昨年ScienceやNature Medicineが選んだ2021年10大ニュースの中に、違法ドラッグである幻覚剤がPTSDやうつ病に高い効果を示すことを示した臨床治験論文が選ばれていたのをみて驚いた人は多いと思う(https://aasj.jp/news/seminar/18575)。 PTSDにはセロトニン放出刺激剤で、エクスタシーという名で知られる MDMA 、うつ病にはシビレタケなどから抽出されるシロシビンが用いられた治験だが、いずれもこれまでの治療法では到達できなかった高い効果を示しており、患者さんの数を考えると10大ニュースに選ばれて当然と納得する。
今日紹介する英国インペリアルカレッジからの論文は、重症うつ病に対するシロシビン治験の機会を捉えて、安静時機能的 MRI 検査を行い、安静時に活動しているネットワークを調べることで、シロシビンの効果の、脳科学的メカニズムを明らかにしようとした研究で、4月11日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Increased global integration in the brain after psilocybin therapy for depression(うつ病のシロシビン治療後に見られる脳全体の統合性の増加)」だ。
この論文を理解するためには、安静時 fMRI で調べることが出来るいくつかの脳内ネットワークについて知っておく必要がある。fMRI は脳血流を指標に、脳の活動を調べる検査だが、通常は何かの課題を行っているときの脳活動が対象となる。これに対し、安静時により神経活動が上昇している領域の存在が明らかにされ、さらに活動している領域の同調性から、安静時に活動している複数の神経ネットワークが特定された。
最初に発見されたのが default mode network(DMN) で、その後の研究で外界から切り離されぼんやりと自己に向いている精神活動に関わっていると考えられるようになった。
これに対し、行動のプランニングの思考作用に関わる executive network(EN) や、DMN と EN のスイッチに関わる salience network(SN) が知られている。
個人的な印象になるが、この研究領域の面白さは、自己に向いたネットワークとか、自己と外界のバランスのスイッチなどと言った、なんとなくフロイト時代の力動研究を彷彿とさせる点にある。当然、自分と未来について深く考え込む、うつ病患者さんの脳内の力動を説明する可能性があるとして研究を惹きつけてきた。しかも、うつ病患者さんでは DMN 活動が高まっていることが発見され、まさにフロイトの力動が研究対象になった気がするほどだ。
この研究の目的はシロシビンの効果を調べることではなく、治験を利用して、シロシビンが DMN の活動を変化させ、自己に向かう力動を抑えることが、うつ病症状の軽減につながることを証明することだ。このため、シロシビンの無作為化二重盲験を受ける前後で、患者さんの fMRI を測定し、DMN とEN、SN を測定している。
さらに、DMN の活動を数値化するために、DMN が脳全体から切り離されてモジュール化している程度を表す Brain modularity という指標を開発している。基本的には DMN が高いと、brain modularity も高いと考えればいい。
結果は期待通りで、
1)これまでの治験結果と同じで、シロシビンは従来使われてきたセロトニン再吸収阻害剤と比べて、効果がすぐに現れ、しかも長期間持続する。
2)治療前と治療終了1日後の fMRI を比べると、brain modularity が低下している。すなわち、DMN の活動が低下している。
3)一方で、EN や SN の活動は高まっており、シロシビンにより力動が外界に向けられたことがわかる。
4)brain modularity 指標は、うつ病の重症度指標と強い相関を示し、検査に用いることが出来る。
この結論には私の勝手な脚色が入っているが、それでも著者の言いたいことは伝えていると思う。ようするに、シロシビンにより、セロトニン受容体を強く発現している DNM が強く刺激されることで、他の脳領域との結合が再回復して、脳全体に統合し直されることが、シロシビンの長期効果につながるという解釈だ。
幻覚剤から見ると、外界から遮断された安静時でも、幻覚剤は自己に向く回路を外界へとつなぐため、幻覚や気分高揚が得られるのだろう。
このように安静時 fMRI の研究は、フロイトが生きていたら大喜びすること間違いない面白い領域だと思っている。