遺伝子変異なしに起こる腫瘍がどのぐらい存在するかわからないが、例えば体全体に腫瘍が広がった後に、急速に収束する神経芽腫などを見ると、稀ではあっても確かに存在しているのではとおもう。ただ、どんな細胞でも様々な遺伝子変異を積み重ねていることを考えると、これを証明することは簡単ではない。
しかし、エピジェネティックな過程を調節する分子をコードする遺伝子変異から始まる腫瘍では、腫瘍増殖のドライバーやガン抑制遺伝子の制御などは全てエピジェネティックに進んでいくと考えられる。その例の一つがグリオーマで、これまで何度も紹介した様にIDH遺伝子の変異により、αケトグルタレートから2ハイドロオキシグルタレート合成が高まり、これがDNA脱メチル化酵素TETの活性を阻害する。結果、様々な領域でDNAメチル化が上昇し、これが細胞の増殖を狂わすことになる。ただIDH遺伝子の変異からグリオーマの発生までのエピジェネティックな過程はまだ解明されていない。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、DNAメチル化によりグリオーマが発生する過程を明らかにした研究で、7月25日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Modeling epigenetic lesions that cause gliomas(グリオーマの原因になるエピジェネティックな異常のモデル)」だ。
グリオーマの研究から、PDGFα受容体(PDGFRA)遺伝子の発現上昇と、CDKN2Aがん抑制遺伝子の発現抑制が一部のグリオーマの増殖を支えていることがわかっており、この研究ではこの変化をエピジェネティックな過程として説明し、再現できるかが問題になる。
まずPDGFRA遺伝子領域のクロマチントポロジー(TAD)、DNAメチル化、そしてTAD形成に重要な働きをするCTCF分子の結合箇所などを、正常グリア細胞とIDH変異グリア細胞で比べると、PDGFRA遺伝子支配エンハンサーの領域を決めている境界に、DNAメチル化される領域が存在し、IDH変異によりこのメチル化の程度が高まり、その結果CTCF結合が消失することを発見する。すなわち、PDGFRA領域の境界が失われて、他の領域のエンハンサーの作用を受ける可能性が示された。
そこでマウスグリア細胞でTAD境界にあるCTCF結合部位をクリスパーでノックアウトすると、PDGFRAの発現が高まり、細胞の増殖性が高まることを示している。また、この時PDGFRA領域に作用を及ぼすエンハンサーについても特定し、これをノックアウトすると領域境界のCTCF結合が失われても、細胞の増殖には変化が起こらない。
次にCDKN2Aガン抑制遺伝子プロモーターを、Cas9にDNAメチル化酵素活性を付与した分子を用いてメチル化すると、発現がシャットオフされ、細胞の増殖が亢進することを確認している。そして、この二つの要因を遺伝的に組み合わせると、グリオーマと同じ様な増殖様態を示す腫瘍が発生することを示している。
以上が結果だが、マウスとヒトのPDGFRA領域のトポロジーは極めて似ているが、境界を決めるCTCF結合領域のメチル化されるCpG領域の密度が、ヒトではマウスと比べ極めて高い。すなわち、メチル化されやすいことから、CTCF結合が失われやすく、その結果グリオーマの発生リスクが高い。なぜこの様な違いがあるのかだが、発生過程で同じCTCF結合場所をDNAメチル化制御でずらすことで、グリア細胞の増殖を調節している可能性を示唆している。
以上が結果で、グリオーマを支える増殖機構のエピジェネティックスを見事に説明した面白い研究だ。