造血システムの研究は、幹細胞の分化と自己再生を追跡する方法の開発に大きく依存している。私が研究を始めた1980年代、フランスの Claude Basset やカナダの Robert Phillips がレトロウイルスを造血幹細胞に感染させ、ゲノムへの挿入部位を利用して幹細胞の再生と分化を追跡する技術を報告した論文を読んで、是非使ってみたいとワクワクしたことが思い出される。現代ではもっと洗練されたバーコード法などが使える様になり、しかも single cell レベルでクローンを追跡できるようになっているが、これらの技術ももとをたどれば Phillips や Basset の方法に起原がある。
今日紹介する人間の遺伝子治療を積極的に進めるイタリア・ミラノ、サンラファエロ研究所からの論文は、それぞれ原因遺伝子がわかった metachromatic leukodystrophy、Wiskott-Aldrich syndrome、そして βThalasemia の患者さんの自家造血幹細胞に遺伝子を導入したあと、ブスルファンで造血を抑えた患者さんに戻す治療を行ったあと、治療効果や造血システムの回復について、レンチウイルス+遺伝子が組み込まれたゲノム部位を元に追跡して調べている。まさに、1980年代にマウスで行われた追跡方法が、今治療としてヒトに使われているのを見て感慨が深い。タイトルは「Long-term lineage commitment in hematopoietic stem cell gene therapy(造血幹細胞遺伝子治療でみられたコミットした幹細胞の長期維持)」で、10月18日 Nature にオンライン掲載された。
この研究では、移植を受けた患者さんを、最初は3ヶ月おき、1年目からはほぼ毎年患者さんの血液を調べ、移植した幹細胞からの造血状態を追跡しており、すでに8年近くにわたって観察を続けている。
それぞれの遺伝子治療の経過については期待通りの効果があり、血液系の遺伝子欠損の場合、自己幹細胞にレンチウイルスベクターで遺伝子導入して治療することは可能になっているといえる。そのおかげで、ウイルスベクターの挿入部位の多様性から、人間でも骨髄移植後の幹細胞動態が推測できる。
この方法では効率よく遺伝子導入が行われるため、各検査時に機能している造血幹細胞は1-5万の範囲になる。そして、移植直後からしばらくは多くの幹細胞クローンが機能しているが、1年目ににかけて急速に機能的幹細胞数は低下し、1年後は安定に1万程度の数で造血が行われる。
また、ホストの骨髄造血をブスルファンで抑制しているため、最初は少し分化して各系統へコミットした幹細胞が、すぐに必要な血液を供給できることから、機動的に働いて必要な血液細胞を供給し、その後は定着したより未熟な多能性幹細胞から様々な系統の血液が分化してくる。
しかし、時間がたつと必ず全能性の幹細胞からの造血に集約するかというと決してそうではなく、一人の患者さんで活動している造血幹細胞の半分は全ての系統を作る多能性造血幹細胞由来だが、残りの半分はよりコミットした、一部の系統だけを供給する幹細胞由来であることがわかった。すなわち、8年という時間スケールでは、少し分化して限られた系統だけを作る幹細胞も持続的に働いている。
そしてこのコミットした幹細胞は、それぞれの病気に合うよう選択されており、遺伝子欠損で骨髄系の異常が起こる metachromatic leukodystrophy では、骨髄球系列へコミットした幹細胞の数が増えており、またリンパ球系の欠損が見られる metachromatic leukodystrophy ではリンパ球造血へコミットした幹細胞が増えており、赤血球異常の βThalasemia では赤血球系へコミットした幹細胞が選択的に維持されていることがわかった。もちろんメカニズムは検討されていないが、多くのクローンの中から、特にそれぞれの病気で必要な系列の血液幹細胞が造血ニッチが提供されていることになる。
結果は以上で、コミットした幹細胞を長期に使うことで、その中から病気治療に必要な系統の血液がより効率的に合成できるよう選択されているという結果だ。骨髄幹細胞への遺伝子治療による遺伝子治療法がここまで進んでいるかと言う感慨とともに、我々の造血系が必要に応じてプログラムを変えられる可塑性を持っていることに感心した。
しかし何よりも、Basset や Phillips が始めたレトロウイルス標識法が、治療という現場を借りて、ヒトでも実際に行えるという事実に、私の世代はおそらく興奮すると思う。