昨日に続いて、単一神経細胞の記録が難しいため、人間の研究が遅れていた分野の論文を紹介する。
ノーベル生理学賞に輝いた英国の脳科学者、オキーフさんの業績は、海馬や嗅内野にナビゲーションに関わる場所細胞を見つけたと紹介されるが、本当の凄さは、外界についての記憶成立を、単一神経と領域の活動のズレから考えようとしたことで、昨日の「カテゴリーと個別」問題と同じで、脳ネットワークの特性を知るために極めて重要な貢献だと思う。
実際には、空間を動き回るときに活性化される領域が刻む比較的サイクルの遅いθリズムと、個々の場所細胞の興奮を記録し、該当する場所に近づいてくると細胞の興奮サイクルがθリズムから外れて早くなるという現象、Phase Precessionを発見した貢献だ。
オキーフさんは海馬の場所細胞の研究でこのphase precessionを発見したが、その後の研究でphase precessionは様々な場所で、様々な状況で起こることがわかってきている。しかし、電極による単一細胞の記録が必要なため、人間でphase precessionを特定するのは難しかった。
今日紹介するコロンビア大学からの論文は昨日と同じでてんかんの発生源を特定するために脳内に設置するクラスター電極を利用して、ナビゲーションゲーム中での場所細胞を特定、人間でもphase precessionが起こるかどうかを調べた研究で6月10日号のCellに掲載予定だ。タイトルは「Phase precession in the human hippocampus and entorhinal cortex(人間の海馬と嗅内野でのphase precession)だ。
実験はマウスと同じで、実際に動く代わりに、ゴールを目指すテレビゲームで、画面上の様々な場所を確認しながらゴールに到達するまでの過程を、実際に通った軌跡記録と、その間の領域活動リズム、電極で記録できる各神経細胞の興奮記録を集め、まず人間にも単一電極で記録される場所細胞があるか、場所に近づくとき、場所細胞の興奮はその領域のθリズムに対してPhase precessionが見られるかを調べている。
ラットと違ってθリズム自体のサイクルが遅く、また強さが揃っていないという問題があり、それをなんとか克服して各細胞の興奮とθリズムの関係を調べると、ラットと同じように、人間の海馬や嗅内野には明確な場所細胞があり、その興奮は場所に近づくにつれphase precessionを示すことを明らかにしている。
幸い人間の場合広い領域に電極が留置されており、海馬や嗅内野だけでなく、扁桃体や前帯状皮質でも数は少ないが、場所に反応する神経が存在し、phase precessionが起こることを示している。
その上で、全体で記録した中から、場所とは別に、何かに反応してphase precessionが見られないか調べ、特定のゴールを目指すときに、必ずphase precessionが起こる神経細胞が存在すること、またこれらの神経は、嗅内野にはほとんど見られず、代わりに前帯状皮質、眼窩前頭野、扁桃体などに散財していることを明らかにしている。
個人的な意見だが、ゴール達成という、感情の関与が必要な脳内領域がより多く関与しているのは面白い。
結果は以上で、人間でも場所細胞がしっかり存在し、それが領域内で刻まれているリズムと齟齬を生じることが、、特定の神経細胞の興奮を浮き上がらせて記憶につなげる過程が人間でも起こっていることがよくわかった。また、この仕組みは様々な行動で使われていることは間違いないこともよくわかった。
例えば音楽を聞いたり演奏したりするとき、phase precessionが存在するのかなど、人間でしかわからないことは多い。てんかん患者さんの協力が得られれば、もっともっと複雑な記憶や行動を、クラスター電極で研究して欲しいと思う。