古代の遺跡から、化石と言っていいのか、糞便が石の様に固まった糞石が得られ、古代人が何を食べていたかについて重要な情報を提供してくれる。当然糞便には細菌叢が存在し、最新の古代DNA分析技術をもってすれば、古代の人間の細菌叢を分析できるかもしれない。とはいえ、骨の中に残る細胞DNAとは異なり、我々の体のほとんどのDNAと同じで、糞便のDNAも環境の分解力により、土に還るのではないかと思っていた。
しかし最近紹介した様に、土に還ることで、場合によっては環境の鉱物に吸着してDNAが守られることもある様で(https://aasj.jp/news/watch/15388)、ともかく糞石DNAの分析にチャレンジすることは意味がある。そう考えて、2017年ぐらいから、保存のいい古代の糞便遺物を解析する研究が進んでいた様だ。
今日紹介する糖尿病研究で有名なジョスリン研究所からの論文は、2000年前後のアメリカ原住民の糞便遺物(米国とメキシコより出土)からDNAを取り出し、当時の人間の細菌叢を再構成したと言う面白い研究で、どこまでできるのだろうと興味をもって読んでみた。タイトルは「Reconstruction of ancient microbial genomes from the human gut(古代人の腸内細菌叢を再構成する)」だ。
タイトルを見ただけで、だれでも気になるのは、人間の糞便由来の細菌叢であることを、本当に決めることができるかだ。人間自身のDNAなら、ハイブリダイゼーションで濃縮もできるし、古代DNAを現代のDNAから区別することもできる。しかし、細菌となると、無限の可能性から、動物の腸内細菌であること、そして最後に人間の腸内細菌であることを証明する必要がある。こんなこと本当にできるのか?
研究方法を読んでみると、腸内細菌叢は独自の進化を遂げており、古代の細菌叢ゲノムも、現代人の腸内細菌叢を指標に、他の細菌から選別できると言う仮説に立っている。これにより、現代人細菌叢ゲノムを手本に、人間由来と思われる細菌DNAを選び、最後に現在の家畜に存在する細菌叢も指標として用いて、最終的に人間の腸内細菌叢由来DNAライブラリーを選び出している。この方法が妥当かについては私の知識を超えているので、あまり詮索せず、当時の人間の細菌叢のDNAライブラリーが再構築されたとしておく。
さて結果だが、腸内細菌叢全体の構成、存在した細菌の全ゲノムレベルの再構成、そしてゲノムが再構成できた細菌の進化についての詳しい解析、に分けて示されている。
- まず細菌叢の構成については、現代人の細菌叢とほぼ同じ細菌成分が特定できる(これは方法論から考えると当然と思えるが)。さらに、読めた回数からそれぞれの細菌の頻度を計算しており」これを用いて細菌構成を計算すると、古代人の細菌叢は、工業化された地域に住む人たちの細菌叢より、田舎に住む人の細菌叢に似ていることを示している。具体的には、田舎の人に多いFirmicutesは多く、都会の人に多いBacteroidetesは少ないといった具合だが、なんとなく説得されてしまう。
- 古代人だけで多い細菌種もいくつかある。ただ、なぜこれらの細菌が現在マイノリティーになったのか理解するためには、他の時代の細菌叢を調べ、細菌叢の地理と歴史を再構成する必要があるだろう。
- 現代の腸内細菌叢をお手本とせず、読めた配列からできるだけ完全な細菌のゲノムを再構成することにもチャレンジし、厳しい条件で配列を選別することで、古代人糞便由来のほぼ完全な細菌ゲノムを181種類決定することに成功している。これらの多くは現代人腸内細菌叢に存在する種に属しており、腸内で独自の進化が続いていたことを示す。
- その中の1種類の細菌を用いて、人類進化と腸内細菌進化の関係を調べると、なんと細菌の方も、人類が出アフリカを果たした時に一致して進化をはじめ、またホモサピエンスがアメリカに進出したのと同時に、アメリカ原住民特異的系統が出現している。
- 一方、再構成できた181種類の細菌ゲノムのうち、61種類は、種レベルでこれまで現代人の解析からは発見されていない古代のみに存在した細菌であることがわかった。すなわち、人間の歴史とともに大きな選択圧にさらされていることも示している。
- この様な選択圧を調べるため、機能的見地から古代人の腸内細菌を比べると、例えば抗生物質に対する耐性に関わる遺伝子は古代人細菌叢にはほとんど存在しない。一方、古代人や田舎の人の細菌叢はデンプンを分解する遺伝子が存在しているが、都会人になると減少している。すなわち、人間の様々な歴史的変化により、腸内細菌が強く選択されることを示している。
以上が結果で、2000年と言う古代ゲノム解析からは比較的新しい時代とはいえ、よくまあここまで解析できたなと言う印象だ。ただ、結果は完全に想定内で、細菌叢の進化は、私たち自身の進化の繁栄だとでもまとめておこう。