3δ株感染では主症状の一つだった嗅覚障害が、オミクロン株ではほとんど発生しないという話を聞いて、嗅覚受容体の発現が結構環境変化に左右されるのだなと感心しているときに、思いがけなくガンの転移と嗅覚受容体の関係を示したハーバード大学からの論文を見つけた。大学の後輩でアラバマで脳外科医として働いている知人、中野伊知郎さんも共著者として参加している。タイトルは「Olfactory receptor 5B21 drives breast cancer metastasis(嗅覚受容体5B21は乳ガン転移を促す)」で、12月17日号のiScienceに掲載された。
私が気づかなかっただけで、ガンの転移や悪化に異所性に発現した嗅覚受容体(OR)が関わっている可能性は、多く発表されているようだ。特に、前立腺ガンや乳ガンでは、転移や悪性度との関連が指摘されていたようだ。考えてみると、嗅覚受容体はG共役性受容体なので、異所性に発現され、刺激物質が存在すれば、細胞の活性を変化させても不思議は無い。
この研究では人乳ガンをマウス血中に注射し、脳、骨髄、肺に転移し増殖できた細胞から細胞株を樹立し、新たに発現してきたORを調べている。人間のORは800種類以上存在するが、転移できた乳ガンでは20種類ぐらいのOR遺伝子の発現が上昇している。
この中から、特に脳転移で上昇しているOR5B21に注目し、研究を進めている。OR5B21は親株と比べ、脳転移では15倍、肺転移では10倍高い発現が見られている。残念ながら、ヒト乳ガンのデータベースサーチでは、乳ガンでOR5B21の発現が上昇していることは述べられているが、脳転移でさらに上昇しているかどうか述べられておらず、実際の臨床例でも同じことが言えるのかは分からないと言わざるを得ない。
とはいえ、実験動物系ではOR5B21は確かに刺激され、STAT3/NFκB/CEBPβ分子経路を介して、乳ガン細胞の上皮間質転換を促進し、またメタロプロテアーゼの発現を上昇させて、結果として転移が上昇することを示している。
またノックダウンすると、転移能力が低下し、マウスの生存期間も延びることが示されている。
結果は以上で、出されたデータが完全とは言えない部分が多いので、結論が一般化できるのかどうかは判断できない。しかし、ORがこれほど様々な場所で発現するとは考えたことが無かった。ORは、抗体やTcRと同じで、一つの細胞には一つの受容体しか発現しないように出来ている。おそらく、エピジェネティック機構の異常で起こるガンの異所性発現では、このルールが守られているのか、それも是非調べてもらいたいと思った。