2016年4月6日
神経変性疾患での細胞死のメカニズムは、最初プリオンのような異常タンパク質の沈殿による細胞内の過程に注目して研究が始まった。その後、ALSを中心に、異常タンパク質によるERストレス等によって活性化されたグリア細胞から分泌される炎症物質により神経細胞が障害されるというメカニズムに注目が集まっているようになっている。素人から見ると、神経内因性のメカニズムから、外因性のメカニズムへのシフトが起こってきているように思う。
今日紹介するハーバード大学からの論文はシナプス剪定メカニズムとして最近注目されてきた補体がアルツハイマー病に関わる可能性を示した研究でScienceオンラン版に掲載された。タイトルは「Complement and microglia mediate early synapse loss in Alzheimer mouse models (アルツハイマーマウスモデルでのシナプス消失は補体とミクログリアを介している)」だ。
覚えておられるかもしれないが、今年1月31日補体によるシナプス剪定がうまくいかないことで統合失調症が起こることを示したNature論文を紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/4790)。このように発生過程では。過剰に形成されたシナプスは補体の働きにより剪定され、必要なシナプスだけが選択されることは認められるようになっていたようだ。
同じメカニズムが逆に異常なシナプス損失に寄与しているのではと着想し、マウスモデルで確かめたのがこの研究で、家族性アルツハイマー病の患者さんで見つかった突然変異型アミロイドAβを海馬で発現するマウスがモデルとして用いられている。このマウスでは生後1ヶ月ぐらいからシナプスが急速に減り始めるが、海馬を詳しく調べると、生後1ヶ月ぐらいから補体のレベルが上昇し、C1q補体因子がシナプスに濃縮していることを見つけた。あとはこれを手掛かりに、何が補体カスケードを活性化させるのか、最終的にシナプスが失われるメカニズムは何かを調べている。詳細を省いてこの研究から見えてきたシナリオだけをまとめると次のようになる。
重合によりアミロイドAβ分子がシナプスに沈殿し始めると、これが直接C1qを活性化、シナプスにC1qにより活性化された補体成分C3が沈着する。次にこれを標的にミクログリア細胞が集まり、シナプスを飲み込む。これによりシナプスが失われ、アルツハイマー病が進行するというシナリオだ。また、ノックアウトマウスや、補体に対する抗体処理を使った実験も行い、このパスウェイに補体が絡んでいることを直接証明している。全てマウスモデルの話だが、わかりやすいシンプルなシナリオだ。
もし慢性的に進むアルツハイマー病でも同じような補体依存性のシナプス喪失が見られるなら、補体や補体依存性のミクログリア反応がアルツハイマー病の治療標的として使えることを示唆している。統合失調症、アルツハイマー病と来て、次はどの病気で補体との関連が指摘されるのか、興味を持って見守っている。
2016年4月5日
Alan Spradlingはショウジョウバエの生殖細胞の発生をモデルとして、独自の幹細胞研究を続けており、マウスやヒトにも共通の多くの重要なメカニズムを発見してきた。もちろん国際幹細胞学会が発足した時ボードの一人に加わり、7年一緒に活動して私自身も学ぶところが多かった。その彼がマウスの卵子についての論文を4月1日号のサイエンスに発表した。読んでみると、様々な種の生殖細胞に精通した彼ならではの視点でマウス卵子を眺め、私には考も及ばなかった発見をしているので紹介することにした。タイトルは「Mouse oocytes differentiate through organelle enrichment from sister cyst germ cells (マウス卵子は姉妹シスト生殖細胞からオルガネラを集めて分化する)」だ。
精子発生の最後の過程で細胞質の連絡を保ったまま分裂を繰り返すことは知っていたが、恥ずかしいことにこの論文を読むまで卵巣内の卵子形成初期過程で細胞質が連絡した一連の姉妹卵子がまず形成されることは全く知らなかった。この研究では、一個の幹細胞をラベルする遺伝的方法を用いて、同じ細胞由来の姉妹卵子集団を生後4日ぐらいまで追跡している。この姉妹集団ではそれぞれの細胞はリングカナルと呼ばれる構造でつながっているのが、これを免疫染色してそれぞれの姉妹卵子の関係を調べている。最初30近くの細胞から出来ていた集団は徐々に細胞数が減り、生後4日では平均6個程度になり、これが卵子として維持される。この論文ではこの過程での細胞選択がどのように進むのか調べ、驚くべきことに選択過程で、様々なオルガネラ(細胞小器官)が細胞質を通して選択された細胞に移ることを発見した。「驚くべきことに」といっても、これは哺乳動物しか知らない私の感覚で、ほとんどの種の生殖細胞では、姉妹生殖細胞からオルガネラが移行することは当たり前の話だったようで、Alanにとってみれば、マウスで起こっていないのはおかしいと調べ始めたようだ。
この移行にはリングカナルとは別に細胞膜が融合した場所が形成され、この大きな穴を通って、しかも微小管に依存して、中心体、ゴルジ体、ミトコンドリアなどが一方向に移動し、もらった方の細胞ではオルガネラが急速に発達、提供した細胞では核だけを残してやせ細って、最後は消えてしまう。結局、最後の卵胞成熟過程でもそうだが、卵子ができる過程でも、姉妹細胞の犠牲のもと、一定の強い卵子が形成されることになる。プロの視点を実感させる面白い仕事だった。ただ、Alanたちはこの細胞質の移行の最大の目的はノンコーディングRNAを一つの卵子に集中させることで、オルガネラの移行自体は絶対的に必要だとは考えていないようだ。彼はPIWIを最初に発見した研究者だが、このようなノンコーディングRNAによる染色体の再構成は生殖細胞発生に必須の過程だ。そのために、オルガネラも含めた大規模な細胞質の移行を起こす仕組みが種を超えて維持されていると主張している。今後、この主張を取り入れた方法を使わないと、試験管内で卵子をES/iPSから作ることは困難だ。Alanはまた哺乳動物の研究者に新しい課題を示してくれた。脱帽。
2016年4月4日
脊髄損傷に限らず、私たちの組織が損傷を受けると、修復反応が誘導され、組織を元に戻そうとする。ただ、最初にそこに存在した組織の機能を担う細胞を回復できないことが多く、その場所は瘢痕化する。他の組織と違って神経組織では、瘢痕形成にアストロサイトやミクログリアが重要な役割を演じている。とはいえ一旦瘢痕ができてしまうとそれ以上の再生を阻害する。例えば怪我をして皮膚が瘢痕化した場合、正常の皮膚を取り戻すためには瘢痕を切り取って、上皮同士を直接結合させる必要がある。脊髄損傷でも、これまで瘢痕は修復反応として重要だが、神経再生の邪魔になると考え、瘢痕化を抑えて細胞を移植する方法の開発が進んでいた。
今日紹介するカリフォルニア大学ロサンゼルス校からの論文は、瘢痕が神経再生を阻害するとする従来の通説を全く覆し、瘢痕は神経再生を助けることを示唆する論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Astrocyte scar formation aids central nervous system axon regeneration(アストロサイト瘢痕形成は中枢神経系での軸索再生を助ける)」だ。
なぜ通説をもう一度確かめる気になったのか動機はよくわからないが、このグループは脊髄損傷部位へのアストロサイトの浸潤が起こらないマウスモデルを遺伝子操作で作成し、アストロサイト瘢痕がある場合とない場合で、運動神経、感覚神経、自律神経の再生を調べている。用いたモデルマウスでは期待通りアストロサイト瘢痕は全く形成されない。ただ、これまでの通説に反し運動神経、感覚神経の再生は全く誘導されず、神経軸索自体が退縮する。一方。自律神経では退縮は起こらないが、再生も起こらない。同じように古くなったアストロサイト瘢痕を切除して神経再生を見る実験も行っており、切除後アストロサイトの浸潤が起こらないとやはり再生が誘導できない。すなわちアストロサイト瘢痕は再生にとって重要だという結果になる。
しかしよく考えてみると、脊髄損傷の患者さんではアストロサイト瘢痕ができても結局神経再生は起こらない。これに対し著者らは、瘢痕ができるだけではダメで、そこに神経再生因子を加えると初めて再生が起こることを示している。ではアストロサイト瘢痕が神経再生を助けるメカニズムは何か?この点を、脊髄損傷部位の遺伝子発現を瘢痕有無で比較し、確かにこれまでアストロサイト瘢痕の問題として指摘されてきた神経軸索再生を阻害するマトリックスが瘢痕で作られることを確認できるが、それ以上に軸索再生を促進するマトリックスも形成されていることを示して、瘢痕にも重要な機能があると結論している。
実際脊髄損傷の細胞治療は我が国でも始まっているが、導入する細胞は何にしても、この瘢痕の問題をどう考え、どのように対処するのかが今後問われるだろう。理想的なのは、再生を促進するアストロサイトだけを選択的に誘導することだろうが、もし瘢痕の役割が軸索をガイドするマトリックスなら、瘢痕の代わりにマトリックスを損傷部位に移植することも一案だろう。この結果を吉として、早く脊髄損傷の治療を実現してほしい。
2016年4月3日
4月11日18時30分からミトコンドリア病について、患者さんを交えて勉強会を行いAASJチャンネルで放送予定なので(
http://live.nicovideo.jp/watch/lv258204622)是非ご覧いただきたい。
ミトコンドリア病の発症メカニズムを知るためにはミトコンドリアの機能でけでなく、細胞学、生理学、神経科学、発生学など、様々なことを基礎知識として仕入れる必要がある。そのため、患者さんだけでなく医師にとっても理解が難しい病気だ。例えば、好気性呼吸の依存率が高い脳や心臓に障害が出やすいのはよくわかるが、では神経細胞でも障害の程度に差が出るのはどうしてかなどを理解するためには神経科学の理解も必要になる。 したがって、もしミトコンドリア病が理解できれば、かなりの物知りになることは間違いない。
さて、今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、なぜ介在ニューロンがミトコンドリア機能不全で選択的に障害されるかを調べた研究で、昨日に続くミトコンドリア病関係の論文として取り上げることにした。タイトルは「Differential mitochondrial requirements for radialy and non-radially migrating cortical neurons: implications for mitochondrial disorders(皮質神経細胞の移動の仕方でミトコンドリア依存性が違っている:ミトコンドリア異常理解のための示唆)」だ。
ほぼすべてのミトコンドリア病患者さんで何らかの神経症状が見られる。これは脳神経の活動には多くのエネルギーが必要だからだと単純に考えられてきた。しかしこの研究では神経細胞の種類によってミトコンドリア依存性に大きな違いがあるのではないかと仮説を立て、脳発生時に皮質の表層へと放射状に移動する投射神経細胞と、脳内を横切って移動する介在ニューロンの、それぞれの移動のミトコンドリア依存性を比べている。
最初、2種類のニューロン内のミトコンドリアの分布の違いに注目して調べ、移動中の投射ニューロンではミトコンドリアが一定しているのに対し、介在ニューロンでは細胞によって分布が大きく変化していることを発見する。この結果を、介在ニューロンの移動にはより多くのエネルギーが必要であることを反映していると考え、次に好気性呼吸を薬理学的、あるいは遺伝的に阻害して神経細胞の移動がどう変化するか調べている。予想通り、ミトコンドリアからのエネルギー供給が抑制されると、介在ニューロンの移動だけが強く障害される。
結果はこれだけで、ある意味では現象論に終わっていると言える。すなわち、方向性が違うだけで、移動しているという点では同じ神経細胞の間に、どうしてこれだけ大きな違いが生まれるのか、今後研究が必要だろう。この論文では、中心体の位置の変化を調べ、神経細胞が移動中に方向性を定めるための極性を維持するために最もエネルギーを使っているのだろうと結論しているが、これも現象論的解析にとどまっている。
幹細胞研究のおかげで、成人の脳でも細胞の新しい供給が続いていることがわかってきた。とすると、供給時に必要な細胞移動も当然障害される。この研究は、この視点からもう一度ミトコンドリア病の神経異常を見直すことの重要性を示している。
2016年4月2日
4月11日(月曜日)6時半から、ミトコンドリア病の患者さんと、「ミトコンドリア病の勉強会」と題して、この病気についての勉強会をAASJチャンネルで放送する予定だ。ただ、この病気の発症メカニズムは複雑で、ミトコンドリアの生物学から説明する必要があり、わかりやすい放送ができるか少し心配している。
患者さんから聞くと、ミトコンドリア病と診断できる一般医療機関は少なく、今回参加してくれるTさんも30歳を超えるまで正しい診断がつかなかったようだ。事実、ミトコンドリア病の原因となる遺伝子変異は150種類以上あり、症状も多様で、どの遺伝子の変化が病気の原因になるのかを特定するのは簡単ではない。しかし、原因に関わらずミトコンドリアの好気呼吸機構の障害が背景にある。従って、治療にはコエンザイムQなどを用いてミトコンドリア機能をなんとか維持しようと試みられるが、効果は限定的だ。
これに対して今日紹介するハーバード大学からの論文は低酸素という直感的にはミトコンドリア病の患者さんに禁忌とも思える方法が、画期的な効果を示すことを明らかにした研究で4月1日のScienceに掲載された。タイトルは「Hypoxia as a therapy for mitochondrial disease (ミトコンドリア病治療としての低酸素)」だ。
培養細胞のミトコンドリアの電子伝達系を阻害して好気呼吸を止めると増殖が止まる。この研究では好気呼吸の阻害を克服して増殖を維持するメカニズムがないか、18000もの遺伝子をCRISPR-Cas9法を用いてノックアウトする大規模スクリーニングにより調べている。このスクリーニングにより500近い遺伝子が候補として見つかっているが、最も大きな効果が得られたのがVHL遺伝子だった。VHL遺伝子は酸素に反応してHIF1分子を分解に誘導することで、細胞の低酸素反応を阻害している分子だ。従って、この分子がなくなると細胞は低酸素に対応するための様々な遺伝子を発現する。
この結果はミトコンドリア機能の低下した細胞の健康に最も効果があるのが低酸素であることを示している。この細胞レベルの結果が、個体レベルでも言えるのか、2−3歳で発症する最も重篤なミトコンドリア病リー症候群のモデルマウスを通常の半分の酸素濃度(11%O2)で飼育して調べている。リー症候群の子供と同じで、このモデルマウスでは生まれてすぐから様々な症状を示し、生後80日目には全例が死亡する。これに対し、低酸素で飼育した群は160日目で全例が生存しており、120日目まで体重の増加も見られている。さらに、通常の酸素濃度で育てたマウスは生後1ヶ月ぐらいからほとんど動かなくなるが、低酸素で育てると活動性もかなり回復する。またこの変化は、生化学的検査や、脳の組織学的検査でも確認される。ミトコンドリア障害による様々な異常の抑制に低酸素が大きな効果を持つことを明らかにする画期的な結果だ。
この結果を患者さんに使うためには、幾つかのハードルがあるだろう。詳しいことは、4月11日のAASJチャンネルで説明したいと思う。この研究は低酸素が治療に使えることを示すだけでなく、医療上の様々な示唆を与えてくれている。例えばミトコンドリア病の患者さんに酸素を投与する治療は注意が必要だし、アミノグリコシル系の抗生物質投与もできるだけ避けたほうがいいこともわかる。素晴らしい論文が紹介できたと思う。
2016年4月1日
様々な医療上の国際的な緊急事態に対し、基礎研究が迅速に対応するのを見ると医学の底力を感じる。例えばSARS流行時、シンガポールとカナダの研究所がいち早くゲノム解析を行ったことや、昨年のエボラウイルス感染症では、ウイルスゲノム、感染、疾患メカニズムなど多くの基礎研究により重要な情報が得られた。もちろんこのような基礎研究は緊急時に役立つものではないが、次の事態に備える意味で大きな貢献を果たしたことは間違いない。同じ底力をジカウイルス感染による小頭症発症のメカニズム研究にも感じる。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文はジカウイルスの感染過程のシナリオを提出する論文でCell Stem Cellの5月号に掲載予定だ。タイトルは「Expression analysis highlights AXL as a candidate Zika Virus entry receptor in neural stem cells (遺伝子発現分析によりAXL分子がジカウイルスが神経幹細胞へ侵入するレセプターとして働いている可能性が示された)」だ。
同じCell Stem Cell2月号にiPSから誘導した神経幹細胞を用いて、ジカウイルス感染により神経幹細胞が選択的に障害されることを示すフロリダ大学からの論文が掲載されたが、この研究ではまずジカウイルスが細胞内に侵入する時に使う受容体の特定から始めている。ジカウイルスが属するフラビウイルスの受容体についてはこれまでの研究で明らかになっているので、これらの遺伝子の発現をIPSを含む培養細胞や、胎児神経細胞で比べ、AXLが大脳皮質の細胞を作る元となるラジアルグリア細胞に強く発現していることを突き止めている。実を言うと話はこれだけで、ウイルス感染実験が行われているわけではない。ただ、AXLとフラビウイルスとの関係についてはすでに研究が進んでおり、発現だけからこの受容体が犯人と決めつけている。もしエディターをよく知らない著者が論文を送ったらリジェクトされるような論文だが、緊急であること、もっともらしいシナリオであることから採択されたのだろう。詳細は省いてシナリオを紹介すると次のようになる。
ジカウイルスは胎盤を通って血中に侵入する。すると、脳内末梢血管や、脳脊髄腔に直接突起を伸ばしているラジアルグリア細胞のAXL分子に結合し、これを利用して細胞内に侵入し、細胞死を誘導する。AXL自体からのシグナルも感染や細胞死に関わる可能性がある。この結果ラジアルグリア細胞の数が減ると、当然皮質の形成が侵され、小頭症が発症する。
研究では、マウスやフェレットのラジアルグリア細胞もAXLを発現していることから、今後感染実験に使えることも明らかにしている。
今後は、胎盤を通る過程、細胞内で増殖して細胞死が誘導される過程の研究が必要だろう。しかし、自分が研究してきた細胞を用いてすぐに緊急要請に応える素早い反応には恐れ入る。また、幹細胞研究者で最も用意が整っており、そのため今回の論文もCell Stem Cell に掲載されたのだろう。次はクリスパーの出番のような気がする。
2016年3月31日
この論文ウォッチは全ての人が理解できるようには書けていない。毎日書くという制約から、どうしても一定の生命科学系の知識がないとわかりにくいと思う。書いている時も、私自身の頭の中には現役時代に一緒に研究をした学部や大学院の学生さんに語りかける感じになってしまう。とは言え、こんな文章でも苦労しながら読んでいただいている一般の方や患者さん、その家族の方がおられる。そんな方々からメールをいただくと書いていて良かったと思う。
今年の2月7日MECP2重複症候群のモデルザルについて書いた時(
http://aasj.jp/news/watch/4824)、一人の患者さんのお母さんからメールをもらった。その後、患者さんの家族の集まりができないか努力されているようで、もしこのホームページがお役に立ったら嬉しい限りだ。
この記事を書いた時、次のステップはMECP2の結合しているゲノム部分が明らかにされ、症状と相関させることだと述べたが、今日紹介するイリノイ大学からNature Communicationに発表された論文はこれに答えている。タイトルは「Sequence feature accurately predict genome-wide MeCP2 binding in vivo(生体内でMeCP2が結合しているゲノム部位を配列の特徴から予想できる)」だ。
この研究では、ヒトやマウスの正常細胞(主に臭細胞)でMeCP2が結合している部位を染色体沈降法を用いて高い精度で解読し、MeCP2がゲノムのどこに結合しているか、また結合部位を配列から予測できるか調べた研究だ。もちろん全ゲノムにわたって調べているので、結果は膨大で、詳細に見ていけば著者らの結論が必ずしも正しくないこともわかってくると思う。しかし、この研究により、私が持っていたMeCP2のイメージは覆った。すなわち、メチル化されたDNAに旗を立てるために存在しているのかと考えていたが、メチル化DNAの存在がだけが結合を決めているわけではないことを明らかにしている。従って、メチル化されるDNA部位であるCpGとの相関より、GC配列の量が多い部位との相関が高いことが明らかになった。このGC配列の多いゲノム部位と遺伝子発現の関係を調べると、発現抑制に関わる領域をより好んで結合し、実際この遺伝子が欠損した細胞では、5’端側にMeCP2結合部位を持つ遺伝子の発現が選択的に上昇することを明らかにしている。
もちろん部分によっては例外もあるかもしれないが、これまでの通説を覆し、MeCP2がメチル化DNAだけでなく、GC配列の多いヌクレオソームに結合し、転写抑制に関わっていると結論している。実際この結論に基づいて、88%の精度でMeCP2結合部分が予測できるようになっている。
この結果は、MeCP2が欠損したレット症候群や、MeCP2重複症候群で発現が変化する遺伝子を特定し、病気の治療法を開発するための基礎データとして重要だ。それぞれの疾患は遺伝子を補充したり、発現を低下させることが最終的治療になるが、症状の理解も重要だ。今後、iPSを作成して、様々な細胞で結合部位を明らかにする研究が出てくることを期待したい。
2016年3月30日
受精卵は分裂により2細胞、4細胞、8細胞になっていくが、それぞれの細胞をもう一度発生させる実験などから、それぞれの細胞は全能性を保っているとされてきた。しかし、個々の細胞の遺伝子発現パターンを調べることができるようになり、分裂初期から多様性が生じていることがわかっていた。しかし、実際この差が細胞の運命の差に結びつくのか、あるいは分裂途上のおこる訂正可能なバリエーションなのか明確ではなかった。
今日紹介するケンブリッジ大学からの論文は4細胞期で細胞の運命の違いを誘導する分子を発見したという研究で3月24日号のCellに掲載された。タイトルは「Heterogeneity in Oct4 and Sox2 targets biases cell fate in 4 cell mouse embryo (Oct4とSox2の標的がマウス4細胞胚の細胞運命の方向性を決める)」だ。
この研究では2、4、8、16細胞期の細胞の遺伝子発現を個別に調べ、確かに多様性が4、8細胞期で著明に見られること、中でも多能性を決めているOct4,Sox2の支配を受ける遺伝子の発現に多様性が見られることを明らかにしている。このグループはこの遺伝子セットの中から、Cdx2と呼ばれるトロフォブラスト決定因子を支配するSox21に注目した。すなわち、多能性の内部細胞塊と、胚外組織を作るトロフォブラストの最初の分化にSox21が関わると考えた。実際、4細胞胚のそれぞれの細胞でのSox21発現量は大きく違い、必ず一個は発現が極めて低い細胞が存在するように分化していることがわかった。そこで、Sox21分子の発現を胚の細胞で阻害すると、その細胞はCdx2を強く発現し、不等分裂の頻度が落ち、トロフォブラストへ分化する確率が高まることがわかった。これは、受精卵分裂の初期から多能性細胞とトロフォブラストへの分化を誘導する変化がすでに存在していることを意味している。残る問題は、2回の均等分裂の間にどうしてこの差が生まれるのかだが、この研究では多能性細胞へと分化を誘導することが分かっているヒストンメチル化酵素CARM1がSox21の上流でその発現を誘導していることを示している。すなわち、CARM1が強く誘導されることでヒストンが変化し、多能性細胞分化に必要な遺伝子がOct4,Sox2に影響されやすくなると考えているようだ。しかし、では何がCARM1発現の差を発生させるのかについてはよくわかっていない。いずれにせよ、分化を一定の方向に誘導しつつも、決定してしまわないメカニズムの一つが明らかになったと思う。
これまで多能性の分化や維持については重箱の隅をほじくるほど研究が進んだと思っていたが、こんな分子がわかっていなかったとは驚きだ。読み始めた時、単一細胞遺伝子発現の仕事かと思ったが、それは最初だけで、あとは古典的な仕事で楽しめた。
2016年3月29日
我が国では透析患者数が30万人を越す一方、腎移植数は1600例近くで頭打ちになっている。したがって、腎移植自体は、腎不全に対する稀な治療の中に分類されてしまう。一方移植医療体制が整っているアメリカでの腎移植例は我が国の10倍、16000例に及んでいる。しかし、これでも腎移植を全ての患者さんに提供することは難しいようで、2013年には移植を待つ腎不全患者さんの数が10万人を超えたようだ。あらゆる臓器移植治療について言えるが、移植医療体制が整った国でも、ドナー不足が緊急の課題になっている。これを解消する一つの案として、ドナーに代償を支払いインセンチブを高める可能性が俎上に登り、様々な調査が行われ始めている。
今日紹介するフロリダ大学からの論文は生体腎移植のドナーに代償を支払って良いかどうかを電話で無作為抽出した集団について行ったアンケート調査で3月23日号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Views of US voters on compensating living kidney donors (有償の生体腎提供に関する合衆国選挙民の見方)」だ。
調査は乱数表で選んだ携帯番号に電話をして行ったアンケート調査で、16851人に電話かけ、1011の有効回答を得ている。アンケートはまず年齢、性別、収入など基本的な調査を行った後、自分の片方の腎臓を提供することができるか?できる場合、対象は家族友人か、あるいは見知らぬ人でもできるか?そして、もし健康保険から50000ドルの支払いが受けられるなら提供するインセンチブになるか?などを調べている。
まず有償の話が出る前に生体腎移植のドナーになる気持ちがあるかどうかを聞いたところ、なんと914人がイエスと答えている。しかも、場合によれば見知らぬ第3者に提供してもいいと考えている人たちが689人もいる。当たり前と思う人もいるかもしれないが、私にとっては驚きの数字だ。おそらく我が国の調査なら、これほど多くの人が見知らぬ人に腎臓を提供していいと答えないように思う。格差が問題になるアメリカは今も他人へのチャリティーを重視している国であることがわかる。
次に健康保険システムから5万ドルを受け取れるとすると、ドナーになるインセンチブが高まるか聞いている。結果は、親族友人にしか提供しないと答えたグループも含めて、60%程度がインセンチブが上がるだろうと答えている。
最後に、1011人からさらに選んだ635人に、有償の腎臓提供は社会の標準規範として良いかどうか聞いている。結果だが、635人全体では約60%の人が社会の規範にして良いと答えている。また、アメリカでは5万ドル以上を規範とすべきという意見が多数を占める。結果を見てアメリカがプラグマティズムの国であることを認識する。
以前紹介したかもしれないが、有償の生体腎移植を認めている国は珍しくない。例えばイランでは、経済制裁等による透析の困難を、国と民間が一体となったチャリティーシステムで克服している。実際ほとんど待ち時間なしで腎移植が行われるようだ。重要なことは、臓器を得る人たちは貧困層に属するが、その上に貧富の差を問わず移植が受けられるように設計されている。すなわち、チャリティーの体制が先にあって、その上に代償を支払う制度をかぶせることの重要性が分かる。当分我が国ではこの問題は浮上しないと思うが、格差が臓器提供を促すという構造だけは避けられるよう、議論を前倒しでしたほうがいいと思う。
2016年3月28日
我が国の研究助成政策はともするとテクノロジー開発を強調する傾向がある。はやぶさも、京コンピュータも、何をしたいからこの技術が必要かという点は後回しで、一般には技術競争の重要性が先に強調される。先日も批判したが、同じ傾向を光遺伝学を文科省が重点項目にしたことにも見ることができる。光遺伝学について言うと、我が国は開発者というより、消費者だ。とすると、脳高次機能研究のどの課題を21世紀、重点的に助成すべきかについての意図が明確にされないと、光遺伝学を使って論文が出ているグループを(通常はすでに力のあるグループだ)選んだだけで終わるだろう。
開発についてみると、記録から刺激まで全て光を使う技術を開発したり、生きた動物の単一脳細胞のスパインを観察したり、あるいはクリスパーを使って光で転写を誘導したり、大きな可能性が広がり始めている。一方、光の様々な難点を克服する方法として、小さな力に反応するチャンネルに鉄と結合する分子を合体させ、磁力を使って特定の神経を調節できるようにした方法の開発が進んでいるようだ。どのチャンネルを使うかに工夫が凝らされているが、その一つを3月12日にここでも紹介した(http://aasj.jp/news/watch/4961)。磁力でのコントロールは、実験動物の行動の自由度が上げられることから流行るのではないかと思う。
今日紹介するロックフェラー大学からの論文は、磁力を使って神経細胞を興奮させるだけでなく、抑制したり、変調させたりすることができ、それにより行動が変化することを示した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Bidirectional electromagnetic control of the hypothalamus regulates feeding and metabolism(視床下部を電磁気的に抑制したり興奮させたりすることで摂食行動や代謝を調節する)」だ。
この研究では、以前紹介した論文とアイデアは同じだが、違ったチャンネル分子の開閉を磁気でコントロールできるようにして、血糖に反応してインシュリンの分泌を促し、摂食行動を調節する中枢である視床下部の腹側中部の細胞に導入している。この研究ではTRPV1分子がチャンネル分子として選ばれているが、突然変異を導入してチャンネル特異性を変化させ、神経興奮を抑制することもできるようにしている。この結果、磁場に晒してこの細胞を興奮させると、血中グルコースとグルカゴンが上昇し、インシュリン分泌が低下するとともに、摂食行動が促進する。一方、同じ細胞の興奮を抑制すると、インシュリンの分泌上昇とグルコースの低下がみられるが、グルカゴン分泌は変化しないことを示している。これらの実験では電磁波の照射が刺激に用いられているが、磁場でも同じように調節が可能であることも示している。
効果のわかりやすい細胞をうまく選んで、おそらく一生を通して、繰り返し脳細胞のリモートコントロールが可能であることを示した点で、重要な研究ではないかと思う。
2番煎じでも光遺伝学という文科省の決定が変わらないなら、これまでここで紹介した世界のトレンドの上を行く研究グループが我が国から発掘されることを願いながら、選考を見ていこうと思う。