様々な臓器や細胞移植が可能になっているが、これまで死体からの神経組織の移植はほとんど試みられていない。これは、脳卒中でもわかるように、虚血になると神経細胞は急速に死んでしまうからで、その意味で ES、iPS など幹細胞技術への期待は大きい。
ところが、今日紹介ユタ大学からの論文からわかるように、神経細胞の塊ともいえる網膜組織を移植や実験に使うための方法を探っているグループがいることを知って驚いた。タイトルは「Revival of light signalling in the postmortem mouse and human retina(マウスおよび人間の死後に光シグナルをよみがえらせる)」だ。
これまでの研究や卒中での経験は、心停止後の神経細胞は急速に機能を失うことを示している。確かに、脳のスライス培養を行うことは出来るが、これもフレッシュな組織の話で、死後一定の時間が経つことが避けられない移植セッティングで、この可能性を追求するとは無謀だというのがタイトルを見たときの印象だった。
おそらくよほどの秘密を発見したのだろうと本文を読むと、最初から腰を折るようで申し訳ないが、何か新しい神経臓器の再生法を発見したわけではない。ただ、条件さえそろえば、使用を諦めることはないというのが結論になっている。正直、よく Nature に掲載できたなというのが率直な印象だが、諦めないことが評価されたのかもしれない。
実験は簡単で、マウスと人間で、死後の網膜視細胞の光に対する反応を、生体内、試験管内と様々な方法で検出し、機能が残っているのかどうか調べている。
実際マウスを頸椎脱臼で屠殺した後、光に対する反応を見ると、生体内でも、眼球摘出でも数分後に反応はほとんど消失する。ただ、取り出した眼球での視細胞の反応がほんの少し残っていることを確認して、このグループは諦める必要がないと確信した。
そしてこのとき神経機能が失われる原因が細胞死ではないこと、グルタミンの喪失など様々な機能ロスによることを確認した後、低酸素とアシドーシスを抑えることで、神経機能を時間単位まで伸ばせることを示している。
これはマウスで行った結果で、これをトランスレートするため、心臓死後の眼球提供の機会を用いて、眼球を保存するためのシステムを開発し、人間の網膜について調べている。実際には、黄斑と網膜周辺から組織を取り出し、錐体細胞と桿体細胞の光に対する反応を別々に調べている。特に視神経が集まる黄斑部については、桿体細胞の方が保存がよいということはあるが、周辺部では両方とも、十分実用レベルに保存が出来ることを示している。
以上が結果で、角膜移植のセッティングで得られる眼球の、網膜疾患への細胞治療に使うことは諦めることはないという結論だ。
先に述べたように、諦めずに再検討したら道が開けるという結論は、最も Nature らしくない論文だが、死体眼球からの角膜移植の普及した国では、大きなインパクトがあるのかもしれない。またひょっとしたら、脊髄や脳までこの方向性が広がるかもしれない。
そこで最後に想像を膨らませてみた。神経興奮により起こる早い転写反応を調べることが出来るので、死後網膜の反応地図を調べることが出来れば、SF でよくある死の瞬間に網膜に焼き付いた像を再現できるかもしれない。そんなことを考えながら、「諦めない」論文を読んだ。