2024年9月25日
臨床の調査研究は、十分な数と正しい統計学的手法を用いて行って初めて結論が出るが、調べてみようという気持ちを後押しする気づきが存在することが多い。すなわち、統計学的には優位といえないが、気になる結果を示す調査研究が存在し、米国医師会が発酵する JAMA Network Open というフリーアクセス雑誌にはそのような論文が掲載されており、気づきという面では面白い。特に9月号では、強く興味を引かれた論文が2編発表されていたので紹介する。ただ統計学的には問題があることは断っておく。
最初の論文は心室細動 (VF) と脈が触れない心室頻拍 (pVT) に対する AED 処置の際、電流を流す2枚のパッドをどこに置くのがいいかという研究だ。
恥ずかしいことに AED を使うときパッドは右前胸部と左側胸部 (AL) だけと思っていたし、おそらく我が国の AED はそのように明確に指示されている。ところが実際には AL だけでなく心室部位の前後に設置する方法 (AP) もあるようで、米国では場所によって両方の可能性が示されており、さらに AL で3回ショックを与えてうまくいかないときには AP に変えるという指導もされているようだ。
この研究では VF と pVT で救急出動した255例で、救急隊員が AL、AP どちらを使ったかで循環が回復する確率を調べている。VF の場合救急車が駆けつけるまでは持たないと思うが、到着前に AED が一般人によって行われたケースが37例存在する。驚くのは、一般人が AED を行った場合は AP の方が AL より多いことだ。
いずれにせよ、調査は救急隊員が行った AED 処置時のパッドの位置が対象で、症例数が少ないので有意差と結論できないが、明らかに AP 設置の方が循環回復頻度が高い。特に体重が増えた場合、AP ではほとんど影響を受けないが、AL では体重が増えるとともに循環回復率が低下する。
AED が開発されたとき、AP、AL が比較され、ほとんど有意差がないとして、日本やヨーロッパでは AL のみ指示するようになっている。しかし、このように詳しい調査を繰り返すことは重要で、せっかく設置した AED を有効活用することが重要だと思った。
2番目の論文はニューヨークで進行中の自閉症スペクトラム (ASG) コホート研究で、Covid-19 前後に生まれた子供たちの比較、そして Covid-19 パンデミック中に母親が CoV2 に感染したケースとしなかったケースでの自閉症発症率の比較だ。
まず、Covid-19 パンデミック前と後で、ASD の発症率は変わりがない。驚くことに、パンデミック中に生まれた子供の ASD 発症率が、感染した母親からの子供の方で半減しているという結果だ。
対象の人数の問題で、もっと広範な研究が必要になるが、これが正しいとすると妊娠中のウイルス感染は必ずしも ASD 増加につながらないとする初めての結果だ。全く予想外の結果で、驚いた。
この研究は幼児期のスクリーニング結果だが、例えば我が国では子供が目にする家族以外のほとんどがマスクを着用している状況で育っており、このような環境変化の ASD 発症率に及ぼす変化も今後調べる必要があると思う。
2024年9月24日
大学で医学を学び始めてからもはや60年以上になろるが、それまで全く聞いたこともなかった細胞があることに気づかされることがしばしばだ。これは、我々の身体が細部に至るまで精巧にできており、場所場所に機能が特化した細胞を分化させていることを示している。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文も、全く初耳の細胞 cerebrospinal fluid-contacting neuron (CSF-Ns) の機能についての研究で、9月18日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Endogenous opioid signalling regulates spinal ependymal cell proliferation(内因性のオピオイドシグナルが脊髄の上衣細胞増殖を調整する)」だ。
脳脊髄液を通す脊髄内の回路の一つが脊髄内の中心管で、回りは上衣細胞によって取り囲まれている。この上衣細胞ライニングに割り込むように存在しているため cerebrospinal fluid contacting と名前がついたのが CSF-Ns で、鼻粘膜に存在する嗅覚細胞に似ている。ゼブラフィッシュでは脊髄の曲がりを検知して運動調節に関わる可能性が示唆されるが、脊髄を動かして運動をしない動物での機能はわかっていない。
この研究では、この細胞を特異的に染色する方法を追求し、最終的にこの細胞を脊髄から純化することに成功し、RNA発現解析からこの細胞が κオピオイド受容体を発現していることを突き止めている。次に、この受容体に結合するオピオイドの発現を探り、隣接する上衣細胞がディモルフィンをはじめとするいくつかのペプチドを発現し、κオピオイド受容体を刺激することを発見する。
脊髄組織を切り出して、CSF-Ns の興奮を生理学的に調べ、この細胞が上衣細胞から分泌されるオピオイドにより常に刺激されていること、この自然興奮反応を κオピオイド受容体阻害剤で抑えることができることを明らかにしている。一方刺激剤では自然発火は上昇しないので、上衣細胞からのオピオイドから十分な刺激が常に提供されていることを明らかにする。
次はこの自然興奮の機能だが、上皮との密接な関係から、CSF-Ns の自然興奮が上衣細胞の増殖を調節しているのではと着想し、CSF-Ns を除去、あるいはオピオイド受容体の阻害実験を行い、CSF-Ns が上衣細胞の増殖をGABA分泌を介して抑制しており、この経路が抑えられると上衣細胞の増殖が上昇することを発見する。
上衣細胞は脊髄損傷時に増殖することが知られているが、このときオピオイドシグナルを刺激剤で活性化すると、上衣細胞の増殖が抑えられる。すなわち損傷時に上衣細胞の増殖が高まるのは、損傷によりCSF-Ns からの抑制が外れることが一部寄与している可能性が示された。
そこで、脊髄損傷後長期にわたってオピオイドを接種させ脊髄組織と機能を調べると、刺激剤により上衣細胞増殖は抑えられ、損傷後の瘢痕も抑えられる。ただ、このままでは運動機能は何もしないで瘢痕形成が起こるマウスと比べると、明らかに低下する。
以上が結果で、オピオイド刺激剤や阻害剤をうまく使って脊髄損傷の瘢痕化を一定程度抑制して再生を促すという実験があるかと期待したが、残念ながら示されていない。ただ、少なくともオピオイドで調節可能な脊髄損傷治癒過程があることは間違いなく、炎症抑制とともに今後重要な標的になると期待する。
いずれにせよ、新しい細胞を一つ勉強できた。
2024年9月23日
複製開始点を特定する研究は様々な方法を用いて行われ、これまで数多くの論文が報告されているが、どうしても増殖を観察しやすい培養細胞か、あるいは胎児期の細胞に限られていた。今日紹介するジュネーブ大学からの論文は、マウスの肝臓部分切除後の再生モデルを用いて正常肝細胞が増殖するときの複製開始点を調べた研究で、9月17日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「In vivo DNA replication dynamics unveil aging-dependent replication stress(生体内での複製動態は老化に伴う複製ストレスを明らかにする)」だ。
大腸菌と違って、我々の大きなゲノムは様々な場所から複製を一回だけ開始する機構を備えており、そのときに複製が開始される場所を複製開始点と呼んでいる。この複製開始点は、完全に決まっているわけではなく、細胞に応じて開始点がきめられる。この論文では、肝臓再生の現場でどう複製開始点が決まるかをまず明らかにしようと実験を進めている。
まず、肝臓再生時の複製開始点を正確に割り出すための技術的検討を行っている。開始点を決定するための様々な方法があるが、この研究では DNA 複製時に取り込まれるEdU と 複製フォークを抑える hydroxyurea を組み合わせ、EdU でラベルされた DNA の配列を決め、ラベルされた配列の中から開始点をピンポイントで特定するデータ処理を合わせて、最終的に3517の開始点を特定している。
この開始点は一定の間隔で存在するものではなく、短いストレッチにいくつもの開始点が存在する場合もあるし、また長いストレッチに一つしかない場合もある。そして、最も重要なことは、4匹のマウスを比べると、ここのマウスでほぼ同じ開始点を使っていることがわかる。すなわち、肝細胞では開始点はほとんど変化しない。
細胞は分裂しながらも、そのアイデンティティーを守り生きて行く必要がある。そのためには転写が必要だが、この転写と複製がかち合うと DNA のストレスが生じ変異が起こる。そこで、肝再生時に転写される遺伝子と複製開始点との関係を調べている。
まず肝臓で転写されている遺伝子に近い開始点は早期に複製が始まる。すなわち、転写と複製がうまく調整されている。さらに調べていくと、転写される遺伝子の開始点はほぼ例外なく、遺伝しないには存在せず、転写開始点の 10−50Kb 上流か、転写終了点の 10-50Kb 下流に存在しており、まさに転写と複製がかち合わないような開始点の選び方ができている。これを人間の細胞で調べてみると、ほぼ同じことが観察され、進化的にも細胞ごとの開始点の選び方は保存されている。
面白いことに、DNA 複製ストレスがおこるよう hydroxyurea 処理を繰り返すと、それまで活性化されていなかった開始点が活性化する。そして、ストレスを関知する ATR分子を阻害すると、多くの開始点が新たに動員されてします。
次に老化マウスで同じ実験を行うと、今度は開始点がうまく働かないものが増えることがわかる。その原因を探ると、おそらく開始点近くで DNA 損傷が蓄積していたため、そこで複製ストレスが起こるためである可能性が強い。これは肝臓や神経のようにほとんど増殖しない細胞に特徴的だと考えられる。実際、このストレスを関知する ATR 分子を阻害すると、開始点の欠損は見られなくなる。このようなストレスが、細胞老化だけでなく、自然炎症を誘導し全身の老化に寄与する可能性も示している。
以上が結果で、転写と複製が本当にうまく制御されていることがよく理解できる論文で、一読を勧める。
2024年9月22日
K-RAS (G12C) 変異体特異的な薬剤(ソトラシブ)が開発されて以来、新しい阻害剤の開発が相次いでいる。なかでもほぼ全ての RAS に結合する化合物と、タンパク質機能抑制するイムノフィリンに結合する化合物を連結して RAS 機能を抑える薬剤(https://aasj.jp/news/watch/22741 )は第二相の治験に進んでおり、また我が国の中外製薬が開発した環状ペプチドを用いて RAS の動きを抑え込む薬剤(https://aasj.jp/news/watch/23613 )も治験が行われている。もちろん結果次第だが、様々な RAS 阻害剤が市場に出回り、どれを選ぶか困るといったうれしい悲鳴も何年か後には実現するのではと期待している。
今日紹介するべーリンガーインゲルハイム社研究所と英国 Dundee 大学からの論文は、上記に加えてプロタック法と呼ばれる、RAS にユビキチンリガーゼをリクルートして、RAS 自体を細胞内で分解してしまう方法の開発で、9月20日後 Science に掲載された。タイトルは「Targeting cancer with small-molecule pan-KRAS degraders(全KRASを分解する小分子化合物でガンを狙い撃ちにする)」だ。
プロタックと呼ばれる標的分子を特異的にユビキチン化(分解のための印)して分解してしまう薬剤は骨髄腫に対するサリドマイド型薬剤を皮切りに、新しい標的に対する化合物の開発が進んでいるが、開発スピードは予想より遅いような気がしている。おそらく2種類の分子に別々に結合する必要があり、分子量がどうしても大きくなり、薬剤動態などをコントロールしにくいかもしれない。
それでも KRAS に対する阻害剤が開発されてきた今、この阻害剤を起点にプロタックに仕上げて、標的分子をより確実に制御しようと製薬会社が考えるのは当然で、この研究ではすでに開発してきた全ての変異KRAS に結合する BI-2865 を VHL と結合する VH032 という薬剤を結合させた化合物を起点に、より効果の高い薬剤開発を目指す、創薬企業ならではの研究だ。
VHL は腎臓ガンのドライバーとして知られているが、定常状態で酸素により水酸化された HIF分子の分解に関わることが知られている。この研究では VHL をユビキチンリガーゼとしてリクルートする方法を選んでいるが、他のリガーゼではなく VHL にした理由はよく理解できない。
いずれにせよ、まず KRAS (G12D) 結合化合物を、VJ032 と結合しやすいように至適化し、VO032 が結合しない単純な阻害剤と比べて、高い持続的効果が細胞レベルで得られることを確認したあと、X線回折や、クライオ電顕を駆使した構造解析を元に、さらに G12D だけでなく他の変異にも対応できるように分子設計を進め、化合物4と、VO032 の結合していない化合物5を作成、両者を細胞レベルで比較して、プロタックにすることで RAS阻害剤単独より高いガン抑制効果が得られることを確認している。また、3300種類の細胞株を調べ、化合物4は変異のタイプを問わず KRAS特異的に増殖を抑制することを確認している。
一方で、大きな分子にすることで細胞の分子くみ出し機構に検知され、細胞内からすぐにくみ出されて効果が出ない細胞株の存在も明らかになった。
最後に生体内投与後の安定性を高めるための有機化学的変更を加えて ACB13 と名付けた化合物をガンを移植したマウスに投与する実験で調べ、腹腔注射で治療効果があること、しかしまだガンによっては分子くみ出し機構により効果が見られないことも明らかにしている
結果は以上で、KRAS に対するプロタック薬が可能なことはわかったが、本当にプロタックの問題を全て解決できるのか、またサリドマイド系薬剤のように経口投与可能な薬剤に発展できるのかは、素人の私に判断できない。しかし、是非 RAS 阻害剤競争を賑わせてほしい。
2024年9月21日
セマグルタイドをはじめとするGLP-1アナログは、2型糖尿病だけでなく一般的な肥満にも安全で効果があることが発表されると(https://aasj.jp/news/watch/19826 )、少しでも痩せたいという多くの心を捉え、疾患治療の枠を超えて一般に提供されている。もちろん医師の診察が必要な処方薬なのだが、オンライン診療の衣を着て、診察なしに薬剤を提供することが広く行われるようになっているようで、製造元の製薬会社も困惑している。例えば Google でセマグルタイドと検索すると、多くのオンライン診療サイトの中で堂々トップに来るのが elife というサイトで、日本から GLF-1 アゴニストを外国にまで送っているようだ。
このように医師のコントロールを離れて治療薬が拡大するのはゆゆしき事態といえるのだが、病気の定義を広げて治療対象にしてきた医学側にも責任があると思う。その意味で今日紹介するミネソタ大学からの論文は、12歳以下の小児の肥満に GLP-1 阻害剤を用いて治療する治験研究で、小児の肥満にもこの治療が効くことはわかるが、ここまで治療対象を広げていいのか心配になる研究だ。タイトルは「Liraglutide for Children 6 to <12 Years of Age with Obesity — A Randomized Trial(6歳から12歳までの肥満の小児に対する Liraglutaide ― 無作為化治験)」だ。
GLP-1 アナログを使用する年齢を下げられないかという治験はかなり以前から進んでおり、2020年3月、同じグループが12歳以上18歳までの肥満児を対象に Liraglutide 治験を行い、やめるとリバウンドはあるが効果が見られることを、同じ The New England Journal of Medicine(382:2117,2020)に発表しており、この延長でさらに対象年齢を下げたのがこの研究になる。
毎日皮下注射を自分で行うというのは小児には大変な作業だと思うが、semaglutide のような長期効果(1週間に一回の注射でいい)があると、いざというときに薬の作用を避けることができないことから、作用が持続しない Liraglutide を用いているのだと思う。最初 0.6mgから徐々に容量を上げて1日3mg を56週間続け BMI の変化を最も重要な指標として追跡している。
この治験では、全ての肥満児に薬剤治療だけでなく、生活指導も行い、最終的には薬に頼らない改善を目指しており、成人治験とは違った配慮が見られる。
当然と言えば当然の結果で、最終時点で BMI が 5.8%低下し、正常児の平均に近づくことができている。一方で、コントロールグループは生活指導の効果はあるが、それでも BMI は開始時と比べて 1.6%上昇していることを考えると、トータルで 7%近い改善が見られたことになる。
残念ながらリバウンドも早い。投与をやめてから半年後には BMI は 0.8%低下と戻ってしまっている。それでもコントロール群は 6.7%のゲインと大きく上昇しているので、良くなったと判断はできるが、長期に追跡しないとわからない。
これも当然のことながら嘔吐などの消化器の副作用はほとんどの子供で発生し、最終的に10%がドロップアウトしている。
血圧や、HbA1c の改善がある程度見られているが、治療前の数値は特に病的ではないので、これが将来の様々な生活習慣病リスクを下げるかどうかはわからない。
以上が結果で、確かに効果はあるという結論だが、糖尿病など明確な問題がない肥満児を対象にこの薬剤を本当に使っていいのか、読んだ後疑問に思った。まず BMI だけでどこまで将来を予測できるのか、さらにリバウンドがあるからとずっと続けていいのかなど素朴な疑問が生まれる。現在さらに新しい対象をリクルートして治験は拡大しているようだが、おそらく一番大事なのはさらに長期に追跡して、小児期の治療効果を検証することではないかと思う。最終的に子供の肥満の治療として認めるのは、その結果が明らかになるずっと先でもいいのではと思う。
医学は治療の対象を拡大して今や肥満がその対象になった。ただ、一般の人の頭の中では病気治療とダイエットの区別がつかないという混乱が生じてしまっている。この混乱が子供と父兄にまで拡大し、オンライン診療で GLP-1 アナログが処方されることは避ける必要がある。
2024年9月20日
現在前立腺ガンなどには、高線量率小線源療法(ブラキセラピーと呼ばれている:BT) が行われる。この方法は腫瘍内に小線源を埋め込むことで、周囲の正常組織への放射線影響を抑えようとするもので、当然ガン組織内でも線量の違いが生じる。
今日紹介するウィスコンシン大学からの論文は、BT が免疫チェックポイント治療(ICI)と相性がよく、その理由がガン組織の放射線量に違いが生じることでガン組織に異なる免疫環境が作られることを動物実験で示した研究で、9月18日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Intratumoral radiation dose heterogeneity augments antitumor immunity in mice and primes responses to checkpoint blockade(腫瘍内の放射線量の不均一性がマウスの抗ガン免疫を高め、チェックポイント治療効果を高める)」だ。
この研究では一般の均質な放射線照射 (EBRT) や BT 、そして ICI 単独では治療が難しいことがわかっているガンを移植したマウスに、様々な線量の BERT や BT の放射線治療と ICI を組み合わせたときにガン抑制効果が得られないかを調べ、BT と ICI を組み合わせたときだけ絶大な効果が生まれることを発見する。このとき、BT の線量は多すぎると併用効果が低下する。
この原因がガン組織内の線量の不均質性によるのではないかと考え、線量と腫瘍環境の遺伝子発現を調べると、遺伝子発現パターンが線量を反映し、BT では線源からの距離に応じて遺伝子発現パターンが異なっていることを確認する(組織上での遺伝子発現ライブラリー作成方法まで用いて放射線の量と組織反応の相関性を示している)。
どの遺伝子がどこで発現しているのかなどの詳細は全て割愛して紹介するが、要するに低い線量部位が存在することが重要で、そこではキラー細胞やヘルパー細胞が集まり、逆に抑制性T細胞は減る腫瘍組織が成立している。逆に、高線量領域では抑制性T細胞が増えて、キラー細胞やヘルパーT細胞が減っている。
BT と ICI で誘導されたガン免疫には CD8T細胞と CD4T細胞の両方が必要で、これは局所での反応がリンパ組織で免疫記憶へと発展する必要があるためで、脾臓の CD8T細胞のインターフェロンγ分泌が BT と ICI で最も高い値になることを示している。
この論文で示された免疫系やサイトカインの解析は、著者独自の解釈が多くわかりにくい。しかし、これら分子機構の集まった結果としてのガン免疫成立を指標としてみると、ガン組織が暴露される線量の不均一性が存在する BT の方が ICI との相性がいいという結果は、極めて面白い。ガンを殺すために、どうしても必要な線量を照射することは当然のことだが、一部低線量部位を残すことで、ガン免疫を育てていけるという話だ。とすると、例えば別々の場所で増殖する転移性のガンを使って、両方とも低線量で免疫を育てた方がいいのか、あるいは片方は高線量、片方は低線量照射して ICI と組み合わせた方がいいのかといった実験は重要になる。もし一部の組織に低線量で照射することが最も重要なら、放射線治療を諦めた場合でも、一部の転移巣に低線量照射を行い、ICI と組み合わせることで免疫を高めることができる。もしこれが正しいとすると、BT だけでなく EBRT でも同じ結果が得られるかもしれない。まだまだ臨床に即した実験を期待したい。
2024年9月19日
TGFβ はガン転移を誘導するシグナルとして広く知られている。このメカニズムについて我々のレベルでは、TGFβシグナルは転移につながる上皮間葉転換(EMT)やマトリックスの繊維化を促進し、ガンの転移を促進するで終わっているが、もちろん専門家は膨大なエネルギーを使ってさらに分子間相互作用を追求する。
今日紹介するスローンケッタリング癌研究所 J.Massague 研究室が9月6日 Cell にオンライン発表した論文は、プロの研究を学べる格好の論文で、TGFβ が Ras をドライバーとする肺ガンの転移を誘導する詳細なメカニズムを理解することができた。タイトルは「TGF-β and RAS jointly unmask primed enhancers to drive metastasis(TGFβ と RAS は協力してあらかじめ決められたエンハンサーの抑制を外して転移を促進する)」だ。
J.Massague は TGFβシグナル研究のトップを長く走ってきた大御所で、我々が単純に RAS = ガンドライバー、TGFβ = 転移 と分けて考えてしまっているのを、なぜ RAS をドライバーとするガンが TGFβ で転移するのかという統合的問題として設定し、この問題から始めている。
膨大な仕事で、SMAD の機能から構造まで熟知していないと思いつかない実験が行われており、まず紹介しきれないので、明らかになった結論について一つ一つ解説する。
まず、RASドライバーの TGFβシグナルに関わる役割だが、RREB1 と呼ばれる転写因子が RASシグナルにより活性化されることで初めて TGFβ 下流の転写が始まる遺伝子群が存在し、これらが EMT や線維化に関わる遺伝子を誘導するのに必須であることを明らかにする。
次に RREB1 の役割をゲノム上の結合部位を探索して調べると、TGFβシグナルを下流の SMAD2/3 が結合するエンハンサー部位近くに存在して、SMAD2/3 が結合すべきエンハンサー部分を指定する役割があることがわかる。すなわち、RAS によりRREB1 がまず一部の SMAD 結合部位に結合して、閉じられていたクロマチンを SMAD 結合可能にする役割があることがわかる。
次に、RREB1 下流で SMADリクルートに関わるさらに詳しい分子メカニズムを調べる目的で、まず RREB1 に結合するタンパク質を82種類を特定、クリスパーノックアウトスクリーニングにより DHX9 と INO80 と名付けられたタンパク質が、RREB1 が SMAD結合部位を指示するために必須の分子であることを明らかにする。
続いてそれぞれの分子の SMAD との関わりを調べると、DHX9 は SMAD3 と、INO80 は SMAD4 と結合していることが明らかになった。SMAD3-DHX9、SMAD4-INOX80 は TGFβシグナル下流で複合体を形成し、この複合体を形成することで RREB1 が指示するエンハンサー部位へリクルートされることがわかった。
次に、INO80/SMAD4 の機能について調べているが、SMAD4 は転移に関わると言われていたがそのメカニズムはわかっていなかった。Massague は SMAD4 が他の SMAD と比べ少し異なる構造を持っており、この部位に INO80 が結合すると着想し、INO80 と SMAD4 の結合部位を初めて決めることに成功している。SMAD構造を熟知したまさにプロの目を感じる。そして、INO80/SMAD4 は転写因子として働くのではなく、RREB1結合により指示された部位の転写を抑制しているヒストン構造を除去して、DHX9/SMAD3 がエンハンサー部位に結合できるように準備することを明らかにしている。
最後に DHX9/SMAD3 は、アクセス可能になった DNA結合部位と結合して、ヒストンアセチル化酵素CBP をリクルートし、転写を活性化する。
以上さすが Massague と感心する研究で、是非自分で読んでみてほしい。
2024年9月18日
細胞内で凝集した Tauタンパク質をユビキチン化してプロテアソームで分解できることが明らかになって、俄然、細胞内Tauを標的にした治療法の開発が進み出した。このブログでも、脂肪ミセルに包んだ抗体を鼻から投与し、脳内のTauを脳神経に届けて除去するテキサス大学の方法(https://aasj.jp/news/watch/24763 )、そして細胞内のTauを認識するナノボディーにユビキチン化に関わる TRIM21のRing domain を結合させたキメラ遺伝子を脳内に導入して凝集Tauを分解させるケンブリッジ大学の遺伝子治療法(https://aasj.jp/news/watch/25114 )を紹介した。
今日紹介するのは同じケンブリッジのグループとMRCが共同で発表した論文で、ナノボディーの代わりに凝集活性が強いTau自身を使って凝集Tauをユビキチン化する面白い遺伝子治療法の開発で、9月13日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Co-opting templated aggregation to degrade pathogenic tau assemblies and improve motor function(鋳型による凝集性を用いて病原性Tauを分解し運動機能を改善する)」だ。
凝集TauにTRIM21分子のRingドメインをリクルートしてユビキチン化するという原理は、ナノボディーを使った方法と全く同じだが、今回はなんと凝集力が高まった変異Tau自体にRingドメインを結合させ(Tau-Ring) 、この分子が自然に凝集Tauに集まる性質を利用して、凝集Tauをユビキチン化する、いわば毒をもって毒を制する方法だ。
期待通り Tau-Ring を発現させた細胞では、凝集Tauを加えても完全に分解される。この分解がユビキチン、ユビキチン化されたTauに結合するシャペロンVCP、そして分解するプロテアソームの経路で進むことを阻害剤の実験から、また凝集Tauは完全に分解され、他の神経に伝搬する小さな凝集を残さないこと、そしてRingドメインに変異を導入する実験で、Ringドメインがダイマーを形成することがユビキチン化に必須であることなどを明らかにしている。すなわち、凝集Tauの分解は、典型的なユビキチン・プロテアソーム経路で行われる。
次に、アルツハイマー病、進行性核上性麻痺と、異なる凝集形態をとるTau を、患者さんの脳から分離して、それぞれに対する活性を調べ、異なる形態をとるTau凝集塊も、この方法で完全に分解できることを明らかにしている。
そして最後は、脳に遺伝子を届けることができる新しいアデノウイルスにTau-Ring遺伝子を組み込み、Tau凝集により運動麻痺が起こるマウスモデルに静脈注射してTau-Ringが脳内の届けられること、それにより凝集Tauが分解され、その結果マウスの歩行機能が正常化することを明らかにしている。
以上が結果で、ナノボディー / Ring 論文と比べてみたが特に治療実験は異なるモデルが用いられているので比較がしにくい、おそらく遺伝子の大きさもそれほど違いがないので、効果については今後、実際の治験で試していくしかないと思う。いずれにせよ、どちらも治験が可能な材料はほぼ揃っているので、臨床での検討は遠くない話だと思う。Tau標的の治療可能性が揃ってきた。
2024年9月17日
東京オリンピックのレガシーの一環としてアスリートのゲノム解析を目指したプロジェクトが中止されたという。2017年度から始まったプロジェクトらしいが、後からアスリート選別や差別につながるという懸念が出て中止したようだ。一見、人権擁護からも当然のように見えるが、私には日本政府の研究補助に潜むあらゆる問題が表面化しているように見える。
元々遺伝学は違いを探す学問で、文字通り discriminate 、差別するための学問だ。ただ、社会的な意味で差別するのは、違いを受け取る社会の方で、ゲノム研究のためには、最初から個人のセキュリティーを守る仕組みを考えておく必要がある。多くのサンプルを採取するのに膨大なお金を使った後、差別はダメと研究を中止するとしたら、最初から計画がゲノムを調べるようにできていなかったことになり、計画立案者はもとより、それを審査した専門家、予算をつけた役人の全ては何らかの処分を受ける必要がある。要するに、杜撰なプロジェクトを、東京五輪というバブルに乗せて始めたことが問題だ。
これに限らず、日本では個人データの典型である医療データを統一的に構築し、将来の医療に役立てるための取り組みが、大きく遅れをとっているように思う。しかし、今政府が追いつこうと莫大なお金を投与している大規模言語モデル LLM を考えると、DNAを情報集約ポイントとする LLM と、自然言語を情報集約とする LLM が統合される重要な分野で、その意味で日本人の健康データがまだまだ統合的に使えないということは、LLM の本当の進展を妨げると思う。
今日紹介する米国コロンビア大学から、そしてドイツ・ミュンヘンのヘルムホルツ研究所から発表された2篇の論文は、現状の電子化された健康レコード (EHR) を、疫学や病因解析に使えるようにストックするための方法開発論文で、どちらも Nature Medicine に掲載された。
どちらもオープンアクセスなのでぜひ自分で読んで欲しい。
最初のコロンビア大学からの論文は、アスリートゲノムでも問題になった究極の個人情報ゲノムをどのように他の EHR と統合し、しかもセキュリティーを守れるプラットフォームについての研究で、いわゆるブロックチエーン技術を EHR とゲノムデータ管理に使っている。
ブロックチェーンはビットコインなどの仮想通貨に使われており、分散型ネットワーク、暗号化技術、そして新しいブロック追加や、ネットワークへのアクセスのすべてが記録されることで、誰が参加したかを明らかにしてセキュリティーを守る方法だ。
プラットフォームの詳細については全く理解していないが、このプラットフォームを ALS のデータセットと組み合わせて、重要な遺伝子の SNP を発見できることを示している。
ブロックチエーンは管理者ですら自由に変更を許さない分散型のネットワークで、レガシープロジェクトも中止するのではなく、このようなブロックチェーン型のデータ管理を導入する機会にしてほしい。
次のミュンヘン・ヘルムホルツセンターからの論文は、検査項目が完全には統一されていない現状の EHR からデータを集めて統一したプラットフォームを作り、それぞれの患者さんを異なる時点で把握した上で、特定のポピュレーションを抜き出して解析できるプラットフォームを確立している。わかりやすく言うと、single cell RNA sequencing データをもとに、個々の細胞の特徴を多次元空間にマップする解析方法と似たプラットフォームの構築だ。
ただ、single cell RNA sequencing と比べると EHR の形式が統一されていないなどの問題は大きく、様々なマルチモーダル EHR を整理し直して、それを一つの多次元情報を持ったベクトルとして管理する方法だ。
これにより、例えば子供の肺炎を、さらに詳しく分類したり、コロナ患者さんの肺病変と予後を予測したり、データに含まれているコンテクストを解析することができる。また、データコーディングについてさらに検討を加えれば、トークン化して LLM モデルも構築できる。要するに、最初から全部のデータを集めるというコホートではなく、実際の臨床記録を使えるようにするプラットフォームの解析で、重要な貢献だと思う。
このように、Nature Medicine には多くの臨床データ管理の研究が発表されるようになってきたが、日本のプレゼンスはほとんどないように思う。その一つの原因は、医学データのしまい方にもあるので、若者が自由にしかしセキュリティーを守ってデータを使って、新しいプラットフォームが作れるようにすることが、役所の重要な仕事だと思う。
2024年9月16日
以前述べたことがあると思うが、多くの論文を読んでいると、著者を見ずに論文を読み進むうちに中国からの論文ではないかと気づくことがよくある。気づきの原因を探ると、まず普通考えない疑問にチャレンジするのだが、なぜ常識を疑ったのかの理由がはっきりしない。研究は最新の方法を組み合わせて行っているが、実験から実験の論理が飛ぶ。そして最後がちょっと尻切れトンボで、掲載するかどうかのボーダーラインにあるなといった感じの研究だ。
今日紹介する上海交通大学からの論文は、迷走神経が空腸上皮の細胞形態を調節して脂肪吸収を減らすという研究で、著者を気にせず読んでいるうち中国からの研究ではないかと途中で著者を見て納得した研究だ。論文のタイトルは「A brain-to-gut signal controls intestinal fat absorption(脳腸間シグナルが小腸の脂肪吸収を調節する)」だ。
この研究は最初から背側迷走神経核 (DMV) の刺激で高脂肪食による肥満を防げるかという実験を行っている。通常脂肪の吸収は胆汁で脂質はミセル化され、上皮に到達するとモノグリセリド、遊離脂肪酸は拡散で取り込まれてトリグリセライドが再合成され、カイロミクロンというキャリアーに詰め込まれる。あまり神経が関わる過程は見つからないのだが、DMVを抑制すると体重が減り、血中脂質が低下、便中の脂質は上昇する。
意外な結果で面白いが、なぜ DMV 抑制実験を行おうとしたのかについての理由が、幽門胃切除術+迷走神経除去手術で脂肪摂取が低下するからと言う少し無理な論理だ。しかし面白いが、脂肪摂取が抑えられる理由は様々考えられる。例えば、当然腸の運動が阻害されるはずで、この影響などを調べる必要があると思うが、空腸を支配する DMV 特異的に、脂肪吸収が抑えられるという結果だけで押し通している。
次の実験が、延髄のスライスを使った DMT 興奮抑制実験でクズの根に含まれるフラボノイドで、中国漢方で脳卒中に使われ、神経保護材として使われるプエラリンが、DMT の自然発火を抑制することを示し、また腹腔注射、あるいは脳に直接プエラリンを投与することで、脂肪摂取を抑え、体重を減らす効果がある。
突然プエラリンが出てくるという論理飛躍があるのも特徴だが、漢方との関わりが示唆されるので中国からの研究と確信した。ちなみに上海交通大学は漢方を近代医学と統合する研究が盛んで、これまでもこのブログで紹介した。とはいえ、急に漢方と関係があるプエラリンが出てくるのには驚く。しかし、プエラリンを飲んで脂肪吸収が抑えられるならいいと思うが、残念ながら経口投与実験が行われていない。
一方で、プエラリンがなぜ効果を持つのか、プエラリンをラベルして結合分子を GABA 受容体と特定し、受容体ノックアウトマウスを用いた証明や、クライオ電顕を用いてプエラリンの結合部位を決める研究などは、力量を感じる。
最後に、メカニズムの検討に移っているが、先に述べた空腸の運動についてはほとんど言及せず、すぐに腸上皮の形態変化を電顕で調べ、上皮細胞のブラッシュボーダーを形成している微絨毛の長さがプエラリン投与など DMV 抑制により短くなっていることを発見する。
以上をまとめると、DMV は刺激により腸上皮の微絨毛の長さを維持し、脂肪吸収を高めているという驚くべき結果だが、話はここで終わり、メカニズムについてはアプローチしないまま研究は終わっている。
最初述べた全ての要素が存在する典型的な中国の研究で、プエラリンを抗肥満薬に使えるかも知らないというアトラクションまであるが、しかし、細胞の形態変化を通じて脂肪吸収を抑えるとすると、プエラリンも長期に飲んだりすると問題になる気がする。