この論文を読むまで、蚊が私たちによってくるのはもっぱら炭酸ガスのせいだと思っていた。ところが、ネッタイシマカ( Aedes aegypti )は他の動物には目もくれず人間を狙うらしい。とすると、炭酸ガスだけが蚊を引き寄せるというのは間違いで、人間特有の臭いを手がかりに我々を襲うと考えられる。
今日紹介するプリンストン大学からの論文は、臭い刺激に対する蚊の脳の反応を調べることで、人間特有のにおいに反応する領域と、その反応特性を明らかにするとともに、蚊が手がかりにしている人間の匂いの成分まで特定しようとした力作で、5月4日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Mosquito brains encode unique features of human odour to drive host seeking(蚊の脳は人間独自の匂いの特徴をコードしてホストを探す)」だ。
まず、メスのネッタイシマカが C02ではなく、人間から集めた匂いに最も反応することを確認した後、動物の匂いと人間の匂いを溶かした標準的匂いの元を設計し、これを蚊に嗅がせたときの脳の反応を調べている。と言っても、蚊が相手なので反応を調べるための仕組みを自分で組み込む必要がある。この研究では Orco と呼ばれる匂い受容体と共発現する遺伝子部位にカルシウムセンサー遺伝子を導入し、臭いに対する反応をモニターできるようにして、匂いを嗅がせながら蚊の脳を観察している。
実際には匂いを嗅がせるだけでも様々な工夫が行われている大変な実験を行った結果、人間と動物の匂いに対して、確かに嗅覚野の異なる場所が反応することを突き止める。感覚から行動までの神経回路については全く手つかずだし、また人間に特異的に反応する領域の反応を抑えると、人間へ向かう行動が消えるかどうかなど、マウスと異なり簡単には手がつかない点も多いが、人間特有の匂いを表象する脳の反応領域が突き止められたことだけでも素晴らしい。
さらに、この脳の反応パターンを手がかりに、人間の匂いのどの成分に蚊が反応しているのかについて、中に含まれる個々の、あるいは組み合わせ分子を用いて、人間の反応パターンを再現できるか調べている。その結果、動物と人間の匂い成分は、存在する分子種についてはほぼオーバーラップしているが、ブレンドの割合が違っており、特に人間の匂いには長鎖のアルデヒド種が多い。即ち、多い割合で長鎖アルデヒドが存在し、それが他の成分と混合した全体が、蚊の脳から見た人間特有の匂いであることを示している。
これを確かめるため、次に人工的に化合物を人の匂いに近いようにブレンドし、それが人間の匂いをある程度ミミックすることを確認した後、二酸化炭素とともに混合してメスの蚊に嗅がせると、人の匂いと同じような行動をとることを示している。
以上が結果で、蚊の脳の匂い成分に対する反応を見ることが出来るとは本当に驚きだ。蚊に刺されない方法の開発につながるなどと下世話な話も出来るとは思うが、そんな話を超えて、この研究にはポテンシャルを感じる。