2017年10月8日
ゲノム解読から有史以前の歴史を解明する研究が着々と進んでおり、2−10万年前に地球で暮らしていた我々の先祖である現人類(modern human, present day human)と旧人類(ネアンデルタール人や、デニソーワ人)で、少なくとも一部のゲノムが解読されたのは何十体にも及んでいると思う。しかしこの中で精度の高いゲノム解読となると、数は10分の1に減る。
同じゲノムを何回も繰り返して、しかも読み落としがないように解読することで、各ゲノムの比較精度が上がるだけでなく、両親から由来した各染色体を別々に再構成することが可能になり、昔から問題になっていた旧人類の近親相姦の程度や、あるいは集団のサイズなど、様々な情報が得られるようになる。従って、できるだけ保存状態のいい旧人類のDNAを探して高い精度でゲノム解読を行うことが地道に進められている。
今日紹介する論文はこの分野の創始者と言ってもいいドイツ・マックスプランク進化人類学研究所のペーボさんの研究室からの研究で、クロアチアのVindijaから出土した5万年前のネアンデルタール人のゲノムを30回繰り返して読むのに相当する精度で解読している。論文のタイトルはズバリ「A high coverage Neandertal genome from Vindija cave in Croatia(クロアチアVindija洞窟で出土したネアンデルタール人ゲノムの高精度解読)」だ。
これまで生きている人間のゲノム解読と同じ精度で解読されたネアンデルタール人ゲノムはアルタイ出土(12万年前)及び、デニソーワ人が発見された洞窟から出土(7万年前)した2体に限られていた。この研究はこれにVindijaで発見された(5万年前)を加えたと言うだけの話と受け取られるかもしれないが、精度が高いゲノム解析数を増やすことの重要性がよくわかる重要な貢献だ。
まず、この目的のために、着実に方法の開発が進んでいる。この研究では、古代DNAでは避けられないDNA分子の修飾をカウントして、最も可能性の高い塩基を推定するソフトが開発されている。このようなソフトが可能になるのも、30coverageという精度で配列が読まれたおかげだ。
次に、30 coverageの精度は、両親由来の染色体を分別することを可能にする。この結果、対立染色体の類似性から、集団のサイズ、近親相姦の有無などを正確に決定することができる。特に、アルタイ出土のゲノムには、極めて長い重複が見つかり、近親相姦がネアンデルタール人の多様性を奪ったのではと騒がれた。今回、デニソーワ、Vindijaのゲノムが調べられ、確かに対立染色体同士の類似性は、現人類と比べると高いが、アルタイで見られたような長い領域の重複は発見されず、ネアンデルタールと近親相姦を結びつけることは間違っていることを明らかにしている。しかし、対立遺伝子の類似性は、交流のある集団サイズが大体3000人であることを示しており、この結果としてゲノムの多様性が低下していることになる。
次に、ヨーロッパに分布したネアンデルタール人誕生後の歴史も推定できる。結論を述べると、約40万年前に誕生したグループが、この3箇所に分布し、その過程で民族とも言える多様性が生まれたことがわかる。以上の結果は、ネアンデルタール人として十羽一絡げで論じることの危険を示唆しており、「ネアンデルタール人もいろいろ」と考えることの重要性を示している。
最後に、我々現代人が最も興味の有る、旧人類・現人類の交雑による相関関係だが、今回解読されたVindijaゲノムは最も現人類と似ている。すなわち交雑によるゲノム交流が進んだ結果だが、現人類から旧人類へのゲノム流入は、Vindijaとアルタイが分離する以前に限られたいる一方、旧人類から現人類への流入は決して珍しいことではなく普通に起こっていたのではと結論している。その結果、我々東アジア人ゲノムの2.3-2.6%はネアンデルタール由来になっている。
最後に、ではどんなネアンデルタール遺伝子が我々現人類ゲノムに残っているのかだが、これまでの自己免疫抑制、うつ病、光皮膚反応などに加えて、高コレステロール血症、内臓脂肪蓄積、ビタミンD欠乏、摂食障害、リュウマチ性関節炎、統合失調症、向精神薬に対する反応異常として発見されていたSNPが新たにネアンデルタール由来であることが明らかになった。
この分野をウオッチしていると、いずれもなかなか意味深の結果で面白いが、それについての解説は、またいつか。
2017年10月7日
一般の人にはなかなか理解しにくい分野だと思うが、これまで何回も紹介してきたように、私たちのDNAは核内で全く規則性なく折畳まられるのではなく、きちっと大小の区分にまとめられて収納されている。もしこの区分が壊れると、染色体上での距離とは無関係に、極めて遠くにあるゲノム領域がもつれて関係のない遺伝子の近くに来てしまうことを防げない。その結果、各系列の細胞で厳しく制限される遺伝子発現が乱れ、細胞のアイデンティティーが失われる。この折りたたみを調節している主役が、CTCFとコヒーシンの2種類の分子で、以前紹介したようにCTCFが折りたたみの境界を定め、コヒーシンがDNAループの方向性を決めている。これが大きな枠組みだが、これらの分子の機能を欠損させた時細胞に何が起こるのかを調べ、詳細を詰める研究が最近加速している。
今日紹介するドイツ・ハイデルベルグにある欧州分子生物学研究所からの論文はコヒーシンを染色体にリクルートする分子を欠損させ、コヒーシンが働けなくした細胞で何が起こっているかを明らかにした研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Two independent modes of chromatin organization revealed by cohesin removal(コヒーシンの除去実験によりクロマチンの構造化に関わる2種類の様式が明らかになった)」だ。
この研究ではコヒーシン自体を除去する代わりに(この分子は他にも多くの役割があり除去すると細胞が維持できない)コヒーシンと染色体の結合に必要なNipblをタモキシフェン注射で除去できるマウスを使っている。マウスが成長してからタモキシフェンを注射、肝臓を取り出して調べると、期待どおりコヒーシンは染色体から外れていることが生化学的に確認される。
この状況でTADと呼ばれる染色体立体区域の形成を調べると、期待通りTADがはっきりしなくなっている。ただ、もう一つの染色体区域、コンパートメント化についてはそのまま維持され、転写がオンの領域と、オフの領域の区別がされている。一方、TAD形成のもう一つの主役CTCFの結合は変化ない。
ここまではほぼ予想通りの結果だが、この研究ではコヒーシンが除去されるとループがクラッシュする代わりに、TADより小さな単位の立体構築が強調され、またon型にコンパートメント化されている領域が中断され、中途に短いoff型のコンパートメントが挿入されることを発見している。この結果の解釈は難しいが、著者らはTAD構造を維持する機構がなくなることで、よりヒストンなどのエピジェネティックマークに依存する折りたたみが行われるようになった結果だと考えている。
コヒーシン除去の転写に及ぼす影響も調べており、TAD内のエンハンサーが作用しにくくなること、あるいは他のTAD領域の転写に介入してしまう確率が上がることなどを示しているが、それでも肝臓のアイデンティティーが失われていないのは、出来上がった細胞の転写が何重もの安全機構をもっていることを示している。
以上が結果で、この分野の進展の早さに驚く。発生学や転写に興味を持つ場合、難しくともこの分野には常に注目しておく必要があるだろう。論文を読むごとに驚きの尽きない、深い分野であることがつくづくわかる。
2017年10月6日
私は地震についてはもちろん素人だが、大きな地震が人間の経済・軍事活動により誘発されるのではと言う懸念は常に頭の隅にある。例えば昨年、東日本大震災後の歪みにより、白頭山の噴火レベルが危険域に達してきたことをこのブログで紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/5160)。先日、北朝鮮が中朝国境に近いブンゲリで核実験を行った話を聞いた時、白頭山の噴火とその後の火山性地震を誘発するのではないかと、心配してしまった。ただ、これは決して私だけの懸念でなく、人為的要因で起こる地震については地震研究者も心配しているようだ。
今週号のNatureを読んでいる時、「Risk of human-triggered earthquakes laid out in biggest-ever database(これまで最大のデータベースにより人為的に誘発された地震の危険が示された)」というAlexandra Witzeさんのレポートが目に止まった。この記事は、人為的に誘発された地震のデータベースについて報告している英国Durham大学からの論文についてレポートしている。元の論文のタイトルは「HiQuake: The human induced earthquake database(人間により誘導された地震のデータベース:HiQuake)」で、Seismological Research Lettersオンライン版に掲載されている。
もともと人工地震で地質を調べることは珍しい話ではなく、人間の経済・軍事活動が地震を誘発することは昔から懸念されていたようだ。特に最近、シェールガス採掘などで大量の水を地中に注入し、また急速に抜く大規模な地殻操作が頻繁に行われるようになり、これが地震を誘発するのではと言う懸念が生まれ、その安全性を確認するためのデータベース構築の要求が高まっていた。
この要望を受けて、昨年オランダ最大の天然ガス田を運営するガス採掘会社の助成で英国のDurhamとNewcastle大学がマグニチュード1以上の人為的要因による地震のデータベースHiQuake構築を進め、今年の1月に一般公開できるところまでこぎつけた。データベースは一般に公開されており、ウェッブサイトで誰もが情報を得ることができる(
http://inducedearthquakes.org/)ので、読者の皆さんが閲覧されればいいのだが、幾つか論文を読んだ上で補足をしておこう。
1) データベースに収載された地震で、人為的要因の関与程度は完全に科学的に特定されているわけではない。
2) それでも150年間に人為的要因が疑われる地震が700以上起こっおり、人為的要因としては鉱山事業、大規模ダム貯水、石油・ガス採掘で半分以上を占める。
3) ほとんどのケースで人的被害のない小さな地震で終わっているが、地中への水の注入により誘発されたM5.8の地震(2016)、大規模ダム貯水により誘発されたM7.9四川地震(2008)、そして地下水のくみ上げが誘発したと考えられるM7.8ネパール地震(2015)なども含まれており、大規模な地殻の操作は常に地震の危険と隣り合わせだ。
4) 我が国での地震についても22ケースがリストされているが、最も大きなものでM4程度で、大地震と言われるケースとの関係はこれまで特定できない。
などが言えるだろう。
素人の私だけでなく、プロの地震学者も人為的要因による地震を研究することの重要性を力説しているようで、少し安心した。
2017年10月6日
哺乳動物の場合、性決定にY染色体が関わっているが、ショウジョウバエや、線虫ではX染色体と、常染色体の比によって個体の性が決まる。詳細を飛ばしてザクッと言ってしまうと、普通はX染色体の数だけで性が決まる。このように最終的な性決定の仕組みは異なるが、これらの種共通の問題は、X染色体の数がオス、メスで違ってしまうことだ。そのため、X染色体上の遺伝子の発現を調節する仕組みをそれぞれの種は開発している。哺乳動物では、DNAのメチル化を利用して片方のX染色体全部の発現を抑えるX染色体不活化方法を取っているが、ショウジョウバエ、線虫などそれぞれメカニズムは異なっている。
今日紹介するカリフォルニア大学バークレイ校からの論文は、線虫でこの問題を研究する中で、新しいヒストン脱メチル化酵素DPY21を特定し、そのX染色体遺伝子発現量調節機能を明らかにした力作で、9月21日号のCellに掲載された。タイトルは「Dynamic control of X chromosome conformation and repression by a histone H4K20 demethylase(ヒストンH4K20脱メチル化によるX染色体構造と発現のダイナミックな調節)」だ。
線虫ではオスメスではなく、X染色体が2本の両性具有体と一本のオスに分かれており、両性具有体でX染色体の遺伝子発現を半分に低下させる必要がある。このメカニズムは詳しく研究されており、rexと呼ばれる場所を起点に多くの分子から構成されるDCC複合体が結合し、X染色体全体の転写を半分に抑えている。またこの時、X染色体特異的に20番目のリジンが一つだけメチル化されたH4ヒストンが染色体を覆うことがわかっている。ただ、これまでDCC複合体の中にヒストンのメチル化や、脱メチル化に関わる酵素は見つかっていなかった。
この研究では、DCC構成タンパク質の配列や構造を詳しく検討し、DPY-21がヒストン脱メチル化活性を持っているのではと着想し、期待どおりこの分子がH4K20にメチル基が2/3個付いたH4K20me2/3のメチル基を外してH4K20me1に変化させる活性があることを突き止める。
はっきり言って、この発見がこの研究の全てと言っていいだろう。あとはPY-21が実際に脱メチル化活性がX染色体の遺伝子発現調節に関わっていることを、酵素活性部位を失った遺伝子を導入した線虫を用いて調べている。結果を箇条書きにまとめると、
1) H4ヒストンのうちH4K20me1はX染色体上で、常染色体の2倍多く存在している。
2) このX染色体特異的変化は、すべてDPY-21の脱メチル化活性によっている。
3) このメカニズムは、200細胞期を超えた後、体細胞のみで働き、特に細胞周期の間期に働いている。
4) 脱メチル化活性がなくなると、X染色体上の遺伝子発現のみ上昇し、さらに普通はこの機構が働かないXが一本のオスで働くようにすると、遺伝子の発現が低下してオスは死んでしまう。
5) H4K20me1は染色体の3次元構造を調節して、エンハンサーとプロモーターの相互作用を変化させ、微妙な遺伝子発現調節を行っている。
6) 生殖細胞での遺伝子発現にも同じメカニズムがDCC非依存的に利用されている。
になるが、全てDPY-21がH4K20特異てき脱メチル化酵素であることの発見あっての結果だ。
この論文では、哺乳動物に存在する同じ活性を持った酵素も特定しており、哺乳動物でのH4K20me1の機能も明らかになると思うが、染色体の3次元構造を変化させて、インシュレーターの作用を調節するという魅力的活性があることから、急速に研究が進む予感がある。
2017年10月5日
人間を使った脳研究紹介の最後は、人間でしか研究ができない課題を取り上げる。
統合失調症、鬱病、自閉症は、人間特有の高次機能の障害と言えるが、それでも症状の一部だけを抽出した動物モデルが存在し、研究に使われている。例えば、自閉症スペクトラムの特徴の一つ社会性の低下は、初めての個体と見合わせた時に一緒にいる時間を指標にマウスを用いた研究が行われており、特定の遺伝子が関わる自閉症については、動物モデルでも実際の状態をある程度反映できる。
しかし、動物モデルをほとんど思いつかない人間の行動も多い。その一つが強迫神経症だろう。強迫神経症の人は、自分の行動に合理性がないことをわかった上で、それでも例えば手洗いのような特定の行動を止めることができない。行動とその行動に対する自信が乖離してしまっていることがこの背景にあると考えられるが、これを行動学的にどう調べるのか面白い問題だ。
今日紹介するケンブリッジ大学からの論文は、行動とそれに対する自信を測定して、強迫神経症患者さんと、正常人の行動の違いを理解しようとした研究で10月11日発行のNeuronに掲載された。タイトルは「Compulsivity reveals a novel dissociation between action and confidence(強迫性は行動と自信の新しい乖離を明らかにした)」だ。
この研究では、中央の穴から出てくるボールの軌跡を予想して、キャッチする場所を指定するゲームで遊ぶ中で、一回ごとの予測にどの程度自信があるかを自己申告させることを課題として用い、強迫神経症患者さんと正常人を比べている。一見簡単そうだが、ボールの軌跡は、一定の時間がくると一定の規則に従い大きく変化するよう設計されており、それまでの結果を元に変化を分析することが要求される。この課題が最適かどうかよくわからないが、著者らはこれにより、予測に基づく行動と、それに対する自信を測定することができると考えている。
いずれにせよ課題は難しくなく簡単な実験かと思ってしまうが、実際のデータ処理にはモデリングを含む数理処理が多用されており、利用された数理処理方法はなんと8種類にも及んでいる。特に、ボールの軌跡の変化に、各個人がどのようなデータに基づき次の軌跡を推定し、またその決断にどの程度の自信を持っているのかの計算については、理解しづらい点が多かった。
このため結果についても、著者らの結論をそのまま鵜呑みにすることになるが、詳細を省いて結果をまとめると以下のようになる。
1) 正常の人と比べると、強迫神経症の人たちは、全経験に基づいて軌跡を予測するより、直前の経験にこだわった判断をする傾向がある。
2) 自分の判断に関する自信は脅迫神経症の人も正常人もほとんど変わらない。
3) 脅迫神経症の症状が重いほど、自信はあってもバタバタと判断基準を変化させる。
要するに、自信はあっても、その自信を信じられないような行動を取るのが脅迫神経症の患者さんと言える。
話はこれだけで、強迫観念については、その脳の構造や活動について調べる段階に至っていないことがわかる。しかし脳機能に進まないと、脅迫神経症の症状の記述を一つ増やしただけで終わってしまう。ただ論文を読んでも、この研究で開発された様々な指標が、脳機能と強迫観念を相関させる研究に役に立つのかよくわからなかった。
3日間人間の脳についての研究を紹介したが、推計学的方法があまりにも多用されており、どうも身近に感じられなかった。今後も人間の研究では同じ傾向が進んで、高度な数理が必要な学問になっていくのだろうか?個人的には、もう少し私たちの直感に訴えやすい方法が開発されることを願わざるをえない。
2017年10月4日
記憶のメカニズムについては、エリック・カンデルのアメフラシを用いた研究を発端として、刺激を受けた個々の神経細胞が一種の分化を遂げ、シナプスを介する神経結合の特性を変化させることで、より反応性の高い神経細胞回路を形成し、次に同じ経路に入るシグナルに対する反応性が変化するというメカニズムが全ての動物で基本になっていることは広く認められている。実際、エピソード記憶のゲートになっている海馬では、毎日シナプスの形成、増強、消滅が常に起こっていることを、マウスでは観察することすらできる。私たち人間の脳でも同じことが起こっていると想像されるが、実際これを調べることは簡単でない。というのも、分子レベルの研究をはもとより、神経回路の変化を調べることすら人間では難しいからだ。このため研究は、脳の形態や活動を現象論的に調べ、その関係を数理的に推計することが中心になる。
昨日紹介した論文では、MRIを用いた解剖学的変化と、様々な様式の記憶能力との相関を調べ、顔の詳細な違いを弁別するには海馬の持続的発達が必要であることを示していた。このように、形態と機能のような、別々の特徴の比較するのはまだ易しい方だが、記憶の形成や呼び起こし過程で起こっている、脳細胞の刺激状態を人間で調べるのはさらに難しい課題になる。
今日紹介するニューヨーク大学からの論文は、記憶の形成とその呼び起こし過程に関わる脳の活動を、機能的MRI(fMRI)を用いて調べた研究で、9月27日号のNeuronに掲載されている。タイトルは「Consolidation promotes the emergence of representational overlap in the hippocampus and medial prefrontal cortex (神経の連結強化により海馬と内側前頭前皮質のでの表象が重なる)」だ。
これまで、fMRI を用いた研究は、何か課題をこなしている間にどの部位が興奮するのかを調べることが主流だった。しかし、この研究では異なるアイテムの記憶形成と呼び起こし過程に関わる脳活動の類似性を調べるという難しい課題に挑戦している。
この研究では、示された様々なアイテムを覚え、覚えてすぐ、また一週間後にそれを思い出す一連の課題をこなす間にfMRIで脳活動を記録し、脳の活動パターンから記憶がどこに、どのように形成されるかを調べようとしている。これに用いた課題では、様々なアイテムを、都市、海岸、ジャングル、寝室の情景写真とともに提示して記憶させ、もう一度アイテムを見せて、どの情景と共に提示されたかを当てさせる。ボランティアになった大学生では、課題を記憶した直後は95%の正解率だが、一週間経つと54%に落ちる。それでも、間違いなく記憶が形成されており、あてずっぽうで答える場合よりはるかに高い正解率で答えられている。この時、幾つかのアイテムと共に提示する情景は例えばジャングルの写真のように重複させ、それ以外の情景にはアイテムが一つだけになるよう設計している。
課題の意図が分かりにくいかもしれないが、異なるアイテムの表象を重複して同じジャングルという情景の表象と連結させることで、脳内に既存のジャングルという回路にアイテムの表象が合体して記憶され、本来関係のないアイテムの記憶回路がつながって、脳の反応性が似てくることを期待している。
様々な領域で、各アイテムから情景を思い出す際の脳活動を記録すると、ジャングルという情景と連結させたアイテムを見て答える時のみ、異なるアイテムに対する反応パターンが似てくる。それも、記憶後すぐは全く似ていないのに、一週間後の記憶を呼び起こす時のみ、内側前頭皮質の反応が類似を示す。同じように、海馬の後方でも同じような類似が見られるが、前方では類似は見られない。この結果から、時間をかけて記憶が前頭皮質と海馬の一部に持続的回路として固定される過程で、それぞれのアイテムがジャングルという情景と連結されることがわかる。
次に、アイテムを記憶する時の反応と、思い出す時の反応の類似性を調べ、この場合は右側の海馬でのみ、情景とは関係なく、同じアイテムに対してだけ、記憶形成と呼び起こしの反応の類似が見られることを示している。また、この類似性も一週間後に記憶を呼び起こす時だけ見られ、ここのアイテムの表象が、海馬で安定に保持されていることがわかる。
最後に、記憶に関わる内側前頭皮質と海馬との連結性をそれぞれの領域のアイテムに対する反応の類似性から計算し、時間をかけて安定化された記憶が成立することに並行して連結性が高まっていることを示している。
かなり複雑な実験で、さらにfMRIや推計学的手法は理解し難い点も多いが、結論としては、アイテムに対応する表象が脳内に記憶として安定化される際、海馬の前方と後方に分離し、記憶が固定化する過程で海馬と前頭皮質の結合が高まることで、前頭皮質にすでに存在している情景の表象に関連付けられたネットワークと、後方のアイテムの表象の記憶が統合され、アイテムと情景が結びついた新しいネットワークが形成されると理解すればいいと思う。
この研究では同じ細胞が反応しているとか、どの回路が反応しているかは一切わからない。ともかく、人間で研究することの困難がひしひしと伝わってくるが、納得の結果で安心した。今、言語の発生について考えをまとめているが、大変参考になった。
2017年10月3日
人間特有の言語は言うに及ばず、意識など高次脳機能の研究に動物を使うことは、課題の設定に多くの困難を伴う。とはいえ、脳の操作は当然のこと、脳の活動を記録するという観点から見ても、人間を使った研究は簡単ではない。このため、光遺伝学などを用いた脳操作全盛時代、どうしても人間を使った研究はかすんでしまう。そこで、今日から3日間、操作が難しい人間の記憶についての研究がどのように行われているのかを知るため、最近読んだ論文を3編紹介したいと思う。
今日紹介するドイツマックスプランク生涯心理学研究所からの論文は8月22日出版された論文で少し古いが、記憶の発達と海馬の解剖学的発達の関係について調べた研究で米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Hippocampal maturity promotes memory distinctivenesss in childhood and adolescence(海馬の成熟は子供や青年の記憶の弁別性を促進する)」だ。
人間の研究ではまず脳を操作することは許されない。従って、この困難を観察と推計学を組み合わせて克服する。そのため、多くの人間からデータを取る必要がある。実際には、ボランティアを集めるのがおそらく最も難しい過程だろう。この研究では70人の6−14歳の児童、及び33人の18−27歳の若年成人を対象とし、MRIで海馬の解剖学的形態を詳しく分析し、年齢による発達を調べている。これまで様々な観察結果はあったようだが、今回の結果は海馬は年齢とともに発達し、例えば歯状回のように拡張する場所と、鈎状回のように縮小する場所に分かれる。ただ、これは傾向で、発達程度の個人差は大きく、個人的経験の違いなどの発達程度を反映していると考えられる。今後は領域間結合などを調べる必要がある。いずれにせよ傾向ははっきりしたので、すべての場所の形態を総合した、「発達度指標」を開発している。
次に、それぞれの被験者の記憶力について、連合記憶や弁別記憶など様々な記憶力を調べるテストを行い、それぞれの数値と、海馬の発達度指数との相関を調べている。結果は、顔などの小さな違いを弁別する能力は明らかに海馬の発達と相関するが、連合記憶や情報源記憶(source momoery)などの他の記憶能力とは相関しないことが分かった。
一方、同じような発達度指標を前頭前皮質について開発し、これと様々な記憶との相関を調べると、情報の出処についての記憶(情報源記憶)が強い相関を持つことを示している。
以上が結果で、海馬の発達は顔の分別など、小さな変化を分別した記憶に関わっており、一方情報がどこから来たかといった情報源記憶の発達には海馬ではなく前頭前皮質が関わっているという結論になる。分かりやすく言うと、子供の頃についての記憶はあっても、詳細は覚えていないのは、この弁別記憶が発達していないせいだという結論になる。実際には個人差が大きく、大きなばらつきのある点の集合から計算される相関と言える。今後は、より早い段階、病的な状態、さらにテンソルなどを用いた領域間の結合測定など、一歩づつ研究を進めていくことになるだろう。しかし、どんなに大変でも、人間を用いた研究なしに高次機能や病気を理解することはできない。今日紹介した論文は、記憶課題と、MRI検査は全く別に行われた研究だが、次回は課題と脳機能計測を同時に行った研究を紹介する。
2017年10月2日
特に意図しないで神経系と免疫系の直接的相互作用の話が2日続いてしまったが、神経系の影響が強い炎症性疾患と考えると、喘息がすぐ思い浮かぶ。無論喘息の原因は、気道でのアレルゲンによる免疫反応だが、様々な精神的要因で発作が変化することがよく知られている。
今日紹介するハーバード大学からの論文は神経ペプチドニューロメデュリンU(NMU)が肺の炎症増強因子として自然免疫に関わるILC2細胞を刺激していることを示した論文で9月21日号のNatureに掲載された。タイトルは「The neuropeptide NMU amplifies ILC2-driven allegic lung inflammation(ニューロペプチドNMUはILC2による肺のアレルギー性炎症を増強する)」だ。
これまでの研究で喘息など肺のアレルギー性免疫反応にIL-7受容体を発現しているがTでもBでもないILC2細胞が関わっていることがわかっている。この研究ではまずマウス気道をダニ抗原で刺激する系で、上皮由来のIL-25やIL-33により刺激された状態にし、そこに集まっている細胞の遺伝子発現プロファイルを、単一の細胞ごとに調べ、そのプロファイルから細胞の種類を特定し、さらにこのデータの中からアレルギーに関わるILC2細胞等で上昇している遺伝子を探索している。要するにビッグデータから各細胞で誘導される具体的分子を拾い出すという話だが、大変な実験と総合的能力が必要なのはよくわかる。
この結果神経ペプチドNMUに対する受容体NMUR1がILC2特異的に発現していることを突き止める。この結果はILC2と神経系が直接相互作用をしていることを示しており、実際感覚神経でNMUが発現しており、その発現はIL-13で増強されることが明らかにしている。
次に、試験管内でILC2を NMUで刺激する実験を行い、粘膜由来サイトカイン IL-25と組み合わせると強くT細胞を刺激することを示している。この粘膜と神経細胞の強調作用は実際の気道内ではもっと明確で、ダニ抗原に対するアレルギー反応系で、IL-25, NMUそれぞれ単独では強い炎症反応は起こらないが、両方同時に投与するとIL-5,IL-13が強く誘導され、その結果好酸球の浸潤が誘導されることを明らかにしている。
最後にNMUの作用メカニズムをお得意の遺伝子発現ビッグデータ解析を使って探索、NMUが ILC2の増殖とともにサイトカイン発現などの活性化を誘導することで炎症に関わることを示している。
ほとんど最初から最後まで、気道内での様々な刺激を受けた細胞の遺伝子発現プロファイルの探索にのみ焦点を当てた研究で、普通の免疫学者なら必ず行う各細胞の刺激実験などが省かれているため、最終的に評価が難しい。例えば、ではNMUノックアウトマウスでは炎症が防げるのかという話になると、代償的にT細胞が増殖して好酸球浸潤は正常マウスレベルになるようで、神経と免疫の相互作用は明らかになっても、NMUが治療標的になるかなど肝心なところが不明なままだ。とはいえ、喘息に神経要因が影響しやすいことの一端はわかった気がするし、またNMUは気道収縮に関わるので、これを抑えることでついでに免疫反応も抑えられるなら、一石二鳥かもしれない。それでも次は臨床への可能性を示してくれないと、論文のための論文で終わる気がする。
2017年10月1日
歳をとると、どうしても代謝が落ち太り気味になる。食べるのをやめればいいのだが、老い先短い人生、できるだけ節制をしたくないのが本音だ。また、90を過ぎた母を見ていると、結局超高齢になると、いやでも体脂肪が減ってしまうのがわかる。今のうちにある程度は溜め込んでいたほうがいいのではとも思う。いずれにせよ、年齢とともに太る原因のほとんどは、代謝が落ちることだと思っていた。
今日紹介するエール大学からの論文は、高齢に伴う炎症性のマクロファージの活性化が脂肪の燃焼を抑えることも肥満の原因になることを示した論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Inflammasome-driven catecholamine catabolism in macrophages blunts lipolysis during ageing(インフラマソームにより駆動されるマクロファージ内でのカテコーラミンの分解が老化に伴い脂肪分解を抑える)」だ。
この研究ではまず、絶食によりカテコーラミンの作用で上昇するグリセロールや遊離脂肪酸が、老化により低下する原因が、脂肪組織に存在するマクロファージによる交感神経からのカテコーラミンの分解によることを明らかにする。これは、脂肪組織に存在するマクロファージだけに見られる活性で、他の組織では脂肪組織での脂肪燃焼を抑える働きはない。そこで、老化マウスの脂肪組織のマクロファージの遺伝子発現を調べ、炎症を誘導するNod-like受容体が活性化され、その結果カテコーラミンの分解が促進し、脂肪分解が抑えられること、そしてNod-like受容体が欠損したマウスでは、老化しても脂肪燃焼が正常に起こることを明らかにしている。
次に、マクロファージの炎症性の活性化が脂肪分解を抑制するメカニズムを探り、TGFβファミリー分子GDF3の分泌が高まり、これが脂肪組織に働いて脂肪分解を抑制するとともに、マクロファージにも働いて炎症性の刺激を高める2重効果があることを突き止めている。
最後に、マクロファージによりカテコーラミンの分解が高まることが、脂肪分解を抑えるなら、カテコーラミンを分泌する交感神経とマクロファージは密接な相互作用をしているのではと、脂肪組織でのマクロファージの分布を調べると、期待どおり交感神経に接して存在して、神経により分泌されるカテコーラミンの量を調節している可能性を示している。
以上の結果に基づき、老化マウスでもカテコーラミンの分解を阻害すると、脂肪の燃焼が正常化することも示している。
この論文を読んで、確かに脂肪分解が老化とともに低下している理由の一つが理解できた。老化に関わる慢性炎症の役割もよくわかった。ただ、脂肪分解を抑えるのがいいのか悪いのかは早々に結論できない。ひょっとしたら、老化にともないいつかは失う貯蔵脂肪を守ってくれているのかもしれない。
最後に、昨日の炎症サイトカインが直接神経に働く話に続いて、今日は炎症性細胞が直接交感神経の機能を抑制するという話で、ともに神経と免疫細胞の密接な相互作用を示す研究だった。
2017年9月30日
炎症が起こるとかゆくなって、なかなか治らないことは誰でも経験する。ただ、かゆみの原因は、ヒスタミンやIL-31など様々な炎症のメディエーターの仕業だと思っていた。しかし、抗ヒスタミン剤だけでなかなかかゆみが止まらないことは誰もが経験するところだ。
今日紹介するワシントン大学からの論文は神経細胞がリンパ球刺激サイトカインIL-4に直接反応することがかゆみの原因であることを突き止めた研究で9月21日号のCellに掲載された。タイトルは「Sensory neurons co-opt classical immune signaling pathways to mediate chronic itch(感覚神経が古典的免疫シグナルを慢性のかゆみを媒介するために使っている)」だ。
この研究では免疫反応でリンパ球に働くサイトカインが直接神経に働く可能性を調べるため、神経細胞に出ている炎症局所に発現するインターリューキンンの受容体をしらべ、IL-4,IL-13の受容体が感覚神経で発現されていることを突き止める。
次に、感覚神経を分離して直接IL-4,IL-13で刺激する実験を行い、ヒスタミンやカプサイシンに反応する小型の神経細胞がIL-4,IL-13に反応し、同時にヒスタミンにも反応できることを明らかにした。さらに、このシグナル伝達にTRPV1チャンネルが関わることをノックアウトマウスで確認している。ところが、マウス皮膚を直接IL-4,IL-13で刺激してもすぐにかゆみが誘導するわけでないことも分かった。
そこで、サイトカインは神経に直接働いても、かゆみ感覚を誘導するのではなく、かゆみが起こる閾値を下げ慢性的なかゆみの原因になるのではと考え、感覚神経でIL-4受容体が欠損したマウスでアトピー性皮膚炎を誘導しかゆみの反応を調べると、かゆみが強く押さえられるだけでなく、炎症そのものも抑えられることがわかった。そこで、IL-4受容体の下流にあるJAK1をやはり感覚神経でノックアウトすると、同じようにかゆみが抑えられること、またJAK1阻害剤を全身投与してもかゆみを抑えることを確認している。
ここまでは、確かに面白いが、別に驚くほどの論文ではなく、トップジャーナルに掲載されるところまでには行かない。しかし、この論文では、炎症反応が強くなく、原因のわからない慢性のかゆみを訴える患者さん(Chronic idiopathic puritus)にJAK阻害剤を服用させると、調べた5人全てでかゆみが抑えられることを示している。実際このような病態は、老人で見られることが多く治療法がほとんどなかった。おそらく、このunmet needsに答えたという点を評価されたのだろう。とはいえ、JAK1阻害剤を長期に老人に投与しても問題ないかどうかは今後調べる必要がある。
これまで神経細胞がインターリューキン受容体を発現していることは報告されてきたが、病気治療にまで成功した話は、私の知る限りこれが最初のような気がする。