アルツハイマー病(AD)治療薬の開発はこれまで、βアミロイドやリン酸化 Tau タンパク質の合成阻害や除去を中心に行われてきた。ただ、これら分子の変化から神経細胞死までの間にはまだまだ多くのプロセスが複雑に絡んでいるので、他にも創薬ターゲットは間違いなく存在する。ずいぶん前のことになるが、2017年に HP で、患者さんの海馬に留置電極を設置して記録すると、脳波では解らないてんかん様の過剰な興奮が見られることを示したマサチューセッツ総合病院からの論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/6848)。これは AD 神経で細胞質への Ca 流入が高まっているからで、特に Store operated Ca チャンネル(SOC)がリン酸化 Tau により活性化されるチャンネルとして注目されてきた。当然 SOC などを AD 治療薬の直接標的にする可能性が考えられるが、Ca は細胞シグナルの要で、AD 特異的作用を得ることは簡単ではない。
今日紹介するベルギーの創薬ベンチャー reMYND からの論文は、Ca チャンネルにこだわることなく、まずリン酸化 Tau を発現する神経細胞特異的に起こる Ca 流入異常に基づく細胞死を防止する薬剤を探索し、これまで想定されなかったメカニズムの AD 細胞死メカニズムに対する薬剤の開発で、5月31日 Science に掲載された。タイトルは「Pharmacological modulation of septins restores calcium homeostasis and is neuroprotective in models of Alzheimer’s disease(セプチン機能を薬理学的に回復させることでアルツハイマー病モデルのカルシウムのホメオスターシスを回復し神経を保護する)」だ。
Ca 異常を抑える分子のスクリーニングについてはほとんど詳しく述べられていないが、いくつかのヒットから、リン酸化 Tau による神経死を抑える REM127 の開発に成功している。REM127 は神経死だけでなく、試験管内でアミロイドにより誘導されるシナプス結合喪失を防ぐことができ、AD 神経のカルシウム異常、そしてそれに続く細胞死の阻害薬として期待できる。
次に問題になるのが、この薬剤が AD 特異的な効果を示すメカニズムだが、かなり複雑なのでほとんど詳細を省いて紹介するが。AD 治療薬開発という目的に合致した作用機序が示されている。
まず REM127 が結合する分子を探索すると、細胞膜近くで微小管の調節を通して ER と SOC との相互作用を介して Ca 流入を調節している Sepsin6(SP6) が特定された。SP6 をノックダウンすると、細胞質への Ca の異常流入が高まり、細胞死が誘導されることから、SP6 は細胞膜直下で SP2、SP7 などと一緒に、SOC の活性化を抑えていることがわかった。
次にリン酸化 Tau を発現させる実験などから、通常神経細胞では SP6、SP2、SP7 により形成される細胞骨格の働きで、SOC が低い活性レベルで抑えられているのに、リン酸化 Tau が強く発現すると、この細胞骨格が破壊され、その結果 SOC が活性化され、細胞質内の Ca が上昇し、細胞死が誘導される。しかしこのとき REM127 が存在すると SP6 が安定化するとともに、ReS19-T 分子を新たにリクルートすることで、SOC 活性化を抑制する構造を再構築し、細胞死を抑えるというシナリオだ(それぞれの分子の名前については気にせず読み飛ばしてほしい。興味のある人は是非自分で調べてほしい)。
結論だけを述べたが、実際には構造解析、細胞への遺伝子導入やノックダウンを駆使して、SOC、SP6、そして ReS19-T 分子の関係や機能を細胞学的に詳しく調べている。ただ、このような詳細をすっ飛ばし誰もが知りたいのが、この薬剤の AD に対する効果だ。
これについては、Tau 及びアミロイドそれぞれのトランスジェニックマウスに経口投与する実験を行い、REM127 により、神経の異常興奮が押さえられること、アミロイドや Tau によるシナプス可塑性や長期記憶の低下を抑えられることを示している。
そして何より驚くのは、REM127 投与により、βアミロイドの蓄積やリン酸化 Tau 蓄積のような病理変化も抑制できる点だ。すなわち、Ca 異常がそれぞれの蓄積に深く関わっていることだ。これを見ると、アミロイドβ 蓄積から Tau リン酸化といった順番を再検討する必要が出てくるかもしれない。
何でも調べてみるという気持ちが新しい発見を生む。今日紹介する中国北京、国立生物医学研究センターからの論文は、普通なら調べようと思わない脾臓内の自律神経支配を調べた結果、免疫による脾臓での胚中心形成にカプサイシン受容他 TRPV1 で刺激され、CGRPペプチドを分泌する神経が関わることを示した研究で、5月20日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Innervation of nociceptor neurons in the spleen promotes germinal center responses and humoral immunity(脾臓への侵害受容ニューロンの神経支配が胚中心形成と抗体反応を促進する)」だ。
歩くために必要な脊髄神経の刺激を AI モデルに記憶させ、それを硬膜外から刺激としてインプットすることで、慢性完全脊髄損傷患者さんを歩かせるローザンヌ工科大学の研究についてはこれまで何回も紹介してきた。ただ、このような AI を用いる方法は、脳との結合が実現できないと、複雑な刺激が必要な手や腕の機能回復にはつながらない。このため現在でもなおリハビリテーションが機能回復にとって最も重要だ。
今日紹介するローザンヌ工科大学からの論文は、ARCex-therapy と名付けた経皮的脊髄刺激法を、65名の患者さんで試した、より大規模な臨床観察治験で、5月号の Nature Medicine に掲載されている。タイトルは「Non-invasive spinal cord electrical stimulation for arm and hand function in chronic tetraplegia: a safety and efficacy trial(非侵襲的な脊髄電気刺激による四肢麻痺患者さんの手と腕の機能の回復:安全性と効果に関する治験)」だ。
この研究は、これまで何度も脊髄損傷の機能を AI で取り戻す方法を開発してきたローザンヌ工科大学から発表されたものだが、AI のようなハイテク技術だけでなく、もっとローテクの手法でも脊髄損傷患者さんの機能回復につながるなら積極的に臨床に提供しようとする意志が感じられる研究だと思う。まさに、ローザンヌが脊髄損傷治療の一大中心になろうとしているのがわかる。
このため、ALK2 機能を特異的に抑制する方法の開発も望まれている。今日紹介する創薬ベンチャーBlueprint Medicine Corporation からの論文は、ヒト ALK2 特異的小分子化合物を探索し、それがマウスモデルのFOPで筋肉損傷後の炎症から骨化までを抑えることを示した研究で、5月29日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「An ALK2 inhibitor, BLU-782, prevenerotopic ossification in a mouse model of fibrodysplasia ossificans progressiva(ALK2 阻害剤 Blu-782 はマウスモデルの FOP での異所性骨化を防止する)」だ。
CRISPR/Casの広がりは予想以上で、すでに臨床治験が進められている遺伝子編集も数え切れない。Clinical Trial Gov. で CRISPR とインプットすると、81治験がリストされる。当然治験前の前臨床段階だと驚くべき数になるはずだ。当然使用される CAS タンパク質など、遺伝子編集のために至適化されているのかと思うが、最も利用されている CAS9 ですら、理想からはほど遠いらしい。これまでも、標的以外の DNA に切断を入れる活性を除去して、特異性を上げる試みについては紹介してきたが、酵素活性としてみたときでも CAS9 は改良の余地が大きいようだ。
今日紹介するカリフォルニア大学バークレー校、Doudnaさんの研究室からの論文は、遺伝子編集に直接関わる酵素 CAS の改良を目指した研究で、5月22日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Rapid DNA unwinding accelerates genome editing by engineered CRISPR-Cas9(改変型CRISPR-Cas9により DNA をほどく速度を高めることで遺伝子編集効率を高めることができる)」だ。
標的以外の DNA を切断するオフターゲットの問題や、分子のサイズの問題を解決するための研究が進んでいるのは知っていたが、例えば Cas9 などこれほど多くの研究で利用され、場合によっては何十パーセントといった編集効率が報告されているので、この論文を読むまでターゲット特異的な切断活性はかなり至適な酵素だと思っていた。
レントゲンや内視鏡など、それまで教師付で形成されてきた AI モデルが、急速に LLM モデルに移ってきているので、当然病理組織診断でも同じ動きがあるのは当然だ。ただ、病理組織の場合、画像としては複雑で、正確な診断レポートが LLM モデルから得られるようになるにはまだまだ時間がかかることを、このとき紹介した。
今日紹介するマイクロソフトとワシントン大学からの論文は、基本的には4月に紹介した論文と目的は完全に同じだ。ただ、病理レポートを書かせるという点は後回しにして、画像を読み込んだ LLM のポテンシャルを、もう少し簡単なアウトプットを基礎に評価し、読み込んだ画像で何ができるのかを調べるのを優先した研究で、5月22日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A whole-slide foundation model for digital pathology from real-world data(実際のデータから形成した、スライドグラス全体を基盤にしたデジタル病理)」だ。