10月28日:同一がん組織内の多様性(10月10日号Science誌掲載論文)
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10月28日:同一がん組織内の多様性(10月10日号Science誌掲載論文)

2014年10月28日
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細胞が一回分裂すると、新しく出来た2個の細胞のゲノムは違っているのが普通だ。分裂時のDNA複製には低いが一定の不正確さがあり、これが生命の進化には必須の要素だ。同じように、がんが伸展し、治療に抵抗する細胞が進化するのも、がんのゲノムが分裂ごとに変化するからだ。実際、がんのゲノムやエクソームとして検出しているのは、多様ながん細胞の集まった集団としての平均値だ。ゲノムの大きさが30億塩基対もあるため、がん発生に重要な部位以外の突然変異が繰り返し見られる事はほとんどない。それでも同じがんの違う場所を取り出して調べると、がんが多様化している事が腎臓がんなどでわかっていた。このためがんの多様性と再発の関係を調べる研究が始まっている。今日紹介するMDアンダーソンがんセンターからの論文は、初期肺腺癌の手術組織の多様性を調べた研究で、10月10日号のScience誌に掲載された。タイトルは「Intratumor heterogeneity in localized lung adenocarcinomas delineated by multiregion sequencing (同一がんの複数の場所から採取したがんの配列決定により初期の肺腺癌の多様性が明らかになる)」だ。読んだ印象はScienceに掲載するほど質が高いか疑問に思ったが、がんの臨床には重要な結果だ。研究では、11例のステージIIAまでの肺腺癌で、通常検査では転移がないとして手術が行なわれた患者さんのがん組織の複数箇所から細胞を集め、全エクソーム(実際にタンパク質などへ翻訳される遺伝子部分で全ゲノムの1.5%程度)を高い精度で解読している。結果は明瞭で、全てのがん組織で元のがんから変異した数種類の集団が特定できる。肺腺癌では、多様化していても全て同じ起源へと元を辿れる事から、最初から多様ながんが発生するのではなく、先ずもとのがんが発生してそこから多様ながんが発生すると考えられる。即ち、先ずがん化で染色体の安定性が損なわれ、多様化が始まる事を示している。これほど初期から多様化していたら治療も打つ手がないのではと心配になるが、幸い75%程度の突然変異は全てのがん細胞共通に見られ、この研究で発見された、肺腺癌発生に関わる事の知られている14種類の遺伝子突然変異の内13種類は全てのがん細胞に存在する事から、多様化はしていても起源は同じで、薬剤に対する反応も同じだろうと予想できる。とはいっても、術後21ヶ月経過を見るうち再発した3例は、再発のなかった例と比べると明らかに多様化の程度が大きい。従って、初診時に多様化が著しい場合は再発予備軍としてより注意深い観察をする必要があるだろう。突然変異の種類についても解析している。明らかにタバコが原因と思われる突然変異は、確かに喫煙をやめても長く存在する事から、肺の中でゲノムに蓄積している事は明らかだ。この解析から肺の腺癌ではガン化までの変異と、がん化後の変異が明らかに違い、多様化はガン化後加速される。この加速時期にはAPOBECと呼ばれる分子が関わっている事もわかった。臨床的に重要な点は、初期がんで発見できれば、がん全体の性質を変える所までは多様化も進んでいない事だ。いずれにせよ、11例と言う少数の解析だけから結論を急ぐと大きな落とし穴があるかもしれない。しかし、がんは知れば知るほど対応の可能性も見える事ははっきりした。それにしても、アメリカやヨーロッパのがんゲノムへの取り組みは徹底している。それと比べると我が国のこの分野のシェアは低いと言わざるを得ない。心配している。

 

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10月27日:嗅覚受容体の選択(10月23日号Cell誌掲載論文)

2014年10月27日
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免疫担当細胞も嗅細胞も化学物質を探知する仕組みだ。細胞上での化学物質を探知するのは、抗原に対する受容体であり、嗅覚受容体だ。ただ探知した後の細胞の反応は全て同じで、従ってこの反応は特異的な認識を一般的な細胞反応に転換する事で行なわれている。このため一つの細胞は一つの受容体だけを発現するよう制限されている。抗原受容体も、臭い受容体もゲノム中には1000種類以上存在する。このため、一つの受容体を選んで、他の受容体が発現できないように抑制するフィードバックメカニズムが細胞に存在している。嗅覚受容体でも、トランスジェニックマウスを用いた仕事などから、一つの受容体がオンリーワンとして選ばれ、その分子が発現すると、それがシグナルになって染色体構造を変化させ、他の全ての負け組受容体の発現が抑制される仕組みになっている。しかし、最初に一つの受容体だけが選ばれオンリーワンとして君臨できるのかの仕組みは良くわかっていなかった。今日紹介するコロンビア大学からの論文はこの謎に挑戦した研究で、10月23日号のCell誌に掲載された。タイトルは「Enhancer interaction networks as a means for singular olfactory receptor expression(エンハンサー相互作用ネットワークが単一の嗅覚受容体の発現の手段になっている)」だ。タイトルにあるエンハンサーとは、遺伝子発現を正に調節するためのゲノム上の領域で、その領域に様々な分子が結合し遺伝子の発現を高める役目をしている。論文を読むと、このグループは本当にあらゆるテクニックを駆使してこの問題に取り組めるプロ集団である事がわかる。まず、ゲノム内でエンハンサーとして働いている部分を特定する(DNAse感受性領域)方法と、染色体構造を調べる方法を組み合わせて、嗅覚受容体に関わるエンハンサー部位を35種類特定する。次にこの中から嗅覚受容体エンハンサーとして活性のある部位をゼブラフィッシュを使って12種類特定する。その上で、この12種類の部位が嗅覚細胞でどう働いているかを調べる。ただ、嗅覚細胞は何千種類もあるため、特定の受容体を発現する細胞だけを集める必要がある。この目的のために、ある受容体を発現する細胞が蛍光を発するマウスを作成し、このマウス鼻粘膜から特定の受容体だけを発現する細胞をセルソーターで集めて、この受容体の選択にこのエンハンンサーがどうか変わっているか検討している。この時に用いた方法が、4C-seqと呼ばれる方法で、この受容体発現に関わるために集められた全てのエンハンサーを特定する方法だ。この結果、単一の嗅覚受容体の発現には数カ所に散らばっているエンハンサーが集まって協力している事がわかった。実際、核内でそれぞれのエンハンサー部位が一か所に集まってくるかどうかを調べるために、FISHと呼ばれる方法で、別々の染色体上に離れて存在するるエンハンサーが受容体遺伝子の近くに集められている事を示している。また核内3次構造が維持できない様、嗅細胞で遺伝子改変すると受容体の発現がなくなる事も示している。まとめると、発生過程ではそれぞれの受容体が自分の近くにエンハンサーを幾つ集められるかの競争を行っており、必要な数のエンハンサーを最も早く自分の近くのエンハンサーに集められた受容体だけが勝ち組として発現でき、今度はその受容体からのシグナルを介して他の受容体遺伝子を抑制すると言うシナリオが、嗅覚受容体が一つだけ選ばれる仕組みとして提案されている。結局オンリーワンを選ぶには、競争に頼るのが最も安全なだというのが生命の原則の様だ。しかし同じ事はこの論文そのものにも感じる。染色体構造解析を中心にここまで多様な最新の技術を駆使できる研究室はそう多くないだろう。エンハンサーを集めるのと同じで、この様なテクノロジーを一点に集中させて競争に勝つ典型がこの論文に見られる。これに若手が対抗するには、自発的に離れた所に散らばっているエンハンサーが集まる仕組みを作るべきだろう。これほど手の込んだ研究には往々にして穴がある事が多い。若い人からまた違ったシナリオを聞ける事を願っている。

 

 

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10月26日:神経系と免疫系(8月27日号J. Neuroscience掲載論文)

2014年10月26日
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組織的合抗原(MHC)は免疫系の認識様式を決める重要な分子で、勿論免疫学独特の研究対象として考えられて来た。そんな時突然2000年カーラ・シャッツさんたちから、MHC1が神経発達に必要だと言う論文が出た。当時神経科学の論文を読む事はなかったが、何かの賞の選考でたまたま彼女の論文を調べる事になり、こんな仕事があるのかと驚いた。元々シャッツさんは、感覚神経回路の形成には、感覚刺激が入る前から自発的に刺激し合う事が必要だとする仮説を提案していた。同じ様な考えは免疫学でも刺激前に形成される内部イメージ説として提唱された時期があった。さらに、その時自己と他を区別する鏡になるのがMHCだった。2000年の論文では、シャッツさんはMHC1が細胞膜に発現できないマウスでは、この刺激前に出来る回路の形成が遅れているとする結果を示していた。ほんとかな?と思いつつその後この話をフォローする事なく今まで来たが、今年の9月になってMHC1の神経系での機能を研究しているプリンストン大学からの論文を目にした。論文は8月27日号のJ.Neuroscience誌に掲載され、「MHC classI limits hippocampal synapse density by inhibiting neuronal insulin receptor signaling (クラス1MHCは海馬のインシュリン受容体シグナルを抑制してシナプス密度を減少させる)」だ。少し古くなったが是非紹介したい。色々実験が行なわれているが、全て割愛してこの研究で明らかになった結果をまとめると次のようになる。1)MHC1の発現が低下している特殊なノックアウトマウス(β2マイクログロブリン、及びTAPの欠損したマウス)の海馬神経細胞ではインシュリンシグナルが更新している、2)この結果正常と比べてシナプス形成が更新し、シナプス密度が上昇する、3)インシュリンシグナルを抑制する阻害剤をノックアウトマウスに投与すると、正常に戻る、4)MHCとインシュリン受容体は結合しているが、同じ細胞内ではなく、異なる細胞との接着面で結合している。この結果に基づいて、海馬神経細胞ではインシュリンシグナルが常に入っているが、シナプスを形成して相手方の細胞と結合すると、その細胞が発現するMHC1とインシュリン受容体が結合し、インシュリンシグナルを抑制する。この抑制がないと、インシュリンシグナルが入りっぱなしになって、シナプス密度が上がると言うシナリオが示されている。なぜシナプスが出来て困るのか?と問われるかもしれないが、発生過程では刺激を受けたシナプスだけを維持して、あまり刺激の来ないシナプスを淘汰するプロセスが重要だ。おそらく、この淘汰がうまく行かないために、シャッツさんたちが最初見つけた様な現象が起こったのだろう。MHCは脊髄動物から見られる分子だ。これが神経系でも機能するとすると、脊髄動物の神経系が大きな機能的ジャンプを遂げる原因になっているかもしれない。しかしどんな現象もしっかり研究が進んでいる事を知り感心している。

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10月25日:リンパ節が腫れる意外な仕組み(10月23日発行Nature掲載論文)

2014年10月25日
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局所感染が起こるとその近くのリンパ節が腫れる。外界からの異物に対して免疫系の細胞を動員して速やかに免疫反応を誘導するための仕組みだ。以外と知られていないが、リンパ節はほ乳動物にしか存在しない高等システムだ。京大に在籍していたとき、助教授の横田君(残念だが今年2月に膵臓がんで亡くなった)がId2遺伝子をノックアウトした時、乳腺とリンパ節の両方が消えてしまった。論文を書く段になって、Id2はほ乳動物を決める遺伝子と言うタイトルにしたらと勧めたが、そんな作り話をすると審査員が通してくれないとはねつけられたのを覚えている。これまでリンパ節が腫れたり縮小したりするメカニズムは、ケモカインと呼ばれる免疫細胞をリンパ節へリクルートする分子と、リンパ節の血管や間質に発現する接着因子によって調節されていると考えられて来た。今日紹介する英国がん研究所からの論文はこれに加えて、間質細胞の隙間を拡げたり縮めたりしてリンパ節内の免疫細胞の量が調節されていると言う新しいメカニズムを提案しており、10月23日号のNature誌に発表された。タイトルは「Denderitic cells control fibroblastic reticular network tension and lymph node expansion(樹状細胞が線維芽細胞様細網細胞ネットワークの緊張性を調節しリンパ節腫大をに関わる)」だ。この研究の発端は、免疫細胞のリクルートに関わるCLEC-2受容体とそれに結合するポドプラニンの関係が、受容体・リガンドと言う一方向ではなく、リガンド・受容体でもある双方向関係ではないかと言う可能性に気づいた事だ。これを示すために、普通の線維芽細胞株にポドプラニンを発現させると、細胞が収縮する。よく調べてみると、ポドプラニンからシグナルが確かに入り、エズリン、GEF-H1,RhoA, を介して細胞内の収縮分子アクチンを収縮させる事を突き止めた。さらに、この反応がポドプラニンの受容体と考えて来たCLEC-2により完全に抑制され、結果細胞は伸展する。予想通り、ポドプラニンはシグナル受容体として働き、CLEC-2がリガンドとして働く。次の問題は、このシグナルが実際のリンパ節でも働いているかどうかだ。リンパ節ではCLEC-2は血液系の樹状細胞、ポドプラニンは線維芽細胞系の細網細胞(FRC)に発現している事だけ頭に入れていただいて、他の実験を全て割愛して結論だけ述べる。リンパ節のFRCはポドプラニンを強く発現しており、そのため収縮状態にある。免疫刺激が入ると先ずCLEC-2を発現した樹状細胞が移動して来てポドプラニンに結合し、細胞を伸長させる。これによってFRCが存在する部位の細胞の隙間が拡がり、多くの免疫系細胞が入って来ても収容できると言うシナリオだ。実際樹状細胞のCLEC-2遺伝子を欠損させるとリンパ節の大きさは全般的に小さくなる。論文を読むと、実際には差はそれほど大きくないので、やはりケモカインと接着分子の協調作用が基本的にリンパ節への細胞リクルートの主役だろう。しかし、間質側の形態も細胞のリクルートに寄与できる事を示したこの論文は、新しい見方を示してくれたと言える。おそらく、いわゆる造血系のニッチと呼ばれる細胞についても、同じ様な視点から再検討が行なわれる様な気がする。

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10月24日:全エクソーム配列検査の実力(10月18日アメリカ医師会雑誌掲載論文)

2014年10月24日
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昨年12月13日、このホームページで、診断のつかない小児患者さんの全エクソーム解析(ゲノムの内、タンパク質に翻訳される全部分のDNA配列を決めること、全ゲノムの1.5%だけなので全ゲノム解析と比べてコストは安く済む)が診断確定にどの程度役立つかを調べたテキサス・ベーラー大学からの論文を紹介した。実際には普通の検査で診断がつかなかった患者さんのうち、実に25%について診断を確定する事が出来ると言う結果だった。今日紹介する論文はこの仕事の続きで、同じテキサス・ベーラー大学から10月18日号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Molecular findings among patients referred for clinical whole-exome sequencing(全エクソーム配列決定の依頼があった患者さんで見つかった分子異常)」だ。以前紹介した論文では、約200例の患者さんについての、いわばパイロット研究だった。それから約1年後に発表された今回の論文は規模をアメリカ全土に拡大し、通常の検査では診断がつかなかった患者さんが2012年6月から、2014年8月までの2年間にわたって集められ、なんと2000人の全エクソーム検査が行なわれている。当然とは言え、結果はパイロット研究と同じで、25%の患者さんの診断を確定できる事が確認された。こうして診断のついた504人の患者さんのうち450人は神経症状を示す患者さんで、小児の神経疾患の診断が特に難しい事が良くわかる。これだけ数が集まると、病気の原因となる遺伝子異常の特徴について詳しく検討する事が出来る。例えばダイソミーと呼ばれる、片方の親からだけ2本の染色体を受け継いでいる異常が5例も見つかる。最も驚いたのは、診断のついた遺伝子異常の30%は、2011年以降に報告された異常だった点だ。即ち、次世代シークエンサーのおかげで、これまで診断がつかなかった異常がかってなかったスピードで明らかにされている事を示している。おそらく、今は25%の診断率も、急速に上昇すると期待される。ただ残念ながらこうして診断できても、多くは現在の医学では治療が難しい。しかし診断がつかずにそのまま放置されるよりはおそらく気持ちの整理がつく意味で、診断する意味はあるのではないだろうか。他にも、主治医が診断に困っている症状以外にもエクソーム検査からわかる事は多い。例えば最近話題になった乳ガン遺伝子BRCA1の突然変異が14例に見つかっている。診断に結びつかなくとも役に立つ情報が2000人のうち95人で得られている。小児で遺伝病が疑われる場合のエクソーム検査の実力を実感した。驚くのは、2年間に2000人の患者さんについて、全エクソーム配列を決め、大量の情報処理を行ない、診断をつけている点だ。論文を読むと、おそらくベーラー大学だけで検査が行なわれているようだ。同じ事をもし我が国でもやろうとなったとき、対応できる施設や組織はあるのだろうか。何度も繰り返すが、ゲノムを日常診断に利用する取り組みでは、我が国は大きく遅れをとっている。今回2000人もの患者さんで、小児のエクソーム検査の有効性は示された。将来を担う小児だけでも、無料でエクソーム検査が出来る日が早く来る事を願っている。

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10月23日:脊髄損傷の細胞治療(Cell Transplantationオンライン版掲載論文)

2014年10月23日
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昨日BBCニュースを見ていたら、トップニュースで事故後2年たった脊髄損傷の患者さんが細胞移植で回復しリハビリをしている映像を見て驚いた。早速論文を調べてみると、Cell Transplantationというあまり聞き慣れない雑誌のオンライン版にトップで出ていた。治療はワルシャワ大学で行なわれ、ロンドンの脊髄損傷専門の研究所も参加している。英国の幹細胞研究助成金も受け取っており、ガセネタではないだろうと読んでみた。実際、脊損の患者さんたちは、この様な論文に一喜一憂し、多くの場合裏切られた気持ちになる事が多い。今回もぬか喜びに終わるかもしれないと慎重に読んでみたが、説得力を感じ紹介する事にした。タイトルは「Functional regeneration of supraspinal connections in a patient with transected spinal cord following transplantation of bulbar olfactory ensheathing cells with peripheral nerve bridging (脊損患者さんの脊髄結合を嗅球鞘細胞と末梢神経ブリッジで再生する)」だ。これまでも脊損の患者さんに対する細胞治療は行なわれて来た。中でも最も多く行なわれたのが、鼻粘膜から採取した再生力のある嗅細胞を培養して移植する方法だが、はっきり言って患者さんの期待に答える治療には発展していない。では今回の方法はこれまでとどう違うのか。詳細は割愛して、実際の治療過程をまとめておく。患者さんは38歳男性。外傷性に9番胸骨部の脊髄損傷で下半身が完全麻痺している。事故後21ヶ月後、手術下に片方の嗅球を切除、培養して鞘細胞、神経細胞、線維芽細胞などが混じった細胞集団を得ている。直接脳から再生力の高い細胞を採取する点がこれまでとは大きく違っている。ただ副作用として、臭いが一定期間失われる。次に試験管内で増殖させた細胞を投与するのだが、古い傷から上下に1ミリ程度余分に切除し、新しい新鮮な切断面を作り、そこから上下に細胞をマイクロマニュピレーターで注入している。その後、ふくらはぎから取り出した6cmの神経細胞を4等分し、カットした脊髄をつないであとはフィブリンをかぶせる。その後硬膜形成を行ない手術は終了だ。これまで行なわれて効果があると言われた末梢神経移植と嗅細胞移植を組み合わせている点が新しい試みだ。私が説得力を感じるのは回復の様子だ。リハビリを続けるが、4ヶ月間は全く回復の兆候がない。ところが、5ヶ月に入ると先ず体幹部、そして大腿と徐々に回復が進んでいる。脊損の程度を調べるASIAスコアも5ヶ月まではAと全く機能がないが、6−10ヶ月はB、そして11ヶ月からはCになっている。また、電気生理学的にも脊髄の結合が認められると言う。勿論1例だけで一喜一憂するのは間違っている。しかし、文章からもなんとなく自信が感じられるし、様々な可能性もしっかりと考慮している。今後更に症例数を増やして効果が確かめられるだろう。少なくとも私には何かありそうな気がする。勿論私は専門ではない。また多くの患者さんが、この様な論文に裏切られて来た事も知っている。その意味で、是非専門の人の意見を聞きたいと思っている。一度専門家を招いて、この論文の読書会をニコニコ動画で公開したい。

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10月22日:植物の窒素反応システム(10月17日号Science誌掲載論文)

2014年10月22日
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動物を使った研究を続けてくると、どうしても植物についての研究には無関心になってしまう。引退後、出来るだけこれまでとは違う分野の論文を読もうと思ってはいるが、なかなか取り上げる気にならない。そんなとき、サイエンスのInsight欄に名古屋大学の研究が取り上げられていたので、論文を読んでみた。認知や心理学と比べるとずっと理解し易い。今日はこの論文を紹介する。「Perception of root-derived peptides by shoot LRR-RKs mediates systemic N-demand signaling(LRR-RKsによる根由来ペプチドの認識が植物全体の窒素要求性シグナルに関わる)」と言うタイトルで、名古屋大松林さんのラボからの論文だ。植物の成長には窒素が必須だが、土壌の中の窒素濃度は大きな変動がある。窒素の多い土壌に根を伸ばすのは、植物にとって重要な事だ。意外な事に、土壌の窒素がどう認識され、様々な反応を誘導するのか良くわかっていないようだ。松林さん達は植物ゲノムの中にコードされている短いペプチドホルモンが窒素シグナルに反応して植物全体の反応を調節しているのではないかと狙いを付け、ペプチドと同じ作用を持つ分子に結合する受容体を2種類同定している。次に両方の受容体遺伝子を欠損させた植物を作って調べると、窒素欠乏状態においた植物と同じ症状を示す。ここまでくれば窒素要求性を調節するシステムの根幹は手にした事になる。後は、1)この受容体に結合するペプチドは窒素濃度が低いと誘導される、2)このペプチドは地上部分に発現しているLRR-RKs受容体に結合しシグナルを送る、3)このシグナルにより、根での窒素トランスポーターの発現が上がる、4)根の側鎖の成長もこのシグナルにより上昇する、などが実験的に示されている。要するに、根の一部で感受された窒素欠乏が、一度地上部分(芽や枝)の細胞を刺激、この細胞から新しい分子が分泌され全体の転写を変化させ、出来るだけ多くの窒素を吸収すると言うシナリオだ。動物で言えば、末梢から視床下部、また末梢へと言うペプチドホルモンと脂溶性ホルモンとがリレーし合うシステムに似ている。残念ながら、この受容体が刺激されてからのシグナル伝達の全体像は良くわかっていないようだ。論文としては案ずるより産むが易しで、毛嫌いする事はない。認知科学の論文よりははるかに読み易い。ただ、やはり植物については、例えばどのように窒素が検知されているのかなど、これまでの研究についての知識がない事も良くわかる。多くの研究は全体の中の一部に焦点を当てていることが多い。読む方にすると、全体についての知識がないと、理解できても楽しめない。なかなか身に付いてしまった習慣を変えて、植物研究を楽しむまでは遠いなと思い知った。しかし松林さんと言う名字は植物研究に向いているな、などと馬鹿げたことに納得した。

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10月21日:エボラ現状分析(10月16日号The New England Journal of Medicine掲載論文

2014年10月21日
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エボラ出血熱(EVD)の猛威が収まらない。勿論ワクチンや有効薬剤の開発は重要だが、今一番求められているのは疫学的解析に基づく公衆衛生政策だ。今日紹介する論文はWHOのエボラ対策本部からの先週号のThe New England Journal of Medicineに発表された西アフリカEVD感染の現状を分析した研究だ。タイトルは「Ebola Virus Disease in West Africa-The first 9 month of epidemic and forward projections (西アフリカのエボラウィルス病:最初の9ヶ月の感染状況から見た将来展望)」だ。これ以前のEVD流行は2000年から2001年にウガンダで起こっているが、このときは425例の発病でとどまっている。これと比べると、今回の流行はこれまで経験した事のない規模で進んでおり、2013年12月に最初の症例がギニアで報告されてから、この調査を行った9月14日時点までで、4507例が確定、あるいは疑わしいと判定されている。最も関心を集めている死亡率は、確定診断のついた患者についてみると70.8%で、極めて高い。それでも15−44歳までの世代では、66%で、45歳以上だとこの率が80.4%に跳ね上がる。従って、治療に当たっても一般的な状態を保つ事が重要だ。死亡率は性別や地域別でほとんど差がない事から、世界中に広がる可能性は十分ある。とは言え一定のコントロールは出来ているようで、西アフリカ3カ国内の67行政区のうちほとんどの患者は14地区にとどまっており、全く発生のない地区も存在する。さて、ではここまで感染が拡がった原因だが、先ず最初から出血が起こるわけではなく、熱や倦怠感等普通の症状から始まるため、隔離が遅れる事が挙げられる。実際今回も出血が最初に確認されているのは18%に過ぎない。潜伏期は11.5日で21日間はウィルスの排出がある。現在発症から入院までに5日かかっているが、これは医療従事者でも同じで、どうしても発見が遅れる事を意味している。さて今後の見通しだが、現在も感染者は増加し続けており、このままの勢いでは15−30日で患者数は倍加し、11月には全地区で2万人を超えると予想している。この猛威への対応の一つは、緊急に現在開発段階にある薬剤の治験を科学的に進める事だが、日本の報道で見られるように、一部の患者に投与して一喜一憂するのは意味がない。実際ここまで拡がりを見せると、効果が確認されても、薬剤やワクチンが間に合わない事は確かだ。従って、明らかに死亡率を減少させる事がわかっている病院への隔離を進め、全身状態を保つ事が重要だが、現在も圧倒的にベッド数が足りない。勿論、感染経路特定に基づく早い隔離、速やかで安全な埋葬など地域ぐるみで取り組む必要がある。しかし、ベッドだけでなく専門家も不足しており、世界を挙げた取り組みが必要な事を強調している。本当なら、我が国も応分以上の取り組みを進めるべきだろう。ずいぶん昔に誰かが言っていた。”Show the flag”

 

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10月20日:空間の記憶(Nature Neurosceinceオンライン版掲載論文)

2014年10月20日
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実を言うと今年のノーベル医学生理学賞については、受賞者もその仕事も全く知らなかった。受賞理由には、positioningが科学だけではなく、哲学の問題であった事が強調されている。おそらく、空間が経験(物)を媒介として認識されるとするロック、ヒュームと、空間認識は経験ではなく先験的に備わっている直感形式だとするカントの議論が念頭にあるのだろうが、哲学議論を持ち出せば科学に箔がつくと言う考え方はいただけない。しかし全く知らなかった分野と言う事で、関連する論文が出ればと待っていた所、Nature Neuroscienceにペンシルバニア大学のグループからの論文を見つけた。タイトルは「Anchoring the neural compass:coding of local spatial reference frame in human medial parietal lobe (神経コンパスを支える:人間の中頭頂葉は局所の空間を参照する形式をコードする。)」だ。ただ、読み始めてすぐ失敗したと思った。最近は認知や心理学の論文に頭がついて行くようにはなって来てはいるのだが、今回は困った。目的、実験系、結論などは概ね理解できるのだが、最終的な実験的詳細がイメージできていない。従って、理解できていない所もある事を断って、結論だけまとめることにする。この研究の対象は人間だ。場所記憶に必要な要素を調べるために、公園の中に建っている内部の構造はほとんど似ているが入り口の形などで区別可能な4つの博物館をコンピュータ上にバーチャルに構成する。それぞれの博物館には誰でもが知っている物品(例えば椅子)が陳列物として16個づつ展示されている。それぞれの美術館の入り口は東西南北に向いており、それぞれ向き合っており、中に入っても頭の中で東西南北を判断できる。研究では、被験者にテレビ画面上でバーチャル博物館を訪れてもらい、時間をかけて各博物館の中の展示物の位置を覚えてもらう。覚えた後、今度は指示に従って特定の場所に立った状況を頭の中で想像してもらった上で、陳列物を2種類指定して、どちらが被験者から見て右か左かを答えてもらうと言うのが課題だ。要するに、公園の入り口にいる私は、東西南北などを頼りにグローバルに博物館の位置決めをする。一旦博物館に入ると、もう東西南北は関係なく、部屋の中の様子で位置決めをする。そして最後に自分の身体を基準に右か左かを決めている。ある陳列物を見に行く事を頭の中で想像できるが、その時少なくとも3種類の情報に従って陳列物の位置を判断していると言うわけだ。実験ではこの3つの認識様式のどれを使っているかを区別できるように指示を出して全て頭の中で思い出してもらい(この詳細がわかりにくかった)、それぞれの様式に頼って判断が行なわれる時脳のどの場所が興奮するかをMRIで調べている。結果は、身体を基準に方向性を判断するときと、部屋の様子から場所を決めるときはretrosplenial complex(脳梁膨大後部皮質)が興奮するが、グローバルな位置を決める時に働く場所は特定できないと言うものだ。1971年のオキーフの論文に目を通したが、その簡潔さと比べると、今日紹介した研究はどうしようもないほど複雑だ。このグループがこの分野でどの位影響力があるのかは知らないが、場所記憶を人間で調べるのがいかに大変か良く理解できた。先ずロック、ヒューム、カントの出る幕はなさそうだ。

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10月19日:凄まじい淘汰のおかげでミトコンドリアの質が保たれている(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2014年10月19日
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ミトコンドリアは細胞のエネルギー代謝に必須の器官だが、この器官に必要な遺伝子の一部は細胞の核とは独立してミトコンドリアゲノムとして存在し、また独立して分裂する。元々精子にミトコンドリアの数は少なく、また受精後ほとんど完全に精子由来のミトコンドリアはオートファジーにより消滅するため、事実上ミトコンドリアは母親に由来する。このホームページでも解説した事があるが(2013年9月)、ミトコンドリア病はミトコンドリアの遺伝子の突然変異の結果起こる病気だ。しかし、ミトコンドリア遺伝子の持つ独立性のために、発症機序を理解する事がなかなか難しい。実際、人間の親子でミトコンドリアがどう伝わっているかについて詳しい研究はそれほど多くない。今日紹介するペンシルバニア州立大学からの論文は、このギャップを埋めるべく39組の親子の血液と頬粘膜細胞のミトコンドリア遺伝子配列を調べた研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Maternal age effect and severe germ-line bottleneck in the inheritance of human mitochondrial DNA(ヒトミトコンドリアDNA遺伝における母体年齢の影響と激しい生殖細胞ボトルネック)」だ。おそらくタイトルの生殖細胞ボトルネックと言う言葉を知っている方は少ないだろう。これは卵子形成過程で一度ミトコンドリアの数が急速に低下した後、分裂により元にもどる現象を指す。これにより、機能異常をもつミトコンドリアを淘汰していると考えられている。さて、この研究では39組の母子の細胞内のミトコンドリア遺伝子配列を調べて、細胞内に突然変異を起こしたミトコンドリアがどの程度存在しているのかを調べている。ミトコンドリアの遺伝の理解を難しくしている原因が、ヘテロプラスミーと呼ばれる現象で、一つの細胞に正常と突然変異を持ったミトコンドリアが共存することを言う。ミトコンドリアゲノムが独立性を持つため起こる状態だが、一つのミトコンドリアで突然変異が起こっても、細胞内には多くの正常ミトコンドリアが存在するため異常が表に出ない。ただ、分裂しない神経細胞などで、異常ミトコンドリアの増殖が高まり細胞を占拠し始めると症状がでてくる。他にも、先に述べたボトルネックを通るとき、異常ミトコンドリアの比率が急に増えることがあり、お母さんは正常なのに子供で病気が急に発症したりする。実際今回の研究で、ほぼ全ての親子で、突然変異を持つミトコンドリアが見つかる。また、突然変異の1/8は病気を起こす可能性がある突然変異だ。幸い、その割合は低く、1例を除いてそのままで異常を起こす事はない。また、アミノ酸変異を起こす突然変異は、ボトルネックの際淘汰されるのか子供に伝わりにくい。とは言え、20代に出産した組を30代で出産した組と比べると、異常ミトコンドリアが子供に伝わる確率は2−3倍上昇する。さらに39組中1組で子供の細胞で異常DNAが急激に増加しているケースも発見されている。以上の事から、ミトコンドリアヘテロプラスミーは誰にでも見られる事がわかる。そして、生殖細胞ボトルネックが異常ミトコンドリアの挙動を左右している事も良くわかった。このためこの研究では、ボトルネックでミトコンドリアの数はどの程度低下するのかを計算している。すると驚いた事に、普通なら10万個程度存在するミトコンドリアが一度は40個以下に減少する事が計算からわかって来た。とすると、ミトコンドリアは氷河期の人類が晒されたのと同じ様な凄まじい淘汰に毎世代晒されている事になる。この結果が裏目に出る事もあるが、このおかげで私たちは異常ミトコンドリアに占拠されずに済んでいるようだ。地道だが、ミトコンドリア病を理解するためには重要な研究だと思った。

カテゴリ:論文ウォッチ
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