2022年7月7日
この論文を読むまで、人間関係の煩わしさなどによる社会的ストレスは、睡眠を妨げるだけだと思っていた。しかし、今日紹介するImperial College Londonからの論文は、マウスの話とは言え、ストレスが睡眠を誘導して、不安を和らげる働きを媒介する神経回路を明らかにした興味ある研究で、7月1日号 Science に掲載された。タイトルは「A specific circuit in the midbrain detects stress and induces restorative sleep(中脳の特異的神経回路がストレスを検出しストレスから回復させる睡眠に関わっている)」だ。
ハンスセリエのストレス学説以来、ストレスが副腎皮質ホルモンの血中濃度を高めることが知られており、この結果神経的な不安症だけでなく、身体の様々な異常が誘導される。従って、早くストレスを忘れることが一番の治療法になるので、その意味では確かに寝て忘れるのが一番かもしれない。
この研究では、マウスで社会的ストレス特異的に睡眠が誘導されるという現象に焦点を当て、まず睡眠と覚醒の調節に関わることが知られている復側被蓋野(VTA)神経のストレスに対する反応を調べ、睡眠を誘導することが知られている GABA 作動性の神経(VTAgat)の一部が特異的に活動していることを発見する。
様々な神経回路特定方法の開発が進んだ現在では、この発見が有れば後は手間と時間の問題だけといってもいいが、この研究はその好例だ。次に、ストレスで活性化されるVTAgatが睡眠誘導に関わるかを調べる目的で、一度活動した神経だけ化学物質で再度興奮させる手法を用いて、ストレスに反応した Vgat を刺激すると、期待通り睡眠が誘導できることがわかった。
以上から、ストレスを感知した神経はは VTAgat に投射し、また VTAgat は睡眠誘導中枢に投射していることが想像される。このため、まず VTAgat と様々な神経領域とのストレス依存的結合を、狂犬病ウイルスのカプシドを用いる神経投射追跡実験を用いて徹底的に調べている。
その結果、ストレスのセンサーとして知られる視床下部の2領域(lateral preoptic hypothalamus(LPO) とventricular hypothalamus(PVH)、そして中脳周囲灰白質(PAG)から Vgat は投射を受けていること、そして睡眠誘導のスイッチ役の外側視床下部に投射して、ストレスから睡眠へのリレーをしていることを、解剖学的、生理学的に明らかにしている。
これに加えて、Vgat 神経の興奮により、睡眠が誘導されるだけでなく、行動学的な不安反応が低下すること、さらに Vgat から PVH へと投射する神経により副腎皮質ホルモンの分泌も抑えられることを示し、この反応がストレスから自分を守る神経回路であることを明らかにしている。
神経回路の特定のために膨大な実験が行われておりただただ感嘆するが、メッセージはシンプルで、「対人ストレスは寝て忘れろ」になる。特にストレスの意識が希薄な子供では、この教訓は重要ではないかと思う。
2022年7月6日
若くして亡くなった月田さんをはじめ、何人かの細胞生物学のプロを見てきたが、美大生と同じで要するに構造が自然に頭に浮かんでくる人たちだ。従って、分子を考える時も構造との関わりで必ず考えている。結果、同じ現象を見ても、考えることが違うし、知識の整理の仕方も全く違い、これはかなわないと思う。
今日紹介するイタリア・Padua大学からの論文を読んだ時も、その細胞学にただただ感心で、メカノセンサー、細胞老化、自然炎症、細胞骨格などが細胞の中に統合されている様子を見せてもらって本当に感心した。タイトルは「YAP/TAZ activity in stromal cells prevents ageing by controlling cGAS–STING(ストローマ細胞でのYAP/TAZ 活性がcGAS-STINGを調節して老化を防止する)」で、6月29日 Nature にオンライン掲載された。
タイトルはわかりやすく、またこの研究の結論と合致するが、これでは語り尽くせない膨大な仕事だ。これまで細胞骨格の変化に関わる YAP/TAZ シグナルについては何度も紹介しているが、このグループは老化に伴い機械的疲労が蓄積すれば当然 YAP/TAZ の活性に反映されると考えた。
そこで、様々な臓器を single cell RNAseq で調べると、間質細胞のみで YAP/TAZ の発現低下が見られ、さらに細胞学的にも核移行が老化で大きく低下することを発見する。一方、他の細胞系列ではこの差は見られない。
次に YAP/TAZ の機能を調べるため、間質細胞の YAP/TAZ を若い皮膚からノックアウトすると、組織学的にも、遺伝子発現上でも細胞老化が進み、またそれを示す βGal 染色も陽性になる。すなわち YAP/TAZ は老化を防いでいる。
ただ、この場合 YAP/TAZ は通常の Hippo 経路から刺激されていないので、上流を探索し、間質細胞の障害で早期老化が見られる Fibrinllin1 が上流に存在し、これによる細胞とマトリックスのメカニカルな作用が YAP/TAZ 活性化を誘導して、いわば機械疲労を防いでいることを明らかにしている。
次は、 YAP/TAZ が老化を防ぐメカニズムだが、 YAP/TAZ は当然増殖や生存に関わる分子を調節しているので、これまで知られている下流分子が老化防止に関わることは当然だが、この研究ではさらに新しい老化に関わる経路を発見している。
それが、 cGAS-STING 活性化で、これまでも紹介してきたように(https://aasj.jp/news/watch/9877 )、自然炎症やオートファジーに関わるシグナルで、当然老化を促進する。すなわち、機械ストレスで YAP/TAZ が上昇することで、 cGAS-STING を抑制して、炎症を防いでいるというシナリオだ。実際、メカニカルストレスの強いところでは、自然炎症が発生することを考えると、このメカニズムは頷ける。
ただ、このグループの真骨頂はこの後で、注意深い細胞学的観察から、YAP/TAZ シグナル低下が、核膜の異常や、アクチンキャップ形成不全を誘導していることを見抜き、最終的に YAP/TAZ シグナル低下が、核膜周囲でのアクチンキャップ形成を低下させ、核膜の脆弱性を誘導し、ここに cGAS がトラップされることが cGAS-STING 活性化につながることを明らかにしている。おそらく細胞学的センスがないと、到底ここまでは到達できない。
以上が結果で、老化の新しい経路だけでなく、細胞骨格と cGAS-STING など新しい分野を開く力作で、勉強できたという満足感の多い論文だった。
2022年7月5日
デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)の原因は、ディストロフィンとして知られる大きな分子をコードする遺伝子の変異によることがわかっており、根本的な治療としては、正常ディストロフィンを合成できるようにする、遺伝子治療か細胞治療と言うことになる。ただ、これまで紹介してきたように、筋肉を保全して少しでも進行を遅らせる治療法、例えばステロイド治療、あるいはオートファジーを抑えるウロリチンによるなどの開発も進んでいる。
そんな中でも今日紹介するカナダ・ブリティッシュコロンビア大学からの論文は細胞外から病気をコントロールするという点で面白い研究だ。タイトルは「Metabolic reprogramming of skeletal muscle by resident macrophages points to CSF1R inhibitors as muscular dystrophy therapeutics(常在マクロファージによる筋肉細胞代謝リプログラムはCSF1Rの筋ジストロフィー治療の可能性を示している)」で、6月29日号 Science Translational Medicine に掲載された。
この研究は大きく二つのパートに分かれている。
最初は、筋肉組織に常在し、しかもそこで長期間自己再生するマクロファージ集団の特定だ。このような組織常在マクロファージは、脳のミクログリア、皮膚のランゲルハンス細胞、肝臓のクッパー細胞が相当するが、筋肉での存在も示唆されていた。
この研究ではパラビオーシスを用いて、血液循環を通って筋肉に定着するポピュレーションと、何ヶ月もほとんど置き換わらない集団を分けた上で、組織内で自己再生するポピュレーション(self-renewing resident macrophage:SRRMと名付けている)の分子マーカー TIM4+Lyve1 を特定している。
その上で SRRM を選択的に筋肉から除去する少し複雑な方法を開発し、筋肉障害後の修復過程での SRRM の機能を調べている。これまで、筋肉からマクロファージが除去されると、死細胞除去が出来ず、大きな壊死が起こることが知られていたが、この実験からこの機能は主に SRRM が担っていることが明らかになった。
このように、急性の筋肉障害では SRRM が必須であることがわかる。では、DMD のような慢性の障害ではどうか。この研究では、DMD モデルマウスに6週目から6ヶ月、12ヶ月と長期に CSF1R 阻害剤を摂取させる実験を行っている。すると、急性筋肉障害と異なり、機能的にも、病理的にも病気の進行を強く抑制できることが明らかになった。
この原因を探ると、SRRM が除去されることで、Treg が上昇することで炎症が抑えられること、さらに筋繊維の代謝がリプログラムされ、筋肉が伸びる運動による断裂に抵抗性の筋繊維へとスイッチすることが明らかになった。
結果は以上で、この代謝リプログラムの背景に、おそらく CSF1R 下流で誘導されるインシュリン様増殖因子が有ると示唆されているが、それ以上の解析は出来ていない。
人間でCSF1Rを阻害し続けたとき、ほとんど問題はないのかについて検討が必要だが、DMD のモデル犬も存在することを考えると、さらに長期に治療を続ける可能性を調べることは出来る。いずれにせよ、マクロファージを操作して DMD をコントロールする方法は、筋肉代謝、Treg 抑制、そしてマクロファージを介する炎症抑制と、一石三丁の方法になるかもしれない。
2022年7月4日
最初にJeffrey Gordonさんの研究を論文ウォッチで紹介したのは、2013年9月で、一卵性双生児で片方が痩せていて、もう片方が太っているという、ほとんどあり得ないようなペアを見つけてきて、太っている方の細菌叢を移植されたマウスは肥満になるという、驚くべき研究だった(https://aasj.jp/news/watch/424)。その後何回もGordonさんの論文を紹介してきたが、深い知識、発想の豊かさ、実験の徹底性、そして研究で人を救いたいという気持ちが常に伝わってくる論文が多かった。
今日紹介する論文もGordonさんの特徴を全て備えており、なんとオレンジジュースの絞りかすを健康食品に変えるアイデアを実現するための研究で、6月27日Cellにオンライン掲載された。タイトルは「Microbial liberation of N-methylserotonin from orange fiber in gnotobiotic mice and humans(オレンジ繊維からヒト細菌叢を移植したマウスでN-メチルセロトニンが遊離される)」だ。
この研究の目的は、ジュースを絞った後に残るオレンジの絞りかすから、腸内細菌を用いて、健康食品に変えられないかだ。このため、完全に遺伝子構成がわかった14種類の細菌ミックスを移植した無菌マウスに、食用に加工されたオレンジ絞りかす(OF)を食べさせ、何か有効な分子が合成されないか、化学的に調べている。
すなわち、腸内の細菌工場で OF から生産できる分子を探索し、最終的にセロトニンがメチル化された分子、メチルセロトニンが腸内で上昇することを発見する。
他にも様々な分子の上昇が見られたと思う。例えば、定番の短鎖脂肪酸などだ。ただ、Gordonさんはそれでは満足しないで、より新しい植物由来分子を求め、メチルセロトニンに行き着いた。この分子は山椒のようなスパイスには既に含まれていることが知られていた。
まずメチルセロトニンの効果を、高脂肪低繊維食を接種しているマウスの飲み水に加えて調べると、驚くなかれ体脂肪が減少し、体重が低下する。効果のメカニズムを腸での遺伝子発現から探ってみると、まずメチルセロトニンも腸内のセロトニン受容体に結合する。そして、グルタミン酸の分泌を高めて神経を刺激することで、概日リズムに関わる分子の発現を変えて、グリコーゲン合成、グルコース分解低下などの変化が誘導される結果だと結論している。また、この結果食べ物の消化管内停留時間が2/3に低下することも効いている。
では、細菌叢はどのように関わるのか。研究では、Bacteroidesなどの一部の細菌のみがメチルセロトニン上昇を誘導できること、しかし細菌はメチルセロトニン合成能を全く持たないこと、また細かく砕いた OF からはメチルセロトニンが出来にくいことから、山椒と同じで、オレンジはメチルセロトニンを合成しており、これが繊維の中にトラップされており、繊維を細菌が分解する過程で外部に遊離されることを発見する。すなわち、OF の食物繊維をよく分解できる細菌なら、メチルセロトニンを遊離させられる。
これらの実験は、マウスは用いていても、人間由来のバクテリアで行ってはいるが、最後に人間でも OF を食べればメチルセロトニンが遊離されるか、OF ベースのスナックを作成し1日3回食べさせると、便中のメチルセロトニンの濃度が上昇してくることを示している。
マウスの便通の実験から、このスナックを常時食すると、おなかがグルグル鳴らないか少し心配ではあるが、廃棄物を健康食品にという目的は達成されている。
細かい点でわからない点も多いが、しかしマウス腸内で形成したバクテリア工場で、面白い分子が出て以内か探索するという、全く新しい発想の結果、食物繊維は細菌叢の分解する対象だけではなく、中に閉じ込められた物質を掘り出してくる機能もあるという新しい概念が示された、まさにGordonさんの研究だと思う。
2022年7月3日
寄生体に身体を操られるボディースナッチは、SFの世界だけではなく、動物界には結構見られる現象だ。しかし、今日紹介する中国・雲南獣医学研究所からの論文は、Flaviウイルス、蚊、皮膚細菌、そして人間を含む動物と、なんと4種類の生物が関わるという点では複雑の極みで、本当にこんな進化があり得るのかと思える研究だ。タイトルは「A volatile from the skin microbiota of flavivirus-infected hosts promotes mosquito attractiveness(Flaviウイルスに感染したホストの皮膚細菌叢からの揮発物が蚊を惹き付けやすくする)」で、6月30日Cellにオンライン掲載された。
デングウイルスやジカウイルスはネッタイシマカなどの蚊により媒介される。即ち、蚊に刺されたホストで増えたウイルスは、ホストがもう一度蚊に刺されることで初めて蚊に戻り、他のホストへと感染できる。このサイクルをウイルスの立場から考えると、感染ホストの中から体外の蚊を遠隔操作して、感染ホストへと誘導出来れば、増殖機会を増やすことが出来る。しかし、そんな都合のいい遠隔操作が可能なのか。
この研究では、まず感染マウスと、非感染マウスの臭いで満たされるようにしたチェンバーのどちらにネッタイシマカが移動するか調べる実験系を組み立て、なんと感染マウスの臭いは、ネッタイシマカを惹き付けることを明らかにしている。
これだけでも驚くが、感染マウスと非感染マウスから遊離される揮発物質を集め、この解析からアセトフェノンの量が最も多く変化することを突き止める。そして、アセトフェノンを塗布した非感染マウスや、人間の手にも蚊が引き寄せられることから、アセトフェノンこそがウイルスにより操作され、皮膚で作られる分子であることを明らかにする。
次に感染マウス皮膚でアセトフェノンが合成されるメカニズムを探り、皮膚細菌叢を除去するとアセトフェノンの合成が無くなることから、ホストの細胞ではなく、皮膚に常在する細菌叢がアセトフェノンを合成していることを突き止め、アセトフェノンを合成できる4種類の細菌を特定している。
ではなぜアセトフェノン合成細菌が感染ホストの皮膚で増殖するのか?感染ホストの皮膚を非感染ホストと比べることで、最終的にバクテリアに対する抗菌物質の一つRELMαの発現が低下すること、またアセトフェノン合成細菌4種類は、RELMαへの感受性が高く、結果感染によりRELMαが低下した皮膚では、通常より増殖が上昇することを示している。
さらに、この感染によるRELMα低下を補うためにビタミンAの摂取が有効であることも示している。
蚊の誘引物質の実験系、誘引物質の同定、誘引物質合成細菌の同定など、かなり高い実験能力が示された論文で、クエスチョンも面白いが、それをやり遂げる力量にも感心した。ただ、感染、自然免疫、RELMα低下のカスケードだと、別に蚊により媒介されるウイルス感染である必要はない。その点を明確にしてほしいと思う。
しかし、5月7日、ネッタイシマカの脳の活動を調べて蚊の誘引物質を探索する研究を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/19624 )。この研究の場合、誘引物質のカクテルが人間へ蚊を引き寄せる役割を演じていることが示されていた。同じ系を用いて、アセトフェノンの効果を調べる重要性を感じる。これによって初めて、これだけ複雑なサイクルをコントロールするウイルス進化が可能になったのか、理解できるようになるだろう。
2022年7月2日
食事を、見ながら嗅いで、ゆっくり味わいながら食べるほうが、ただ栄養として飲み込んで摂取するより身体にいいことがわかっている。これは、食べ物が視覚や嗅覚、そして味覚を通して脳を刺激し、これが消化吸収後にグルコース濃度が上がってインシュリン分泌が誘導されるより前に、迷走神経を介してインシュリンを分泌させ、代謝を前もって調節しているからと考えられている。この過程に、自然炎症の親玉、IL1β が関わることが最近示されている。
今日紹介するバーゼル大学からの論文は、食べ物の脳への刺激が IL1β を介してインシュリン分泌を誘導するメカニズムを明らかにした研究で7月5日号 Cell Metabolism に掲載された。タイトルは「The cephalic phase of insulin release is modulated by IL-1b(脳を介するインシュリン刺激はIL1βにより調節される)」だ。
この研究では IL1β が脳で働いて、迷走神経を介してインシュリン分泌を刺激するという仮説に基づいて研究を行っている。そこで、まず IL1β を低い濃度で腹腔および脳に注射する実験を行い、腹腔注射では影響がない濃度でも、脳に IL1β を注射するとインシュリン分泌が誘導されることを明らかにする。
次に空腹にしたマウスに餌を与え、最初の一口でマウスを採血、インシュリンを測定すると、食事は全く入っていないのに、インシュリンが分泌される。このとき、IL1β シグナルを抑える薬剤を前もって投与すると、インシュリン分泌が抑えられる。即ち、食べ物の脳への刺激がインシュリン分泌を誘導するには、脳内で IL-1β が分泌されることが必須だ。
この発見がこの研究のハイライトで、あとは
白血球で IL1β をノックアウトしても、脳の刺激によるインシュリン分泌は影響ないこと、このマウスと比べると、脳のミクログリアで最も強く IL1β 分泌が傷害されるようにしたマウスでは、脳刺激によるインシュリン分泌が起こらない。すなわち、ミクログリアが脳内の IL1β の源である。 おそらく視覚や嗅覚などの刺激によりすぐに IL1β がミクログリアから分泌されると、視床の傍脳室核を刺激し、この刺激が迷走神経を介して膵臓でインシュリン分泌を誘導する。 肥満になると、IL1β のレベルが元々高まってしまって、脳刺激による IL1β の効果が消失しており、この結果食事前のインシュリンによるコンディショニングが起こらず、肥満をさらに悪化させることになる。
以上が主な結果で、IL1β が迷走神経を刺激するメカニズム、食べ物の刺激でミクログリアの IL1β が分泌されるメカニズムなど、肝心なところがまだわからない。しかし、IL1β が脳と膵臓をつなぐという結果は重要だ。と言うのも、IL1β は自然免疫のエフェクターの親玉で、肥満、糖尿病、動脈硬化、そして老化などに関わることがわかっている。これが脳の食への感受性を鈍化させるとすると、最終的に肥満では楽しんで食べていないのではと思える。私のような食べることの好きな老人には今後も注目の領域だ。
2022年7月1日
ガス中毒といえば、まず頭に浮かぶ一酸化炭素が、なんと薬として使えると聞くとだれもが驚くはずだ。長年医学論文を読んできた私も全く初耳だった。当然今日紹介するハーバード大学からの論文のタイトル「Delivery of therapeutic carbon monoxide by gas-entrapping materials(治療用一酸化炭素をガスを閉じ込める材料を用いて患部に届ける)」を見ると、それだけで引きつけられる。
イントロ部分を読むと、一酸化炭素が何故薬になるのかまとめた総説が2010年、Nature Review Drug Discoveryに掲載されているので、ざっと目を通してみた。
勿論、ヘモグロビンに結合してしまうと酸素と拮抗して、呼吸が出来なくなる。しかし実際には私たちの体の中でも一酸化炭素が作られており、局所でヘムを持つ分子と相互作用を行い、様々な効果を発揮すること、特に血管リラックス効果のあるNO産生に重要な働きをしていることが述べられている。その結果、炎症や損傷治癒を促進する効果があり、外部からCOを投与しても、十分同じ効果を得ることが出来るようだ。
しかし、どうやって安全な量の一酸化炭素を患部に投与するのか?今日紹介する論文の目的は、大腸にCOを投与する方法の開発で、6月29日号Science Translational Medicineに掲載された。
極めて単純化して結果をまとめると、多糖類の一つキサンタンガム、メチルセルロース、そしてマルトデキストリンを基質にして、ホイップクリームを作り、そこに一酸化炭素を溶け込ませるという方法を用いると、経口的に胃を満たしたり、あるいは肛門から逆行的に直腸を満たして、局所でヘモグロビンと結合できることを示している。すなわち、COを比較的簡便に投与可能で、ヘモグロビンへの結合から見て、組織内で利用されていることを示している。
そして、安全な量を直腸に投与することで、
アセトアミノフェンによる肝臓の急性中毒を軽減できる。 デキストランスルフェーとによる慢性腸炎をほぼ完全に抑えることが出来る。 放射線による大腸上皮の障害を抑えることが出来る。
を実験的に示し、様々な病気の基礎治療として用いることが出来ることを示している。
大変勉強になったが、今後ホイップクリームの作り方などを工夫して、様々な治療に役立てられる可能性を感じた。
2022年6月30日
全く免疫系が欠損したマウスでも、毛は生えてくることから、毛根サイクルが免疫システムと独立していることは明らかだが、免疫細胞が毛根再生に影響を及ぼしうることは、円形脱毛症が一種の免疫病で、さらにJAK阻害剤で治療可能であることから明らかだ。しかし、これらは病理的な状態の話で、生理的な毛根サイクルにリンパ球が関わることは予想だにしなかった。
今日紹介する米国ソーク研究所からの論文は、驚くなかれ、制御性T細胞(Treg)が、少なくとも人工的に抜いた毛根の再生のスイッチとして重要な働きをしていることを示した面白い論文で、6月23日号の Nature Immunology に掲載された。タイトルは「Glucocorticoid signaling and regulatory T cells cooperate to maintain the hair-follicle stem-cell niche(グルココルチコイド・シグナルと制御性T細胞は協調して毛根幹細胞ニッチの維持に関わる)」だ。
実際には私がフォローできていなかっただけだが、Treg細胞が幹細胞の維持に関わることは、様々な組織で示されているようだ。このグループは、毛を引き抜いた際に起こる毛根再生では、局所にグルココルチコイドが分泌され、それに刺激されたTreg細胞が、毛根幹細胞に働いて再生のスイッチを入れるという作業仮説をたて、これに従って実験を進めている。
まず、背中一面の毛を抜いたとき、48時間をピークに、局所でのグルココルチコイド分泌が起こることを確認する。血中グルココルチコイドには変化がなく、副腎からの全身への分泌ではなく、皮膚に存在する何らかの細胞から、ストレスにより分泌されていることがわかる。同時に、皮膚に存在するTregのグルココルチコイド受容体 (GR) の発現も上昇する。
そこで、TregだけでGRが欠損するマウスを作成し、背中一面の毛を抜く処理をすると、正常では15日目でほぼ再生が完了するのに、GRノックアウトマウスでは全く再生しない。ただ、人工的な毛根除去だけでなく、自然の休止期から活動期への移行も遅れることも示している。この発見が研究のハイライトで、毛根サイクルにTregは必要ないが、Treg活性化がないと休止期が延びてサイクルが長くなることがわかり、Tregが生理学的状況でしっかり働いていることが明らかになった。
後はTregが幹細胞の活性化を助けるメカニズム、そしてそのメカニズムがGRによって誘導されるメカニスムについて実験を進め、
Tregが分泌するTGFβ3が、毛根の再生を抑えるBMPシグナルに拮抗することで、毛根幹細胞の増殖を誘導する。 TGFβ3をTregからノックアウトすると、毛根再生を助ける機能が完全ではないが、一定程度失われる。 GRはFoxP3と協調してTGFβ3遺伝子の発現を誘導する。
などを明らかにしている。
以上が主な結果で、なんと言ってもTregが、Treg本来の機能ではなく毛根幹細胞の再生がスムースに行くよう見守っているというストーリーで、面白い。考えてみると、リンパ球が進化するのは有顎類からだが、毛根の発生は哺乳動物からだ。従って、後から進化した毛根が、前から存在するTregを自分のシステムに組み込んでも何の不思議はない。様々なサイクルの毛を持つ人間の皮膚での役割も知りたいところだ。
2022年6月29日
てんかん発作の多くは、部分発作と呼ばれるタイプで、局所の神経に過剰な神経興奮が誘導され、それが脳全体に伝搬する。多くの場合、抗けいれん剤で発作を抑えることが出来るが、この治療に抵抗性のケースを薬剤抵抗性てんかん(drug refractory epilepsy:DRE)と分類される。そして発作が繰り返し、日常生活に著しい障害が生じる場合、皮質に電極を設置し、てんかん発作の始まる場所を特定し、そこを切除して発作を抑える治療が行われる。このHPで何度も紹介してきた、広い範囲を多くの電極でカバーする皮質電極を用いて脳の活動を正確に記録し、脳機能を調べる研究のほとんどは、てんかん巣切除のために皮質電極を設置した患者さんにお願いして行われた研究だ。
今日紹介するシンガポール国立大学からの論文は、検査確定後切除されたてんかんの発生源組織をsingle cell RNAsequencingで調べ、てんかんの発症と炎症の関わりについて検討した研究で、6月22日Nature Neuroscienceにオンライン掲載された。タイトルは「Single-cell transcriptomics and surface epitope detection in human brain epileptic lesions identifies pro-inflammatory signaling(Single cellトランスクリプトームと表面分子検出によりてんかん発生源に炎症性シグナルの存在が特定される)」だ。
この研究では、最初から、てんかん発生源に炎症細胞の浸潤があるはずだという仮説に基づいて、研究が行われている。この治療の目的が組織切除なので、患者さんの負担もなく、十分な質の高い細胞が得られると想像できる。その意味で、発作が起こっていない時の神経細胞側の変化についても、詳しく検討して欲しいと思うが、全く調べていないのが残念だ。
従来から治療抵抗性のてんかんの背景には炎症があることが指摘されてきたが、この研究では、まず正常と比べたとき、てんかん発生起源に存在するミクログリア細胞が、予想通り炎症性サイトカインを分泌する活性型に変化していることを確認している。
次に、リンパ球などの浸潤細胞側の解析を行い、マクロファージからリンパ球、NK細胞までほとんどの細胞が浸潤しており、特にT細胞ではグランザイムBの発現を含む炎症性変化が認められることを示している。すなわち、浸潤リンパ球主体の炎症が起こっている。
後は、浸潤細胞間の相互作用を特定するデータ処理法、さらには接合している細胞を純化して遺伝子発現を調べる方法などを組みあわせ、炎症現場で起こっている相互作用を調べ、
インテグリンを介する血管外への遊走が浸潤に重要な働きをしており、てんかん発生源にはこの過程を誘導する条件が存在する。 ミクログリアが直接CD4及びCD8T細胞と結合して相互作用を行っている。 この相互作用には、ミクログリア側のCCL4とIL1β、T細胞側のインターフェロンγ、グランザイムB、XCL1ケモカインがかかわる。
などを明らかにしている。ただ、反応しているT細胞のクローン増殖などについては検討できていないのも残念だ。
最初興味を持って読んだが、予想の範囲の結果で、炎症だとしても、結果なのか原因なのか、何故発生源で炎症が起こるのかなど、重要な問題はそのまま残っている。出来れば、神経側の解析をもっと深めて欲しかったという印象だ。いずれにせよ、薬剤抵抗性の患者さんに炎症、特にT細胞による免疫性炎症を抑える薬剤の効果を調べる研究方向は、今後重要だと感じた。
2022年6月28日
運動後のビール一杯は、このために運動するのではと思えるほどたまらない。とは言え、人によると思うが、強い運動後はどうしても食欲が抑制され、暴飲暴食が防がれているのも事実だ。今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、エクササイズにより上皮や血液細胞で合成される乳酸とフェニルアラニンが結合した Lac-Phe が、運動後に食欲を抑制し、健康維持に働いていることを示した研究で、6月15日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「An exercise-inducible metabolite that suppresses feeding and obesity(エクササイズにより誘導され食物摂取と肥満を防ぐ代謝物)」だ。
この研究は運動後に上昇する代謝物を探索し、最も高い上昇率を示す分子として Lac-Phe を特定する。運動により乳酸が上昇するが、Lac-Phe は濃縮された乳酸とフェニルアラニンが結合してできる代謝物だ。これまでの研究に、CNDP2が合成に必要であることがわかっている。ある意味で、不思議な発見だ。CNDP2は名の通りディペプチナーゼなので、ディペプチドに働いて分解する酵素だ。ここでは示されていないが、フェニルアラニンなどを濃縮するプロセスに関わるのかもしれない。さらにCNDP2は、筋肉ではなく増殖する上皮や血液での発現が強い。従って、運動の影響は筋肉にとどまらないこともわかる。いずれにせよ、CNDP2をノックアウトしたマクロファージでは Lac-Phe は合成されない。さらに、2型糖尿病のリスク遺伝子として既にリストされている。
合成経路は完全にわかったわけではないが、Lac-Phe の効果はめざましい。運動後の血中レベル相当のLac-Pheを腹腔注射すると、食事摂取量が50%低下する。そして、効果の様子を調べると、決して嘔吐や悪心が誘導されて食欲が抑制されているのでないこが確認される。また、これまで食欲制御ペプチドとして知られるレプチンやグレリンの分泌にも全く影響はないことから、Lac-Phe 自体が食欲抑制効果を持つことが明らかになった。さらに、持続的に投与すると体重増加を抑制し、インシュリン感受性も挙げることが出来る。
そこでCNDP2ノックアウトマウスを作成し、高脂肪食を投与して体重変化を観察すると、Lac-Phe は低下しているが、残念ながら体重については正常マウスとほとんど変化はない。しかし、同じ実験に適度な運動を加えてやると、ノックアウトマウスでは体重の増加が著しいことがわかる。すなわち、Lac-Phe は運動後特異的に食欲を抑制するメカニズだと結論できる。
最後に、人間でも運動後に Lac-Phe の上昇があるのか調べている。期待通り、ランニング後では乳酸に少し遅れて上昇してくる。また、様々な運動で上昇するが、スプリントで最も高い上昇が見られることも分かった。
結果は以上で、生理学的には運動後すぐに食べることは自然でないことを教えてくれる、なかなか面白い分子だ。構造も簡単で合成も容易なので、おそらくサプリとして現れるような気がする。