2016年5月30日
21世紀に登場した生命科学を変革する新しい技術をあげるとすると、iPS, CRISPR/CASそしてKarl Deisserothの光で脳の活動を制御する光遺伝学をあげることができるだろう。革新的な技術は急速に利用が広がるだけでなく、技術が技術を呼んで拡大を始める。特に技術的制約で研究手法が限られていた脳研究分野では、これらの技術により新しい段階に移行しつつあるように思える。
ただこのKarl Deisserothさんの頭の中にはまだまだアイデアが溢れているようだ。今日紹介する論文は一定の行動によって活動した脳細胞を標識する技術が開く可能性を全てやって見せた研究で6月16日号発行予定のCellに掲載された。タイトルは「Wiring and molecular features of prefrontal ensembles representing distinct experiencees(異なる経験に対応する前頭前神皮質神経細胞セットの回路と分子的特徴)」だ。
この研究で使われた方法は特に目新しいものではない。FosやArcといった、興奮した神経で誘導される遺伝子の上流に4TMで誘導される組み換え酵素を発現させ、特定の行動によって活性化された細胞だけをパーマネントにラベルする方法だ。ただ、神経興奮のスナップショットを撮るだけならカルシウムチャンネルを使った面白い報告もある(Fosque et al, Science 347:755, 2015)。ただこの研究の目的は活動神経の記録にとどまらず、この技術を核に脳活動をどうすれば総合的に分析できるかだ。
この研究では神経細胞の局在がはっきりしないため、機能と解剖の相関が付きにくかった前頭前皮質で、コカインに反応する神経と足の電気ショックに反応する神経がどのように分布し、回路形成し、生理学的に働いているか明らかにすることを問題に設定している。
興奮にかかわらず細胞が標識されてしまうこの方法の問題点を、通常のタモキシフェンの代わりに低濃度で早く効果がある4MTに変えて解決している。また、脳構造を保ったまま細胞を観察するため、脳を透明化する技術を改良して組み合わせている。これにより、それぞれの刺激に反応する細胞が区別できることが示されている。これを見ると、Deisserothさんの研究室は核になる技術の開発にとどまらず、小さな改良を不断に重ねて研究していることがわかる。
次に神経軸索を可視化できる標識分子を用いて、それぞれの細胞の投射回路を調べると、それぞれの刺激により興奮する神経は異なる部位に投射しているのがわかる。
ただ、ここまでは凡人にも思いつくのだが、Deisserothさんのアイデアはこれにとどまらない。次に発現するとリボゾームを標識できる方法を用いて興奮細胞だけで転写されているmRNAを特定できる方法を開発し、NPAS4と呼ばれる分子がコカイン刺激でのみ発現していることを見出している。Deisserothさんの脳が本当に総合的なことがよくわかる。
最後にこの生化学的基盤を生理学と関連づけるために、さらに得意の光遺伝学を組み合わせて、コカイン刺激とNpas4の発現が相関し、この時興奮した細胞を光刺激でもう一度刺激すると、忌避行動を示すことを明らかにしている。
発見だけから見ると、コカイン刺激によるNpas4遺伝子の発現とまとまってしまうかもしれないが、もちろん話はそれをはるかに超えている。ディスカッションでも、これに加えて惜しげも無く様々な将来のアイデアを披露して、締めくくっている。こんなラボに属しているだけで、若い人の脳も活性化されるだろう。そしてそれが新しい連鎖反応を生み、優れた研究者が育つ。
2016年5月29日
言語の起源については大きく二つの見方が存在する。一つは、言語を可能にした人間特有の脳構造、そしてその背景にある言語特有のゲノム構造、が存在するという考え方だ。この説を証明しようと、ヒトだけに存在する言語遺伝子の探索が行われている。また、人間は生まれついて言語を構成する能力を持っているというチョムスキーの「生成文法」概念も、ヒトだけに言語の脳回路が突然現れたことを前提にした説だと考えられる(私見)。
これに対し、脳回路や遺伝子にまったく新しい何かがつけ加わって言語が生まれたのではなく、多くの動物に備わるコミュニケーションが徐々に進化した結果として言語があるとする見方だ。私なりにこの見方を解釈すると、言語は、一定の行動パターンを特定の意味と対応するシンボルとして共有することに始まるという見方だ。言い換えると、行動パターンが脳内に特定のシンボルを呼び起こすことを可能にする脳回路の開発(生まれてから新たに起こる)が可能な脳構造の進化が言語の始まりになる。その後、人間だけで解剖学的に多様な音韻が可能になり、音が行動に置き換わったことになる
今日紹介するドイツマックスプランク鳥類学研究所からの論文は後者の可能性を追求した研究でScientific Reportsに掲載されている。大上段に構えた魅力的なタイトルで「Unpeeling of the layers of language: Bonobos and chimpanzees engage in cooperative turn-taking sequences (言語の基盤を求めて:ボノボとチンパンジーは共同的発話のやりとりを行う)」だ。
研究ではボノボとチンパンジーの集団を、異なる4箇所で観察して、親子が一定のジェスチャーの後、親の背中に子供が乗って移動が起こる状況を捉えて、どのようなコミュニケーションが存在するか調べている。コミュニケーション能力は脳回路に依存するが、これを基盤にシンボル化された行動パターンは各個体が学習する。したがって、特定の最終行動(この研究の場合は親の背中に乗って移動が始まること)がシンボル化されたジェスチャーは、動物種ごとに違うし、またそれぞれの群れで異なっている。それでも同じ最終結果を生み出す行動パターンには共通性が見られるはずだ。この共通の行動パターンを例えば「向き合って見つめ合い、それに答えるように手を伸ばし」と要素分解し、各要素と最終行動との回帰率を計算している。幸い、この論文はオープンアクセスで、行動のビデオも閲覧できる。面倒な話をするより、このビデオを見て貰えば、言葉こそ出ないが、親から、あるいは子供から話が始まり、相手が答え、最終的に子供が背中に乗って移動が始まる様子がよくわかる。このビデオに、自分でセリフをかぶせてみればいい。「他所に行こうよ」「今行くの」「そう今」「わかった行こう」。人間なら言葉で表現するやりとりが、ビデオを見ると確かにジェスチャーで交わされているのがわかる。そしてこのパターンは、ボノボとチンパンジーでかなり違っているだけでなく、住む場所にも影響されたパターンが存在している。また反応速度や対話の成立する距離はボノボの方が人間に近い。
話としてはこれだけで、「結局現象から推論しているだけだ」と厳しい評価もあるかもしれない。しかし、親子という関係で生まれたコニュニケーションに着目した点で説得力のある研究になっている。実は私も、言語起源については著者らと同じ考えを持っており、生成文法派ではない。とはいえ、このような観察研究の次の一手はなにか、この点についても面白い研究を期待して論文を漁っている。
2016年5月28日
DNAからmRNAが転写され、mRNA上を結合したリボゾームが動きながら、tRNAが運んでくるアミノ酸を結合させ、タンパク質が作られることは、誰もが知っていることで、教科書や一般向けの本にも一本のmRNAに結合したリボゾーム上でペプチドが出来る様が描かれている。この絵はしかし、様々な結果を総合して想像して描かれたもので、実際の細胞の中で一本のmRNAからペプチドが翻訳される様子を連続的に見た人は誰もいない。
それを可能にした研究が今日紹介するオランダ・科学芸術アカデミー研究所からの論文で5月5日号のCellに掲載された。同じ号に、ほぼ同じ内容の論文がハーバード大学から発表されているが、ここではオランダからの論文を紹介する。タイトルは「Dynamics of translation of single mRNA molecule in vivo (細胞内での一本のmRNA 分子の翻訳の動態)」だ。
この技術の基盤になっているのが2014年11月2日にこのホームページで紹介したSunTag法という技術で(
http://aasj.jp/news/watch/2368)、普通は細胞の外で働く抗体を、細胞の中で働くようにして、細胞内の標識分子(SunTag)に反応させる技術だ。
研究ではこのSunTag認識抗体遺伝子と蛍光タンパク遺伝子を結合させたキメラ遺伝子と、SunTag配列を5’端に組み込んだ遺伝子を導入した細胞を用意し、蛍光顕微鏡で観察している。mRNAは5’端から翻訳されるため、このタンパク質が翻訳される時、まずSunTagから翻訳されペプチドは伸びていく。したがって、翻訳が始まった瞬間から成長するタンパク質を一分子レベルで捉えることができる。ただこれだけだと、細胞内にある全てのSunTagが染まってしまうので、翻訳されている途中のタンパク質を区別する必要がある。このため、翻訳するmRNAの3’端にRNA結合分子PP7が結合する配列を組み込んでおく。SunTag認識抗体と異なるカラーの蛍光タンパクで標識したPP7を同じ細胞で発現させると、mRNAの方を可視化することができる。すなわち、SunTagを認識する抗体と、mRNAを認識するPP7が同じ場所に存在する場合、翻訳が現在進行中と結論している。
ただ、この仕掛けだけだと、mRNAが細胞内で動き回るため、ビデオ撮影が難しい。これを克服するため、蛍光標識したPP7に細胞膜にアンカーする配列を加えて、mRNAを可視化するとともに細胞膜に引き止めて動きを制限する仕掛けも加えている。こうしてようやく、一本のmRNA上で翻訳を開始してタンパク質が翻訳され、完成するとmRNAから離れていく様子をビデオ撮影することができるようになっている。
この一本のmRNA上での翻訳をモニターする技術を使って、ほぼ70%のmRNAで転写が進んでいること、また一本のmRNAに10−25個のリボゾームが結合していることを、一本のmRNA上のSunTagの数から割り出している。
経時的にモニターできると翻訳速度も測ることができ、リボゾームが1秒間に3コドンずつ動きながら翻訳を行っていること示している。他にも、mRNAに傷があると停止することや、ストレスでリボゾームのmRNA上の動きが遅くなる時、全てが同じようにスローダウンするのではなく、一部のリボゾームの動きだけが遅くなるといった、まったく新しい事実を明らかにしている。他にも、様々な実験を行い、翻訳についての疑問に答えているが、紹介は省く。
すぐに教科書の図になる面白い研究だと感心した。またSunTag技術は他にも様々な目的で使われ始めており、細胞内の分子を見たり、操作する技術として用途は拡大するだろう。しかし我が国も一分子の動態の観察では高いレベルにあったと思うが、最近の状況はどうなのか少し気になった。
2016年5月27日
メラトニンは松果体から分泌されるホルモンで、網膜からの光刺激が低下すると分泌が高まることで、私たちの体を概日サイクルに合わせる働きをしている。このことから、時差ぼけの解消の目的で服用される。実際、メラトニンというとすぐに時差ぼけと結びついてしまって、作用についてはなんとなく体のバランスといった漠然とした捉え方をしてしまう。しかし、メラトニン受容体の構造から考えると、細胞内サイクリックAMP合成を抑制するれっきとしたホルモンで、受容体を持つ細胞ごとにその影響を見定めないと、気楽に飲んでいい薬かどうか本当は心配だ。
今日紹介するフィンランド・ヘルシンキ大学からの論文はメラトニンがすい臓ベータ細胞のインシュリン分泌を抑えることを示して、メラトニン服用について注意を促す研究で6月14日号のCell Metabolismに掲載された。タイトルは「Increased melatonin signaling is a risk factor for type 2 diabetes(メラトニンシグナルの上昇は2型糖尿病のリスクファクターになる)」だ。
糖尿病の遺伝子多型を調べる研究はわが国を含め盛んに行われ、今や100以上の多型が糖尿病と関連するとしてリストされている。しかし、一部のすい臓発生とインシュリン遺伝子発現に関わる遺伝子を除くと、リストされた多型のほとんどは明確な因果性を突き止めるところまでは至っていない。この中の一つが欧米では3割に見られるメラトニン受容体B(MTNR1B)遺伝子座にある一塩基多型で、Cの代わりにGを持つと糖尿病リスクが上がる。このグループはこれまでもこの多型について研究を続けてきている。
この論文では、まず膵島移植ドナー細胞204例を調べ、G型を持つとMTNR1B遺伝子の発現が上昇することを見つけている。すなわちこの多型は、遺伝子発現調節領域の多型で、おそらくCからGへの変化で、NeuroD結合サイトが新たに生まれて、MTNR1Bの転写が上昇するからだと結論している。
次に、インシュリンを分泌しているベータ細胞株にMTNR1Bを強制発現させて調べると、メラトニンはインシュリンの分泌を受容体の発現量に応じて低下させることを示している。また、これがグルコースにより誘導される細胞内cAMP濃度の上昇を抑える結果であることも示している。このことから、メラトニンはもともとベータ細胞の細胞内cAMP上昇を抑えてインシュリン分泌抑制を行うが、MTNR1B発現の高いG型の人ではこのメラトニンの効果が倍加していることを示している。
そこで、MTNR1B遺伝子が欠損したマウスモデルを調べると、ベータ細胞数が増加し、インシュリン分泌が上昇していることが確認出来る(体全体のインシュリン感受性を変化させることで、血中ブドウ糖濃度は変化していない)。
最後に人間に戻って、CC型とGG型の人に3ヶ月メラトニンを服用してもらい、GG型の人はインシュリン分泌及びインシュリン反応性の両方が強く抑制されていることを明らかにしている。
以上の結果から、メラトニン自体はインシュリン分泌を抑制する効果があること、またその効果はGGを持つ人に強く現れることから、メラトニン服用にあたっては自分がどのタイプか調べるのが大事なことがわかる。さらに、メラトニン分泌は時差ぼけだけでなく、夜勤シフトなどで起こることから、このような労働に従事するときもこの多型をあらかじめ調べることが重要になる。もちろん、糖尿病検査や治療にあたっても、この多型の頻度を考えると、常に念頭に置いて検査を行うことが重要だ。例えば、この多型ではcAMP濃度上昇が抑えられるため、cAMP濃度を上昇させるインクレチンは他の糖尿病薬よりよく効く可能性がある。
このように、遺伝子多型と疾患の因果性が明らかにされると、臨床現場に様々な変革をもたらすことがわかる。プレシジョンメディシンは一歩一歩実現に近づいている。
2016年5月26日
セリン/スレオニンキナーゼの一つmTORは、様々なシグナル伝達経路と関係しており、一種のシグナル中継のハブとして多くの細胞の増殖や代謝に関わる重要な分子だ。正常の細胞で働いていても、一般の抗がん剤と同じで、増殖性の強いガンに対する薬剤になる。実際mTOR阻害剤が開発され、乳がんや腎癌に使われている。ただ例に漏れず、mTOR阻害剤も一定期間の後必ず薬剤耐性のがん細胞が現れ、効果が失われる。
今日紹介する米国スローンケッタリングガン研究所からの論文は、薬剤耐性がん細胞の出現を抑えるため、あまりに素朴で驚くアイデアを実現した研究でNatureのオンライン版に掲載された。タイトルは「Overcoming mTOR resistance mutations with a new generation mTOR inhibitor (新世代mTOR阻害剤で薬剤耐性突然変異を克服する)」だ。
現在使われているmTOR阻害剤には2種類あり、一つはFKB12との結合部位(FRB)を阻害する分子でラパマイシンがその一つだ。もう一つはキナーゼ部分の阻害剤でAZD8055だ。
この研究では、乳がん細胞をそれぞれの薬剤とともに長期間培養し、耐性を獲得したクローンのmTOR遺伝子配列を解析し、耐性獲得に必要な突然変異を特定している。期待通り、ラパマイシン耐性の場合はFRBに、AZD8055耐性の場合はキナーゼ部位に突然変異が起こっていることを確認される。また、同じ突然変異が治療前のがん細胞に存在することも確認している。すなわち多くの薬剤耐性細胞は、治療前から存在していることになる。
そこで思いついたのが、最初からそれぞれの部位を阻害してしまえば、ほぼ全てのガンを叩けるのではというアイデアだ。最初から二つの薬を併用するのも考えられるが、mTOR構造解析をすると、両部位は近くにあってポケットを作っている。すなわち、両方の薬剤を結合させてポケットに突っ込んだほうが高い親和性が出ると予想できる。すなわち、最初からラパマイシンとキナーゼ阻害剤を繋いだ2兎を追う薬剤を利用すれば、最初から存在する耐性ガンも含め、全てのガンを高い効率で叩くことができると期待される。
研究では、二つの薬剤をリンカーで結合させた薬剤RapaLinkを合成し、それぞれの薬剤に耐性を獲得した細胞の感受性を調べている。結果は期待通り、それぞれの薬剤に耐性を獲得したがん細胞を、比較的低い濃度のRAPA-Linkで全て殺すことができている。すなわち両方の薬を別々に投与するより、最初から結合させて使ったほうが、多くの種類のがん細胞を、高い効率で殺せるという結論だ。
臨床に使うためには、もちろん新しい薬剤として治験を行う必要があるが、素人考えでは、よりmTOR特異的になり、また活性も高いと思える。ただ、逆に正常の細胞への影響も強くなるような気もするが、期待して見守りたい。
2016年5月25日
アイスランドの国民と契約し、全国レベルでGWASゲノム解析を進め、疾患と相関する様々なSNPを明らかにしてきたdeCode社は最近アムジェンに買収されたが、研究レベルでは現在もdeCodeとして元気に活躍している。特にこれまで集めたDNA チップを用いたデータと国民規模の健康データに、全ゲノム遺伝子配列解析が加わり始め、通常研究が難しい生活習慣に関わる遺伝子多型を発見することが可能になってきている。
今日紹介する論文はその典型で、心筋梗塞を防ぐ遺伝子変異を発見した研究で5月23日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Variant ASGR1 associated with reduced risk of coronary artery disease (冠動脈疾患リスク低下と相関するASGR1変異)」だ。
deCodeは血中のコレステロール値と相関するSNPを多く発見してきているが、今回は心筋梗塞リスクとの相関性が特に高いnon HDLコレステロール値と相関する遺伝子座に注目し、まず17番染色体上の7つのSNPを特定、その中の低いnon HDL値と相関する0.4%程度の頻度の遺伝子座に焦点を当てて研究を行っている。
この遺伝子座について全ゲノム配列解読を行い、シアル化されていない糖蛋白を補足し細胞内へ取り込む受容体遺伝子ASGR1遺伝子の4番目のエクソンに12塩基の欠失が入ると、non HDLを低下させることを明らかにしている。さらに、同じ欠失がデンマークやオランダ人にも存在し、やはりnon HDLを下げる効果があることを明らかにしている。この欠失はRNAスプライシング部位をずらせて、それに伴いASGR1分子機能も消失する。これらの結果から、ASGR1遺伝子が片方の染色体で欠失して量が減るとnon HDLが低下すると結論できる。この研究ではさらに、4塩基の挿入による同じ遺伝子の機能喪失でもnon HDLが低下することを示し、ASGR1分子機能低下とnon HDLの低下に因果関係があることを確認している。
最後に、心筋梗塞の発生率をこのASGR1遺伝子座を持つ人と対照群で比べると、男女ともこの遺伝子座を持つ場合に心筋梗塞のリスクが優位に低下している。すなわち、ASGR1遺伝子の活性が適当に低下したほうが、心筋梗塞になりにくいと言える。原因については、ASGR1の量が減ることで、肝細胞内のLDL受容体リサイクル過程が影響を受け、non HDLの肝細胞への吸収が変化すると説明している。
これまで疾患や様々な検査値と相関する数多くの遺伝子変異が報告されたが、それぞれの変異と疾患の納得いく因果関係を示すには、大規模で地道な研究が必要なことを論文を読んで改めて認識した。
2016年5月24日
大人のガンの多くではアミノ酸配列が変化する多くの突然変異が蓄積しており、そのうちの幾つかは「ガン特異抗原」としてガンに対する免疫反応を誘導していることが知られている。この免疫反応をさらに高めるのが免疫チェックポイント抑制治療だが、この治療が2割程度の患者にしか効果がないという事実は、ガン特異的抗原が存在していても、ガン患者さんでは免疫が成立できていないことを示している。この問題の一つの解決として、ガンのゲノム解析から多くの特異抗原を特定し、それをワクチンとして積極的に免疫する治療が試みられており、ここでも紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/3176)。
今日紹介するノルウェー・オスロ大学からの論文は、他人のT細胞を使ってガン特異的抗原に対する反応を誘導し、その細胞から抗原に反応している受容体遺伝子を取り出し、ガン患者さんのT細胞に導入してガンを叩くという、さらに先を行く究極のテーラーメード医療で5月19日にScienceオンラン版に掲載された。タイトルは「Targeting of cancer neoantigens with donor-derived T cell receptor repertoires (第3者のT細胞から取り出したT細胞受容体を使ってガンのネオ抗原を叩く)」だ。
研究ではまずステージIVのメラノーマの遺伝子解析から計算される126種類のガン特異的抗原(ネオ抗原)から、HLA抗原と特に反応が強いと思われるペプチド20種類を選び、患者以外の人から採取したT細胞がこの抗原に反応するか調べている。この結果、1/4に当たる5ペプチドで反応がみられている。次に反応性のT細胞クローンを樹立して特異性や、ガンに対するキラー活性などを調べ、2つのペプチド抗原に対するキラーT細胞クローンを選んでいる。同じことを他のメラノーマ患者でも繰り返し、ほぼ期待通り患者以外の末梢血から、ガン特異的T細胞クローンが樹立できることを確認している。
次はこのクローンからT細胞受容体遺伝子を単離し、患者さんのT細胞に導入して、高い成功率でガン特異的反応を付与できることを示している。最後に一部のペプチドがネオ抗原になり、他は抗原性がないのはなぜかについても調べ、ネオ抗原になりうるペプチドは細胞内での安定性が高いことを明らかにしている。もしこの性質をコンピューター上で予測できるようになれば、より高い確率でガンを殺す活性の高いT細胞を得ることができるだろう。
以上をまとめると、抗がん剤の投与やガンの直接の影響でガンに対する免疫反応が安定しない患者さんの代わりに、第3者の末梢血からネオ抗原特異的キラーT細胞を誘導し、このT細胞受容体を患者さんのT細胞に導入してガンを叩く治療が夢物語でないことをこの研究は示している。ただこのためには、ガンのエクソーム解析、ガンに合わせたネオ抗原の特定、ネオ抗原に対するT細胞クローンの樹立とその抗原受容体遺伝子の単離、受容体遺伝子の患者T細胞への導入と移植が必要だ。このプロセス全部を大至急でやっても、半年はかかるような気がするし、これを厳しい安全性規制のもとで行えば、そのコストはかなりの額になるだろう。大富豪なら当然チャレンジすると思うが、一般の医療に仕上げるためにどこを改良してコストを下げられるのか、プレシジョンメディシンが大富豪のものでないことを示すためにも、研究は新しい段階に進む必要があるだろう。
2016年5月23日
1型糖尿病は一種の自己免疫疾患で、自己の膵臓β細胞を攻撃するT細胞によりベータ細胞が破壊されることで起こる。多くは児童期からの発症で、遺伝的要因も含む様々な要因が重なって起こる。とは言っても、家族発症がはっきりした例を除き、私がこれまで知る限り、発症リスクを遺伝的に特定できるには至っていない。しかしこの病気のエフェクターがβ細胞障害性のT細胞の発生であり、T細胞レセプター(TcR)の抗原特異性に体細胞突然変異が寄与できることを考えると、ある程度偶然が支配することは当然と言える。代わりに、ウイルスや細菌感染がこのような自己免疫疾患のトリガーとなっているのではないかという研究が昔から行われている。すなわち、外来抗原により誘導されたエフェクターT細胞が自己抗原と交差反応を起こして自己免疫が起こるという考えだ。実際、私の知り合いが1型糖尿病にかかったときのことを経験してみると、ある日突然高血糖に気づくというケースが多く、感染症が引き金を引くことは十分考えられる。
今日紹介するウェールズ・カーディフ大学からの論文は1型糖尿病患者から分離されたT細胞のTcRの交差反応性を調べた研究でThe Journal of Clinical Investigationオンライン版に掲載された。タイトルは「Hotspot autoimmune T cell receptor binding underlies pathogen and insulin peptide cross-reactivity (自己免疫性TcR結合のホットスポットが病原とインシュリンペプチドの交差反応性の基礎となっている)」だ。
先に述べた理由で、本当に1型糖尿病を理解しようと思えば、その原因になっているTcRを詳しく調べるのが本道で、これにより遺伝的要因も逆に理解できるようになる。このグループはこれまでの研究でβ細胞のインシュリンペプチドに反応するT細胞クローン1E6を分離し、このTcRがインシュリンペプチドだけでなく、多くのペプチドと反応できることを見出していた。すなわち、TcRの中には自己抗原とともに多くの外来抗原に反応できる厄介なものが確かに存在することを見出していた。この研究は、これを可能にしている分子構造的基盤を明らかにしようとしており、自己抗原としてのインシュリンペプチドとともに、バクテリア由来のペプチドを含む8種類のペプチドと1E6 TcRとの反応の構造的基盤を調べている。
結論を述べると、TcRの中には抗原特異性の融通が効くものがあり、今回調べた1E6 TcRでは3アミノ酸からなるペプチドの中核と強く結合(ホットスポット)してしまうと、残りの部位はどんな配列でも反応できることが構造的に示されている。重要なのは、調べられたペプチドのうち、自己免疫を引き起こしているペプチドは最も反応性が低いペプチドである点だ。すなわち、実際には感染で誘導された1E6が、親和性は低くともベータ細胞のインシュリンペプチドに反応して細胞を障害している順番を強く示唆している。さらに、人に感染できるウイルスゲノムデータを調べると、なんと50種類ものホットスポットと結合できる中核を持ったペプチドが存在する。これを考えると、小児発症、成人発症を問わず、感染症が引き金になるケースがかなり多いのではと考えられる。
このような可能性をさらに実際のヒトで明らかにするには、一定のリスク要因のある健常人を長期に追跡する研究が必要になる。今日紹介するもう一報のミュンヘン・ヘルムホルツセンターからの論文はそのようなコホート研究が始まったことを報告した論文でThe BMJ Open6月号に掲載された。タイトルは「Capillary blood islet autoantibody screening for identifying pre-type 1 diabetes in the general population: design and initial results of the Fr1da study (1型糖尿病の前段階を捉えるための毛細管血液採取による膵島自己抗体スクリーニング:デザインと最初の結果)」だ。
この研究ではドイツババリア州で、2−5歳児をリクルートし、まずキャピラリー採血を用いて3種類のβ細胞由来自己抗原に対する抗体の有無を調べ、陽性群を発病まで追跡する研究だ。この論文では最初のレポートとして、これまでリクルートできた26760人についての結果が示されている。調べた自己抗原のうち2種類以上に反応したのは105人で、そのうち再検査も陽性だったのが63人だった。このうち9%には耐糖検査が低下しており、2%は糖尿病発症と言える状態だったという結果だ。今後、この中からさらに患者さんが出てくるだろう。このような息の長い仕事の中から、初期に何が起こったのか、感染はあるのかが明らかになると思う。
1型糖尿病で失われたβ細胞は細胞移植でしか戻らないが、病気を論理的に予防することも同じように重要だ。そのためには、TcRの研究から生まれた成果を、コホート研究に適用することが今後重要になると思う。
2016年5月22日
rasを始め発がん遺伝子の多くは、細胞内シグナル伝達経路の異常を誘導する。では現在ガンのシグナル経路の研究が盛んかというと、私の印象ではそれほどでもないようだ。一つの原因は20世紀後半に重要なシグナル伝達経路が詳しく研究され、イメージング研究以外になかなか新しい切り口が見つからないことだ。これに加えて、ガンに関してはシグナル経路の特定だけでなく、その経路がガンに関わるかどうかの生物学的意味が問われるため、遺伝子改変を組み合わせる複雑な発がん実験が要求され、一つの研究をまとめるのに時間がかかるようになったこともある。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文はそんな苦労を厭わず発がんのシグナル伝達経路に取り組んだ研究でCancer Cell 6月号に掲載予定だ。タイトルは「p62, upregulated during preneoplasia, induces hepatocellular carcinogensis by maintaining survival of stressesd HCC-initiating cells (ガン発生前に発現が上昇するp62はストレスにさらされた肝ガン幹細胞の生存を維持して発がんを誘導する)」だ。
この研究はシグナル研究の大御所Michael Karinの研究室からの論文で、どんな困難があろうとシグナル研究の老舗を守ろうという意思が感じられる。Michael Karinは現在活躍中の多くの日本人研究者を育てたが、この論文にも筆頭著者を始め多くの日本人が著者になっている。この研究ではオートファジーの際にミトコンドリアにユビキチンシグナルを結合させるアダプター分子で、多くの肝ガンで発現が認められていた。しかしmTORC,Myc,TERTといった遺伝子と比べると、この発現上昇の意味は研究されてこなかった。この問題に膨大な実験をつみ重ねて挑戦したのがこの研究で、p62を誘導するシグナル分子、p62が関わるシグナル分子をコードする遺伝子改変マウスとp62遺伝子改変マウスを掛け合わせた発がん実験、あるいはp62をアデノウイルスベクターを用いて肝臓に導入する発がん実験を組み合わせて、p62が様々な原因による肝ガンに関わっていることを証明している。詳細を省いて結論を述べると、
1) p62は脂肪肝やウイルス感染による炎症によりオートファジー機能が弱まった肝細胞で誘導蓄積する、
2) 誘導されたp62はガン予備軍細胞のNRF2,mTORC1,c-Mycを誘導してガン化を促進する、
3) NRF2経路活性化は、活性酸素に対する耐性を獲得し、ガン予備軍細胞に様々な遺伝子変化が蓄積するのを助ける、
などが総合して、肝ガン発生につながるという研究だ。
さらにザクッとまとめると、ガンの周りの環境因子により誘導・蓄積したp62が、細胞自身の様々なシグナル経路のコオーディネーターとなって、環境とがん細胞をつなぎ、発がんが進むことを示した研究で、シグナル伝達経路を扱い慣れているグループならではの研究だと強い印象を持った。最後に人のガンでもp62発現が高いと再発が高いことなどを示しているが、診断よりはp62を抑えるか、p62の作用を抑える方法を発見することがこの研究成果を生かす道になるだろう。期待したい。
2016年5月21日
現役を退いた後ぜひ理解したいと思ったのが、無生物から生物が誕生する過程だ。最初、生命誕生までの過程について自分が納得できる説明に到達できるか半信半疑だった。というより、ほとんど諦めていた。しかし、少しづつ文献を読みながら三年経つと、自分で納得できる、しかも実験可能で具体的な生命誕生のシナリオを描くことはそう難しいことでないと思うようになってきた。
この私自身の理解が進化してきた過程を、顧問を勤めているJT生命誌研究館のホームページに「進化研究を覗く」(
http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)として書き綴っている。特に2015年10月15日に書いた「ゲノムの発生学I」以降は(
http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000020.html)生命誕生に関わる論文や自分の考えを紹介しているので、生命誕生に興味のある方は是非読んでほしい。
この「生命誕生を説明するのは難しくない」という確信をもとに、出張講義を頼まれている医学部学生への講義でもこの課題を取り上げ始めた。昨日皆さんのレポートが送られてきたので、どんな反応が得られたのか読むのが楽しみだ。
生命誕生研究分野には、例えば分子生物学といった中核は存在せず、物理学、有機化学、情報理論、地球学など広い分野にわたっている。これが、この分野を研究したいという気持ちが萎える一つの原因だが、ほとんどカオスの状態から生命が誕生したことを考えると、当然の話だ。今日はその裾野で生体分子の化学合成に取り組むミュンヘン大学からの論文を紹介したい。この研究では、生命誕生前にATP,DNA,RNAの原料となるアデノシンが一回の反応で合成できる条件を探っている。タイトルは「A high yielding, strictly regionselective prebiotic purine nucleoside formation pathway (高収量で部位選択的な生命誕生前のプリンヌクレオシド合成経路)」で、5月13日号のScienceに掲載された。
熱水噴出孔の発見は生命に必要な有機化合物合成についての考え方を大きく変化させ、炭酸ガス、水素、アンモニアなどから、アセトンやメタンといった単純な有機物が作られることはこの分野では自明の事実になっている(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000022.html)。このため現在では、より複雑な有機化合物が合成される過程を、重要な分子について説明していくことが研究の焦点になっている。
例えば生命の情報とエネルギーに必須の分子、アデノシンは塩基と糖が結合したヌクレオシドにだが、生体では何段階にもわたる代謝経路に従って合成される。しかしこのような多段階の代謝経路は生命にしか存在せず、生命以前には単純な反応で合成しなければならない。これが可能かどうか研究が続いているが、もちろん研究人口は多くない。
塩基の中でもプリンはより構造が複雑で、これまでOrgelグループによりアデノシンを合成する一つの反応経路が示されていたが、実際合成してみると、生まれる産物は多様で、目的アデノシンの収率が極端に悪かった。
今日紹介する研究では、合成回路の理論的検討に基づき、シアン化アンモニウムから簡単に合成されるフォルミルアミノピリミジン(FaPy)を原料とすることでアデノシンの高収量の合成が可能ではないかと着想した (有機化学の専門家は経路を眺めているだけで頭の中で反応が進むようだが、悲しいかな素人にはこれを体験するのは難しい)。基本的にはFaPyから始めるという着想が全てで、後は様々な条件で(熱したり、結晶化させたり、pHを変えたり)反応させてアデノシンの収率を調べている。
結論としては、FaPyからスタートすることで、生体のように他段階の反応経路を通らなくとも、一回の反応でアデニンを少なくとも20%以上の収量で合成できることを示している。しかも、利用した材料や条件は当時の地球に存在したと十分考えられる条件だ。これをリン酸化するのはそう難しくない。これで生命誕生以前の地球にとって、ATPも核酸も現実に近づいた。
生命誕生研究の裾野は広いが、それぞれの裾野での研究は着実に進歩している。まだまだ研究人口は少ないが、これから野心的な若者の参加が期待できるように思える。この分なら、生きているうちに、生命合成の瞬間に出会えるかもしれない。