylostella)でノックアウトし、その機能を探っている。長い話を短くすると、この遺伝子はアルコールデハイドロゲナーゼに属するのだが、ノックアウトされるとオスの求愛行動が低下し、その結果卵の孵化確率が低下することを明らかにしている。

残念ながら、何故この遺伝子が求愛行動に関わるかは明らかになっていないが、リステリアの、しかも代謝に関わる酵素なので、面白い課題が新たに生じたように思う。

いずれにせよ、はっきりと課題が設定できれば、インフォーマティックスでここまで出来るのかと言うことをつくづく感じる研究だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月20日 腎移植患者さんでもチェックポイント治療は可能(7月6日 The Lancet Oncology オンライン掲載論文)

2022年7月20日
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チェックポイント治療がガンの免役学的排除を目指すものなら、もともと免疫的排除を抑える必要がある臓器移植患者さんは、チェックポイント治療を受けられるかどうかは、臨床上重要な問題だ。この論文を読むまで、この問題を考えたことはなかったが、これまでの臨床例では予想通り高い確率で、チェックポイント治療開始早期に臓器の拒絶が起こることが報告されていたようだ。

今日紹介するニュージーランド・Central Northen Adelaide Renal and Transplantation Serviceからの論文は、腎移植を受けて免疫抑制剤を服用している患者さんがステージ4の腫瘍を併発した場合も、PD-1抗体によるチェックポイント治療を受けられる可能性を示した臨床治験で7月6日 The Lancet Oncology にオンライン掲載された。タイトルは「Immune checkpoint inhibitors in kidney transplant recipients: a multicentre, single-arm, phase 1 study(腎移植患者さんでの免疫チェックポイント阻害治療:単群1相試験)」だ。

最終的に、チェックポイント治療効果が確認されているガンを併発した腎移植患者さん(平均69歳)をリクルートし、現在使用中の免疫抑制剤を利用したまま、通常量の PD-1 抗体治療を行って、移植腎の状態と、ガンへの治療効果を見た治験になる。

まずガンに対する治療効果だが、免疫抑制剤をそのまま使用しているにもかかわらず、24%で完全寛解が認められ、29%で部分寛解が認められている。このグループの現在までの平均生存期間は28週で、一般のガン患者さんでのデータとほとんど遜色はない。

チェックポイント治療中に起こる自己免疫症状をステロイドなどの免疫抑制剤で治療することがあるので、免疫抑制剤が必ずしもチェックポイント治療の障害になるわけではないことはわかっているが、移植で利用される多剤併用の免疫抑制でも PD-1 抗体が使えることは重要な情報だ。また、免疫学的にも今後詳しい解析が必要な面白い課題だと思う。

次に、チェックポイント治療により移植臓器拒絶が誘発されるかだが、結局2例の患者さんでしか起こらなかったことには驚く。そのうち1例は、抗体を除去する目的の血漿交換により拒絶を抑えることが出来ている。

ただ、チェックポイント治療のガンに対する効果と、拒絶反応は全く無関係ではなく、拒絶が起こった2例は、ガンに対する治療効果が認められていたグループで有ることを考えると、免疫を非特異的に高めることの問題も示唆している。

結果は以上で、小さな不可能をそのままにせず、注意深くチャレンジしていく臨床研究の重要性を感じるとともに、医師達の努力に脱帽。ガンの治療に占める免疫治療の重要性を考えると、この研究をきっかけに、もっと大きな不可能にもチャレンジが進むと思う。不適合の MHC に対する反応と、ガン抗原+自己 MHC に対するT細胞のレパートリーは大きく異なる可能性があるので、今後はより特異性の高い免疫療法を目指せば、移植とガンの免疫治療は間違いなく両立できるはずだ。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月19日 抗腫瘍自然免疫と IL12 : 臨床研究と動物実験をうまく組みあわせる(7月13日号 Science Translational Medicine 掲載論文)

2022年7月19日
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今回ワクチンの作用や副反応について広く知られるようになり、一般の人にも免疫成立に必要なアジュバント効果やそれを支える自然免疫の重要性が広く知られるようになったのではと期待している。ガンに対する免疫反応成立も当然同じことで、腫瘍局所での自然免疫の重要性が認識されている。

中でも、マクロファージや樹状細胞から分泌され、T細胞をヘルパーなどへと誘導する IL-12 とT細胞から分泌されるインターフェロンγ 経路は、ガンの自然免疫システムとして重視されており、コレラのサイトカインをガン免疫に応用できないか模索が続いている。しかし、IL12 を全身に投与してしまうと、強い副作用が必死で、効果は証明されていても臨床利用が難しい。そこで、アデノウイルスベクターを用いたワクチンと同じような局所投与が試みられていた。

今日紹介するバーゼル大学からの論文は、アデノウイルスベクターを用いた IL12 局所投与の臨床試験患者の解析から生まれた課題を、マウス実験で調べ直すサイクルをうまく組みあわせた研究で、IL12 治療の鍵を握るのが NK細胞であることを示した面白い研究で、7月13日号の Science Translational Medicine に敬愛された。タイトルは「NK cells with tissue-resident traits shape response to immunotherapy by inducing adaptive antitumor immunity(組織滞在型 NK細胞が抗腫瘍免疫治療の反応性を決める)」だ。

この研究では、アデノウイルスベクターに組み込んだ IL12(Ad-IL12)治療を行ったメラノーマ患者さんで、高い反応を示した患者さんの腫瘍組織でNK細胞が CD8T細胞と同時に増殖をしていることに着目し、マウスの実験系で、Ad-IL12投与時の NK細胞の役割をまず調べ、Ad-IL12 の効果には NK細胞が必須で有ることを証明している。

さらに、血管からの免疫細胞の遊走を阻害するフィンゴリモドを用いた実験で、IL12 により刺激された NK細胞が分泌するサイトカインにより、血液が腫瘍組織に集まることが重要で、やはり患者さんの組織の解析から CCL5 が NK細胞が分泌するケモカインであること、さらに、動物実験系で NK細胞がなくても、Ad-CCL5 を局所投与することで、抗腫瘍活性を高められることを明らかにしている。

同時に、CCL5 を分泌するNK細胞の解析から、元々組織内に常在するタイプのNK細胞であること突き止めた。さらに、患者さんのガン組織をそのまま培養してそこに Ad-IL12 を加える実験から、組織に常在するタイプの NK細胞が CCL5分泌細胞であること、そしてこの IL12-CCL5セットが、PD-L1抗体によるチェックポイント治療の成否を決める鍵になることを動物実験で確かめている。

以上の結果は、

  1. 全身投与は難しい IL12 を Ad-IL12 の形でガン局所に投与することで、全身のガン免疫を誘導できること、
  2. ガン組織の NK細胞の重要性、
  3. NK細胞が少ない場合は、Ad-CCL5 を加えることの重要性、

など、いくつかの臨床介入手段を示唆している。チェックポイント治療を、ワクチンレベルの確実な治療へと高めるための重要な研究だと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月18日 脱水状態を感じる脳回路(7月13日 Nature オンライン掲載論文)

2022年7月18日
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以前、カロリーのない人工甘味料と、カロリーを持つショ糖の違いを感じて、最終的にショ糖を選ぶ脳回路が存在することを示した論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/18825)。このように、味や臭いだけではわからない栄養を直に感じるシステムは、野生動物がどの食物を選ぶのかにとって極めて重要なはずだ。

同じように、水はもっと重要かもしれない。液体だからいいというわけではない。高張液では脱水は改善されない。今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、血中の脱水状態をモニターして、どの液体を飲めばいいのか選ぶための脳回路を明らかにした研究で、7月13日 Nature にオンライン掲載された。

食物の摂取や水の摂取などの行動をドーパミン神経が支配していることは、一般の人にも広く知られている。この研究でも1日飲み水を与えなかったマウスに5分間自由に水を摂取させたときの、腹側被蓋野(VTA)ドーパミン神経(DA)の活動をまず調べている。これまで報告されているように、水を大喜びで飲んでいるときに興奮する DA の興奮が記録されるが、これ以外に水を飲んだ10分後ぐらいに興奮する DA を突き止め、これが水を腹で感じるときの脳回路ではと当たりをつけた。

このことは塩水を飲ますとわかる。喉が渇いて水にありついたという最初の興奮は塩水でも見られるが、10分後の興奮は見られない。また、飲むという行動をスキップして水を直接胃に入れたり、腹腔注射でも後の興奮は見られる。一方、高張液を注入した場合は、興奮が逆に抑制される。また、これまで栄養をとることで興奮する DA とは別の集団であることも確認している。以上のことから、摂食行動を支配する感覚は極めて複雑で、今回特定された DA は、喉の渇きではなく、血液の水バランスを感じる回路であると結論している。

DA はご褒美回路と言われたりするエフェクター回路で、行動を直接支配する。この興奮が、脳のどの領域で働いているのかを次に調べ、扁桃体基底核外側部(BLA)が、満足感を示す舌なめずりとともに興奮することを特定している。即ち、VTA-DA から BLA 回路を通じて、より身体な脱水感覚の正常化が満足感に変化している。

次に、VTA-DA 神経興奮に関わる上流の回路を検討する目的で、摂食行動に関わることが知られている視床下部外側部(LH)の GABA ニューロン(GA)との結合に着目して、水バランスの変化による興奮を調べると、水を注入後に LH-GA が興奮することを発見する。ただ、LH-GAの興奮を誘導する実際のセンサーについては、脱水により活性化される脳球下器官が関わっていることを確認しているが、完全には特定できていない。どのように水バランスという微妙な調節なので、複雑なセンサー群があるのかもしれない。

以上、SFO、LH-GA、VTA-DA、そして BLA と水バランスを満足に変換する回路を特定した後、この回路が本当にご褒美による行動変容につながるかを、異なる臭いを嗅がした後、胃に直接水と高張液を投与して、条件化する実験を行い、最終的にマウスが水が注入される方の臭いを選ぶことを確認している。

以上が結果で、喉の渇きを一瞬癒やすことで終わらず、しっかりその後で効果の評価をして、満足中枢反応をより安全なものへと変える複雑なメカニズムの一端がよく理解できた。最近確かに暑くなってきたことも一因とは思うが、熱中症が昔より多発しているような気もする。このような無意識の身体感覚を理解することで、新しい対処法が可能になればと考える。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月17日 百聞は一見にしかず:腸管上皮幹細胞の意外なダイナミズムを見る(7月13日 Nature オンライン掲載論文)

2022年7月17日
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腸管上皮は、クリプトと呼ばれる組織内構造から管腔に突き出した絨毛まで、一続きの幹細胞システムを形成しており、古くからアクティブな研究対象になっている。この領域の研究の質を一変させたのが Hans Cleavers らによる幹細胞マーカー Lgr5 の発見で、この遺伝子を基板に様々な遺伝子操作を加えることで、腸管幹細胞のダイナミックスとともに、発ガン過程も詳しく理解することが出来るようになった。また、ここから現在慶応大学の佐藤さんたちは、試験管内のオルガノイド培養を完成させた。

この成果を Cleavers らは一本のビデオにまとめよくミーティングで使っていた。今でもよく覚えているが、クリプトにある幹細胞が移動しながら Lgr5 を失って分化したり、クリプトでパネット細胞に分化したり、さらには上部に移動し始めた幹細胞がパネット細胞を超えて移動したりと、まさに見てきたようにモデルが作られていたが、実際には断片を組み合わせて考えられたものだ。

今日紹介するオランダ ガンセンターからの論文は、Cleavers の名前こそ載っていないものの、今やオランダの伝統となった Lgr5 細胞を中心にした幹細胞研究なのだが、Lgr5を標識する研究手法に生きたマウスの腸管のクリプト部位を直接顕微鏡で観察するという離れ業を組み合わせて、小腸と大腸での幹細胞ダイナミックスの違いを見事に示した研究で、7月13日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Retrograde movements determine effective stem cell numbers in the intestine(細胞の逆行が腸管幹細胞の有効数を決めている)」だ。

腸管の Lgr5 陽性細胞を、生後タモキシフェン注射で蛍光ラベルして生きたマウスでその細胞を追跡できるようにしたことがこの研究の全てだと思う。光を発する一つのクリプトを他のクリプトから区別して観察を続けることは決して簡単でないはずだ。ただ、それをやり遂げたとき、新しい発見があった。

まず、小腸と大腸のクリプトには、ほぼ同適度の数の Lgr5 陽性細胞が存在し、それぞれがオルガノイド形成能をほぼ同等に持っており、機能的にもほぼ同じと考えられるが、大腸と小腸では幹細胞の遺伝子発現は大きく異なっており、これは大腸ほど Lgr5 陽性細胞が中心から離れるほど、幹細胞性が失われること、逆に小腸ではクリプトのボーダーを超えなければ、Lgr5 細胞はほぼ同じ幹細胞性を持っていることに起因することを確認している。

次に、様々な場所の Lgr5 陽性細胞をラベル実験で、いくつぐらいの機能的幹細胞が1つのクリプトに維持できているかを調べると、小腸では大腸より多くの幹細胞が維持されていることを発見している。即ち、大腸では古典的な幹細胞システムの図に近く、中心から離れるに従ってすぐに幹細胞性を失うのだが、小腸では中心から離れても、また幹細胞として復活し、結果多くの幹細胞を維持している可能性が示唆された。

この精細な観察を説明できるよう、幹細胞モデルを形成すると、いったん中央から離れた幹細胞がもう一度中央へ戻るという、細胞の逆行現象がないと説明できないことが示唆された。そこで、今度は低い量のタモキシフェンで Lgr5 細胞が、ランダムに異なる蛍光マーカーを発現するように細工したマウスを用いて、細胞の逆行が観察できるか調べると、モデル通り小腸で10%近い細胞が、クリプトのボーダーまで来ても、また中心に戻る逆行が認められること、一方、大腸ではこの逆行が全く見られないことを発見した。

このボーダーからの逆行を誘導するシグナルを探し、最終的にボーダーにあるパネット細胞が発現する Wnt により細胞の遊走活性が上昇することが、逆行のシグナルで、パネット細胞が存在しない大腸では、当然この逆行が存在しないことになる。そして、傷害後の再生では、多くの幹細胞が維持できている方が、高い再生能力を示すことも示している。

以上が結果で、パネット細胞の Wnt により、一度クリプトから離れかけた幹細胞も、もう一度元に戻って他の幹細胞と場所争いをするという競争を維持することで、様々な状況に即応できる幹細胞システムが形成できるという面白いシナリオだ。著者らがいうように、この競争により常に幹細胞が置き換わることが、小腸にはガンがほとんど起こらない原因かもしれない。

骨髄細胞のクローン増殖が老化を促進していることがわかってきたが、幹細胞システム内で競争を維持する仕組みの重要性を実際に目で見えるようにしたという点でもこの研究は面白い。百聞は一見にしかず。

カテゴリ:論文ウォッチ

生命科学の目で読む哲学書 19回 ジョン・ロック:脳科学の始まりと言えるかもしれない

2022年7月16日
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17世紀を代表する大陸合理主義哲学を終え、今回から、ロック、バークリー、そしてヒュームと進んでいく。

ジョン・ロックは、医者で、植物収集でも有名な、即ち自然科学の素養のある英国の哲学者で、英国経験論の中では我が国でもよく知られているのではないだろうか。特に「生まれたとき私たちは白紙(タブララサ)で、経験と内省を通して観念が形成される」という言葉は広く知られている。とはいえ、デカルト、ライプニッツ、スピノザと見てきた大陸の哲学と比べると、本当はあまり読まれていない印象で、講義をしていてもロックについて話をしてきた学生さんにはまだ会ったことはない。一方、「人間は自然状態では理性に従って、決して争いを好まない」とする理想主義をもとに、ホッブスに対抗したロックの「統治論」は、現在もなお読まれ、また大学の講義でも必須項目として取り上げられているのではないだろうか。

例えば現在進行しているロシアによるウクライナ侵略を、「統治論」の中の「戦争の状態について」を頭に置きながら眺めてみると、ウクライナの抵抗とそれを軍事的に支援することの正当性をロックは支持しているように思う。

まず戦争状態を、「人間を奴隷化しようと企てる者」によって始められる「生命を奪おうという意図の宣言」であり、この結果「戦争状態」に入る、と定義する。

そして、「自然の状態において、その状態にある全ての者に帰属する自由を奪い去ろうとする者は、その自由がそれ以外のあらゆる者の基礎であるが故に、他の者も全て奪い去ろうともくろんでいると当然推測しなければならない」「生命というものはひとたび失われると取り返しのつかないものだから、私には自己防衛と戦争の権利、すなわち攻撃者を殺す自由が許される」、と侵略された側も戦争に入って相手を殺す権利が生じることを明確に述べる。

とは言え、「基本的な自然の法によって人間はできるだけ保全されるべきだから、・・・全ての人が保全され得ないときは、まず罪のないものの安全が優先されるべきである」と、一般市民の保全の重要性も加えている。

統治論にこれ以上深入りする気はないが、ホッブスの現実主義に対する、理性主義とも言える思想が、ロックの哲学の根底にある。私自身も親近感を持つ。このように現代に通じる思想にもかかわらず、彼の哲学を読もうとするとき、一つ大きな問題に突き当たる。先に引用した「統治論」と今回紹介する「人間知性論」を、私はこれまで中央公論社の「世界の名著:ロック、ヒューム」で読んではいたが、残念ながらこれらは抜粋で大幅に省略されている。今回読み直すに当たって「人間知性論」全巻を読もうと思い立ったが、イギリス経験論の要と言ってもいいロックの「人間知性論」全巻は新刊では手に入らないことがわかった。政治論については多くの著作が訳され読むことが出来るのと比べると、ロックの哲学の我が国での位置を反映している。

ただ、ものを探して手に入れるという点で、今は素晴らしい時代だ。これまで利用したことがなかったメルカリに、「人間知性論、岩波復刻版」が出品されていたおかげで、ほとんど無傷の全巻を手に入れることが出来た。そして、全巻を読んで、ロックの素晴らしさがわかるとともに、なぜロックの哲学は人気がないのかもわかった気がした。

図 ロックについては写真に示す本を読んだ。引用は全てこれらの本から。

最初からネガティブな評価をして、これからロックを読もうと考えている若者をめげさせては申し訳ないので、まず私の個人的評価を正直に述べよう。読んだあと確かに「これなら人気が出ないかな」という感想を持ったが、今回改めて読み直して、私は、「現代に通じる素晴らしい哲学で、私自身が持っている考えにも近いと感じた。大陸合理主義哲学を間違いなく発展させており、多くの若者に是非読んでほしい。特に脳科学を目指す研究者には、研究の課題が見つかるのではないかと勧めたい」になる。

なのに、どうして人気がなさそうだと感じたのか。人間知性論は膨大な著作なので、詳細の紹介は省かざるを得ない。そこで今回は、17世紀哲学を前進させたにもかかわらず、ロックの哲学が確かに人気が出ない原因を入り口にして、ロックが到達した「人間が理解する」時の原則について議論したいと考えている。

さて、我が国であまり人気が出ない問題の1は、日本固有の翻訳の問題だ。例えば「人間知性論」も古い翻訳では「人間悟性論」と、一般の人が理解しにくい言葉をわざわざ用いている様に思える(学問の囲い込みか?)。その最たるものが「悟性=understanding」で、調べてみると禅の言葉に由来するようだが、今の人たちには全く見知らぬ外国語の単語と同じだ。と言うより、なまじ漢字が使われているため、混乱の元になること間違いないと思う。

この本の英語版タイトルは「An essay concerning human understanding」だが、英語と対比すると人間知性論でもピンとこない。一方、英語の方は誰もが内容をイメージできると思う。すなわち、この本は私たち人間が世界を理解する能力について、徹底的に思いを巡らせた著作だ。「私たちの理解する能力とは何か?」についての本なら、自分自身の脳に興味ある若者なら読んでみようと思うはずだ。是非もっと魅力的な和訳版が出版されることを期待している。

そしての問題の2が、ロックが独断的主張を嫌うためか、時に議論が首尾一貫していないことを物足りなく感じる点だ。すなわちこうしなさいと言うHow To哲学ではないため、一貫した主張がないように感じられ、印象が弱いのではないかと思う。しかしそのおかげで、10000ページ近い本なのに、押しつけがましくなく、読後感は極めて爽やかだ。おそらく、独断的なはっきりした考えを哲学書に求める人は、がっかりするだけだろう。

実を言うと、最初ロックを「世界の名著」で読んだとき、この優柔不断さに、経験論哲学から唯物論への展開へ大きな期待を描いて読んだ私も裏切られた気がした。結果、今回まで再読することなしに放っていた。しかし、今回読み直して、この優柔不断さこそが、イギリス経験論のスタートを後押ししたのではないかと考えるようになった。

ロックの最も有名なテーゼは、この本の1巻、2巻の中心的議論、すなわち私たちの持つ観念は全て感覚を通した経験の積み重ねで生まれてきたもので、生まれついて持っている観念、生得観念はないというものだ。「人間知性論」第二巻「観念について」から一節を引用しよう(全ての引用は先に挙げた岩波書店「人間知性論」復刻版から)。

「そこで心は、言ってみれば文字を全く欠いた白紙で、観念は少しもないとと想定しよう。どのように心は観念を備えるようになるのか。人間の忙しく果てしない心想がほとんど限りなく心へ多様に描いてきた、あの膨大な蓄えを心はどこから得るのか。・・・・これに対して、私は一語で経験からと答える。この経験に私たちの一切の知識は根底をもち、この経験から一切の知識は究極的に由来する。・・・・私たちの観察こそ、私たちの知性へ思考の全材料を供給するものである。」

もちろんドグマを排し、考える自分の存在から始めよと主張したデカルトも、同じ考えからスタートしている。考える私から始めるということは、経験から始めることを意味する。しかし、ロックだけが経験論と呼べるのは、彼が先験的な概念を神や道徳に至るまで否定している点だ。一巻4章の「神の観念は生得ではない」のなかで、世界中の民族と話してみれば、神の概念を全く持たない人間や、無神論を唱える人たちに会えると述べて、私たちの心の中にキリスト教を受け入れる心が生まれてついて植え付けられていることはない、と、明確に述べている。

そして「人が違えば神の観念も様々」という章では、

「一神だけを承認するユダヤ教徒、キリスト教徒、マホメット教徒の間にあってさえ、正しい教説はそれほど行き渡っておらず、人々に神なるものの同じで真の観念を持たせてはいなかったのである。私たちの間でさえ、探求してみればどれほど多くの人が天に座す人間の姿で神なるものを心に描き、その他数多くの不合理で適当な想念を持つとわかるだろうか」

とまで述べて、「神の観念すら人それぞれ」と、まさに彼が観察を通して感じていることを率直に述べている。

もちろんデカルトの時代でも、世界中に様々な宗教が存在し、キリスト教の神の概念が生得的に私たちに刻まれている訳ではないことも理解されていたのではないかと思う。しかし、17世紀を代表するデカルトですら、「神の観念は人それぞれ」などとここまで踏み込んだ議論を展開できなかったのは、決してキリスト教に遠慮してだけのことではなかった。すなわち、自分のもつ観念と自己の精神を考えるとき、自己精神を観念から切り離して絶対性を付与したいという欲求に負けていたのではないかと思う。

そう考えると、自己の全てが経験を通して形成されてきたと言い放ったロックの哲学は、人間は特別で生得的に刻み込まれた観念が存在するとする考えが当たり前の、17世紀以前の哲学には青天の霹靂だった。さらに、神も含めて自己の観念を経験の蓄積でしかないと言い放ったロックの思想が新しいのは、「自己が、それまでの経験と、それを保持する脳と身体である」ことを明示している点だ。これにより観念についての学が、経験する私の脳の問題に転換する道がついに開かれた。

実際彼は、2巻1章で、

「魂が思考し、人間はこれを知覚しない、そう想定することはすでに述べたとおり、一人の人間のうちに二人の人物を作ることである」

また2巻23章では、

「誰しも自分の魂がそのいる場所で思考し、意志し、自分の身体に作用できるが、100マイル隔たったある身体に作用できず、あるいは100マイル隔たったある身体に作用できないことを自分自身に見いだす」

「死ねば霊魂が身体から出て行くとか、身体を去るとか考えて、しかも魂が運動の観念を持たないことは私には不可能のように思える」

と明確に二元論を否定し、身体と自己の観念が一体化していることをはっきり述べている。

このように、ロックは身体に結合された脳の中に発生する観念=自己であるとして、まさに近代脳科学の先駆けとも言えるのだ。ロック以前の哲学に述べられている哲学にも、脳科学のヒントとなる点は数多くあると感じてきた。しかし、著作を読んで、脳科学が始まったという感触を持てるのは、ロックが初めてになる。一種の唯脳的思想の始まりだ。

ロックを褒めすぎで、どこが期待を裏切ったのかと問われそうだ。しかし、この本を読み進むと、確かに一貫性のなさをしばしば感じる。例えばここまで貫徹した経験主義を述べているロックは、一方で彼自身がキリスト教徒であることを隠さない。例えば4巻10章「神なるものの存在の私たちの真知について」では、私たちの脳と身体は神により与えられたものであり、神を感覚、知覚、理知を通して神を知ることが出来ると述べている。我々の脳に生得概念はないと言い切り、個人の神に対する概念も人それぞれだとまで言っているロックのこの言葉を聞くと「え!」と驚いてしまうのだ。

ロックは言う。

「どのようにして絶対確実な神についての知をえられようかを明示するために、私の考えでは、私たちは自分自身より、つまり、私たちが自分自身の存在について持つ、あの疑いない真知より、先に行く必要はないのである」

このセンテンスは二つの意味を持つように感じる。まず私の身体と脳がここに存在していることが、神が存在する証拠だという意味。これを読むと、デカルトが自分の存在から神を演繹したのと同じ論理ではないかと、がっかりしてしまう。実際、ロックの経験論も口だけかと思って、学生時代、裏切られた気がした。しかしもう一つの意味を考えることが重要だ。即ち、私には先得的観念は存在しないという原則があるので、神も経験を通して形成される私たちの理性から生まれたものだということが同時に示唆されている点だ。ここに17世紀の合理哲学と大きな差がある。

いずれにせよ、今回全巻を読み通して、ロックの特徴をつかんでくると、この本の中にしばしば見られる矛盾する記述も、気にならなくなってくる。要するに、論理的一貫性を大事にするあまり、わからないことまで独断的に主張することをロックは拒否しているだけで、「今は説明できないが、自分の思考は神の存在を示しているので、キリスト教を信じている」と率直に述べているように思える。そしてさらに、他人にこの思想を絶対的真実として押しつける気はないと語っている。彼は清教徒であったと言うが、

「私たちの理知は次の絶対確実で明白な心理すなわちある永遠の、もっとも力能あり、最も知るものがいるという絶対で明白な心理の知識へ私たちを導く。誰かある人がこのものを神と呼びたがるかどうかは問題でない。そうしたものがいるというそのことは明白だ」

と述べており、決して原理主義的キリスト教徒ではなかったことがわかる。要するにロックは「今自分が生きていること自体人知を超えており、これを探求することが難しいため、私の理性はこれが神の業だと示している」と言っている様に思える。大事なことは、彼の理知が指し示す神を他の人に押しつけることは狂信であり理知に反すると拒否している点だ。

「ある人々では同じ権威をもち、信仰にせよ理知にせよ、そのどちらとも同じように自信を持って頼られる。私の意味するのは狂信である。狂信は理知を脇へ置いて、理知なしに啓示を立てようとした。しかしそうすることで、実際は、理知も信仰も捨て去って、それらの代わりに、人間自身の頭脳の根拠のない空想を代用し、この空想を説と行為の双方の根拠とするのである」(4巻4章)

検証出来ない独断や憶測を自信を持って強要するのは狂信であり、頭脳を拒否した空想だと述べている。

私自身、キリスト教の家庭に育ち、洗礼も受けているため、キリスト教徒の友人は多いが、少なくとも私の友人から狂信的にキリスト教を強いられたことは一回もない。すなわち皆狂信的ではないクリスチャンだ。その意味で、ロックを読んでいると、キリスト教の友人と哲学の話をしているような気になる。重要なのは、神は信じるのではなく、理知的に理解するものだと彼が考えていた点で、デカルトと同じだ。

ただ、ロックはさらに先に進んでいる。デカルトが「わからないこと=神の領域」と棚上げした問題を、神が介入する領域を拒否してーすなわちわからないことを神の領域に棚上げしないでーただ「明確にわかることと、現在ではわからないこと」の二元論へと転換させた。

「精神の実態は私たちに知られず、物体の実態も等しく私たちに知られない」

「非物質的精神のこうした思念は、容易に解明されない難点をおそらくうちに含もうが、それだからと言ってそうした精神の存在を否定して疑ったりする理由のないことは、物体の思念が、私たちの説明もしくは理解することの甚だむずかしい、おそらく不可能ないろんな難点を背負っているからと言って、物体の存在を否定したり疑ったりする理由の同じである。」

これらの引用からわかるように、

  1. 我々には、確実に感覚を通して知りうることと、まだ確実な理解をえられないことが全ての分野に存在する。
  2. わからないことは決して精神の領域だけではない。物質の世界だってわからないことは無限に存在する。
  3. 精神の世界とはいえ、決してこれを永遠にわからない神の領域にすることは間違っている。即ち、物質の世界のわからないことも、精神の世界のわからないことも質的に変わりはない。
  4. 説明できなくとも、自分の感覚を通して脳に入ってくるものは、自分も含めて実在している。

と、結局は人間の understanding の問題だと明確に述べている。哲学が好き嫌いを別にして、これを読んでいるほとんどの人はこの考えに何ら問題を感じないはずだ。その意味で、ロックは17世紀の哲学をさらに近代化したと言える。

だからこそ、4巻3章の「人間の真知の範囲について」で、人間の理解はどこまで進むのかという問題を議論し、なんと「道徳は論証できる」という項までもうけて、まだ複雑すぎる様々な観念を誰もが納得出来る形で整理することが出来れば、数学と同じように道徳も論証できるとまで言っている。当時は間違いなくセンセーショナルな言明だったはずだ。

「知性を持つ理知的な所有者としての私たち自身の観念とは私たちのうちで明晰なものだから、もし適正に考察し追求すれば、道徳を論証できる学間におけるような、私たちの義務、行動の規則の根底を供与しただろうと、私は思う。論証できる道徳では、私は疑わないが、数学の帰結と同じように抗弁できない必然的帰結によって自明な命題から正不正の尺度が、誰にとっても・・・・誰にとっても・・・公平無私と注意を持って道徳に専心しようとする誰にとっても使用されることが出来ただろう。数と延長の様相だけでなく、道徳のような他の様相の関係も絶対確実に知覚されることが出来よう。」

私もいつの日か道徳を科学のように理解できるのではと思っているが、同じことを18世紀にロックは確信していたと思うと興奮する。とはいえ、なぜ彼がここまで言えるのかという点についての根拠は薄弱だ。まさにこの点が、ロックを読んでいるときのイライラ感の原因だろう。ただ、根拠はなくても、数学と同じように道徳は理解できるかもしれないと考えたことは、当時の思想背景を考えると先進的だ。この革新的言明は、デカルトと異なり、わからないことも自分の世界の問題として捉え、いつかわかるかもしれないと考えることが出来たことに起因している。すなわち、全ては所詮 Understanding のレベルの問題であると言い放っているのだ。

私が理解するロック=人間知性論のメッセージと問題点は以上だ。人間知性論は膨大な著作なので、個々の内容を解説することははじめから諦めている。ただ本の構成を知ってもらう意味で、英語版の目次を上に掲載した。一つ一つの目次を読んでもらうと、ロックがまず経験論の原則を述べた後、その原則に基づいてあらゆる課題を考えていたことがわかる。

面白い例は3巻で、言葉と私たちの理解について議論しており、言葉とは「内的想念を記号として使用できる」人間特有の能力であると、極めて現代的・脳科学的な理解を示している。私なりに説明し直すと、たとえば「机」という言葉で共有されている「机という実体の持つ本質(形相)」は、それまでの哲学では、私たちの認識とは独立した本質として考えられてきたが、実際は想念が記号化された言葉として使われているうちに、言葉に本質が備わっているように思えるようになっただけだと言い放っている。さらにいえば、我々一人一人が個別に経験する様々な実体の想念を、言葉に転換して使っているうちに、多くの人が認める普遍的な観念へと形成させることが出来ると言って、実体の本質とか形相が私たちの観念とは別に存在すると考えてきた従来の形而上学や、スコラ哲学を否定している。当然この考えを延長すると、神の観念も私たちの想念が表現されたものが、多くの人に共有される普遍性を獲得したものであるということになり、「神という絶対性」の否定につながっていくのだが、残念ながらロックはそこまでは議論を進めていない。

そして最後の4巻では、いかにして正しい理解を得ることが出来るのか、前回議論したドクサとエピステーメーの問題へと議論が進む。ただ、この巻に来ると最初に述べたロックの首尾一貫性のなさが気になる。すなわち、何が正しい理解か、何が真知かを、個人の経験から判断できるのかという、経験論の最大の問題が現れてくる。すなわち、我々が経験し、その想念を言葉として共有している実体が、他人にとっても実在なのか証明できないことだ。すなわち、世界が全て感覚を通して私たちの脳の中に形成される観念であるとすると、私の観念と、あなたの観念が同じと思えても、それを証明するすべがないことだ。さらにいえば、実在の世界などなく、私の頭の中のバーチャルリアリティーだけがあるのかもしれない。

結局この問題は、ロック以前も以後も、前回述べたガリレオが示した科学的方法以外に、解決する道は示せないと私は思っている。すなわち、それぞれが同じ世界を見ていると仮定して、それを数理、測定、実験などを繰り返して確認していく方法だ。

17世紀の哲学が、ガリレオの示した新しい真知のあり方に驚愕して始まったとすると、ロックもガリレオについて知らないはずはないし、英国でのニュートンの影響力も大きかったはずだ。実際、4巻の3章では、

「二つの三角形の等しさでの一致、あるいは不一致は、両者を直接に比較しては決して知覚できない。形の違いが2つの三角形の部分を直接正確に当てることを出来なくする。それ故、両者の部分を測定するようなある介在する量を必要とする。これが論証すなわち理知的真知である」

「もし出来たら経験をさらに進歩させること、これは願望されることだったのである。私たちはニュートンのようなある人々の惜しみない骨折りがこの経験というやり方で自然の真知の蓄積にもたらしてきた利点を見いだしている。」

などと述べて、科学的アプローチに対する評価を述べている。しかし、残念ながら科学的手法を、経験論哲学に欠けている「万人に共通な世界」の形成へと積極的に取り込むことはなく、結果、公理や法則と、神と道徳が同じレベルで議論されても、そのための方法論は示されないで終わっている。ここに、ロックを最大限に褒めつつも、最後に物足りないと感じる原因があるように思う。

以上、人間知性論の全容については伝え切れていないと思うが、ロックの思想のエッセンスは伝えられたのではないだろうか。読むのは大変だと思うが、高次の認知科学を研究したいと考えている若者なら読んでみる価値は絶対ある。この本には、私たちの理解とは何かについて、一人の人間の頭で考えられる様々な課題が示され、それについての彼の考えが述べられている。例えば、言語、道徳、宗教のような人間独特の脳機能にチャレンジしたいと思う若者だけでなく、意識、認識、感情、記憶といった脳科学の根幹に関わろうと考えている人たちも、「単純概念とは何か」「快楽や苦悩とは何か」と言った脳科学の課題が提示され、脳科学など全く知らない人間の思考の過程が残されているこの本は絶対参考になるはずだ。このように徹底した経験論は、そのまま科学へと直結しているのだ。

ただ科学という解決策を別にすると、経験論の根本問題、即ち「共通の世界は実在するか」という問題は残る。これを哲学から考えるとどうなるのか、次回はバークリーを取り上げる。

7月16日 Y 染色体欠損血液が増えると寿命が短くなる理由(7月15日号 Science 掲載論文)

2022年7月16日
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2014年5月、老化に伴ってY染色体が欠損(mLOY)した血液の割合が増加し、この増加率に反比例して寿命が短くなることを示すスウェーデン・ウプサラ大学からの論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/1506)。 男性にとっては恐ろしい話なのだが、その後喫煙によりmLOY 確率が高まること、心血管障害、ガン、アルツハイマー病の発症率も、mLOY の頻度に比例することなどが報告されている。

今日紹介するバージニア大学からの論文は、mLOY のマウスモデルを作成し、これまで報告されてきたmLOYの臨床例を説明しようとした面白い研究で、7月15日号 Science に掲載されている。タイトルは「Hematopoietic loss of Y chromosome leads to cardiac fibrosis and heart failure mortality(造血細胞のY染色体欠損は心臓の線維化と心不全死を誘導する)」だ。

この研究の目的は、mLOY による死亡率の上昇をモデルマウスで明らかにすることで、そのために Y染色体中心体に存在する繰り返し配列を CRISPR/Cas9 で切断することで、Y染色体全体が欠損した血液幹細胞を作ることに成功している。

こうして作成したmLOY血液幹細胞を放射線照射マウスに注射し、老化するのを待って研究に使うという長丁場の実験だ。ただ、その前にUKバイオバンクのデータを用いて、mLOYと特に心血管系の疾患との相関を調べ、mLOY の増加に応じて心血管系の疾患が増えること、なかでも高血圧性心疾患、心不全、うっ血性心不全、動脈瘤などが mLOY と相関することを確認している。

さて、9割以上の血液が mLOY を持つマウスでは、期待通り老化が促進し、心臓だけでなく、肺や腎臓の線維化が進むことを示し、老化や線維化の原因が、移植した血液の問題であることを確認している。

さらに、大動脈を狭窄させて心臓負荷をかけると、mLOY を持つ血液を移植されたマウスでは、心不全の程度が高まり、組織学的には線維芽細胞の数が特に上昇していることを確認する。

次に single cell RNA sequencing を行い、mLOYに起因する異常の細胞レベル、分子レベルのメカニズム解析を行い、細胞では骨髄で作られ循環しているマクロファージが、心臓に生まれたときから存在しているマクロファージを置き換える能力が mLOY血液では高まっていること、そして一般的な炎症に関わる IL1β ではなく、このマクロファージが分泌する TGFβ により線維化が誘導されることが、血液のmLOY に起因する心臓線維化及び心不全の原因であることを突き止めている。

最後に、循環から心臓組織へのマクロファージの浸潤や、TGFβ の作用を抗体を用いてブロックすることで、血液 mLOY に起因する病理を抑えることが出来ることを示している。

これまで、mLOY は一種のロシアンルーレットみたいなものとして諦めていたが、この論文を読んでまだまだ対応のしようがある状態であることがわかった。また、マウスモデルの研究から、mLOY が起こっても、血液自体の増殖には影響がないことから、今問題になる血液幹細胞のクローン増殖とも異なることもよく理解できた。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月15日 定期検診で膵臓ガンを早期発見できるか(6月15日 Journal of Clinical Oncology オンライン掲載論文)

2022年7月15日
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2015年4月、「膵臓ガンの早期診断は可能か」と題して、スウェーデン・カロリンスカ大学で行われた、遺伝的ハイリスクグループについて定期検診による膵臓ガン発見スクリーニングの試みを紹介した(https://aasj.jp/news/watch/3240)。ただこの時は、対象人数が少ないことなどから、確かにステージⅠのガンを発見できるようだが、今後の大規模調査が必要だと結論しておいた。

同じような試みは各国で行われているようで、今日紹介するジョンズホプキンス大学を中心とした多施設共同研究の論文は、やはり遺伝的ハイリスクグループでも、1年に1回の検診で進行前の膵臓ガンを見つけられることを明らかにした研究で、6月15日 Journal of Clinical Oncology にオンライン掲載された。タイトルは「The Multicenter Cancer of Pancreas Screening Study: Impact on Stage and Survival(膵臓ガン早期発見のための多施設研究;定期検診のステージと生存に対するインパクト)」だ。

このグループは早期診断のための臨床治験を大規模に行っており、この論文では、まず、その中のCAPS5と名付けられた2014年から2021年まで追跡しているコホートについての中間報告になっている。

早期診断のための検査は、内視鏡による超音波検査か、MRCPと呼ばれる MRI を用いて胆管膵管を調べる方法が用いられ、他の検査は診断基準から外されている。

対象は、BRCA1 など何らかの膵臓ガンリスク遺伝子が有る、近親者に膵臓ガンがいる、そして既に他のガンにかかった、などの条件を満たす人たちを1年に1回検査し、膵臓ガンを発症した人をフォローアップしている。

ハイリスクでも、ガンの発見率は1年で160人に1人ぐらいなので、驚くほど高いというわけではない。この研究で最も重要な点は、定期検診により発見された9人の膵臓ガン患者さんのうち、7人がステージⅠで、さらにもう一人はステージ IIA で、手術が行われた点だ。一方、一人はステージⅢで発見されているので、1年(実際には6−14ヶ月の間隔)では、完全というわけではない。

膵臓ガン発見後、現在までの時間経過はそれぞれ違うので、この結果だけからは正確な統計はとれないが、推計学的計算を行っているが、生存期間は3.84年と、平均の1.5年を大きく上回っている。いずれにせよ、印象としてはかなり良い。

このような検査で問題になるのは、過剰診断だ。この方法で膵管の嚢胞が発見されると、やはり念のためと手術が勧められる。このコホートでは、8例が嚢胞と診断され、そのうち3例だけで前がん状態が発見されている。この3例は全員生存しており、経過観察中だ。

これに加えて、これまでの CAPS1-CAPS4 も合わせた結果も示されている。対象は同じで遺伝子診断を含むハイリスクグループで、結果は驚くべきものだ。一般に膵臓ガンの診断時、85%がステージⅣで、生存期間が平均1.5年だが、定期検診で見つかった膵臓ガンの57%がステージⅠで、平均生存期間は9.8年で、素晴らしい結果だ。一方手術して悪性所見がなかったケースは13例あるが、基本的に全員生存している。

以上が結果で、内視鏡超音波かMRCPによる検査は、間違いなく膵臓ガンの早期発見を保証することが示されており、少なくとも遺伝リスクのある人は、考えて損はないように思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月14日 リンパ球が組織再生を助けるメカニズム(7月8日号 Science 掲載論文)

2022年7月14日
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組織再生をリンパ球が助ける可能性はこれまでも指摘されてきた。かなり古くは、γδ細胞が欠損すると、腸の絨毛の長さが短くなることが報告されていたし、今では腸管や皮膚の修復に機能しているということは、広く認められている。

今日紹介するニューヨーク大学からの論文は、皮膚の損傷修復時の γδT細胞が分泌する IL-17 が、皮膚上皮の低酸素応答システムの発現を維持することに働いているという重要な発見で、7月8日号 Science に掲載された。タイトルは「Interleukin-17 governs hypoxic adaptation of injured epithelium(インターロイキン17が傷害された上皮の低酸素適応を調節する)」だ。

まず損傷治癒の初期過程で傷口に浸潤するT細胞を調べ、傷口には様々なT細胞が浸潤していることを確認した上で、中でも IL-17 産生細胞の発生に必須の RORγ遺伝子を発現した γδT細胞が急速に上昇することを発見する。

そこで RORγ遺伝子を蛍光マーカーで置き換えたマウスを用いて修復過程を調べると、治りが50%遅くなること、すなわち修復に RORγ陽性細胞が必須であることを明らかにする。

これがわかると、後は順々にその機能を追求していけば良い。RORγが調節する IL-17 が修復促進に関わることを、ノックアウトマウスで確認した後、上皮細胞での IL-17シグナル伝達経路を追跡している。

まず、上皮の修復に必須の低酸素応答システムHIF1の発現維持に、IL17が必須であることを明らかにしている。すなわち、急性の低酸素で HIF1 は誘導されるが、それが長期間維持されるためには IL-17 が必須で、これが修復に際しての RORγ陽性γδT細胞の主要な役割になる。

そして、主に阻害剤を用いたシグナル研究で、IL-17が ERK 及び AKT のリン酸化を介して mTOR を活性化するという、まさに代謝の核となるシグナル経路を介して HIF1 の転写及び翻訳を維持し続けていることを明らかにしている。

詳しいことはほとんど省略したが、この結果は重要で、大きな皮膚損傷での修復を、IL-17が促進できることを意味している。このサイトカイン自体は炎症誘導など様々な問題を引き起こす可能性はあるが、培養に使うことも含めて、様々な可能性が生まれたと思う。

また、これまで HIF1 が誘導されると、低酸素による反応として片付けていた過程も、総合的に見ることの重要性を示している。特に低酸素環境に対する、急性の反応と、慢性の反応は区別してかかることの重要性もよくわかった。

IL17 というと悪いイメージしかないが、新たな組織形成は全て炎症を元にプランされていると思うと、納得する。

カテゴリ:論文ウォッチ
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