2022年3月17日
エーザイがAducamabの販売主体を降りたと言う話がメディアで報じられているが、Aducamabに続けるのではと期待して臨床試験に入った他のアミロイドβ(Aβ)に対する薬剤の今後の去就が、Aβがアルツハイマー病(AD)の治療標的として残るかどうかを決めるだろう。
そんなとき、Aβの思いもかけない機能を示す大阪市立大学からの論文が3月15日米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Peripheral Aβ acts as a negative modulator of insulin secretion(末梢のAβはインシュリン分泌の抑制因子として働く)」だ。
これまで何度もAβについての論文を紹介してきたが、この分子が脳以外の組織で機能していることについては、恥ずかしながら全く予想もしていなかった。しかし、大阪市大の冨山さんたちのグループは、以前からブドウ糖負荷をかけると血中のAβが上昇することを観察しており、この研究でインシュリンによる糖代謝と末梢のAβとの関係を追求している。
詳細を省いて最初の結論を述べると、Aβの動きは血中グルコースや、インシュリンと連動しているが、生体内での様々な条件での検討、試験管内のインシュリン分泌細胞を用いる実験から、
1)Aβ分子は、インシュリンでつながる、膵臓β細胞、脂肪細胞、筋肉細胞、そして肝臓で合成され、貯蔵されている。
2)膵臓β細胞では、Aβはインシュリンと同じように、血中グルコースに反応してインシュリンと同じように分泌される。
3)脂肪組織、筋肉、肝臓ではインシュリンに反応してAβが分泌される。
4)Aβは膵臓β細胞に直接働いて、インシュリン分泌を抑える。
を明らかにしている。
要するに、まさにインシュリンによる糖代謝ループに、Aβの貯蔵、分泌システムが組み込まれていて、インシュリンの分泌を抑える役割があることを示唆している。
これは糖代謝異常という点から見ると、Aβが組み込まれてしまうことで、せっかくのインシュリン作用を打ち消すことになるので、合目的性がないようにも思うが、過食と関係のない状況では、ひょっとしたら血中グルコースを維持して、脳にリクルートする機構とすら考えられる(勝手な推察です)。
一方、Aβが最初のトリガーになるADから見れば、脳からのAβは糖代謝を狂わせ、脳を高いインシュリンレベルに晒すことで神経細胞代謝異常を促進する可能性があるし、末梢のAβが脳での蓄積に何らかの役割を果たして、ADを悪化させることも考えられる。
いずれにせよ、人間でも同じことが確認できれば面白い。一番重要なことは、Aβのインシュリン分泌抑制機構、及び抹消でのAβ分泌機構の解明だろう。これが明らかになると、Aβに対する介入の影響も、末梢Aβへの影響を考えながら解釈出来るようになり、新たな光が当たるかもしれない。
2022年3月16日
「百聞は一見にしかず」で、構造についての論文を言葉で紹介するのは簡単でない。しかし、論文に目を通していると、様々なハード技術のみならず、ソフト技術が進歩して、形態学が大きく変化していることを実感する。分子構造解析ではクライオ電顕がその典型だが、組織学でも、目で見るより先にコンピュータに描かせてみて、それを眺めることで、これまで見えていなかったものに気づけるようになっている。特に、電子顕微鏡像を再構成して立体化する技術の進歩は目を見張る。哲学的には、新しい客観性の概念が生まれたとすら思う。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、新しい技術を用いて構造を見直すことの重要性を示した素晴らしい研究で、考えるところが多かった。タイトルは「Regulation of liver subcellular architecture controls metabolic homeostasis(肝臓の細胞内構造が代謝のホメオスターシスを調節している)」で、3月9日Natureにオンライン掲載された。
この研究は従来半導体の解析に使われてきたfocused ion beam走査電子顕微鏡が持つ3次元画像解析技術を利用して、細胞内で複雑なネットワーク構造を作る小胞体に焦点を当て、肝臓細胞を観察するところから始めている。
この方法により、肝細胞内の小胞体は核の周りのシート上にきれいに並んだ小胞体と、細胞質内にありの巣のように拡がるチューブ状小胞体のネットワークに分けられることがわかる。
勿論、このような構造はとっくの昔に明らかになっており、教科書でも図が描かれているが、立体的に再構成された像を見ると新たな感動がある。そして、もっと驚くのは、この方法で遺伝的肥満マウス(ob/obマウス)脂肪肝の肝臓を見ると、シート型部分の小胞体構造が大きく減少し、シート自体も蛇行してしまうことがはっきりとわかる。これまで、細胞内の脂肪滴に目を奪われて見えなかったものがはっきりと見えてくる。
ここまでの結果を表現すると、「脂肪肝になると小胞体はシート状でリボゾームが結合している構造が減少し、チューブ型のネットワークが増える」になる。どうしても肝臓代謝の変化は、もっと別のところにあると思ってしまうので、構造はその結果を表すだけだと思ってしまう。
この研究の面白いのは、この地点からさらに進んで、小胞体構造を変化させることで遺伝的肥満マウスの代謝が改善することを示した点だ。まず、小胞体構造変化に伴って、小胞体と細胞骨格の結合を調節して構造を決めるClimp-63が、肥満マウス肝細胞の小胞体から失われていることを確認した後、今度はClimp-63遺伝子をアデノウイルスベクターで肝細胞に導入、逆に脂質代謝が変化しないか確かめている。
結果は驚くべきもので、肥満マウスの小胞体構造が、Climp-63導入で大幅に改善するだけでなく、脂肪合成に関わる小胞体状の酵素が低下し、脂肪合成が低下するのと並行して、おそらくミトコンドリアの代謝も改善し、脂肪が燃える。
さらに、これらの変化の結果と思うが、インシュリン感受性まで高まり、肝臓でのグルコース産生が低下する。
以上が結果で、ob/obマウス以外でも同じかなど、知りたい点は多くあるが、それでもClimp-6を過剰発現させるだけで、小胞体が正常化し、代謝も改善するとなると、全く新しい治療法が開発される可能性が生まれたと期待する。
結局構造が原因か結果かと考えるのではなく、一つの遺伝子変化を、構造変化で対応できるだけの能力を私たちの細胞が持っていると考えるのが正しいのだろう。
2022年3月15日
免疫抑制に関わるT細胞というと、坂口さんの発見したCD4Treg細胞を思い浮かべるが、もう一本の柱としてCD8陽性細胞が2018年ぐらいからマウスで指摘されていたようだ。さらに遡れば、TakMakらのグループがCD8T細胞をノックアウトで除去すると、自己免疫性脳炎の炎症が抑えられることを発見したことにルーツがあるようだが、残念ながら全くフォローしていなかった。
しかし、今日紹介するスタンフォード大学、M.Davis研究室からの論文を読んで、彼が調節性CD8T細胞のことをかなり理解できた。タイトルは「KIR+ CD8 + T cells suppress pathogenic T cells and are active in autoimmune diseases and COVID-19(KIR+CD8+T細胞は、自己免疫病やCovid-19で異常なT細胞を抑制する)」だ。
M.DavisもTak MakもともにT細胞受容体を世界最初にクローニングした2人だが、両方がこのT細胞に関わっていたことを知ると因縁を感じる。
このグループは、マウスを用いて抑制性CD8T細胞について研究しており、実験的自己免疫脳炎で上昇することを突き止めていた。そこで、人間の自己免疫病でも上昇する、抑制性と思われるCD8T細胞の存在を探索し、クラスIMHCに結合し、NK細胞で発現が見られるKIR分子を発現するCD8T細胞が様々な自己免疫疾患で上昇することを発見する。
次に、KIR陽性CD8T細胞が自己免疫性のCD4T細胞を抑制できるか、グルテンを抗原にしたアレルギー反応で調べ、KIR陽性CD8T細胞が抗原に反応しているCD4T細胞を特異的に殺して、免疫反応を抑制することを示した。すなわち、KIR陽性CD8T細胞は、抗原に異常反応しているCD4T細胞を見つけて殺してしまうことで、免疫がオーバーシュートしないように調節していることがわかった。
その上で、この細胞の遺伝子発現や、single cell RNAseqを行い、KIR陽性CD8T細胞が、自己反応性CD4T細胞に特異的に現れる自己ペプチドがクラス I 抗原と結合した複合体を認識し、その細胞を殺すことで、逆説的だが、自己免疫反応を抑える役割を持つ自己反応性キラー細胞で有ることを示している。
まさに、自己免疫に対して自己免疫で制すると言った話だが、しかし活性化されていないCD4T細胞には全く反応しないので、今後、どの自己ペプチドが標的になるのかは面白いテーマになると思う。
あとはこの細胞の重要性を示すために、2つの実験を行っている。
一つは、covid-19患者さんの末梢血を調べ、KIR陽性CD8T細胞が、特に自己免疫反応を示す血管炎を併発した患者さんで高いこと、また肺胞の洗浄液内にも存在し、肺胞の間質炎を抑えるために働いていることを示している。
このように、ウイルス疾患でも上昇が見られることから、おそらくウイルス感染から自己免疫病へと転換していく過程で、KIR陽性CD8T細胞は重要な機能があると着想し、マウスを用いて抑制性CD8T細胞を除去する実験を行っている。このマウスに、サイトメガロウイルスやインフルエンザウイルスを感染させると、ウイルスの除去自体は正常マウスと遜色なく起こるにもかかわらず、ウイルスによる炎症の程度は遙かに強いことを明らかにしている。
すなわち、ウイルス感染で起こる炎症が強すぎないよう抑制するのがまさにKIR陽性CD8T細胞で有ることを示している。
最終的に、どのペプチドに反応するのかがわかったところで、このストーリーが完成すると思うが、完成後はKIR陽性CD8T細胞を誘導するための特異的ワクチンが開発され、ウイルス感染の重症化を防ぐことが可能になると期待できる。ウイルス感染を防ぐワクチンと重症化を防ぐワクチンが将来のワクチンセットになると素晴らしい。
2022年3月14日
TCAサイクルはあらゆる生物で、エネルギー代謝と物質代謝のハブになっていることは高校で習う。しかし、それぞれの生物を調べていくと、このハブは極めて融通無碍にできていて、この可塑性が様々な環境下での細胞の生存を保証していることがわかる。
今日紹介する米国、NYのSloan Ketteringガン研究所からの論文は、このTCAサイクルは必ずしもミトコンドリア内に限定されるのではなく、細胞質も巻き込んだ非標準的TCAサイクルが存在し、幹細胞の状態に応じてスイッチしていることを示した研究で3月9日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「A non-canonical tricarboxylic acid cycle underlies cellular identity(非標準的TCAサイクルが細胞の特性を決める)」だ。
この研究ではCRISPRを用いたノックアウトスクリーニングで、細胞の基本機能を網羅的に調べるDepMapプロジェクトのデータを検討する中で、クエン酸がまたマレイン酸を経てクエン酸に戻るTCAサイクルを、一般的に認められているミトコンドリア内での、クエン酸ーαケトグルタル酸ーコハク酸ーフマル酸ーマレイン酸ーオキザロ酢酸ークエン酸に戻る回路と、クエン酸が一度細胞質に出て、オキザロ酢酸ーマレイン酸と進み、またミトコンドリア内に入った後、オキザロ酢酸ークエン酸と回路を完成させる非標準的回路が存在し、それぞれの細胞が様々な程度に両方の回路を利用していることを発見する。
それぞれの回路は、基本的に標準的回路で利用されるピルビン酸の量で決定されること、そしてこの回路を、鍵となる酵素アコニターゼ(ACO)および、ATPクエン酸シンターゼ(ACL)の阻害剤で調節できることを示している。
こうして、それぞれの回路を定義し、調節できるようにした上で、それぞれがどのように使われているのかを、様々な細胞で検討しているが、ES細胞分化についてのみ紹介する。
まず血清とLIFで維持しているES細胞について調べ、標準的なTCAサイクルとともに、非標準的なTCAサイクルが同等に働いていること、そしてその増殖のためにクエン酸やマレイン酸を細胞質とミトコンドリアの間でやりとりするためのトランスポーターが必要であることを示している。
面白いのは、Austin Smithらによって定義されたground stateでは、標準的TCAサイクルが優性的に働いている一方、分化を誘導すると非標準的TCAサイクルが優勢になる点だ。実際、非標準的TCAサイクルに必要なACLをブロックすると、幹細胞維持に必要なLIFや2種類の阻害剤を除いても、Nanog、Esrrbなどの多能性維持遺伝子を発現したままになる。すなわち、分化が誘導できない。一方、ACOをブロックするとground stateのES細胞の増殖は低下する。
以上が結果で、クエン酸とマレイン酸が細胞質とミトコンドリアの間をシャトルすることを示すことで、TCAサイクルの可塑性がうまれ、そしてそれにより、より様々な状況に細胞が適応して、エネルギーと物質代謝を維持できることを示した重要な貢献だと思う。また、ガン研究でも、両方のTCAサイクルの使われ方について、詳しく見ることは、治療戦略上重要になると思う。
この論文を読むと、細胞の分化は必ずしも転写だけで決まるのではなく、代謝と転写が不可分に統一されたメカニズムを常に頭に置く必要があると思った。
2022年3月13日
ロシアによるウクライナ侵略をきっかけに、世界が新しい体制へと組み変わろうとしているのを目の当たりにすると、このルーツは全て21世紀の幕開けにおこった世界貿易センター襲撃に遡れるのではないかと感じる。この事件は、米国だけでなく世界の常識が簡単に破れること、怨念が怨念を呼ぶ連鎖がいとも簡単に増幅していくことを私たちに示した。
しかし、今日紹介するアルバートアインシュタイン医科大学を中心とする論文は、このような事件についても、その影響について、常に科学は冷静に分析を進めていることを示した研究で、3月7日Nature Medicineにオンライン出版された。タイトルは「High burden of clonal hematopoiesis in first responders exposed to the World Trade Center disaster(世界貿易センターの惨事に最初に晒された人では高いクローン性造血の負荷が見られる)」だ。
世界貿易センター崩壊では、消防士に多くの犠牲が出たことがよく知られているが、これを象徴する粉塵にまみれた消防士の写真が残されている(https://www.afpbb.com/articles/-/2816655 )。
この研究は、この時の粉塵の健康への影響を調べることを目的としており、まず粉塵に晒された消防士481人と、粉塵に晒されなかった消防士255人について、事件後12年から14年にかけて血液細胞を採取、237遺伝子について250回以上DNA配列決定を繰り返し、特定の変異が繰り返し見られるかを調べている。
この方法では、造血のクローン性増殖と呼ばれる、特に老化に伴って起こる現象を調べることが出来る。例えば造血に関わる遺伝子に変異が入ると、ガンに発展しないまでも、増殖性が高まり、遺伝子配列を繰り返して調べることで、、この変異を繰り返し観察することが出来る。
これは普通に起こる現象で、老化の指標として調べられることが多い。ところが、この研究の結果、粉塵に暴露された消防士では約2倍の頻度でこのようなクローン性増殖を観察することが出来る。
さらに、年齢が進むとともにクローン性増殖が見られる頻度が急速に上昇する。例えば、検査時に70−79歳になっていた消防士では、なんと30%にこのようなクローン性増殖が見られる。
そして最も多く変異が見られた遺伝子はDNMT3AやTET2で、ガンのドライバーと言うより、エピジェネティック調節因子が多く、これもクローン性増殖を反映している。
これだけでも、なるほどと驚く研究なのだが、この研究はさらにこのメカニズムについても探索を進めている。
まず驚くのが、この時の粉塵がきちっと採取され、残されていることだ。世界が恐怖と怒りで冷静さを失っているとき、それでも後の研究に粉塵を採取していた人たちがいるという冷静さに感銘を受けた。
この研究では、この粉塵を用いて試験管内や、マウスへの投与により、ゲノムの変異が起こるかどうかを調べている。実際、粉塵に細胞や造血幹細胞が晒されると、突然変異が起こる。しかもゲノム科学の進展のおかげで、そのメカニズムも極めて詳細に行うことが可能になっている。その結果、粉塵に晒された場合、DNA 合成プログラムが傷害され、S期の後半で細胞周期が遅くなり、このストレスで変異が誘導されることまで示している。
また、動物を粉塵に晒した実験から、起こってくる変異のタイプが、タバコによる変異と似た特徴を持つこともつかんでいる。
結果は以上で、内容としては驚くほどの結果ではないが、恨みや怒りの中でも、常に冷静さを失わず、未来に向けて行動する科学の重要性を改めて実感した。
2022年3月12日
コンピューターが発達してから、言語を話せるようにする自然言語処理が重要なテーマとして研究され、様々な方法が試された。元々、意味を言語の中心に置くソシュール的考えにもとづいて、Psycholingustic modelと呼ばれる方法が試され、その後deep learningが組み合わさることで一定の効果をあげた。しかし、その後意味も飛ばしてしまった、語の集まり(=コンテクスト)とにもとづいて、次の言葉を予想し、その結果をまたフィードバックするdeep language model(DLM)、要するに深層学習、あるいはAIと言ってしまっていいかもしれない、が現れ、自然言語処理は大きな成功を収めるようになる。
これほどの成功を目にすると、当然、我々の脳がDLM処理を行っているのではないかという可能性を調べたくなる。今日紹介するプリンストン大学からの論文は、脳内に脳皮質電極を設置したてんかん患者さんの言語処理時の脳活動を記録して、DLMコンピューター処理と比べた研究で、3月7日号のNature Neuroscienceに掲載された。タイトルは「Shared computational principles for language processing in humans and deep language models(人間とdeep language model での言語処理の計算原理は共通)」だ。
実際、文章を聞いた後で次に来る単語を予想するテストをすると、GLMと人間はほぼ同じ予測率を示す。すなわち、人間の脳でも、言葉を聞いているうちにコンテクストを理解し、その上で次の単語が来るより前に、その単語を予測し、実際に聞いたあとそれまでの予測プロセスを評価していることになる。
これを示すため、文章を聞いているときの皮質電位を計測し、文章に表れる一つ一つの単語に反応する部位をできるだけ特定する。その上で、特定の単語に対する反応が、実際の単語が現れる前から脳活動として記録できるかを調べている。
すると、実際の単語が現れる前から徐々にその単語に反応する領域の興奮が上昇し、最終的にその単語を聞くと、400msをピークにした反応が得られることを示している。
さらに面白いのは、予想とは異なる単語が現れたときは、その単語に反応する部位の興奮は低いまま経過し、その単語を聞いた後で急にその部位の興奮が上昇する。しかも、予想できていたときより高いピークの反応が見られることが明らかになった。
そして最後に、DLMモデルを用いて、実際の脳の興奮を予測できるかも調べている。この数学的処理については苦手なのですっ飛ばすが、deep learningでコンテクストを判断する方法が最も高い相関を示し、ただ統計学的に単語を予測するモデルなどではうまくいかないことが示されている。
結果は以上で、要するに私たちの脳もAIと同じ処理をしており、deep learning研究者たちがneural networkと呼んでも良いことになる。
ただ間違ってはいけないのは、これは言語を習得したヒトの脳の話で、実際の習得がこの方法で行われるのか、子供の発達を調べる必要がある。また、構語、シンタックスはどう形成されるのかも、今後の問題だと思う。
2022年3月11日
機能的MRIは、前処理なしに脳活動を精細に調べる方法として現在大活躍している。そして、この原理が神経興奮領域で血流上昇が見られるからだと聞くと、血管をも連動させている脳活動の仕組みに驚く。しかし、なぜこれほどの連動が見られるのかについて、完全に理解できていない。このHPでも、この連動が、小動脈内皮のcaveolaが重要な鍵を持つことを示した論文を紹介したことがある(https://aasj.jp/news/watch/12571 )。しかし、メカニズムの解明からはまだまだほど遠い。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文は、この血流が上昇するとfMRIにキャッチされることを利用して、脳神経の興奮をfMRIでモニターする方法を開発できたという研究で3月3日号のNature Neuroscienceに掲載された。タイトルは「Functional dissection of neural circuitry using a genetic reporter for fMRI(fMRIでキャッチできる遺伝的レポーターを用い神経回路の機能的解明)」だ。
この研究の目的は、神経興奮をMRIで捉えられる血流の変化に変えられる分子マーカーを開発することだ。すなわち、神経が興奮すると、血管に働く分子が分泌され、周りの血管に働きかけ、血流を上昇させられるような遺伝標識の開発が必要になる。
急性に血流を改善させるとなると、選択肢は多くない。この研究では、これまで脳興奮に応じて血流を上昇させるのに働いているのではと疑われていた酸化窒素(NO)をこの目的に使えないか考えた。
そして、NO合成酵素にカルシウム結合ドメインを統合して、カルシウムに反応してNOを合成する酵素NOSTICを開発した。
後は、この分子マーカーが
1)細胞内でカルシウムに反応してNOを合成すること。
2)NOSTIC発現細胞をマウス脳に移植すると、カルシウム流入に反応して局所の血流を上昇させること、
3)下垂体の神経刺激に連続して起こる神経興奮をMRIで感知できること。
4)こうして検出できた下垂体と神経結合を持つ脳領域は、Fosの発現や、カルシウムイメージングでも同じように確認でき、確かに神経結合を検出できていること。
などを示している。結論としては、計画通り神経興奮をNOを媒介にして検出できることがわかった。
勿論この技術をすぐに人間に応用することは、検査のために遺伝子導入が必要なので、不可能だろう。しかし、動物実験レベルでは、特定部分の刺激の効果の広がりを脳全体でモニターし、1次的、2次的な神経結合ネットワークを明らかにすることが出来る点で、利用されるのではと思う。
例えば現在行われている深部刺激がどこまで広い範囲に影響するのかをサルを用いて調べることなどは重要なテーマになる。いずれにせよ、遺伝子導入できる分子マーカーをfMRIで検出出来ることが示されたことは大きな進歩で、今後さらなる方法の開発に拍車がかかる気がする。
2022年3月10日
実験動物を用いた自閉症スペクトラム(ASD)研究の主流は、遺伝子変異を行動変異と結びつけることに絞られてしまう。このため、ASDに関わる遺伝背景、及びそれによる脳ネットワークの“違い”に焦点が当たる。しかし、ASD発症に様々な環境要因が関わることも間違いなく、例えば腸内細菌叢によりASD症状が変化することなどはその例と言える。
今日紹介するスイスバーゼルにあるミーシャー研究所からの論文は、この問題をShank3遺伝子が欠損したASDモデルマウスを用いて調べ、ASD行動の発生には、新しい経験についての記憶成立時の違いが大きく関わることを示した面白い研究で4月25日Neuronにオンライン掲載された。タイトルは「Absence of familiarity triggers hallmarks of autism in mouse model through aberrant tail-of-striatum and prelimbic cortex signaling(馴染みの環境が存在しないと線条体の尾部と前辺縁皮質シグナル異常を介して自閉症の典型症状がマウスで誘導される)」だ。
遺伝背景を調べる場合、行動の違いに注目すればいいのだが、環境要因を調べたい場合、まず遺伝的背景が異なっていても、行動は同じという状況を探す必要がある。
この研究では自閉症モデルとして使われているShank3 KO(SHK)マウスが、新しいコンテクスト(環境が変われば、物体でも、個体でも、臭いでも何でも言い)にさらされたときの行動は、正常マウスと全く変化がないことを発見する。ところが、1日ホームケージに戻した後、同じコンテクストにさらすと、今度は新しいコンテクストに全く反応しないことを発見する。
すなわち、ASDでは最初から新しいコンテクストに反応しないのではなく、一度経験した後で、その記憶が行動を規制していることを発見する。実際、最初に経験したコンテクストとは全く関係がないコンテクストに対しては、正常に反応する。
さらに、2回目に経験で反応が抑制されるとき、繰り返し行動などのASD独特の症状も発生することもわかった。
次にこの2回目の経験が行動を抑制するメカニズムを探ったところ、SHKマウスでは最初に新しい経験をした後で、前辺縁皮質から線条体尾部に至る投射経路がSHKのみで興奮し、ドーパミンが線条体尾部で分泌されることで、この経験の記憶を避ける行動が発生することを、様々な実験を組みあわせて証明している。
実際、ドーパミン阻害剤で、この行動変化は治るし、前辺縁皮質からの回路を遮断しても、同じように症状は改善する。逆に、正常マウスでも最初の経験の後前辺縁皮質の回路を興奮させると自閉症様の症状が発生する。
最後に、では新しいコンテクストとは何かを詳しく調べ、日常に経験しているものが共存していると、新しいコンテクストの刺激が弱まり、2回目に経験したときもそれを避ける行動が消失することを示している。
さらに、新しいコンテクストの中に、様々な物体や個体が存在して、感覚が集中しない場合も、2回目の経験に対する行動が正常化することを示している。
以上をまとめると、SHKでは、新しいコンテクストを経験したとき、前辺縁皮質から線条体への刺激が入る回路が形成されてしまっているため、次に同じ経験したときそれを避けようと行動することになる。すなわち、避けようとするネガティブな記憶が成立してしまう。しかし、この新しいコンテクストの中に、馴染みの個体や個体、マウスの場合床敷きの臭いでも存在すると、この回路の刺激が弱まり、ASD症状を改善できるという結果だ。
これが全て人間に当てはまるかはわからないが、新しい経験をするとき、何かいつも一緒に遊んでいる人形などの環境を持ち込んでやれば、ASD症状が改善することになる。是非発展して欲しい研究方向だと思う。
朝の短い時間では書き切れないこともあるので、この論文は自閉症の科学として、もう少し詳しく解説する。
2022年3月9日
母親から見たとき、胎児は父親の抗原を発現している異物と考えられるので、なぜ拒否反応が起こらないのかについて、古くから研究が行われてきた。確かめたわけではないが、私自身は細胞表面のMHCの違いさえ処理できれば、基本的には合成されるタンパク質は同じなので、拒絶は起こらないと考えてきた。事実、メージャーなクラスI、クラスII抗原はトロフォブラストには発現していないので、十分許容できる。とはいえ、もっと積極的な免疫寛容機構が無いと危ないのではと考える人も多く、研究が続いている。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、わざわざ鶏の卵白アルブミン(OA)をトロフォブラストに発現させ、またOAに反応するT細胞抗原受容体を発現しているT細胞を用いる極めて人為的な系を用いて、OAがどのように母親の免疫系に受容されるのかを調べた研究で、3月2日Natureにオンライン出版された。タイトルは「Establishment of fetomaternal tolerance through glycan-mediated B cell suppression(胎児母胎トレランスをグリカンを介するB細胞抑制により確立する)」だ。
あまりこの話題をフォローしてこなかったが、OVAを胎児側の細胞膜に発現させ、さらにアジュバントを注射しても、母親のキラー活性は誘導されないことがわかっていたようだ。
この研究では、この免疫寛容のメカニズムを探るため、膜型にしたOVAがトロフォブラストに発現するようにしたトランスジェニックマウスを用い、より母親に近いところで抗原が母親に入る仕組みを作っている。また、膜型OVAはゴルジERを通って様々な修飾を受ける。実際、トロフォブラストから排出されるOAは糖鎖修飾を受けていることが確認される。
さらにこの研究では、ClassIとOAに反応するTcRトランスジェニックT細胞(OT-1)とClass II・OA反応TcRを持つトランスジェニックT細胞(OT-II)を注入して、OAに対する反応を追跡できるようにした徹底的に人工的な系をくみ上げている。
結果だが、注入したOT-IIは母親へ進入してきたOAに反応して確かに増殖はするが、炎症性サイトカインを分泌するまで分化しない。一方、最初期待された抑制性T細胞関与の可能性はほぼ排除できた。面白いのは、膜型ではないOAに対しては、OT-IIは反応する。すなわち、膜型として修飾を受けたOAに対してのみOT-IIのトレランスが出来ている。
一方、キラー細胞を反映するOT-IはどちらのOAに対しても反応しない(このメカニズムはこの研究では追求されていない)。
では、なぜ修飾されたOAだけにトレランスが成立するのか?詳細を省いてまとめると次のようになる。
グリカン修飾を受け血中に流れ出たOAはまずB細胞と結合し、リンパ節に移行、そこでCD4T細胞に抗原提示を行う。このような抗原に対しては、樹状細胞が全く関与しないことも示している。すなわち、トロフォブラストからの抗原に対してはB細胞が抗原提示細胞の役割を演じている。この時B細胞の抗原受容体はOAにより刺激されるが、OA上のグリカンがB細胞上のシアリル酸受容体の一つCD22と結合することで、Lynによる抑制性シグナルを誘導して、B細胞トレランスが成立するため、活性化されない。
活性化を受けないB細胞がCD4T細胞へ抗原提示すると、CD4T細胞は様々な共シグナルを受けることが出来ず、最終的にトレランスになる。
以上が結論で、少し人為的過ぎるなという感じもするが、後は古典的な免疫トレランスに近い概念が示されているように感じた。しかし、CD8も含め、まだまだこの分野は奥が深そうだ。
2022年3月8日
ここにも書いた文章をそのまま再掲しておきます。
21世紀の科学から熊本サンクチュアリーを思う
熊本大学・三浦恭子さんからのFBで京大野生動物研究センター・熊本サンクチュアリーで、動物の飼育条件を維持するための寄付を集められていることを知りました。幸い目標は達成され、多くの皆様の温かい言葉が寄せられて本当に良かったと胸をなで下ろしており、私や妻も寄付者の一人に加われたことは本当に光栄に思っています。しかし、半生を生命科学に関わった私から見た時、皆様の寄付は、サンクチュアリー維持にとどまらず、21世紀の新しい科学への投資の意味を持つと思って、寄付を機会に文章を寄せることにしました。
わたしが熊本サンクチュアリーのことを知ったのは、2016年10月で、熊本サンクチュアリーの平田先生、狩野先生が、ドイツライプチヒマックスプランク研究所のトマセロさん達と一緒にScienceに発表された論文を読んだ時です。
この論文は、Theory of Mind として知られている能力、わかりやすくいうと「他人は決して心のないゾンビではなく、自分と同じ心を持っている」と理解する能力を、チンパンジーやボノボが持っていることを証明した素晴らしい研究でした。日本の科学力が問題にされ始めた時でしたから、このような重要な貢献が我が国から生まれたことは本当に誇りに思いました。
日本でこのような話題は、あまり一般では議論されませんが、例えば米国では、人気哲学者(ジョン・サールやダニエル・デネットなど)の本を読むと、人間の心や脳を理解するために最も重要な能力として議論されています。さらに、自閉症の子供ではTheory of Mind 能力の発達が遅れることも知られており、臨床的にも重要な概念なのです。
かくいう私ですが、以前京都大学医学部、分子遺伝学の教授をしていましたが、脳研究に関しては全く素人です。ただ、公職を退いてから、21世紀の科学はどのように進んでいくのだろうと、分野を問わず論文や本を読みながら思いを馳せています。この作業については、私たちが運営するNPO、オール・アバウト・サイエンス・ジャパンのHPに逐一報告していますので(www.aasj.jp)是非ご覧ください。
そしてこの作業を通して、これまで科学があまり出る幕のなかった心の問題が、21世紀の大きなテーマとして、研究が始まっていることを実感しています。例えば、エモリー大学のドゥ・ヴァールさんが書かれた”The Bonobo and the Atheism”(ボノボと無神論)という本は、道徳という人間にとって最も重要な問題を、宗教ではなく、科学の立場から迫ろうとする意気込みが伝わってきます。わざわざ「無神論:Atheism」という単語がタイトルに使われているのも、この意気込みの表れだと思います。
もちろん21世紀の研究は行動観察だけにとどまりません。世界では、山中さんのiPS技術を使って全ての類人猿のiPSが作成され、脳の構築や機能を人間と比べることができるようになっています。そして、類人猿に止まらず、多くの哺乳類の遺伝情報は完全に解明されています。
ただ、このような試験管内での研究と比べると、これらの過程が統合された行動を調べるための研究施設の維持が最も大変です。その意味で、サンクチュアリーは、世界の「心」の研究を担うためには最も大事な施設の一つだと思っています。
今後も皆さんと一緒に、この施設を支援したいという気持ちで、この文章もサンクチュアリーのスタッフの皆様に捧げたいと思います。