2017年8月1日
今顧問をしているJT生命誌研究館のウェッブサイトでも月2回ブログを掲載しており、21世紀生物学の重要問題について自分なりに考えている。ゲノムの構造化、無生物から生物、脳と意識、とこれまで全く経験のない分野をまとめてきた上で、現在は言語の発生の問題に取りかかっている(
http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)が、調べるほど言語と道具使用の相互作用の重要さが実感される。事実、言語の発達とともに道具は急速に発展する。
しかし、精巧な石器を作るためには、言語だけではなく、器用な手を動かすための神経系を用意する必要がある。これについて私は、手を使う猿の進化の結果、新しい運動神経系が生まれてきたとすっかり思い込んでいた。実際手を支配する大脳皮質は大きな領域を占めており、脊髄での運動神経もずっと複雑な走行を示している。
ところが今日紹介する米国シンシナティ小児病院からの論文を読んで、考えを改めた。タイトルは「Control of species-dependent cortico-motoneuronal connections underlying manual dexterity(手の器用さに関わる皮質運動神経結合の種特異的コントロール)」で、7月28日号のScienceに掲載された。この研究の責任著者は吉田さんという方で、おそらく日本の方だと思う。
実際、マウスと人間を比べると、皮質からの神経の脊髄での走行が手を支配する脊髄上部では大きく違っており、脊髄腹側及び側部から運動神経と結合する皮質神経(vlCST)がマウスでは存在しない。吉田さんたちは、マウスでも生まれた当初はこの経路が存在するのではないかと考え、筋肉から逆行性に神経をラベルする方法を用いて、期待通りvlCSTが生後数日存在するが、その後消失することを発見する。
次に、このvlCST消失の原因が神経の伸張を阻害する分子として有名なPlexinA1とSemaphorin6の発現による反発作用によるのではないかと考え、CST特異的にPlexA1をノックアウトした。すると、期待通りマウスでも生後のvlCSTの消失が防がれ、人間と同じようにvlCSTによる運動神経支配が成立したまま大人になる。そして手の動きが器用さを測るために独自に開発した方法を用いて、vlCSTが残存するマウスでは、手が器用になっていることを示している。
これだけでも十分楽しめるが、最後に人間でvlCSTの運動神経支配が維持されるのがplexA1の発現抑制によるのではと考え、サルや人間に特異的なplexA1発現調節領域を特定し、人型の調節領域では皮質第5層の神経での発現が抑制されていることを示している。
結論的にはマウスも実際には器用に生まれており、ただ必要ないため無駄な神経支配を整理したという面白い話になる。
読んでいてマウスとサル、人間は比較的近縁だが、ずっと離れているナマケモノなど枝をしっかり掴む動物ではこの経路はどうなっているのだろうと、ふっと思った。
2017年7月31日
これまで何度もDNAはTADと呼ばれる区域に正確にわけられ、遺伝子の転写を調節するメカニズムを小さな領域に制限するようできていることについて、論文を紹介してきた。このゲノムの構造化に関る論文を読むと、染色体ごとに対応する長いDNAを折りたたんだり、ほどいたりを正確に繰り返すメカニズムに驚嘆するが、私たちが「紐」を相手にするとき直面する、紐がもつれてダンゴになる問題はここにもあるようだ。
今日紹介する米国NIHからの論文はTADを形成する過程で紐をたぐるときにもつれを外すのがトポイソメラーゼ2(TOP2)で、この分子がうまく働かないとDNA鎖にストレスがかかり切断するという研究で、7月27日号のCellに掲載された。タイトルは「Genome organization drives chromosome fragility(ゲノムの組織化により染色体の脆弱性がおこる)」だ。
もともと小さく折りたたまれているDNAは転写や分裂のたびに構造を変化させるが、このときTOPはDNAのねじれをほぐす重要な働きをしている。実際、TOP2の機能が抑制されるとDNAの切断箇所を修復できない。これを利用してエトポサイドと呼ばれるTOP2阻害剤をガン治療に使っている。
切断されたDNAの修復を止めるエトポサイド(ETO)の作用は、細胞死だけでなく、場合によっては切断面同士が結合する染色体転座をひきおこす。実際、リンパ球をETOで処理すると、様々な転座が起こり、白血病が発生することが知られている。不思議なことに、ETOは非特異的な阻害剤であるにもかかわらず、なぜ同じ場所の転座が繰り返し起こるのかについてはよくわかっていなかった。
この研究はETOにより誘導される白血病転座の選択制を明らかにすることを目的に始められている。白血病細胞を用いてETO処理でTOP2の機能を抑えた白血病細胞でDNA切断が起こる場所を調べると、これまで白血病転座が起こる場所として特定された場所に切断が入っていること、およびその場所にTOP2とTADの境界に結合するCTCF結合部位とほとんど一致することを見出す。おそらくこの結果から、TAD形成時のDNA鎖のねじれを治すため、TAD境界にTOP2が結合するが、ねじれ自体によりDNA鎖が切断されるため、TPOP2がETOで抑えられると、切断部位同士が結合する染色体転座が起こるというシナリオを思いついたのだと思う。
あとは、
1) ETOにより誘導されるDNAの切断はTOP2作用の抑制による、
2) このときのTOP2の作用は転写や分裂とは関係がない、
3) TOP2はCTCFとコヒーシンが結合しているTADの境界に結合している、
4) 領域間の接合が高いTAD境界領域、すなわちDNAのもつれが激しい領域でDNA鎖の切断が多いこと、
などを示し、
コヒーシンとCTCFによりDNAがたぐられる時DNA鎖にストレスがかかりDNAがちぎれるため、TOP2が同時に存在し、そのストレスを解消しており、これをETOで抑制すると、DNA鎖の切断が修復されず残る。このサイトは厳密にTAD境界に存在するため、特異的な場所同士の転座が起こるというシナリオになる。
この話を聞くと常にダンゴ担った紐が頭の中に浮かんでしまっていたが、今後はこのもつれを解いて、論文を読めそうだ。
2017年7月30日
2ヶ月ほど前、どのメディアか覚えていないが、DNA複製時のエラーを修復する酵素の機能が失われたか、あるいはマイクロサテライト不安定性が見られる全ての固形ガンを、メルクの抗PD-1抗体キイトルーダの対象とできることをFDAが認可したというニュースが報告された。これを聞いた時、「適切なポイントに注目して適用を広げているな」という印象を持った。というのも、我が国でもどの患者さんにPD-1抗体の治療を行うかについて議論が行われており、適用を決めるためのマーカーを探そうという動きも行われているが、この治療が、結局はガンに対する免疫が成立している患者さんにしか効かないこと、またガンに対する免疫は、突然変異の数の多いガンほど成立しやすいというこれまで蓄積されている(私でも論文を通して知っている)結果を積極的に使おうという話は聞こえてこなかった。しかし、5月の報道の通り、メルクは事実に症例を絞り着々と準備を重ねていた。
今日紹介するジョンホプキンス大学とメルクの共同論文は、すでにFDAに認可されている。PD-1抗体治療の適応を決めるための分子マーカーとしてのミスマッチ修復酵素の変異をクレームする時の下敷きとなったデータを改めて論文に仕上げたもので、7月28日号のScienceに掲載されている。タイトルは「Mismatch repair deficiency predicts response of solid tumor to PD-1 blockade(PD-1阻害に対する固形ガンの反応性をミスマッチ修復酵素の欠損が予測できる)」だ。
はっきり言って、まとまりのない論文だなという印象だ。
研究では部位を問わず固形ガン患者さんの中から、ミスマッチ修復に関わる4種類の遺伝子のいずれかに生まれつき変異を持つ人を選び、PD-1に対する抗体治療を行っている。この研究では、変異のないコントロールを全く置かない観察研究だが、それでも86例中66例でガンの進行を抑えることに成功し、すっかりガンが消えたのが21%、部分的効果がえられたのが33%、ガンの縮小はないが病気自体が安定したのが23%で、悪化したのは14%に過ぎなかった。そして、二年以上悪化が見られないのが6割近くに達している。観察研究とはいえ、この結果は赫赫たる成果といえ、おそらくこれを基礎にFDA の認可が行われたのだろうと思う。
あとは、腫瘍が退縮したケースのガン組織のバイオプシーにより、ガンの退縮の確認、病理的瘢痕像などの確認、最初から反応しなかったケースのエクソーム解析、原発巣と転移巣の比較を行っている。残念ながらなぜ効果が得られなかったのかについて、ガン側の明確な理由は見つかっていないが、転移巣と原発巣の比較では、転移巣ではなんと1000近くの新しい突然変異が加わっていることを示し、ミスマッチ修復が障害されると急速に突然変異が蓄積することも確認している。
ケースを選んで経過中のエクソーム解析も丹念に行っており、急に悪化する場合これまで報告されているようにβ2ミクログロブリン遺伝子の変異が腫瘍抵抗性の原因になることを示している。
加えて、一部の症例について、ガン組織では特定のT細胞受容体が濃縮されていること、またネオ抗原の特定、ペプチドに対する反応などを明らかにし、チェックポイント治療によりガンに対するT細胞の反応が本当に誘導され治療につながったことを示している。
最初から細かく計画を立てず、患者さんの経過に応じて検査を重ねるといったスタイルの研究で、完成した研究というより、経過報告といった感じの論文だ。それでも、ほとんどの固形ガンを視野に入れ、突然変異の数から免疫に使えるネオ抗原とリンクさせた点は、PD-1の新しい展開になるだろう。この研究はさらに続くだろうし、実際に臨床応用が進みこの結果の確認はすぐ行われるだろう。
繰り返すが、PD-1治療の成否はガン免疫の誘導ができるかどうかにかかっている。この当たり前のことを考慮した、最もストレートな分子標的による適用の決定法の開発を本家の我が国でも開発して欲しいとおもう。
2017年7月29日
アルツハイマー病の原因遺伝子として最も研究されているのが、脳内に蓄積するベータアミロイド分子自体の変異と、BACEで切られたベータアミロイドをさらに短くするγシクレターゼの構成成分プレセニリンの変異だ。特にプレセニリン1、2の変異については200に上る変異が知られている。すなわち、これらの変異でアミロイドの切断がうまくいかないと長いアミロイドが形成され蓄積、プラークができるという話で皆納得していた。しかし、生化学的な詳しい検討はあまりなされていなかったようだ。
今日紹介するベルギーカソリック大学からの論文はβアミロイドとγシクレターゼ複合体の生化学を丹念に行い基質と酵素の結合安定性がプラーク形成につながるアミロイド形成の鍵になっていることを明らかにした論文で7月27日号のCellに形成された。タイトルは「Alzheimer’s causing mutation shift Aβ length by destabilizing γsecretase-Aβ interaction(アルツハイマー病を誘導する突然変異はAβとγシクレターゼの相互作用を不安定化させAβの長さをシフトさせる)」だ。
基質と酵素の反応を扱った極めて地味な仕事に見えるが、読んでみると論理的で説得力があり、専門ではない私も十分納得できるように論文が書かれている。
まずAβの前駆体(APP)がBACEで処理されると次に膜上でγシクレターゼにトラップされ、49番目、46番目、43番目、そして40番目が順番に削られる。試験管内実験系で温度を上げていくと、短いAβはほとんど切られなくなる。一方、APPや同じγシクレターゼの基質Notchは、温度の影響がより少なく、反応は安定していることがわかる。
すなわち、基質と酵素の安定性が重要であることがわかるので、膜上のγシクレターゼ複合体全体を再構成してAβとの反応を調べると、温度は一定でもAβが短くなるほど切られにくくなることを発見する。様々な実験の結果、APPがγシクレターゼに捕捉されると、順々に切断されるが、その際γシクレターゼとの結合力が順々に弱まるので、他の複合体の分子がなんとか結合を助けて最後まで切断が進むようにしている。この反応が突然変異などで途中で止まると、Aβは膜から遊離、完全に切断できていないと沈殿してプラークを作るというシナリオになる。
実際、プレセニリンの突然変異分子を使って反応を調べると、Aβとγシクレターゼの結合が不安定化されるため、結局Aβが離れてしまうことを示している。
興味を引いたのはプレセニリンの様々な突然変異を用いてAβとの乖離温度を調べると、見事に発症時期と温度の高さが一致することで、長い時間をかけて蓄積するような小さな変化も、酵素反応的にしっかり説明できることを示している。
最後に温度をあげた反応系を用いることで、この結合を安定させる化合物を特定できること、また細胞やマウスの脳内でも、発熱により不安定性が高まりAβが沈殿することを示し、将来の臨床への方向性を示している。
オーソドックスな生化学の仕事からこれほど面白いシナリオが生まれ、さらに将来の創薬可能性まで示されたことに脱帽。長期に服用可能で、安全なγシクレターゼの安定化化合物となると、かなり開発は難しそうだが、しかし可能性はある。ぜひチャレンジしてほしい。
2017年7月28日
コンピューターで素子間をつなぐ連絡と比べると、神経細胞ははるかに遅い反応しかしない。この反応を維持するために、神経興奮やシナプス伝達に必要とされる以上のエネルギーを細胞の恒常性維持に使わなければならない。この激しい代謝のおかげで、脳内の神経の活動を、グルコースの取り込みの変化や、機能MRIで捉えられる血流の変化として私たちが捉えることができるわけだが、神経伝達という一点から見れば無駄が多く、ICなどと比べると冗長の塊みたいな存在だ。今、将棋や碁でコンピュータ(実際にはアルゴリズムは人間が書いている)が勝ったと言っているが、これは当たり前のことで、コンピュータは早くて疲れないが、私たちの神経細胞は冗長で、働けば働くほど疲れてしまう。この意味で、脳をそのままコンピュータになぞらえるのは本質を見誤るような気がする。
これを確信させてくれる(というのは私の思い込みだが)、素晴らしい論文がハーバード大学からNatureに発表された。タイトルは「Distinct timescales of population coding across cortex (異なる時間スケールを持つ神経集団コードが大脳皮質横断的に働いている)」だ。
この研究の目的は私が前書きで述べたような脳とコンピュータの違いを調べることではなく、一連の行動がおこる時、近くにある神経細胞間で見られる興奮の連結の機能的意味を明らかにすることだ。おそらく、頭の中で答えがあったのだろう。これを証明するための凝った実験系を確立している。
マウスを用いた実験で、課題は音が聞こえる方向に動くという単純な行動だ。この時の脳活動を記録するため、聴覚野皮質と前頭前皮質を長焦点の2光子顕微鏡でモニターする。モニターのためにはマウスを自由に動かすことはできないので、なんと球状のトレッドミルにマウスを乗せ、音の方向へ歩いても位置がずれないよう工夫している。ゲーム世代の感覚で、バーチャルな行動野を作り出している。さらにこの研究では記録したすべての神経活動からコンピュータモデルを作り、神経活動を単純に提示するのではなく、モデルから計算される情報量や情報量を変化させる要因(これが神経間の連結として計算される)を指標に、解析を行っている。3番目については、私の最も苦手な点であることを断っておく。
この方法で、刺激に関する情報はほとんど聴覚野の神経活動に存在すること。一方、どちらに動くかについての情報は聴覚野と前頭前皮質両方に存在することをまず明らかにする。
この時、聴覚野で音を聞いた時の情報処理は、単純に迅速に行われ、神経細胞間の連結が行われないようにできているが、行動を選ぶ際の前頭前皮質での情報処理は各神経細胞が多くの神経と連結していること、そしてこの連結により、神経細胞の反応自身は短い持続しかないが、連結することで秒単位の持続が可能になっていることを示している。すなわち、音のシグナルが行動を決めるまでの時間十分維持され、正しい行動がとれることを明らかにした。
私は素人だが、神経細胞を連結させることで、単純な伝達とは異なる、多様な時間スケールの神経活動が可能になることに感激した(単純すぎるかも)。
実験の仕組みは大掛かりだが、結果は現象論で止まり、メカニズムについては全くわからない。ただ、小さな領域での連結なので、次は光遺伝学を使って、連結ができない時の実験などが行われるだろう。
繰り返すが、私たちの神経細胞は命令されなくとも、自ら冗長性を形成できる。これが真の脳コンピュータ実現には必要だろう。
2017年7月27日
筋ジストロフィーの遺伝子治療が加速し始めた。遺伝子治療というと、欠損している遺伝子をベクターに組み込んで患部に導入し、欠損している遺伝子を元に戻すのが定番だ。しかし筋ジストロフィーの原因遺伝子ジストロフィンはエクソンが79個もある巨大な遺伝子で、通常遺伝子治療に使われるウイルスベクターに組み込むことはほとんど不可能だ。このため現在主流になっているのがエクソンスキッピングと呼ばれアンチセンスRNAを用いて変異部を飛ばした短い分子を発現させる方法で、昨年秋にFDAによりエクソン51を飛ばす遺伝子治療薬を承認した。我が国でも異なるエクソンを標的とした核酸薬が第一三共や日本新薬が治験中で、期待されている。
ただこの方法では、長期間機能的分子の発現を維持するためには核酸薬を投与し続ける必要があるが、基礎研究段階ではあるがCRISPR/Cas9を用いてエクソンスキップを遺伝子改変により行う方法も開発されつつある(
http://aasj.jp/news/watch/4683)。
これに対し今日紹介する仏、米、英からの共同論文は機能部分だけを集めた小さなジストロフィン分子をアデノウイルスベクターに組み込んで治療するという最もオーソドックスな研究で7月25日号Nature Communicationsに掲載された。タイトルは「Long-term microdystrophin gene therapy is effective in a canine model of Duchenne muscular dystrophy(ミクロジストロフィン遺伝子治療は犬のドゥシャンヌ型ジストロフーに有効)」だ。
この方法は、小さいとはいえ機能遺伝子を導入する治療のため、ジストロフィン遺伝子のほぼ全ての突然変異に対し有効なこと、一度の治療で比較的長期の効果が期待できる。
研究では大型動物モデルとして定番の筋ジス犬にアデノ随伴ウイルスベクターに導入したミクロジストロフィンを注射、筋肉の機能と病理を調べている。最初の実験ではまずウイルスの効率と安全性を調べるため、上部で結紮した前足の筋肉に遺伝子を注射、3ヶ月後に遺伝子治療の効果を機能的に評価した後屠殺、病理的に回復を調べている。結果は上々で、少なくとも3ヶ月は、投与部位だけでなく、他の部位にも導入遺伝子が発現すること、また投与部の前腕の筋肉機能が回復していることが確認された。
この結果を受けて、今度は2ヶ月例の犬にウイルスベクターを静脈注射し、最も長いものでは二年という長期間の観察を行っている。静脈注射すると、どうしても肝臓に捕捉され、最終的に免疫反応で肝毒性が出たりして少し乱暴な気もする実験だが、予想に反して最も多くのウイルスを投与した群では長期生存とともに、中程度の歩行機能を保ったまま少なくとも一年程度経過できること、またバイオプシーにより遺伝子が筋肉で回復していること、逆に免疫反応は長期間ほとんど観察されないことを示している。いずれにせよ、静注による全身投与が有効という話は重要だ。
もちろんランダマイズされた実験ではないが、かなり期待できるのではという印象を持つ。FDAもこの病気と遺伝子治療については迅速審査を心がけているようなので、臨床治験へと進んで欲しいと思う。
このような遺伝子治療は、まだ筋肉が十分残っている患者さんが対象だ。すでに時間が経過し、筋肉が失われた患者さんでは細胞移植治療が必要で、そちらも進むことを期待している。
2017年7月26日
発生後の体細胞で卵子由来の染色体と、精子由来の染色体で別々に調節される遺伝子はインプリンティング遺伝子と呼ばれ、胎盤を持つ哺乳動物特有の現象としてその発見以来長年にわたって研究されてきた。特に、様々な腫瘍でインプリンティングの異常が見つかってからは、発生学や進化学だけでなく、臨床医学でも重要なテーマとなってきている。メカニズムについては、もっぱらインプリンティング遺伝子の調節領域のDNAメチル化を介して起こっていると一般には信じられてきた(実際この論文を読むまで私もそう思っていた)。
今日紹介するボストン小児病院からの論文は、発生の初期にDNAメチル化に依存しない新しいインプリンティングが、母側の染色体で起こっていることを示した論文でNature オンライン版に掲載された。タイトルは「Maternal H3K27me3 controls DNA methylation-independent imprinting (母親由来のH3K27me3がDNAメチル化に依存しないインプリンティングをコントロールしている)」だ。
染色体構造を少ない細胞数で調べることができるようになり、初期発生でのリプログラミングの研究は現在急速に進んでいる。この研究には、初期胚操作に手練れた研究者が必要で、私が現役の頃は我が国でも多くの研究者がひしめいていた。ただ、胚操作と染色体解析を組み合わせた研究が主流になってからは、我が国のアクティビティーは落ちている気がする。これに代わって、多くの中国人研究者がこの分野で活躍しているが、この研究もその一人Zhangさんの研究室からだが、筆頭著者は井上さんという日本人で(と思う)、伝統は守られているようだ。
研究では人工授精させた後の精子由来の核と、卵子由来の核を分離し、DNaseIで切り出すことができる染色体の開いた箇所を調べる方法を用いて、開いている場所(DHS)の違いを、両方の染色体で比べ、母親由来の染色体(MC)および父親由来染色体(PC)にのみ見られる配列を特定している(DHSがMCだけに見られるということは、対応する遺伝子がPCではインプリンティングされていることをさす)。また、精子自体と、受精卵の精子由来核を比べ、予想どおり受精後急速にPCのクロマチン構造が開きつつある一方、MCでは変化がないことも確認している。すなわち、クロマチン構造の変化が、PCとMCで大きく異なることを示している。
次に、受精後もMC側ののインプリント状態を維持されるメカニズムを調べ、DNAメチル化ではなく、H3ヒストンのメチル化により維持されていることを明らかにした。
実験的に卵子から維持されるヒストンメチル化(H3K27me3)によるインプリント遺伝子を特定した後、次は発生過程でこのインプリンティングがどう変化するか調べ、発生後も胎児側、胎盤側で別々に維持されるメチル化依存性のインプリンティングと異なり、内部細胞塊ではH3K27me3マークが失われ始め、エピブラストで完全に消失する一方、胎盤では維持されることを明らかにしている。
残念ながら発生過程で変化する新しいインプリンティングが、発生そのものにどのように関わっているのかについての検討は残されたままだ。遺伝子のリストを見ると、エピブラスト以降すぐに必要となるような重要な遺伝子が含まれているように思え、面白い課題だと思う。また、このインプリンティングが卵子発生でどのように形成されるのか、生殖細胞発生過程で調べる必要があるだろう。
いずれにせよ、生殖細胞発生から受精、初期発生過程と、大きくリプログラムが進む過程を正常胚で研究するためには、胚操作に手練れた研究者の独壇場が続くと思う。
2017年7月25日
現在私たちが使っているスマートフォンは極めて高性能なデジタル録音器でもある。そのため、持ち主がその気になれば、あらゆる場面を秘密で録音することが可能になる。特に自分にとって重要な場面ではなんとか録音に残そうとするのもよくわかる。医師と患者さんが向き合う診察室でのやり取りも例外ではない。米国で行われた128人に尋ねたサーベーでは、なんと19人が診察室での医師との会話を許可なく録音しており、また14人は誰かがこっそり録音しているのを見たことがあると答えている。我が国での状況はほとんど報告されていないと思うが、米国では医師の間で問題になってきたようだ。
今日紹介するダートマス大学、健康行政と臨床診療に関する研究所のGlyn Elwyn博士が7月10日号の米国医師会雑誌に発表したコメンタリーでは、診察室での録音の法的な問題についてまとめられている。タイトルは「Can patients make recordings of medical encounters? What does the law say(患者さんは診療行為を録音することができるか?法的規制)」だ。
まず患者さんが録音する動機のほとんどは決して医師の問題を指摘するためではなく、もう一度医師の指示を自宅で聞きたいという目的で行われている。実際、録音する患者さんの72%がもう一度録音を聞き直しており、さらに68人は介護者と情報を共有している。
従って、一部の医療機関では録音を最初から許可している。例えば、診察後に必ず録画を渡す医療機関も存在し、これにより医療訴訟コストを10%削減しているようだ。
しかしそもそも診療室でのやり取りを録音するのは法的に許されているのか?
まずアメリカでは州によって法的規制が異なる。まず11州では全ての当事者がコンセントなしに録音することは違法と定めている。一方、39州では患者さんが医師の許可なく録音をすることが許されている。面白いことに、録音を許さない州の多くはリベラルな州で、例えばカリフォルニア、メリーランド、マサチューセッツなどアメリカを代表する病院が存在する州が含まれている。
これらの州で不法に録音を行おうものなら、慰謝料を含む大きなコストを課せられるようになっており、当然のことながら裁判での証拠能力はない。
一方、多くの州では違法ではない。秘密で録音される場合は仕方がないが、患者さんに「家で指示を聞きたいから録音したい」と聞かれた医師は、どう反応したらいいのだろう?
録音を違法だと定めた11州では拒否できるが、原則として他の州では拒否することはできない。その結果、医師の個人的意見は患者さんだけでなく家族をはじめ多くの人に共有されてしまう。
録音が広まり、互いの疑心暗鬼が高まるようだと、なかなか率直な意見が語られなくなり、患者さんにとってもマイナスになる。
残念ながら解決策はなく、とりあえずはそれぞれの州法に従うしかないが、将来の開かれた医療のためにも、この問題を議論し、統一した方針を出す必要があると結論している。
これまで考えたこともなかったが、米国で進む動きは、必ず我が国でも進行中と考えるべきだろう。実態調査を始め、この問題についての議論を早急に始めることが重要に思う。
2017年7月24日
現在では、ヘルペスウイルス、エイズウイルスや、C型肝炎ウイルスなど、ウイルスの増殖と感染メカニズムが明らかになり、これに関わる分子を標的とする多くの薬剤が開発されて、患者さんが救われるようになり、あまりワクチンや抗血清の必要性が強調されなくなっている。しかし開発途上国で利用しやすいコストから考えると、今でもワクチンや、抗血清の重要性は高く、開発が続けられている。
私自身全く知らなかったが、エイズウイルスに対しては、人間、マウス、さらにはサル、ウサギなど、ウイルスを中和できる抗体作成が試されてきたようだが、限られた抗原エピトープに対してようやく抗体ができる程度で、様々な系統のウイルスを中和できる抗体の誘導はほとんどうまくいっていなかったようだ。
今日紹介するカリフォルニア・スクリップス研究所からの論文は、抗体遺伝子が長い可変領域を持つ牛を免疫すると、これまで難しかった中和抗体が誘導できるという、なんでもやってみなければわからないという典型の研究で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Rapid elicitation of broadly neutralizing antibodies to HIV by immunization in cows(牛を免疫することでエイズウイルスを広く中和する抗体を誘導できる)」だ。
この研究は抗体の構造について熟知していないとなかなか思いつかないだろう。牛のHCDR3と呼ばれる抗体H鎖可変領域(遺伝子でいうとD領域)が牛は極めて長いことに着目し、この可変領域であればこれまで難しかったエイズウイルスエンベロップに対する中和抗体ができるのではとあたりをつけ、三匹の牛をウイルス遺伝子が収められているエンベロップで免疫したという研究だ。そして期待通り、様々な系統のウイルスに対して中和活性を持つ高い力価の抗血清が得られることを明らかにした。この結果がこの研究の全てと言っていいだろう
次にこのような抗体を迅速に誘導できるか調べ40日ほどあれば高い力価の抗体が誘導できることを示している。あとは、様々なウイルス系統に対する反応性など詳細に検討して、免疫を続ければ90%以上の系統を中和できる。
抗体のアミノ酸配列について、抗原特異的B細胞を分離して解析を行い、全ての抗体が極めて長いHCDR3領域(D領域遺伝子)を使っていること、この結果ウイルスのCD4結合部位に反応できることを示している。
他にも結合の立体構造の解析など、詳しいデータが示されているが、それはスキップしていいだろう。D領域遺伝子が長い牛は、これまで抗体ができないとされてきた抗原にも反応できる抗体を誘導できる可能性があることを示した重要な貢献だ。しかも短期間に抗体を誘導できることから、今後ウイルス制御に関しては常に牛抗血清を念頭に置かれるようになるだろう。
しかし、なんでもやってみることが重要だし、またこのような実験が今も行えるスクリップス研究所の懐の深さに驚いた。
2017年7月23日
Type IIIクリスパーシステムは新しく転写されたRNAに結合したガイドRNAを中心にCas10、Csm2,3,4,5タンパク質が結合し、侵入してきたDNAと転写されたRNAを同時に分解する複雑なシステムだ。これまでの研究で、ウイルスに対する防御のためにはもう一つのRNAse、Csm6が必須であることもわかっていた。しかしこの分子はガイド結合サイト上に作られるタンパク質複合体に結合しないことから、侵入したウイルスへの特異性のメカニズムについては全く明らかでなかった。
この問題に対しチューリッヒ大学のグループとリトアニア・ビルニュス大学からのグループがそれぞれNatureとScienceのオンライン版に論文を発表し、この謎を解明した(リトアニア単独でトップジャーナルに発表された論文を私は初めて読んだ。大変な力作でレベルが高い。クレメール、ヤンソンス、ヤルビ,マイスキー、ネルソンスなどバルト三国出身の音楽家は現在大活躍だが、科学の振興もしっかり行われているのではという印象を持った)。それぞれタイトルは「Type III CRISPR-Cas systems produce cyclic oligoadenylate second messenger (Type IIICRISPR-Casシステムはサイクリックオリゴアデニル酸をセコンドメッセンジャーを合成する)」及び「A cyclic oligonucleotide signaling pathway in type III CRISPR-Cas systems(Type III CRISPR-Casシステムでのサイクリックオリゴ核酸の役割)」だ。
2つのグループが競争するようにNature,Scienceに論文をほぼ同時に発表している状況なので、論文の詳細を紹介するのはやめて、今回は結論だけを述べることにする。両方とも結論は同じで、Cas10システムによって合成されるサイクリックアデニル酸がCsm6と結合してRNAse活性をオンにすることで、ガイドに近い部分のみでRNAが働くことで侵入したウイルスのみ分解されるというシナリオだ。
結果をもとにType IIIシステムの働く過程をまとめると次のようになる。
Type III CRISPRはRNAポリメラーゼによるウイルスDNAの転写が最初のシグナルになる。転写されたRNAにガイドが結合して、ここにCas10を核としてCsm2,3,4,5の4種類のタンパク質複合体が形成される。Cas10はDNAを分解して侵入ウイルスを分解する。また、Csm3はガイドの結合したRNAを分断する。そしてここからが肝心だが、Cas10のPalm部分がATPを原料に6個のアデニンが環状に結合したサイクリックアデニル酸を合成する。このサイクリックアデニル酸はCsm6と結合してRNAse活性をオンにし、ガイドに近いところに存在するRNAのみ分解するという結果だ。
覚えておられるかもしれないが、哺乳動物の細胞でもRNAseIIIが侵入ウイルスRNAの分解に関わっていることを示す論文を紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/7054)。今回の結果は、Type IIIクリスパーシステムが、真核生物での抗ウイルスシステムの橋渡しとなっている可能性を示唆する面白い結果だ。CRISPRの多様性には、当たり前とはいえいつも感心する。