カテゴリ:論文ウォッチ
5月25日:予想屋が儲かるわけ(5月18日後Nature Neuroscience掲載論文)
2015年5月25日
以前外国人と話しているとき景気のことが話題になって、これに対応する単語が浮かんでこず苦労した。結局economic moodでその場をごまかした。しかし自分を取り巻く景色や雰囲気が経済で最も重要な言葉になる我が国は、不思議な国かもしれない。とはいえ、リスクを伴う決定の際、つい他人の意見が気になるのはどの国でも同じようで、今日紹介するバージニア工科大学からの論文はそんな時の脳の活動について調べており、5月18日号のNature Neuroscienceに掲載された。タイトルは「Social signals of safety and risk confer utility and have asymmetric effects on observer’s choices (安全性とリスクに関する他人からのシグナルは利用され、対象者の選択とは反対の効果を持つ)」だ。この研究の目的は、ギャンブルなどで選択が必要な時、他人の意見に影響されるのか、また、影響されているとしたらその背景の脳活動とは何か、を調べることだ。一見複雑な行動に見えるが、やはりギャンブルの話で、使われた課題は単純で理解しやすい。70人の被験者に様々なリスク設定で賭けをしてもらうのだが、他人の意見が全くわからない状況での選択と、選択前に他の一人の選択についてこっそり教える場合の選択について比べ、他人の選択の影響を測ると同時に、他人の選択を考慮する時に活動している脳部位の活性を調べている。論文を読んでみて、状況設定は面白いが、研究自体のレベルはそう高いとは思えない仕事だ。さて結果だが、確かに私たちは他人の意見に引きずられる。特にリスクを取ろうとしている時は他人もリスクを取ろうとしているのがわかると安心して高いリスクを選択するし、逆にリスクを取りたくないと思っている時は、他人も安全を選んでいるのを知ると同じような選択をすることになる。次に、自分だけで選択する時には活動せず、他人の意見を気にする時に活動が大きく変動する部位をMRIで調べると、前頭前皮質の下方内側の一部が興奮する。この部位はもともと、客観的な価値判断に関わることが知られており、予想通りだ。この部位と連動する部位を探すと、もう一つ前帯状皮質の後ろ側と島皮質が特定される。これまでの研究でも、この部位は他人の意見を考慮するときに興奮することがわかっており、納得だ。最後に、これらの部位が他人のどの選択に強く反応するかを調べると、実際の選択傾向とは反対で、個人的にはリスクをとりたくない時も、取りに行く時も、自分とは反対の意見に反応するようだ。要するに、影響されるのは自分の気持ちと合致した他人の行動だが、脳が反応しているのは自分とは違う選択であるということになる。もちろん一定割合で、他人の意見に従って自分の意見を変えているはずだ。もし自分の考えと違うときほど脳が反応するなら、予想屋さんが強く何度も進めれば、さらに違う意見に傾くかもしれない。もう少し違った状況設定で同じ実験をやれば株屋さんにも売れる面白い結果が出そうだ。アベノミックスで企業の利益が60兆円を越そうとしているわが国で消費がほとんど上がってこないのは、わが国では将来への不安の方が脳への刺激としては強いようだ。この脳反応を誘導している刺激の元を明らかにするのが、わが国の急務かもしれない。
5月24日:標的分子を壊す薬(Scienceオンライン版掲載論文)
2015年5月24日
分子標的薬という言葉は、特定の分子の機能を増強したり抑制したりする薬で、新しく医療に登場した一群の薬という意味で使うことが多い。しかしアスピリンを始めほとんどの薬は基本的には分子標的薬と呼んでもいいはずだ。従って正確に定義するなら、分子標的薬とは最初から作用メカニズムが明らかな分子を狙って開発された薬を意味すると考えればいいだろう。タミフルで大成功し、最近一錠6万円の話題のC型肝炎治療薬ソバルディを開発したギリアドサイエンス社は、この分子標的治療薬開発の象徴だ。1987年創業のベンチャー企業だが、今や売り上げは3兆円に迫り、分子標的薬開発力を見せつけている。こうして開発されるほとんどの薬剤は、標的を壊すのではなく、機能を阻害、あるいは増強する。これに対し、サリドマイドを代表とするフタルイミド系薬剤は、最近の研究でセレブロン分子を介して標的分子をタンパク分解複合体に運び、直接分子を分解することで効果を発揮することがわかった。私もこのホームページでこのメカニズムを紹介しているhttp://aasj.jp/news/navigator/navi-news/827)。この時私は
「しかし、特定の蛋白質の分解を化合物で誘導できると言う今回の研究は、新しい可能性を示している。先ず、メカニズムが明らかになる事で、レナリドマイドより更に優れた薬剤の開発が可能になる事だ。もう一つの可能性は、同じメカニズムを使って、異なる腫瘍で、異なる分子を特異的に分解する可能性だ」
と、このメカニズムが新しいデザイン創薬を可能にすることを想像した。今日紹介するハーバード大学からの論文はまさにこの可能性が現実であることを示した研究でScienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Phtalimide conjugation as a strategy for in vivo target protein degradation (フタルイミド化合物は標的タンパクの細胞内分解に利用できる)」だ。この研究ではサリドマイドとレブロン分子との結合を壊さない形で、BRD4と呼ばれる転写因子に特異的に結合する化合物を合体させ、新しく合成したdBetがこの分子実際分解できるか、またこの分子が増殖に必要なガン細胞の増殖を抑制できるか調べている。詳細を省いて結論に行くと、期待通りこの化合物は実際の細胞内でBRDファミリー分子を全て分解する。さらに、マウスに移植した白血病の増殖をこの化合物で抑制することができるという結果だ。また、この効果はプロテアソームを阻害すると消えることから、予想した通りフタルイミド化合物に結合したレブロン分子を介して、BRD4分子がプロテアソームに運ばれ分解することがわかった。BRD4以外にも、FKBP12分子に対する化合物を使うと、同じように細胞内で特異的に分子を分解できることも示している。効果を見ると、完全ではない。これはレナリドマイドなど実地臨床に使われている薬剤と同じだが、将来性は大きいと感じる。この方法だと、化合物が分子の活性部位に結合する必要はない。特異的な結合さえあれば、その分子を分解して全体的に細胞内の濃度を下げることができる。この意味で、創薬の標的レパートリーを大きく拡大できると期待できる。ギリアド・サイエンスもそうだが、このような論文を読むたび基礎と臨床の「死の谷」などどこ吹く風で創薬が急速に進展していることを感じるとともに、我が国の医学研究助成政策はこの状況を本当に織り込んで進められているのか心配になる。
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5月23日:10億年で変われること、変われないこと(5月22日号Science掲載論文)
2015年5月23日
DNAの塩基配列決定が可能になってから、私たちは分子進化を考える時、その遺伝子の配列の相同性だけに頼って判断するようになっている。しかし大腸菌でも4000近くの遺伝子の数があるということは、個別の遺伝子は他の4000の遺伝子と協調し、また制限され、その機能を発揮している。すなわち構造化されているわけだが、この構造化は生命の本質でこれを相手にするのは大変だ。構造化された全体を見れば部分が見えなくなり、部分を見ると構造化の原理が見えなくなる。ハイゼンベルグの不確定性原理のようだが、この原理と比べると生物の構造問題はなぜこの問題が困難なのかを数学的に理解するまでには至っていない。このため、構造と部分の両方に目を配れるモジュールに分解してこの問題を扱うことが様々な生物分野で行われている。今日紹介するテキサス大学からの論文も生物の構造問題に独自の方法で迫った研究で5月22日号のScience誌に掲載された。タイトルは「Systematic humanization of yeast genes reveals conserved functions and genetic modularity(酵母遺伝子を系統的にヒトの遺伝子で置き換えることで保存された機能と遺伝的モジュール性が明らかになる)」だ。研究は単純だが大変な実験だ。まず、これまでの研究から酵母の生存に必須の遺伝子を469個選んでいる。次に、この酵母遺伝子に対応するヒトの遺伝子を全てクローニングし、酵母469個の遺伝子を一個一個ヒト遺伝子で置き換えられるか調べて、なんと176個(43%)の酵母遺伝子がヒト遺伝子で完全に置き換えられることを見出した。すなわち10億年の間に両者に生まれた多様性も、機能的に影響していないことを意味する。次は、置き換えられなかった分子と、置き換えられた分子に見られる共通性を探して、1)塩基配列の類似性は置き換えられるかどうかとほとんど関係ない。実際、置き換えられた遺伝子の酵母遺伝子との相同性は20−50%で十分多様化している、2)京大のゲノムの機能を網羅したKEGGデータベースを用いてそれぞれの分子を調べると、代謝に関わる分子は代換えが聞くが、増殖や遺伝子修復に関わる分子は代換えが効かない、3)大きな分子複合体として働く分子は代換えが可能な場合が多い、という結論を出している。この例として、脂肪酸合成経路と、タンパク分解のプロテアソームを詳しく調べている。特にプロテアソームは生命に必須の巨大分子複合体で、その分子の多くが代換え可能であるという結果は、構造化されることで個々の分子の塩基配列は大きく変わったとしても個々の分子の構造上の変化は複合体構造により強く制限を受けていることである。もちろんこの複合体の構成分子で代換えができなかった分子も存在するが、その分子がもう一度代換え可能になるために必要なアミノ酸変化を調べると、例えばβ2サブユニットでは一個のアミノ酸が変わるだけで代換え可能になることまで示している。ある意味で、モジュールの構造を、進化の結果生まれた個々の分子の構造変化の程度として測定可能にした研究と言えるかもしれない。今後ヒトだけでなく、中間にある様々な生物の分子で同じことを繰り返せば、ヒトでは代換えできなかったが、ある進化段階まで代換え可能な新しいモジュールも発見できるかもしれない。ともかく部分と構造の進化に挑戦しようとしていることが伝わって来る仕事だ。もちろん個々のモジュールをさらに構造化し生きた細胞まで構成するのは並大抵のことではない。ただ、このグループのように労力を惜しまず困難に挑戦しているグループがあることを知ると、外野としても将来が楽しみだ。
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5月22日:気になる論文:酵母を使ったレチクリンの合成(Nature Chemical Biologyオンライン版掲載論文)
2015年5月22日
我が国の河岡さんや、オランダのグループが鳥インフルエンザウイルスのDNA配列を示した論文をNatureに掲載しようとした時、テロリストに情報が渡るのではとの懸念から、公開を差し止めるべきだとの議論が起こったのは記憶に新しい。生命科学研究と多様な考えが存在する社会全体との関わりを議論する生命倫理と違って、最初から悪意で利用しようとする人の科学技術の利用を止める安全保障問題に対しては、科学界はなんの手段も持たない。「普通の国」の軍事は正義で、テロリストは悪だという単純なスキームをここに適用すると、結局、秘密情報に指定して一般公開を見合わせるしかない。通常、軍事研究で行われているように、公開できなくても良いと考える研究者を集めて、秘密裏に研究を行うしか具体的な解決はないだろう。今日紹介するカリフォルニア大学バークレイ校からの論文はNature Chemical Biologyに公開されてはいるが、研究は全て公開を原則とすべきだと考える私もちょっと気になった。タイトルは「An enzyme-coupled biosensor enables s-reticuline production in yeast from glucose (酵素を使ったバイオセンサーを用いることで酵母にグルコースからレチクリンを作らせる)」だ。レチクリンとはチロシンから合成されるアルカロイドで、モルヒネ、コデインなどの麻薬成分合成のための中間体だ。多くの麻薬の構造は完全にわかっているのだが、合成経路が複雑で今でも植物から精製せざるを得ない。例えば今もケシの実からモルヒネを精製している。従って、麻薬を作るためには大規模なケシの栽培が必要で、ここを取り締まりの対象にできる。この研究は、この複雑な多段階過程を酵母で再現し、このケシ栽培の必要性を無くそうというのが目的だ。先に論文の結論を言ってしまうと、ただ培養するだけでレチクリンを86μg/l生産する酵母系統が開発できたという結果だ。一方最近PlosOneにやはり酵母でレチクリンからコデインを作らせた論文が発表されたようだ。これは、原理的に酵母だけで麻薬を作らせるための枠組みが完全に完成したことを意味している。タイトルからあるように、この論文は、これまで困難だったチロシンからl-Dopaまでの合成経路を持った酵母の開発を、この経路の活性をbetaxantinと呼ばれる黄色色素の発現でモニターする方法を開発することで実現したという報告だ。研究は、チロシンからレチクリンまでの3段階に関わる分子を一つ一つ丁寧に検討し、また必要ならその酵素の遺伝子に突然変異を誘導し活性を高めるなど、地道な検討を積み重ねてこの酵母系統の開発に至っている。手法はオーソドックスだが、好感が持てるし発表になんの問題もない。また、現在の収量では実際の工業生産に使うにはまだまだまだ改良を加えていくことが必要だろう。しかし、この結果は、いつか麻薬を作るためにケシの栽培が必要でなくなり、酵母の系統さえあれば、誰でも簡単に麻薬を作れる日が来ることを意味する。もちろん個人でなくても、資金のある大きな組織なら、効率の良い系統を開発することもできるだろう。それを遅らせるための様々な細工を考えることはできるが、そんなトリックは必ず破られる。どうしたら良いのか。現在国連では新しい核拡散防止法案を巡って最後の詰めが進んでいるようだが、この議論を見ていると、世界のセキュリティーに関わる問題に一致した取り組みは不可能に思える。私も今日は全くアイデアが出ずお手上げだ。
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5月21日:深酒を止める分子(米国アカデミー紀要オンライン掲載論文)
2015年5月21日
いつから毎日酒を飲むようになってしまったのか思い出せないが、少なくとも熊本大学に在籍している頃まではそうではなかったと思う。今はほぼ毎日主にワインを飲むが、ではなぜ飲みたくなるのかと考えてもよくわからない。日中に飲みたいと思ったことはないし、なければないでなんとかなる。以前イランに旅行した時1週間近く禁酒を余儀なくされたが、それはそれで受け入れられた。とはいえ、帰りの飛行機に乗ってシートベルトサインが消えた途端、ワインをお願いしますと頼んだことも確かだ。要するに、酒飲みの隠居なのだが、そんな自分を見つめるとアルコールの習慣とは意識と無意識の絶妙だが壊れやすいバランスの上に成立していると思う。今日紹介するスクリップス研究所からの論文は、そんなバランスの一端を解明する研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「GIRK3 gate activation of the mesolimbic dopaminergic pathway by ethanole (GIRK3はアルコールによる中脳辺縁系経路の活動を制限する)」だ。GIRK3はGタンパクの作用で調節されるカリウムチャンネルで、この分子をノックアウトしたマウスについてのこれまでの研究から、この分子が欠損しても脳機能はほとんど影響を受けないが、コカインに対する中毒が抑制されることがわかっていた。そこで、この分子が中毒に関わる分子かどうか調べる目的で、同じノックアウトマウスを用いてアルコールに対する反応を調べたのがこの研究だ。結果は予想に反して、コカインとは逆で、この分子がないと深酒をするようになるというのが結論だ。まずアルコール自体に対する身体反応にこの分子は全く関わらない。しかし、アルコール摂取後回復期に、尻尾を持ってクルクルと回してやると、普通のマウスは気持ち悪がって痙攣を起こすのだが、この分子の欠損したマウスはこの反応がない。そこで普通の生活でアルコールに対してどう反応するか調べると、このノックアウトマウスは際限なく飲んでしまうことがわかった。後の実験は、この分子が欠損すると、アルコールによる中脳の腹則被蓋野にある神経の興奮が抑制され、この神経細胞が中脳辺縁系へ投射することでドーパミン作動性の回路が形成されるが、この分子が欠損するとこの回路が遮断されることを示した生理学的研究だが、回路の詳細解明にはまだ研究が必要だと思う。おそらくこれから、光遺伝学を用いたりして深酒マウスが作成され、さらに細胞レベルの研究が進むだろう。この研究が示した行動実験から見ると、要するに飲んで気持ちが悪くなることで制限をかける神経のようだが、もう一つ重要な要素は飲んでいい気持ちにさせる神経のほうだろう。このバランスが理解できれば私の生活ももう少し健康的になるかもしれない。
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5月20日:嚢胞性線維症の薬剤治療(5月18日号The New England Journal of Medicine掲載論文)
2015年5月20日
我が国でもギリアド社のC型肝炎治療薬の薬価が決まり、新聞にも大きく報じられている。我が国での薬価が1錠6万円という点ばかりが取り上げられているようだが、私はこの会社から続々生まれるC型肝炎治療薬の論文を読むといつも、標的の分子構造とメカニズムを基礎に行う分子創薬の勝利の象徴だと感じる。今日紹介するオーストラリアを中心とする国際治験コンソーシアムからの嚢胞性線維症の薬剤治療に関する論文にも、同じような感覚を抱いた。タイトルは「Lumacaftor-Ivacaftor in patients with systic fibrosis homozygous for phe508del CFTR(CFTR分子のphe508欠損突然変異による嚢胞性線維症にたいするLumacaftor-Ivacaftor治療効果)」だ。いうまでもなく嚢胞性線維症はCFTRと呼ばれるナトリウムチャンネルの突然変異が原因になっている。分子が完全に喪失する場合は、遺伝子治療の対象として現在開発が進んでいる。一方、この病気の半分は508番目のフェニルアラニンが欠損するタイプで、細胞内でのタンパクの処理がうまくいかず分子が表面に出てこない。ベルテックスというベンチャー企業は、この遺伝子異常を化学化合物で治療できないかチャレンジを続け、分子の細胞膜上への発現を促進する薬Lumacaftorと、このチャンネル閾値を下げるIvacaftorという薬剤の開発にこぎつけていた。それぞれ単独薬剤の治験は否定的な結果だったが、作用機序が異なるということでこれまで両剤併用の治験を始め第2相まで進んでいた。この研究は約1000人を対象にした第三相治験で、完全に無作為二重盲検法を用いて両剤併用と偽薬が比較されている。投薬は、Lumacaftorが1日1回、Ivacaftorが1日2回で、24週連続投与が行われた。結果は期待通りで、投与後2週間で肺機能が改善し始め、一秒率で5%ぐらいの改善が24週間続いている。また、この病気の最大の問題は繰り返す気管支炎症だが、この発症を一定程度抑えることができ、抗生物質の点滴が必要なレベルの炎症を半減させるのに成功したという結果だ。副作用については、肝機能検査での異常や、呼吸困難発作などが確かに起こるが、9割異常の患者さんは治療を最後まで続けることができている。これらの結果は、遺伝子の変異による疾患でも、メカニズムを明らかにすれば化合物で治療が可能な場合があることを見事に示したと思う。ただ、薬は続ける必要があり、副作用なしにもっと長期の治療が可能かなどまだまだ課題は残っていると思う。一方、この病気に対しては遺伝子治療の開発も進んでいる。おそらく、これらを合わせて初めて、患者さんの納得のいく治療が可能になるのではないだろうか。いずれにせよ、20世紀後半に始まった、メカニズムを明らかにして創薬につなげるベンチャー企業ブームが米国では収穫期に入っていることを示す論文だった。
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5月19日:恐ろしい発見:植物を介するプリオンの感染(5月26日号 Cell Reports掲載論文)
2015年5月19日
もう記憶の彼方に消え去ったかもしれないが、2003年我が国は狂牛病が発生した米国・カナダ産牛肉の禁輸を巡って大騒ぎしていた。その後2006年小泉内閣により、輸入再開のための苦肉の策として、危険部位を除去した20ヶ月以下の牛肉に限る条件で禁輸が解除された。なぜここまで大騒ぎしたかというと、現在もなおプリオン病に対して私たちは予防以外の方策を持たないからだ。幸い、その後はこの騒ぎは静まったまま現在に至っているが、どこに新たなプリオンの種が眠っているのかわからない。実際、人間も含めて動物はプリオンと同じアミノ酸配列を持つタンパク質を作り続けている。偶然の引き金が、これをプリオン型の構造に変えるかもしれない。同じタンパクが形を変えるだけで病原性のあるプリオンに変わり、正常のタンパク質をプリオン型にたたみ直しつつ感染を拡大する。これほど恐ろしいプリオン病も、感染動物を食べなければ防ぐことができると考えられ、これが牛肉の全面禁輸騒ぎの理由だった。しかし今日紹介するテキサス大学からの論文は、この心配以外にもプリオンの種が維持され続ける経路を示唆した研究で、タイトルは「Grass plants bind, retain, uptake and transport infectious prions (草本は感染性のプリオンと結合し、維持し、摂取し、伝搬する)」だ。要するに、家畜が餌としている草が感染性のプリオンの維持伝達ルートとなっている可能性を示唆する恐ろしい研究だ。なぜこのような可能性を思いついたのかと訝しく思いながらイントロダクションを読んでみると、感染した家畜の排泄物や死体に含まれていたプリオンが、動物だけでなく、動物が飼育されている環境に保持される可能性がこれまでも示唆されていたようだ。これを実験的に確かめるため、著者らはまず、麦の根や葉を、プリオンが感染したハムスターの脳抽出液にさらして、よく洗った後感染性のプリオンが残存しているか調べたところ、プリオンは感染性を保ったまま、葉や根と強固に結合することを確認した。次に、草に結合したプリオンが動物に感染するか調べるため食べさせてみると、直接脳の抽出液を食べさせたのと同じようにプリオン病を起こして動物は死亡した。プリオン病にかかると家畜は屠殺される。したがって、直接脳に存在するプリオンが広い範囲の草に触れる心配はそうない。ただ、感染した家畜の尿や糞を通してプリオンが草と結合すると、プリオンによる環境汚染を防ぐことが難しくなる。これを確かめるため、草を尿や糞にさらした後、プリオンが結合しているかどうか調べると、結果は陽性で、排泄物を通してプリオンが環境を汚染する可能性が確かめられた。さらに、成長中の草にプリオンを含む脳エキスを噴霧した後、49日草をそのまま成長させ、成長した根や葉にプリオンが存在するか調べたところ、感染性のプリオンは成長している生きた草に長く保持されることが明らかになった。最後に、まだ種から発芽したばかりの成長前の草にプリオンを晒し、成長後の葉や茎にプリオンが存在するか調べる実験を行い、感染性のプリオンが植物内に摂取され、葉や茎に維持されることを明らかにした。この結果は、感染性のプリオンは低い濃度で環境と家畜を出入りしながら量を増やしている可能性を示唆している。プリオン分子が一個でもあれば、動物内でプリオン型分子の数は増加できるので、濃度が低くてすぐに病気が発症しない場合も、環境と動物を行き来するうち、病気発生が起こるかもしれない。もしそうなら、プリオンに汚染された環境ではいつか必ずプリオン病が発生する可能性が残っている。さて、この新しい可能性にどう対応すればいいのか、にわかには信じれないが、冷静に議論する必要がある。
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5月18日:腸内細菌叢の形成過程(5月13日号Cell Host & Microbe誌掲載論文)
2015年5月18日
腸内細菌叢が自己の一部であることがわかってくると、赤ちゃんから成人するまで菌叢の形成過程、及びそれに影響を及ぼす要因について当然知りたくなる。実際、先進国から未開のアマゾンで暮らす現地人に至るまで、様々な年齢の腸内細菌叢が比べられているし、最近紹介したように、腸内細菌叢の多様性が早く成立することが食物アレルギー発症に重大な影響を及ぼすことを示す論文も発表されている(http://aasj.jp/news/watch/3037)。しかし、これらの論文は通常膨大になる腸内細菌叢のデータを、一般にもわかりやすく詳しく解説しているとは到底言えない。その点で今日紹介するスウェーデン・ヨテボリ大学と北京ゲノム研究所からの論文は素人にもわかりやすくデータが解説されている。タイトルは「Dynamics and stabilization of the human gut microbiome during first year of life (生後1年間の腸管細菌叢の動態と安定化)」だ。オーサーの貢献度に関する記述から見るとヨテボリ大学がコホートを企画し、遺伝子の解読と解析は北京ゲノム研究所が行ったのだろう。腸内細菌叢のプロジェクトにいち早く取り組んで解析技術を磨いてきた北京ゲノム研究所の躍進が感じられる。研究では、98人の新生児について、生後1週間まで、4ヶ月、そして12ヶ月目の便の細菌叢のリボゾームRNA配列を調べて解析を行っている。同じ検査を母親にも行うとともに、母乳だけ、人工栄養だけ、両者の混合で育てたのか、抗生物質の投与はあったのかを記録している。もちろんデータ自体は膨大で、解説がないと理解できない。逆に言うと理解は生データより、おのずと解説に誘導されてしまうが、以下のようにまとめることができる。
まず生まれてすぐ形成される細菌叢は正常分娩と帝王切開による分娩で大きく異なる。これは最初の細菌叢が母親の皮膚や口内細菌に由来するが、帝王切開の場合周りの環境に存在する細菌を取り込みやすいことを示している。さらに、抗生物質に耐性の細菌はもうこの時期から検出される。ただ、幼児期に抗生物質投与を行ったから、耐性菌が増大することはなく、あまり神経質になることはない。次に、こうして生まれた最初の細菌叢は母親の細菌叢と大きく異なっているが、4ヶ月、12ヶ月と徐々に母親に近づく。すなわち、腸内細菌叢の多様性が増大し、スウェーデン人が一般的に持つ型の細菌叢へと収束していく。ただ、12ヶ月ではまだはっきりと母親とは違っている。これは、母乳栄養に対応して形成されたビフィズス菌や乳酸菌優勢の細菌叢が持続することと、アミノ酸やビタミンを供給する細菌叢のネットワーク完成に時間がかかるためだと推察している。この腸内細菌叢の成長に母乳による栄養か、人工栄養かは大きな影響を持ち、母乳で育てるほうが細菌叢の多様性が大きい。最後に、離乳を果たし固形物を食べるようになって初めて、セルロースなどを分解する細菌叢が成長することなどが示されている。このようなデータは、今後介入的な研究を行うための重要な基礎になる。その上で、理想の離乳食や、人工栄養を目指した科学的研究が進むのだろう。まだまだ我が国の取り組みは遅いが、人種や生活環境の影響が大きいことを考えると、重点項目として独自に推進する必要があるだろう。
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5月17日:ソーシャルネットの写真「Dress」とクオリア (Current Biology 6月29日掲載予定論文)
2015年5月17日
「私たちの感覚に絶対的な基準はない」と断じたイギリス経験論の頂点、デビッド・ヒューム以来、「自分と同じ感覚を他人も共有できるのか?」という問題についての議論が現在まで続いている。現代の大勢としては、「同じなはずがない」という捉え方が優勢で、この「私の感覚・主観的感覚」は定義できないという考えから、クオリアという言葉が生まれた。しかし、ソーシャルネットワークのつながりが、この問題をもう一度科学の俎上に乗せられるのではと私は密かに考えている。これについては、今本にしようと苦労しているので詳しくは述べないが、この密かな思いが現実になるかもしれないと期待させる論文が6月に発行予定のCurrent Biologyに、ボストンMIT、ドイツギーセン大学、そして最後はネバダ大学から3報も発表されていた。
私は全く気づかなかったのだが、今年の2月、一枚の縞のドレスを示してドレスの色は「白と金」なのか、「青と黒」なのかを問う写真がソーシャルネットに掲載され(http://swiked.tumblr.com/post/112073818575/guys-please-help-me-is-this-dress-white-and)大きな反響を呼んだらしい。この騒ぎは科学者の耳にも届いたようで、その中の何人かはネットで思いつきの意見を述べて終わるのではなく、主観感覚に直結する重要な問題として研究を行っていたようだ。その結果の一部がこの3編の論文で、どれも速報の形をとっている。ただ、もともと難しい問題なので、アプローチの手法も異なり、推察の多い結論だ。まずMITのグループは、行動学の問題として捉え、1400人の被験者の答えの分析を中心に行っている。例えば、女性や高齢者ほど「白と金」に見えるなどの分析を示しているが、結論としては私たちが生活の中で最も使っている光の影響下で形成された内部イメージがこの差を生み出すのだろうと結論している。まさに経験論そのものだ。一方、ギーセン大学のグループは、15人の被験者に写真と同じ色を選ばせる実験を行い、客観的に見たときそれぞれの被験者の感覚は決して2分されておらず、連続的な差を反映しており、この青vs白という見え方の差は、色ではなく、明るさに対する感じ方の差であることを示している。その上で、最終的にどちらと判断するかどうかは、日常生活で最も影響されている光(例えば自然光か人工光)の下に形成された脳のバイアスによるのではと推察している。一種経験論と普遍論の折衷だ。最後のネバダ大学は、青という色は、色彩としてより色の強さとして感じられる色で、これを黄色に変えると差はなくなることを示している。すなわち、もともと色彩としての判断がしづらい問題なので、このような差が生まれるという考えで、普遍論に近い。
研究としてはまだまだだ。しかし3編の論文を呼んで感心するのは、ネットでの炎上騒ぎから問題を抽出してくる科学者魂だ。おそらく論文としてまとまっていないが、同じような分析をしているグループは他にもあるだろう。ソーシャルネットにより容易になった、一般の人が自発的に科学研究に参加するというコレクティブインテリジェンスは、おそらく21世紀の重要な方向だ。特に主観と客観のように、自分と他人についての客観分析が同時に進む必要のあるテーマはこの手法が必須だ。おそらく今回研究に踏み切ったグループも、直感的にこの重要性を嗅ぎ取ったのだろう。頼もしい限りだと思う。是非わが国でも、炎上から新しい問題を嗅ぎ取る想像力を持った研究が生まれることを期待したい。
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5月16日:ギョ!魚? 温かい!(5月15日号Science掲載論文)
2015年5月16日
私は魚についての知識は乏しく、漁港の市場を歩くと全く魚の名前を知らないことを思い知らされる。それでも時には「ギョ魚」と驚くことはある。これまで最も驚いたのがヘモグロビンも赤血球も持たない魚、「アイスフィッシュ」の話を知った時で、魚類の適応性に舌を巻くとともに、東京都の葛西臨海水族館までわざわざ実物を見に行った(これについては私がJT生命誌研究館のホームページに書いた記事を参考にしてほしい:https://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000008.html)。そして今日、Scienceを眺めていたら新たな「ギョ魚」に出会った。なんと、温血魚の発見だ。米国の海洋漁業局の研究所からの論文で、タイトルは「Whole-body endothermy in a mesopelagic fish, the opah, Lampris guttatus(中深海に生息する魚「オパー」(Lampris guttatus)に見られる内温性)」だ。私たちは一般的に動物を冷血動物と温血動物と分類するが、実際には、熱を発生して体温を維持する機構を持つ動物と、自分で熱を発生できない動物に別れる。今まで私は哺乳類と鳥類以外に、自分で熱を発生させる内温性の動物が存在するとは夢にも思わなかった。この論文を読んで初めて知ったが、例えばマグロやサメの一種では、私たちと同じように筋肉で熱を発生して、運動に使う筋肉を温めており、またカジキの一種では動眼筋で発生した熱で脳を温めるという機能があることが知られていたようだ(これだけでも物知りになった気分だ)。ただ、これらの魚の熱発生システムは体の一部を温めるのが目的で、循環を通して体全体を温めるという仕組みは持っていない。これに対し、今日紹介する研究では、マンボウ科の魚オパOphaが、筋肉で発生させた熱を全身に循環させ、比較的一定の体温を保つ内温性の魚であることが世界で初めて明らかになった。と聞くと、深海から見たこともない新しい魚の新種が発見されたように聞こえるが、オパはハワイでは普通に食べられている魚のようで、どうしてこれまでわからなかったのか不思議なぐらいだ。魚は変温動物という私たちの先入観は恐ろしい。さて体温を維持するメカニズムだが、普通の魚よりはるかに大きな胸筋を使って十分な熱を発生させる仕組みと、外界から酸素を取り込むエラからの循環システムを、体内の循環システムと完全に切り離すための特殊構造を持つ鰓弓により実現している。もう少し詳しく説明しよう。普通の魚と違いオパは体全体の動きで泳ぐのではなく、大きな胸びれを動かすことで前に進む。従って異常に大きな胸筋はほとんど熱発生に使うことができる。この熱は体内の循環血液を温めるが、この温められた血液は心臓からエラに循環する前に、鰓弓でエラから出て来た動脈と平行に接して走ることで、いわゆる対流熱交換器を形成し、エラで冷やされた酸素の多い血液を温める。これにより、外界の冷たい温度から体内を守っている。体の他の部位と比べた時、脳は更に高温を維持できているので、動眼筋や脳に近い筋肉で発生させた熱を加えて脳に送っているのかもしれない。いずれにせよ、この仕組みのおかげで心臓の温度は一定に保たれている。具体的には水温より3−4度高い体温を身体中で維持することに成功している。最後にこの魚の生息域のデータを示し、マグロと比べても温度の低い深海で長く活動していることを示している。話はこれだけだが、生命の多様性は想像を超えていることの典型だろう。今度ぜひオパを見にハワイに行きたい。
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