2024年6月30日
昨日に続き、ゲノム編集の新しいテクノロジーについて紹介する。
特定の遺伝子をノックアウトしたり、エピジェネティックに抑制したり、あるいは塩基を編集したりする技術の進歩は、プリオン病すら治療可能になることを示した昨日紹介した論文からもわかってもらえると思う(https://aasj.jp/news/watch/24723)。しかし、今も困難なのは、遺伝子の特定の場所に新しい遺伝子を組み換える技術だ。例えば広く使われている Cre組み替え酵素は、前もって LoxP配列を組み替える場所に挿入しておく必要があり、また新しい遺伝子に効率に置き換えるのは難しい。現在行われるのは、CRISPR-Casでゲノムの特定部分を切断し、あとは細胞の修復メカニズムを用いて遺伝子を組み換えることが行われるが、Cre組み替え酵素のような一つの酵素で反応を起こすことは難しかった。
今日紹介するカリフォルニア大学バークレー校からの論文は、細菌に存在する可動遺伝因子の一つのタイプの研究から、ゲノム標的部位と、組み替えたい遺伝子をノンコーディングRNA でつないで組み替えを起こす IS110 の研究から、標的サイトをプログラムでき、IS110 がコードしている一つの酵素で組み替えが可能なシステムの開発研究で、6月26日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Bridge RNAs direct programmable recombination of target and donor DNA(ブリッジRNA による標的とドナーDNA のプログラム可能な組み替え)」だ。(なおこれから説明するプロセスをクライオ電顕で解析した論文が同じ号に東大の西増さんの研究室から発表されている)。
IS110 はトランスポゾンの一つで、ゲノムから離れて新しいサイトに挿入する能力がある。ただ、これまで知られているトランスポゾンと異なり、トランスポゾン両端から転写されたノンコーディングRNA を標的とのブリッジに使っていることを発見し、ノンコーディングRNA が形成する2つのヘアピンループの5‘側が標的と結合する配列を持っており、3’側がトランスポゾン自身と結合することを明らかにする。
元々トランスポゾンとしてはホストに入りやすい配列をノンコーディングRNA に組み込んでいるが、この研究ではこの配列を自由に書き換えられるか調べている。このために、ノンコーディングRNA をコードする部位(以後ブリッジRNA)と、トランスポゼース酵素を切り離し、ガイドRNA を標的に会わせてリプログラム可能か調べ、期待通り特定の標的に特異的に遺伝子を組み換えることができることを示している。その上で、プログラム可能なブリッジRNA とトランスポゼースがセットになったプラスミドと、組み替えたい遺伝子と、ブリッジRNA と結合できるドナー配列を組み込んだプラスミドを同時に導入することで、大腸菌の特定の部位に遺伝子を高い効率で挿入できることを示している。
このシステムをさらにリファインする目的で、遺伝子ドナーと結合するブリッジRNA の配列をさらに至適化して、効率の高い組み替えシステムを作成している。
以上が結果で、遺伝子組み換えに必要なシグナル配列を、組み替えるホストとドナーの配列から完全に独立したブリッジRNA が指示できる、これまでなかった新しい組み替えツールが完成した。この研究では、全て細菌やプラスミドを用いた実験による効率測定なので、そのまま我々の細胞にも結果が適用できるかわからないが、CRISPR や Creリコンビナーゼの歴史を見ると、可能性は高いと思う。
しかも、IS110ファミリーは原核生物に広く分布しており、IS110 のサブファミリーだけでもブリッジRNA の構造は多様であるため、遺伝子編集に最適のブリッジを今後探す可能性も高い、というかすでに競争も始まっていることだろう。
このように、例えば培養細胞での遺伝子組み換え技術が格段に高効率化されることは間違いなさそうで、まだまだ細菌から学ぶことが多いことを示した素晴らしい研究だと思う。
2024年6月29日
3次元構造が変化したプリオンタンパク質が正常タンパク質の形を変化させて伝搬するプリオン病は、現在のところ全く治療手段がない。ただ、ノックアウトマウスを用いた研究から、プリオンタンパク質を欠損させると、当然のことながらプリオンの感染、伝搬は起こらないことが確認されている。従って、現在考えられる唯一の治療法は、脳細胞でのプリオンタンパク質の発現を止めてしまって、神経細胞死を防ぐ方法で、アンチセンスRNA を用いる方法が開発されている。
ただ、アンチセンス法は効率が高くなく、また繰り返し投与が必要なため、ゲノム遺伝子を標的にする方法の開発が進められていた。今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文は、プリオン遺伝子のプロモーター部分にメチル基を導入し、長期的遺伝子抑制を行うための開発研究で、困難な目標を掲げて徹底して技術を研ぎ澄ませ、将来広い分野での応用を目指しており、感心した。タイトルは「Brainwide silencing of prion protein by AAV-mediated delivery of an engineered compact epigenetic editor(遺伝子操作したコンパクトなエピジェネティック編集装置をアデノ随伴ウイルスベクターで脳全体に感染させプリオンタンパク質の遺伝子発現を抑制する)」だ。
CRISPR が開発された初期から、これを用いてメチル化酵素を標的遺伝子のプロモーターに結合させ、メチル化による遺伝子発現抑制を行う方法が着想されていた。ただ、これまであまり生体内で用いられた論文がないので不思議に思っていたが、活性型の DNMT3A が細胞毒性が強く、この問題が解決できなかったのと、Cas9 に結合させた DNMT3A遺伝子が効率の良いアデノ随伴ウイルスを使って運ばせるには大きすぎるという問題があったようだ。
そこでこの研究では、神経細胞が発現している DNMT3A を標的遺伝子部位で活性化させるという方法を採用し、そのための徹底的な解析を行っている。実際には標的遺伝子へ結合するタンパク質に DNMT3A活性化に必要な DNMT3L とヒストンリンカーを結合させたコンストラクトを導入して、内因性のDNMT3A を活性化させる基本コンストラクトをまず決定して、それぞれの部分の至適化を徹底的に行っている。詳細は述べないが、リンカーの長さが40アミノ酸の長さが必要とか、DNMT3L はヨーロッパモリアカネズミのものがいいとか、どれだけの可能性をテストしたのかと思わせる、徹底ぶりだ。
こうしてプロモーターをメチル化して抑制できるコンストラクトをいくつか決め、次にアデノ随伴ウイルス (AAV) に収まるサイズにするため、最近開発された分子量の小さな Cas9 や、Zinc Finger分子、TALE分子などの、Cas9 以外のコンストラクトを開発し、これを導入することでプロモーターをメチル化し、遺伝子発現を長期間抑制できることを培養細胞で確認している。
次に、ZincFinger分子を用いたコンストラクトを2種類作成し、マウス静脈から1Kgあたり10兆個ウイルスを投与すると、脳細胞のほとんどでプリオンの合成が長期間抑制されることを確認している。
これだけでも十分なのだが、さらに AAV が細胞質内で増殖して、免疫を誘発したりするのを避けるため、AAV の発現調節部位に、プリオン遺伝子抑制に使う標的を組み込んで、まずプリオン遺伝子を抑制した後、AAV の発現が自己調節できるコンストラクトまで作って、この方法もプリオン抑制に働くことを示している。
以上が結果で、実際にプリオン感染実験を防げるかどうかは次の課題になっており、近いうちに報告されるだろう。
私が驚くのは、この方法がプリオン病で使えるということは、他の病気にも使えるということで、アルツハイマー病、パーキンソン病、さらにはハンチントン病など、多くの変性疾患で利用できる可能性がある。もちろん、コンパクトなサイレンサーなので、例えば MECP2重複症など遺伝病の治療にも使える大きな可能性を持っている。最初に大きな目標を掲げ、細部にわたる徹底的な開発が行われたプロの技術で、期待する。
2024年6月28日
細胞の死に方の多様性にはいつも驚かされる。回りに影響がないようひっそりと細胞死が進行し、マクロファージにより処理されるアポトーシスから、元々炎症と深く関わり、細胞膜に大きな穴を開けて、細胞内の様々なメディエーターを放出して周囲組織を組織化するピロトーシスまで存在しており、そのメカニズムの精緻さに驚かされる。
今日紹介するワシントン大学からの論文は、炎症により誘発されるピロトーシス進行中の細胞から分泌されるこれまで記載されなかったメディエーターを探索する研究で、6月26日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Oxylipins and metabolites from pyroptotic cells act as promoters of tissue repair(ピロトーシス細胞から分泌されるオキシリピンと代謝物が組織修復を誘導する)」だ。
ここでピロトーシスのおさらいをしておこう。ピロトーシスは3段階から構成されている。まず、細菌など炎症誘導物質により TLR をはじめ様々な経路を介して、細胞内にインフラマゾームを形成する過程と、インフラマゾームによるカスパーゼの活性化、そしてカスパーゼによるガスデルミン切断を介する細胞膜上の大きな穴の形成と、カスパーゼによる IL-1β など炎症メディエーターの活性化と分泌だ。要するに、細胞を殺すとともに、炎症シグナルをさらに増幅する用設計されている。
ただ、IL-1β 以外にもピロトーシスから分泌されるメディエーターが存在するのではないかと、探索が続けられていた。この研究ではガスデルミン(GSD)活性化による細胞膜の孔は形成されても、IL-1β の活性化が起こらないマクロファージを刺激してピロトーシスを誘導したときに、培養上清に分泌されるメディエーターをクラシカルな方法で探索している。
ピロトーシスを誘導したマクロファージの上清を活性化前のマクロファージに添加すると、期待通り多くの遺伝子発現の変化が起こる。特に、細胞の増殖、移動、そして組織修復に関わる遺伝子の発現が高まる。すなわち、IL-1β 以外のメディエーターが存在する。一方、メディエーター分泌悦が活性化されたマクロファージでは脂質代謝、特にプロスタグランジンなどのオキシリピン合成経路が高まっていることも確認している。
熱を加える試験などから、このメディエーターはタンパク質ではないと確認してから、網羅的脂質検索を行い、期待通りプロスタグランディンE2 (PGE2) を含むオキシリピンが分泌されていることを発見する。また、PGE2 合成経路に焦点を当てた阻害実験から、PGE2 などのオキシリピンは、炎症刺激により新たに合成されることを明らかにし、IL-1β 以外にも、まさに炎症のメディエータの本流ともいえる PGE2 などがピロトーシスに関わっていることを明らかにする。
次に、皮膚損傷治癒過程にピロトーシス上清を添加する実験を行い、修復速度が促進すること、この過程に上清で刺激された白血球から分泌される IL-27 が関与することを明らかにしている。しかし、PGE2 は損傷治癒促進効果の 50% を説明できるだけで、おそらく細胞内から分泌される他の代謝物も関わっていると考えられる。事実、残りの効果は、ただ細胞が死んでしまうネクローシス細胞からでる上清でも検出できることから、様々な代謝物が合わさって、PGE2 と協力すると結論している。
最終的に PGE2 以外のメディエーターについては特定できずに終わっているが、凝った実験系を用いてオキシリピンがピロトーシスのメディエーターの一つであることを明らかにしたことは重要だと思う。
2024年6月27日
初期胚では、内部細胞塊が多能性を有しており、それを取り巻く原始内胚葉は卵黄嚢へと分化するとされてきた。しかし、例えばカンガルーでは内部細胞塊が存在せず、栄養膜に連結して上皮が存在するだけという話が聞いたことがある。このように、初期胚ではどこまでが不可逆的分化が進んでおり、どこまでが可塑性があるのかなかなか線を引きにくい。
今日紹介するコペンハーゲン大学からの論文は、試験管内で誘導した胚盤胞の原始内胚葉が、栄養膜外胚葉、エピブラスト、そして原始内胚葉の全ての胚成分を供給できることを示し、特定の条件で培養した nEnd と名付けた原始内胚葉細胞を新しい多能性肝細胞として利用できることを示した研究で、6月21日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「The primitive endoderm supports lineage plasticity to enable regulative development(原始内胚葉は分化の可塑性を維持し調節的発生が可能)」だ。
この研究では、試験管内での胚発生時に、原始内胚葉を強く誘導する FGF4 シグナルで刺激し、発生してきた内部細胞塊に期待通り多くの原始内胚葉が存在し、しかも栄養膜外胚葉を除去して培養を続けると、また新たな栄養膜外胚葉を備えた胚盤胞を形成し、マウスに戻すと正常に発生することを発見する。ところが、エピブラスト優位の胚盤胞を誘導した場合、栄養膜外胚葉を外すと、新たに胚盤胞は形成されない。
この事実は、原始内胚葉は全ての胚成分へと新たに分化できるが、エピブラストでは分化が制限されているという結果を示している。この発見が研究のハイライトで、あとはこの全能性の原始内胚葉が成立する条件、そしてその性質について、分子マーカーで標識できる原始内胚葉培養 (nEnd) を用いて調べている。
面白いのは原始内胚葉を平面的に培養していると、Sox2 や Oct4 を発現する塊が発生し、これを V ボトムシャーレで培養すると、胚盤胞ができる点で、培養した細胞は標識から原始内胚葉であることは確認できるので、原始内胚葉が多能性へと変化する可塑性を維持していることがわかる。
あとは、この多能性を新たに獲得した原始内胚葉が、Oct4 主導で多能性プログラムを新たに誘導する転写メカニズムを解析し、初期胚段階では Oct4 が多能性のプログラムを開く一種のパイオニア因子のような働きをしていること、そして PDGFRα陽性の原始内胚葉が Oct4 を発現してダブルポジティブになったあと、Oct4単独陽性のエピブラストへと分化する経路を明らかにして、この可塑性が、エンハンサーの利用可能性の可塑性と相関していることを示している。すなわち、原始内胚葉は一見分化が進んだように見えても、クロマチンレベルでは過疎的な構造をしており、Oct4 のようなパイオニア因子の働きで、自然に iPS細胞のようなリプログラムが起こっていることを示している。
エンハンサーを調べると、まさにこのような可塑性の標識として知られていた染色体構造が検出され、面白いのだが専門的なので割愛するが、これまで iPS細胞やES細胞で語られてきた様々なメカニズムが全て表現されている面白い状態が現実に存在していることに驚く。
結果は以上で、エピブラストだけでなく、原始内胚葉からも完全な胚を作れること自体が面白いが、ここまで解析が進むと、新しい多能性細胞として利用できる可能性もある。また、分化決定ではクロマチンの可塑性とそれを調節するパイオニア因子の関係を改めて学ぶことができるし、さらにはカンガルーのような内部細胞塊のない胞胚期も理解できるような気がしてくる、面白い論文だった。
この論文の責任著者は Josh Brichman で、個人的にも親交が深く、カエルの gastrulation を研究していた頃から、マウスやヒトの多能性を研究している現在までずっとフォローしているが、素晴らしい研究を展開していると思う。
2024年6月26日
乳ガンは骨髄や脳に転移しやすいが、一般的に脳転移と呼ばれている中には、血管から脳実質にに移行して増殖する場合と、脳や脊髄の軟髄膜組織で増殖する場合がある。後者は脳脊髄液の流れを阻害するので、強い頭痛や吐き気など、多彩な症状が現れる。
この軟髄膜転移は脈絡叢から起こるとされてきたが、今日紹介するデユーク大学からの論文は、頭蓋骨や脊髄から脳へつながる導出血管の血管外スペースを通って起こる可能性を示した研究で、6月21日 Science に掲載された。タイトルは「Breast cancer exploits neural signaling pathways for bone-to-meninges metastasis(乳ガンは神経系のシグナルを使って骨から髄膜へ転移する)」だ。
この研究では軟髄膜転移は単独で起こることはほとんどなく、脊椎や頭蓋の骨髄転移に続いて起こることから、骨と脳を結合する導出血管を通っているのではと着想し、血中に投与したあと軟髄膜へ転移した乳ガン細胞を、マウスへの投与を繰り返すことで、100%軟髄膜転移する乳ガン細胞株を樹立している。
この細胞株を血中に投与して転移までの過程を調べると、まず血管を通って髄膜転移するルートにはほとんどガン細胞は存在しない。しかし、骨髄転移したあと、血管外へ移動し、導出血管の外膜スペースを通って軟髄膜へ転移することを組織学的に確認している。この結果、マウスは軟髄膜転移症状が強く表れる。
しかし、このような不自然なルートをわざわざたどるためには、特別のメカニズムが存在するはずで、この研究では導出血管壁を通る移動のメカニズム、そして軟髄膜で増殖するメカニズムにつて順番に研究している。
まず移動についてだが、移動ルートにラミニンが存在することを手がかりに、ガン細胞がラミニン受容体の α6インテグリンを強く発現し、これをノックアウトすると軟髄膜転移が強く抑制されること、また軟髄膜転移しない α6インテグリン発現がない乳ガンに α6インテグリンを発現させると軟髄膜転移が起こることを明らかにしている。
次に軟髄膜での増殖だが、軟髄膜転移する細胞が NCAM1 か NCAM2 を強く発現しており、また NCAM をノックアウトすると軟髄膜まで移動しても増殖しないので、NCAM を刺激できる GDNF を髄膜局所で調達して増殖すると着想している。
そして、髄膜で GDNF を発現している細胞を探索すると、M-CSF 受容体を発現するマクロファージが軟髄膜に接して存在し、これがガン細胞と相互作用をすることで GDNF を強く発現することを発見する。組織学的にも、軟髄膜転移した細胞のほとんどはマクロファージに近接して増殖している。
そこで、M-CSF 受容体を発現する細胞で GDNFノックアウトを行い、そのマウスに乳ガン細胞を投与すると、軟髄膜転位症状の発生が抑制できることを示している。
最後に軟髄膜転移した臨床例を調べ、ガンが α6インテグリンと NCAM を発現し、また髄膜のマクロファージにより GDNF が周辺のマトリックスへ分泌、保持されていることを確認し、人間でも同じメカニズムが働いていることを示している。
結果は以上で、症状が強く、予後の悪い軟髄膜転移を防いだり、治療するための大きな手がかりになる研究だと思う。
2024年6月25日
今日は The New England Journal of Medicine に掲載されていた2編の臨床研究を紹介する。
最初は6月21日号にカリフォルニア大学サンディエゴ校を中心とする国際的共同治験研究で、閉塞型睡眠時無呼吸症候群の治療に、今ブレーク中の GLP-1 / GIP 刺激ペプチド Tirzepatide を投与する第3相治験だ。タイトルは「Tirzepatide for the Treatment of Obstructive Sleep Apnea and Obesity (睡眠時無呼吸症候群と肥満に対する Tirzepatide の効果)」だ。
呼吸中枢は正常でも睡眠中に気道が閉塞して長い時間無呼吸が続く病気が、閉塞性睡眠時無呼吸症候群で、世界中で9億人の患者さんがいると言われている。現在唯一存在する治療法は CPAP と呼ばれる機械的に空気を送り込む治療が行われているが、無呼吸症候群の心血管系へのリスク軽減には寄与しないという研究結果がある。
患者さんの多くは肥満を伴うことが多く、また BMI が高いとこの病気の頻度が上がることから、この治験では BMI30 以上の患者さんを選んで、抗肥満薬としてもブレークしている Tirzepatide 投与で、肥満とともに睡眠時無呼吸が改善するか1年間経過を見ている。これは偽薬群を設定した完全無作為化治験で、ほぼ全ての人で肥満が改善するとともに、無呼吸発作が起こる割合が1時間あたり30回近く減少したことが示されている。
結果は以上で、要するに肥満をTirzepatideで治療すれば、睡眠時無呼吸症候群も治療できるという話で、この領域の広がりを感じさせる。おそらく希望者には我が国でも処方されるようになるだろう。
次のハーバード大学を中心とする米国、コロンビア、ドイツからの共同研究は、以前同じグループから症例報告された(https://aasj.jp/news/watch/11677)APOE クライストチャーチ変異のアルツハイマー病 (AD) 予防効果についての研究で、タイトルは「APOE3 Christchurch Heterozygosity and Autosomal Dominant Alzheimer’s Disease(APOE3 クライストチャーチ変異ヘテロとアルツハイマー病ドミナント遺伝変異の組み合わせ)」だ。
前回紹介した研究では APOE3 クライストチャーチ変異が両方の染色体に存在すると、家族性アルツハイマー遺伝子プレセニリン1によって脳にアミロイドがたまっても AD を発症しないことが報告された。
この研究では、片方の染色体にだけクライストチャーチ変異がある場合、プレセニリン1変異によるアルツハイマー病を防げるかどうかを、この遺伝型を持つ人を集めて調べている。
プレセニリン1変異、およびクライストチャーチ変異がそれぞれヘテロで合わさった人が27人見つかっている。これらの方々の経過を追跡すると、クライストチャーチ変異を持つ場合、ヘテロであっても発症が5年近く遅れる。ただ、一旦発症すると認知異常は進行するようで、ホモで変異がそろう場合のように、病気を完全に抑えることは難しい。
しかし、PET で Tau 変異の程度は抑えられており、死後の病理検査で同じことが確認されるので、アミロイド β 蓄積から Tau 異常症への移行を研究するためには、ヘテロ患者さんからも重要な情報が得られることは間違いない。
2024年6月24日
年齢とともにY染色体を喪失した血液細胞が増加して、この頻度が様々な疾患リスクや余命と相関することが知られている。これは、このブログで何度も紹介したクローン性血液増殖がY染色体を喪失した幹細胞で起こりやすいことを示している。
今日紹介する米国 Broad 研究所、フィンランド分子医学研究所、英国 MRC 、そして米国 NIH を中心に世界のゲノムデータベースが集まって発表した論文は、同じような性染色体の喪失がX染色体でも年齢とともに見られ、同じようにクローン性増殖を反映しているが、メカニズムはY染色体喪失とは異なることを示した研究で、6月12日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Genetic drivers and cellular selection of female mosaic X chromosome loss(女性の X 染色体喪失モザイク発生に関わる遺伝的原因と細胞レベルの選択)」だ。
一本しか存在しない Y 染色体喪失と比べると、2本ある X 染色体の喪失をゲノム解析データだけから特定するのは難しい。しかし、インフォーマティックスを駆使して、2本の染色体を区別して頻度を調べることで、片方の染色体が喪失することで起こる細胞レベルの増殖優位性による変化を特定できる。
この研究では世界中のデータベースから90万人近くの女性のデータを集め、X 染色体喪失が起こった細胞が血液に存在する可能性を調べると、なんと12%の女性で X 染色体喪失が見られ、その頻度は40歳以下では3%、80歳を超えると35%と、年齢とともに増加する。
生活習慣との相関を調べると、肥満との相関はないが、喫煙とは相関を認めている。そして、Y 染色体喪失と同じく、白血病の発生リスクと相関する。
さて、これだけ高い頻度で X 染色体喪失が検出できると、起こりやすいゲノム多型を調べることができる。この研究では実に56種類の相関するゲノム多型を特定している。これらは、1)白血病のリスクに関わる多型、2)分裂時の染色体分離異常に関わる多型、そして 3)免疫異常に関わる多型の3種類に分類できる。1)は血液細胞の増殖を反映し、2)は染色体喪失事態の起こりやすさを反映し、3)は免疫反応に伴うリンパ球の数の変化を反映すると考えられる。
面白いのは、この56種類のうち7種類しか Y 染色体喪失の頻度を上げる多型と相関していない点だ。例えば、HLA は免疫反応を通して細胞増殖の変化を反映すると考えられるが、X 染色体喪失と強く関わるのに、Y 染色体喪失とはほとんど相関しない。他の X 染色体喪失特異的に相関が見られる多型も、免疫反応に関わる遺伝子多型が多く、個人的印象では女性に多い自己免疫疾患発症とメカニズムを共有する可能性がある。
他にも同じ解析から、X 染色体上の多型により片方の染色体へシフトが起こる可能性についても調べ、細胞増殖や、染色体分離といった現象に関わる多型とは全くことなる、セントロメアを中心に分布する多型が強く相関することを発見している。すなわち、分裂糸の形成や染色体への結合に関わる多型が、X 染色体喪失のしやすさの指標となることが明らかになった。
主な結果は以上で、Y 染色体喪失だけでなく、X 染色体喪失も老化の指標として使えることが明らかになるとともに、共通のメカニズムもあるが、X 染色体喪失に関わる特有のメカニズムが存在し、それが女性特有の病気とも関わることが明らかにした、面白い研究だ。
2024年6月23日
我が国は地理的にも災害列島といえるが、この災害を「絆」を合い言葉に皆で寄り添うことで克服してきた。しかし、災害は生きるための資源を極端に減少させるので、少なくなった資源を奪い合う競争が起こる可能性がある。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、プエルトリコの小さな離島に住むサルがハリケーンのあと寄り添って暮らすようになったことを10年にわたる観察で示した研究で、6月21日号 Science に掲載された。タイトルは「Ecological disturbance alters the adaptive benefits of social ties(生態系の混乱は社会的絆の適応的価値を変化させる)」だ。
このグループは2013年から Santiago島とよばれる小島で暮らすサルの生態調査を行っていた。そしてその途中2018年、この小島をハリケーン・マリアが襲った。これによりプエルトリコでは人的・経済的な被害が発生するが、Santiago島でも63%の植物が失われることで、直射日光を避ける日陰が極端に減少することになる。その結果、Santiago島は日40度を超す灼熱の島に変わってしまい、熱調節機能が低いサルにとって、日中直射日光を避ける日陰で暮らす以外生き残れないという状況が生まれる。実際ハリケーン前後で温度を測ると、直射日光下で29度が39度と10度も上昇している。一方日陰では、27度が31度と、上昇はしているものの押さえられているのがわかる。この研究ではこの機会を捉えて、サルが日陰を求めてどのような行動変化を示すのかを、ハリケーン前後の行動変化、特に日陰を求めて争いが増えたのか、逆に寄り添うことで日陰を分かち合う社会的寛容性が芽生えたのかについて調べている。
さて結果だが、ハリケーン後社会的なネットワークがより強化され、ハリケーン前より他の個体と一緒に寄り添って過ごす頻度が増えた。これと平行して、個体間の争いが大きく減少し、これがハリケーン後現在まで続いている。
さらに、灼熱の島へと変化したにもかかわらず、サルの死亡率は低下していることも明らかになった。すなわち、争いを避け、絆を深めることが灼熱の島で生存する条件だったことがわかった。
あとは、この絆の深まりは、毛繕いの増加を示すわけではないので、新しい絆行動として発生した行動変化で、日中少ない木陰で寄り添って過ごすという行動から、もっぱら木陰を共有する新しい適応行動が発生したことがわかる。
あとは、行動変化と様々な要因と生存確率との相関を計算し、最終的に影を分け合うためより絆を深めるという行動が、生存可能性と最も相関することを示している。
以上が結果で、こうして深まった絆を道徳と呼ぶことはできないとおもうが、それでも我々人間の道徳の起源に関わることは間違いなく、今度は行動の背景になった脳機能についても研究が進むことを期待する。
この論文を読みながら、今年3月、Bonobo and Atheist (邦題:道徳の起源)の著者 Frans de Waal さんが亡くなったことを思い出した。個人的には存じ上げないが、論文や著作はいつも感心する一人で、この論文のように彼の遺志を継ぐ研究が続いているのには励まされる。
2024年6月22日
PD-1 抗体によるチェックポイント治療の成功は、ガンに対する免疫がかなりの割合で成立しており、この反応が PD-1 により低下するのを防ぐことで、免疫を維持できることを示した。一方で、治療に全く反応を示さない人、さらには反応しても途中で抗体が効かなくなる患者さんがいる。前者は免疫が成立していない可能性があるので、ワクチンなど免疫を成立させる必要がある。一方、一度は反応する患者さんでは、レベルはともかくガン免疫は成立していたのに、PD-1 だけでは免疫を維持できないと考えられる。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、PD-1 抗体が効かなくなった人の中には JAK 阻害剤を併用することでガン免疫を再活性させられることを臨床例で示した研究で、6月21日号 Science に掲載された。タイトルは「Combined JAK inhibition and PD-1 immunotherapy for non–small cell lung cancer patients(非小細胞性肺ガンの JAK 阻害と PD-1 抗体の組み合わせ治療)」だ。
2日前に紹介した肥満パラドックスでもわかるように、炎症、特に1型インターフェロン(IFN1)による慢性炎症はガン免疫を低下させることが知られていた。そこで、IFN1 を阻害する、IFN1 に対する抗体、あるいは JAK 阻害剤を PD-1 抗体と併用する実験を行うと、期待通りガン免疫を高めることがわかった。
JAK 阻害剤はすでに認可され臨床で使われているので、そのまま非小細胞性肺ガン患者さん21人の治験に移行している。対照を置く研究ではなく、21例全員、まず6週間、PD-1 抗体のみで治療して、反応を調べ、その後6週間、PD-1 抗体と JAK 阻害剤の併用治療を行い、そのあとは PD-1 抗体単独投与で経過を見ている。
このプロトコルで調べると、PD-1 抗体単独で十分な反応が得られた患者さん、PD-1 抗体単独では反応が悪かったが JAK 阻害剤との併用でガンを抑えることができた患者さん、そしてどちらにも反応できなかった患者さんの3群に分けることができる。
そこで、PD-1 単独に反応した患者さん、反応できなかった患者さんを比べると、反応した患者さん Ki67 陽性の増殖キラー細胞が増加していることがわかった。ただ、7割近くの患者さんではこの増加が観察できず、臨床的にも反応が見られない。ここに JAK 阻害剤が加わると、3割以上の患者さんでガンの抑制が見られる様になるが、JAK 阻害剤に反応した人と、反応しなかった人を比べると、未熟な高い分化能を持った CD8T 細胞の増殖が観察され、この細胞から分化したメモリーやキラー細胞が供給されていることがわかった。さらに、これらのT細胞の発現する抗原受容体遺伝子を調べると、ガン抗原に反応したと思われるクローンが増加していることがわかる。
そして、マウスの実験で示されたように、JAK 阻害剤によってT細胞の IFN1 反応系が抑制されていることが確認され、JAK 阻害剤による未熟 CD8T 細胞の増殖は、IFN1 による炎症抑制が重要な要因であることがわかる。
最後に、併用療法に全く反応しなかった患者さんをさらに詳しく調べると、基本的には JAK 阻害剤で炎症が抑えきれなかったことがわかる。
かなり省略して結果を紹介したが、PD-1 抗体単独療法で反応が悪いと思える患者さんも、JAK 阻害剤を後から加えることで、ガンを抑制できることがわかったのは重要ださらに、患者さんの反応をここまで詳しく知れべられると、今後の治療方針や改善点がはっきりした。特に、慢性炎症の関わりをさらに詳しく調べることは重要だと思う。
この研究では、IFN1 による慢性炎症のT細胞への直接効果が調べられているが、同じ号の Science に掲載された Scrips 研究所からの論文ではホジキン病の患者さんでも PD-1 抗体と JAK 阻害剤の併用療法が効果を示すこと、そして腫瘍組織での白血球の浸潤を押さえリンパ球の浸潤を高めることが示されている。従って、JAK 阻害剤はこれまで腫瘍免疫の効果を抑制してきた様々な要因を解決してくれる可能性があることになり、早く大規模な治験を進めてほしい。もちろん、もっと長期の結果は必要だが、理論的には期待できる。
2024年6月21日
大規模言語モデル(LLM)の登場により、私の頭の中はいっぺんに活性化された。もちろんその便利さも一因だが、私の場合 LLM が生命誕生以降の地球の歴史が一つのピークに達したと感じてしまったからだ。というのも、現役を退いてからは、大学では系統的に教えない「無生物から生物の誕生」、そして「言語の誕生」について、自分なりに納得できる説明をまとめ、講義として提供してきた(これらは HP 上の YouTube 配信としても提供している(https://www.youtube.com/watch?v=3F5w2LRmhHY&t=98s)(https://www.youtube.com/watch?v=Hzt0APHhX24&t=8s)(https://www.youtube.com/watch?v=2WUvk2vCGSA&t=333s)ので是非ご覧いただきたい)。それぞれの講義で教えているのは、物理法則とは別の「アルゴリズムと情報」が生命誕生後の地球を理解する鍵になる点だが、まさに生命誕生以降の過程が様々なコンテクストの蓄積として LLM に実現しているという実感を持っている。これに驚かないはずはない。その結果、今、講義を頼まれると、「生命誕生からChatGPT38億年」というタイトルで話をしている。
この講義の中で特に強調しているのが言語の誕生だ。最初の言語はもちろん音と言う物理法則に媒介されているが、それ以外は物性のない情報が地球上に生まれたことを意味する。この物性がないという性質が、全く物性に縛られない現象を記述することを可能にし、結果物理的には存在しない未来を構想し、神や死後の世界に至るまでを記述する宗教など、人類の歴史を作ってきた。
しかし、物性のない現象の記述、見たこともないことを語ることは、LLM でいうハルシネーションに当たる。今日紹介するオックスフォード大学からの論文は LLM で発生するハルシネーション、中でも作話を検出する方法についての研究で、9月19日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Detecting hallucinations in large language models using semantic entropy(大規模言語モデルのハルシネーションを意味論的エントロピーを使って検出する)」だ。
基本的には、様々な検証された question/answer をレファレンスに、LLM から出てきた答えを評価する作業でハルシネーションが起こるかどうかを解析するのだが、手作業でやるわけにはいかないので、答えのセンテンスからハルシネーションを割り出す計算法を開発し、これによりハルシネーションの有無を判断する。すでにこの目的で様々な方法が開発されているが、今回の方法は文章全体を解析するのではなく、文章が示す意味を抽出してその意味が正しいかどうかを調べる、semantic entropy 計算法を開発している。
すなわち、LLM に「エッフェル塔はどこにありますか」と質問すると「パリ」「パリです」「フランスの首都パリです」から「ローマです」まで様々な答えが返ってきて、文章も含めて間違いを計算すると(naïve entropy)と、間違いを正確に確率として計算できなるという問題があり、これをパリ、フランスといった正しい答えだけについての semantic entropy として計算する方法を開発している。
そして、様々な question/answer 集をインプットして分析すると、semantic entropy 法が、これまで開発されたハルシネーション検出法を凌駕したという結果だ。
他にも、GPT4 から21人の記録がある人物の履歴を作成させ、150項目について示された事実が正しいかどうかを調べ直す作業を行って、semantic entropy 法のパーフォーマンスが高いことを示している。
以上が結果で、これにより作話を検出して自動的にフィードバックする仕組みを確立できれば、ハルシネーションを減らすことができるというのが結論になる。
最初に述べたように、文字が生まれるまで言語は物性が希薄な情報で、その場で消えるか、人間のニューラルネットにかろうじて保持できるだけだった。しかし、そのおかげで経験しない現象を語れるようになり、未来、宗教、虚構、ねつ造といった、言語情報特有の世界を開発できてきた。ハルシネーションには、間違ったことを習うことで発生する確信を持った間違いと、学習していないことを答えてしまう間違いに分かれるが、後者が実際には人間を作ってきた気がする。
その意味で、質問を自動的に繰り返すことで、物語や宗教といった壮大なハルシネーションが LLM から発生するかどうかを調べるのも面白い気がする。