2023年6月20日
アストロサイトが神経細胞のシナプス結合を調節しているのはよく知られている。すなわち、神経活動をモニターしながら、活動に合わせてシナプス機能を調節することで、ニューラルネットの“重みづけに”寄与している。
今日紹介するテキサスのベーラー大学からの論文は、神経活動により起こるアストロサイトの変化を網羅的に解析する中で、セロトニンによるヒストン修飾がアストロサイトによるGABA分泌とそれによるシナプス活動調節に重要な役割を演じていることを明らかにした研究で、6月14日号 Science に掲載された。タイトルは「Induction of astrocytic Slc22a3 regulates sensory processing through histone serotonylation(アストロサイトで誘導されたSlc22a3はヒストンのセロトニン化を通じて感覚過程を調節する)」だ。
この研究では化学物質で神経特異的に興奮を誘導した時、それをモニターした近くに存在するアストロサイト側の変化を丹念に調べ、遺伝子発現の変化からSox9やSox2の標的遺伝子への結合が5️0%ほど高まることを発見する。残念ながらなぜ神経活動によりこの現象が起こるのかについては、明確ではないが、臭いを嗅がせた後嗅覚中枢で調べると、同じ現象が起こっていることを確認している。
次に、Sox9により転写が高まる遺伝子の中から、様々な条件をクリアーする遺伝子を探索し、変化が見られる様々な分子の中から、最も大きな変化が見られたセロトニンやグルタミンなど神経伝達物質を吸収するトランスポーター分子Slc22a3にフォーカスしてその後の実験を進めている。
おそらくアストロサイトのプロには、あとで説明するヒストンのセロトニン化とSlc22a3による細胞内セロトニン量の調節の関係が見えていたのだろう。ともかく、まずSlc22a3遺伝子をアストロサイト特異的にノックアウトしたマウスを用いて調べると、臭いを求める行動や、臭いの区別能力が強く抑制される事がわかった。また、電気生理学的、あるいは形態的にノックアウトマウスのアストロサイトを調べると、興奮性が低下し、形態の複雑性も低下している事がわかった。すなわち、アストロサイトによる嗅覚中枢でのシナプス接合調節機能を維持するための調節に、セロトニントランスポーターが関わる事がわかった(グルタミントランスポーターでもあるが、グルタミンがこの反応に関わらないことは確認している。)。
次の課題はSlc22a3のアストロサイトでの機能になるが、形態変化まで起こる大きな変化から考えると、様々な遺伝子のエピジェネティックな変化が起こっている事が想像できる。これに合致した概念がヒストンのセロトニン化による様々な遺伝子発現の変化で、Slc22a3遺伝子ノックアウトされたアストロサイトと正常アストロサイトで比べると、セロトニン化されたヒストン量の低下が観察される。すなわち、神経活動をモニターした結果、Sox9の機能が高まり、ついでSlc22a3分子発現調節が上昇することで、細胞内のセロトニン量が高まり、セロトニン化されたヒストンの量が調節上昇するというサーキットが明らかになった。
セロトニン化ヒストン上昇は、様々な遺伝子発現に影響するが、中でもアストロサイトのGABA合成経路に大きな影響があり、Slc22a3ノックアウトされたアストロサイトではGABA分泌が強く抑制される。このサーキットを確かめるため、セロトニン化できないヒストンを発現させると、GABA合成経路の分子の発現が低下することを確認している。この結果アストロサイトのGABA分泌が低下し、シナプスの緊張性が低下、神経伝達が変化する事が明らかになった。
最後にセロトニン化できないヒストンを発現したマウスを用いて、嗅覚中枢でのアストロサイトのGABA産生だけでなく、形態も変化し、この結果嗅覚機能の低下が起こることを明らかにしている。
ヒストンがセロトニン化されることは、初耳と思っていたが、実際には2回もこのHPで紹介したらしい。忘れては驚くを繰り返しているようだが、研究もグランドストーリー解明に向けた論理的かつ時間をかけた大変な研究で、大いに楽しみ勉強になった。
2023年6月19日
アドレナリンによるシグナルを伝える受容体はG タンパク質共役型受容体だが、極めて複雑で、それぞれ全く拮抗する作用を持つ。例えばα1やβ受容体は刺激によりサイクリックAMPの合成が誘導されるが、α2受容体は逆でサイクリックAMPの合成を抑える。サイクリックAMPは免疫細胞でも重要なメディエータなので、これらの受容体が発現しておれば当然免疫細胞も影響を受ける。幸い、それぞれの受容体のシグナルを抑えたり高めたりする薬剤が開発されており、特異的作用を調べる事ができる。
今日紹介するベルギーのルーヴァン大学からの論文は、アドレナリンα2受容体(α2AR)刺激が、ガン免疫を高め、それだけでもガンの増殖を抑制することを調べた研究で、6月15日号の Nature に掲載された。タイトルは「Tumour immune rejection triggered by activation of α2-adrenergic receptors(α2アドレナリン受容体刺激により誘導されるガンの免疫拒絶)」だ。
この研究のハイライトは、ガンを移植したマウスにα2AR刺激剤を、しかも通常利用される容量の何十倍もの量をマウスに投与したことにある。ここで使われたα2ARアゴニストは血圧を下げたり、精神疾患に使われているので、余計に何十倍という量は乱暴に感じる。
しかし案ずるより産むが易しで、連日この量のα2ARアゴニストを投与し続けると、驚くなかれ様々なガンの増殖を強く抑える事ができる。免疫不全マウスではこの効果は見られないし、さらに、PD-1やCTLA4に対するチェックポイント治療と組み合わせると効果は倍加する。
様々な作動薬で同じ効果が見られるが、特異性の問題があるのでα2AR遺伝子ノックアウトマウスで同じ実験をすると、α2ARアゴニストの効果は全く見られなくなるので、間違いなくα2ARを解する作用であることも確認できる。
この作用はCD8T細胞、あるいはCD4T細胞を除去しても同じように低下するので、両方のt細胞が関わることはわかるが、α2ARアゴニストによりCD4、CD8T細胞の主要組織への浸潤が高まることも観察される。
腫瘍組織での遺伝子発現をα2ARアゴニスト注射群で調べると、獲得免疫だけでなく自然免疫系の遺伝子発現が上昇しているので、リンパ球以外の細胞への影響が考えられる。そこで single cell RNA sequencing を用いて調べると、好中球の数が著しく減少し、マクロファージのタイプ ClassII MHC抗原を強く発現したM1マクロファージへとシフトしている事がわかる。さらに、マクロファージの機能をブロックすると、α2ARアゴニストの効果がなくなることから、おそらくマクロファージを中心に様々な血液細胞の機能を変化させて、ガンに対する免疫が上がっていると結論している。
結局、なにか特定の免疫細胞がα2ARの標的であるという結論ではなく、全体的作用という話になっているが、例えば6月16日に紹介したClass II MHC発現マクロファージとCD4T細胞の相互作用により、白血球からNOSが強く分泌されるメカニズムの当然標的になるだろう。
他にも、好中球の減少により、リンパ球の腫瘍局所への浸潤も容易になる。したがって、免疫系全体で旨い具合にガン拒絶を高める方向に働いたとしても問題はない。
とはいえ、実際これほどの量のα2ARアゴニストを人間に連続的に投与可能なのかの検討から始めないとこの治療は実現しないだろう。しかしなんでもやってみるものだという典型的例だ。
2023年6月18日
細胞が増殖するためには、DNA合成から細胞の分裂までを巧妙に調節する必要があり、増殖期はいくつかのステージに分けて調節されて、これらを細胞周期と呼んでいる。各細胞周期に関わる分子は、酵母から人間まで、真核生物では共通なものが多く、中でもサイクリンおよびサイクリン依存性キナーゼ(CDK)の機能は詳しく解析されてきた。事実、専門以外の人の興味を引くという観点で選ばれるトップジャーナルではサイクリンやCDKの論文を見る事が少なくなった。
しかし細胞周期はガン増殖にとっても一丁目一番地なので、この分野の研究は重要だ。専門外の私には少し遅かったのではという印象があるが、CDK4/6阻害剤は現在乳ガンの重要な治療薬として利用されている。ここで標的になっているCDK4/6はサイクリン-Dと結合して、細胞がDNA合成期に移行する時に必須の分子で、DNA合成期への移行を阻害しているRB1をリン酸化して、E2Fの核内移行を促し、合成期に必要なサイクリンEやサイクリンAの転写を活性化し、細胞周期を進める。
今日紹介するコロラド大学からの論文は、このサイクリンおよびCDKネットワークに関する通説の間違いを、single cell level でこのネットワークの活性をモニターし、現在開発中のものも含め様々な阻害剤を調べる実験系で示し、新しいガン治療の方向性を示した研究で、6月8日号の Cell に掲載された。タイトルは「Rapid adaptation to CDK2 inhibition exposes intrinsic cell-cycle plasticity(CDK2阻害に対する迅速な適応が細胞周期の可塑性を明らかにした)」だ。
すでに、サイクリンD/CDK4/6活性化が、E3Fを介してサイクリンAやサイクリンEの転写を促進する御頃までは述べたが、サイクリンA、 サイクリンEは、CDK2と結合して、合成期に必要な様々な分子をリン参加する事がわかっている。したがって、CDK4/6とともに、CDK2も重要な細胞周期抑制の標的になる。しかし、ノックアウト実験では、他のCDKにより代償されるため、CDK2阻害は考慮されてこなかった。
この研究では、CDK2/サイクリンA/Eによりリン酸化される分子マーカーを導入した細胞を、他のCDKに影響がないレベルのCDK2阻害剤で処理すると、最初はマーカーのリン酸化が低下するが、10時間するとすぐに元に戻ることを発見する。この現象は、CDK4/6も阻害される濃度では見られないので、CDK2が急性に阻害された時、CDK4/6が合成期でも働いて、CDK2の機能を促進する可能性を示し、CDK4/5はG1期特異的という疑問を投げかけた。
これまでの実験では、遺伝的ノックアウトを用いた手法が中心で、CDKの複雑な代償回路のため、重要な過程が見えないまま終わっていた。したがって、single cell level で周期を追跡しながら、薬剤で各分子を阻害する実験で、通説とは全く異なる可能性が示された事が、この研究のハイライトになる。
CDK2が阻害された時に、CDK4/6が合成期でもCDK2の活性を助けるとすると、CDK2特異的阻害にCDK4/6特異的阻害を組み合わせると、S期も強く抑制できる事が予想され、これを実験的に確認し、特殊な条件でCDK4/6が合成期の細胞周期に関われる可能性を示している。
このメカニズムを生化学実験を組み合わせて調べ、最終的に以下のようなシナリオを提案している。
まずCDK2阻害剤による阻害は完全でなく、またCDK2阻害剤はサイクリンE/CDK2複合体をサイクリンA/CDK2複合体より強く阻害する。このため、CDK2阻害で、最初サイクリンD/CDK4/6からのバトンタッチがうまくいかず、Rb1リン酸化が低下して合成期のネットワークが動かなくなると、サイクリンD/CDK4/6が合成期も働き始めて、阻害剤に比較的抵抗性のサイクリンA合成を続けることで、合成期のRB1リン酸化や他の分子のリン酸かが正常に進んでしまう。したがって、合成期でもCDK4/6を阻害することで、完全にRb1リン酸化を止めて、細胞周期をG1からS期まで阻害できることになる。
サイクリンのネットワークに慣れていないと、ちょっとややこしい話だと思うが、今後サイクリン阻害剤を乳ガンはもとより、他のガンに広げる意味でも重要な研究だと思う。
2023年6月17日
一人ではなく、他の人との社会的交流を求める事が、人間の成長には欠かせない。このようなsocial reward learningと呼ばれる心理的傾向はconditioned place preferenceという方法で測る事ができる。ネズミを用いるモデル実験の場合、他のマウスとたたとえば赤い部屋で1日過ごさせ、次に一匹だけで黄色い部屋に1日過ごさせた後、赤と黄色の二つの部屋があるケージに入れた時、他のネズミと過ごした赤い部屋を選ぶ確率を調べる方法だ。面白いことに、このようなSocial reward learning能力は年齢とともに低下し、成長するとある意味で頑固になる。
今日紹介するジョンズホプキンス大学からの論文は、Social reward learning能力が、幻覚剤を使うと大人になってももう一度引き出す事ができることを示し、そのメカニズムを調べた研究で、6月14日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Psychedelics reopen the social reward learning critical period(幻覚剤はsocial reward learning が可能な重要な時期を再開する)」だ。
このグループは、conditioned place preference法を用いて、さまざまな薬剤の影響を調べてきており、2019年にはオキシトシンが新たなsocial reward learningを可能にすることを示している。このように、social reward learningについてはこれまで、個々の薬剤について研究が行われてきたが、このグループは、social reward learning能力を再開できる薬剤の多くが幻覚剤であることに気づき、幻覚剤共通の生理学的メカニズムがあるのではと考え、シロシビン、ケタミン、LSD、ibogainについて調べると、いずれも失ったsocial reward learningを再開させる事ができる。
ケタミンの場合は、学習可能な時間は48時間と短いが、他の幻覚剤は2週間を超えて持続することから、一度の投与で神経の可塑性が大きく持続的に変化している事がわかる。そこで、幻覚剤投与後、social reward learningを脳スライスで薬理的に誘導する方法を用いて調べると、幻覚剤投与を受けたマウスの脳では、生理学的な反応の増強ではなく、シナプス可塑性が全般的に変化していることがわかった。
そこでこの可塑性の変化に関わる共通の分子基盤を探索している。それぞれの幻覚剤は神経に異なる作用を誘導するので、それによる変化を除外した後最終的に残ったのが、シナプス周囲に分泌される様々なマトリックス分子の発現で、シナプスを支える周りの環境を幻覚剤が整えることで、social reward learningを可能にしているという結論になる。
最終的にこれらのマトリックスが本当に可塑性に関わるのかという検討はできていないが、長期にわたる神経結合性の変化は、シナプス携帯にも現れることを思うとある程度納得できる。
神経可塑性を誘導できる幻覚剤共通のメカニズムという目標に向けた研究の進め方が少し強引な気がするが、現在幻覚剤が様々な精神疾患に用いられるようになってきたこと、またsocial reward learningという自閉症スペクトラムを考える時に重要な性質を対象にしている点で、面白い研究だと思った。
2023年6月16日
ガン免疫の主役はCD8陽性キラーT細胞で、抗原ペプチドとClass I MHC抗原複合体を認識する。ただ、ガンによってはClass II MHCを発現することもありその場合はCD4T細胞もキラー細胞として働く可能性が考えられてきた。以前紹介したCAR-T治療により10年を超えて全く再発がなかったケースで、残存していたCAR-TがCD4陽性だったという結果はこの例かも知れない。
これ以外に、CD4T細胞は炎症を誘導し、またインターフェロンを分泌してガンを殺すことも知られている。従って、免疫治療を考える時、CD4T細胞もうまく位置づけてやるとより強力なガン治療になる可能性がある。
今日紹介するドイツ・マグデブルグ大学からの論文は、Class I 抗原とインターフェロンシグナル系をノックアウトされたCD8キラー細胞でも、インターフェロンでも、殺せないメラノーマ細胞が、それでもCD4T細胞で殺すことが出来る仕組みを示した研究で、6月16日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「CD4 + T cell-induced inflammatory cell death controls immune-evasive tumours(CD4+T細胞により誘導される炎症細胞死が免疫を回避した腫瘍を殺す)」だ。
まず臨床のメラノーマ例組織から、CD8T細胞の浸潤が落ちている腫瘍ではClass I抗原の発現が低下していること、それでも組織中のClass II 抗原発現が高いと、CD4、CD8ともに細胞浸潤が高いことを確認し、Class I が低下してCD8キラー細胞の作用がなくなる条件をマウスモデルで再現している。
この時自然免疫を誘導するアジュバントとともにCD4T細胞が存在すると、ほぼガンを殺すことが出来、これにはCD8T細胞も、NK細胞も必要ないことを様々な実験で示している。この辺の過程は、少し前のノックアウトマウスを組みあわせた免疫学の実験の伝統を汲んでおり、複雑な実験の組み合わせをお行っている。
次に組織学的に腫瘍組織でのCD4T細胞の動態をビデオで調べ、組織中のClass II発現細胞と相互作用することでキラー活性を発揮していること突き止める。この場合、インターフェロンが分泌され抗ガン作用が発揮すると考えられるが、この実験系では腫瘍細胞はインターフェロンに反応しないので、他の細胞を介して抗ガン作用が発揮されている可能性が高い。
このガン傷害性のメカニズムを様々な遺伝子改変マウスや機能阻害抗体を用いて探っているが、結論をまとめると次のようになる。
まずCD4T細胞はClass II抗原を発現しガン抗原をプロセスする樹状細胞と反応し、その結果インターフェロンを分泌する。これと自然免疫シグナルが組み合わさって、Ly6陽性白血球がガン組織にリクルートされ、局所でiNOSを強く発現する白血球へと分化する。局所ではガン特異的ではないが、炎症が誘導されており、インターフェロンγやTNFレベルが高まっているので、これに高い濃度のNOを局所で合成するiNOSが加わると、これが直接腫瘍に働いて細胞を傷害するというシナリオだ。
実際にはメラノーマ以外でも同じことが起こるのかなど不明な点も多いし、実験自体が極めて凝っているので、臨床に移して考えにくいという問題はあるが、しかしCD4T細胞を再評価し直しガン治療に組み込むことの重要性はよくわかる論文だ。
2023年6月15日
発ガン過程に、ガン遺伝子の活性化やガン抑制遺伝子の消失などのイベントが起こることはゲノム研究から明らかになったが、一つの重要イベントの後、どの様にガンが進化してくるのかについては、長期の観察が必要で、動物実験でも簡単ではない。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、胃のオルガノイド培養を2年以上続けて、クローンレベルの解析を行い、より高い増殖性を獲得したクローン発生の過程を明らかにした力作で、6月8日号 Nature に掲載された(618:383-393)。タイトルは「Deterministic evolution and stringent selection during preneoplasia(前ガン状態での決定論的進化と厳密な選択)」だ。
この研究がすごいのは、p53遺伝子喪失後に人間の胃上皮で起こる過程を全て試験管内で追跡しようとしている点で、なんと培養期間は800日に及んでいる。おそらく、この論文は手始めで、これからまだまだいろんな話が出てくる予感がする。慶応大学の佐藤さん達が開発した消化管オルガノイド培養は人間の発ガン過程の追跡を可能にすると皆思っているが、しかし2年半にわたって培養を維持し追跡し続ける研究者がどれぐらいいるのか?結果はともかく、この大変な実験をやりきったこと自体に脱帽。
この研究では最初のイベントとして、p53遺伝子をクリスパーで除いている。すなわち染色体の不安定性を引き起こした後、オルガノイド培養を続け、さらに100日目で、レンチウイルスベクターを用いて個々の細胞にバーコードをつけ、染色体変化が始まった各クローンの消長を克明に追跡し、最後に勝利するクローンの性質を調べている。膨大なデータなので、私が面白いと思った結果だけ以下に箇条書きにまとめた。
- p53喪失により当然様々な染色体異常が発生するが、胃上皮オルガノイド培養という条件では、時間とともに特定の染色体異常へと収束する。実際には胃ガンとの相関が知られているガン抑制遺伝子FHITやCDKN2Aなどが初期から中期に消失したクローンが増殖優位性を獲得する。
- その後、様々な変異が重なるが構造的な変異などはかなり遅い段階で現れてくる。一方、loss of heterozygousityなどは時間とともに蓄積する。
- Single cell RNA sequencingを用いて遺伝子発現を調べると、これまで胃ガンと密接に関わることが知られている遺伝子発現パターンが時間とともに現れてくる。ただ、どの遺伝子が中心になるかは、オルガノイドごとに違いがある。
- 一般的には、p53が欠損した後の食道バレット症候群で調べられてきた遺伝子変化に極めて似ている。これはバレット症候群もp53喪失から進んでいくことを示している。
- 100日目に細胞にバーコードを挿入して、その後の経過を調べるとこの時点で既に優勢になるクローンが1−2個決まっており、時間経過とともに急速に増大していくケースが多い。ただ、300日を超えてもまだ勝負が決まらないというケースもある。
- このように進化過程は極めて複雑な経過をたどるが、クローン間の競争の結果最終的に優勢になるのは、これまで知られた胃ガン遺伝子を強く発現するクローンに収束する。
以上の結果は、p53喪失をきっかけとする胃ガン発生の場合、まずいくつかのガン抑制遺伝子の変異による増殖優位性がおこったあと、上皮細胞の増殖を助けるドライバー遺伝子の発現が上昇したクローンが100日前後に現れ、これがその後の発ガンの主役となり、さらに変異を蓄積するというシナリオになる。すなわち、変異はランダムでも、培養条件により正確な選択が起こるため、形質が良く似たガン細胞へと収束するというシナリオになる。
しかし、2年を超えて試験管内で追い続けたことが全てだと思う。
2023年6月14日
今日は、「ChatGPTは実験哲学を可能にするか?」と銘打ったジャーナルクラブの開催日で、医学や生命科学から生成AIを考えて、できるだけユニークな議論をしたいと考えているので、是非Youtube配信をご覧いただきたい(https://www.youtube.com/watch?v=HlO67PydPdM)。
この企画は私がChatGPTについて学んでいるとき、ChatGPTに英国の哲学者David Humeの経験論が実現していると感じたこと、そしてChatGPTが出来ないことを探れば、カントの絶対理性形式を実験的に示せると思ったことに始まっている。生命科学の枠を超えているといわれるかも知れないが、そろそろ哲学も生命科学として捉えてもいいのではと思っているので、その点についても議論したい。
カントが経験では決して説明できないと考えた一つが道徳だが、今日紹介するハーバード大学からの論文は、一般の人が持つ道徳感覚を定義することの難しさを指摘したユーモアに満ちた研究で、6月7日Nature オンライン掲載された。タイトルは「道徳が低下したという幻想」だ。
個人的には道徳心やその起源は生命科学の問題だと思っている。その時、経験でどこまで説明できるのかというカントの問いは参考になる。この点で言うと、この研究の結論は、「道徳感覚は個人の経験で形成される」でヒューム的だ。
この研究ではこれまで世界中で行われた「最近社会の道徳心が低下していると感じますか」というアンケート調査を集めると、米国ではこの70年間、調査が行われるたびに低下していると考える人が圧倒的に多い。そして、この傾向は米国にとどまらず、世界中のほとんどの国で人々は社会の道徳心が低下していると感じていることがわかる。
メディアの調査ならここでおしまいだが、道徳という言葉が抽象的なので、より具体的に、誠実性、親切心、良い感情など持つ人の割合を2000年から2020年までそれぞれ自己算定してもらうと、前の結果と同じで時間とともに、親切や誠実な人の割合は低下する。基本的にはこれまでの結果と同じだ。
このデータを元に、答えてくれた人の年齢などを考慮していくと、この現象は自分が生まれたときから始まっていると考えていることがわかった。すなわち、自分の生きてきた過去は良かったと思う感覚に基づいている。
面白いことに、社会一般の傾向と、自分の周りの人について、親切・誠実・良い人が減ってきているかと聞くと、社会一般では減ってきているが、自分の周りはいい人だと答えており、実際の感覚と、社会に対する意見は大きく異なる。
そこで最後に、現在と、自分が生まれたとし、そしてそれより前の社会についての道徳心の程度を想像してもらうと、結局生きている今が一番悪いと感じていることがわかった。
後半の調査はちょっと強引な気がするが、これらの結果から古今東西、ほとんどの人が今道徳心が低下していると感じるのは、生まれてから今まで、ネガティブな話を余計に経験として取り込んでいるからで、最終的に道徳心が低下しているという感覚は幻想に過ぎないと結論している。すなわち、道徳感覚も経験により形成されると言うことになる。
ちなみにGPT-4で「最近人々の道徳性は低下してきたでしょうか?」と訪ねてみると、
「たとえば、SNSやインターネットが普及した現代社会では、個人の行動が以前よりも公になる傾向があり、悪行や不適切な行動がより広く共有されやすくなりました。これにより、道徳的な逸脱が増加しているように見えるかもしれません。しかし、反対に考えると、過去には認識されていなかった問題についての認識が高まり、それに伴い新たな道徳的な基準が形成されつつあるとも言えます。例えば、性的マイノリティの権利や環境保護についての認識が高まっています。これらは従来はあまり注目されていなかった問題で、社会全体の道徳的な理解が進んでいることを示しているとも言えます。したがって、人々の道徳性が低下しているかどうかは、どの視点から見るかによります。一部の観点からは道徳性の低下が見受けられるかもしれませんが、他の観点からは逆に道徳的な理解が深まっているとも解釈できます。道徳性というのは個々の社会的な状況や文化的な背景に深く根ざしており、その評価は容易なものではありません。」
と、経験論に基づく至極まっとうな答えが返ってきた。
2023年6月13日
MECP2重複症については、MECP2遺伝子の発現量を低下させる遺伝子治療が開発中で、期待を持ってみている。一方、Rett症候群に関しては、異常細胞と正常細胞がモザイクになっているので、単純な遺伝子治療は簡単でない。代わりに、MECP2欠損により起こる機能変化を補正する治療が試みられている。これらには、神経増殖因子の一つBDNFの脳内濃度を上昇させる薬剤、IGF-1あるいは活性化ペプチドのような、神経増殖やシナプス維持を直接サポートする分子から、GABA受容体やグルタミン酸受容体に対する薬剤まで、様々な治験が進んでいる。
今日紹介する Acadia 製薬からの論文は、IGF-1から切り出されて作用することがわかっているトリペプチド(グリシンープロリンーグルタミン:Trofinetide)の第3相治験論文で、6月8日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Trofinetide for the treatment of Rett syndrome: a randomized phase 3 study(Rett症候群治療のためのTrofinetide:無作為化第3相治験)」だ。
治験では5歳から20歳までのRett症候群の患者さんを無作為にtrofinetide群93人と、偽薬群94人にわけ、Trofinetidを12週間毎日経口投与、12週目の症状を総合的に偽薬群と比較して、評価を行っている。
結果はおそらく期待以上で、年齢を問わず、12週目で偽薬群と比べ、運動機能、知能、反復運動など様々な指標でtrofinetid投与群は症状の悪化をかなり止めることが出来る。
年齢で分けてみると、介護者によるスコアは若いほど効果が見られるが、臨床医による診断では年齢を問わず進行を止められているので、期待が大きい。
また障害度が高いほど、効果がはっきりするので、この点も既に発症した患者さんへの治療としては期待できる。
一方、ほとんどの患者さんで下痢がみられ、またかなりの割合に嘔吐も見られる。ただ、重篤な副作用ではなく、マネージ可能であると結論している。
以上、経口投与出来る点も含めて、大きな進展だと思う。一方で、IGF-1は正常細胞にも一定の影響が考えられるので、長期投与で新しい副作用が出るのかは今後の課題になる。これに、BDNFの方も合わさってくると、Rett症候群のマネージメントは大きく変わるように思う。
2023年6月12日
我々を襲う細菌も、生物として様々な外敵に晒されており、これに対応するための様々なメカニズムを進化させている。ウイルスやプラスミドに対するCRISPRシステムは最適の例だが、物理的あるいは化学的に自らを守り、また相手を攻めるバイオフィルム形成も重要なメカニズムになる。
その例が強い腸炎をおこすコレラ菌で、小腸上皮にとりついて組織に侵入するために形成されるバイオフィルムについては詳しい研究が行われてきた。今日紹介するスイス・バーゼル大学からの論文は、組織に侵入した後のコレラ菌がマクロファージやT細胞表面でバイオフィルムを形成し、免疫細胞を殺すプロセスを詳しく解析した研究で、6月8日号 Cell に掲載された。タイトルは「Biofilm formation on human immune cells is a multicellular predation strategy of Vibrio cholerae(人間の免疫細胞上でのバイオフィルム形成はコレラ菌の捕食戦略)」だ。
コレラ菌のバイオロジーの論文を読むことはほとんどないが、バイオフィルム形成については詳しく研究されてきていることがわかる。そして、ガラス表面で形成されるバイオフィルムと、腸上皮で形成されるバイオフィルムでは全くメカニズムが異なっていることも、この論文を読んで学ぶことが出来た。
この研究ではコレラ菌が組織に侵入した後まず起こる免疫細胞との相互作用にバイオフィルム形成が関わるか、試験管内でコレラ菌と様々な免疫細胞を混合して免疫細胞上でバイオフィルム形成が起こるかを調べている。
結果は、好中球からリンパ球、そしてマクロファージまで細胞周囲にバイオフィルムが形成され、細胞が死に始めると、バイオフィルムが解消してコレラ菌が細胞から離れることを確認している。特にマクロファージでは分厚いフィルムが形成されるので、その後はマクロファージを用いて研究を進めている。
コレラ菌ともなると、実に様々なノックアウト系統が出来ており、これを組みあわせるとバイオフィルム形成に必要な分子のリストができる。その結果、腸上皮でのバイオフィルム形成に必要なシステムとは全く異なるメカニズムが明らかになった。
コレラ菌には長い鞭毛と、2種類の線毛(TC線毛、MSHA線毛)が存在するが、マクロファージ上でバイオフィルムが形成されるためには、まず鞭毛で動き回ってマクロファージに接触し、その後は上皮との接着に必要なTC線毛への依存性は低下し、よりMSHA線毛に強く依存してマクロファージに接着し、その結果MSHA線毛が全体に分布し、TC線毛由来分子がマクロファージ細胞膜に近い層に濃縮したバイオフィルムを形成される。
詳細は省いているが、ここまでの解析が圧巻で、バイオフィルム形成の多様性を獲得することで、コレラ菌が新しい生活サイクルを開拓していったことがよくわかる。
後は、バイオフィルムがマクロファージにへもリジンと呼ばれるトキシンで穴を開けて殺す時、マクロファージ膜へと濃縮するのにマトリックスが関わること、細胞が死んだ後はGpC受容体シグナルを低下させて、マトリックスから離れること、そしてこれら一連の機能は上皮と相互作用して組織侵入した後でも十分発揮できることが示されている。
バイオフィルムは慢性感染を理解するときの鍵になる。その意味で、今回のようなバイオフィルムから見た細菌の生活サイクル解明が、慢性感染を引き起こす細菌でも明らかにすることが重要だと思う。
2023年6月11日
グリオーマは様々なタイプに分かれ、その中のグリオブラストーマは10年生存率が2.6%と最悪の腫瘍と言える。従来グリオーマの分類は、病理診断に基づいていたが、ガンのゲノム研究が進んで、変異遺伝子をベースに分類する事が進んできた。この過程で浮かび上がってきたのが isocitrate dehydrogenase 1 or 2酵素の変異を持つグループで、この中にはグリオブラストーマは含まれない。代わりにこれまでWHO分類でII or IIIとされていた、比較的進行が遅いグループがこれに含まれる事がわかった。
特にWHO group IIは、平均年齢43歳と若い人に多いグリオーマで、10年生存率は62%と高く、低悪性度グリオーマと名付けられているものの、何度も手術を受ける必要があり、また放射線治療と化学療法というアジュバント治療も副作用により生活の質の低下が避けられない。
今日紹介するスローンケッタリング・ガンセンターを中心とする治験グループからの論文はIDH阻害剤による WHO gorupII グリオーマの第3相治験研究で、6月4日号 The New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Vorasidenib in IDH1- or IDH2-Mutant Low-Grade Glioma(IDH1あるいはIDH2変異の低悪性度グリオーマに対するVorasidenib治療)」だ。
経過が長いgroup II グリオーマは手術後再発までの経過観察期間がある。この間のアジュバント治療については議論が続いており、再発が見られるまで待つことも多い。この経過観察期間を利用して、IDH阻害剤の再発抑制効果を調べたのがこの研究だ。
まず、なぜIDHが発ガン遺伝子として機能できるかについて述べておく。IDH本来isocitrateをαketoglutarateへと変換する酵素だが、変異体はαketoglutarateを2-hydroglutarateへと変換してしまい、ketoglutarate依存的ヒストン脱メチル化やDNA 脱メチル化が抑えられてしまう。この結果、代謝や増殖の大きなりプログラムが起こり細胞の増殖を促す。この過程を抑えるのがVorasidenibになる。
ただ、患者さんは治療までに長い経過を経ているので、脱メチル化によるエピジェネティック変化が元に戻らないのではという懸念があった。
これらの懸念を一掃したのがこの治験で、毎日一回の経口投与で、再発までの期間を11ヶ月から28ヶ月まで延長することに成功している。また、再手術などの次の治療を要するまでの期間でみると、偽薬群では17.8ヶ月だったのに対し、3年経っても8割以上の人が次の治療を必要としないことも分かった。すなわち、発症してからもIDH阻害は十分効果があり、エピジェネティックな状態は良い方向に変化させられる事がわかった。
この研究では、大きな効果に押されて、途中で偽薬群の患者さんにもVorasidenibを投与する治療に切り替えている。すなわち、偽薬との大きな差が明らかになったため、人道的な観点から最後まで治験を完遂することは中止している。初期の目的にこだわらず、このような変化が可能になるのは、FDAが柔軟になってきたことを物語る。
副作用については、変異型特異的のようで、重症の副作用は2%以下に抑えられており、間違いなく臨床に使われると思う。今後は手術後の経過観察期に、偽薬なしに何が起こるのかを臨床の現場で確かめることになると思う。おそらく、エピジェネティックな状態の解析など、新しいデータにより、さらに根治に近づく治療が開発できることを願う。